つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

本当にもう一度「トランプ大統領」でいいのか

 自国のことでないので、どうでもいいと言えばそれまでなのですが、米国で次期大統領として依然トランプが有力というのが、小生にはまったく理解できません。まあ、ロシアでも侵略戦争を続けて自国の若者10万人以上を犠牲にしているプーチンという独裁者がいますし、中国にはうまく回っていた経済を政治的な締め付けによってガタガタにした習近平なる経済無知者がいます。中国は選挙もない国なので、習が本当はどれだけ国民の支持を受けているかなど分かりませんし、ロシアの大統領選挙も不正に満ち満ちているようですから、信用できません。

 だから、2人の権力維持は本当は国民の支持とはかけ離れているのかも知れませんが…。でも、米国は仮にも最大の民主主義国です。その国で大統領選挙結果が信じられないと最後まで主張し、挙句には右派勢力を先導して国会議事堂まで攻撃させたようなトランプをいまだに支持する人がいるとは。いるだけならまだしも、再び共和党の大統領候補になり、今秋の本選挙では民主党のバイデンを破り、当選するのではないかとまで言われています。米国の国民ってどれだけの知性を持ち合わせているのだろうと疑問を持たざるを得ません。ある種の衆愚政治かも知れません。

 トランプはこの国会議事堂占拠への関与だけでなく、自分と関わったコールガールへの口止め料を弁護費用として差し替えたり、自らの不動産で脱税したり、前大統領時代の公文書を持ち逃げしたりとやりたい放題で、34の重大犯罪に関わっているとか。そして訴追を受けると、「現政権による政敵への弾圧だ」などとうそぶく。一点の反省、謙虚さもない。品性や教養は微塵も感じられない。こうした人が再び大統領候補になること自体、小生には信じられないのですが、現時点でも世論調査によれば、今秋に当選可能性もあるというのですから、驚きの極致です。

 本当にトランプを再びホワイトハウスに入れていいのでしょうか。地球環境には関心がないようなので、パリ協定から降りると言っている。前回初当選の時もこの協定を真っ先に破棄する大統領令に署名しました。かといって、安全保障に関心があるようにも見えない。関心があるのは、どうやら自分が今秋の選挙でバイデンに対しリベンジ当選することだけのよう。そして、自らのビジネスを潤わすような政策を打ち出すだけ。

 「自分が当選すれば、ウクライナ戦争は明日にでも終わらせる」と豪語しているが、ちゃんちゃらおかしい。要は、ロシアがもぎ取ったウクライナの領土をウクライナにそのまま認めさせるということでしょう。そんな終結方法をウクライナが認めるわけがない。もし、そんな方法を認めたら、中国に”誤解”を与える。台湾が中国に占領されたり、日本の尖閣諸島や沖縄が中国に盗られても、トランプは台湾関係法(米の国内法)や日米安保条約上の防衛義務を果たさず、そのまま認めるというように仕向けるでしょう。トランプだったら、やりかねませんね。

 バルト三国ポーランドは歴史的にロシアの占領を受けた時期が長いですから、ウクライナがやられたら次は我が方という強い危機意識を抱いています。そのため、ウクライナ戦争には大きな関心を持っており、武器支援、人道援助も熱心です。いや、旧ソ連、東欧だけでなく、西欧諸国だってロシアの膨張主義には大いに危機感を持っていましょう。でも、トランプは欧州での争いなど関心がない、所詮別大陸の話という認識なんですかね。

 彼には今、経済の交流、往来がグローバルに展開されており、その背景に政治的協調が必要なんだという視点がない。相手が独裁国であろうと、人権無視の国であろうと、米国と貿易してくれればそれで良しとの考えなのかも知れません。でも、独裁国家は政治的に不満足な対応に遭うと、すぐに貿易関係で報復に出ます。つまり、安定的な貿易相手国にはならないのです。長い目で見れば、国益に反し、ひいては「米国ファースト」にならないということがトランプには分からないのでしょう。

 フランスのマクロン大統領は、「もしトラ」に備えて、NATOでの米国支援は期待できないので、欧州だけの軍隊を創設しようと発言しています。やはり、ウクライナへの最近の関心の薄さから見ると、共同防衛の限界が見えてきます。日本も日米安保条約第5条の発動などによる米国への過度の期待などしないで、もっと自力防衛強化を考えるべきではないでしょうか。

