移住雑感

沖縄に行かなければ、山形に移住することもなかった。思えば不思議な縁でここに住んでいる。元々山形には縁もゆかりもなかったのだが・・・。

生まれは、山は山でも山梨県だ。東京の大学に進学し、なぜか北海道の牧場で働き始めるもすぐに辞め、その後出版社で働くもまたも3年ほどで辞め、貯めたお金で1年ほどバックパッカーとして世界を巡ったりもした。帰国後はエメラルドの貿易会社で買い付け人としてコロンビアへ行き、そこもやはり3年ほどで辞めたところからこの身の上話は始まる。しかしこう書いてみても本当に行き当たりばったりの人生で、ここまで好きなように生きさせてくれた親に感謝である。

エメラルドの買い付け人を辞めた理由は様々だが、結婚も大きな理由の一つだ。年間10回程度日本とコロンビアを往復し、1年の半分はあちらで過ごすという生活を結婚後も続けるのは嫌だった。危ないことも多いし。

というわけで仕事をやめたのだが、妻もまた同じように結婚を機に仕事を辞め、夫婦揃って新婚早々無職となったのだった。このあたり本当に行き当たりばったりで、すばらしい伴侶を得たことに感謝である。

これから二人でどうやって生きていこうか、ということを考えるためではなく、単に前職で貯めた莫大なマイレージを使っちゃおう、という理由で、二人で中国とモンゴル、そして沖縄に旅に出たのであった。

沖縄旅行中に立ち寄った鳩間島で、ある山形出身の男性と知り合った。その人は東京在住なのだけど、山形に今は誰も住む人もいない実家があり、住んでくれる人を探しているというのだ。

これに飛びついた。元々二人ともこれ以上東京に住みたいとは思っていなかった。もっと自然に近く、殺伐としていないところで、満員電車に乗らずにすむところで暮らしたかった。その人の実家は山形市郊外の高瀬地区にあるのだが、そこはまさに我々が住みたいと思っていたような所だった。

そんな縁で移住してきたのである。最大の懸念だった仕事も、最初は誤って妙なところに勤めてしまったが、今は製造業に関わる仕事で、薄給ながら平和に暮らしている。

山形には当初から雪国というイメージしかなく、冬には2mも3mも雪が積もるのだ、といった覚悟を持ってやってきたが、過大な覚悟のお陰か思ったほど厳しいものではなかった。移住のきっかけになった家には今は訳あって住んでいないが、同じ高瀬地区の別の家を借りて住んでいる。そしてどちらでも近隣の人に良くしてもらって暮らせている。

移り住んできてから子どもも2人産まれ、確実に山形県民を増やしている。私は「モンテディオ山形」にはまり、いまや「スポーツ県民歌」も歌えるようになった。長男なのだが、このままずっと山形に住みたい、そう思って暮らしていたし、そのつもりでもあった。

全てが一変したのは、先の東日本大震災からだ。幸い山形には大きな被害はなく、現在は全く普通に暮らせている。しかしながら原発からの放射能のことを思うと、心が深く沈んでしまうことを避けられない。

以前は心から美しいと思っていた風景も、心のどこかにフィルターでもかかったように、どこか違って感じられる。心のどこかに刺さった棘のように、常に放射能のことが引っかかるのだ。

我が家で取れたり、近所からもらったりする野菜も、子どもが遊ぶ砂も、石も、花も、本当に大丈夫なのかという思いが常につきまとう。もうこの思いは消えることはないのだろう。

一時は実家を含めてどこかへ移住することも考えたが、すぐに打ち消した。これから家族をどう養っていけばいいか、それを考えると軽々と判断できなかった。これまで身軽に、先のことはどうにでもなるさと生きてきたが、守るものの多い自分に驚きながら、最も保守的で現実的な、現状維持を選んだ自分がいた。

これが最善の選択だったのかという思いは常につきまとい、答えの出ない自責の念をこれからも抱えて生きていくのだろう。子どもたちの未来を考えると今も心が大きく揺らぐ。山形に産まれ育ったものでないからこそ、これからも山形に住むという決断を下すのに決意が必要だった。

だが、私は決めたのだ。暮らし易く、四季がはっきりとして美しい、食べ物のおいしいこの山形でこれからも暮らしていこう。放射能という目に見えない恐怖と共に生きていくことになるとは夢にも思わなかったが、これからも山形人として生きていこう。大好きになった東北、山形の人たちと寄り添って生きていこう、と。勝手ながらこれからもよろしくお願いします。

プロフィール
岡本 健(おかもとけん)
1972年生まれ。39歳。山梨県出身。ひょんなきっかけで縁もゆかりもない山形に住み着いて早7年。嫁さんと子供二人と犬(雑種)1匹で楽しく暮らしております。

山形県出身作家の作品を読む その2  彩坂美月 『ひぐらしふる』

ひぐらしふる

ひぐらしふる

日々、数多くの本が出版され、店頭に並べられる。その中から、自分の好みの本を見つけ、読むことは楽しい。書店はある意味「発見」の場なのかもしれない。今まで読む機会のなかったジャンルの本が、実は意外と面白かったり、それがきっかけで、自分の違う一面を見ることができたりする。

