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社会通念を根拠にセックスワーカー差別を追認した司法判決 「セックスワークにも給付金を」訴訟レポート

「裁判所こそが不健全です」。

 東京地方裁判所西門前で弁護団長・平裕介弁護士は怒りと失望をあらわにしながら言い放った。判決の言い渡しから、わずか10数分後のことだった。

 デリバリーヘルスの経営者が「コロナ給付金(持続化給付金および家賃支援給付金)を支給しないのは憲法第14条の法の下の平等に違反している」とし、国を訴えた「セックスワークにも給付金を」訴訟。

 6月30日、東京地方裁判所は原告の訴えを却下し、支給対象から性風俗業者を除外した国の対応を合憲とした。

 「いずれも却下」「いずれも棄却」「原告の負担とする」。岡田幸人裁判長は、判決の主文だけを言い渡し、理由を読み上げずに法廷を去った。

 マスコミ関係者や法曹関係者のみならず、セックスワーカー性風俗の利用者など多くの人で満席になった傍聴席は、あまりに簡潔な判決とその内容にあっけにとられていた。

 自身の事業のみならず、職業そのものが抱えるスティグマを司法に問い直すため、たった一人で訴訟を始めた原告に対し、冷酷とも言える対応だった。

 原告は、自身もデリヘルでキャストとして働いた経験を持つ経営者の女性。2020年9月、コロナ給付金から性風俗事業者が除外されたことに対し、「憲法第14条に反する命の選別、職業差別ではないか」とし、国を提訴していた。

 原告の訴えに対し、国は第一回口頭弁論の答弁書にて、性風俗事業者を「性を売り物にする本質的に不健全な営業」とし、不支給を「合理的な根拠に基づく区別ということができる」と回答していた。

 しかし、納税や労務管理を行い、風営法売春防止法も遵守した上で運営を続けてきた原告を、「本質的に不健全」とする明確な根拠は示されず、不支給の根拠は「性風俗営業は社会一般の道徳観念に反するもので、国庫からの支出は国民の理解を得られない」というあいまいな回答のみだった。

 判決は国の訴えを全面的に認め、いずれの請求も却下・棄却。原告は即日控訴した。

 今回の判決の最大の問題は、この判決が不支給の根拠を「性風俗は”大多数の国民が共有する性的道義観念に反するもの”であるから」としたことだ。

 しかし、ここで言う性的道義観念とは何なのか。大多数の国民とは誰なのかについての客観的資料を、被告は一切提出していない。国民の内面が国や裁判所によって勝手に規定されているのだ。

 そして、これは言うまでもないことだが、たとえ「大多数の国民が性的道義観念に反する」と考えていたとしても、法に則った適切な運営をしている事業者に対し、給付除外をする合理的根拠はない。今回のように社会保障の意味合いの強い給付金であればなおさらだ。

 「法」より「社会通念」を根拠にした今回の判決は、司法の役割を半ば放棄していると言える。

 また、平弁護団長は、記者会見で国が答弁書に記した「性風俗営業は社会一般の道徳観念に反するもの」という表現が、判決では「性風俗業は大多数の国民が共有する性的道義観念に反するもの」と表現されていること。国の答弁書にはない「限られた財源」という言葉が判決に付け加えられていることについて述べ、裁判所が国による差別を積極的に追認、補強していると指摘。司法の独立性という観点からも問題があるとした。

 

 

 今回の判決は、性風俗事業者に対するスティグマを強化し、関わる人々を周縁に追いやるもので、非常に危険な内容だ。

 

 たとえば2021年6月、東京都立川で、デリヘル勤務の女性が、当時19歳の男性にホテルで殺害され、助けに向かった男性も重傷を負うという事件があった。

 

 容疑者は「風俗業をやっている人間はいなくていい。風俗の人はどうでもいい」と供述したという。

 