 上の写真は、京都・円山公園の枝垂れ桜前の小生。下の方は、兵庫県城崎御温泉で泊まった宿屋のマスコット人形。

ハワイ勢の相撲は嫌いだが、曙個人は魅力的

 「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ」というのは平安末期の西行法師の和歌ですが、小生は毎年、春に満開の桜を見るにつけ、何となくこの和歌を思い出します。ついでに高齢故に「この桜の満開をあと何回見られるか」とも思ってしまうのです。紅葉もきれいですが、「紅葉を来年も」とはあまり思わない。満開に咲いたソメイヨシノは本当に人を引き付けるし、酔わせる。西行と同じように、できれば桜の下で死期を迎えたいと思うのです。

 それはともかく、大相撲の横綱まで張った曙太郎が逝去しました。まだ54歳の若さとか。相撲取りは大飯を食って寝て体を作る、ある種不健康な生活を送ります。内臓に負担がかかるでしょう。その上に厳しい稽古に明け暮れ、ガタイを痛めつけるので、まあ、相撲ファンとしては残念ながら、早世が多いのは致し方ないのかなと思ったりもします。ですから、最近テレビに出ていない北の富士さんにはぜひ長生きしてほしいと願っています。

 曙には悪いのですが、小生はこのブログで再三書いてきたように、大相撲の面白さをなくしたのはハワイ勢が入ってきたことが原因だと考えています。栃若、柏鵬を見てきたファンからすれば、相撲は組み合ってから、投げを打つ、寄り切るというのが理想です。それをハワイ勢がひっくり返しました。高見山を筆頭に、曙や武蔵丸小錦のような大型力士が突っ張りとぶちかましで相手を一気に土俵外に出すという取り口。アメフトをやっていた連中ですから、それが得意です。そうした取り口もまた相撲であり、否定はしませんが、小生は好きになれませんでした。

 最近、八角理事長が嘆いていましたが、現在、大相撲入門者が減り、総勢600人を切ったとか。外国人力士、特にモンゴル人力士が多く出てきたことで、郷土との関係が薄くなったことが一つの原因だと思います。さらに、相撲界の旧態依然たるところが若者の関心を削いでいるかと思います。その一つが同部屋対戦のないこと。元白鵬が師匠だった宮城野部屋が消滅し、伊勢ケ浜部屋に合併されることになりました。となると、宮城野の伯桜鵬と春場所優勝した尊富士や熱海富士などとの対戦は組まれなくなります。

 同部屋力士の対戦がないというのはなんとつまらないことか。今時、将棋だって囲碁だって、学生相撲だって何だって個人戦なら当然同部屋、同じ学校、クラブの仲間同士が戦う。それが本来あるべき対等の戦いでしょう。極論ですが、もし伊勢ケ浜部屋が幕内上位の力士がいるような部屋をどんどん合併していったら、戦う相手は弱い相手ばかりになってしまいます。貴闘力がユーチューブで漏らしていたことですが、同じ藤島部屋若貴本場所での取り組みがないことをつまらなく感じ、別の部屋への移籍を師匠(元貴乃花)に直訴していたそうです。

 そう言えば、千代の富士北勝海(保志)、若貴と戦ってほしい関取が同部屋で、本割での対戦がありませんでした。もし、これらの対戦が本割で実現していたら、北勝海や三代目若ノ花の優勝回数は減っていたように思います。八角理事長は今、機構改革を考えているようですが、ぜひ個人総当たりを導入してください。そして、十両以上の関取は、もう部屋から切り離し、独立して外に住むようにさせてください。十両以下に落ちたらどうするかという議論がありましょうが、その時は再び部屋に戻ればいいだけの話です。

 それから十両力士は100万円以上の月給をもらいながら、幕下はゼロ。2か月に一遍の場所手当しか出ません。これも力士の生活保障を考えた場合、いかがかと思います。プロ野球でも支配下登録されればある程度の年収は保証される。であれば、せめて幕下くらいは低額でもいいから、給与を与えるべきです。あるいは、一度十両以上に上がった力士が幕下陥落した場合にも、一定額の給与を与えるというのはいかが。一度、十両以上になれば、恐らく所帯を持つ力士もいるでしょう。陥落で所得をなくしたら、家族が困りますから。

