〝党存亡の危機〟を訴えた第2回中央委員会総会、全支部が立ち上がれば目標実現が可能との「仮定の方針」を実現できるか、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その21)、岸田内閣と野党共闘(86)

 4月6、7両日にわたって開かれた共産党の第2回中央委員会総会(2中総)が終わり、「党づくりの後退から前進への歴史的転換を――全党の支部・グループのみなさんへの手紙」が公表された(赤旗4月8日)。今回の2中総の際立った特徴は、これまでのような長文の決定文書の作成を避け、「手紙」という形で〝党勢回復一本〟に絞った内容になったことだ。これは、長文の決定文書が党員から忌避され、読了する党員が3~4割にしか達しないという事態をもはや無視できなくなったからであろう。何しろ全党の英知を結集して作り上げ、歴史的成功をおさめたと自画自賛する第29回党大会決定の読了率が27.8%というのだから(志位議長の開会のあいさつ、赤旗4月7日)、実態は推して知るべしなのである。

 

 「手紙」の趣旨は以下の3点に集約される。

 (1)この2年間は、わが党にとって歴史的な分かれ道となる2年間です。党大会決定は、次期党大会までに、すなわち2年間で、①第28回党大会時現勢――27万人の党員、100万人の「しんぶん赤旗」を必ず回復・突破すること、②青年・学生、労働者、30代~50代での党勢倍化、1万人の青年・学生党員と数万の民青の建設を図ることを決めました。2年間でこの目標を実現できるかどうか。ここに文字通り、わが党の命運がかかっています。

 (2)この2年間、党づくりが進まなかったらどうなるか。わが党の任務が果たせなくなる事態に直面することは、みなさんが痛いほど感じておられることだと思います。「党の旗を地域で示せなくなっている」「選挙をたたかう自力があまりに足りない」「しんぶん赤旗が配れなくなった」――全国のみなさんが直面している困難に、私たちが胸を痛めない日はありません。しかし、困難に負けて、党づくりをあきらめてしまったら、未来はなくなり、国民への責任を果たせなくなってしまいます。試練に耐えて党の灯を守り続けていること自体が大きな値打ちのあることです。そこに自信と誇りを持ち、困難は党づくりで突破するという立場にたち、みんなで築いてきた草の根の党の旗を未来へ引き継いでいこうではありませんか。

 (3)党大会で掲げた2年間の目標は、決して無理な目標ではありません。すべての支部が毎月毎月、党員と読者の拡大に足を踏み出し、一つの支部に平均すれば、第29回党大会現勢から2年間で2人の党員、2人の日刊紙読者、8人の日曜版読者を増やすという目標です。全国のすべての支部と党員が立ち上がるならば、必ずやり遂げることができます。

 

 ここでは「崖っぷち」まで追い詰められている党の実情が垣間見える。日刊紙の党活動欄は先進事例中心の編集になっていて、全国至るところで毎日拡大運動が勢い良く展開されているかのような印象を受けるが、実態は全国の支部が「党の旗を地域で示せなくなっている」「選挙をたたかう自力があまりに足りない」「しんぶん赤旗が配れなくなった」といった困難に直面している――というのである。だが、問題はその先にあるのではないか。試練に耐えて党の灯を守り続けていることに自信と誇りをもち、「困難は党づくりで突破する」という立場にたてば未来は開けるというが、果たしてそうだろうかということだ。

 

 この文面には恐ろしいほどの論理矛盾がある。党づくりの後退が〝原因〟であり、党活動の困難が〝結果〟なのに、原因を究明しないで「困難は党づくりで突破する」というのだから、およそ方針らしい方針になっていない。これでは党づくりは〝根性〟でやるしかなくなり、旧日本陸軍と同じく「バンザイ突撃」(進退窮まった部隊が最後の戦術として行う自殺的な攻撃)になってしまう。戦況を分析せず、作戦を吟味しないで、とにかく「突撃命令」を出せばよいといった司令官をいただく軍隊の運命がいったいどうなったかは、ちょっとでも『失敗の本質、日本軍の組織論的研究』(中公文庫、1991年)を読めばわかることだ。

 

 それに加えて、各支部が平均して2年間で2人の党員、2人の日刊紙読者、8人の日曜版読者を増やすという目標が決して無理な目標ではなく、全国のすべての支部と党員が立ち上がるならば、必ずやり遂げることができるという方針の提起も常軌を逸している。この方針は、いわば「たられば」(事実と無関係な仮定の話)の見本みたいなもので、田村氏自身が報告した「入党の働きかけを行っている支部は毎月2割弱、読者を増やしている支部は毎月3割前後」という〝事実〟とはまったく無関係な〝仮定〟の話なのである。事実に基づいてどうすれば多くの支部を立ち上がらせることができるかという問題の提起ではなく、「全国すべての支部と党員が立ち上がれば」との仮定を設定して「必ずやり遂げることができる」というのだから、すべては「架空の話」なのである。

 

 それでも田村委員長は力説する(2中総結語、赤旗4月9日)。今後の政治日程を考えた時、今年前半は思い切って党づくりに力を集中し、7月末を一つの節目にして2年後の目標達成にふさわしい毎月毎月の目標水準――全国的に毎月2万人に働きかけて2千人の入党者を迎える、日刊紙では毎月1200人、日曜版では6千人以上の増勢をかちとるというものだ。この提案は全員一致で採択されたというが、目下毎月400人台の入党者を2千人に引き上げることは容易でないし、減紙が続いている機関紙読者を一気に増勢に転じることも容易でない。この方針がどれだけリアリティを以て受け止められるかはいずれ明らかになるだろうが、その時は〝党の存亡〟を懸けた判断が求められる時だろう。(つづく)

赤旗が人民的ジャーナリズムの〝中核的役割〟を担う存在から、党中央と地方党機関を維持するための〝財源〟に変質しようとしている、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その20)、岸田内閣と野党共闘(85)

 党勢拡大運動の絶頂期にあった1970年代後半から80年代前半にかけて、共産党の機関紙「赤旗」は、人民的ジャーナリズムの〝中核〟を担う存在として位置付けられていた。そこには「機関紙中心の党活動の全面的な定着を」をスローガンに大衆的前衛党としてその影響力を国民生活のあらゆる分野に広げ、「『百万の党』は80年代の現実的目標」との展望が語られていた。

 ――党と大衆を切り離そうとする反共攻撃が激しければ激しいほど、党と大衆を結ぶ生きた絆である機関紙「赤旗」の読者拡大活動はいっそう重要になってくる。とくに日本は、発達した資本主義諸国のなかでもマスコミがとりわけ高度に発達した国の一つであるだけに、「赤旗」は国の進路を正しく見定め、政治、経済の仕組みをわかりやすく解明し、日本共産党とともにたたかう思想と生き方をひろめ、党と大衆を結んでいく、もっとも強力な宣伝と組織の武器である。「赤旗」はまた、党中央と全党員を結ぶ血管であり、党の路線にもとづいて党活動全体を統一的に結びつける動脈である。機関紙中心の活動でわが党がたえず前進をかちとり、真の革新の陣地を拡大することは、選挙戦や大衆運動を含めて党活動の発展のための不可欠の条件となっている(第14回党大会決議、読者拡大と機関紙活動、1977年10月)。

 ――資本主義国のなかでもマスコミの高度な発達を特徴とするわが国で、人民的ジャーナリズムの中核となっている「赤旗」の果たす役割は、80年代の内外の情勢の進行とともにますます大きい。機関紙読者の拡大を成功させ、この人民的ジャーナリズムの陣地を、基本的に独占資本・支配勢力の統括下にある巨大なマスコミに対抗しうるだけの規模に発展させることが重要である(第15回党大会決議、党勢拡大の規模と速さは国政革新の展望を左右する、1980年2月)。

 

機関紙「赤旗」はこのように、党と大衆を結ぶ絆であり、党の思想を広げるもっとも強力な宣伝・組織の武器であり、党中央と全党員を結ぶ血管であり、党の路線にもとづいて党活動全体を統一的に結びつける動脈である――と、国政変革(民主主義革命)を実現するための戦略的役割を与えられていた。不破書記局長は、「第14回大会決定は『百万の党』の建設を展望しつつ、当面『五十万の党、四百万の読者』の実現という課題を提起しました」「80年代には、わが党が戦後、党の再建以来目標としてきた『百万の党』の建設を必ずやりとげなければなりません」「『百万の党』とは決して手の届かない遠い目標ではありません。日本の人口は1億1千万、『百万の党』といえば人口比で1%弱の党員であります。私たちは、大都市はもちろん遅れたといわれる農村でも少なくとも人口の1%を超える党組織をもち、こうして全国に『百万の党』をつくりあげることは必ずできる目標だということに深い確信をもつわけであります」と高らかに宣言していたのである(第15回党大会、不破書記局長結語、1980年2月)。