とはいっても、膨大な数の本の中から「これぞ!」と思える本に出会える瞬間はなかなか訪れてはくれない。それでも今日も期待しながらダンボールを開け、カートに本を出す。書店勤務している私にとって、この作業は何年たってもやはり心がときめいてしまう。

様々な場面において言えることだが、偶然が、思いがけない出会いのきっかけに繋がることがある。本においてもそれは言える。彩坂美月。この作家の名前ははっきり記憶していた。デビュー作『未成年儀式』は、地元出身作家の作品ということで、発売前から話題になっていた。突然現れた無名作家、興味深いタイトル。読んでみたい、素直にそう感じた。品出しを終えて売り場に行くと、初回入荷分は早くも売り切れていた。地元出身だからという理由もあるだろうが、それだけではないはず、そう思った。

本書の内容は、夏休みを女子寮で過ごすことになった生徒たちが、ありえない事件、災害に次々と襲われていくというストーリー。極限状態の中で彼女たちは互いの友情を深め、また逆に裏切りも経験する。学生時代に書いた原稿を大幅改稿して出版したという本書は、「第七回富士見ヤングミステリー大賞」準入選作。あとがきで、「作者自身、何を書いていいのか迷っているように見える」と選評されたと著者が言っているように、確かに未熟さが残る作品であるかもしれない。だが、それゆえに新鮮さを感じる部分も多い。例えば、作中で女子高生が発する台詞は、どこか自ら生きることを拒否しているかのよう。儚くて脆い少女の心象をうまく表現している。「完璧ではない世界」から「外れない」ように生きている少女が「特別なこと」が起きるのを期待している。それは未成年である少女特有の願望であり、現実を知ってしまうまでの夢。作中で著者は、登場人物の一人にこう言わせている。「書くことは、云ってみれば現実逃避の手段だったんだよね。」 読むこともまた同じ。ページを捲っている間は時が止まる。本を閉じた瞬間、再び世界は動き出す。ラストは、こう締めくくられている。「どこかに、だれかにたどりつきたいと切に願った。あの、夏祭りの夜に。」 これはそのまま著者の願望なのだろうか。だとしたら一体どこへ、だれのもとに? 読者にメッセージを残しつつ、物語は幕を閉じた。

あれから約2年。私は再び彩坂美月と出会った。今回は恋愛小説を思わせる爽やかなイラスト。前作とは随分印象が違うなと思いながら手に取り、帯を眺めた。そこにはこう書かれていた。「今もどうしてもわからない。白昼夢のような、あの夏の真実。」 前作のラストの文章が、頭をよぎり、忘れかけていた記憶が蘇った。新作のタイトルは『ひぐらしふる』。蝉の一種である蜩(ヒグラシ)を意味するのか。だとしたら「ひぐらしなく(鳴く)」ではないのだろうか。そういえば、今年はまだ蜩の鳴き声を私は耳にしていない。

将棋の駒とさくらんぼで有名な、東北の「Y県天堂市」出身の主人公、有馬千夏。お盆過ぎ、祖母の葬儀のため帰省した彼女を待っていたのは、家族、そして旧友との再会。懐かしい思い出話とともに、彼女は忘れかけていた、いや、忘れようとしていた記憶を次々と思い出す。本書は全四章で構成され、各章それぞれが完結した連作短編集であるが、関連性を残しながらストーリーは展開し、最終章で謎が明かされる。本書の随所に登場する「Y県天堂市」という地名は「山形県天童市」のことを指すのであろうし、他にも「舞鳥(舞鶴)山」「天堂(天童)」高原」「ジャガジャガ(ジャガラモガラ)」など、天童市出身の著者ならではの描写が作中に見て取れる。

文中にたびたび現れる、千夏そっくりの人物。改めて表紙を見ると、日傘を差して歩く女性の後ろには、全く同じ格好をした人物が描かれている。彼女は一体誰なのか。この人物とともに気になるのが「黄色」の存在。第一章では校舎に飾られていた黄色いペーパーフラワー。第二章は黄色の菊の花。そしてエピローグで、男性がゴルフバッグの中に潜めている黄色いひまわりの鉢植え。ただ単に、夏をイメージする色として登場しているのか、それとも・・・。謎はどんどん深まっていく。

自然溢れる長閑な街で、過去に起こった不可解な事件の真相を、ミステリー小説家になることを夢見ていた千夏が、探偵のごとく謎を解いていく。それを共有するのは地元の友人、そして東京にいる恋人の高村。彼(女)たちが巻き込まれる不可解な出来事は、一旦は解決したかのように思われるのだが、実は・・・。ラストには意外な結末が読者を待ち構えている