 さらに提言すれば、もう相撲部屋で大座敷の中での雑魚寝の生活は止めた方がいいと思います。今時の若者は自宅で自分の部屋を持ち、プライバシーを守ってきているでしょう。それがいきなり大部屋雑魚寝では嫌になってしまいます。せめて4人部屋くらいにするか、大部屋でも仕切りのある空間を彼らに与えるべきです。それくらいの大胆な改革をしないと、本当に入門者が減ってしまいます。大相撲ファンである小生は、有能な若者がこの業界に入って来なくなるのを恐れます。

 曙逝去の話から大相撲改革の話に飛んでしまいました。最後に再び曙について触れます。彼が人間的に素晴らしい資質をもっていたことをプロレス時代の仲間も含めてSNSに投稿した追悼文をユーチューブで見て、知りました。モンゴル勢の朝青龍などと比べると、本当に他人を思いやる姿勢は立派、優しい人だったと感じられます。ハワイ勢の取り口は好きになれなかったですが、人間的には好きになれそうです。

 上の写真は兵庫県城崎温泉の「御所の湯」全景と、その中の滝が見える露天風呂。

大河ドラマ「光る君へ」は海の家のラーメンだ

 のっけから下世話な話で恐縮ですが、大谷翔平の嫁となった田中真美子さんはとんでもないラッキーレディーでもあるんですね。というのは大谷はドジャーズとの契約で、10年間の在籍を条件に7億ドルを獲得することになりました。1ドルを日本円151円でカウントすると1057億円です。となると、真美子さんはハンサムで長身、優しい心根を持つスポーツマンの大谷の身体、心を得たばかりでなく、同時に1057億円を使う権利も獲得した計算になります。

 日本のジャンボ宝くじの最高賞金は10億円のようですが、大谷の契約金に比べたら、屁でもない。早い話、真美子さんはべらぼーな懸賞金額の”宝くじ”を当てたようなものです。でも世の女性はこのラッキーさをうらやむべきでない。彼女は大谷好みの長身(180センチとか)で全日本レベルのスポーツウーマン。色白美人。性格的には、運動選手にありがちながさつさはなく、控えめでおしとやかな感じ。早稲田大学卒で知性も持ち合わせているとか。で、多くの女性が彼女と比べたら、かなわないと諦めざるをえないのではないかと思います。

 さて、下世話な話は置いといて、小生はNHK大河ドラマのファンなので、今年の「光る君へ」について触れたいと思います。正直、平安時代の朝廷を舞台にしたドラマということで事前に期待はしていませんでした。恐らく戦国時代や江戸幕末背景のものに比べ、戦闘場面が少ないのではないかと予想したからです。でも、毎年の習慣で最初から見続けています。それで早3カ月以上。意外にも、北野たけし風に言えば、これが「海の家のラーメン」なのです。つまり、期待していなかった分、逆に”おいしい”と感じるドラマです。

 そもそも藤原道長紫式部(本作ではまひろという名)が幼少のころから、互いの氏素性を知らずに遊びの場で友達となり、しかも成人してから恋仲になるという設定が素晴らしい。まひろの父親は低級の貴族で知識人だが、なかなか官職が得られず、貧乏暮らし。道長はまひろと愛し合い、激しく体を重ねる(このシーンもNHK大河としては画期的)のですが、最終的に身分が違うことで、「妻にはできない。妾ならどうか」と持ち掛ける。なかなかのストーリーです。平安貴族は一般に何人かの愛妾を持っていたというから、当時としてはごく自然な言い方だったのでしょう。

 道長は3人兄弟の末っ子。ただ、父親の愛妾にも男子が一人おり、道長の兄は3人となります。ちなみに、この庶子が遠慮をしながら正妻の子とうまく付き合い、母(つまり父親の愛妾)ともども自らいいポジションを得ようと画策するところなども面白い。道長の父親は藤原兼家。ドラマの中にも出てくるが、策略を弄して花山天皇を出家に追い込み、娘詮子の子、つまり外孫を天皇一条天皇)にし、自らは外祖父として摂政に上り詰めるのは歴史上の事実です。