 セックスワーカーに対する差別意識をあらわにしたこの事件に対し、原告は第3回口頭弁論で「この事件のことを聞いた時、自分が裁判を起こし、国の”性風俗業は本質的に不健全”という答弁を引き出したせいで起きた事件ではないかと思った。こんなことがないよう国は職業による差別をやめてほしい」と語っていた。

 

 暴行だけでなく、「元セックスワーカーが就職の内定を取り消された」「結婚を反対された」などの差別は決して珍しくない。暴行や盗撮を警察に届け出ても、「そんな仕事に就いているから」と真摯に取り合ってもらえないという話もある。

 

 また、セックスワーカー自身が差別を内面化し「病気になっても言い出せない」「暴行を受けても訴えられない」と考えて、困難な状況に陥る例も珍しくない。判決がこうした状況を加速させる可能性は極めて高い。

 

 差別が直接的に個人の生命を脅かすものであることに、あまりに鈍感な判決と言える。

 

 セックスワーカーに対する差別について、神戸大学大学院の青山薫教授は、意見書の中で性風俗に対する差別の歴史を紐解き、「性風俗差別は優性思想に基づくもの」という見解を示している。

 

 青山教授は、明治初期の「花柳病(性病)」の管理が、性風俗の管理・取り締まりの契機となったことを指摘。梅毒など感染症の取り締まりの中、政府は娼婦を感染源とし、「醜業」というスティグマを付与。管理の対象とした。一方で、買春する側の男性が感染源と見做され、管理されることはなかった。

 

 こうした国家の対応を見る際に注目したいのは、対応の根底に家族制度のあり方に反する存在を差別し、管理下に置こうとする意図が見えることだ。売春する女性を「家庭や国民国家の衛生を侵害するもの」と位置づけ、国の保護や更生に従う女性を「純潔なる家庭を守る存在」とし、女性たちの中に分断を作り上げた。ここでも、男性は更生や処罰の対象にはならず、あくまで「女性を管理する存在」として上位に置かれていた。こうした分断と差別は第二次世界大戦中に強化され、今でも社会に根強く存在している。

 

 国家が特定の属性の人間やコミュニティを名指し、スティグマを与えることで社会を管理する。こうした構図は、コロナ禍において「夜の街」「パチンコ屋」「飲食店」など、国や行政が特定の業種を名指し、秩序を乱す存在としたことも思い起こさせる。

 

 今回の判決が与える影響は、セックスワーカーにとどまらない。国、そして司法が少数者の権利を守らず、社会通念といったあいまいなものを根拠にすることを許してしまえば、あらゆる少数者が「国家による差別」の対象になりかねない。

 

 

 控訴に向けて、原告は「負けるわけにいかない裁判です。みなさんの助けが必要です。闘うための力をいただけたらありがたいです」とコメントし、再度クラウドファンディングをはじめた。

 

[https://www.call4.jp/search.php?type=material&run=true&items_id_PAL[]=match+comp&items_id=I0000064:title]

 

 また、弁護団Youtubeでの一審判決報告会にて、判決を読んで各々が社会に議論を呼び起こすことや、裁判官の監視として傍聴に訪れることの重要性を呼び掛けた。

 

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 セックスワーカーのサポート団体「SWASH」のメンバーであり、現在参議院選挙に出馬中の要友紀子氏は、傍聴直後にYoutubeライブ配信を行い「今回の判決についてちゃんとした意見を表明できる政治家を選び、民意を選挙結果で表してほしい」と訴えた。

 

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 各人が判決に対する意志表明を行うことが、第二審の結果にも影響を与えていくはずだ。

 

グレーゾーンに未来はあるか 性風俗と芸能の境界線上で揺れるストリップ(2018.12.28 messyに寄稿)

劇場は、街の人々の居場所だった


「劇場の扉を開けたら、踊り子さんと糸を持ったお客さんが舞台の上に乗ってて。『え?』と思ったらその踊り子さんが『お食べ』ってリンゴをくれたんだよね。一通り観て、それが花電車で切ったものだってわかったんだけど」