地元に住んでいると、普段は当たり前すぎて気にも留めることのない自然の風景描写が本書にはちりばめられていて、著者の山形に対する思い入れが感じられた。随所に登場する地名や方言は、地元の人間が読めば耳なじみで心地よく、ご当地ミステリーとして楽しめるであろうし、他県の人が読んでも同様に感じてくれることを期待する。さらには山形に興味を持ってくれるかもしれない。なにしろ、この小説の中では、単なる東北地方の一県ではなく、謎に包まれた行事や、ミステリースポットが存在する土地なのだから。

この小説の舞台と同じ季節の、夏の某日。暑さにかまけてサボっていた読書を再開した。空はどんよりと薄暗く、どうやら一雨きそうな感じ。夕刻のサイレンが街に鳴り響く。もうそんな時間かと、時計に目をやる。パラ、パラと、雨粒の落ちる音が聞こえた。どうやら本降りになりそうだ。次第に強くなっていく雨音の中に、蜩の鳴き声を聞いた。それはまさに夕闇に降り注ぐような激しい鳴き声であった。

プロフィール
阿部 恵(アベメグミ)
1973年生まれ。天童市のお隣りの東根市神町在住。書店員。読書とコーヒーをこよなく愛する。

フクシマ 民主主義への挑戦

東日本大震災の発生から5ヵ月が経過した。ほとんど損害の無かった山形県からは、多くの人的な支援が宮城県岩手県に注がれ、瓦礫撤去などの復旧活動をはじめ、現地に必要な訪問介護などの補充要員を分担で派遣するなど、もともと機能していた社会システムの中でも不可欠なものから順に一時的な補完作業が進められている。迅速さや量的な要素の向上を望む声は多々あるだろうが、大きな方向性としては、現在宮城県岩手県に向けられている支援はほぼ的を得たものだろう。それは、多くのものを失った人々を、そうでない人々が大凡元通りの生活が復旧するまでバックアップするという非常に分かりやすい構図である。

では福島県はどうだろうか。確かに地震後の津波によって瞬間的に人命や資源が奪われた地域もあった。しかしその場所の多くは福島第一原発事故による高濃度の放射線被曝を警戒すべき区域として認定された為、基本的に宮城・岩手両県のように復旧ボランティアは行かない。そうして放置されたままの沿岸は海と陸の境界が曖昧なままの、非常に特殊な様相を呈している。

そして何よりも難解な問題を生んでいるのが、放射線による低線量被曝についての対応を巡る問題である。南会津地域を除く福島県のほぼ全域がこの問題に巻き込まれており、地域社会・親族・家庭といったものの中で真っ二つに分かれて議論している。争点は、「子どもを遠隔地に疎開させるべきか否か」である。この議論の中では当然放射線のリスクに関する認識の違いをお互いに擦り合せることになる。福島市の家庭を例にとれば、年間約10msv(ミリシーベルト)の外部被曝を受ける街に住んでいて子どもに健康被害は有るのか無いのか、という話になる。仮に「被害は無い」という方を「楽観派」、「被害が有る」という方を「悲観派」と呼ぶことにする(私個人は放射線被害に警鐘を鳴らす立場をとっているから「悲観派」とは心外な呼び名だが、ここではディベートでそうするように双方を均等に扱いたい)。

福島県は「被害は無い」との立場にたち、健康被害を否定する「放射線健康リスク管理アドバイザー」を新たに常駐させた。自治体や専門家が保障してくれているという信頼感もあり、福島では「楽観派」が圧倒的に多数派を占めている。それは、県外に避難する人びとの少なさからも感じることが出来る。震災前には202万4819人が生活していたとされる福島県から、県外へ避難している人の数は行政が把握出来ている部分で今現在5万人強。この数字を単純に「悲観派」だと仮定しても全体のおよそ2.47%に過ぎない。そのうち山形県内への避難者数が6月半ばから8月半ばにかけての二か月間で約4千人増加している傾向を勘案して、福島県内に更にもう1チーム、5万人程度のボリュームで避難予備軍が潜んでいると強引に仮定したとしても4.94%に過ぎない。この概算でいくと、95.06%以上の福島県の人びとが「楽観派」として、そこに留まり続けている。つまり、「楽観派」対「悲観派」の比率は約19 : 1になる。誰もが持つ「これまで自分が形成してきた生活環境を失いたくない/郷土や人間関係を失いたくない」という気持ちが、目に見えない放射線への不安よりも上回っているということであろう。

こうした環境の中でマイノリティである「悲観派」の当面のゴールは、遠隔地への親子での避難を完了することである。しかし、これが非常に難しい。自主避難してきた友人いわく、これは徹頭徹尾差別の対象となる。「精神的に病んだ人」として扱われ、「心療内科で診てもらってこい」等と言われることもある。「悲観派」に洗脳されたのだろうという捉えかただ。そして、遠隔地へ疎開したいという話題そのものがタブーになっているという。口にしようものなら、「郷土愛に欠けた、人間味の無いエゴイスト」という烙印を押され、責められ続けるのではないか。そう考えると恐ろしくて口にできない。このストレスが大きすぎて、「悲観派」だった人が諦めと自暴自棄の心境を経て「楽観派」に変わる場合もあるという。