 摂政、関白職は兼家、長男の道隆、3男の道兼(2男は庶子と見られる)につないでいきますが、2人とも早世してしまいます。そこで末っ子の道長が世に出ます。兄の陰に隠れてじっと目立たないようにしていたのが幸い、また長生きが身の助けになりました。娘彰子を入内させ、権力絶頂期を迎え、「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」という有名な和歌を残すのです。これは、3男でありながら、紀州家を継ぎ、そして第8代将軍にまで上った徳川吉宗を彷彿とさせます。

 のちに道隆の長男伊周が宗家復権を目指して道長に戦い(長徳の変)を挑みますが、結局返り討ちに遭い、地方の官職に左遷させられてしまうのです。その辺のところはまだ大河では登場していませんが、このどろどろとした内輪の争いは興味津々で、脚本家がどう描くかに期待を持たせます。のちの保元、平治の乱、源平の争いでも藤原家、源家、平家が身内同士で敵味方に分かれて争っており、そららにつながるものでもあるので。

 「光る君へ」ではいまだ戦いの場面が出てこないため、男性視聴者はちょっと物足りなさを感じてしまうのではないかと思います。ですが、その反面、一種の宮廷内の権力闘争、つまり謀略、多数派工作、娘の入内の利用などの権謀術数が見られ、それはそれで醍醐味があります。刀剣の争いで勝ち負けに決着付けるのは分かりやすいですが、権謀術数劇もそれなりに面白い。企業、団体、政党内の武器なき戦い、権力闘争もそんなもので、現代社会に通じると感じられるからです。

 上の写真は、みなとみらい地区にある三菱重工横浜造船所ドック跡。下の方は、亡き姉の墓参りに行ったときに見た園内の桜。

旅は旅行社ツアーでなく、自分で設計するのがいい

 3月31日から一人で京都、大阪・高槻市鳥取市砂丘兵庫県北部の城崎温泉、それから京都に戻る旅をしてきました。昨年の旅行はほぼ全部旅行社のバスで運ばれるお仕着せツアーへの参加であり、見るべきところは見られるが、なんか物足りないというか、今一つ達成感がない。見たというだけで、自分で歩いたという実感は沸かないのです。その点、一人旅はいろいろ自分でルートや宿泊先を考え、予約し、滞在先での時間も自分で調節できるのでそれなりの充実感があります。まあ、食事で言えば、セットメニューにするか、アラカルトで頼むかの違いでしょうが、その差は食事以上です。

 京都では「新選組友の会」の仲間と落ち合い、壬生寺、壬生屯所跡を散策、山南敬助の墓がある光縁寺を訪れ、顔見知りの個性豊かな住職と楽しい時間を持ちました。夜には三条小橋池田屋事件の跡地にある居酒屋「池田屋」で食事し、ついでに四条に足を延ばし、祇園界隈も歩きました。白川に垂れ下がる桜がライトアップされ、なんと美しいことか。翌日は南禅寺の桜、八坂神社・円山公園の枝垂れ桜も鑑賞しました。こういう名所にはかつて雨後の筍のようにうじゃうじゃいた中国人はもうほとんどいない。代わりに西洋人が大量に来ていたのにはびっくり。西洋人も桜が好きなのか。

 その日午後は、幕末に鳥羽伏見の戦いがあったところ、今で言うと、京阪電車の京都(淀)競馬場駅辺りですが、そこに行き、友の会の仲間と散策しました。昔は原っぱだったのでしょうが、今では工場群か住宅になっていて面影は見出せません。でも、かすかに記念碑があり、戦いがあったことを知らしめていました。今でも、淀城址はありますが、城内の河津桜はもう花を散らせていました。鳥羽伏見で負けそうになった幕府軍がこの城に逃げ込もうとしたのですが、譜代である淀藩は中立を宣言し、幕府軍を城に入れなかったのです。これが幕府軍が負けた大きな原因とも言われています。

 その場で新選組友の会の仲間と別れ、小生は一人京阪電鉄枚方駅に向かい、そこからJRの高槻駅に出て、大学時代の友人と会いました。彼はもともと大旅行会社に勤めていた男ですが、今は碁会所の席亭をしているのです。本人は定年後その碁会所に通っていたのですが、ある日、前席亭が会所の中で心不全か何かでばったり倒れ、死んだとか。そこで碁仲間に押されて、その後任に収まったそうです。