 30代女性のWさんが話してくれた、まるで昔話の一場面のようなエピソード。かつて横浜に存在した黄金劇場での一幕だ。

 「花電車」とは、局部を使って吹き矢を飛ばしたり、筆で習字をしたり、ラッパを鳴らしたりする芸だ。その日のストリッパーは、局部に糸を入れてその端を客に持たせ、リンゴを切るという芸を持っていたという。

「そのリンゴ、包丁よりきれいにむけてたんだよ。あれは同性として尊敬しかないよ……」

 元ストリッパーの女性支配人が運営していた黄金劇場は、数あるストリップ劇場の中でもとりわけ地域の人に愛されていた場所だったと聞く。

 舞台が壊れたら常連客が競馬で当てた数百万を寄付して改修してくれた。一見さんには常連がポラロイドをおごってくれた。その日の演者の旦那が子ども連れで訪れ、ショーの終了後にお客も交えて談笑していた。上演前の舞台の上でカラオケを歌う老人がいた。年配のストリッパーが客におっぱいをさわらせながら、「最近来なかったじゃない」「病気しちゃってさあ」「あたしも今度膝の手術するのよ」と会話していたなどなど、のどかなエピソードには事欠かない。

 そこでは、ストリップ劇場は性風俗の現場であり、ダンスショーや芸を見る場でもあり、街の人々にとっての居場所でもあった。

 しかし、黄金劇場は2012年2月にわいせつ物陳列罪。同年6月には労働基準法違反(強制労働の禁止)によって閉館。同年9月に一時的に再開するが、11月に8か月の営業停止処分を言い渡され、翌年には廃業に至った。

 街の交流場所として愛されてきた劇場が、最後はストリッパーへのギャラ未払いを明かされ、完全に廃業したという事実は何とも言い難いものがある。

 だが在りし日の黄金劇場の様相や、その終わり方は、「ストリップの今と未来」についての様々な示唆を与えてくれる。

 

日本ストリップの負の歴史


 ところで、第1~3回までの文章を読んでいただいた読者の中には、「これは自分が知っているストリップと違う」という違和感を覚えた人もいることと思う。

 じゃんけんに買った客が舞台の上でセックスする、本番まな板ショーがあったはずでは? 東南アジアや南米の女の子たちが売春していたはずでは? ステージを観て女の子を品定めし、個室で本番に持ち込めたはずでは?

 そう、かつてストリップはもっと直接的に性を売っていたし、明確に「人身売買が行われる場所」でもあった。

 日本におけるストリップの始まりは1947年、秦豊吉による「額縁ショー」がはじめとされている。この頃は今のようなダンスショーの形式を取っておらず、西洋の裸体画を模した姿の女性が局部を隠して立っているだけだったそうだ。

 その後、娯楽の少ない時代においてストリップ劇場はその数を増やしていき、ピーク時には全国に600以上の劇場があったという。しかし、1970年代から性器の露出が始まり、同時にストリップのサービスはどんどん過激化していく。

 かつては局部を見せるか見せないかのチラリズムを競っていたストリップだが、過激化のピーク時には鉗子での局部開帳、犬や馬との獣姦ショー、男女の本番セックス白黒ショー、じゃんけんで勝った客とストリッパーのセックスを見せる本番生板ショーなどが横行していく。

 また、70年代には南米や東南アジアから観光ビザで出稼ぎに来ていた女性たちを、騙してストリップに引きずり込み、本番を強要させる例が相次いだ。彼女たちの多くは渡航時にブローカーに借金を背負わされ、売春を強要されながらの返済を余儀なくされる。「本番生板を拒否したために殺された女性がいる」という噂まであったという。

