法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『わんだふるぷりきゅあ!』第14話 まゆ、はじめてのお泊り

 ユキの様子がおかしい。犬飼陽子の診察で疲労がたまっているとわかり、点滴をすることになった。不安な猫屋敷まゆがつきそえるよう、犬飼家に泊まることをいろはが提案して……


 香村純子脚本、中村亮太コンテ、広末悠奈演出で内気な少女の友人宅お泊り初体験を描く。広末悠奈は第1話の演出処理以来、中村亮太はシリーズそのものに数年ぶりの参加か。
 OPで初回から予告されている新プリキュアと仲を深める展開が1クールをすぎてようやく入る構成は遅すぎると思うが、それだけ今回がまゆにとって特別な体験だということを視聴者の立場でも実感しやすい。食事に風呂に寝室まで一挙に距離をちぢめるところに楽しさだけでなく緊張感があり、それゆえプリキュアと知られてしまう後半の展開にもスムーズにつながる。
 過労でユキがケージに入れられたままの状態でキュアニャミーが登場しないことで正体がわかる伏線にしたり、全体を見ても良くも悪くもていねいに段取りをふんでいた。


 作画監督の玖遠らぎは第2話
*1以来の登板で、当時に関係者が示唆したように上野ケンの変名なのだろう。
 お泊りの光景がかわいらしいデフォルメキャラクターでイメージされたり、上野回らしい絵柄の変化やかわいらしさを堪能できた。けっこう原画の個性を許容しつつ、全体を違和感なく魅力的な範囲でまとめている。
 料理の作画も違和感なく、餃子の種類も形状から区別され、ちゃんと美味しそうに表現されている。

名誉棄損裁判で山崎雅弘氏と雁琳氏はどこで差がついたかといえば、相手を批判するだけの意義と根拠に違いがある

 竹田恒泰氏の主導した歴史教科書が検定を通過したことで、かつて竹田氏に名誉棄損でうったえられて完全勝利した山崎氏が*1、判決をふりかえりながらあらためて批判していた。


富山の教育委員会が、竹田恒泰氏に中高生向けの講演をさせる企画が報じられた時、私は彼の過去の差別的言動や自国優越思想を踏まえて「講師に不適格」と批判しましたが、竹田氏は私がその時に使った「人権侵害常習犯の差別主義者」という言葉が名誉毀損に当たるとして私を提訴しました。その判決です。

 山崎氏のツイートにあるように、争点となったのは学生向けの講演に竹田氏がふさわしくないという論評なので、教科書検定という話題とも合致する。独立した問題をもちだしているわけではない。
 その山崎氏のツイートを「シン・しわ枯れパパ@chanchan_papa」氏が引用リツイートし、裁判は背景や意図も見ながら名誉棄損の判断をくだしていると指摘した。


北村紗衣氏を「ポリコレリベサヨうんこ学者」と批判した雁琳氏は敗訴し、竹田恒泰氏を「人権侵害常習犯の差別主義者」と批判した山崎雅弘氏は勝訴した。2つの違いを見ると、裁判所が批判の外形だけでなく背景や意図を丁寧に見ているとわかる。最初から誹謗中傷目的のものは見破られるということだ。

 下記エントリで参照したように、どちらも名誉棄損で訴えられた側がカンパで裁判をおこなったという共通点はあるが、誹謗中傷か正当な批判かという根底が異なっていたといえる。
雁琳氏に誹謗中傷されたとして北村紗衣氏がうったえた名誉棄損裁判で、比較的に高額の賠償が認められたとのこと - 法華狼の日記

 しかし、そのような寄付金募集で加害へ同調させるような運用をしてはならないという司法の判断がくだされたわけだ。誹謗中傷してうったえられたことで注目をあつめて誹謗中傷をかさねてマネタイズしていくような問題への足止めになってくれるかもしれない。