私は、山形市に無償の借り上げ住宅を確保して住む準備まで終えた段階の母親が、福島で親戚に囲まれて責められ、舅からは「疎開するなら離婚しろ」と迫られて、泣く泣く疎開を保留にしたという場面に出会った。19 : 1の戦力差が与える影響とはこういったものだ。

また「楽観派」は多数派ながら、「悲観派」の論理を僅かも受け入れることは出来ない事情がある。彼らの寄って立つところ、「故郷は暮らせるほどに全く無事である」という前提が覆されると、自分の生活も一から見直す必要が出てくるからだ。お上と専門家が言っていることを信じて何が悪い、という位置に居続けなければならない。

福島の問題が難解なまま推移している最大の要因は、宮城や岩手と違い「被害が目に見えない」ということに尽きると思う。確かにガイガーカウンターで計測すれば以前より高い数値であることは分かる。しかし生活感として感じることが出来ないのだ。悪臭がするとか、肌にピリピリ感じるとか、そういった感覚では一切迫ってこないのが放射性物質及びそれらが発する放射線である。このことを最大限に活用しているのが、「楽観派」を支える勢力であろう。議論に空白が生じると、それだけで「楽観派」が優勢になってくる。感知できないということが、安心したい願望とミックスされて、「何もないのではないか」という印象を強めるからだ。震災当初住民たちに「自主避難」を勧めていた南相馬市が、時間の経過とともに、県外避難者に対して突然の帰還勧告を発し、避難者に大きな動揺を与えるに至ったが、この件に関しても「被害の見えなさ」がそうした判断の背景にあったのではないかと思う。

「目に見えないもの」ということに私はあるインスピレーションを感じている。例えば「人権」や「生存権」、「憲法二五条」等々、活字でその主旨を表現出来ても、本質的には私たちが目に見えない形でいつも胸の中に持っていて、実生活の中で運用していかなければならないものが、いくつかある。多くの福島の人々が奪われつつあるのは、これらを総合した「民主主義」というものではないだろうか。いや、奪われるというより、私たち東北人は、基本的にこれを放棄して生きているようなところがあるように思う。一生懸命働いてさえいればそれだけで報われる、難しいことは偉い人に任せておこう、というあの権威主義のパターンだ。

人間が善良で愛情深いことはとても大切なことだし、関係性を形成する要ではある。本来それだけで生きていけたら幸福だ。だが、まだ社会は発展途上にあり、「人権」についての認識などは全然足りないと感じられる場面が多い。自分たちが理想として掲げている「憲法」の内容に自分たちが違反していたりする矛盾がそれを物語る。

福島の中で起こっている混乱について、肉眼で見えるものは、避難の是非を巡る問題である。しかし、目に見えないところで必死にもがきながら段々と結論に近づいている大きなテーマが、そのバックグラウンドに存在している。それは、「私たちはどこまで自分たち自身を大切にしていいのか」という民主主義の根幹を成す命題だ。目に見えない放射線被害が、この目に見えない命題の回答を迫り続けている。

敢えて誤解を恐れずに書く。今、福島の人々が的確なサポートを受けて物事を考えることができたなら、これは民主主義の歴史上重要なターニングポイントとなるだろう。「悲観派」の人々は、先ほど述べたような酷い迫害を受けることがあり、その精神的苦痛は計り知れない。それでも一つハッキリしていることがある。前世紀に民主主義を勝ち取るために活動した人々のように、銃殺によって処刑されたりする時代は、我が国ではもう終わっているのだ。だから生命の危険無しに、文科省をはじめとした国の主要機関に詰め寄ったりできる。希望に満ちているといってもいいくらいだ。

私が福島の人々を支え続けたいと思うのは、自分の住む世界が、より良い方向に向かうことに深く関わりたいからであり、それは人間のごく自然な願望であると思う。

プロフィール
佐藤洋(サトウヒロシ 通称「ひろぴぃ」)
「毎週末山形」というボランティアグループを運営していて、福島県から山形へ避難する機会を少しでも確保しようとしている人々をバックアップしています。県内においては、山形への疎開を完了した人たちが安心して暮らせる居場所づくりをテーマに、「りとる福島」というML(メーリングリスト)を運営しています。3.11以降の世界変革は、まず事態の渦中にいた人々から始まっていくと思っています。

2011年山形 湧き水の旅 〜トレジャーハンター☆ナス〜

John Everett Millais(ミレイ) (ちいさな美術館)

John Everett Millais(ミレイ) (ちいさな美術館)

柳や野バラの生い茂る小川に、口を開いて浮かぶ少女。水面には、色とりどりの小花がちりばめられている。19世紀イギリスの画家ミレイの『オフィーリア』だ。この傷ましくも可憐な絵に惹かれたのは、画面の手前に、梅花藻(バイカモ)が描かれていたからだ。梅花藻とは、清流にしか見られない水草で、初夏の頃に白い小さな花をたくさんつける。子どもの頃に植物図鑑で見つけて以来、いつか見てみたい憧れの水草として記憶に残っていた。