 

 それから半世紀近くを経た21世紀前半の現在、党勢は「長期にわたる党勢後退」によって〝どん底〟ともいうべき深刻な状態に陥り、党員と赤旗読者は崖から転げるような勢いで減少の一途をたどっている。その実情を訴えたのが、機関紙活動局長と財務・業務委員会責任者連名の訴え(赤旗3月19日)だった。これまで党財政の窮状を伝えるメッセージは財務・業務委員会責任者から出されていたが、しかし今回の機関紙活動局長との連名の訴えは、それがいよいよ機関紙発行の危機にまで及んできたことを示している。「現状のままでは赤旗は日刊紙、日曜版とも今月大幅後退の危険、発行の維持さえ危ぶまれる事態に直面する」「日刊紙の赤字は拡大、日曜版の黒字は減少、日曜版は日刊紙の発行を支え、中央機構を支える最大の力」「日刊紙、日曜版の大きな後退を許せば、中央機構の維持も地方党機関の財政もさらに困難を増す」「しんぶん赤旗の発行はどんなことがあっても守らなければならない」――との悲痛な訴えがそれである。

 

 志位委員長が、90年代に党員拡大数が極端に落ち込み、新入党者の「空白の期間」がつくられた背景を「党員拡大と機関紙拡大が党勢拡大の二つの根幹」とした方針が党員拡大を後景に追いやることになった――といった(理由にならない)理由で説明したのはつい最近のことである。そして「『二つの根幹』は正確でなかった」との反省を明確にし、「党建設・党勢拡大の根幹は、党員拡大である。根幹とは、党のあらゆる活動――国民の要求にこたえる活動、政策宣伝活動、選挙活動、議会活動、機関紙活動などを担う根本の力が、党に自覚的に結集した党員であるということである」と定式化された(第29回党大会、志位委員長開会のあいさつ、赤旗2024年1月16日)。

 

 ここで注目されるのは、機関紙活動が党活動の「根幹」から外され、党活動の「その他」に格下げされたことだ。党勢拡大絶頂期には「機関紙中心の党活動の全面的な定着を」が党活動のメインスローガンであり、党員拡大と機関紙読者拡大は相互補完関係にあって相乗効果(正のスパイラル)を挙げていた。それがなぜ「二者択一」になり、党員拡大が「根幹」になったのだろうか。一言で言えば、それほど党組織が存続の危機に直面しており、党活動のすべてを党員拡大に集中しなければ党組織を維持できないほどの深刻な事態に直面しているからであろう。志位議長が最近ことある度に「開拓と苦悩の百年」を強調し、迫害と弾圧によって若くして命を落とした戦前の共産党員(女性)の話を持ち出すのは、このことを意識してのことであり、党組織に奮起を促すためだ(戦前の共産党員、田中サガヨさんについて、赤旗3月31日)。

 

 ところが、党勢拡大とともに急成長してきた党中央機構と地方党機関をこのまま維持することは容易でない。党財政は一定の縮減が図られてきたものの、その規模を党勢に応じた状態に縮減することは極めて困難な作業であり、いったん膨れ上がった組織と財政の規模を縮小することは、「人」の問題が絡む以上そう簡単なことではないからだ。だから、志位議長がいくら「根幹」の党員拡大を叫んでも、財務担当者や機関紙担当者はそれだけに集中するわけにはいかない。機関紙活動がストップすれば、党財政が直ちに崩壊することが分かり切っているからであり、志位議長が党員拡大を言っている傍から、「しんぶん赤旗の発行はどんなことがあっても守らなければならない」と訴えるのは、そのためである。

 

 今回の機関紙活動局長と財務・業務委員会責任者連名の訴えの最大の特徴は、機関紙読者拡大の目的が、これまでのように国政革新を推進するため人民的ジャーナリズムを発展させるといった「大義名分」には言及せず、党中央と地方党機関を支えるための「財源確保」にあることを(なりふり構わず)打ち出した点にある。このことは機関紙担当者や財務担当者の立場からすれば当然のことであり、職務を果たす上で必要な行為であることは間違いない。都道府県委員長をはじめ党機関専従者の側からすれば、自分たちの仕事を支える財政基盤の確立が死活問題である以上、訴えに賛同するのは当然のことだと言えるが、問題は一般党員や支持者がそれをどう受け止めるかということだ。

 

 党員拡大と機関紙読者拡大が「正のスパイラル」を描いていた頃は、赤旗の普及と拡大は国政変革のためという「大義」に裏打ちされていて大きな勢いがあった。しかし、党員が高齢化して党員拡大と機関紙読者拡大が「負のスパイラル」に陥っている現在、党中央と地方党機関を支えるために赤旗を広げるということがどれだけの説得力を持ち、またどれだけの党員のモチベーションになり得るだろうか。それを実現するには党機関への忠誠心と献身性がなければ不可能であるが、それがすでに崩れていることは、田村副委員長の第29回党大会中央委員会報告においても明らかにされているからである(赤旗1月17日)。

 

 田村副委員長は、党建設・党勢拡大が一部の支部と党員によって担われているという深刻な実態について、(1)入党の働きかけを行っている支部は毎月2割弱、読者を増やしている支部は毎月3割前後にとどまる、(2)大会決定・中央委員会総会報告の決定を読了する党員が3~4割、党費の納入が6割台、日刊紙を購読する党員が6割という実態を明らかにした。これまで党生活の原則とされてきた党費納入と日刊紙購読が6割台に落ち込み、党勢拡大の支部活動が3割程度しか実行されていないという現実は、党活動が相当部分で機能停止の状態に陥っていることを示している。だが不思議なことに、田村副委員長はこの問題を素通りして、「志位委員長のあいさつでは、客観的条件という点でも、主体的条件という点でも、いま私たちが『党勢を長期の後退から前進に転じる歴史的チャンスの時期を迎えている』ことが全面的に明らかにされました」と述べるにとどまり、それ以上のことは何一つ語っていない。

 

 それでは、志位委員長が開会のあいさつで全面的に明らかにしたとされる「党勢を長期の後退から前進に転じる歴史的チャンスの時期」とはいったいいかなるものなのか。志位氏が挙げる客観的条件とは、(1)自民党政治の行き詰まりが内政・外交ともに極限に達しており、多くの国民が自民党に代わる新しい政治を求めており、それにこたえられるのは日本共産党である、(2)貧富の格差の地球的規模での拡大、機構危機の深刻化などのもとで、「資本主義というシステムをこのまま続けていいのか」という問いかけが起こり、社会主義に対する新たな期待と注目が生まれている。日本はいま新しい政治を生み出す〝夜明け前〟とも言える歴史的時期を迎えている、というもの。主体的条件とは、(1)日本共産党は世界にもまれな理論的・路線的発展をかちとってきた。その上に立って「人間の自由」という角度から未来社会論――社会主義・共産主義論をさらに発展させてきた、(2)党建設でも党員拡大の「空白の期間」を克服するため、世代的継承を緊急かつ切実な大問題・戦略的事業として位置づけ、全党を挙げて新たな取り組みを進めてきたと、いうものである。

 

 しかしこの文章を読んでみて、長期にわたる党勢後退を前進に転じる〝歴史的チャンス〟が到来したなどと思う人はおそらく誰一人いないだろう。志位氏のいう客観的条件とは、いずれも現代の時代潮流の一端を述べただけのことであり、主体的条件に関しては党勢拡大方針を羅列しただけのことであって、そこには〝歴史的チャンス〟と言えるエビデンス(根拠)は何一つ示されていない。たとえば「自民党政治に代わる新しい政治に応えるのは日本共産党」ということ一つをとってみても、それは単に志位氏の願望を述べただけの「夢物語」であって、現在の共産党支持率のレベルや野党共闘の有様から見れば、まったくリアリティのない言葉の羅列にすぎない。

 

 状況は「厳しい」の一言に尽きる。機関紙活動局長と財務・業務委員会責任者連名の悲痛な訴えにもかかわらず、3月の拡大実績はプラスに転じることはできなかった(赤旗4月2日)。第29回党大会以降の3カ月の実績は以下の通りである。

〇1月、入党447人、日刊紙1605人減、日曜版5380人減、電子版94人増

〇2月、入党421人、日刊紙1486人減、日曜版5029人減、電子版74人増

〇3月、入党488人、日刊紙947人減、日曜版6388人減、電子版28人増

 

