法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『わんだふるぷりきゅあ!』第11話 山に潜む、巨大生物!?

 見晴山に巨大生物が出るという噂をクラスメイトが話していた。遠足で行くような身近な山に巨大生物がいるとは思いづらいことや、鳴き声の特徴から正体はガルガルと推測して、犬飼いろはは兎山悟とともに山へ向かうが……


 千葉美鈴脚本、篠原花奈演出。強力なガルガルとの戦闘でカメラワークをつけてワンカットで動きまわる描写から思ったとおり原画に板岡錦がいたが、作画監督も担当していた。
 物語は作品フォーマットをそのまま踏襲。ガルガルの特徴から元になったキラリンアニマルを推理して、あつめた情報からガルガルの居場所も見つける。そして悟の動物知識を利用してガルガルに対処。
 手がかりを教えてもらう登山客をサブレギュラーのマダムトリオにしたり、先に謎めいた少女を出してから伏線をとおして別のプリキュアの存在を示唆したり、作品設定を無駄なくつかいつつ構成を工夫して最大限に意外性と納得感を出そうとしている。
 必殺技で決着しないところを除いては、シリーズで定番の描写を組みあわせただけの作品ではあるが、それゆえ安定した内容で安心して見ていられた。

パレスチナ代表がガザ爆撃が広島原爆に近づいていると訴えた後、イスラエル閣僚が原爆投下を選択肢にいれて、米国下院議員がガザをヒロシマのようにするべきと発言

 事実上の大使館である駐日パレスチナ代表部の公式アカウントがツイートしたのは2023年10月末のこと。当時は反発も少なくなかった。


広島に落とされた原子爆弾リトルボーイは、火薬を使った爆弾16,000トン相当の爆発を起こしました。

ここ3週間のイスラエル軍によるガザへの空爆は12,000トンを超えています。

そして通信を完全に遮断し、暗闇の中で民間人を殺戮し続けています。

戦争犯罪、ジェノサイド、民族浄化

 それから1週間ほどだった11月はじめに、イスラエルの閣僚のひとりがインタビューで問われて原爆投下の選択肢を認めて、さすがに閣内でも批判されて更迭された。
ガザに原爆投下「一つの選択肢」 発言のイスラエル閣僚に批判相次ぐ [イスラエル・パレスチナ問題]:朝日新聞デジタル

 発言をしたのは、エルサレム問題・遺産相のエリヤフ氏。地元ラジオとのインタビューで、「原爆を落とすべきか」と問われ、「一つの選択肢だ」と述べた。

ガラント国防相も、「こうした人物が、イスラエルの安全保障に責任を持っていないことは良いことだ」と批判した。

 そして2024年3月末に、米国共和党の下院議員が「戦争」を早く終結させるため長崎や広島のような爆弾を投下するべきと主張して、比喩だったと釈明した。
「長崎や広島のように」 ガザ衝突の「手っ取り早い」終結、米議員が主張 - CNN.co.jp

共和党のティム・ウォルバーグ下院議員が、パレスチナ自治区ガザ地区の戦争について「手っ取り早く終わらせるため、長崎や広島のような」爆弾を投下すべきだと発言した。本人は比喩だったと主張している。

SNSに投稿された動画には、ウォルバーグ議員の音声が収録されている。米国がガザの人道支援のために仮設の港を建設する理由について質問された同議員は、これ以上のガザ人道支援はすべきではないと述べ、「我々は人道支援にびた一文使うべきではない」と力説。「ナガサキヒロシマのようにすべきだ。手っ取り早く終わらせよう」と語った。

 念のため、どちらも有力な政治家だとしてもイスラエルや米国の政策を左右するほどではないし、さすがにガザ侵攻を肯定する立場からも失言として処理されてはいる。
 しかし、規模や無差別性をわかりやすくするためのパレスチナ代表部のツイートが、それこそ比喩ではなく予言になってしまったような事態に暗澹となる。このようなかたちで先見の明が証明されていいはずがない。