 ストリップ関係者の自伝や評伝は少なくないが、いわゆる「本番」に関してはさらっと触れられるのみで、具体的な描写があまり残されていない。しかし、山谷哲夫の『じゃぱゆきさん』(情報センター出版局/1985年)には、この頃の「売春小屋としてのストリップ劇場」に関する描写がある。

 山谷は、取材相手のフィリピン人・マリアの「本番生板」を目にする。「こけしショー」と呼ばれる性器にこけしを出し入れする日本人女性によるショーが終わった後、「さあ、さあ、お客さん。遠慮しないでどんどん舞台に上がって。早い者勝ちだよ。フィリピンからの産地直送だよ」というアナウンスがなされ、いかにも人のいいサラリーマン風の男性が舞台に上がり、「本番」を始める。

 舞台に上がった男性とマリアの性交を周囲の40人ほどの客が視姦する様子は、極めて醜悪に描写されている。自分を取材しているライターを前にしながら、無表情に事をこなしていたというマリアの心境を想像すると、こちらも打ちのめされたような気持ちになる。

 その後、1984年の風営法改正を受け、こうしたあからさまな売春を行う劇場は取り締まりを受け、減少の一途をたどる。

 今、ストリップ劇場で「本番」を提供しているところは存在しない。

 それでは、ストリップは“ホワイト”な娯楽なのだろうか? そう言い切れるほど、現状はシンプルではない。

 

ストリップは白か、黒か?


 それはストリップを取り締まる法のひとつであり、社会の「性的道徳秩序の維持」を目的とする「公然わいせつ罪」が、あいまいで恣意的な運用を可能にしているからだ。

 公然わいせつ罪において、ストリッパーは「夜道でいきなり性器を見せつけてくる露出狂」と同じロジックで裁かれる。しかし、現在のストリップは「観たいと思った客が入場料を払って劇場に入り、ショーを観る」のだから、実態を正しく把握していれば逮捕は不当だとわかるだろう。

 しかし、実際は警察側は極めてあいまいな基準で摘発を実行する。過去には、ストリッパーや従業員だけでなく、衣装での写真撮影をした客や、リボンやタンバリンで演目を盛り上げた客まで公然わいせつの幇助で現行犯逮捕された例もある。売春防止法や、わいせつ物頒布等の罪ではないことに注意したい。

 撮影した客を幇助で逮捕するのは、さすがに理論が破たんしていると思うが、法による曖昧な定義が権力側に濫用されてしまえば、それが実態とかけ離れた不条理なものでも逆らうことは出来ない。

 性表現を巡る議論では、局部を見せるか否かが争点になることが多いが、実際のところは出す・出さないに関わらず「わいせつを助長すると思われる」と警察が言い出せば、摘発は可能なのだ。

 ストリップファンの間ではよく、「オリンピックや万博に伴い、浄化の名目で劇場が潰されるかもしれない」という話題になる。そこに存在するのは、「ストリップなどという下品なものは我が国にはないことにしたい」という権力側の都合や、「何だかよくわからないが、怪しいものを排除したい」という市民社会のあいまいな意思だ。

 根底にある、性風俗従事者への根強い差別意識や、性に対する嫌悪感がこうした「浄化と言う名の排除」を促進している。

 しかし“浄化”促進派には、ストリップを通して生活の糧を得ている人々、誇りを持って舞台に立っている人々、ストリップを見ることで日々の生活を豊かにし、また日常に向き合っていこうとしている人々への想像力や敬意が欠如している。

 ストリップの未来を考えるという点において、もう一つ留意しておきたいのが、現状でのストリッパーの負担の大きさだ。10日間拘束で1日4~5回ステージに立ち、移動日もなしに次の劇場に入る……という現状の労働条件は、やはり“ブラック”だ。

 空中演目における劇場の安全対策なども万全とは思えない。また、客の中に撮った写真を転売する者や、ストーカーに変容する者がいたとしても、それを阻止する有効な対策は打ち出せていないのが現状だ。

