法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『アイドルマスターXENOGLOSSIA』雑多な感想

 月が崩壊した近未来。アイドルになるため東北から上京した天海春香は、同じアイドル関係者の萩原雪歩と偶然に出会う。しかし天海は自分が何に選ばれたかについて思い違いをしていた。芸能のアイドルではなく、地球へ落下してくる月の破片を粉砕するための巨大ロボット、iDOLの搭乗者になる天海だが……


 2007年に2クールで放送されたTVアニメ。アイドル育成ゲームのメディアミックス作品だが、制作したサンライズの色が出たオリジナルSFロボットアニメとして良くも悪くも話題になった。

 これが監督2作目となった長井龍雪は、後に『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』を手がけている。
 話題作『勇気爆発バーンブレイバーン』に対して、意思をもつ巨大ロボットが主人公に思慕をいだく先行作品という言及を見かけたので、序盤数話だけ見ていた作品をあらためて最初から最後まで視聴した。


 以前に序盤を視聴した時は、雪の日にひとり都会へ旅立つ少女や、かつて天災により変化した未来、巨大ロボットで活躍するのは別の少女という構成から『トップをねらえ2!』を連想した。
『アイドルマスターXENOGLOSSIA』を初回冒頭しか見ていないので - 法華狼の日記

トップをねらえ2!』と同じ箱に入れたまま取り出すタイミングを見失っているクラスタ

 しかしあらためて導入を見ると、2005年の『交響詩篇エウレカセブン』がやるべきだったことを押さえているように感じた。作品の世界の日常がどのようなものなのかをていねいに描写しているから、主人公がどれくらい作品世界においても異常な立場へと変化していったのかわかりやすい。「アミタドライヴ」のようなロボットと主人公をつなぐアイテム「アイ」を流れで処理せず、日常の似た立場の少女との出会いでも活用する。黒い敵ロボットの結末も似ている。最初に主人公が出会ったのがパートナーのエウレカとロボットのニルヴァーシュに分散された『交響詩篇エウレカセブン』と違って、ロボットのインベルというひとつのキャラクターに集約されている*1ことでまとまりも良い。
 中盤からは味方組織内の不和が広がり、エースパイロットだった菊地真碇シンジみたいになる。その直後のダミープラグのような展開もふくめて『新世紀エヴァンゲリオン』っぽさを感じた。ただその結末で操縦していた少女が自力でコントロールをとりもどす展開で、子供たちが状況をコントロールする意思と能力を獲得する物語になっていく。
 そして組織が瓦解しながらも人々が協力してたどりついた最終回は、後年の『機動戦士ガンダム 水星の魔女』と展開や絵面が似つつ、視聴後の感想は異なる。『鉄血のオルフェンズ』もふくめて、この最終回がなぜ『ガンダム』ではできないのか、この最終回のどこが『ガンダム』では許されないのか、ということを思った。


 キャラクターデザインが少し目と目が離れているところが当時のトレンドで、同じラインで先に制作された『舞-HiME』を思わせる。前髪の房が等間隔にならぶ単調な処理は古さを感じた。
 三浦あずさ如月千早という、似た髪色の長髪女性が人間離れした格闘戦をおこなう第2話には、もっとキャラクターデザインの差異を見せるべきと思ったが、設定を明かす第11話で納得。しかしこの真相と、それを延長した顛末はゲームのファンが反発をおぼえてもしかたないとも思った。
 逆に同じ第11話の描写を見て、アニメオリジナルキャラクターの幼い敵少女リファは、行方不明になった味方キャラクター双海真美が姿を変えたのかと一瞬思ったが、声優が違うので深読みしすぎと気づいた。せっかくゲームとは声優を変えているのだから、行方不明になった味方キャラクターの声は回想で見せなければミスディレクションになったか。終盤の悪趣味描写を見ると、ひょっとして幼い敵少女を双子に当てはめることをいったんスタッフが考えて、悪趣味すぎて断念したのかもしれない……というのは考えすぎか。
 体育着を基礎にしたパイロットスーツは『トップをねらえ!』を連想させる。女性の肉体らしさを光沢ある滑らかな上着で感じさせつつ、下半身は身体の線を出さないショートパンツにして、性的なニュアンスがドラマを壊さないようコントロールできている。
 その意味で感心できなかったのが第8話で、水着回としてのクオリティは当時の水準に達しているが、胸の大きさがネタにされるのが残念。ゲームの愛好コミュニティに寄せた後年のTVアニメ『THE IDOLM@STER』の過剰な胸いじりほど不快ではないものの、さすがにここはお約束の安易な踏襲と思った。ロボットを上下逆にして脚部からのロケット推進炎がリゾートの遠景にたちのぼる描写や、その推進炎のエフェクト作画は良い。