 党員数の増減は、入党だけでなく死亡と離党の数字が明らかにならないとわからない。死亡数を赤旗党員訃報欄に掲載された547人から推計(過去4年間の掲載率38%)すると1439人(547人×100/38)になり、この間の入党1356人を83人上回ることになる。人口学の用語で言えば、出生と死亡の差を「自然増(減)」、転入と転出の差を「社会増(減)」というが、共産党の場合はすでに恒常的な「自然減」状態にあり、これに離党という「社会減」を加えると、党勢(人口動態)は大きく減少方向に傾いていることがわかる。つまり、第29回党大会以降の3カ月は、党員、日刊紙、日曜版ともに増加に転じることができず、「長期にわたる党勢後退」が依然として続いているのである。

 

 2022年の「党創立百周年」を迎えてのキャンペーンが、志位委員長肝いりの『共産党の百年』の刊行(2023年7月)を機に大々的に行われ、また遅れていた第29回党大会(2024年1月)も開催された。だが、その後の3カ月は大会目標を早くも裏切るものとなり、大会決議自体の正統性が大きく揺らいでいる。共産党が向き合うべきは、『百年史』の作成もさることながら、実は「長期にわたる党勢後退」すなわち「共産党の2024年問題」の解明こそが本命ではなかったか。また『百年史』を作成するのであれば、「長期にわたる党勢後退」の解明を軸にして組み立てなければならなかった。「共産党の2024年問題」を素通りして百年の歴史を誇ることは、「砂上の楼閣」を誇ることと余り変わらない。

 

 物流業界の2024年問題は、日本が直面している少子高齢化による労働人口減少が、物流業界の構造問題(低賃金、長時間労働、健康障害など)と相まって「ドライバー不足」という形で一挙に顕在化した社会課題である。物流業界はこれらの問題を以前から熟知しながら、労働者(ドライバー)に長時間労働を強いることで売上を拡大してきた。これに加えてバブル崩壊後は、立場の強い荷主による運賃の買いたたきや過剰な付帯サービス要求(ドライバーによる荷役など)が横行し、ドライバーの長時間労働はそのままに収入だけが下がっていった。そして、このまま「ドライバー不足」を放置すれば、遠からず日本の輸送能力が崩壊するというところまできて、やっと腰を上げたのである。

 

 この構図は共産党にもそのまま当てはまる。共産党は早くから「長期にわたる党勢後退」問題の発生に気付いていたが、党員と党組織に「過大な拡大要求」を強いることで解決できると(安易に)考えていた。党中央が絶対的な権限を持つ「民主集中制」の党原則の下で、「数の拡大」を至上目的とする党勢拡大方針が党員を疲弊させ、党組織が高齢化の一途をたどってきたにもかかわらず、それを真正面から取り上げようとしなかった。それが人口減少時代の少子高齢化と相まって恒常的な「党員減少問題」となってあらわれても、これまでの方針を見直そうとしなかった。そしてこの状態を放置すれば、遠からず党組織が崩壊するというところまで来ているにもかかわらず、まだ腰を上げようとしていない(物流業界にも劣る)。

 

 4月6日に第2回中央委員会総会(2中総)が開かれるという。ここでこの3カ月の拡大実績がどのように総括されるかが注目される。第28回党大会の130%目標(党員35万人、赤旗読者130万人)を5年間で達成することをあくまでも追及するのか、それとも思い切った方針転換を示すのか、共産党はいま存亡の岐路に立っている。(つづく)

赤旗(日刊紙)を読まない党員が4割を超える現実をどうみるか(追伸5)、党員拡大と赤旗読者拡大が「負のスパイラル」に陥っている、機関紙活動局長、財務・業務委員会責任者連名による赤旗発行の危機訴えについて

 「追伸」をもう止めようと思いながら、今回もまた書くことになってしまった。読者諸氏からのコメントが(内容は一々紹介しないが)相次ぎ、そこでの問題意識に応えることが拙ブログに課せられた役割の一つと思ったからだ。コメントの多くは、機関紙活動局長と財務・業務委員会責任者連名の赤旗日刊紙・日曜版の発行危機(赤旗3月19日)に集中している。「3月大幅後退の危険。日刊・日曜版の発行守るため大奮闘を心から訴えます」との見出しが、党活動欄のトップに掲げられていたからだろう。文面には「長期にわたる党勢後退」がいよいよ〝赤旗発行の危機〟に及んできたことが悲痛な声で訴えられている(抜粋)。

 ――3月後半に入り全党の奮闘は広がっていますが、率直にいって現状のままでは「しんぶん赤旗」は日刊紙、日曜版とも今月、大幅後退の危険にあり、発行の維持さえ危ぶまれる事態に直面しています。3月は転勤、転居、異動などで通常よりも多くの減紙が出る月です。昨年3月は日刊紙、日曜版とも大後退でした。大会後の後退から前進に転じる新たな出発の月とすべきこの3月、3カ月の連続後退は絶対に許されません。根幹である党員拡大で必ず前進させるとともに、都道府県・地区委員会が日刊紙、日曜版読者拡大の独自追及を思い切って進め、拡大のための手だてをとりつくし、必ず前進をかちとりましょう。

 ――日刊紙、日曜版の発行維持は絶対的課題です。昨年の新聞用紙急騰には日刊紙、日曜版の減ページで対応することへのご理解をお願いしました。しかし、その後の発行経費の値上がり、大会後の後退によって、日刊紙、日曜版の発行の危機が現実のものとなりつつあるのが率直な現状です。日刊紙の赤字は拡大し、日曜版の黒字は減少しています。日曜版は日刊紙の発行を支え、中央機構を支える最大の力です。日刊紙、日曜版の大きな後退を許せば、中央機構の維持も地方党機関の財政もさらに困難をまします。「しんぶん赤旗」の発行はどんなことがあっても守らなければなりません。この3月、日刊紙、日曜版の前進をなんとしてもかちとるために、全党のみなさんの奮闘を心から訴えます。

 

 党の財務状況について、ホームページに掲載されている「政治資金収支報告」(1995~2022年)に基づき、1995年と2022年を比較してみよう。第20回党大会(1994年7月)が開かれときの党員36万人、赤旗読者250万人を1995年の党勢とした。2022年は第28回党大会(2000年1月、党員27万人、赤旗読者100万人)と第29回党大会(2024年1月、党員25万人、赤旗読者85万人)の中間年なので、党員26万人、赤旗読者90万人を党勢とした。1995年と2022年の党勢を比較すると、この四半世紀余りの間に党員が3割、赤旗読者が6割減少している。それが財務状況にどのような変化を与えているかを検討してみたいのである。

 

 (1)中央委員会の収入総額は、311億447万円から190億9543万円へ120億904万円減(▲38.6%)、支出総額は306億4150万円から194億2345万円へ112億1805万円減(▲36.6%)となり、収支差引は4億6297万円の黒字から3億2802万円の赤字になった。党中央の財政規模は、四半世紀余りの間に6割に縮小し、収支差引は「赤字」に転落した。

(2)収入・支出総額の太宗を占める機関紙誌事業費は、収入が277億9563万円(収入総額の89.4%)から166億5329万円(同87.2%)へ111億4234万円減(▲40.0%)、支出が222億6469万円(支出総額の72.7%)から122億8259万円(同63.2%)へ99億8210万円減(▲44.8%)となり、収支差引は55億3094万円から43億6070万円(▲21.2%)に縮小した。2023年政治資金収支報告(2024年11月予定)が出てこないとわからないが、2023年以降の機関誌紙収入が急減しているとの度重なる訴えからも、党の経常経費を支えてきた財源が急速に縮小していることは間違いない。

(3)中央委員会の経常経費は45億1145万円(支出総額の14.7%)から33億8067万円(同17.4%)へ11億8800万円減(▲26.3%)、地方党機関交付金は38億6536万円(支出総額の12.6%)から37億6019万円(同19.4%)へ1億517万円減(▲2.7%)となった。ここからは、党中央の支出を抑えて地方党機関への支出を維持している状況が読み取れる。

(4)党勢と財務状況の関係を見ると、この間、党員拡大と赤旗読者拡大がすでに構造的な「負のスパイラル=悪循環」に陥っていることがわかる。「数の拡大」を至上目的とする拡大運動が追及されてきた結果、党組織が疲弊して離党者が増え、党員の減少が拡大運動を減速させるという悪循環が構造化している。しかも残り少なくなった党員の4割以上(11万人)が日刊紙を購読していないというのだから、このままでは今後党員が増えても日刊紙は増えないことになる。この四半世紀余りで赤旗読者が250万人から90万人へ6割減少したことが、機関誌紙収入が4割減少した最大の原因になっていることは明らかだろう。今後は、これまでにも増して「負のスパイラル」が拡大していくことが懸念される。