 こうした労働上の問題を、オセロを返すように白にする方法はないだろうし、ここで詳細は議論しない。しかし、せめて何か問題が起きた際に相談できるような窓口は必要だろう。また、ストリッパーがより安全にステージに立つために、これまでと興行の形式が変わったとしても、それを理解する流れは作っておくべきではないか。

 ストリップを文化として残したいと願うのであれば、ファンも含め関わる人々は「人身売買や出演強要のような人権を蹂躙するような行為のない、堂々と楽しんでいい娯楽である」ということを市民社会に向けて発信する必要がある。

 

グレーだからこその自由と寛容


 それでは、ストリップは芸術的で上品な、どこから見ても“ホワイト”な芸能を目指すべきなのだろうか?

 ここが何とも言いようのないところで、ストリップは18歳未満禁止で、下世話で、あいまいで、“グレー”な存在で、だからこそ、市民社会や公権力といった“ホワイト”側が行う排除の姿勢と距離を置いているところがある。

  ストリップほどあらゆる人間がいる芸能はなかなか無いし、ストリップほど誰が訪れてもかまわない性風俗はない。

  劇場には、裸にしか興味がなくてダンスの時は寝ている人も、「来てくれてありがとう!」と言われたくて通っている人も、ストリッパーに心酔している人も、リズムがうまく取れなくて音に合わない拍手をしてしまう不器用な人もいる。

 いや、もともとエロに対する興味や、作品に感動する気持ち、誰かに慰めてほしい気持ちは、人の心の中で混じり合って存在している。

 そうしたグラデーションを一色に塗りつぶさず、あらゆる目的の人が共存できる混沌こそ、ストリップ劇場という空間を唯一無二にしているのではないだろうか。

 劇場では、性風俗に対する物差しも、芸能に対する物差しも、常に更新を迫られる。

 たとえば、初めてストリップを観た人は、よく「ストリップはエロというより芸術!」と口にする。そこに、鍛え上げた肉体や作りこんだショーに対する感動があるのはわかる。

 が、それは「エロのことを堂々と口にするには後ろめたい」と気持ちから発せられる、ある種の言い訳ではないか? そう発する心の中に「エロより芸術の方が上位の存在である」という偏見はないか?

 もちろん、性にまつわることは、本質的にはパーソナルな事柄だ。だから、それをむやみに共有したくないという感情は尊重されるべきである。

 一方で、「エロを消費しながらエロに関わる人々を見下す」という社会の矛盾が法や制度に反映され、性風俗従事者への偏見が強化されている現状で、何となく「ストリップはエロというより芸術」と口にしてしまったのなら、改めて自分のエロへの向き合い方を点検すべきではないか。

 ストリップを性風俗としてとらえるようとすると、そのストイックさや多様さに驚くし、芸能としてとらえようとすると、その猥雑さやいい加減さに圧倒される。

 そこには“ホワイト”な世界の価値観を揺さぶる混沌が潜んでいる。

 東京五輪の開かれる2020年、大阪万博の開かれる2025年を境に、ストリップはどんどん姿を変えていくだろう。ひょっとすると、10年後には今のストリップの形式は消滅しているかもしれない。

 ストリップという文化の面白さを体験し、心を揺さぶられたいと少しでも思うのなら、勇気を出して今、飛び込んでみてほしい。その先に何を見るのか、感じるかは、あなたの心次第だ。

ストリップ劇場に女性客が増えている理由を探る~憧れと尊敬、客席の信頼関係(2018.12.14 messyに寄稿)

かつて福島に芦ノ牧温泉劇場というストリップ劇場があり、そこでは「潮吹きショー」を披露する中川マリというストリッパーがいた。体調不良で彼女が現役を退くと共に、芦ノ牧温泉劇場もそのまま閉鎖された。2018年6月のことだ。

