第13回:エリートコースの崩壊

リン: これについては、ちょっと聞きたいんですよ。台湾人が日本人に対するイメージですね、すごい組織を大事に重視して、会社に入ったら一生の保障がつく。これは台湾人からのイメージだけではなくて、確かに日本人もそういうイメージもあるんですね。
渡辺: そう、日本の若い人もそう思ってますよ。
リン: それについて語っていただきたいですね。
渡辺: 会社が人生を保証してくれるなんて、それは、ウソですね。
リン: ウソですか……
渡辺: 終身雇用制が崩壊していますからね。いい大学出て、一流企業入っても、今はいつクビになるか、わからない。つまりね、勉強さえしていれば大丈夫、って約束が反古になったってことです。
リン: あ、これ台湾もありますね。でも、これはどうしてこういう、イメージが形成されたのか?
渡辺: だからこれは戦後の資本主義の成り立ちが、政界と財界の癒着とともに、財閥系の大企業を中心に社会を作っていこう、ということから始まったからです。つまり、新しい才能や新しい組織には出てきてほしくない、企業に奴隷として入り無心に働いてくれる、歯車としての人材だけが大量に必要になった。そういう人間を送り出していくために、教育システムも構築されたということだと思うんですね。それが今、崩れちゃったということです。
上の世代の言うことを盲信してがんばってきた今の若者はかわいそうですよ。言われた通りにやってきたのに、一流大学出たのに、就職すらできないよ、なんて叫び声が今、ちまたに溢れています。
ネットカフェで暮らしている若いホームレスの多くは、学歴がとても高いんです。だからブルーカラーの仕事に就けない。田舎に帰ることもできない。
リン: では完全にまぼろしみたいな存在なんですか、都市伝説みたいな存在?一生安泰って。
渡辺: そうです。今はね。
リン: そうなってるんですけど。昔は一生安泰のケースがあるんですか?だいだいどういう時期ですか?
渡辺: 実はとても短いんです。1960年からのせいぜい30年間くらい。だから、新入社員として就職して、予定通りに定年まで過ごせた人って、実はすごく少ないんですよ。
生涯サラリーマンのイメージが最も幸福に描かれていたのは60年代ですね。例えば松下やトヨタみたいな会社は、社員はみんな社宅に住んで、私生活でも家族ぐるみで付き合い、上司が部下の仲人やって、子供が生まれたら会社から金一封、休みの日も社員でみんなでバス旅行、と。
リン: 擬似家族みたいな……
渡辺: そう、そういう幻想が提示されることによって、ハードワークが可能になったんです。自分の希望も適正も関係なくただ会社から与えられた仕事なのに、巨額のペイメントを保証されるわけでもないのに、死にものぐるいで取り組むことができた。
歯車としての人間をもてなすための企業形態が、日本の高度成長期を支えたわけです。焼け野原にビルを林立させたんですね。
リン: でもそれで、たぶんその時期で、ちゃんと目に見えてる何かが、つまりビルが立てたりするのは、まあ、苦労した甲斐があった、と思うんですね、「ああこうするのが正しかったね」のがあって。しかし今は一生懸命がんばっても何も見えない……
渡辺: そうそう。自分で考えることを放棄させられていたともいえるのだけど、頭からっぽにして毎日死にものぐるいで働き続けることができるのって、すごく幸せだったと思います。
でもね、それでいろいろなものができあがってしまったら、もう、末端の歯車としての人材が必要なくなってしまうわけです。
リン: これから高層ビルを建てるのは、もう青森の山奥みたいのしか場所がないんだったら、建てますか、みたいになっちゃって。
渡辺: そうそう。いつからか、企業は不要な人材のために、仕事のための仕事を作るようになってしまった。無理やり山を作って崩して山を作って崩して。「え、何のために山を作るんですか」「崩すためだ」「何のために崩してるんですか」「また山を作るためだ」みたいな状況になっちゃったんですね。そういうことをやってても大丈夫なくらいの蓄積が、今まではあったんですね、1990年くらいまではね。
けれど、もう、崩すための山を作る人材を抱えておけるくらいの余裕がなくなってしまった。
リン: 日本の会社というものに対する幻想が、一気に消えてしまったということですね。
渡辺: 今、リストラ、派遣切り、求人停止といった様々な形で、企業は人を減らしています。今はどの国の経済状況も悲惨なわけですが、日本の場合、もともと確固たる存在だと思って頼り切っていた会社から裏切られる形になるわけですから、心情的に悲惨なんです。死にものぐるいで滅私奉公してきた会社から突然切られる。あるいは、大人に言われた通りに一生懸命勉強して大学に合格してこれで一生安泰と高をくくっていたら、求人すら、ない。
リン: 空しいですね。まさに『ひらきこもり』の最初で語られていた、能率が10倍になった社会で、労働者数は10分の一で良くなるという話が……
渡辺: 実現してしまうということです。そこで、企業から切られた人々、ないし、企業に入れてもらえない人々は、生きる意欲を失くしちゃうわけです。けれど、本当はそこで、考えてほしいんです。自分は本当は、何をやりたいのかを。
リン: あ、そうですね。そこが重要ですね。
渡辺: 自分で考えずに与えられた勉強や仕事ばかりをやってきたような人々は、そこで、立ちすくんでしまうかもしれません。僕の友人で、一流企業を退職したばかりの人がいるんですけど、そいつがこんなことを言うんです。サラリーマンのふりをしているつもりだったのが、いつからかサラリーマンそのものになっていて、本当の自分が誰だってのか、ちっとも思い出せない、って。
これはつらいですよね。だから、できるだけ若い頃から始めてほしいんですね。
リン: 逆に16、17、18あたりで環境というか、状況にナイフ持って責め立てて、こう、「考えろ!」みたいなのはね……不幸にも10代後半から考えないといけない、逆に言うと幸い10代後半ぐらいからもう考えれるというね、見方によって。40代後半から考えないといけないと、もっとつらいよ、って話になっちゃうね。
渡辺: そうそうそう、つらいですよね。
リン: 台湾の学歴社会は、会社に対する幻想よりも、高学歴イコール高い能力、イコール高い給料がもらえる、と、考えてみたらわけのわからない根拠で形成されてるのですが。
まあ九割以上は中小企業なので、しかも家族企業が多く、会社そのものに幻想って抱きにくいかもしれないんですね。働いても他人のため、のような感じが根付いてる。
かっと言って、じゃ自分でリスクを背負って起業する覚悟もないので、やはり毎月自動的に入ってくる給料がほしい。結局、幻想は自分の能力に対してシフトすることになるのです。その、仮想的な有能感っていうのかな、を膨らませるために、何かが必要で……社会的に共同の認識があり、手っ取り早い、場合によって学費さえそろえばもらえる、「学歴」というものに依存することになるのでしょう。
だから、コースが見えなくても、必死に進学しようとするのですね。
渡辺: 先行投資みたいな話ね。
リン: 政府もそのような需要に応じて、専門高校や短期大学をがんがん大学にして行くのですね。台湾の人口2300万人なんですが、そのうち100万人が現役大学生という異常現象が起きたのです。それで大卒が溢れ、学歴としてチープになってるわけ。しょうがないから今度みんなは大学院に駆け込む。
雅ちゃんのように、自分の取り巻く環境、自分のやれること、やりたいこと、やるべきこと考えて、大学、大学院へ行く結論に至ったのではなく、ただ親や先生に言われるがままに、社会に出ていい仕事、いや、いい給料がもうらえるためとかで釣られて、思考がフリーズして進学していく。進学したら金が稼げる、そんな必然性はゼロなのに。
進学することは、自分にとって果たして意味があるのか、その意味は何かのも、自分の頭でよく考えずに、気軽に教育ローンとか組んで適当に楽しい大学生活を過ごしてはいいが、22歳大学卒業した途端にすでに負債30万元、のようなケースがあっちこっちに聞けるのです。
このご時勢、いい大学の卒業生だから初任給はいくらかほしいとか、ローンの支払いがあるから給料を多めに払ってくれなんて言ってる場合じゃない、内定が取り消されないだけでとほほですよ。
もうね、『女王の教室』の阿久津先生のセリフを借りて言いたいのですよ。「いい加減目覚めなさい」って。
女王の教室 DVD-BOX