 メカニック描写だが、アイドルゲームのキャラクターをスターシステムのように活用した娯楽ロボットアニメという特殊なコンテンツゆえか、フェティッシュでもパロディでもない長井監督のメカ演出が飲みこみやすい。
 特に第1話中盤のワンダバ描写が、あくまで初めてそれを見た主人公の驚きと、その地域に住む人々にとって日常の延長と示すギャグに奉仕していて、淫する庵野作品のような飽きがこない。ただそのフェティッシュのなさが、何よりもメカの魅力を販促すべきガンダムシリーズには相性が悪かったのかな、とも思った。
 それでも人格のあるロボットとキャラクターを等分に重視していることで、キャラクターとロボットを同一画面に入れたカットがロボットアニメのなかでも異様なまでに多く、巨大感がよく表現されているところは良い。けっこうロボットは基地で待機するだけのエピソードが多いし、都市部の戦闘などはほとんどないが、ちゃんとキャラクターとかかわってドラマを動かしつづけるのでロボットアニメとしての必然性がある。
 人型をしている理由は特別に語られずとも、人格をもったロボなので違和感はない。原則としてミサイルなどをもてない国家の天災対処用の工作機械だから打撃武器しか持てないという理由もシンプルでいい。それでいて体型はフリーキーで、降着形態のような独特の変形も無駄なくシルエットが変わって楽しい。

 ロボットアニメとしては前述のように良くも悪くもフェティッシュを抑えて、作画も演出も安定指向。第4話だったか、吉田徹コンテ演出回の破損描写の描き込みが良くて、整備描写の存在意義がビジュアルで感じられた。
 脚部の逆間接的な湾曲が、第7話で主人公の前に手をついてあらわれた場面で、まるで人間というより犬猫のような四足獣に見えたことも面白かった。もともと中途半端に言葉を発さないことで巨大ロボットでも逆に親しみやすいと思っていたが、ここで性愛ではなくペットのような関係の可能性を感じて、より見やすくなった。登場そのものはサンライズアニメでありがちなロボット私的利用とはいえ説明を足してほしかったが、このあたりから少しずつ組織の規律がくずれていくので、全体をとおして見れば違和感は残らなかった。

*1:ただ、インベルと萩原は同じ位置づけのキャラクターの違う展開という解釈も可能か。

Netflix版『T・Pぼん』の予告映像から「戦場の美少女」もアニメ化されることがほぼ確定

 すでに指摘されているように、先輩女性のリームとともにタイムパトロールをおこなう作品前半のエピソードの大半が予告映像にうつっている。

www.youtube.com

 それらのカットがOPなどのイメージ映像でないかぎり、改変はあるとしても順当にほとんどアニメ化されるのだろう。
 沖縄戦の特攻兵を救おうとする「戦場の美少女」にあたるカットは予告の1分6秒ごろから、他のエピソードのカットをはさみながら多めに流れる。そこにかぶさる台詞が「戦場の美少女」の一場面なので、少なくとも予告においては作品を象徴するエピソードとして選ばれたわけだ。
 特攻を「散華」と表現する歴史教科書が検定に合格*1した現在だからこそ、時代に抵抗する意義のある作品になることを期待したい。


