そして帰国

4時に起きる。そして,メールなどをチェックしていてたら、5時半になってしまったので、慌てて家を出た.こちらにきたときと同じ3つの重い荷物だ.一つはアメリカンサイズのスーツケース。一つは本でびっしりである登山用のリュックサック。そして最後が、いつもどこにでも持っている手提げだ.簡単な本とノートパソコン、ハミガキをそこにいれている。

Tに乗っていると,そこに座っていた黒人の女性がが話し掛けてきて,一緒に荷物を運ぶのを手伝ってくれようとした.しかし、こちらは一応やせていても男なので,丁重に断った.そして、一緒に空港駅まで行って,このバスに乗りなさいとか案内をしてもらった.
空港で荷物を預けながら,けして意味がある会話ではないとは知りながらも、ついカウンターのスチュアーデスにI think I will miss Boston.と話をした.すると、返事として,"Thank you. I am grad to hear that."と返って来た.つい、誰かに言いたかったのだ.そして,空港ゲートで1時間ほどまち時間があるので,座って,少しおろそかにしていた日記を書く。僕にとって,アメリカにいることの象徴でもある、牛乳をたっぷりいれたコーヒーを空港で買って、これで暫くこのコーヒーともさらばだと、思い、飲みながら日記を書いていた.

ボストンからの飛行機は、たまたま,右側の窓際の席であった.そして,飛行機に乗って飛び立つったのでふと外を見ると、あの僕がいた病院達が、すごく小さく僕の視界に入ってきた.慌てて写真をとったのだが,その直後、自分の頭が一瞬変になったのか,英語と日本語のハザマでどうにかなったのか,いきなり幼稚言葉が頭で鳴り始めた.「ボクのオトモダチはオイシャサマで、今日もあそこにちっさくみえる病院で今日も楽しんで働いているのでちゅ。たまに踊ったり、たまに文句をいったりもするけど、よく努力をして,本といい人なんです、、、、」
何だこれは,,,,と冷静にも思いながら,とりあえず、bye bye Bostonと、今度は自分の意志で頭に言い聞かせると、その言葉の音響が止まった.そして、その群映は視界から消え去っていった.

ニューヨーク経由で帰る.ニューヨークからの飛行機は,ニューヨークからシベリアを通って,日本に戻ってきた.帰りの便は、ゴールデンウィークのせいか満席に近かったのだが、たまたま隣の席が開いていてゆったりと座ることが出来た.隣にはニューヨークで、4ヶ月ほど英語を勉強して、今日かえろうとしているコレア人が座っていた.そして,たまに外を見ると白夜なのだかなんなのだか、いつもきらりと光る真っ白な白銀の流氷やシベリアがみられた。

飛行機の中では,scrubとか言う医学ドラマを見た.

空港に戻り、電車で帰ってきて,駅からタクシーに乗る.



………………



そんなわけで,それがまるで一日あったかのように、日の出とともにはじまり、夕焼けとともにボクの旅は終わった.帰ってきてみると、まるで,何もなかったかのように、ボクの部屋や日常の生活がここにあった.いまだ、頭の中が英語な時もあり、会話の反応が遅れるのだが,これもそのうち治るだろう。

もし、パラレルワールドがあったとして,6週間前に出かけなかった僕がいたとして,そしてここでいっしょになったとしても、けして変わりはないんではないかとすら思う.


でも、楽しかった.悔しかったし,そして、それなりにがんばったとも思う.


ボクの日記はこれで終わりです。時間は縦にしか流れないと認識した時間たちであった.そして、二度と出来ないだろう貴重な経験であったと思う。もう若くないのだが,自分という檻を少しは見つめなおせたと思う.これも、皆さんを始めまわりの人のおかげだと思い,心から感謝したいと思う。

最終日

今日は、Dr Wの外来に行ってきた.あさ、7時に起きて,まず、感染症のカンファレンスを聞きに行く。MGHとブリガムで衛星放送でおこなっているものであった。しかし、特に内容は学生に面白いものではなかった.chemotaxisの話であるとか,HIVとhepatitisの合併症例の話をしていた.できれば,抗生物質の使い方などを聞きたかったのだが,,よく考えてみればそんなものを毎週カンファで話すわけがない。
そのあと,Dr Wの外来に行って,午前中を過ごした。そのあと、精神化病棟の患者を見に行って、一緒に昼ご飯を食べて買える。自分の患者が入院していたら、たずねていって話をしているDr.Wはやはり本当にいい人だと思う。I think you are a good doctorというと、非常にうれしそうにThank you thank youといっていた.君も、将来ここにおいでと、言われた.殆どが、アメリカの学生だけど、たまに国際的な学生もレジデントに受かっているよ。とアドバイスをいただいた.