 その上で、山崎氏の抜粋した判決を読めば、たしかに言葉の表層で裁判の勝敗が決まったわけではないことがはっきりわかる。


 しかし「シン・しわ枯れパパ@chanchan_papa」氏を引用リツイートした雁琳氏は、山崎氏との判決がことなるのは司法が左巻きに狂ってるためだと主張した。


「北村紗衣氏を「ポリコレリベサヨうんこ学者」と批判した雁琳氏は敗訴し、竹田恒泰氏を「人権侵害常習犯の差別主義者」と批判した山崎雅弘氏は勝訴した。」 この二つ並べてみると司法、明らかに左巻きに狂ってるとハッキリ分かるな。

 そして雁琳氏は名誉棄損裁判が批判の外形だけで判断されるかのような誤解から、「人権侵害常習犯の差別主義者」という表現を一方が自由につかえるかのような虚偽をふりまいた。


「人権侵害常習犯の差別主義者」はおサヨク文脈的には間違い無く社会から追放すべき悪人認定レベルの激烈な重みがあるにも拘らず、竹田恒泰対山崎雅弘裁判の判決で名誉毀損に当たらないとされてしまったことにより、奴等がこれを法的に自由に言っても良いことになっているところが本当に本当にヤバい。


「人権侵害常習犯の差別主義者」と「ポリコレリベサヨうんこ学者」のどちらが、言われた人の「社会的評価の低下」を招くのかなんて、一般的な価値観は勿論のこと、それこそ、人権!反差別!といつも絶叫しているおサヨク的価値観ならば尚更明らかなことではないだろうか。明らかなダブスタだ。

 もちろん「シン・しわ枯れパパ@chanchan_papa」氏は表現が背景や意図までふみこんで判断されたことを指摘しているし、山崎氏の抜粋した判決だけからも雁琳氏の解釈が成立しないことがわかる。

 裁判所は、竹田氏を山崎氏が「差別主義的」と論評したことに「相応の根拠」があると認めた。「人権侵害常習犯の差別主義者」という表現は穏当さを欠くものの、いたずらに揶揄や侮蔑しているわけではないと認めた。それゆえ「社会的評価を低下させるものであったとしても、公正な論評ないし意見の表明として違法性を欠く」のだと結論づけられた。
 けして「人権侵害常習犯の差別主義者」という表現が社会的評価を低下させないと結論づけたわけではない。むしろ竹田氏の社会的評価を低下させてでも、批判するだけの意義と根拠があったことが認められたのだ。


 名誉棄損という判断が表現の外形だけでくだされるかのような誤解は、雁琳氏だけではない。
 たとえば「5億円 2017@Beriya」氏の下記ツイートも誤解をまねくところだろう。たしかに相手が多用する表現に揶揄をとどめれば一般的に問題にはなりにくいが、今件には当てはまらない。


「人をクズ呼ばわりするのに法的な根拠は一切いらないと思う」とせっかく表明してくださってるんだから、「クズ」呼ばわりくらいに留めておけばよかったと思いますよ。

 法的な根拠がいらないという主張は、根拠がいらないという主張ではない。相手の言葉の強さにあわせて相手を批判すれば、一般的にも法的にも強さそのものは許容されるべきと判断されることが多いが、根拠のある批判に根拠なく反論しても良いというわけではない。
 雁琳氏が負けた一審判決を読めば、さまざまな争点で事実誤認が認定されており、ただ表現をやわらげれば妥当な批判になったというわけではまったくない。
http://www.mklo.org/mklo/wp-content/uploads/2024/04/ffdd5b80e78c62b11a9a19dbd8ffa153.pdf
 たとえば争点1からして、時系列を誤認して北村氏が和解に反して行動したかのように主張したことで名誉棄損が認められている*2。そして争点1のツイートは、下記のように単独では罵倒的な表現はつかっていない。


