春はきて君をおくる

オンラインの仁義なき戦い、オフでのつきあいなど無用、と言わんばかりな「はてな」の空気を読まず、東京に向かう寸前のid:murashit先生を、オフラインに引きずりだしてみました。

何度かオンライン上でやりとりはしていたものの、Twitterのつぶやきを見ているとヒキニートネカフェ難民寄りの暮らしのなか、東京への不安が渦巻いているようす。あれー、ブログ読者を雌豚呼ばわり*1した元気はどこへ行ったんだ。
京都を離れたくない気持ちと、こんな街しょせん田舎だぜ、という屈折した思いを吐き出してから東京へ行け!と元気づけたかったのです。何たるおせっかい。

見ているかぎりでは、東京に「はてな」繋がりの方がいらっしゃるではないの?よいではないか、東京。id:xiscoさん、ぼんやり先生ことid:ayakomiyamotoさん、id:Geheimagentさん、モテモテナイスガイid:Delete_Allさんとか!ライブやイベントにも参加できるし!
オンラインの付き合いからオフラインに移行することに不慣れで、ネットの知り合いと会ったのも今日が初めてで。東京はボケても誰も突っ込んでくれないとか聞くし。などと、どうもフルスロットルで弱気。

濡れねずみだったときに傘をさしかけてくれた人も東京にはいたし、京都人のイケズがないと思えば、東京もいいところだ。地方出身者が多い街だろうし。都市としても見るべきところが多く、離れてわかる京都の良し悪しがわかるのもいいじゃない、などとうだうだ朝まで話す。
(後半は、ラノベのどこがすばらしいか、というmurashit先生の講義を拝聴しておりました)

そんなこんなでmurashit先生のオフ童貞を強奪してしまいましたが、今後は積極的に蹂躙されたい...でもそんなこと言えない...!という、ドMなtoo shy boyでふるえるチキンハートらしいので、東京方面のはてなーの皆様、彼をTwitterなんかで気軽にオフに誘ってやってください。
おせっかいのきわみですが、本人にかわって、よろしくお願いいたします。

朝方、2分に一回くらいの割合で「インポ」「ED」などと言っていたような気がします。
murashit先生には重ねてすみません。

みやこにありて思うこと

京都は自転車でまわるとおもしろい。 人家、古着屋、古い家、重要文化財、人家、人家、カフェ、寺社、銭湯、とさまざまな建物が混然とたち並んでいるのがよくわかり、気の向くままに足を止めることができるからだ。

絵に描いたような「むかしの日本」が残っているのはめでたいことだけれど、京都には大地震が久しく来ていないことが気がかりである。 山に囲まれ、いつ地震があってもおかしくない土地柄なのに何百年も大きな地震がないのが恐い、と地理に詳しい人は口をそろえる。 引き絞った弓のつるのように地震のエネルギーが着々と溜まっているのだという。

ならば、崩壊してからの都市デザインをどうするのかはやくはやく考えるべきなのだ。町屋など、ほぼ確実に消防法が再現を阻むだろうし、重要文化財保全技術は大丈夫なのか。設計書などはよそにも移してあるのか。なによりも、観光特区だなんだというのなら、京都が好きだと観光に来るよそさんが「なぜ」好きなのかを探っていかなくてはならないだろう。京都検定京野菜ソムリエは、その手段なのだろうか。 少なくとも、どこかの私学と組んで漫画図書館をつくろうというひまに、やるべきことはたくさんあるはずだ。 と思っていたら、識者を集めて地震にそなえて会議をやっていたらしい。ちんたらしていたらまにあわないと思う。

千年のみやこが崩壊したとき、京都市の価値が過去の遺産にあぐらをかいていたものなのか否かがわかる。 わかる前から懐疑的な書き方をしてしまうのは、任天堂(京都本社)がポケモンビルを作ろうとしたら「景観をぶち壊すので」と許可しなかったわりには、JR京都駅と京都タワーをよしとしてすましている姿勢が解せないから。

近畿に大地震が来たとき、自分がからくも生きのびることができたならば、京都市がどこに向かうかは興味深く見守ろうと思っている。
(2006/4/29)