 

 共産党の党勢は、これまで「正のスパイラル=好循環」の軌跡を描いてきた。1960年代から70年代にかけて、党員は60年代初頭9万人、70年代初頭28万人、80年代初頭48万人と急増した。赤旗読者も60年代初頭10万人、70年代初頭180万人、80年代初頭355万人と飛躍的な増加を記録している。高度経済成長の波に乗った労働運動と革新自治体運動の広がりが党勢拡大の源泉となり、60年代前半から70年代後半まで毎年100万人を超える人口増加が続いた日本の「人口ボーナス期」がこれを支えてきた。いわば〝成長型モデル〟の党勢拡大運動が、20年間にわたって大成功を収めてきたのである。

 

 しかし、80年代から90年代にかけて経済成長が失速して経済不況が広がり、労働運動や革新自治体運動も後退し、さらに東欧・ソ連の崩壊や中国の天安門事件などによって社会主義体制への期待が消滅すると、党勢拡大運動は一転して逆風に曝されるようになった。また、この頃から日本人口の構造的な「少子高齢化」が始まり、21世紀に入ってからは本格的な「人口減少時代=人口オーナス(重荷)期」が訪れるようになった。赤旗読者も80年代は300万人台を維持したものの、90年代に入ると300万人を割り、2000年代には200万人割れ、2010年代には150万人割れ、2020年代には100万人割れと雪崩のように後退が止まらなくなった。このような情勢につれて党活動から離れる「実態のない党員=未結集党員」問題が党全体を覆うようになり、第20回党大会(1994年7月)と第26回党大会(2014年1月)では各々12万人、計24万人が「離党者」として整理された。党が「長期にわたる党勢後退」の局面に入ってからは従来の拡大運動では対処しきれなくなり、「数の拡大」にとらわれない〝持続可能型モデル〟の党勢発展が求められるようになってきたのである。

 

 ところが不思議なことに『百年史』や第29回党大会決議では、党員拡大と機関紙読者拡大を「党勢拡大の二つの根幹」として党勢拡大を推進してきたことが、あたかも誤りであるかのような記述がされている。60年代から70年代にかけて党員拡大と機関紙読者拡大の相乗効果をもたらした「正のスパイラル」がなぜ90年代に入って機能不全に陥ったのか、なぜ党員拡大がストップしたのか、その本当の理由すなわち大量の離党者の発生原因が書かれていないからである。

 ――80年代から90年代にかけての時期は、国内での反動攻勢、東欧・ソ連の崩壊という世界的激動のもとで、反共の逆風が吹くという客観的条件が党勢拡大に重大な困難をもたらし、「赤旗」読者数も80年代をピークに漸減傾向をたどりました。またこの時期には、党勢拡大と機関紙読者拡大を「党勢拡大の二つの根幹」と位置づけることによって、党員拡大を事実上後景におしやる弱点も生まれました(『百年史』215ページ)。

 ――過去の一時期、党員拡大が事実上後景においやられたことが重大な一因となり、90年代に党員拡大数が極端に落ち込み、新入党者の「空白の時期」がつくられたことは、党建設に大きな傷痕を残している。それは現在の党歴構成で党歴30年から39年の党員が大きく落ち込み、年齢構成でも50代以下の世代が大きく落ち込んでいることにあらわれている。(略)いついかなるときでも党員拡大を揺るがず党勢拡大の根幹にすえ、自覚的なとりくみを継続的に発展させることを、今後の党建設の最大の教訓にしなければならない(第29回党大会決議、②党建設の歴史的教訓と大局的展望)。

 

 党員拡大と機関紙読者拡大を「党勢拡大の二つの根幹」に位置づけて拡大運動を推進してきたことが党員拡大を事実上後景におしやることになった――といった意味不明の記述は、90年代に起こった事態の本質を正しく伝えていない(歪曲している)。ことの真相は「数の拡大」を至上目的とする党勢拡大運動が「実態のない党員」を大量に生み出し、上意下達の官僚的組織運営とも相まって党活動の著しい停滞をもたらした結果、「離党」という形で党員の大量整理が行われたことが最大の原因だったのである。党中央が「実態のない党員」問題を生み出した原因を解明せず、「民主集中制」に基づく組織原則や組織運営を改めず、この離党処分を「前衛党らしい党の質的水準を高める上で重要な前進」(当時の志位書記局長発言)と正当化したことが党内の反発を呼び、その後の党員拡大が事実上ストップしたのである。

 

 しかし、「いついかなるときでも党員拡大を揺るがず党勢拡大の根幹にすえ、自覚的なとりくみを継続的に発展させることを、今後の党建設の最大の教訓にしなければならない」という第29回党大会決議は、今度は赤旗読者拡大のエネルギーを弱めることになり、機関紙発行が危ぶまれる危機的状況を招いている。党員拡大を党勢拡大の根幹にすえ、とりわけ若い世代の入党を重視する方針は、党組織の超高齢化による存続危機を反映したものであろうが、もはや「成長型モデル」が成立しなくなった人口減少時代においては、「数の拡大」に固執する党勢拡大方針は、結果として党員と赤旗読者をともに失うことになりかねない。

 

 4月初めには、3月の党勢拡大運動の成果が赤旗に公表されるだろう。すでに1月と2月は党員・赤旗読者ともにマイナスとなっており、3月も同様の結果になれば前途は危うい。2年後の「党員27万人、赤旗読者100万人」回復、5年後の「党員35万人、赤旗読者130万人」達成――の目標は極めて厳しくなるからである。臨時党大会でも開いて志位議長が辞任し、〝解党的出直し〟を図る以外に党再生の選択肢はないと思うがどうだろうか。(つづく)

赤旗(日刊紙)を読まない党員が4割を超える現実をどうみるか(追伸4)、「開拓と苦悩の百年」を強調するだけでは国民の共感を広げられない、全国都道府県学習・教育部長会議での志位発言を読んで

 これまで拙ブログに対しては心ない批判(罵詈雑言)が幾度となく浴びせられてきたが、最近になって前向きのコメントが少しずつ増えるようになった。今回の「追伸シリーズ」についてもかなりの反応があり、その中で特に多かったのは志位発言の内容に関する分析や論評についてである。このことは、赤旗が〝党中央決定〟として日々伝えている志位発言に対して多くの読者が疑問を抱いており、必ずしも納得していないことを示している。また、4割を超える党員が日刊紙を読んでいない事実もそのことの反映だと言える。

 

 今回の小論は、志位氏がことあるごとに持ち出す戦前戦中の党活動の話に違和感を覚える――というコメントに関するものだ。最近では、全国都道府県学習・教育部長会議での志位議長発言(赤旗3月16日)がその一例とされる。志位氏は、学習・教育活動の意義を「三つの合言葉」にまとめ、冒頭で次のように提唱した。

 一つ目は、「どんな困難にも負けない党になろう」です。日本共産党の歴史には順風満帆な時期はひと時もない。つねに迫害や攻撃に抗しながら自らを鍛え、成長させ、新たな時代を開く――私たちはこれを『階級闘争の弁証法』=『政治対決の弁証法』と呼んでいますが、そうした開拓と苦悩の100年でした。戦前・戦後の党のリーダーだった宮本顕治さんが1975年の論考「知を力にして」において、小林多喜二ら戦前の党員が厳しい弾圧に屈せず、苦難の道を昂然と選ぶことができたのは、「資本主義社会から社会主義社会への必然的な変革の理論的展望を法則的に示す科学的社会主義の理論への確信、侵略戦争と天皇制の専制支配に反対して民主的日本への道を開く党の歴史的使命を、自己の血肉にしていたからです」と述べた一節は今も胸を打つものです。戦前の党員の伊藤千代子さんが獄中でも『資本論』を離さず、情熱的に学び続けていたことも、時代は異なりますが、理論的確信によって困難に負けない党をつくることは、いま特別に強調されなければなりません。

 

 一連の志位発言の台本になっているのは、2023年7月25日の記者会見「『日本共産党の百年』の発表にあたって」である(赤旗7月26日)。志位委員長は記者会見で、百年史は「党創立百年の地点で、わが党が到達した政治的・理論的・組織的到達点を踏まえて、百年の歴史の全体を振り返り叙述したもの」と述べ、この百年は「開拓と苦悩の百年」であり、『百年史』ではそのことが浮き彫りになるような構成と叙述となるよう努めたと力説している。また、第1章「日本共産党の創立と戦前の不屈の活動」では、早逝した女性党員4人の顔写真を掲載して「わが党の戦前史は、党創立のはじめから天皇制権力によるくりかえしの迫害や弾圧を受け、それを命がけで抗しながら、自らの路線、理論、運動、組織を発展させていった、文字通りの開拓と苦悩の歴史であります」と強調している。