いや、北村氏自身がかの(呉座氏の処分の原因になったとされる)オープンレターの発起人の一人(これは和解後に出しています)なんです。

 逆に争点7のツイートは、下記のように話題の「ポリコレリベサヨうんこ学者」がつかわれているが、「一方的な罵詈雑言」であって「社会的評価を低下させるものとはいえない」と判断され、実は名誉棄損は認められず名誉感情侵害が認められている*3


北村さえぼう、小宮友根など、Twitterでこいつクソやなと思うポリコレリベサヨうんこ学者の本を読んでみる会というのをやってみたいな。

 裁判所は批判そのものの妥当性と、批判につかわれた言葉の強さをそれぞれ判断している。人文学者であるはずの雁琳氏は、判決文で明記されたことすら読みとれなくなっている。


 そもそも順序が逆なのだ。意義と根拠に応じた強さの表現をつかうから批判に正当性が生まれるのであって、批判したい気持ちを満たすために法的にゆるされる限界まで言葉を強くすることに正当性はない。
 もちろん公言されなければ内心の正当性を第三者がおしはかることは難しいし、時には批判者が自分自身を騙していることもあるだろう。しかし言葉の強さという表層にばかり意識がとらわれているようでは、意義と根拠こそが批判の根本だということを忘れてしまう。

*1:天皇玄孫の竹田恒泰氏、戦史研究者の山崎雅弘氏を名誉棄損でうったえて、「負け戦」を経験する - 法華狼の日記

*2:判決文ノンブル27頁。オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」が呉座勇一氏への攻撃目的として出されたという陰謀論をとなえたいなら、オープンレターを出した後で和解したという時系列で認識したほうが整合すると思うのだが、なぜか和解後にオープンレターが出されたという認識が一部で定着してしまっていた。こちらのエントリで複数の誤解を記録している。 呉座勇一氏と北村紗衣氏の和解金をめぐって、オープンレター以上に大変な事態になるのでは? - 法華狼の日記

*3:判決文ノンブル43頁。

国立国会図書館デジタルコレクションの一般向け無料送信サービスに、サンリオSF文庫や辻真先ミステリなどが多数追加

 1980年代の絶版書籍が大量に追加されたなかで、レーベルが消えて再翻訳もされていない作品が多いサンリオSF文庫が特に話題になっている。
幻の「サンリオSF文庫」、国立国会図書館デジタルコレクションで無料公開中【やじうまWatch】 - INTERNET Watch

 「サンリオSF文庫」は1978年に創刊された文庫で、休刊となった1987年までに全197冊が発刊された。いずれも海外作品の翻訳で、絶版のまま復刻に至っていないタイトルもあることからファンの間では根強い人気があり、古書も高値で取引されている。今回、この「サンリオSF文庫」が国立国会図書館デジタルコレクションで無料公開されていることが明らかになり、ファンは歓喜。書誌情報を見る限り、収録タイトル数は160前後と約8割をカバーしており、しかも利用者自身の端末を用いてインターネット経由で閲覧できる「個人向けデジタル化資料送信サービス」に対応しているというからすさまじい。

 日本のSF作家では、山田正紀神林長平新井素子なども初期作品がいくつか。これらはおおきめの図書館なら収蔵している可能性が高いとは思うが。
地球・精神分析記録 : エルド・アナリュシス - 国立国会図書館デジタルコレクション
七胴落とし - 国立国会図書館デジタルコレクション
あたしの中の… - 国立国会図書館デジタルコレクション
 SF以外では、トリッキーさで知られる辻真先推理小説初期作品が多数読める。『天使の殺人』のように後年に復刊されるほど挑戦的な作品もある。
天使の殺人 - 国立国会図書館デジタルコレクション
 パズルのように緻密にくみあげた謎かけと謎解きで楽しませる、代表的なパズラーだった鮎川哲也のミステリも多数ある。
楡の木荘の殺人 : 鮎川哲也初期コレクション1 - 国立国会図書館デジタルコレクション
 鮎川哲也が編んだアンソロジーもいくつか読めるが、なぜか収録作品の各著者は詳細検索ではひっかからない。全文検索をつかうしかなさそうだ。
恐怖推理小説集 - 国立国会図書館デジタルコレクション
 1973年に発行された『安部公房全作品』もそろっているらしい。さすがに写真で読む送信サービスよりは図書館で借りたほうが読みやすいとは思うが。
安部公房全作品 1 - 国立国会図書館デジタルコレクション
 他にも、しばらく著作権は切れなくて青空文庫にはいらないが、絶版になって入手も難しいような作品がけっこう入っている。