そのあといったん戻って,郵便局に行って,今までいっぱい買った本を船便で送る。10冊ぐらいを送って1700円くらいであった.6週間かかるらしいが正直安いと思った。
そして、生協にまた出かけて,最後に、医学書をいろいろ読んで、欲しい本か欲しくない本かのカテゴリー分けをしていった.日本で一応MESSAの基皆でやっている、英語でのOSCEの勉強会に使えそうな教科書を見つけたので買って帰る。行きがかりの道で,たまたまジェンと会ったので,最後のさよならを言っておいて、ハンナへの渡し忘れていたお土産を渡した.

そして、今日はjuneとシャンとで上海料理を食べに行った.ちょうど一週間前も、プレゼンが終わったので,中華を食べた日だ.しかし、今回は上海の皮膚科助教授であるシャンがいるため相当おいしいものをキチンとオーダーしてくれた.おいしいものでお腹いっぱいになり、1ヶ月間ありがとうといって帰る。帰りに、juneとuniversity streetを歩きながら、話をしていたら,彼女もやる気を出したといっていた.実は,彼女は3週間滞在して,1週間ニューヨークに遊びに行くつもりであったらしい.しかし、僕と話をしていたらやる気がでてきたので,4週間しかも、朝から夜までがっつり勉強をすることを決心したといってた.こういうことを言われると、基塾の先生としてはとてもうれしい。一応、遊ぶことも悪くないので,もう一度考えて,決めると良いよ.でも、やれることをやって帰るということに勝る感動はないはずだ。と言って促しておいた.

帰ってから,荷物をパッケージして部屋に掃除機をかけて,全くがらんどうになった部屋を見ながら,これで本当に帰るのだなあと思った。6週間は本当にすばやく過ぎました.いろいろ心残りはありますが,しかし,何もないよりは絶対良い経験をした.悔しいけど、もう一度初心に戻るのだなと思った.人は,少しずつしか成長できないのだし。

僕が、今回アメリカであった人は,,どの人もいい人であった.リラックスをしていることもあるのかもしれないが、コミュニケーション能力が高く、そして、やさしかった。たまに、変なことも会ったりしたけど、でも、全部、まとめて,やはり偉大な経験であったと思う。もし、自分も同じようなことがしたいと少しでも思う人がいれば是非して欲しいと思う。

そんなわけで,最後のさよならを皆に言って,明日は朝5時に起きるので皆にはあえないと思うと話をして、結局そのあともう一度荷物の整理をして2時ごろ寝る。

お土産あさり

今日は、お土産を買うためにjuneと一緒にハーバード大学に出かけた.ハーバードのCOOPにいると、何でも買ってみたくなるのだが我慢をして,あまり買わないでおいた.そのあと,日本人の皮膚科の先生とdinnerをして、おごってもらった、帰って寝る。いろいろな話をしたと思う。

juneは、ハーバードでは、全くの観光人になっていた.ひたすらはしゃいで,結構おっちょこちょいな子であるかんじがある。癖なのか,失敗するとベロを口の中でグルっと曲げる。しかし、ボクのことはそれなりに気に入ってくれているみたいで,例えば僕が下にいると降りてきて話しかけてくる。オーストラリアの中国系の中では,日本人はもてるのですと、言っていた.英語の発音はオーストラリア人であるだけあって完璧だ.
ノートパソコンを買いたいといっていたので,一緒にインターネットで探してあげた.
そして、やはり女の子なので買い物が好きなみたいで,でも、まだ若いのでお金があまりないのか,いつも買おうか買わないかすごく迷っている。COOPでも、結局殆どなにもかわないで、また、買い物にくると決心をしていた.
帰りがけに、MGHの案内もしてあげた.MGHって何?とか行っていたのだが,,,,,

アブレーション見学

以前お世話になった循環器の先生に頼んで,またアブレーションの現場を見せていただいた.やはり,専門治療はこちらではすごい。いろいろな話をさせていただいて,かえった。

臨床の研究はやはり面白いと思う。自分の所属するチームしか出来ない治療法とかいうのを持つことが出来たならばそれは幸せだと思った.


今日から,この家にjuneというオーストラリアの医学部4年生が来ている。帰って,彼女と、オーストラリアの話などをしていたら,気がつくと遅い時間になっていた.
オーストラリアは人口が少ないけど、いい医療教育システムがあるのだと連呼していた.といっても、その3日後にはアメリカのほうがいいとかいい始めたのだが,,,金利も6%ぐらいで,今のところインフレもそれほどひどくなく、政府も借金がなく、と、ひたすらいいことを並べていた.オーストラリアがすきなんですね。と話をすると、そうだといっていた.「まあ、アメリカで実習をするのも悪くはないとは思ってるんだけど.」と。

まあ、でもオーストラリアドルは、ウェブで調べてみると、それなりに、為替のリスクはあるみたいだ.ここ20年で,20%近く値段は下がっているし、一時期は50%近くまで下がったこともあるみたいだ.6%で20年で120%であることを考えると必ずしもそんなに悪いことではないのだが,(本当はこうは計算してはだめなのですが,,6%が続いているという過程の基で.実質は60-120の80ぐらいと見といて問題ないかと。)、為替リスクと、経常赤字の問題はあるみたいであった.悩ましいのだが、もう少し検討してみようと思った。うむ、、、やはり誰かに相談したいですなあ.