 

 これまでの『五十年史』『七十年史』『八十年史』は、いずれも当時の過酷な政治情勢や党活動への厳しい弾圧・迫害状況を述べているが、その論調は歴史的事実を客観的に叙述することに重点が置かれていて、今回のような情念の籠った書き方にはなっていない。しかし、志位委員長肝いりで書かれた『百年史』は、党創立百年という歴史的節目を意識したのか論調を大きく変え、感情的にも「開拓と苦悩の百年」をことさらに強調するものとなっている。

 

 言うまでもなく、敗戦によって戦前の天皇制権力は解体され、新憲法の発布によって日本は民主国家への第一歩を踏み出したことは周知の事実である。共産党が政党として公然化されたのも戦後体制の下であり、戦前戦中と戦後では「国のすがた」は根本的に異なっている。敗戦を機に日本の政治情勢は革命的とも言える変化を遂げ、日本は新しく生まれ変わった。これが連続しているかのように見なす考え方は歴史的事実に反するし、志位委員長自身も記者質問に答えて「100年前は、日本は天皇絶対の専制国家でした。国民の基本的人権は事実上ありません。国民は絶えず弾圧と迫害の対象にされてきました。(略)日本軍国主義の敗北によって、天皇絶対の専制国家から、国民主権の民主主義の国に変わった」ことを認めている。

 

 ところがその一方、党の歴史に関しては上述したごとく「わが党の百年を振り返ってみて、党が躍進した時期も、困難に直面した時期もさまざまですが、党にとって順風満帆な時期はひと時としてありません。つねにわが党の前進を恐れる勢力からの非難や攻撃にさらされ、それとのたたかいで自らを鍛え、成長させながら、新たな時代を開く――私たちはこれを「階級闘争の弁証法」=「政治対決の弁証法」と呼んでいますが――、そうした開拓と苦悩の百年でした」と、戦前戦中と戦後があたかも連続しているかのような表現になっているのである。

 

 また、21世紀の現在においても(以前と同じように)支配勢力の激しい反共攻撃が継続しており、「この攻防のプロセスは決着がついておらず、現在進行形で続いています」とも書かれている。この点に関して、記者から「次の100年に向けて、党を継承して発展させていくということが書かれています。反共勢力との攻防のプロセスの渦中にあるということですが、次の100年に向けてこのプロセスをどうやって決着させようと考えていますか」との質問に対して、志位委員長は次のように答えた。

 ――日本共産党は、矛盾に満ちた現状に決して甘んじないで、「もとから変えよう」と言っている党です。この志を変えることはありません。そうである以上、古い政治にしがみつく勢力からすれば、やはり脅威ですから、この攻防はずっと続くと思います。どう決着をつけるということでは、日本共産党が力をつけていく。国民としっかり結びついた、強く大きな党をつくっていく。その力で国政でも地方政治でも躍進をかちとっていく。情勢に即して国民との共同――統一戦線を発展させ、政治を変える多数派をつくっていく、ということによって、次の決着がつけられるんだろうと思っています。

 

 階級闘争にもとづく政治対決は、階級が消滅しない限りなくならないのかもしれない。しかし、戦前戦中と戦後とでは政治構造が根本的に異なる以上、その違いを認識できなければ、「現代」という時代に即した政治運動や政党活動を展開することはできない。「日本軍国主義の敗北によって、天皇絶対の専制国家から、国民主権の民主主義の国に変わった」という根本的な違いを捨象して、戦後においても戦前戦中と同じような「開拓と苦悩」の歴史が続いていると強調し、あまつさえ「政治対決の弁証法」として普遍化しようとすることは、歴史認識論としても政治運動論としても明らかに間違っているのではないか。戦前戦中と戦後では「政治対決」の性格や様相が決定的に異なっているのであって、それらを連続的に同一視することは、戦前戦中の経験が戦後においても通用するとの誤解を生じさせかねないからである。

 

 加えて「階級闘争」と「政治対決」を同義語として並べることは、階級闘争が政治対決の「すべて」であるかのような印象を与えることになり、現代社会における多様で複雑な政治対決の様相を単純化してしまうおそれがある。全ての政治対決は階級闘争に帰着するといった一面的な「基底還元主義」は、おそらく国民の共感を呼ぶことはないだろうし、支持を得ることも難しい。階級が消滅したとしても、社会が多様な階層から構成されている限り政治対決は無くならないだろうし、また無くなることが必ずしも好ましいとは言えない。互いの違いや意見の隔たりを認めながら(リスペクトしながら)活発な論争や政治対決が繰り広げられることは、政治社会を発展させていく日常的契機となり、民主主義を発展させる上でも好ましいことだからである。

 

 志位氏はなぜ、ことさらに「開拓と苦悩の百年」を強調し、「政治対決の弁証法」に言及するのだろうか。それは「党はなお長期にわたる党勢の後退から前進に転ずることに成功していません」――と言わざるを得なかったように、彼の委員長在任中(23年余)に入党(18万4千人)を4万人近く上回る大量の離党(22万1千人)が発生じたことを(公表しないにもかかわらず)忘却できないからであろう。そのことが志位氏のトラウマになり、激しい心理的葛藤と焦燥感に駆られる心理的背景になっているのである。志位氏が「強い党づくり」を希求し、「艱難辛苦」「臥薪嘗胆」といった一昔前の心構えに連なる「開拓と苦悩の百年」をことさらに強調するのは、そのためである。

 

 しかしながら「長期にわたる党勢後退」が否定しようもない現実である以上、本来ならば原因を抜本的に究明し、新しい方針によって党活動の転換を図るのが筋というものだ。ところが、志位委員長は党創立100年という時点においても「党の理論的・政治的・組織的方針は間違っていない」と断言し、方針の誤りを認めることもなければ、方針を転換することもなかった。そのシナリオが「開拓と苦悩の百年」を強調して党の原点である革命的気概を呼び起こし、「どんな困難にも負けない党」をつくることを強調するものだったのである。志位氏にはそれ以外に方策がなかったのであり、それ以外の発想が生まれようがなかったのである。

 

 その後、さすがの志位氏もこれだけでは拙いと思ったのか、学習・教育活動の合言葉のなかには「知的魅力によって国民の共感を広げる党になろう」「学習・教育によって一人ひとりが成長する党になろう」を付け加えている。通常、国民の共感を広げるような知的魅力といえば、現代市民社会における多様な価値観に柔軟に対応しながら、人々の理解を広げて共通の認識を導くことのできる優れた感性と能力のことを意味する。しかし志位氏の場合は、「綱領と科学的社会主義の立場に立ち、国民の〝なぜ〟に答え展望を示すことが、党の知的魅力となった国民の共感を広げることになります。大会決定はその宝庫です。人間は進歩的組織とともにあってこそ、人間としての自由を獲得し自己を成長させることができる」というものであり、全てが党の綱領と大会決定を学ぶことに収斂されることになっているのである。

 

 志位氏が提唱するこうした学習・教育活動は、結局、人間の全面的発達を党綱領と大会決定の狭い枠に閉じ込めることになり、結果として外部からの批判を全て「反共攻撃」としか見なせない偏狭な政治意識を育てることにしかならない。そこには社会の批判を柔軟に取り入れ、それを契機に自らを成長させていくような「開かれた民主的感覚」は育たないのであり、拙ブログに寄せられたコメントの多くもそのことを指摘している。今からでも遅くない。志位氏はもう「開拓と苦悩の百年」を強調することを止め、「明るい開かれた未来」を実現するための新たな道筋を語るべきではないか。

 

 そんなこともあるのか、田村委員長は3月19日、日本記者クラブで記者会見し「自民党政治を必ず終わらせ、希望の政治へ時代を動かす」と宣言した(赤旗3月20日)。田村氏は「暮らしでも平和でも希望が見える新しい政治へ」と題して、「暮らしと経済の再生」「憲法9条を生かした外交ビジョン」「ジェンダー平等」の三つの改革を提案した。このことは、「志位一色」に染められた党の重い空気を変えるための発言とも受け取れるが、「開拓と苦悩の百年」を強調する志位体制の下での実現は容易でないだろう。記者との一問一答では「自民党への支持率が完全崩壊状況ですが、共産党を含め野党の支持率も上がっていません」との問いに対して、次のように答えるしかなかった。