 アニメ関係の希少な書籍としては、「わとそん@doctoruwatson」氏が紹介しているアニドウ発行の『未来少年コナン』テーマの書籍、通称「黒本」*1が注目か。


わー!
アニドウ発行の未来少年コナンの黒本が国会図書館デジタルコレクションの個人向け送信サービスに入ってる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12438088

 中古の流通が多くて入手はしやすいが、先日に亡くなられたいのまたむつみの『宇宙皇子』関係の画集2冊も送信サービスで読める。
いのまたむつみ画集「宇宙皇子」 - 国立国会図書館デジタルコレクション
いのまたむつみ画集「宇宙皇子」 2 - 国立国会図書館デジタルコレクション

『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』

 暗い嵐の海で、漁船が巨大なタコに襲われる。しかしひとりだけ生きのこった船員は、タコと戦った別の怪物に仲間が食べられたと証言する。その証言により、富士山で死んだフランケンシュタインの怪物が生きのび、凶悪化したと推測された。しかしフランケンシュタインを育てた女性研究者は否定する……


 1966年に公開された日本映画。本多猪四郎監督と円谷英二特技監督という東宝特撮映画の黄金タッグで、巨人同士のはげしい戦いを見せる。

 もともと前年公開の『フランケンシュタイン対地底怪獣』*1の続編として企画されたが、独立した映画として完成した。回想として描かれる場面は前作と似たシチュエーションだが多くの俳優も怪獣デザインも異なっていて、まるで直接の続編ではなく同じ脚本でリメイクした作品の続編のよう。超技術なメーサー車の登場も特に説明はなく、自衛隊車両の列にしれっと混じっている。
 しかし続編に近い作品となった結果として、説明を省略して怪獣が冒頭から出ずっぱり、現実感の基礎となる日常シーンを省略して特撮の見どころをつめこんだ娯楽作品となった。併映前提のような1時間半に満たない小品とはいえ、東宝シネマスコープ大作でここまでシリアスでいて怪獣の分量が多い作品は珍しい。
 ストーリーの構造は前作とほとんど同じで、リメイクに近い印象がある。2種類の怪獣が神出鬼没に行動して、人間に被害をもたらしている怪獣がどちらなのか科学者が推測や調査でしぼりこみ、人間になつく怪獣の冤罪を晴らす。前作では登場が唐突きわまりなかったタコは冒頭の荒海に登場させ、違和感なく主役の強さを見せる踏み台として活用される。人型の怪獣による食人などの刺激的な描写は多いが、物語展開にはひっかかりがなく、娯楽作品として見やすく完成度は高い。


 特撮描写はオーソドックスなものが多く、怪獣のサイズが小さいおかげでミニチュアを大きく作れて精度は高いものの、技術的な挑戦はほとんど見られない。特に合成は技術不足が目立ち、前作ほどではないがマスクが甘かったり、サイズ感が崩れているところが散見される。
 しかし浜辺や空港で水平線や地平線の奥からガイラが小さくあらわれ近づいてくる描写はすごい。白昼堂々の登場はいまだ国内外の怪獣映画でも珍しく、特異な恐怖感を出すことに成功している。霧の森の小道のむこうにガイラが立っている場面もすばらしい。
 また山中のサンダやガイラを映すにあたって樹木をていねいになめて奥行きを感じさせる描写も良い。そこからメーサー車がガイラを攻撃する時の光線が周囲の樹木もなぎたおしていくていねいな描写につながり、架空兵器に実感をもたらしていた。