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渡辺: 歯車はもういらなくなるから、歯車ではなく、CPUになること。無理なら、モーターになること。それが今大事だと思います。どんな仕事においても重要なのは、クリエイティビティー、つまり自分で考えて、動くことになります。
リン: できれば早く、できれば急ぐ……急ぐというのは言い方変なんですけど、時期ね。若いうちにいろいろと考えて動かす方がいいです。間違ってもやり直しが利く。そしてやってるうちは、あせらずにゆっくりやっていいと思いますね。


【つづく】


渡辺浩弐×林依俐 
対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
次回「自分をどう、見つけるか」は
2009年8月10日更新予定です

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ご感想・ご質問をお待ちしております。

第12回:教育はどう変わる(下)

リン: スピンアウトというと、実際うちの、全力出版で作品を発表するマンガ家の子の中で、高校中退の子がいるんですよ、張季雅という女の子で。
雅ちゃんは頭が非常に良くて、実際も優等生、高校ではその地域の第一志望校の文科系、文系の成績上位クラスにいたんですよ。別に、成績が悪くなったから学校辞めたいとか、いじめられたから学校辞めたいとかのではありません。もっと現実に家庭事情で経済的には大学の学費を払うのがやや無理、なので「大学行かなくてもいいじゃない私」という考えを持ったのですね。
マンガがすごく上手に描けるので、マンガ描いて食べていきたいから担当の先生と交渉にしにいったのですね。「先生、私大学に行きたくないです」「えー、成績がこんなにいいのに行かないともったいないんです」「いや、行ったらもっともったいないです。うちはお金ないですので」「そうか、わかりました。大学行かなくていいですよ」と、学校サイドの了承も得たのです。
張季雅が15才の時に描いたマンガ。
在学中参加していたマンガ研究部の、その年の部誌で唯一のマンガ作品
(みんなイラストしか提出していなかった)。
当時はまってたジャンプ系の日本マンガに強く影響され、
また中国語のオノマトペは見たことがなかったから、全部日本語で描いたという。
かと言って擬音の意味を把握して使ってるわけでもなく、所々不思議な表記が。
(「ガーソ」とか…正しくは「ガーン」)
分割されてるので後半はこちらへ(リン)
でもクラスのみんな行くんですよ、彼女だけ行かないんで。そういう進学校は二年の後半から、もうすべての授業は大学進学用の授業や復習になってて、しかもそのクラスは成績上位の進学クラスなので、もうなおさらなんですよ。「でも私、大学へ行かないのに、一緒のものに勉強してもしょうがないし……別の何かが、特別の、というか大学へ行かない人のための授業がないんですか」と聞いたら、ないですよ!学校にはないんです。
「あなた一人のためにそれをやるわけにもいかないわけですので、参加しなさい」それでなんか確執が発生してて、季雅ちゃんはこう、学校をサボるようになりました。
渡辺: それ、すごく勇気のある選択ですね。
リン: 若いね、純粋だね、と思いますね。でも先生も別に叱ってるわけではないんですよ。「本当にすみません、学校はそんな課程を用意できないんです」と。それでどうしてもうまくいかなくて、家に帰って相談して、学校をやめてもいいですかって、親の説得を試みたのですね。
親御も、なんというか、すごい心の広い方で、雲林県で、お茶を作ってる親御さんですよ。季雅ちゃんの意思を尊重し許してあげたって。
そのあと学校を辞めて台北に来て、保母さんとかのバイトで生活費を稼ぎながら、マンガで食っていけるかというのを試してきたんですね。
渡辺: そこでとことんマンガができると、いいなぁ。
リン: そうですね。それだからか、彼女は20代と思えない、あ、その時は20代じゃなくて、17か18ぐらいの10代後半ですね。10代後半だと思えない画力と、物語の構成力を見せてくれたのですね。持ち込みを見た時には腰を抜かしましたよ。たぶんそれも完全にマンガに集中できたからと思うんですね。
ただまあ一つ、本人は、心残りっていうのもあるし、こちらから見るとそうだし。17、18って、もうちょっと同年代の友達としゃべったりだべったりするべきだったかもしれませんね、それも少し作品に反映するんですけど、親や兄弟に対する感情はうまく描けるけど、同年代の人間関係の変化をね、なんかいまひとつしっくりこないのですね。
渡辺: 本来はね、学校はそういうことを教えてほしい、受験のための勉強より、ね。
リン: で、面白いことに、彼女はまた自分で探したのですね。それを補うようなものを。
渡辺: へえー。
リン: 野球が好きなので、野球場へよく行くんですね。野球場へ観戦しに行ったら、同じファンの方々と交流して。だから彼女は同年代の人より同年代の人と一緒にいる時間は短いけど、違う世代の話をいっぱい聞けたのです。50代の人に話を聞いて古株ファンの心境を知ったり、30代の人が経験する職場の感覚が掴んだり、いろいろができたんですね。そういうコミュニケーションは……おまえ前後話が矛盾じゃないかと言われるかもしれないんですけど、学校以外もいろいろやり方あるんですよ。だが何か言いたいというと、やっぱ同年代と一緒にしかできないことは、やっぱ学校にはあると思いますし、そこを大事にしてほしい。
渡辺: むしろそっちの方を大事にするべきなんだけれども、やっぱり勉強が……
リン: 勉強そのものは、逆に外でやった方がいいです。家の中にこもっても、野球場へ行っても、その気になればいい勉強はできる。
渡辺: 今はあらゆるテーマについて専門書が出ていて、ずいぶん希少なものでもネットを使いこなせば手に入る。様々なデータが、ネットにも上がっている。
リン: 季雅ちゃんの話まだ続くと。結局学校では勉強できなかったことは、野球場で勉強できたんですね、しかも世代越えて。で、彼女との最初の作品は、描きたいテーマがありすぎで、ネームがなかなか進まなかったのです。なので私は、こう、リクエストというか、課題を与えてあげないと進まないな、と思ったのです。そこで彼女に何を描いてほしいと考えていると、『私を野球場に連れてって』という唄を思いついてね。
渡辺: 『Take Me Out To The Ball Game』ですね。
リン: そうですね。あの曲名をこう、タイトルかメインテーマで、何か描いて、短編の、と。主人公は二人で、そのうち一人は障害持ちか何かしらの原因で走れない、もしくは野球場へいけないという、ちょっとした制限も与えて、やってみて、って。そして彼女はなんとグーグルのベースボールのフォーラムみたいなところで、英語で、まあ文系の優等生ですから、英語で質問を書き込みをして。「あの曲を聞くと、なんか思い出ありませんか」って、と直接アメリカ人に聞いたのですよ。
渡辺: あの歌、球場で、一番盛り上がる七回始めのタイミングで立ち上がって合唱するんですよね。アメリカ人なら、たいていみんな、何か思い出があるんでしょうね。

