昔、ステージで歌い終わったあと、「お客様は神様です」と大声で叫んだ浪曲・演歌歌手がいました。三波春夫です。彼は戦争中中国にいたそうで、終戦後ソ連軍によってシベリアに抑留された経験があるようです。それで、戦後満州などに残された日本人孤児、いわゆる残留孤児に同情的で、1980年代前半、肉親捜しのために来日した残留孤児のところにも慰問に来ていました。小生はずっとこの肉親捜しの取材をやらされていたので、代々木のオリンピック青少年センターに通っていて三波春夫にも遭遇しました。彼の孤児への接し方を見て、なかなか立派な人だなと感じ入りました。
で、三波が言ったので、「お客様は神様です」は有名なフレーズになりました。小生は1980年代初めに北京で生活していた時、当時の国営商店の店員は、お客に対し商品やお釣りをむすっとした顔で投げつけるように渡すのが当たり前だったので、日本人の感覚からすると「随分乱暴だな」と思いました。ですから、三波の言葉を聞いて、やはりお客様は大事にした方がいいよねと同感しました。でも、最近はそのお客様の方が乱暴三昧になっているというのですから、訳が分かりません。
カスハラというから、「かす」みたいな男がハラスメントするのかと思ったら、そうではなく「カスタマーズ・ハラスメント」という意味なんですね。パワハラとかセクハラとかは分かりやすいのですが、カスハラ、マタハラというのは分かりにくい。「カスタマーズ(顧客)」とか「マタニティー(妊婦)」とかという英語はまだ日本で一般的でないからでしょうから。で、カスハラについては、政府、自民党も対策に動きだしました。
確かに、小生も以前、馬鹿みたいに店員に文句をつけている顧客を見かけたことはあります。そのケースとは、ラーメン店で調理をしている前の席に座った男がたまたま炊事場から調理の水か油が少量飛んできたということにいちゃもんを付け、ねちねちと店員を指弾していたこと。油が大量に飛んできてやけどをしたというのならまだしも、ほとんど実害がないようなことにでも文句をつけるのはどういうことかとその時は感じました。で、同時に、文句、クレームを言う人はいったい何が目的なんだろうとしみじみ考えてしまいました。
そのクレームの理由について小生はまず3つの原因が考えられると思います。一つ目は、クレーマーの彼、あるいは彼女自身の性格、性分。ともかく他人のやることに文句を付けないといられない人がいます。世の中自分中心に回っていると考えている人は待ち時間が少しでも遅いと文句をつけたり、コンビニで「年齢は20歳以上ですか」の質問にイエスと答えてくださいと指示が出ると、「私を見れば分かるでしょう。なんでこんなことを聞くの」とばかりにクレームを付けます。会社組織や団体の中にもそういう性格的に問題がある「文句言い」がいますから、組織の会合ではまとまるものもまとまらなくなります。
2つ目は、普段は温厚な人であっても、その時だけ別の件で不愉快なことがあって、たまたま自分への不十分な態度、行動があった時に許容できない場合。些細なことでもクレームをつけたくなります。まあ、人間いつも幸せ、楽しい時とは限らないのでそういうこともままあるでしょうね。でも、一番目の性悪人間はネチネチと嫌味を続け、なかなか終わらないのとは対照的に、2番目のケースは、クレーマーが一度文句を吐き出し、相手も謝ると、すっきりした気分になり、比較的短時間で終わることが多いようです。
3つ目はいわゆるゆすり、たかりの理由付けに使う場合。これだけの”被害”を受けたのだから、商品をただにしろとか負けろとか言いたいのです。小生が見たラーメン店でのクレーマーも食べている時には何も言わないのに、帰りのレジのところで文句を言っていました。ですから、このタイプのクレーマーだと思います。
食べ物屋で一番多いクレームは、注文の順番と料理の配膳の順番に前後がある時でしょうね。「日高屋」や「餃子の王将」などはあらかじめ順番の前後があることを店内アナウンスしていますが、多くはそれがないので、遅れて出された人は文句の一つも言いたくなるのかも知れません。でも一時間も差があるわけではないのですから、もっとおおらかになれないものか。
小生がもし店員だとして、こつまらないことで文句を言われたら、それもネチネチと長く言われたら、「うるせーこの野郎」と言って相手の胸倉をつかんでしまうかも知れません。だれでも、相手のことも考慮すべきです。相手にも道理と感情があるのですから。クレームが一概に悪いとは思いませんが、しつこいのは良くありません。
上の写真は、伊勢佐木町商店街近くの韓国レストラン店頭にある飾り付け。この店の小動物にはいつも癒される。下の方はみなとみらい地区の公園で見かけた白いランタナ。これも小生の好きな花です。