『呪怨 ザ・ファイナル』

 小学校教師だった姉が失踪したことで、残された妹が佐伯俊夫について調べはじめる。入院している少女が、不思議な光景を目撃する。そして佐伯家が物理的に姿を消した……


 人気ホラーシリーズの完結作品と喧伝された2015年の日本映画。たしかに現時点で映画作品としては最後だが、2020年にNETFLIXで連続ドラマが配信された。

 映画の内容としては、メインスタッフが共通する『呪怨 終わりの始まり』*1から直接につづいている。
 良くなかった前作と比べても顎がはずれるほど怖くない。全体的に恐怖描写は幻覚のように描かれ、しかも前半は恐怖が存在しなくなったことを確認してから次の章にうつるばかり。もともと怖く演出できてないのにクールダウンしてどうする。俊夫がオーバーラップで登場する描写などは半世紀前の怪談映画かと思った。
 恐怖描写のアイデアでよかったのはスマホを利用したズーム撮影で窓越しの恐怖を観察する『裏窓』*2的なシチュエーションくらい。しかもその観察者は死を恐れない背景があり、超常に対峙しても精神がゆらがないので、その心情が明かされてからは恐怖が消滅する。
 シリーズの売りだった時系列を前後するオムニバス構成も完全に崩壊して、黒地に白字で名前が浮かびあがる恒例の章立てが機能していない。その名前が視点人物というわけでも恐怖の主軸というわけでもなければ、その章内だけは時系列にそっているというわけでもない。ヒロインの恋人である駅員視点による恐怖は章をまたいで描かれるし、章内の時系列も前後する。ただ漫然と流れる時間に意味もなくテロップが挿入されているだけになっている。
 恐怖をささえる日常描写も稚拙で、日本映画としては抑制された演出で俳優の魅力をひきだしていた初期シリーズの良さがない。登場人物は説明台詞を多用するし、これで終わせるといったシリーズ終焉を意識したような話題を唐突にはじめる。それらの不自然な描写の理不尽さが恐怖に転嫁されるわけでもない。

『呪怨 終わりの始まり』

 児童虐待のうたがいで佐伯家へふみこんだ児童相談員が、とんでもないものを発見する。学級担任となった女性教師が、不登校の児童がいるらしい佐伯家へむかい、その前後から女性教師の周囲に異変が起きるようになった。さらに佐伯家へ度胸試しで侵入した女子学生たちも恐怖へ直面するようになり……


 人気ホラーシリーズの続編としてつくられた2014年の日本映画。『催眠』等の落合正幸が監督と脚本をつとめ、Jホラーをプロデューサーとして牽引した一瀬隆重が共同脚本。

 シリーズをたちあげた清水崇も原案や監修としてクレジット。しかし同時期の別作品インタビューで話をふられ、「僕の手から強引に剥ぎ取られたシリーズ」*1とコメントしたような立場だったらしい。


 カメラを微妙に動かしたりと全体的に清水崇の原典より予算をつかっているようだが、その大半が恐怖を減じさせる方向にはたらいている。屋根裏が汚していない白木なので、わざわざセットを作っているのがバレていることも鼻白む。
 シリーズのセルフパロディ的な恐怖描写が、よりによって原典でもすべった描写ばかりなのも良くない。たとえば顎がなくなった少女はビデオ版2作目*2から引いており、メイキングを見ると巧妙なVFXをつかっているのだが、長々と映すので絵面の間抜けさばかり感じられた。
 さらに失敗しているのが、シリーズの顔でありつつ、だからこそ早々に消費されて笑いの対象になった白塗り少年の佐伯俊雄をメインにすえたコンセプト。窓から腕だけが見えるカットだけは、最近に視聴しても怖かったビデオ版1作目*3における初登場のオマージュとして不穏感を出せているが、原典ほどの異物感はない。
 冒頭のモキュメンタリーのようなビデオ映像や、生身で暗がりにたたずむカヤコはそこそこ恐怖を感じられたから、むしろ白塗りの俊雄を使用しない方向にすればマシになった気がする。原典にはなかった設定をつけくわえてまで俊雄を中心にしたいなら、原典にはないホラー描写のアイデアがほしい。