最終日曜日

今日も,土曜日と一緒だ.スターバックスに行って勉強をする。たまたま前に座った子が、nurseの学校に通っていて,Bethで実習をしているというので,周術管理の話などをする。自分の知らないことを何個か知っていたのは少しビックリした.こちらの看護婦の学生さんは知識面で非常に高いと思った.そのあとに来た,臨床心理士の学校に通っている学生さんとも、精神科の話をした.勉強をしていて一日をおえる。

最後の土曜日

終わった.という気持ちと、悔しいという気持ちが混じったまま一日を終える。近くのスターバックスに行って,宿題と、今までしていなかったUSMLEの勉強をして帰って寝た。少し立ち止まると、悔しい気持ちがこみ上げてくる。なんか軽い失恋をしたような感じではないかと思う。

美容皮膚科学

さて最後の日だ.今日は、シャンと一緒にchestnut hillに訪れる日である。最後の日なのに、ジェンといっしょに行動できないのは少し寂しいのだが,しかし、ここに訪れないわけにはいけないと思った.chest nut Hillは、ここの皮膚科でも、保険でカバーされない美容専門の皮膚科である.レーザー治療などに特化したものであり、日本では,この分野は整形外科の医師がおこなっているものである。そこで見た症例は,1:ボツリヌストキシンで顔のしわを減らすという治療。2:胸毛を減らすためにルビーレーザーで焼却するという治療。6回ぐらいかかるといっていた.3:spider veinに凝固剤を流し込んでspider veinを消去するという方法。4:angioma(venous lake?)をレーザーで焼却して、消去する治療。5:frecklesをレーザーで焼いて消去する治療。6:dermatoablationによって、noduler化したacne後の瘢痕を削り取る治療.などであった。僕は運がいいのか、どこにいってもだが,多彩な症例に恵まれる。正直、ここまで多彩な治療を半日で見ることができることはめったにないといっていた.
そんなわけで,シャントご飯を食べて,さよならをいって,午後はいつものクリニックに戻ってハンナの外来を見ることにした。外来はいつものとうりであって,ニキビや悪性黒色腫のスクリーニングであった.そのあと,皆でsweet病の患者さんを回診して,終わる.最後に、皆にありがとうといった。
来週からいなくなると思うと寂しく思うよと皆が言ってくれたのはうれしかった.皆で,1ヶ月がいかに、一瞬で消え去ったかの話をした.君がつい昨日来たような気がするよ。君がきた日を覚えているよと言われた.こちらも、本当に一瞬でたちました.正直、皆さんに会えて皆さんのおかげで非常に偉大な経験をさせていただきました.ありがとうございますとかえした。

そのあと、日本人の学生たちと少しだけ、コーヒーを飲みながら話をした.3週間前にあったときと違って,皆、非常に楽しそうであった.一人の人は、アメリカにくることに決めたと決心をしていた。英語が聞き取ることが大変だということが身にしみたと話もしていた.

そのあと,帰り際に、たまたま、別の日本人の学生に会ったので,その人とご飯を食べに行った.その人と,こんなことがあった、こんなことがあった、と結構な話をしたと思う。そして話をしていると、こんなに俺は話をしているのだろうと気がついてきて,,不意に、自分の中にある隠された感情が理解されてきた.



僕は悔しかったのだ,,,,,


確かに僕は自ら自分をストレスのあるところにおいてそれなりにがんばったと思う。でも、最後まで,本当の意味で彼らの役に立てなかったことが悔しかったのだ.外来の患者とりにしても、他の人がやればもっと効率が良かっただろうし、たまに間違えるしで,結局いつも、誰かのお世話になっていた.自分は,前に出てがんばろうという気持ちを持っていたと思う。でも、結局、その前に出たことで,人の迷惑になったこともあり,また、たとえば、何かを持ってくるとかそういう簡単なことではなくて、本当の意味で”ありがとう”とは、1ヶ月でついに言わせることが出来なかったと、悔しい気持ちが持ち上がってきた.いままで、非常にいい経験をした、感謝しなくてはという気持ちでいっぱいで隠されてきた自分の悔しさが、話しているうちにおのずと浮き上がってきて,本当に悔しくて仕方なくなってきた.

これが僕の深層心理だったのだ.僕はあの人たちに負けたのだと思う。

当然の結果なのだが.1ヶ月しかいなかったのだから。

結構遅くまで話していたと思う。12時ごろに帰って寝る.