 学生時代、彼の下宿に入りびたり、家に帰るのが面倒なので、たまには宿代わりをお願いしていました。昔から彼の人柄はいい、いつ行っても嫌な顔をしなかったのです。人徳は身を助けるということか。でも今、本人は「今、公民館など無料の場所にも碁を打つところが多いから、高額の席料は取れない。ほとんど実入りにならない」とこぼしていました。小生は「好きなことをして余生を送れれば、それに越したことはないのでは」と慰めておきました。

 その日は茨木市のホテルに泊まり、翌日に大阪梅田に出て、そこから鳥取行きの高速バスに乗りました。高速を使って3時間ほど。鳥取駅前のアパホテルに荷物を置いた後、直ちに鳥取砂丘に出掛けました。小生は日本全国46の都道府県内で宿泊したことがあるのですが、ただ一つ鳥取県だけが残っていました。中国は31の一級行政区すべて回ったことがある人間からすると、日本の47を網羅できないのは心残り。つまり今回、鳥取で満願成就を目指したのです。

 安部公房の「砂の女」の小説も、映画も見ているので、長い間、鳥取砂丘にあこがれていました。ですが、実際に見てみると、正直「なぁん-だ」という感じでした。エジプトの砂漠、中国甘粛省新疆ウイグル自治区の砂漠を見ているので、規模の小ささに拍子抜け。確かに、ここは「砂漠(desert)」でなく所詮「砂丘(dune)」なんですね。岸田今日子のような”砂の女”、砂塵にまみれた肉感女性がいるような雰囲気はまったく感じられない、海外線に普通にあるちょっと大きめの”砂場”でした。でも、これは鳥取最大の観光名所であるようで、外国人が結構来ているのにも驚きました。

 砂丘から路線バスで駅前に戻る時、隣に座った60歳台と見られるおば様は中国人で上海人でした。「日本の関西は2時間で来れるので、北京に行くのと変わりない」などと、あたかも国内を旅行する雰囲気で言う。「滋賀県の何だか美術館がいい」とか、小生も知らないところを延々と説明していました。もう何度も来ているようです。中国は今不景気状態にあるのですが、小金持ちは相変わらず日本に来て楽しんでいるようです。

 この日の夜は、鳥取の駅前、飲み屋街を一人探訪しました。駅前はシャッターを閉めた店舗もあり、なんだかさびれた感じ。至るところに石破茂のポスターがあり、ここは彼の選挙区であることを呼び起こす。思わず「日本の首相になることを考える前に故郷の町の振興を考えたらどうか」と言いたくなりました。海鮮居酒屋で一品350円のしめ鯖などを肴に2合の酒を飲んだ後、中華レストランで食事。そこのマスターに声をかけると、彼も中国人であり、しかも上海人であることが分かりました。鳥取での収穫は上海人との遭遇、中国語での会話が楽しめたことが最大の収穫かも。

 翌日は山陰本線日本海海岸線を北上し、2時間かけて兵庫県の海寄りの町、志賀直哉の小説で有名な城崎温泉に行き、投宿しました。ここで何より驚いたのは外国人が大勢来ており、特に西洋人が目立ったこと。ロンリープラネットなどの外国語ガイドブックで紹介されているのか。街並みがきれいであり、このシーズンは特に川沿いに咲いている、ライトアップされた満開の桜並木が見事でした。

 街中に4,5カ所の共同風呂があり、そのうち外に滝が落ちる景色が見られる「御所の湯」は圧巻でした。温泉地の一番奥にある「鴻の湯」も庭園湯と銘打っているだけに箱庭の中の温泉風で、すばらしい。入れ墨をした中年の西洋人がいたので、声をかけると英国人で、リバプール辺りから来ているとのこと。日本の温泉はいいとベタ褒めしていました。小生は「英国にもバースという温泉発祥の地があるのでは」と振ったのですが、あまり関心を示さず、サッカーの話をし出しました。

 ということで、久しぶりに自分の思い通りに設計したルートを一人で歩き、切符、宿の手配も自分でやりました。大変でしたが、充実感があり、本当に「旅行でなく旅」を堪能した思いです。