 2019年2月に、マンガ雑誌『イブニング』(講談社)でストリップレポマンガを連載することが決まっている菜央こりんの制作した同人誌『ストリップ劇場遠征女 サラバ! 福島編』には、閉館直前の芦ノ牧温泉劇場の様子が載っている。

 年配の女性が客席に話しかけながら脱いでいき、最後は潮を吹く。雑談を交えながらおっぱいをさわらせてくれる、タッチショーの時間もある。芦ノ牧温泉劇場でのストリップには、「世間がイメージするストリップ」の形がそのまま残されていた。

 30分ほどのステージの間に客をなごませ、楽しませてくれた温泉街のストリッパーのステージを、菜央こりんは最後に、「どんな場所でも、自分の身体を使って誰かを楽しませている人を見るとなんだか元気になる!」という言葉で表現している。

 そこにはストリッパーをエンターテイナーとして捉え、尊敬する素直な気持ちがにじみ出ている。

 

ストリップの客数は年々増加中


 ところで、私はこれまでの記事で「ストリップに女性客が増えている」と書いてきた。しかし、それは事実なのか。事実だとしたら、いったいどのような過程を経たものなのだろうか。

 15年以上ストリップを観ているという50代男性のHさんは、「そもそも、ここ数年はストリップ全体の客数が増えてきている」という印象を強めているという。Hさんは、指標の一つとして浅草ロック座の大入り報告の増加をあげている。

 浅草ロック座は大入りの日にはTwitterでその旨を報告する。2012~2015年には年に数日だったこの大入りの回数が、2016年は46日、2017年は50日、2018年は11月23日時点で66日と、着実に増加している。

 2016年の大入りについては、恵比寿マスカッツの川上奈々美、上原亜衣が舞台に立ったことが大きな理由の一つとされており、特に上原亜衣の引退公演では20日間全てが大入りになったという。

 また、この公演には上原の女性ファン有志が花輪を出しており、彼女たちも劇場に足を運んでいた。中にはそのままストリップそのもののファンになった人もいるという。

 浅草ロック座の客数のみをストリップ界全体の客数増の証拠には出来ないが、指標の一つにはなるだろう。実際、浅草での鑑賞をきっかけに、お気に入りのストリッパーを追いかけてさまざまな劇場に出向く人は少なくない。

 そして、Hさんによるとトータルの客数だけでなく、その中での女性客の割合もここ数年で明らかに増えているという。ほかにも10年以上ストリップを観ているファンや劇場関係者に話を聞いたが、一様に「ここ数年で増えている」と話してくれた。

 「女性客増加」について引き合いに出される理由は様々だ。「an・an」、「GINZA」(いずれもマガジンハウス)などの女性向けメディアがストリップについて取り上げたことでの露出の増加。第2回で取り上げたBLストリップのブレイク。若林美保に代表されるような、映画、演劇など多様なフィールドで活動する演者が活躍するようになったこと。AV女優がSNSで美容情報などを発信するようになり、モデルやアイドルと同じような「女の子の憧れ」になっていること。

 また、因果関係を証明するのは困難だが、2000年代に劇場の摘発が相次ぎ、いわゆるピンクサービスの提供が縮小したことも要因としては大きいと思われる。ちなみに最後の摘発があったのは2013年1月のTSミュージックだ。

 かつては演目中の自慰行為は当たり前だったというが、今では劇場によっては「自慰行為厳禁」という貼り紙が用意されている。

 こうしたことすべてが複合的に絡み合い、「女性が足を運ぶきっかけ」になっていることは間違いないだろう。しかし、現在ストリップ劇場で起こっている変化に関して語る際に注目したいのは、ストリップにおける「語り」の変化だ。

 

ストリップを巡る言葉の変化


 下の写真はすべてここ数年のうちに頒布された「ストリップ同人誌」だ。

 そして、現役ストリッパー高崎美佳の「女の子向けのスト本作りたい」というツイートに同調したマンガ家・たなかときみ編集の「はじめて・ひとり・女性のためのストリップ観劇ガイドFirst Strip Guide」を除き、制作者は全て女性である。