七回始めの合唱を撮ったホームビデオ映像。
リン: そして17か18ぐらいのコメントがついてて、そこからまた情報を集めて。
渡辺: 面白いですね。すごいですよ。個室から世界とコミュニケーションするんじゃないんですか。
リン: そうそうそう、本当に素敵すぎで。しかも季雅ちゃんは、そのコメントを転送で送ってきて「編集長見てください」って。編集長の英語がそんなに上手じゃないから、はっきり言って半分ぐらい読めないんですよ。恥ずかしいです。19才に負けた!というのがすごいありましたよ。
それで完成した19才の時のデビュー作。
共に野球観戦が好きで、いつも一緒にいる親友が、
急に白血病の発症で野球場どころか外も出れなくなった。
重い病気だと知らずに、またすぐ一緒に野球場へ行けると思っていたが、
症状が進んで2人の友情に影を落とすことに…
と。改めてあらすじを書き出すと、19才にして暗いテーマを扱いますな…(リン)
渡辺: そういう方法論っていうのは、今のほとんどの教師は持ってないんですよね。
リン: そうですね。彼女の高校時代のクラスメートはみんな、すごくいい大学に入ったのですが。いま現在に限っていうと、彼女の方がずっとうまい具合に社会に溶け込んでる、そして社会で生きていくスキルは持っているんです。学校でははみ出し者なんですけどね。
渡辺: そうそう、まさに「ひらきこもり」です。そういう人が主流になっていく時代が絶対もうすぐ近くまで来てて、資本主義の崩壊だとか学歴ステータスの崩壊というのは、そういうことだと思うんですよ。ある視点から見ると崩壊しているように見えるわけですけど、別の視点から見ると、新しいパワーがバーンとこう、勃興してきていることがわかるんですね。
リン: なので、一つ……学校に対する考え方は、まあ広く言っちゃえば会社に対する、組織に対する考え方を変えなきゃいけないと思いますね。季雅ちゃんは将来、たとえ全力出版が潰れて、彼女はどうしてもマンガ家として食っていけなくても、たぶん今の、昔の高校時代の同級生より、ある意味就職しやすい部分があるんですが、給料はそんなにもらえないかもしれないけど。
渡辺: そうですね。これから求められるのは、そういう人たちだと思う。
リン: 法律学科やメディア学科に進学したらしいですね、季雅ちゃんの同級生。今は大学三年生かな。これからの就職難に遭遇する予備軍ですね。特にメディア学科は出てきたら何をするかというのは、もう非常にいま危ういですよ。法律学科の人は弁護士になるのもまた何年ぐらいかかると思いますし。でも季雅ちゃんは一ヶ月でだいだい二〜三万元、普通にサラリーマン並みの給料が稼げる。その額をもらえるスキルが持っています。季雅ちゃんの方が社会に適してるんですね。
台湾は学歴社会で、家庭の経済状況が良くなく、学費が負担できないから進学をやめた人を、「かわいそう」と言って哀れの目で見るのが多いけど、本当に家庭の経済状況が良くないこそ、進学をやめるべきです。勉強はどこでもできるものです。もし生活の水準や仕事の効率を改善するための勉強なら、なおさら学校にはない。
早く社会に出て稼いで、経済状況を改善してから学校に戻ればいいのだと言ってやりたい。社会での経験を持っていたら、学校での勉強ももっと効率よくできるはずです、特に大学ではね。
そして、いつもアクティブな季雅ちゃんを見ると、なんというかな、「ひらきこもり」というのは別に密室にこもってるわけではなく、むしろ密室を中心で、いろいろ回りに行って、またその秘密基地みたいなところに戻って、そこからまた追求していくことだな、と思いますね。
渡辺: 自分の好きなことを追求していくんですね。
リン: そうそうそう、そうだと面白いですね。
渡辺: でも、旧世代からの圧力はやっぱりすごくあるはずです。変化を認めたらつぶれてしまう学校はたくさんあるし、職を失う教師もたくさんいるんですね。だから自分たちを守るために「学校をやめたらやばいぞ!生きていけなくなるぞ」と、脅すわけです。あるいは逆に「まっとうに進学して、卒業すれば大企業に入れる、大企業に入ったら一生保障される」なんて。


【つづく】


渡辺浩弐×林依俐 
対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
次回「エリートコースの崩壊」は
2009年7月27日更新予定です

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第11回:教育はどう変わる(上)

渡辺: 組織の全てを憎んでいるわけではないんですが、大きくなって古くなって害になってしまった組織に、個人として、きちんと対峙しなくちゃとは思っていまして……あ、今言って気付きましたが、これって、村上春樹さんの発言のパクリですね(笑)。
この間、村上春樹さんがイスラエルで講演したじゃないですか。エルサレム賞の受賞記念で。我々はみな危うい殻を持った卵として、弱いけれどもかけがえのないひとつの魂として、大きな壁……「システム」に対峙しなくてはならない、というような発言です。