 兵器類は3DCGで描写されているが、参加しているアニメーターのツイートによるとメカやエフェクトはほぼ3Dをつかう方針らしい。他に「妖狐、那須高原に死す」の一場面と思われる騎馬武者の群れも3DCGでカメラワークをつけている。

 ただ今さらながら気になるのが、「戦場の美少女」は時間移動した過去と現在の出来事がつながることにドラマとしての意味がある。それを初出から40年以上たってからそのまま映像化することは難しいだろう。
 たとえば『ドラえもん』の「ぞうとおじさん」を2017年にTVアニメ化した時も、戦時中の子供時代をおぼえている老人と少年の主人公が会話する状況設定はぎりぎりで成立していた*2。そこからさらに時間がたった今、戦時中の青年時代をおぼえている老人と主人公をからめる物語にするには、かなりの工夫が必要になりそうだが……それとも、主人公の生きている時代は原作と同じ40年前に設定するのだろうか。

垢のようなものが浮いていて不愉快だから日本人が作った温泉じゃない感じという謎レビュー

 id:SIVAPRODのツイートでそのようなレビューの存在を知ったが、たしかにカジュアルな排外主義は日常でも耳にすることがある。


白浜崎の湯のGoogleレビュー。こういうカジュアルなゼノフォビア、オンラインでもオフラインでもあちこちで見させられる。ウンザリだ

 しかしツイートで批判されているゼノフォビアに比べればささいな問題だが、浮かんでいる垢みたいなものって湯の花では……

 白浜には行ったことがないが、検索すると湯の花がある温泉が複数あるようで、商品化もされている。
三木屋

南紀白浜」。
三木屋は創業55年、白浜温泉から出た100%天然の湯の花を皆様にお届けします。

 もちろん崎の湯でも湯の花があり、やはり商品として販売されているようだ。差別は目をくもらせる。
崎の湯の現地レポート/南紀白浜への旅行

入り口では湯の花が販売されていました。湯の花とは、温泉の湧水口で採取されたもので、白い粉末状のものが販売されています。ご自宅のお風呂に溶かし入浴すると、温泉に入浴した気分を味わえます。

インターネットの一部では、執拗に誹謗中傷された被害者の北村紗衣氏が、なぜか加害者の雁琳氏に執着していることになっている

 著名人としては、札幌国際大学の教授を定年退職した大月隆寛*1が、下記のようにツイートしていた。


そもそもなんでわざわざ雁林氏
「だけ」を訴えたのか、未だにその理由が謎なんだが、うんこ呼ばわりにムカついたってだけでなく、あれか、たかだか私大非常勤講師の分際で東大教授のアテクシをうんこ呼ばわりしやがって~、というつよつよ差別意識からのマウントが実は本質だったのか?

 そもそも裁判で争点となった誹謗中傷は複数あり*2、「うんこ」という表現がつかわれているのはひとつにすぎない。


 先日のエントリ*3でとりあげた「まーにゃ・うらら姫@lyricalium」氏も、誹謗中傷を継続する相手に抗議することを執着とみなして、手間ひまかけて潰しに行っていると不思議がっていた。


北村紗衣氏がなぜあれほど雁琳氏に執着したのかもよく分からないな


勝てると踏んだというのはあるでしょうけど、別に放置しても特に困らないでしょうし、手間暇かけて潰しに行くのがよく分からんです

 まだ一審とはいえ比較的に高額の賠償金が認められるような被害をかけられたと裁判所が判断しているのに、根拠なく放置しても特に困らないと根拠なく考える理由こそわからない。
 ここで興味深いのが「yoshitoshi nakajima@yoshitoshi20154」氏の経験談だ。本人は言葉の応酬の問題にしたいようだが、根拠を出せない主張をしてしまったと語るに落ちている。