 上の写真は、「砂の男」というか「砂丘の老人」。下の方は、鳥取駅前の店舗テナント募集のビル。県庁所在地の駅前としては寂しい。

プーチンはスターリン以上の悪辣指導者だ

 昨日、米国のメジャーリーグに続いて日本のプロ野球も開幕しました。ああ、球春到来、もう寒さとお別れだと思うと気持ちも晴れ晴れします。ロサンゼルスの球場も日本のプロ野球各球場も、開幕戦で天気が良かったせいか、大入り満員の様子。小生の家は横浜スタジアムから直線で1キロほどしか離れていないので、鳴り物や歓声が聞こえるほどでした。という賑わいを見るにつけ、何か別の感情も湧いてきます。地球のどこかではまだ戦争しているんだよなー、われわれだけこんな”平和”に酔いしれていていいのか、との感情です。

 関東地方では今日すでに20度を超す気温になっているけど、ウクライナではまだ零度前後でしょう。そんな寒さの中で、塹壕を掘って野ネズミやゴキブリと一緒にロシアのさらなる侵略、さらには領土奪還に備えている。神様はなんとなんとむごい試練を与えるのかと思えてなりません。だからといって、「はい分かりました、ロシア様に降伏します、どうぞ好き勝手にしてください」とも言えない。キーウ郊外ブチャの虐殺を見ても分かる通り、女性はレイプされ、物は強奪され、男は殺される。古来侵略とはそういうものです。だから、「はい、はい」と言って銃を置くことはできないのです。

 少なくとも、独立した主権国であれば、他国の侵略に対しては最大限抵抗し、反撃しなければならない。それは権利であり、義務です。侵略者には相応の対価を与えなくてはならないのです。自国を守らずして逃げることは許されない。ウクライナ側はすでに3万人以上戦死者を出していると発表していますが、ロシアは何も発表していない。英米の調査機関などでは、これまでに30万人近い死傷者が出て、死者は10万人以上だとしています。かつてアフガニスタンに派兵したときには5万人くらいの戦死者だったそうですから、今回の戦争は第2次大戦後、最大の犠牲者を出しています。

 それでも、プーチンは戦争を止める気配がない。いや、逆にこれだけの犠牲者を出した以上、へたに止められない。”成果”なしに戦いを止めれば自らの政治生命を失うからです。本心では止めたくとも止められないんでしょうね。悲しい境遇です。彼は国際刑事裁判所ICC)から逮捕状が出されているので、もうICC加盟国へは出られない。彼自身はこの先どういう未来、将来像を考えているんだろう。最早客観的にウクライナ全土を支配することは不可能。それでもその野望を捨て切れないとするなら、死ぬまで戦い続けるしかないのです。

 ロシアは情報コントロールされ、正常なメディアがないので、死傷者を含めてウクライナ戦争の実態が国民に伝わらない。これも悲しい現実です。最近行われていた大統領選挙だってばかげている。まともな情報がないところで有権者はどういう判断ができるというのか。これは日本の東条内閣のときの1942年に行われ、戦争反対者の候補を認めない翼賛選挙に匹敵します。対立すべき候補者の手足を縛っておいて、選挙に勝った勝ったとはしゃぐ愚かしさはまさに噴飯ものです。

 それどころか、プーチンは自分に逆らう政治家を極寒の刑務所や外国で虐殺してしまうのですから、さらに質が悪い。スターリン以上の悪辣ぶりです。あの偉大な文学や音楽を生んだロシア人の本質ってそんなに醜かったのか。トルストイドストエフスキーチャイコフスキーが今に生きていたら、どう言うのか。でも、よくよく見ると、あのロシア正教のトップの司祭ですらいつもプーチンの隣にいてウクライナへの侵略戦争に賛成しているのですから、ロシア人はもともと好戦的な国民かも知れません。それは隣国であるわれわれにとっては悲しい現実です。