国籍や人種や宗教を越えて、我々はひとりひとり、人間である、と。そこが、よくわかるんですよ。割れやすい卵だからこそ強いんですよ、個人っていうものはね。
システムではなく、いつも自分の、そして他人の「個人」としての価値に目を向ける姿勢が、「ひらきこもり」だと思うんですよ。勝手にノーベル賞候補作家を引き合いに出してしまいますが。
リン: ……勝手に「村上春樹が僕の理論を賛成してる!」と。「アイツもスタンド使いだ!」という感じですね。
渡辺: すみません。
リン: 村上さんは本当に、日本人の中でも不思議な存在ですね、本当に。たぶんいま、日本作家でちゃんと世界の人に「向けて」モノを書いてる人と思いますね。
渡辺: 日本の文壇の仕組みを一切利用せずに、個人で、世界に自分の作品を出していった。
実務的にも彼は個人で世界と対峙してるわけです。それであの講演を聴いて、そうか、、これほどの覚悟で世界を見ている、小説を書いている人がいるのかって、鳥肌が立ったんです。
なんか、もう、僕の本なんか読まないで、村上さんの本読みなよと言いたくなった。
リン: いや、村上春樹ならすでにめちゃくちゃ読まれてますよ。中国ではベストセラー、台湾ではロングセラーです。
渡辺: そうでした。僕なんかが言わなくてもすでに読まれてますね。
リン: そうですね。すでに読まれてます。
渡辺: すみません。
リン: ヨシヨシ。でも自分の考えは少々違ってて、組織の存在は個人を磨くことができる部分だということを、私はやはり信じてますよ。昔は日本のアニメーション会社で制作進行やってましたから、いっそのこと寝てからもう目が覚めなければいいのにと思ったくらいしごかれて……でもそれである程度制作者としての実戦力を身につけられ、いい先輩、いいクリエーターとも会えたので、今となってはいい思い出でよかったと思います。一回組織に身を置いてもいいと思いますね。
会社は行かなくても、学校でもみんな……逆に言うと、「学校」という場所の存在は、もしかしたら出たら組織に属しない人のためのものかもしれないと思いますね。勉強の内容は、はっきり言ってどうでもいいわけですよ。60点が取れて卒業できれば、もう本当に適当にやっていいのが私のスタンスなんですよ……すみません。学生時代であまり勉強しなくてもちゃんと点数取れる人が言うと、なんか嫌味に聞こえるのでしょうけど。
まあそんなところがあるから、逆に見えてると思いますけどね。学校へ行くのは勉強よりも、クラスメートや先生と会話するためで、あとは部活に打ち込むためじゃないかと思いますね。それに成績がよければ……日本はどうなってるのかわからないんですが、台湾では成績さえよければ、よっぽど悪さをしない限り、いろんなことが許せる傾向がありますね。
渡辺: それは日本と違うところですよね。少なくとも、僕の世代では、そういうフェアな教育は、なかった。
まあそれは戦後のドタバタの中で、教育システムをいきなり変えなくてはならなかった当時の日本の特殊な事情だと思いますが、教師のレベルが極めて低かったんです。
歯車としての人材を大量生産するための教育システムが急に導入されて、ぎゅうぎゅう詰めで整列させられて、同じレベルのことを覚えなさい、先に行っちゃダメだ、遅れてもダメだ。と押しつけられたわけです。
成績のいいヤツも、ある程度以上成績よくなっちゃいけないんですよ。皆に合わさなきゃいけないんですよ。
リン: あー、それは日本人との付き合いでなんとなくわかりますね。
渡辺: 台湾とか韓国はたぶんそうじゃないんですよね。
リン: 学校によるのではないかなと思いますが……高校時代の同級生の中で、数学の成績がメチャクチャいい人がいるんですね。彼は数学の授業でいつも居眠りしてる、というか寝てる、パタンっと倒れて机に伏せてるのに、先生には怒られない…いや最初の一回か二回は怒られたんですけどね。で、彼の言いぶんというと「僕は夜遅くまで、数学の勉強を家でしてますから、実際成績にも反映しましたので、数学の授業ぐらい寝かせてください。ごめんなさい」みたいな感じで。そのあと先生は彼を起こすことはないね。
渡辺: それは正しいですね。
リン: そしてほかの人にとっての影響はどう?という危惧がやはり多少あるんですよ。なぜ彼だけが居眠りしていいのに私ができないって。その時は一言で「まあ、じゃ数学の成績を上げなさいよ」って。まあ、うちの学校は特殊かもしれませんが。日本人から見ると「なんだそれ」になちゃうかな。
でもまあ、一概とも言えませんが。自分は逆のにやられたことがありますけどね。それは大学の頃、日本語学科の日本語会話の授業ね。すべてのテスト成績は90点以上なのに、返ってきたのが59点なんですね。明らかに嫌がらせです。なぜこんな点数なのかと聞きにいったら、台湾人先生だけど日本語で返してきて「あなたは授業を聞いてないよね」と。こっちも日本語で返して「うん、授業も正直つまらないし、全部できるから聞かなくていいと思いますが」それで日本語で大喧嘩しまして、最後は本当に59のままになっちゃったんですね。日本語会話の授業で、日本語で先生と大喧嘩ができるのに59ですよ(笑)
渡辺: 覚えている漢字でも1000回書取りしなさい、とか。意味もなくね。うさぎ跳びは筋肉を鍛える効果は全くないのに、根性を鍛えるためにやりなさい、みたいなことね。
リン: なんだか日本では不思議に精神論が入っちゃうんですね。トレーニングのはずなのにトレーニングとして捉えてなくて。
渡辺: そういうことで権威を保たなくては教室が成り立たないぐらい、教師のレベルが低かったわけですね。僕は小学校、中学校と、尊敬できる人が教師の中には一人もいませんでした。今、人生を振り返って比較しても、下の下の下の人間の吹き溜まりでしたね、当時の、義務教育の現場は。
今はきっとずいぶん違っているとは思いますが、たとえ先生が優秀でも、学校のシステムにどうしても合わなくてスピンアウトしてしまう子供がたくさんいると聞きます。僕はそういう人たちには自分の経験から、大丈夫、と言いたいんです。
リン: 台湾では最近、逆に必要なトレーニングがちゃんとできない、のが問題になってると思いますが。保護者が先生を押して、先生は権威が保たない状態に追い込んでしまいますね。学校の古いシステムの中では、学生が悩んで迷い、教師が悩んで苦しんでるようにも見えますが。
渡辺: そこでね、同じ地域、同じ年齢で同じ場所に囲い込むやり方ではなくてですね、コンピュータとネットワークを活用して、一人一人に合わせた教育を提示していくシステムは、もう新しく作れると思います。
過渡期である今の子供達は可哀想なのですが、学校に行かなくなった人に、自分で勉強する方法、好きなことを追求する方法を、具体的に教えてあげるようなサポートシステムだけでも緊急に準備しなくては、と思います。
もちろん、学校は楽しい場所として、コミュニケーションの訓練をする場所として、残ってほしいですけどね。
リン: これについては私も同意見です、本当は学校をもうちょっと、コミュニケーションスキルを磨く場所、と捉えた方がいいじゃないのかと思うんですよ。
渡辺: そうそう。逆にもうそれだけでいい。そう思いますよ。


【つづく】


次回「教育はどう変わる(下)」は
2009年7月9日更新予定です

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第10回:楽して儲けるスタイル?

リン: あ。無一文というと、そろそろ渡辺さん自身のことに入ろうかな、と思いますが。なんと言えばいいのだろう、今までは……えっと、どれくらいしゃべったんですか、一時間ぐらい?一時間以上もしゃべってて、まだ渡辺さんが素性不明なんですよ。
渡辺: あ、すみません。
リン: 日本語のわかる方はまあGoogleWikipediaを調べばたくさん出ると思いますが、中国語しかできない読者にとっては、このずっとしゃべってた人は誰だということになってるはずですけど。発表時はちゃんと横にプロフィールを載せるので、基本的にそれは問題ないと思いますが。でもやはりちょっと触れた方がいいと思います。
渡辺: 自己紹介をさせて頂くと、基本的には文章を書く、小説を書くのが仕事で、台湾や香港でも、小説や原作コミックを何冊か発刊して頂いています。
プラトニックチェーン〈01〉

プラトニックチェーン〈01〉

プラトニックチェーン 01 (Gファンタジーコミックス)

プラトニックチェーン 01 (Gファンタジーコミックス)

中国語圏は主に『プラトニック・チェーン』シリーズが発刊されてます。
もっと詳しい情報はkoboさんの運営する「W-Cat渡辺浩弐データベース」でいろいろと見れます。
この間はなんと海外版をコンプリートしました。すごいです(リン)

もともとはゲームの世界で仕事をしていまして。1980年代中期の日本のゲーム産業の萌芽期、つまりファミコンのブームの頃から、ゲーム関係のライター、評論家、ないしゲーム自体の制作者として仕事をしてきました。
今は小説の仕事が多いのですが、自分の会社(GTV)ではデジタルコンテンツの制作もしますし、まあ、要するに何でも屋さん。
ニコ動でチャンネルを開設しました
D

リン: 本を読んで面白いと思うのはね、会社に入った経験ありますかっていうか、そういう質問あったんじゃないんですか。小さなタイトルは「楽して儲けるスタイル」って。いやあそれはもう台湾人にとって非常に魅力的なんですよ!その話を少し、詳しく聞いていただきたいですね。
ひらきこもりのすすめ2.0 (講談社BOX)

ひらきこもりのすすめ2.0 (講談社BOX)

「本」というのはこの本です(リン)