 しかし恐怖の演出力そのものも全体的に弱い。恐怖が登場する直前にカットを割って客観的なショットを入れることが多くて、観客に心の準備をさせてしまう。数少ない怖さを感じさせた冒頭のビデオ映像ですら、いったんカットを割って普通の映画らしい客観的なカメラにして、さらにいくつかのカットを入れてから恐怖が襲ってくる。このシークエンスは最後までビデオ映像で撮りきるべきだ。後半の広い部屋で少女が超常現象でふりまわされる場面は長すぎ、かといって肉体的にボロボロになるわけでもないので物理的アトラクションとしか思えず、ホラーにもサスペンスにもスプラッターにもならない。
 明るい屋内で恐怖描写を多用するコンセプトは面白かったが、演出力の不足で裏目に出てしまう。明るいため造形物の稚拙さも目につく。先述した顎なし少女のVFXはメイキングを見ると良い印象だが、映画を視聴している時は組みあわせた造形物の稚拙さばかり目についた。終盤の最大の恐怖も同様の問題があり、映画全体が怖くないという印象で終わってしまった。
 物語の構成も首をかしげる。いったん呪いにとりこまれた教師に対して、恋人として同居する脚本家が謎解きをおこなって、やはり呪いにとりこまれてしまう。そこから再び教師の一般人としての視点で恐怖を感じていく展開が感覚的に納得しづらい。シリーズ恒例の時系列シャッフルをおこなっているなら問題ないが、交互に呪いがかかったり解けたりしては弱体化と感じてしまう。いったん呪いにとりこまれれば逃げられないことをシリーズで印象づけられているため、教師視点にもどっても死んだキャラクターの物語としか見ることができなかった。

『女神天国』

 同名の読者参加企画におけるメディアミックスのひとつとして1995年に販売された全2話のOVA。アニメ版のキャラクターデザインと作画監督山内則康がつとめた。

 キャラクターデザインなどには原案があるが、スタッフワークなどから『Aika』のプロトタイプと言えそうな作品。『Aika』と同じく画面に無駄にパンツを見せつけるコンテがナンセンスきわまりない。前後とも演出が水島精二で、田中良が原画に参加。しかしアクションはチャカチャカ動きが軽くて、悪くはないが良くもない。
 ファンタジー作品らしく上半身にボリュームがありながら下半身が生足ハイレグなコスチュームデザインがアンバランス。ストッキングの質感を表現するのはアナログ時代には手間がかかり、下着のために中間色をつくったり仕上げで彩色するにも費用と手間がかかった時代ならではか。
 同じキングレコード作品の『新世紀エヴァンゲリオン』がヒットする時代に緒方恵美がメインキャラクターの女性剣士を演じている。戦闘的とはいっても長髪の女性的なキャラクターを正面から演じるのは当時でも珍しかったのではないか*1


 内容としては、女性しかまったく登場しない、その純粋さが現在にいたるまで意外と珍しいファンタジーアニメ。はっきり性欲を感じるキャラクターが存在せず、『Aika』にはサブでいたレズビアン表現もないので、半裸が多いわりに意外と性的に感じない。
 物語は先述のように全2話で、1話ずつがTVアニメの通例より少し尺が長いくらいだが、1話目は上の指示にしたがって仲間集めのお使いをこなしながら敵味方のキャラクターを手際よく説明していく。しかし第2話は主人公が儀式の触媒として敵に拉致され、ほとんどの時間を気絶していてドラマを動かさない。主人公を囚われの姫役として仲間が戦うアクションストーリーとして成立はしているが、そのストーリーで心ひかれるところがない。
 敵が一定の目的を達しつつ敗北したところが終わりなので、OVAだけでは物語が完結していないのも難。キャラクターを売るためのコンテンツでオーソドックスにまとめているとはいえるが……

*1:原作者の意向がはたらいたらしい『魔法騎士レイアース』は例外だろう。