ここに至る経緯


図書館から連絡あり。

*1:これを借りた時もすっかり経緯を忘れていた。マッチョすぎる書名にひるんで返しそうになった。

*2:一作目は料理にかこつけて映画のカラーが強く、二作目はうってかわって各地の食をめぐる紀行文

*3:食べるホルモンから始まって自分のホルモン写真に終わっていた...じゃなく、趣旨はいい夫婦のお話なんですけれど

さっき読んだ本

『僕は猟師になった』(リトルモア/千松信也)

図書館に予約したのも忘れていたところ、順番がまわってきたとのことで、今日ひきとって来た。

このタイミングで、手元に来たのがかなり面白い。とはいえ、興味は連綿とつづいてきているはず。

なんでこれを読みたいと思ったのだったか、すこし思い返してみよう。

三社三様

京都の上(かみ)のほうに住んでいたころ、23時を前にバスが終わってしまうものだから、飲み代にはタクシー代を込みにして予定していた。
走る車がまばらになった河原町あたりでは、大きめの車を停めたわきで所在なげにしている若い者と、ゆるゆると流したり、スポットに溜まるタクシーばかり。人がすいた路上は、荒れさびれて見える。

空車が見つからなければ何でもよいのだけれど、相乗りする友人ともども、えらべるものならA社をえらびがちだった。
そのころのA社は、京都のタクシーでは新参で、やや安い初乗り料金と、ていねいな挨拶を売りにしていた。
たしかに荒っぽい口調だったことは少ない。かわりに、どの運転手も道にあかるくない。
目的地を告げたあとに、御池をまっすぐ千本あがって、といったら御池がつうじなかったことがあった。
場所も、通り名よりも所番地でおぼえているらしかった。
昨日までは大阪にいた、今日がはじめて、と何度も聞いてあきらめた。こちらが不案内でなければ、この通りをまっすぐ、次の角を折れてまっすぐ、を何度か繰り返せば目的地には着く。
後日、大阪でA社をひろったら「つい先日まで京都にいたもので大阪に不案内で」と言われた頃、タクシーをえらぶ優先順位は変わりつつあった。

ふたたび京都でタクシーに乗るとき、今度は老舗のB社をあたることにした。
B社の運転手は、碁盤の目を東西に切る細い通り名はもちろん、一方通行であることもご存知だった。
目的地を住所で言われるのと、通り名で言われるのとでは、どちらがわかりよいか訊ねてみる。
頭のなかにあるのは通り名だけれど、何丁目、と言われても一致するように慣らしたという。
いかにも、同じ職をつづけている自信にあふれている。
じつはここに変わったのは最近なんですよ、とつづく。
前はC社にいたが、売上げから上納する条件がきつくてやめたのだという。新車をあてがわれた時に、新車代が別立てでとられたりしたのも気に染まなかったらしい。
今ではよくしてもらっています、と満足そうだった。

京都でタクシーに乗る機会は減ったけれど、それからはB社をえらんでいる。
特にこだわりない友人からは、だったらお気の毒なC社にすべきではないか、と言われりもしたけれど。

B社は、すくない割合で振られたマークを見かけるとラッキーだという噂が、修学旅行生に知れている。
変わったマークの車をあてがわれた場合、別料金をとられたりしないのかは、聞きそびれた。

ミッドナイト

日経ビジネスオンライン【47】右斜め前方に情報あり。タクシードライバーとの会話術

会話術というのはさておき、車からうかがえる景気のくだりが印象にのこった。

運転手「中央分離帯に、コンビニ弁当のトレーの投げ捨てが目に見えて減ってきた。
モラルがアップしたのなら結構なことなんだけど、私は違うと思った。本当に好況の時は、物流も活況を呈する。配送のドライバーは大忙しで、いちいち車を降りてご飯を食べる暇もない。いけないとは知りつつも、わずかな時間にコンビニ弁当をかき込み、思わずポイと捨ててしまう人だっていた。ところが1年前から、そういう慌ただしい光景が見えなくなっていた」

そういえば、タクシーの運転手とした話で、記憶に残るものがいくらかある。