渡辺: 僕は1962年生まれなので、20才になった時に1982年、22才、23才のあたり、つまり普通の人だと大学卒業して就職活動をするという頃が、日本ではファミコンが発売されたり、街にゲームセンターが増えたりしていた時機で。学校にも行かず就職もせずに、毎日15時間くらいゲームをやっていたわけです。
その後ゲームが爆発的なブームになって、ゲーム周辺のメディアも好景気に湧いたんですね。専門誌が続々と創刊されたり、一般の雑誌にもゲームのコーナーが儲けられるようになったり。けれどゲームについての文章を書ける人間が、いや、そもそもゲームについて知っている大人の数が少なかった、というだけの理由で、仕事が入りだしたんですね。
がんばれば一日20万〜30万円稼げるような割のいい仕事ばかりだったんで、そのお金でマンションの部屋を借りて、そこにはゲーム機とモニターを並べたんです。家庭用のゲーム機が各社から次々と登場していた頃で、これを揃えればゲームセンターのように楽しい空間ができるだろうという発想でした。
それで雑誌やテレビの業界のゲーム好き、あるいはゲームメーカーの人が集まるようになったんですね。仕事をサボってはその空間に立ち寄り、あれこれ喋ってはゲームを遊ぶようになった。
その面子のおかげで自然と情報が集まってくるし、仕事もますます入ってくるようになったんです。
リン: ゲームバブル、実際もバブルだし。そんな時代ですね。
渡辺: そうそう。マニアの「好き」のエネルギーが仕事になったのは、萌芽期のゲーム業界ならではのことで、それはとても幸運だったわけです。
けどね、今なら、他の領域でもこういうやり方ができるんじゃないかと思うんですね。今後、あらゆるコンテンツは、マニアが制作し、マニアが広報し、マニアが享受するものになっていくわけですから。
そして、マニアのたまり場は、今ならマンションを借りる必要はないんです。インターネット上にホームページを開けばそれで十分なんですね。
リン: 80年代でライターの仕事、80年代だけではなく、90年代前半でも、ファクシミリ一台、コピー機一台でものすごい高かったんじゃないんですか。自分が高校時代、コピー機の値段を知った時、いつ買えるのかと思った時期があったんですよ。
渡辺: そうなんですよ。僕は最初、50ヶ月ローンを組みましたね。
リン: ファックスのみで!?
渡辺: ファックスと、コピーと、ワープロで。遊び場だったマンションにそれ並べてやっと、会社の「ふり」をすることができた。そうしないと、ちゃんとした企業の仕事は受けられなかったんです。今は、自分の四畳半の部屋でもSOHOとして、ホームページ開いて仕事募集できるじゃないんですか。
今ならファックス、コピー、ワープロを足して100倍にしたようなことが、iPhone1台で、できちゃうわけですね。
リン: そうですね。プリントアウトだけできないっていう感じですね。
渡辺: 20年前の何百分の一のコストで、起業できちゃうんです。
リン: その時はライター、ゲーム雑誌が、日本でゲーム雑誌がいっぱい創刊して、ライターの仕事で書き続けて……
渡辺: 執筆やTV出演の依頼だけでなく、そのうちゲーム関連のCMや攻略ビデオの制作、あるいはゲームそのものの制作まで、頼まれるようになったんです。たまり場の面子にはフリーのプログラマーやディレクターもいたから、相談して、受けられることは受けました。そういう場所が、今の会社の元になったんです。
リン: なるほど。でも、今ご自分で会社持ってるんですけど、就職経験のないことは、何が影響とかあるのでしょうか?
渡辺: 小説とかを書いていると、一般的な会社の中はどうなってるとか、人間関係はどうなってるのかとかですね、根本的なことがすごく知りたくなることもあります。だから、作家志望の若い人でも、試しに、例えば、その世界を勉強するためでけに企業に就職してみるってのもアリだと思いますね。
リン: なるほど。またそういう話に持っていくんだ……まあ、多少ね、なんか「組織」に対する、まあ小説も含めて、渡辺さんの作品は「組織」に対する敵意か、なんかしら……ん……わかんない、どう言えばいいのだろう。
渡辺: あー、はい。それはね、ありますよ。古い組織に対する敵意は。
リン: コンプレックス……でもないんですが、コンプレックス……敵意でも捉えて、憧れでも捉える何かが、多少入ってるね。


【つづく】


渡辺浩弐×林依俐 
対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
次回「教育はどう変わる」は
2009年7月2日更新予定です
言及・引用するのは大歓迎です。その際このブログへのリンクをお貼りください。
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第9回:「宅経済」のグローバル化(下)


これから文中に出てくる「チョコちゃん(chocolate巧)」です。
多才で台湾の同人界隈ではかなり有名なコスプレイヤーでもあります。
この写真は本人の許可を得て、自主制作のフォトコレクションDVD
Fantasy Earth Zero:chocolate』から引用したものです(リン)
リン: で、それはまた世代によって……さっきなぜ「もっと早くなるかもしれない」と言ったかというと、父の時代だと、出会うだけでたぶん20年ぐらいかかるんですよ。また出会っていても、連絡を取り合って信頼を持つようになれるのは、また10年ぐらいかかるんですね。なぜかというと、大事なことは面談で、ちょっとしたことは電話で、その世代はそういう感覚で物事を動かしているのです。時代遅れだというのではなく、その感覚を持てる人では合理的な行動だと思ってます。
でも私たちの世代になると、大事なことでも電話で話せるんですね。もっと大事なことじゃないと面談しない、なわけで、結局頻繁に移動しなくても、ほとんどのことは電話で済ませて、移動の時間やコストが省けるようになります。それは私たちにとっては合理的で、さらに下の世代になっちゃうと、大事なことでもメールでMSNメッセンジャーで、となる。他人とのつながり方、他人との距離を感じ取る感覚が変わっているわけです。
ここで一つ例を挙げてみると、うちのスタッフに1984年生まれの女の子がいます、みんな「チョコちゃん」と呼んでますね。チョコちゃんはあるオンラインゲームを三年以上やってて、そこでいろんな遊び仲間ができちゃうわけ。2008年の年末イベントは、ゲーム内の仲間たちと夜11時ゲーム内の埠頭で集合し、システムの年末イベントである花火ショーを見てから、一緒にゲーム内の温泉、サル温泉に浸かりに行こう、そこで一緒に新年を過ごそうっていうのね。
私が最初MSNメッセンジャーの表示メッセージでチョコちゃんのこの予定を見た時にも「なにこれ」と一瞬思ったのです。まあ違和感は感じるんけど、なんとなくわかるんですね。しかし10才ぐらい上の友人とこの話をすると「さびしいじゃないの」と言われたのね。現実に友達がいないから、オンラインゲームの中で新年過すのだろうっていう。でも実際は違ってて、チョコちゃんは現実でも友達たくさんなのです。
学生時代の友達、コスプレや同人活動に通じて出会った友達、
オンラインゲームでの知り合いオフ会も主催したりする、ライフはなにかと充実。
チャットはいつもオンライン中でも、
コスプレ写真の撮影会などで外でもよく出かける元気な子(リン)
それと当の本人はもう二、三週間前から楽しみにしてるんですよ、「サル温泉♪サル温泉♪」と、「みんな一緒に行くんだよ♪楽しいよ」っていう感じでしたね。彼女にとって、台北の若者の集まるスポット西門町あたりで集合し、台北101ビルの花火ショーを見て、それから映画を見にいったりするのと、オンラインゲームの中の埠頭で集合してみんなでサル温泉に浸かりにいくっていうのが、実は同じような感覚ですね。「みんな一緒だ」という感覚は、彼女より20才ぐらい年上の人と全く違うという。それを見ると、さっきの出会い、連絡、そして何かを作るスピードはさらに加速というか、想像も追いつけないものすごいスピードで回っていく可能性がありますね。