その梅花藻が、山形では普通に見られるという。あわてて山形五堰なるものの存在を知り、そのうちのひとつ、小白川を流れる笹堰で初めて見ることができた。流れの中にそよぐ青々とした草の上に、ちらちらと揺れる白い花。水の精かしら、と思えるほどに凛として美しい。市街地でこんなにきれいな水に恵まれるなんて。以来、山形の水が気になりだした。

当たり前のようにあちこちにある湧き水も興味の対象になった。山肌にしみこんだ雨水が、長い長い時間をかけて地下水脈を通ってろ過され、ある日湧き出てくる。山の養分をたっぷり吸収して、その味と匂いを宿した水。その、気の遠くなるような水の旅に神秘を感じずにはいられなかった。

ある有志が編した湧き水ガイドを手に入れると、休日のたびに目当ての湧き水を訪れた。有名なところならいざ知らず、忘れかけられ、枯れそうになっている湧き水もあって、探すのに苦労する。しかも、水の出るところは日照りや旱魃のときには貴重な水源として守られてきたはず。人にはできるだけ伝えず、ひっそりと守られてきたものもあったのだろう。トレジャーハンターよろしく野山を歩き回って水場を探し当て、そこに必ずといっていいほどまつられている水神様や龍神様に、いつしか手を合わせるようになっていた。 

*      *      *

今回は、ナスが訪ねた湧き水スポットをいくつかご紹介したいと思う(すべて山形市内です)。先人に敬意を表してあえて詳しい案内としなかったが、皆さまが、運よくめぐり合えますように。

①羽竜沼出壷(はりゅうぬまでつぼ)       
西蔵王の野草園手前に「ふれ愛の森ロッキー」の看板がある。その農道を入って砂利の林道を抜けると羽竜沼に出る。沼の隅にある大きな栗の木のあたりから、野草園の方向におりる道があり、そこを下っていくと開けた広場に出る。樹齢百年以上の杉の根元から湧き出る水場は秘宝と呼ぶにふさわしい。今は少し看板などが整備されているが、数年前は案内が何もなく、勘だけをたよりに探し当てたときの感動は忘れがたい。

②神尾 桂清水(かんのう かつらすず)      
同じく西蔵王神尾地区。出壷の入り口より農道を進むと、プレハブ小屋があり、そこから右に折れて林道を進む。数百メートル進むとうっそうとした杉木立に入り、道路を横切る水の流れに目印の空き缶が置いてある。そこから林の中に入ってゆくと、桂の大木があり、その根元から湧き出している。ナスが訪ねたのは秋。桂の落葉の香りがする水にうっとりしてごくごく飲んだ。数時間後、激しい嘔吐と下痢、発熱に見舞われたのでご注意。ちなみに、目印の空き缶は、うそみたいだけどちゃんとありました。

③土坂 阿弥陀清水(つちざか あみだすず)   
西蔵王土坂地区。瀧山参拝の時に登山者が喉を潤したというが、今は水場のすぐ上を道路が横切り、風情がそがれている。いにしえの景色を想像しつつ瀧山をあおいだ。

④高原 深沢大聖不動明王(たかはら ふかざわたいせいふどうみょうおう) 
上山家地区の山形自動車道をくぐってしばらく併走する道路を行くと、左手に山へ向かう一本道に出る。薄暗い杉木立の山道を登った先に、社が現れる。あたり一体がしみ出た水で濡れており、しん、としてやや荒れた印象。一人でいると恐ろしかった。

⑤西山形 水方不動尊(にしやまがた みなかたふどうそん)       
大森山のふもと、すげさわの丘の脇の山道から入り、左手に曲がる。入り口に案内板があり、しばらく行くと鐘楼が現れる。不動明王をまつる社があり、豊富な水が流れている。山アジサイドクダミの花に囲まれた水場は、しばしのやすらぎを与えてくれる。

⑥風間ガード下 ドッコ水            
仙山線楯山駅の近く、山形山寺線沿いにある。立派な水車が回っており、すぐ隣にお地蔵様が移設された。地元の方の大切にしている気持ちが伝わる水場で、ナスの日常の飲料水としてよく利用させていただいている。

※ここに紹介した湧き水は、必ずしも安全の基準・検査を受けたものではありません。飲料その他の利用に関しては、各人のご判断におまかせします。ナスは全部飲んだけど、ほぼ大丈夫でしたが。

以上、今回は山形市に限定して紹介させていただいた。天童、尾花沢など、まだまだ興味深いスポットはたくさんあるが、またの機会にゆずりたいと思う。

プロフィール
古田 茄子(ふるた なす)
山形歴10年あまり。最上川の歴史研究、城山登り、湧き水深訪、そば屋めぐりなど、趣味は山形。植物の名前を覚えるのが得意。オーガニック料理や身体にやさしいお菓子作りにも精を出す。いつか青汁だけで生きていけるよう肉体改造して、仙人になりたいとの野望を秘めている。