 ――党の姿を訴えることが圧倒的に足りていないというのが思いです。SNSも含め日本共産党を知らせる活動を独自の努力でしていかなければいけない。「政治は変えられる」「あなたが主権者」「政治に参加することが政治を変える道だ」とのメッセージをあげていきたい。「一緒に変えよう」ということをもっと迫っていきたい。

 

 共産党をはじめ野党の支持率を上げるためには、田村氏が言うような「党の姿」を訴えるだけでなく、肝心の「党の中身」を変えなければならない。それは「国民を導く党」から「国民と共に生きていく党」への劇的な転換である。国民の自覚と成長は支配勢力の攻撃と妨害によってなかなか進まない――といった独善的な考えを改め、国民の批判を謙虚に受け止め、国民とともに成長しようとする党への脱皮である。田村委員長がそれをできるかどうか、国民や支持者は目を凝らして見ている。それができなければ、共産党の「長期にわたる党勢後退」が加速することはあっても減速することはない。

 

 今年第100回を迎えた選抜高校野球大会(春の甲子園)の開会式において、選手代表となった青森山田高校の主将は、これまでの常套句だった「死力を尽くす」に換えて「全力で楽しむ」という印象的な言葉で宣誓した。若い世代の時代感覚はつねに先に進んでいる。田村委員長は、党活動を「全力で楽しむ」ためにはどうすればいいのか、いまそれを語らなければならない。(つづく)

赤旗(日刊紙)を読まない党員が4割を超える現実をどうみるか(追伸3)、入党を上回る離党が発生している事態は深刻にしてかつ重大だ。「底の抜けた樽」に水を注ぐような党勢拡大運動はもはや限界に来ている

 前回に引き続き、拙ブログの「追伸」に寄せられたもう一つのコメントにも触れたい。趣旨は、無理な党勢拡大運動が却って離党者を増やしているのではないか――というものだ。このコメントについては、すでに拙ブログ(1月16日)で詳細に論じているが、改めて考えてみることにしたい。本論に入る前にまずは「党大会決議」(赤旗1月19日)の文面を確認しておこう。

 ――目標としていた「130%の党」、その「第一ハードル」であった第28回党大会時の回復・突破には、党勢拡大、読者拡大とも大きな距離を残している。前大会以降の4年間でみると、全党で1万6千人の新しい党員を迎えてきたが、党員現勢では25万人となっており、党員数で長期の後退から脱することができていない。「赤旗」読者の現勢も85万人となっており、長期の後退から脱していない。党づくりは、わが党の現在と未來にとって、いよいよ緊急で死活的な課題となっている。

 ――私たちの運動は、大きな課題を残している。それは党建設・党勢拡大が、一部の支部と党員によって担われていることにある。入党の働きかけを行っている支部は毎月2割弱、「赤旗」読者を増やしている支部は3割前後である。これをいかにして全支部・全党員運動にしていくかは、私たちが突破すべき大きな課題となっている。

 

 第29回党大会の「志位委員長あいさつ」および「党大会決議」に基づき作成した4年間の党員数の増減を表す計算式は、以下の通りである。

〇27万人余(2020年1月現勢)+1万6千人(入党者、年平均4千人)-1万9814人(死亡者、年平均4954人)-1万6千人余(離党者、年平均4千人余)=25万人(2024年1月現勢)。

 ただし、党公表の27万人「余」という数字は微妙な表現なので、仮に27万1千人(27万500人でも構わない)に置き換えると、離党者は1万7186人(年平均4296人)、27万500人の場合は1万6686人(年平均4171人)となり、いずれの場合も離党が入党を上回っている。

 

 何度でも言うが、この事態は深刻にしてかつ重大だと言わなければならない。党員の4割以上が日刊紙を読んでいないこともさることながら、すでに入党を上回る大量の離党が発生している現実は見過ごせないものがあるからだ。これは、党大会決議がいう「長期にわたる党勢後退から脱していない」といったレベルの話ではなく、‶党の存亡〟に直結する重大事態であろう。離党と死亡を合わせるとその数は「年平均9千人」を超えることになり、入党の倍以上の党員が毎年減少していくのである。このような事実を伝えないで入党数だけを報じることは、情勢を客観的に伝えなければならない公党の政治方針としてはもとより、機関紙の編集方針としても完全に間違っている。志位議長をはじめとする党幹部は、責任ある説明をしなければならないだろう。

 

 しかし、大会決議は「離党」の実態には一言も触れていないし、赤旗にも離党関係の記事は一切見かけない。党規約第10条には「離党」に関する条文が以下のように書かれており、その実態を報じなければならないにもかかわらず、現実はそうなっていないのである。

 ――党員は離党できる。党員が離党するときは、支部または党の機関に、その事情をのべ承認をもとめる。支部または党の機関は、その事情を検討し、会議にはかり、離党を認め、一級上の指導機関に報告する。ただし、党規律違反行為をおこなっている場合は、それにたいする処分の決定が先行する。

一年以上党活動にくわわらず、かつ一年以上党費を納めない党員で、その後も党組織が努力をつくしたにもかかわらず、党員として活動する意思がない場合は、本人と協議したうえで、離党の手続きをとることができる。本人との協議は、党組織の努力にもかかわらず不可能な場合にかぎり、おこなわなくてもよい。

 

 離党には「党規律違反」による場合と「党員として活動する意思がない」場合の2種類があり、後者の場合はこれまで「実態のない党員」問題として扱われてきた。だが「離党」という言葉がマイナスイメージを連想させるからか、離党の実態や実数は報告されたことがない。要するに、党員増減に関しては「入党数=増加分」が報告されるだけで、「死亡数+離党数=減少分」は公表されない仕組みになっているのであり、党勢拡大運動はただただ「入党数を如何に増やすか」をめぐって展開されているのである。

 

 しかし「収入」だけで「支出」を記入しない会計帳簿などないように、収支を突き合わせて初めて「決算」を明らかにすることができる。経済動向に関しては四半期ごとの決算が公表されるように、党員現勢に関しても四半期ごとに増減数の内訳が公表されなければ実態は明らかにならない。それが、党大会ごとに党員現勢の概数が示されるだけで、増減数の内訳(入党数、死亡数、離党数)が明らかにされないようでは、党員はもとより支持者も正確な党勢を把握することができないのである。

 

 念のため、志位委員長の在任期間中(2000年11月~2023年12月)の入党、死亡、離党の各実数および年平均(いずれも筆者算出、再掲)を挙げておこう。第22回党大会(2000年11月)から第29回党大会(2024年1月)までの23年2カ月の党員増減数は、38万6517人(2000年11月現勢)+入党18万3895人(年平均7937人)-死亡9万8809人(同4264人)-離党22万1602人(同9564人)=25万人(2024年1月現勢)であり、第29回党大会で公表された党員現勢25万人と一致している。驚くのは、離党22万1千人(平均9564人)が入党18万4千人(年平均7937人)を4万人近くも上回っていることであり、死亡者が10万人近く(9万9千人、年平均4264人)に達していることである。

 

 これは、第26回党大会(2014年1月)で明らかになった大量の「実態のない党員=離党者」問題以降、2017年から離党が入党を上回るようになり、2020年からはそれが常態化するようになったからである。加えて死亡数が年々増加しているので、「離党+死亡」の合計が「入党」の倍以上となり、「長期にわたる党勢後退」に拍車がかかるようになった。志位氏が「長期にわたる党勢後退」の実態を明らかにしない(できない)のは、実態が明らかになれば「理論的・政治的路線に誤りはなかった」――とするこれまでの志位発言が根底から崩れるからであろう。以下は、党大会ごとの計算式である(再掲)。

 

〇第23回大会(2004年1月)

38万6517人(2000年11月現勢)+入党4万3千人-死亡9699人-離党=40万3793人(2004年1月現勢)、離党1万6025人

〇第24回党大会(2006年1月)

40万3793人(2004年1月現勢)+入党9655人-死亡7396人-離党=40万4299人(2006年1月現勢)、離党1753人

〇第25回党大会(2010年1月)

40万4298人(2006年1月現勢)+入党3万4千人-死亡1万6347人-離党=40万6千人(2010年1月現勢)、離党1万5951人

〇第26回党大会(2014年1月)

40万6千人(2010年1月現勢)+入党3万7千人-死亡1万8593人-離党=30万5千人(2014年1月現勢)、離党11万9407人

〇第27回党大会(2017年1月)

30万5千人(2014年1月現勢)+入党2万3千人-死亡1万3132人-離党=30万人(2017年現勢)、離党1万4868人

〇第28回党大会(2020年1月)