『コードギアス 復活のルルーシュ』

 世界を独裁的に支配しようとした若き皇帝ルルーシュが白昼堂々と暗殺され、平和になったはずの世界。しかし砂漠の難民キャンプが謎の集団におそわれ、傭兵産業でさかえた小国ジルクスタンの暗躍が示唆される。
 一方、世界を安定させるため自らを殺させたルルーシュは、生きのびつつも記憶と人格をうしない、相棒の少女ひとりにつれられて世界をさまよっていた。しかしもとのルルーシュにもどれる場所がジルクスタンにあるという……


 2019年に公開された完全新作アニメ映画。TVアニメを再編集した総集編映画三部作からつづく後日談として、TVアニメのスタッフが再結集した。

 拡張性のある世界設定で群像劇を展開できるコンテンツのはずが、舞台から去ったルルーシュという主人公を商品の中核にしなければならなかったところは同じサンライズ制作の『装甲騎兵ボトムズ』のよう。『コードギアス 亡国のアキト』という外伝アニメシリーズでも、別のかたちで記憶をうしなったルルーシュを登場させたほどだ。
 しかし死なせた主人公を復活させた続編を出すにあたって、一時代を築いた大ヒット作で主人公の帰還を描くという企画そのものの力にもたれかかっていない。全体の1/4の尺をつかってTVアニメの結末*1のままルルーシュは退場すべきと考えている観客にも復活を納得できるようにして、復活によるカタルシスを描いた後も主人公の仲間集めに前半をつかいきって漫然とした時間をつくらない。
 後半もトリッキーな騙しあいを重視してストーリーをよどみなく動かし、超能力ギアスの謎解きと対処法をそれなりに楽しませてくれた。兵力を輸出することで成立していた小国が平和のおとずれによって苦難におちいった逆説や、そこで統治する姉弟が主人公兄妹のネガになっている構図も明確。映像ソフト特装限定版のブックレットを読むと、脚本の大河内一楼も自認していた。
 独立した作品として見ても、まず基本を見せてから応用を描くという段取りがていねい。たとえばロイドという戦闘力のない技術者を最前線で生きのこらせるため絵コンテを切りながら設定したという眼鏡バリアを、一発ネタで終わらせず後半で応用する。


 映像は奇をてらわず、わかりやすさを重視している。ところどころ主観カットをつかっているところは谷口悟朗コンテらしいが、あくまで映像技法のひとつとして活用している。
 劇場アニメでありながら、安定しつつも意外と作画は細かくなく、TVアニメの印象とほとんど変わらない。もちろん実際に当時の映像と見くらべると線の密度や撮影はまったく異なるが、業界全体の水準向上にあわせているくらいで過剰ではない。エンディングに入る瞬間のモブシーンが、ちゃんとひとりひとりを動かしているのに描きこみは粗いところがわかりやすい。TVシリーズのポイントとなるエピソードのほうが、生々しく繊細にキャラクターを作画していたと思う。かわりに映画らしく引いた構図を多用して、背景美術も精緻になっている。
 巨大ロボットの戦闘は、敵味方が飛行できるようになったTVアニメ2期終盤の状況からいったんリセットしている。前半は車輪走行とワイヤー昇降をくみあわせた動きに制限がある戦闘でTVアニメ1期までの緊張感を感じさせて、そこから後半にかけて異なる状況と機体ごとに異なる魅力の戦闘を描いていく。作画や演出だよりではなく、物語や状況設定の段階からおもしろい戦闘をつくろうと工夫して、成功していた。


 シリーズに強い愛着があるファンの感想はまた違うだろうが、全体として肩の力がぬけつつ手をぬいていない娯楽活劇として自然に楽しめた。
 サービスと話題性と意外性を重視するあまりバランスがくずれていたTVアニメの終盤とは異なり、全体の調和をとりつつ小さくまとめていて見やすい。