仲間一同が埠頭で集合し、共に花火を見る映像。


サル温泉に到着後、サルと一緒に温泉をつかりながら、
仲間それぞれ自分の楽器を取り出して奏でる映像。
渡辺: それは気持ちいい話です。地球の裏側の人でも一緒に参加できるわけですね。
リン: そうなんですよ。面白いのは、アメリカ人というか、アメリカに住んでる台湾の友達、というかユーザーでも、時差さえ調整すれば、一緒にサル温泉へいけるんですね。
渡辺: とても健康的なことです。けれど、その状況を見て眉を顰めてしまう旧世代の人々もまだたくさんいるんでしょうね。新年そうそうひきこもってパソコンに向かって、不健全だって。なんで家族や学校の友達と一緒に過ごさないんだ、って。
リン: そうそうそうそう、なぜ家族と一緒に過ごさない、なぜ実家に帰ってこない。
渡辺: でも、どう考えても今までのシステムの方が不健全なんです。
たまたま同じ地域に住み、たまたま同じ年齢に達している子供たちが、それだけの理由で数十人ごとに一つの部屋に毎日強制的に集められる。そして、同じ科目を同じスピードで一斉に学習させられる。おかしいでしょう。ネットのない時代はそれしか方法がなかったのかもしれませんが、今はもう、そんな無理なことをしなくてもいいインフラはできているんです。
家族という制度だって、同じです。お正月は家族で過ごす、という固定概念は崩れるはずです。たまたま同じ家に生まれたからと言って、趣味や志向が違うなら別々の過ごし方でいいじゃないですか。同じ初日の出を同じ場所で見て、同じようにお祈りする必要はないんです。
こういう考え方を絶対に許容できない人はいつまでもいると思いますよ。でもね、戦ったり説き伏せたりする必要はないんです。無視して、面白いことをどんどん先にやっちゃえばいい。
遊び方だけじゃなくても、仕事の仕方もね。例えば編集者でも、古いタイプの人はどうしても、まず「とにかく、会いましょう」ということになるわけです。メールで、とか、電話で、と言うと「電話でそんな大事な話はできないでしょう」なんて怒ったりする人もいる。そういう人は、例えば日本にいて台湾の作家さんとは一緒に仕事できない。どうしても、日本に来い、ということになってしまうわけですね。
けれど、例えばの話ですが、リンさんとそのオンラインゲーマーのチョコちゃんは、会社で隣のデスクにいてもメッセンジャーで会話をする、って聞いたことがあります。
リン: そうですね。
渡辺: それって年長の人に言うと笑い話になるわけですよね、どこまでおたく気質なんだ、って。けどね、よく考えてみるとそっちの方が仕事効率はいいんですよ。無駄がなくなりますし、ちゃんと日付時刻と一緒にデータが残りますし、そのログをあとで検索もできるし。
年輩の編集者さんに呼び出されて仕方なく会って話すと、実は結構実りがないんですね。天気の話とか雑談が異常に多くて。
「今日はなんだかわかんない話で終わっちゃったけど、会ったからまあいいや」ていう感じで、なんとなく仕事したつもりになっちゃってるんですよね。
リン: はいはいはい。忘れた、知らない、聞いてないよって言われるね。かといって全部録音するわけでもいかないし。
渡辺: だから新しい世代は旧世代の方法論を全部すっ飛ばして、一緒にどんどんやっちゃうよ、っていう風にもう言っちゃってもいいような気がするんです。
今のこの世界恐慌は、古い資本主義が崩壊していることだと考えると、新世代にとっては大きなチャンスなんだと思うんですね。
リン: そういう角度から見ると、まあ日本も進んでると思うんですが、台湾の方は、この、感覚の変わりは、たぶんもっと進んでる気がするんですね。中国はもっともっと。それは、やはり、古いやり方が根付いてるかどうかと。日本は幸せというか、幸運であって不幸ながらも、いろんなモノの根がすごく強く張ってるんですよ。急に抜けないんですよ。
渡辺: 日本は戦後60年の洗脳を脱却できるかどうか、やっぱ大きいですよね。
リン: いやいや、そこまで否定的な意味ではないんですよ。今言ってるのは、例えばまあ、LD時代があったんじゃないんですか、DVDが出た時には、LDの人はもう頑なに反抗してたじゃん。そんな感じなんですよ。「昔LD見て楽しかったよ」という記憶が、DVDの新しい流れに適応することに妨げるのだけではなく、示した可能性さえも見えなくなる、と。でも私は、んー、そんなにダメとか、否定はしたくないんですね。むしろその思い出を残して活用しつつ、将来の何かとうまくやっていけば……と思うのですが、なかなか難しいですけどね。
渡辺: なかなかね、LDを三千枚ぐらい持ってたら、捨てられないんですよね。
リン: そうそう、三千枚も持っていたら、「いまDVDの方がいいですよ」と言われてもさあー、という部分があって。台湾は、そういう例を沿っていくと、たぶん三枚ぐらいしかLDが持ってないから、DVDがあれば飛びつくんですね。
渡辺: 中国にはLDはないんですよね。だから身軽です。
リン: そうですね。
渡辺: 昔日本でも、電気が使われるようになって、電線が敷設され始めた頃、明るくしたいならランプとかあるのに、温かくしたいならかまどに火を焚けばいいのに、なぜ電気なんてわけのわからないものがいるんだ、という声があったそうです。電線なんてものを引くとそれを伝って山からサルが下りてきて村を荒らしたらどうするんだ、っていって反対運動を起こそうとした人たちもいたそうですよ。
やっぱり電気のせいで変えなければいけないことや捨てなければいけないものはたくさんあっただろうし、失業する人もたくさんいたはずです。けれど、そこで勇気を出さなければ、負けちゃうんですね。
これは自分にも言い聞かせてるけど、やっぱり40才とか50才になると、しがらみがいっぱいあるんです。LDとか紙の本とかそういうものばかりじゃなくて、苦労して覚えてきた仕事のスタイルとか、築き上げてきた人間関係とかね。デジタル時代の入口でそういうものをすべて一度捨てなければならないのは本当につらいんです。けれど、やらなくちゃ、死んじゃうわけです。いったん無一文にならないと。


【つづく】


渡辺浩弐×林依俐 
対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
次回「楽して儲けるスタイル?」は
2009年6月25日更新予定です
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第8回:「宅経済」のグローバル化(上)