それは、北村さんの性格のためだったと思いますよ。かなり、気性は激しい人ですから。僕に対してもホントのところは「お互い様」くらいの言葉の応酬だったんですよね。僕な対しては、真実性の証明のところで北村側が「デマ」と言ったところを僕が証明できれば僕の勝ちでしたから。。。


ああ、特に雁琳氏に執着したわけではなくて、あんまり話題になってないだけでけっこう手当たり次第に訴訟沙汰を仕掛けてるのかもしれませんね


聞いた話ですので、確実ではないですが、あの件で書類を送りつけた人数は6人と聞きましたね。

 ちなみに「yoshitoshi nakajima@yoshitoshi20154」氏が、「中島芳利 @鳩山原人 @ry355828_e」名義で北村氏への謝罪に追いこまれた流れは、下記にまとめられている。
又聞き情報をもとに北村紗衣氏を中傷し、開示請求される→「俺が圧倒的優位」と余裕ぶっこいてたら情報元の人からハシゴを外される→謝罪 - Togetter
 北村氏のさまざまな問題について「僕は見てきてます」とツイートし、裁判になったとしても「圧倒的優位」と自認した。しかし実際は他人の主張を信じただけで根拠など出せないまま、その他人が根拠を出さないから裏切られたと主張して終わった。今回は「聞いた話ですので、確実ではない」と留保できただけ成長しているのかもしれない。
 そして「まーにゃ・うらら姫@lyricalium」氏は「yoshitoshi nakajima@yoshitoshi20154」氏を信じて、被害者が加害者を標的にしたという転倒した考えで、北村氏は力の誇示のため訴訟をおこなったと想像していた。


手頃な標的だったのは分かるものの、「誰でもいいから訴訟沙汰にしてえ〜!」とでも思ってないと、裁判なんてめんどいことしない気がするんですよね。ただ、他の方からのリプによると、多数の人にああいうことしてるらしく、特に雁琳氏にだけ執着したってわけじゃないのかも。力の誇示のためとかかなぁ

 訴訟までは力の誇示としておこなえても、正当性を誇示できなければ勝訴は難しいと思うが。


 また、「まーにゃ・うらら姫@lyricalium」氏は北村氏が揶揄や嘲笑を好んでいると論評している。仮にそうだとして、主張の正当性がことなれば揶揄と嘲笑という形式だけ同じでも対応は違って当然だろう。


北村氏自身は論敵への揶揄や嘲笑を好んで行なっているので、揶揄や嘲笑に対する嫌悪や潔癖はって評するのはちょっと違和感ある気もします。自分は平気でやるのに、自分がやられたりやり返されたりは我慢ならないというだけに見える

 先述したように、雁琳氏との裁判で争点となった誹謗中傷は複数あるし、「yoshitoshi nakajima@yoshitoshi20154」氏との争点は主張の真実性だった。
 誹謗中傷にならない揶揄や嘲笑は平気でやるのに、誹謗中傷になる揶揄や嘲笑をやられることは我慢ならないと考えれば、特に二重基準とは感じられない。
 引用リツイートid:zaikabou氏が「踏み外した」という表現で違いを指摘しているが、勝ち負けの話ではないと返答されてひきさがっているのもよくわからない。


揶揄や嘲笑は踏み外した方の負けなので…


揶揄に対する嫌悪や潔癖さがあるかどうかの話であって、揶揄の勝ち負けの話はしてませんでした


そうですね、失礼しました

 たしかに「まーにゃ・うらら姫@lyricalium」氏のツイートは前半までなら揶揄や嘲笑という形式の嫌悪や潔癖さの有無を論じているが、後半は同じ形式でも北村氏の態度が異なることを主張している。その原因を北村氏がやる時とやられる時という違いだけと「まーにゃ・うらら姫@lyricalium」氏は論じたわけだ。
 事実として「揶揄に対する嫌悪や潔癖さがあるかどうか」にとどめない「skerenmi@skerenmi」氏の引用リツイートには、zaikabou氏に対してとは違って、留保なく肯定しているようだ。


口喧嘩で負けそうになったら法的手続きとるやべーやつってこと?