 上の写真は小生自宅近くの野毛山動物園の入り口。下の方は、横浜には他に金沢動物園ズーラシアがあるよという宣伝看板。

「顔は履歴書」と言うが、怪しさは顔に出るのか

 今日朝(日本時間)に行われた大谷翔平の会見内容を見る限り、どうやら巨額賭博事件は元通訳の水原一平の”単独犯”説が濃厚になりました。水原がばくち打ちだったこと、巨額の借金があったことも知らなかったとのこと。つまり、大谷は徹頭徹尾被害者であったようです。それでも、何故水原が大谷の預金口座にアクセスできたのかという点については明らかにされなかったので、まだ隔靴搔痒の感があります。いずれにしてもスポーツ界の大ヒーロー大谷翔平がばくちに関わっていなかったと明言したことで、ファンは安心したと思います。

 もし、大谷の言う通りなら、水原は大谷の金を詐取、あるいは窃盗したことになります。日本ハム時代に知り合い、エンジェルス、ドジャーズとずっと二人三脚で歩んできて濃密な関係を築いてきた人に裏切られたわけですから、大谷にとっては青天の霹靂。街を歩いていてある日突然天上から物が落ちてきて当たるような災難で、ショックと言うより虚脱感さえが出てしまうのではないでしょうか。お察しいたします。本当に、シーズン早々のこの騒動が今年の彼の活躍を削ぐことがないよう祈るばかりです。

 ところで、コーヒー店チェーン会社のオーナーで元参院議員のM氏が水原巨額賭博事件が発覚したあと、自身のX(旧ツイッター)でこうツイートしていました。「最も身近にいる人を信用し過ぎるとよく起こること。マスコミは水原通訳を絶賛していたが、私は顔つきから心配していた。側近に何度も裏切られた経験があったから」と。実は、小生の内人も最近、「水原が大谷の通訳で出てきたころから、顔つき、目つきが怪しいと感じていた」と言っています。ちょっと後出しじゃんけん風の後日談ですが…。

 でも、「そう言われてみれば、怪しいと思っていた」という人は少なくないのでは。実は小生もうすうす感じていたのですが、水原の目はいつも正面を向くことなく、なんとなくおどおどした感じがありました。天下の大谷の通訳兼秘書みたいな存在であれば、もっと自信たっぷりな態度を示していいと思うけど、意外にそんな感じがなかったのです。まあ、見方によっては、それは水原氏の謙虚さなんだろうと思った人もいたでしょう。でも目は口ほどにものを言うということわざもあります。

 M氏の言う「顔つき」についてさらに深掘りします。世間に「男の顔は履歴書」という言い方があります。それなりに経験を積んだ人は、相対した人間が生活苦にあったか裕福に育ったかだけでなく、苦労したかしなかったか、教養があるかないか-などを一見で見抜くことができると言います。M氏のように経営上で再三苦杯をなめた人は特にそうで、ある程度詐欺師的な人間、怪しい人をパターン化して類別していることかと思います。それはどこの部分、どういう態度ということでなく、直観で感じることなんでしょうね。

 小生も記者時代、取材相手の話を信用していいのかどうか見極めることに苦労しました。信用して相手の言をそのまま報じれば、誤報になってしまうこともあるので。で、長年の経験からなんとなく「この人、ちょっと怪しいな」という印象は持てるようになりました。といってもやはりだまされることはあります。記者を辞めてからの話ですが、小生は日中企業合弁の仲介した経験があります。中国側企業の社長(総経理)は上海郊外の田舎の人であり、朴訥さに好感が持てたので、日本側企業の社長に強く合弁を勧めました。しかし、結果は中国側企業と社長に誠意のなさが見られ、合弁はうまくいきませんでした。

 水原はまだ40歳直前の年齢。それまでの”人生経験”が顔に出るのかどうかは分かりません。でも、M氏はにはそう見えたんでしょうね。レッドソックスにいた岡島秀樹投手はかつて水原を通訳として雇おうとして止めた経緯があるとか。彼は事前に水原の周辺を調べたのか、それとも直観で怪しいと見抜いたのか分かりませんが…。そんな人間がどうして天下の大谷のところに行ったか。いずれにしても、本当に辛く寂しい話ですが、一般論として他人を100%信用することはできないのかも知れません。ちょっと俯瞰してみるとか、斜めに見るとかの反復認識も必要なことかと思います。