山形県出身作家の作品を読む 長岡弘樹 『教場』

教場

教場

週刊文春ミステリーベスト10 2013年」で第1位、「このミステリーがすごい! 2014年版」で第2位に選ばれるという快挙を成し遂げた本書。さらに2014年第11回本屋大賞にノミネートされた。結果は6位と、大賞には届かなかったものの、全国の書店員が1年間の「いちばん売りたい」「読んで面白かった」本のベストテンに入ったのは、作家として大変名誉なことだと思うし、地元出身作家として誇らしい限りである。

投票した書店員の推薦コメントを読むと、「面白かった」「読後が爽快」といった内容の文章が多かった。また、連作短編形式なので読みやすいという意見も見られた。「警察学校」という、一般的にはあまり馴染みのない場所が舞台である本書。社会の安全を守るため、日夜事件や事故を解決する職業である警察官。だがその一方で、逆に事件をおこす人間がいるという「警察学校」とは一体どんな場所なのか…。一般社会で生活する我々が知り得ない内情が、読み進めていくうち、次第に明らかになっていく。そして全貌が見えた時に読者が目にする、驚愕の真実とは。

全6章からなる本作は、各章ごとに完結しているが、物語としてつながっているので最後まで読まなければ結末はわからない。教官と生徒、また、生徒同士の間で起こる不可思議な出来事。日常ではありえない、想像できないことがそこではおこり、そして犠牲者を次々と生み出す。勝者もいなければ敗者もいない。そこに残るのは神の顔をした「悪魔」の残像。それは誰なのか。

ミステリー小説なので、内容がバレそうな記述はしないでおく。後は実際に手に取って読んでいただきたい。 一度読んで結末がわかっていても、何度も繰り返し読んでしまう面白さの本書は、「警察小説」に新風を吹き込んだといっても過言ではない。読むたびに新たな発見があり、読書の醍醐味を味わうことが出来るのは、本好きにはたまらない喜びである。著者の最新作である『波形の声』(徳間書店)も短編小説なので、こちらも本書と合わせて読んでみてはいかがかと思う。特に、これまであまりミステリー小説を読んでこなかったという方に是非お勧めしたい。実は、私自身がそうであるから。

プロフィール
阿部恵(あべめぐみ)
1973年生まれ。天童市のお隣りの東根市神町在住。書店員。読書とコーヒーをこよなく愛する。

フクシマ原発事故の「自主避難者」が抱える問題

 僕とつれ合いは、2年前から蔵王ダム山形市)の近隣にある少し大きめの古民家に住んでいます。何人かでシェアして住んでもいいぐらいの大きな家に、縁あって住むことになったのです。
 3月11日、震災が起こってまもなく原発事故の報道が始まりました。そこで僕は福島県宮城県にいる親しい人たち全員にメールで、僕の家を避難場所として使ってくれという内容を送りました。それを受けて1人、また1人と避難を決断してうちにやってきました。いわゆる「自主避難」です。
 瞬間的に20人ほどになったこともありましたが、それぞれがうちで過ごす中で考える時間を確保することが出来たようで、一旦自宅に帰る決断をしたり、山形市ハローワークに行って職を得たり、自分の住むアパートを山形市内に確保したりと、見事なまでに自分自身のリーダーシップというものを回復していく様を見せ付けられました。
 みんなで相談してネットオークションでガイガーカウンターを落札したりもしました。福島県三春町への一時帰宅を決断した友人はそれを持って行き、放射線量を確認しながら事態に柔軟に対応するという前提で帰っていきました。
 4月半ばには、うちに避難している人は1人だけになりました。30代の女性です。彼女は原発事故を理由に福島市内にある職場を休職していましたが、最終的には辞めました。
 「避難」という言葉の定義は様々でしょうが、僕が考える避難は、十分な休息をとれる場所まで危険から距離をとるということです。そういう意味では、「自主避難者」が原発事故からの十分な避難を完了するというのは非常に困難なことです。なぜなら休息がとれない状態が続きやすいからです。今回、この女性がまさにそうした状態で苦しんでいました。

 では、福島市などからの「自主避難者」を苦しめるものは何なのか。1つ1つ具体的に書いていきます。

1)放射線は目に見えず、福島市郡山市では誰も気にとめずに暮らしている。すべてが今までどおり機能している町で、「放射線が怖いので避難します。」と言っている人は奇人変人扱いされる。もの凄いマイノリティ感がある。

2)上記と同じ過程の中で、「自分勝手な人」「わがままな人」「社会性の無い人」などというレッテルを貼られる場合もあり、共同体を大事にする特質がこの場合は負に作用し、「自主避難者」=それらを怠る者、と見なして精神的制裁を与えてくる。実際は誰も攻めていないのに本人がこれに怯え続けている場合も多く、内面化された恐怖であり、根は深い。

3)結果として、原子炉や放射線というものについて相当知識があり、危険だという明確な根拠に基づいて説明できないと、避難する資格はないように感じてしまう。その結果、膨大な資料やリアルタイムのニュースを見つめ続けることになり、疲弊する。

