追記

昼夜を取り違えていた

前のエントリの脚注で、射覆の課式で発用に乗じているのが玄武なのに、白虎と間違えて射覆を考えていたことを追記した。

原因は申刻の占いだったのに夜貴人を使っていたことだった。辛日の昼貴人は寅になる。この場合、寅の地盤は丑なので順に天将を配布することになる。また間違えていたように夜貴人とすると貴人は午に乗じることになる。

昼貴人 太陰天后貴人騰蛇朱雀六合 勾陳青龍天空白虎太常玄武
夜貴人 天空青龍勾陳六合朱雀騰蛇 貴人天后太陰玄武太常白虎

この時、天罡辰に乗じる朱雀と河魁戌に乗じる太常の2つだけが昼夜で同じになる。そして河魁戌は四課三伝に出ているが天罡辰は出ていない。つまり昼夜を取り違えていたにも関わらず緒となる太常だけは正しかったわけで、その意味でも支上神を重く見るべきだったのだろう。

3択の射覆を外した

3択だと外すか

いつものカナサキ先生射覆、今回は3択で

  • ①寅さん
  • ②ウサギさん
  • ③お人形

のどれか?ということで得たのがこの課式。①寅さんは虎の小さな縫いぐるみ、②ウサギさんは焼き物かプラスチックの小さな兎のペアで、③お人形は御姫様っぽいドレスを着た人形だった。今回もあまり色が手がかりにならない感じだった。

陰日なのでまず支上神を見る。河魁戌に太常が乗じている。河魁は空洞があったり包むものなのだけど3者ともその可能性がある。 六親が父母、天将が太常なので衣服とかあるいは布ということになる。

なので②ウサギさんは除外できるだろう。
そして発用に白虎が乗じている*1ので①寅さんと答えて外した。

実は太常は太裳と呼ばれていたことがある。『裳』はスカートのことなのでドレスを着た人形の可能性が頭をよぎった。しかし発用の白虎に重きを置いたわけで、これが失敗だった。支上神、干上神と三伝のどちらを重く見るべきかで悩むことが多い。これまでの外し方からすると、支上神、干上神でピンと来るものがあった場合は三伝が必要ないのかもしれない。

これが正解。

*1:2024-04-30訂正 発用には玄武が乗じている。どこで間違えたのか分からない。玄珠さんに感謝。

2択の射覆を当てた

マスクか目薬か

いつものカナサキ先生射覆、今回は2択で

  • ①目薬
  • ②マスク

のどちらか?ということで得たのがこの課式。目薬は褐色の容器だしマスクは黒ということなので、今回は色があまりあてにならない。陽日なので干上神を見ると*1、神后子に天后が乗じている。これは液体と見るべきだろう。また六親の父母は纏わり付くものの象でもあるので、これも目に注す目薬と見ることができる。

発用の河魁戌は収納空間、入れ物の象がある*2。それに水行の玄武が乗じているので、これもまた目薬を指していると見て良いだろう。

また間伝格なので、ボタリボタリと滴る目薬の象となる。そして中伝の伝送とそれに乗じる白虎はともに金行で刺激物と見ることができる。これもまた目薬だ。

出題された目薬は名前で検索すると、アレルギー用で抗炎症作用があるので、末伝の勝光午ともつながっている。

ということで①目薬と答えて正解だった。

*1:五重日なので支上神も同じなのだけど。

*2:天罡辰も同じ。

八宅の変爻法

案外応用範囲が広い

この前の4月20日に『陰陽道史研究の会』の春の研究会に参加してきた。今回は午前中に土御門家菩提寺である梅林寺の見学会があって色々と盛沢山だった。梅林寺の本堂に上がらせて頂くというめったに無い体験もできた。貴重な御機縁を作って頂いた梅林寺さんには感謝している。

午後から研究報告が2件あった。1つは牛頭天王研究会から、奈良県の飽波神社の夜法会やぼえとよばれる神事についての報告だった。飽波神社は聖徳太子牛頭天王を祀ったのに始まるという伝承を持つ神社で、牛頭天王といえば陰陽道なわけで夜法会も蘆屋道満の修法に起源を持つと言われている。もっともこの説は俗説で、伝承を遡って行くと一筋縄では行かないようだ。

もう1つが平安期の文学作品に現れた陰陽師やいわゆる陰陽道がどのようなものだったかという、非常に面白いテーマで紫式部日記を丹念に読み込んだ研究だった。ただ占い師としては研究のテーマよりも興味を惹かれたものがあった。

それが資料として引かれた『外台秘要法』所収の『崔氏年立成図法』の妊婦の禍害、絶命、生気だった。この法では年齢に対して小成八卦を配して、それから禍害、絶命、生気となるものを出す。『外台秘要法』は唐の玄宗の時代の医書で752年に上梓されている。

離卦が配当されるのは、16、24、32、40、41、48歳で少々変則的な配当になる。八卦の順番は離卦を起点に後天八卦を右回りに回って行く感じだ。そして離卦の禍害は艮で離卦の下爻変、絶命は乾で中爻変、生気は震の上爻変となっていて、八宅の大遊年変爻法と全く同じになっている。