 上の写真は、横浜・伊勢佐木町、野毛で見られる壁画。この界隈は結構壁画が多い。

人生は暇つぶしと言っても、ばくちでいいのか

 イヤー、驚きました。いつも最初にこのフレーズを使っているけど、今回は本当に驚きました。それは、大谷翔平の通訳の水原一平が違法賭博に関与してことでドジャーズから解雇されたこと。昨日朝のワイドショーを見ていたら、「水原解雇」との速報が入ったのですが、最初はどういう意味か分かりませんでした。奥ゆかしい顔をし、かいがいしく大谷の面倒を見ていましたので、なかなか好青年だなと思っていたのですが、陰ではとんでもないばくち打ちだったんですね。恐れ入りました。

 彼は、いつも大谷と一緒にいることで、自分が7億ドルの契約金をもらったと錯覚してしまったのか。こういう普段一緒にいる人間と自分を混同してしまう人は、小生が以前いたメディアの世界でも見られました。政治部の記者連中です。いつも政治家を取材対象とし、国会議員と対等な感じで話しているために、自分も偉くなったように錯覚し、服装もストライプ入りの派手な三つ揃いの背広を着たり、やたら傲慢に天下国家を論じたり、しゃべり方も上から目線で話したりする人がいました。われわれ社会部育ちの記者はもともと地べたをはいつくばって取材しているので、彼らの姿勢には違和感を持ちました。

 大谷のドジャーズ契約金7億ドルというと、今日のレートの1ドル151円で換算すると1057億円の勘定。1ドル150円なら1050億円。つまり早い話が、対ドル1円安で7億円の差益を生んでるんです。大谷の口座から水原が無断借用していた金は450万ドルというから、日本円で6億8000万円弱。大谷にしてみれば、日本円が一円安くなれば、そのくらいで十分補える額なんです。でも、大谷の今の生活は米国であり、ドルで生活しているわけですから日本円は関係ない。水原が詐取した金も米ドルだから、為替によって変化があるわけではないんですね。

 小生はばくちが嫌いなので、ばくちにのめり込む心境が分かりません。散歩でよくパチンコ屋のトイレを借りることがありますが、その時に昼間っから、熱心に台に向かっている人を見かけると、うんざりします。と同時に、その人が儲けているか、損しているかに関係なく、人生の貴重な時間を無駄にしているなーとある種の軽蔑も感じます。こういっては何ですが、たとえ玉を出し続けていても、何時間も台だけを見て他に何もできない状態って本当に幸せですか、小生はもったいない感じがして仕方がないです。

 でも、冷静に考えれば、また別の視点もあるのかも。今はタイに住む、香港時代の友人がこんなことを言っていました。「人生は生まれてから死ぬまでの膨大な暇つぶしだから」。という観点に立てば、パチンコ台で時間をつぶすのもまた良き人生の在り様、選択なのかも知れません。玉が出続けていれば、とりわけ幸せな気分に浸れ、彼らなりに充実感を味わっているのかも知れません。

 逆に、小生も「お前は有意義に過ごしているのか」と問われれば、返答に困ります。本を読んだり、文章を書いていることがそれほど偉いことか。旅行しているのと競馬に夢中になるのにどれだけの違いがあるというのか。確かに、読書が偉くてパチンコ打ちが人生の無駄などと決めつけることも、ちょっと上から目線かも知れません。でも、小生は一応知識人でいたいと思っているので、やはりパチンコをするより読書や執筆をしている方がよっぽどいいと固く信じています。

 水原一平君は大谷の通訳兼秘書みたいな形で有名になり、それで彼自身の世間的な評価を高めました。今、日本人で彼を知らない人がいないくらいの有名人。普通なら、大谷の通訳を卒業しても、その後日本企業などから多くのオファーがあるだろうと予測できます。でも、今回の事件でミソをつけてしまいました。今後は多くが「何、あの水原か」とそっぽを向いてしまうでしょうから、彼の今後のバイリンガル人生にも大きな汚点を残してしまいました。

 そのプラス、マイナスは天と地ほどの開きがあります。彼の今後の人生を考えるときに、同情してあまりあります。でも世の中って、好事魔多し、幸せな人生の中に落とし穴が潜んでいることもまた真実。小生などはもうほとんど人生が終わっている人間だからそんなに心配していませんが、若者はその落とし穴に気を付けなければならない。ということを今回の水原事件は教えてくれました。

 上の写真は、薄暮のみなとみらい地区の風景。大岡川、横浜港沿いの散歩は気分がいい。