リン: でも私にはこの理論に、ちょっと反論したい部分もあるんですね。結局、密室はやっぱり、場所としてあるんですね、現実のどこかで。
だから、同じPS人なんですけど、なんというかな、思考の骨組みが似ていて、その骨についてある肉は違うはずのでしょう。自分なりの肉、つまり自分なりの経験や思想が持っていないと、ほかのPS人とも話ができないのですね。自分なりの何かが持っていないPS人は、PS人の中でも階級の中で一番下で、話し合いの場では「あなたなんか要らない外で待ってろ」という感じで。ってPS貴族はワインでも持ってPS3のビデオチャットでゲームの未来を語り合い、知識とテクニックを駆使して共に次世代のゲームを作り出し、PlayStation®Storeで世界中のPS貴族に分かち合おう、のような感じかもしれないんですね。
PS人だけど何も持ってないと、やはりその中には入れないというか、はじき出されると思う。何かがその地その場、その自分自身でしかないものを持たないといけないのです。そんな感覚で、やっぱり……話がずれますが、昔はこう、具体的なことはあえて伏せますが、いま私自身はVOFAN講談社との間に立って仕事をしていますが、こんな台湾のマンガ家や作家に対する、海外からの仕事の要請もいまに始まったわけではないんですね。小学館講談社もそういったケースがありました。でもそれがほとんど、作家自身が日本の出版社に招かれて、日本に行くのですね。そこにはちょっと違和感を感じてるわけですが。
渡辺: マンガを描きたいなら、台湾で作りネット経由で送って来るのではなくもう日本に来て、日本人になりなさいと。
リン: そうそう。でもね、日本人には最終的にはなれないのが実状です。給料ではなく原稿料をもらう形だと、ビザも下りてこないんじゃないかな。
けどね、たとえ原稿は台湾で書いてネット経由で送るようなやり方を取ったとしても、、そういう「日本に住んで日本向けのモノを作れりゃいいんだよ。台湾の読者なんてどうせ日本で作られたモノだったら何でもいいんだろう」みたいな感じが、そういう日本人の編集者が、やはり非常に気持ち悪いですよ。それだったら、もうその人が生まれた国が間違った、ということにして、てめえが彼か彼女のために日本の国籍でも用意してこいよ、と言いたいですね。
渡辺: 同じことを映画の世界によく感じるんです。アメリカの映画界で成功している日本人は既にたくさんいるんですよね、マットペイントの誰々とか、衣装デザインの誰々とか、日本人の名前はハリウッド映画のロールテロップの中にいっぱい出てくる。それは素晴らしいことだけれど、日本のコンテンツ力とは全く関係ない。たまたま優秀な人が日本生まれだった、ということで。
リン: アメリカという国自体のシステムがそれっぽいんで、そうなるのでしょうね。でもアレにね、自分はなんだか非常に違和感を感じるんですね。本当は、たとえば日本に住みながらも、まるでアメリカにいるような感じでちゃんと影響力が発揮できる、というのは、自分の中では理想なんですよ。
ちなみに講談社太田克史さんは、先ほど言ったそんな嫌な感じが全くしない人で、ちゃんとその国柄による「違い」を残せるようなやり方で付き合ってくれて……意図的なのか本人は天然なのかわからないが。そうしてもちゃんと日本のマーケットに成果を残すことができたのですね。今はアニメ化に乗って、世界のマーケットに向かって残していくのって、まあ、実際どうなるのかわかりませんが、期待感はたっぷりです。そんな彼のためなら、喜んで動くわけですよ私は。
化物語(上) (講談社BOX)

化物語(上) (講談社BOX)

例の成果。最新作はこちら
アニメは7月からということでPVを貼っとく。

D

渡辺: 日本の面白いクリエーターが日本にいながらにして、その個室で熟成したクリエイティビティーをもってハリウッド映画に参加、みたいなことはもう、できるようになってると思いますけどね。そうでなければ、ほとんどの若者はやはり皿洗いから始めなくてはならないわけです。
僕は香港の映画業界は、90年代にそういう成功を見たような気がしたんですよ。かつては香港の優秀な人材はどんどんアメリカに移住していたわけです。それが映画製作にネットが使われるようになってから、香港のスタジオが、香港在住のスタッフを使って、普通にハリウッド映画に参加するようになりましたよね。ハリウッドのスタジオと太い回線で24時間つながって、距離を全くハンディにせずに仕事を進める、そういうシステムが出来ていきました。ただし、1997年までですが。
リン: 返還されてぶっ壊されたのですけどね。もったいないですが。
渡辺: ただ、ぶっ壊された後、中国映画のレベルが急激に上がりましたよね。あの時、何か大きな動きがあったんでしょうか。
リン: そう。香港の人はそのあとは、アメリカへ行くか、香港にいながら中国の仕事をするか、どちらかでした。映画はかなり、90年代からかなりそういうグローバルの展開はしてるんですね、別に国柄で限定するのではなくて、いろんな人がこう、いろんな国から集めてきて、一つの何かを作っていて、また世界に還元していく。理想の形はまだ、たぶん、あとちょっとでできるかもしれませんが、ちょっとまだ、なんか違う部分があるんですね。でも一つの方向性としては、もうすでにそこにあると思いますが。
渡辺: マンガとか小説も、リンさんのような人ががんばったら、出来ませんかね、そういうシステムが。
リン: そういう可能性があり、輪郭さえも見えるような気がするんですけど、いやぁやってみたらなかなかむずかしいんですね、言葉の壁が厚いんで。映像と音楽の方はまだそれをぶっ壊すのが簡単かもしれませんけど、文字のみがね……まあ今はそういうチャレンジをしてるところですね。
渡辺: 日本でも前出の太田さんなど、がんばってる人はいます。踏ん張れば、ハリウッドに負けないようなコンテンツの源泉になりえると思います。システムが出来れば、クリエーターも元気づくんです。今ここでがんばれば、それは世界の人々に読んでもらえるかもしれない、ということが。
リン: 『ジョジョの奇妙な冒険』の中で「スタンド使いは自然に惹き合う」とか、『キャプテン翼』の中で「サッカーを続けていれば、きっとどこかで会える気がするんだ」みたいのはね、それはたぶん、キーワードになると思うんですよ。最終的に国境を取り壊してなんか一緒に作る人は、いずれ出会うと思いますね。いずれというか、もうちょっと早くなるかもしれない、早くなると思いますけど。
ジョジョの奇妙な冒険 32 (ジャンプコミックス)

ジョジョの奇妙な冒険 32 (ジャンプコミックス)

現にこんな感じで、こうやって私は太田さんと出会ったし、渡辺さんと出会ったし、太田さんは韓国でもうひとり面白い人と出会えたようですし。そういう人がどんどん集まってきて、何年後でたぶん何かが変わる、変えられるとは、ちょっと理想な部分も入ってるけど、信じてますよ。
渡辺: まさに僕は「ひらきこもり」って言葉をそこに置きたいです。僕はもともとSF作家で、それもサイエンスフィクションではなく、シムフィクション、つまり近未来をシミュレーションする、いろんな思考実験をするっていうことが立脚点なんです。そこでパソコンとネットで人間はどう変わっていくのを考えていった時に、やはり、個人が直接的に世界とつながっていくこと、そして個人の幸福が世界の幸福に直結する、そういう「地球脳」の状況を想定していたわけです。
そこに至るプロセスとして、例えば国境が破壊されていくとか、情報や貨幣の意味が変わってくるとか、そういう大きなことが起きれば起きるほど、個人の力が重要になってくんだ、と。
つまり、脳の中で脳細胞どうしが神経パルスで交信したり神経節を伸ばしあって相互接続したりするように、個人と個人が、それぞれの特質や志や発信情報によって、自然と引き合い、つながり合う。そういう引力が、「ひらきこもり力」の本質だと思っているわけなんです。


【つづく】


渡辺浩弐×林依俐 
対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
次回「「宅経済」のグローバル化(下)」は
2009年6月22日更新予定です
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第7回:中国の強さとは(下)