八卦禍害絶命生気
離☲ 艮☶下爻変 乾☰中爻変 震☳上爻変
坤☷ 震☳下爻変 坎☵中爻変 艮☶上爻変
兌☱ 坎☵下爻変 震☳中爻変 乾☰上爻変
乾☰ 巽☴下爻変 離☲中爻変 兌☱上爻変
坎☵ 兌☱下爻変 坤☷中爻変 巽☴上爻変
艮☶ 離☲下爻変 巽☴中爻変 坤☷上爻変
震☳ 坤☷下爻変 兌☱中爻変 離☲上爻変
巽☴ 乾☰下爻変 艮☶中爻変 坎☵上爻変

つまり唐の玄宗に時代には、八宅の理気が完成していて他の分野にも応用されていたということなのだろう。

チャネルは多分ある

五蘊皆空

私は御釈迦さんが得た五蘊皆空の直観は正しいと思ってる。仏教の『空』というのは、

  • 永遠不変の実体*1は存在しない。
  • 相互に関わることで実在を担保しあっている。

という2点から構成されている*2。ただ私は敬虔な仏教徒ではないので、入滅してこの世から去った御釈迦さんがこの世に介入するためのチャネルを持っているかどうかについては非常に懐疑的だったというか、そういうチャネルは無いと考えていたので、御釈迦さんその人を信仰することはできなかった。

ただ何故占いが当たるのかを考えると*3、チャネルの存在は否定できないと思うようになってきた。占いが当たるということは、茶さじ1杯分くらいではあっても剥き出しの神秘*4なのだ。

*1:例えばアートマン

*2:なのでネットで時々流れてくる俗訳の般若心経の「この世は全て空しいものだ」は完全に間違っている。

*3:単に当たったことだけ記憶しているだけで、当たり外れはランダムなものでしかない、という反論があるのは承知している。

*4:私の Pink Floyd 好きを知っている人なら、これが Pink Floyd の“A Saucerful of Secrets”(邦題:神秘)を踏まえていることがわかると思う。

紫微、破軍、天相

私の勝手なイメージだけど

紫微斗数では天府系の星の出し方から、天相と破軍は必ず対宮に位置する*1。そして天相も破軍も紫微と同宮することがある。
この場合、命宮で紫微-天相が同宮すると対宮の破軍のイメージが前に出てくる印象があった。そしてどうも、紫微-破軍が命宮で同宮すると対宮の天相が前に出てくるみたいだ。

紫微が絡んだ同宮だと何かピントがボケて対宮の星が前に出てきたりするのだろうか?

*1:手書きで命盤作る時は、こういったことを手掛かりに書きながら命盤をチェックする。

射覆で思い出す

銅銀二匙

昔、透派五術を初めて一般向けに解説した文研出版の『五術占い全書』で『大六壬銅匙』と『小六壬銀匙』がちらっと紹介されていた。『銀匙」の方は射覆に特化したもので、周易の射覆しか知らない日本人に本物の射覆を教えてやるぜって感じの紹介だった。確か銀匙の勉強会か書籍の案内をもらった記憶がある。ただ当時は高校生で金も無くて見送った。

どうやら希望者が少なくて、出版されないままポシャッたらしい。

『小六壬銀匙』の『小六壬』は淳風時課ではなくて、射覆大会を想定した短時間に対応する六壬だったのではないか?と想像している。六壬では、

常以月将加占時

なので1刻2時間内は常に同じ課式となる。射覆の大会で2時間内に複数の出題となると確かに通常の六壬では対応し難い所はある。金口訣六壬なら地分を変えることで対応できるけれども、透派十三世の張さんは金口訣六壬を『異端の六壬』と呼んでいた*1ので、銀匙が金口訣だったとは考え難いだろう。

となると短時間に対応した六壬だった可能性は否定できないだろう。透派だと皇極経世書にならって、月-時や年-日には同じようなシステムを採用している。例えば立向遁甲盤の局数は月と時は10時1局、年と日は1時1局とかだ。なら小さい時だと、月→時、日→分、時→秒を思い付くけれども、流石に秒は使いづらいだろう。なら、月将の代わりに日将を使って見えないものを占う技法もあるので、日干支の代わりに分干支を使うものだったのかもしれない。

多分、銅匙銀匙というタイトルの古典は実在したのだろうけど張さんのことだから、銀匙が射覆の本だったかどうかは分からないけどね。そして射覆の本だったとしても、小さな時間用の六壬を使った射覆だったかどうかは分からない。『奇門遁甲天地書別巻極奥秘訣』*2の行軍三奇とか、それまで引用されてた行軍三奇と関係無くぼこっと透派の行軍三奇の勝ち負けとか出てくるわけで、そういうタイトルの古典があったとしても透派が言ってる内容である保証は無い。

*1:確か『新五術占い応用秘伝』だったと思う。

*2:原書房で5,000円だったので買った。安くなったよね。