はい

 しかし北村氏が雁琳氏に口喧嘩で負けそうになっていた記憶がない。雁琳氏が大学の契約を切られたのは、大学とのやりとりを勝手に公開して自滅しただけと思われ、そこに北村氏の策略を見いだすことは難しい。


 北村氏の行動を執着あつかいして不思議がる「まーにゃ・うらら姫@lyricalium」氏だが、どちらが執着しているのだろうかという疑問もおぼえる。


北村紗衣、外道
人の道に悖る
どれだけ強い言葉で非難しても足りない


神原弁護士はともかく、北村先生自身は嘘を吐いてる自覚くらいはあるはず…と思うんだけど、あそこまで異常な言動の数々を見てきると流石にちょっと自信なくなってくる。過大評価だったのかもしれない


しかし、裁判沙汰にさえしなければ誰もいちいち覚えてるはずのなかった「ポリコレリベサヨうんこ学者」がすっかり特定個人の二つ名として定着したわけで、今回は自業自得だから別にいいけど、侮辱や名誉毀損を沙汰にするというのはそのへん難しいよな


裁判沙汰になんてしなければ、「ポリコレリベサヨうんこ学者」は、当該投稿で名指しされた2人をはじめとする特定の傾向のある人達への悪口に過ぎず、元々は特定個人の二つ名になるようなものじゃなかったのに…

 最後のふたつのツイートなど、ほとんどイジメ加害者の論理と変わりがない。その表現を誹謗中傷と裁判で認めさせたことが自業自得という意味もわからない。
 たとえばリアルタイム検索を参照すれば*4、「ポリコレリベサヨうんこ学者」という表現は裁判のさなかでは言及がほとんどなく、一審判決で北村氏が勝訴してから反発するように広められている。裁判沙汰にした時点ではない。
「ポリコレリベサヨうんこ学者」のX(旧Twitter)検索結果 - Yahoo!リアルタイム検索

*1:はてなアカウントはid:king-biscuit

*2:判決文のノンブル54~59頁に掲載。 http://www.mklo.org/mklo/wp-content/uploads/2024/04/ffdd5b80e78c62b11a9a19dbd8ffa153.pdf

*3:インターネットの一部では、名誉棄損裁判で勝訴した北村紗枝氏が、周囲が誤読するよう誘導して騙していることにされている - 法華狼の日記

*4:全文検索ではないので参考あつかいだが。googleトレンドでは問題のツイートがあった2021年2月に突出して検索された後は忘れられ、2024年4月17日に検索されて忘れられている。

『わんだふるぷりきゅあ!』第12話 私はキュアニャミー

 猫屋敷まゆは、たびたびユキが姿を消すことに悩んでいた。学校で犬飼いろはとこむぎに相談し、兎山悟に猫の能力を教えてもらい、家にペット監視カメラをつけることになるが……


 井上美緒脚本に畑野森生演出で、ここ最近に暗躍していたプリキュアのアクションをはじめて見せる。後半のまゆが走る場面で街灯だけ背景動画で動かして陽が落ちた街のひとけのなさを強調するカットや、ダッチアングルの多用など、いつも以上に絵をつくりこんでいる。
 今作ではじめてプリキュアが敵を打撃で圧倒する描写もアクションとして魅力的で、なおかつここまで慎重にさけてきたがゆえの違和感もある。凶暴化した動物に暴力をふるうのが、動物が変身したプリキュアであるので、人間が動物をいじめるようなニュアンスを排除できている意外な良さもあった。
 ただ、帰るふりをしてガルガルをさがしているいろはとこむぎより、まゆが先にガルガルに遭遇してしまう展開は物語の都合を感じた。まず森のなかでキュアワンダフルとキュアフレンディがフクロウガルガルに遭遇して、相手が飛行するため街に逃げられてしまったという段取りを入れたほうが自然になった気はする。