30万人(2017年1月現勢)+入党(無記載、暫定2万1240人)-死亡1万3828人-離党=27万人(2020年1月現勢)、離党3万7412人。党大会記録に入党者数が記載されていないので、2017年1月から2019年12月までの赤旗(各月党勢報告)を調べたところ、3年(36カ月)のうち入党者数が掲載されていたのは26カ月、計1万5354人、月平均590人だったので、590人×36カ月=2万1240人を暫定値として離党者3万7412人を算出した。

〇第29回党大会(2024年1月)

27万人余(2020年1月現勢)+入党1万6千人-死亡1万9814人-離党者=25万人(2024年1月現勢)、離党1万6186人余

 

 このような現状を直視すれば、「130%の党=党員35万人、赤旗読者130万人」の拡大目標(2028年末)が如何に非現実的な数字であり、「第一ハードル=党員27万人、赤旗読者100万人」ですら容易に回復できない目標であることに気付くというものである。組織の生態学から言えば、死亡者と離党者をカバーするだけの入党者を確保できなければ組織を維持することが不可能になり、組織は急速に衰退・縮小していく。共産党の場合、党組織全体が超高齢化していることからも、今後死亡数が増えることはあっても減ることはない。死亡数が公表されるようになってからの推移は、2000年代3万3442人(9年2カ月、年平均3647人)、2010年代4万5539人(10年、年平均4554人)、2020年代1万9814人(4年、年平均4954人)と着実に増加しており、2020年代を通してみれば年平均5千500人に達することはまず間違いないと思われる。

 

 そうなると、「130%の党」の党員拡大目標を2028年末までの5年間で達成するためには、以下の計算式を成立させなければならない。しかし過去4年間の入党1万6千人(年平均4千人)を今後の5年間で一挙に桁違いの15万人(年平均3万人)に引き上げることは、誰が見ても無理難題というものである。それを承知で拡大運動を無理やりに進めるとなると、結果は却って離党者を増やすことにもなりかねない。また、そうなる可能性は十分ある。

 〇35万人(2028年末目標)=25万人(2024年現勢)+15万人(入党、年平均3万人)-2万8千人(死亡、年平均5500人)-2万2千人(離党、年平均4400人)

 

 加えて問題なのは、「追伸」でも指摘したように、入党者の大半(8割弱)が「60代以上」という事実である(赤旗3月2日)。党組織全体が「60代以上が多数、50代以下がガクンと落ち込んでいる」(志位発言)にもかかわらず、新規入党者がそれに輪をかけた高齢者集団というのでは、党組織の高齢化がますます進むことにしかならない。この事態は、入党者への働きかけが高齢者中心になり、若年層や中年層には手が届かないことを示している。党中央の公式見解をオウム返しに伝えるだけの拡大運動は、多様な価値観を持つ若年層や豊富な社会経験を持つ中年層の心には響かないからだ。複雑極まる政治情勢の下での拡大運動は、自らの頭で「考える」ことのできる党員でなければ開拓できず、党中央の公式見解を「ただ学ぶ」だけの党員では対応できない。党員拡大を実行している支部が「2割弱」、読者拡大を働きかけている支部が「3割前後」という数字は、「考える」ことのできる党員が如何に少ないかという現実を映し出しているのである。

 

 これらの事態を一言で言えば、党組織の現状はもはや「底の抜けた樽)」とでも形容すべき状態にあるのではないか。樽にいくら水(入党)を注いでも、その尻から抜けていく(離党)のでいっこうに溜まらない、おまけにもう一つの穴(死亡)が次第に広がって水位がどんどん下がっていく――というのが現実の姿なのである。こんな「底抜け」状態では、いくら発破をかけても拡大運動の成果は上がらない。「底の抜けた樽」に水を注ぐような運動はもはや限界に来ている。このまま党勢拡大運動を続ければ、「底が割れる」時が必ずやってくる。それを避けるための抜本的な方針転換が求められている。(つづく)

赤旗(日刊紙)を読まない党員が4割を超える現実をどうみるか(追伸2)、志位1強体制の下での「官許哲学」の押し付けは、党の思想・理論水準の劣化しかもたらさない

 前回の拙ブログの「追伸」に対して幾つかのコメントが寄せられた。その中の一つに、「党組織の問題点を指摘する批判を排除する官僚的執行部はますます孤立し衰退していく。その原因は党中央の思想水準の低下にある」との指摘がある。そう言えば、不破体制の下では不破氏がマルクス主義の解釈を一手に引き受け、それが共産党の「公式見解=官許哲学」として定着していた。不破氏は、2004年から2024年まで20年間にわたって中央委員会付属社会科学研究所所長(1970年設立)のポストを独占し、研究所を秘書付きの自分の書斎のように使っていた。党の理論指導は「自分一人で十分」「集団指導は必要ない」との揺るぎない自負と党内での権威がそれを可能にしていたのだろう。

 

 世評では「理論面では不破氏に(はるかに)劣る」とされてきた後継者の志位氏も、第28回党大会(2020年1月)で改定綱領を制定した頃から自信をつけ始めたのか、最近では「理論家」としての言動が目につくようになった。とりわけ第29回党大会(2024年1月)の「党大会決定」は自信作らしく、議長就任後初の全国都道府県委員長会議(赤旗2月8日)では田村委員長の倍近い時間を取って発言し、これまでにも増して存在感を発揮している。この発言を赤旗が「中間発言」として扱ったのは「志位1強体制」をカモフラージュするためであろうが、中身は党決定を地方組織に指示する「中央発言」そのものであって、それ以外の何物でもない。

 

 発言のなかで志位氏が特に強調したのは、「党大会決定の新しい理論的・政治的突破点について」である。「私は1990年の第19回党大会以降、11回の党大会の決議案の作成にかかわってきました。そういう経験に照らしても、私は今回の党大会決定ほど多面的で豊かで充実した決定はそうはない、と言っても過言ではないと思います」「今度の党大会決定というのは、新しい理論的・政治的な突破という点でも大変豊かな内容を含んでおります」と臆面もなく自画自賛しているのだから、彼自身は本当にそう思っているのだろう。

 

 志位氏のいう「新しい理論的・政治的突破点」とは、(1)党の世界論・外交論の発展――「外交ビジョン」の「二つの発展方向」、(2)日本の政治の行き詰まりの性格をどうとらえ、どう打開するか――太い答えを出した、(3)「多数者革命と日本共産党の役割」という角度から日本共産党論を明らかにした、(4)「党建設の歴史的教訓と大局的展望」――党大会準備の過程で模索し、答えを出した、(5)社会主義・共産主義論――綱領路線の発展に道を開く新しい解明、の5点である。

 

 小論では全てに言及することはできないまでも、個々の論点を少しでも検討すれば、そこにはかなり思い込みの激しい(手前勝手な)主張が並べられていることが目につく。たとえば「日本の政治の行き詰まり=自民政治の末期的状況」を指摘するのは当然だとしても、その打開策が「自民党政治を終わらせる国民的大運動を超す」「総選挙での日本共産党の躍進」というのでは、それは単なる政治スローガンに過ぎず「太い答え」とはとうてい言えない。また「多数者革命と日本共産党の役割」については、多数者革命を進める主体が主権者・国民だと言いながら、「国民の自覚と成長は自然成長的に進まない」との留保条件をつけ、「その仕事をやり抜くためには日本共産党と民主集中制が必要」との我田引水の結論を導くなど、その便法は徹底している。

 

 「党建設の歴史的教訓と大局的展望」にいたっては噴飯物としか言いようがない。党の理論的・政治的路線、政治的対応には誤りがなく、先駆的な理論的・政治路線を発展させてきたとするこれまでの主張を志位氏は絶対に改めようとしないので、「長期にわたる党勢後退」の原因を、党勢現勢の推移だけに気を取られて新入党員の動向を見ていなかったといった「うっかりミス」のレベルでしか説明できないのである。「社会主義・共産主義論」についても、未来社会への複雑極まりない移行過程の問題を抜きにした単なる「ユートピア論」の列挙にすぎず、多数者革命の主体である国民を納得させるシナリオにはなっていない。それでいて今度の党大会決定は、「綱領路線をふまえ、それを発展させた社会科学の文献」「科学である以上は学ばなくてはいけない。時間がかかってもそれを惜しまず最優先で学ばなくてはいけない」と一方的に強調するのである。

 