4)福島においては放射線被曝など取るに足らない量であり避難するなど非常識だというメッセージを受けるのに、山形市内では時として心無い人に「被曝者」として差別され、福島ナンバーの車に傷をつけられたりする。どこにも行き場がなく、誰も分かってくれない、究極のマイノリティのようであり、心休まらない。

 非常に大雑把な分類では上記の4つが「自主避難者」を抑圧する要素であると思います。特筆すべきは、これらは順番に襲ってくるのではなく、常に4つが同時に存在するのです。
 先程紹介した女性はそれを抱えていました。最終的にこの女性は思い切ってもっと遠方に避難することで上記すべてから一旦解放され、十分な休息を確保する、という決断をし、5月半ばから九州の福岡に移動しました。賢明な選択だと思いました。
 「自主避難者」に対して僕らにもっと出来ることがあるとすれば、山形の中に根拠の無い偏見があるならそれを消すことと、彼(女)等を一人にしないこと、横の繋がりが持てるようにサポートし、少なくても同じ考えの人がいるんだということを感じられるようにしてあげることだと思います。

プロフィール
佐藤 洋(さとうひろし)
世界的には「Hiropy」という呼称で親しまれています。山形市の東の外れの方にある古民家でつれあい&猫2匹とひっそりと暮らしつつ、敷地内にある畑を充実させて自給自足を狙っている43歳。「成熟する」ということに全く力点を置かないことによって、人間は本来必要な全てを手に入れることが出来る、という思想に基づいて全然成熟しないことを大切にして生きる人々によって細々と営まれている秘密結社「アンティ・グローリアン」の日本支部東北ブロックの代表。ということに僕の脳内ではなっています。

《そしてわたしたちは、どんなエネルギーを どのように使っていくのか》 〜エネルギーと環境をめぐる3冊の本〜

偽善エネルギー (幻冬舎新書)

偽善エネルギー (幻冬舎新書)

武器なき“環境”戦争 (角川SSC新書)

武器なき“環境”戦争 (角川SSC新書)

 原子力発電の安全性がことごとく疑われている・・・というか、脆くも崩れ去ってしまった今、私たちはエネルギー問題という課題を目の前に突きつけられている。真夏の15%電力削減目標は、一人ひとりの努力で達成できるのか、家庭では削減できても、企業ではどうなのか。では関西地域はどうするの? 不公平?? などといろいろぐるぐる考える。でも、知識がなければいくら考えたって限界があるというもの。
 エコエコ言われて努力した気になって、マイバック、マイ箸なんぞ持ってみたけれど、それが本当に環境にいいことなのかよくわからない。

 最近メディアにもよく出てくる工学博士で、文科省科学技術審議会専門委員もしている武田邦彦の本を手に取ってみた。タイトルは『偽善エネルギー』。「偽善」っていうことは、いい気になってやっているけど本当はいいことでもなんでもないのよ、ってことなのか。これって、いわゆる「再生可能エネルギー」のこと?
 しょっぱなから「2004年には500mLのペットボトルの水130円、1Lのガソリン100円だった」という事実を改めて言われて、「あ」と思う。ガソリンって、水より安かった・・・というか、今でも天然なんとか水、なんかより安いんだ。自分が思考停止していたことに気づいて唖然とする。原発に関しては、「安全だけれど、地震の多い国である日本においては安心できない」というご意見。核廃棄物は固形化して埋めてしまえば安全なんだって。(日本にも硬いプレートは存在する、らしい)・・・今の地震後の状況で、そこはちょっと疑わしい、と思ってしまうけれど。
 太陽電池に関しては、人口密度の高い日本では非効率、と一蹴。効率が悪いので、太陽電池そのものを作るエネルギーを太陽光以外で調達しなければならないので成り立たないそうだ。水力、風力、バイオも同じように効率が悪すぎるとのこと、そうか。温暖化についても「少しくらい暖かくなってもいいじゃない」のスタンス。考え方、なのだなぁ、としみじみ思う。
 語り口が軽妙なので、するする読んで「うーん、納得」と言いそうになるのだけれど、ちょっと待て待て。メディアリテラシーの基本は「疑うこと」。彼が「温暖化性悪説」を疑うように、私も彼の意見を疑ってみようじゃないか。専門家のような知識はなくても、ほかの本で補完できる。