渡辺: 僕の同年代の、つまり40代の日本人男性は中間管理職のサラリーマンが多いのですが、そういう人達に中国のコンテンツビジネスはきっと面白くなっていくと言ってもなかなか通じません。「どうせパクリばっかやってるんだろう」とか、「中国産のものなんかは受けねーよ」とか、伝聞情報だけを元にして完全にシャットアウトする人が、確かに、多いかもしれないんですね。
リン: そうですね。その上の世代はまだ理解するのに結構努力してるんですよ。
渡辺: 特に台湾とか日本の国の60代や70代の世代はたぶんね、アメリカの資本主義が入ってくる前のこと、あるいは入ってきてからしばらくの変革期のこととを多少覚えているんですよ。例えば日本の老人世代は、戦争終わったらいきなり何もかも変わった、という記憶が、残っているんです。だから、今のシステムだっていつかパッと一変するかもしれない、そういう覚悟があるわけです。
リン: その下の世代はどうですか。
渡辺: 戦後のどさくさが終わって高度成長が進んでから生まれ育った、つまり今の40才から60才くらいの世代は、豊かさイコール、アメリカなんです。
僕だって子供の頃からもうアメリカ万歳だったんですよ。
ディズニーアニメ大好きで、ハリウッド映画大好きで、アメリカのホームドラマに出てくるファッションや電化製品に憧れました。早く大人になって金髪になって青い目になって、ロサンゼルスの青い空の下、ビーチをローラーブレードで走りたいと思っていました。
リン: マジですか?
渡辺: ええ。僕らの世代には、夢はアメリカに渡って皿洗いをすることです、という若者が本当に多かったんです。僕も20代の初めにアメリカに行ってしまいました。やりましたね、皿洗い。
まあ、僕みたいにスピンアウトしないでちゃんと大学出て一流企業に入った人たちもね、たいていずっとアメリカを見ていたんです。どの会社でも、英語ができればエリートなんだという前提があった。日本の法律より、アメリカのビジネスルールを優先して勉強していました。アメリカに倣え、アメリカの後を追え、アメリカ人のように仕事がしたい、アメリカ企業のような会社にしたいと、大抵のサラリーマンはそう考えて、がんばっていた。
アメリカが提示したサブプライムローンに疑いなく乗っちゃったのも当然なんです。
そういう世代が、今、アメリカのものすごい凋落ぶりを見て、相当にショックを受けていると思います。それも経済の凋落の前に、イラク戦争からのモラルの凋落があるわけです。もしかしてアメリカのやってることを信じて、ついてきたのが間違ってたのないか、俺ら騙されてるのではないか、と。
リン: へー、そうでしょうか。この間日本のニュース番組見てると、まだ気付いてないようですね。
渡辺: そうですか。
リン: オバマの当選の日はちょうどその時日本にいたんですね。で、ニュース見てて、みんながすごい喜んでる感じがするんですけどね。日本のマスコミも含めて、みんな期待してて。
でも彼の政策の中で、「Buy America」、「アメリカのものを買え」というのね、アレは日本にとって非常に不利な政策なんですよ。それを含めて「オバマ、応援しています」を言ってる日本人は何考えてんだと思ってしまうのです。まあそういう人は日本人だけじゃなくて、台湾にもいるんですけど。
例えばインテルが最近、70億ドルをかけてアメリカ本土で工場を作るから、7000人かの就労チャンスが増えるというわけですね。それが台湾に伝わってきて、ニュース番組に伝われてきた時に「朗報です」と言ってるんですね。それは朗報じゃなくてさ、インテルアメリカで工場作るということは、そのぶん台湾に発注しなくなるという意味なんですよ。それを全く気付かなくて、アメリカで就労チャンスがいっぱい増えてよかったんじゃないですか!と。こっちから見るとあなたはアメリカ人ですか!と思えるわけです。
そういうことは世界中の至るところにたぶんあって、ほら、YouTubeに上がっていた外山恒一さんのアジテーション、「世界はアメリカだ」とか「なぜ僕はアメリカの大統領投票に参加できないんだ」とか「僕はアメリカ人なのに」と言ってるのは、狂言に見えるんですけど、あながち間違ってないかもしれないのですね。だけど、金融崩壊からもうすぐ半年、そろそろ目覚めてほしいという感じですね。11月の混沌、クリスマスのリストラ、新年のリストラ、旧正月のリストラ、で、そろそろ冷めるのでしょう。じゃ冷めてから、どうするというのは、考えないといけないのですね。

ニコ動の方のコメントも面白いですが、
YouTube版の下も世界からいろんな反響が寄せられていて、
英語を読むに苦痛にならない方におすすめです。

そういえば渡辺さんの場合は、どうだったんでしょう。アメリカ人には結局、ならないことにしたんですか。
渡辺: そうそう、皿洗いの顛末なんですが、僕の場合は実のところはアメリカの土を踏んですぐ、幻滅していたんです。まず、ロサンゼルスに青い空なんかなかったですね、もう。スモッグで毎日どんよりと濁ってました。ビーチも、どこも悪臭で。それでも気を取り直して部屋を借りて運転免許も取って、仕事もなんとか見つけたんですね。けれど、1年くらいで挫折したんです。やっぱりアメリカ人にはなれないや、と。プライベートな時間まではアメリカ人と一緒にいるのはきついわけです。体でかいし、声でかいし。むちゃくちゃ食うし、むちゃくちゃ残すし(笑)。
リン: 浪費してるね。
渡辺: やっぱりDNA的なものかなあなんてことまで考えてしまいました。ここで中国の話に戻るんですが、天安門事件から餃子事件まで、僕はあの国の制度的な問題に根ざしていると考えてしまっているので、かなり身構えていたんですね。ところが実際に行ってみて、いろいろな立場の若い中国人達と話してみると、なんというか、楽なんです。馴染めるわけですよ。若いクリエーターに限っていうと、皆礼儀正しいし洗練されている。延々と話していても、ちっとも疲れない。ホテルの部屋に入ってこられても嫌な感じがしない。一緒に暮らしても別に構わないと思えるくらいの親近感が、すぐに持てるんです。
アメリカ人の場合、どんなに親しくなっても、一緒の部屋に泊まるだけでもきつかった。相手が筋肉質の男だったら念のためきつきつのジーパン履いて寝てました(笑)。
ネットの情報から「中国人と付き合うのは大変そうだ」とか「中国に行くのは恐い」とか思い込んでいる人が多いみたいだけど、国民どうしとしてではなく人間どうしとしてなら、もしかしたらアメリカやヨーロッパの人よりも簡単にうちとけあえるんじゃないかと思えるんですね。
リン: アジア人だから、でしょうか。
渡辺: ただね、実際はきっと、アメリカにもフランスにも、そういうふうに気の合う、話が合うタイプの人はいるはずなんでしょうね。たまたま今回はリンさんや太田さんと一緒に回ったから、類が友を呼んだということかもね。
リン: これは話はかなりずれますけど、『ひらきこもり』が主張してるもの、私も正しいと思うが、国境の感覚が違うんですね。本の中にも言及した、アメリカ人日本人中国人よりは、ゲームボーイ人やPS人とか任天堂人とか、そんな感じでわけるのが正しいのじゃないかと私も思うんですね。
渡辺: 20世紀まで、国境をどこに引くか、ということが大問題だったわけです。
戦争というものは国境を挟んでこちら側とあちら側に別れて行われるものだった。そしてこちら側にいる人が同国人であり、仲間だったわけです。この線からこっち側に住んでるから日本人、日本人としてこう生きる、と。けどね、今はそういうアイデンティティーってもう成立しないでしょ。同じ島に住んでいたり同じ肌の色だったり、ってことより、個人個人の趣味や志向性、つまり同じゲームが好きだとか同じマンガのファンだというようなことの方がリアリティーがある。そして仲間意識があれば場所関係なくすぐに連絡を取りあえちゃう。


【つづく】


渡辺浩弐×林依俐 
対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
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