|夢| |雑記|
『はてなブログ』が未だ『はてなダイアリー』だった頃。大規模再開発により長屋横丁が取り壊される前の、馴染みのご近所さんだった人の夢を見た。
長屋横丁では互いの借家の行き来と井戸端話と、こちら側では季節の便りで近況を伺うなどして、実際にお会いしたことは未だ無いが、長屋取り壊しに伴う移転には加わらなかったようで、以来、新たとなったはてなハイツに表札は見当たぬまま。生存確認のよになって居た季節の便りも、数年前から自然と途切れてしまった。
一昨日だったろか。そんな彼女の夢を見た。私は西東京に住まうその人を訪ねて、中央線と思しき橙色の旧車両に乗って居た。けれども何故だか車窓の景色は里山の風景みたいで、そこへ一見不釣り合いにも思えるスーパーの四角い看板に、煌々と明かりがついた。もう夕暮れが近いのだ。駅に着くと、一度も会ったことの無い筈のその人が、僅かにハスキーな、けれども朗らかな大きな声で私の名を呼びながら、伸ばした両手をぶんぶんと振って居た。無造作にパーマのかかったショートボブ、古着のカレッジトレーナーにジーンズの出で立ち。すらりとした細身の長身で、何処となくペ・ドゥナと市川実日子を足して割ったみたいな雰囲気だった気がするけれど、夢の中では確かにはっきりと在った筈の顔の詳細が、今になってどんな風だったか思い出そうとすると、ぼんやりと靄がかかったみたいになってしまう。
ふと気が付くと、私たちはアジア風の飲み屋と食堂が一緒になったみたいな店に居て、長年の友人だと云う男性も加わって、音楽の話だとか漫画の話だとかしながら、四角い卓に三人で愉しく飲んだり食べたりした。窓の外、階下には狭い広場が在って、屋台の屋根のごちゃっと並んで居る様を見て「あ!そうか!いつか云って居た窓からの眺め、ここだったんですね」私がそう云うと、彼女はそんなこと云ったかなぁ、と煙草を吸いながら、ちょっと照れくさそに笑った。店を出るともうすっかり夜更けで、彼女は自らの住まう街を案内してくれた。早足で歩く彼女の後をついて、程無く一本裏手の路地へ入る。暗がりの向こうにいつの間にか、つげ義春の漫画みたいな街並みが出て来て、玩具屋とか床屋とかクリーニング屋とか金魚屋の並ぶ細い通りの両側に、青やピンクの提灯がぶら下がって、頭上の暗がりを染めながらぼんやりと揺れて居た。床屋の店先で前髪だけほんの少しばかり、ちょきんと切って貰ったら、たった二つか三つ鋏を入れただけで二千四百円も取られてしまい、やられた。失敗したなと思う。
路地を抜けると、何故か急に田舎っぽい川べりに出た。短い板橋を渡って土手沿いを歩くうちに、草地に見えた筈の土手がいきなりぬかるみに変わり、ずるりと足を取られて身動きが取れなくなった。先に居る彼女は私がどうやって切り抜けるかを、黙って注意深く観察して居る。きっとこの人は、これで私と云う人間を確かめようとして居るのだな、と思う。そのまま動けずに突っ伏して、じいと息を止めて数を数えるうちに目の前が真っ暗になって、次に目が覚めると、そこは彼女の家の中だった。
「ホビちゃんは眠り苔に足を取られたんだよ」何のことやら分からずに居ると、彼女は「でも、ちゃんと帰って来たから大丈夫」と繰り返すばかりで、やはり何のことやら分からなかった。珈琲を淹れて貰って、毛布にくるまって、冷蔵庫の前に座り込んで飲んだ。冷蔵庫のパッキンの隙間から青白い光がもれて、まわりをうっすらと包んで居る。食堂での話の続きをあれやこれやと語らいながら過ごすうち、夜が明け始めた。復路の切符がポッケの中に在ることを確認したか?と問われ、はっとして思い出し、慌てて確認する。うん、ちゃんと入ってる。あ。そう云えば、彼女の猫は何処に居るのだろ。結局聞く機会のないまま、私たちは家を出た。
駅までの道すがら、古い映画館のタイル壁に『バグダッド・カフェ』の色褪せたポスターが貼ってあって、今もかかっているのかな、と独り言つ。私、あの曲好きなんだ。ホビちゃんもでしょ?彼女はそう云って、口笛を吹いた。早朝の飲み屋街はシャッターが下りて、しんと静まり返って居た。水たまりに反射した口笛が、影みたいになって暗がりに消えていった。
夢から目覚めると、意識は既にはっきりとして居た。会ったことのない人の夢、不思議な感じだった。確かにそれは紛れもなく夢で、けれどもやけに鮮明な感触も在って。年賀状が来なくなってから、ずっと便りを出しそびれて居たのだけれど、久しぶりに書いてみようかな、と思った。元気にして居るだろか。