 そもそも、これまでは女性がストリップを語る場が、公には設けられていなかった。酒井順子『ほのエロ記』(角川文庫/2008)、田房永子『男しか行けない場所に女が行ってきました』(イースト・プレス/2015)のように、男性の場に女性がお邪魔するという形での記述はあり得たが、あくまで見学者として語る向きが強かったと思う。

 正確には、上記の同人誌の中では『脱衣舞』が2010年8月から発行されており、芸能としてのストリップの魅力を語っているし、ブログなどを探すと2000年代にも女性目線のストリップ観劇記は見つかるが、まだまだムーブメントを感じさせるボリュームはなかった。

 しかし、2012頃からいわゆる秘境・珍スポットの一つとして、個人ブログなどを通してストリップが語られる機会が増えてくる。ちなみに、この切り口では金原みわが『さいはて紀行』(シカク出版/2016年)、『日本昭和珍スポット大全』(辰巳出版/2017年)という本の中でストリップの魅力を語っている。

 ここ数年の同人誌ではそうした「秘所に出向く」という要素はさらに薄められていて、それぞれの制作者が「私にとってのストリップの魅力をなんとか形にしてみんなに伝えたい」と力を尽くす傾向にある。そこではストリッパーひとりひとりに対する憧れはもちろん、劇場で一緒になった男性たち、あるいは運営側の人々への共感や敬意、劇場空間の非日常性の魅力などがストレートに綴られている。

 また、もう少し手軽に、SNSで「ストリップ体験」を語る人も増え続けている。Twitterで「ストリップ、レポ」で検索してみよう。メンズストリップと呼ばれる演者が男性のストリップも含め、さまざまなストリップに対するポジティブな反応を目にすることが出来る。インスタグラムのタグでもロック座、ストリップといったタグとともに「行ってみた」レポを挙げる人はもはや少なくない。

 こうした「新しいストリップ語り」が目立つようになったことは、女性客の増加の大きな要因になっているのではないだろうか。

 「語り」の方法が変わったのは客席だけではない。ストリッパー自身も、自分の演目に対するこだわりや、楽屋での過ごし方、仲間との旅行の様子、ストリップへの思いなどをネットを通じて発信するようになった。

 これまでどこか薄暗いイメージをまとっていたストリップだが、そこで踊る女性たちはそれぞれがプライドや愛情を持ってストリップの世界にいる。時には演者の葛藤や業界の理不尽さをこちらが目の当たりにすることもあるが、それも含め、ステージ上の人間が一個人としての輪郭をはっきりさせたことは大きいだろう。

 こうした変化を男性客は、そして劇場側はどう受け止めているのだろうか。

 

開かれる劇場、年齢性別関係なく楽しむスト客


 横浜ロック座は2016年4月、劇場に女性優先席を設置。2017年9月には女性無料興行という10日間の興行を実施。さらに、女性限定で川崎ロック座、横浜ロック座共通スタンプカードを配布している。

 横浜ロック座のこうした施策については、かつてAV監督として一世を風靡した前任社長・松本和彦の発案が大きいという。AV業界には「女性が観ればシェアは倍になる」という意見が以前からあったが、AVではなかなか成果が出なかった。

 男女ともに売れるAVが制作できなかった理由に関し、明確な答えは出ていないが、「男性は脱いでればいいようなところがあるけれど、女性は個人のこだわりが細かく、内容に厳しいからではないか」という指摘があったという。

 一方、ストリップは鑑賞者自身がストリッパーや演目から物語を見いだしていくため、AVほど性差を気にせず楽しめる。このことを踏まえ、「女性客を増やしていくことで業界全体を活気づけられるのではないか」となり、こうした企画が生まれていったそうだ。