 『武器なき“環境”戦争』は今をときめくジャーナリストの池上彰と手嶋龍一(この前天童に来ていたそう)の対談集。表紙に「激論」なんて書いてあるから、このふたりって仲悪かったっけ? なんてびっくりして読んでみたら、そんなことない。タイトルしかり、煽りすぎです。
 さて、内容は。「石油は有機じゃなくて、無機由来という説もある」なんて興味深いネタも交えつつ、環境問題はもはやグローバル経済の問題なのだ、というハナシでした。あの京都議定書に端を発した排出権取引で、CO”はもはや単なる有害物質ではなく「商品」になってしまっているとのこと。そして、日本の外交力のなさが日本の景気に悪影響を及ぼした原因のひとつであるとまで・・・。そう、もう環境問題すらグローバルの時代。ミクロとマクロの視点、両方で解決していかないといけないのね。
 さらに、温暖化懐疑論についても言及。2009年のクライメート事件(ハッカーによって温暖化データの捏造が発覚)によって、それは浮上したらしい・・・知らなかった。IPCC気候変動に関する政府間パネル=国連環境計画と世界気象機関という国連の専門機関が共同で設立した科学者会議)のデータに一部誤りもあったこと、「気候変動」研究の人は、温暖化が深刻であればあるほど研究費がもらえる、なんて言っちゃっていいのかしらん。前出した武田邦彦の言う「氷山が溶けると海面が上がる、のは嘘」「異常気象も年単位で平均すればなんてことない」という説も支持しているけれど、それでもなお、CO2は削減すべき、との論は興味深い。
 デンマークの取り組みも紹介され(もちろんデンマークは安定した風か吹いていて風力発電には適しているけれど、日本はそうじゃない)やはり、国・・・政府の取り組みが重要で、それに乗っかる市民の意識も重要ということがよくわかった。車をやめて自転車に乗ろう、でも政府もちゃんと自転車道を整備してよね、って大声で言わなければいけない。
 
 そして最後に2011年2月に出た本を紹介。『気分のエコで地球は救えない!』。環境経済ジャーナリストの石井孝明、IPCCの統轄執筆責任者の一人である杉山大志、電力中央研究所の研究者星野優子らがIPCCのデータを詳細に引きながら、論のための論ではなくあくまで理論的なデータの読み解きをおこなっている一冊。いかにメディアがデータの一部だけを引用して危機感をあおる報道の仕方をしていたのか、再生可能エネルギーのコストがどれくらいのものなのかがグラフと数値で明確に示されている。データを元にしているだけに、冷静な分析のように思えるけれど、結論として「クリーンでコストのかからない原発推進と、家庭、企業の更なる省エネ努力が大事」となっていた。だが、今となっては補償費用の問題で「原発が低コスト」という考え方は崩れ去っているとしか思えない。状況が変われば、結論も変わるんだろうか。
さて、本書の中で、いつの間にか(2010年12月、メキシコ・カンクンで行われたCOP16でのことだったようだけど)日本が京都議定書から事実上撤退していたということが明らかに。知らなかった。仕事柄、毎日四つの新聞をチェックしていたというのに、気づかないって・・・私が悪いのか、報道のされ方が悪いのか。とにかく、テレビや新聞やネットという知らない誰かによって編集・要約された情報をただ額面どおりに受け取ってしまうと一番大事な部分を取りこぼす、ということをしみじみ感じたのです。

 やはり、主体的に能動的に「本」というツールを使って広く深く情報を得たうえで、自分が何をすべきかを考える。それが大事。原発やエネルギー問題だけじゃなくて、生きていくうえでのすべてのことにおいて。知らなければ政策に文句を言うこともできないし、メディアの情報を鵜呑みにしてわかったふりをして大げさに嘆いたり、誰かを不必要に糾弾したりすることにもなりかねない。
 
 これまで紹介した3冊に共通するのは、「自然エネルギー(持続可能エネルギー)はコストがかかりすぎるし、日本という地形、面積からしても難しい。今後、技術開発を進めていくにしてもしばらくは時間がかかる」ということ。この論と、原発の現状と、IPCCのデータ(温暖化しているのは事実だけれど、どのくらいの気温の上昇があるのか、それによってどんな事態が引き起こされるのかは未知数)とを踏まえて、私たちが選択すべき道は何なのか。
 『朝日新聞』2011年4月22日の記事で「風力で原発40基分発電できます」という環境省の試算が小さく小さく載っていたけれど、『朝日新聞』以外では取り上げられていなかった。その報道のされ方の意味はなんなんだろう?
 エネルギーに関する本はこの1ヶ月で15冊読んだけれど、まだまだ知らないことが多すぎる。

 言ってしまえば、この書評だって、「私」という一個人の目を通して書かれたものにすぎない。できれば一人ひとりが偏らずにいろんな論の本を読んで深く考えて、それぞれの考え方や意見を構築して、人と語り合ってさらに知識を身につけていくべき、と思う。
 「いま、自分ができることは何なのか」未曾有の現状の中で、たくさんの人がこの問いと向き合っていると思う。私ができることは、こうして「本の持つ力」とそれを活用することが大事、と言ってみることだけ。誰か一人でも「そうか、本、読んでみようかな」と思って、一歩を踏み出すきっかけになったのなら、ほんのわずかでも、社会の、世界の、すぐそばの、困っている誰かの一助になるような気がする。

プロフィール
角田 春樹(かくたはるき)
秋田14年 → 山形17年。図書館の住人。趣味は読書と映画鑑賞、そしてジム通い。依存物質=本、チョコレート、紅茶、生野菜。最近、物欲が消えて知識欲が増大。図書館に住まう幸せをかみ締める日々。