 しかしながら、志位氏の「中間発言」の最大の矛盾は、「私は、書記局長と幹部会委員長をあわせますと33年半ほどやってまいりました。この期間に行ったさまざまな政治的・理論的な対応については振り返ってみても悔いはないのですけれども、党建設でさまざまな努力を続けてきたものの、結果として前進に転じることに成功していない」と、結びの言葉で言わざるを得なかったことである。党の方針が本当に政治的・理論的に正しければ、「長期にわたる党勢後退」など起こるはずがなく、党建設(量的拡大か質的発展かは別にして)が進まないはずがないからである。問題は「政治は結果責任」と世上言われているにもかかわらず、志位氏はなぜ「長期にわたる党勢後退」をもたらした方針の誤りを認めず、いまなお責任を取ろうとしないのかということだ。

 

 原因は大きくいって2つある。第1は「不破1強体制」と「志位1強体制」があまりにも長く続いてきた結果、党内の思想・理論の集団的研鑽と系統的蓄積が進まず、党中央の思想的・理論的水準が全体として著しく劣化していることである。第2は、「民主集中制」のもとで党中央の政治方針が機関紙・赤旗を通して徹底されてきた結果、党内の思想的画一化が進み、党中央の方針を「ただ学ぶ」だけの受け身の党員が大半を占めるようになったことである(異論を持つ党員の多くは党を離れた)。上意下達の組織風土が党の隅々まで浸透し、党中央においても相互批判がなく、また下部組織からも異論が上がって来ないような組織状況の下では、志位氏が自らの誤りを認めざるを得ないような政治的契機は生まれてこない。事実上の〝裸の王様〟になった志位氏の下で、この体制を支えている「民主集中制」が維持される限り、「長期にわたる党勢後退」は避けがたいと言って間違いないだろう。

 

 どうすれば、党内に新しい風を吹き込み、市民社会の時代に相応しい新しい思想・理論状況をつくることができるのか。それは、まず第一歩として赤旗に多様な思想家・理論家を登場させ、党内外に談論風発の気風を高めることだ。だが、事態は逆方向に進んでいる。最近、「日本共産党を論ずるなら事実にもとづく議論を――中北浩爾氏の批判にこたえる」と題する理論委員会事務局長の主張が掲載された(赤旗2月21日)。中北氏の著書『日本共産党〈革命〉を夢見た100年』(中公新書、2022年5月)が刊行されたのは、およそ2年前のことである。当該著書は多くの識者に注目され、マスメディアでも肯定的な書評が相次いだ。本来ならば赤旗紙面でも積極的に紹介し、著者を交えた座談会を開くなどの対応がとられてもおかしくなかった。ところがそれを一切黙殺しておいて、中北氏が党大会決定に異論を唱えると、今度はいきなり批判を始めたのである。

 

 この事態は、現役党員の除名問題を巡ってマスメディアが共産党の「閉鎖的体質」を指摘した時、それを「反共攻撃」とみなして反撃に終始したときと同じ構図だ。これでは、共産党は党の公式見解以外の多様な意見や見解を一切認めないことになり、世論の動向を無視した「唯我独尊」の道を歩むことになる。冒頭のコメントが指摘しているように、このままでいけば「党組織の問題点を指摘する批判を排除する官僚的執行部はますます孤立し衰退していく」ことは明らかであり、未来は限りなく暗い。共産党はいままさに「存亡の岐路」に立っているのであり、その自覚無くして未来への展望は開けない。(つづく)

赤旗(日刊紙)を読まない党員が4割を超える現実をどうみるか(追伸)

 前回の拙ブログから3日後、「幹部会決定にたちかえり、3月こそ『三つの課題』をやりきる月に」との呼びかけが、大会・幹部会決定推進本部から改めて出された(赤旗3月2日)。趣旨は、2月には「掲げる目標ではなく、やりきる目標」として党勢拡大を訴えたものの、その変化は一部にとどまり、目標を達成できなかったことから、3月は「月初めからダッシュする」ことを訴えるものだ。では、2月の実績はどうだったのか。

 

 2月中に党大会決定を読了した党員は19.9%(2割)、討議・具体化を開始した支部は66.2%(3分の2)で緒に就いたばかり。党員拡大は3651人(目標の3分の1)に入党を働きかけ421人(目標の4割)が入党、ただし50代までの入党は100人強(入党者の2割強)にとどまったという。赤旗読者拡大は、日刊紙1486人減、日曜版5029人減、電子版74人増と、1月に続く連続後退となった。この数字は「2月中に大会決定を全支部で討議し、3月中に5割が読了して党勢拡大運動に踏み出そう」(志位議長、中間発言)、「1万人以上に入党の働きかけを行い、1千人以上の新しい入党者を迎えよう。そのうち6割、7割を若い世代で迎えることも追求しよう」(山下副委員長、緊急の訴え)との目標を悉く下回るもので、党中央の指導がもはや地方組織にそのまま届かなくなっていることを示している。

 

 赤旗の「党活動」の頁には党勢拡大の先進事例が連日掲載され、「やればやれる!」との革命的気概が強調されている。その一方、党勢拡大に踏み出せない支部の困難な事情や背景はほとんど掘り下げられたことがない。党活動の頁だけを読んでいると、党勢拡大運動は「飛躍的前進」を遂げているように見えるが、月間報告は相変わらずの「連続後退」となっている。この著しいギャップはいったいどこから生じるのだろうか。

 

 「木を見て森を見ず」ということわざがある。物事の細部や一部に気を取られて、全体を見失うことを意味する言葉だ。確かに「革命的気概」を持った先進事例は存在するだろう。だが、それは「類まれな木=特殊解」であって、「森全体=一般解」を表す存在ではないのではないか。単なる「宣伝ビラ」であれば、革命的気概を鼓舞する事例の紹介や言葉の羅列で済むのだろうが、いやしくも「しんぶん赤旗」を名乗るのであれば、「森全体」を眺める視点と分析が不可欠になる。

 

 まして〝科学的社会主義〟を政治信条とする政党ならば、その機関紙は同じく科学的であり分析的でなければならないだろう。党勢拡大目標と実績のギャップを何一つ分析しないまま、百年一日の如く党勢拡大を叫び続けるだけでは党員が日刊紙を読まなくなり、心ある読者が離れていくのは当然というものである。党活動の頁の抜本的刷新を図らない限り、赤旗の拡大はおろか回復も難しい状況がこれからも続くことは間違いない。

 

 それにしても、大会・幹部会決定推進本部が発表した2月の拡大結果は衝撃的だった。入党者が少ないことはいっこうに驚かないが、今回初めて発表された「50代までの入党100人強」という数字には正直度肝を抜かれたのである。党組織全体が著しく高齢化しており、「50代以下がガクンと少ない」(志位発言)現状の下で「世代的継承」が中心課題に掲げられているそのとき、入党者の大半(8割弱)がなおかつ「60代以上」というのではパロディにもならない。今後、党組織の高齢化にますます拍車がかかることがあっても、「若返る」ことなどおよそ絶望的だからだ。

 

 党員の4割が日刊紙を購読していないという現実は、党組織の著しく高齢化していることの反映でもある。高齢化すれば文字を読むのが生理的に苦痛になり、新聞離れが進んでいくのは洋の東西を問わない。加えて「見るだけで頭が痛くなる」長文の大会決定読了を迫られるとあれば、それが「党生活3原則」からの離脱につながり、やがては「実態のない党員」問題に波及していくことは目に見えている。日刊紙の購読義務付けを軸とする「党生活3原則」を不磨の大典として墨守するのではなく、新しく見直すべき時代が訪れているのではないか。

 

 すでに何回も述べてきたように、過去2回にわたって各々10万人を超える大量の「実態のない党員」が整理され、「長期にわたる党勢後退」の構造的原因になってきた。第28回党大会(2020年1月)から第29回党大会(2024年1月)までの4年間の党勢推移は、党員は27万人余から25万人へ2万人余減、赤旗読者は100万人から85万人へ15万人減とそれぞれ後退している。大会以降連日の党勢拡大の呼びかけにもかかわらず1月、2月以降も党勢後退が依然として継続していることは、「長期にわたる党勢後退」が共産党の構造的問題であり、党勢拡大方針を抜本的に見直さない限り是正できない問題であることを示している。

 

 このような現実を直視する時、今後2年間で27万人の党員、100万人の赤旗読者を回復し、その後の3年間で35万人の党員、130万の赤旗読者を実現することは、「掲げる目標」というよりは「果てしない夢」と化す恐れがある。まして、今後5年間で30代~50代の党勢の倍化し、この世代で10万の党をつくることなど「夢のまた夢」ともいうべきスローガンでしかない。科学的社会主義は空想的社会主義を克服して生まれてきたとされているが、時代が逆行している様な印象を受けるのは、実現不可能な党勢拡大方針が相変わらず掲げられている所為かもしれない。(つづく)