 横浜ロック座のスタッフによると、ここ数年で増えたとはいうものの、2年ほど前はまだまだ女性は男性に連れてこられるイレギュラーな存在で、劇場側の受け入れ体制も整っていなかったという。そこで、横浜では女性用のトイレをウォシュレットにしたり、女性優先席を設置したりと、まずは女性を招き入れるための準備を整えた。

 女性無料興行は2017年9月21~30日の10日間行われた。開催時のアンケートには「踊り子さんたちがとてもきれいだった」「女性が観ても楽しめる」など、おおむね好意的な反応が寄せられている。

 また、劇場側は女性が不快な思いをしないかを心配していたというが、劇場の雰囲気や男性客に対しても「マナーが良い」「客との信頼関係があって安心感があった」などと評価されている。

 最終的にはアンケート記載者だけで合計286名の女性が来館。この中から何名リピーターと呼ばれる女性が生まれたかは不明だが、この試みが及ぼした影響は単なる「何名の顧客を獲得できた」といったものにとどまらないと思う。

 なぜならこれは「ストリップ劇場は女性を歓迎している」という宣言ととらえることが出来るからだ。劇場側には「果たしてこの試みが男性に受け入れてもらえるだろうか」という懸念もあったそうだが、実施してみると賛同者も多かったという。

 実際、取材中に話を聞くと「せっかくなんだから端っこで観てないで、前の方で一緒に楽しめばいいのになんて思うこともある」「男女問わず同じストリップを応援する仲間だと思っている」「男がストリップの話をするエロ話と思われがちなので、むしろ女性が広めてくれることによって芸能としての魅力が伝わりやすい」と、好意的な声を聞くことが多い。

 また、川崎ロック座社長は前述の同人誌『First Strip Guide』内のインタビューで「昔はもっと過激な男性に男性にと向けたサービスもあったけど、僕はそれが衰退に繋がったように思う。『男だけの世界』という考えは足かせでしかなく、男性で女性に来てほしくない方がいたら、それはストリップに入ることに後ろめたさがあるんではないですかね。後ろめたいから良いという方もいるでしょうが、女性が増えて気兼ねなく入ることで、後ろめたい場所という感覚がなくなるんじゃないかなと思います」と話している。

 こうした意見は、ストリップが今もってなお「斜陽産業」であり、「なんとかこの文化を残していきたい」と願う人々が多いことも大きく影響しているだろう。風営法により、ストリップ劇場の新設には高いハードルが課せられ、実質的に不可能な状態となっている。

 「現行の劇場をなんとか残していきたい」あるいは「一人でも多くの人にストリップを観てほしい」という気持ちは、多くのストリップに関わる人々に共通しているだろう。前述した同人誌も、ストリップという文化を何らかの形で記録しておきたいという意思が含まれているはずだ。

すでに劇場では、40~60代と思われる男性客と、まだ20代であろう女性客がいちストリップ客同士として談笑する姿はすでに珍しくない。

 たとえば、第1回に登場したSさんには「リボンさん」の師匠がいる。「リボンさん」というのは手の中につかんだ8~9個のリボンを、ダンスやポージングのタイミングで投げて舞台に花を添えるファンのこと。

 リボンさんは時にきまぐれなストリッパーの動きを読みながらリボンを投げる。また、プロレスの紙テープと違い、投げたリボンを床に落としたり、ほかの客に当てたりしないよう、つかんだリボンを素早く引き上げなくてはいけない。劇場の大きさによってリボンの長さを変えたり、どの場所から投げれば機材にかからないかを計算したりと、把握しなくてはいけないことが多いのだ。

 Sさんは「リボンさんをやろうと思っている」と周囲に話したところ、人づてに師匠を紹介されたという。

 「開場前に練習して投げ方や持ち方を教えてもらっているんですけど、まだまだですね。今はバラバラになってしまうので、師匠みたいにふんわりふわっとしたリボンを目指しています」というSさん。

 Sさんと師匠は、開演前に一緒に練習をすることもあるという。20代の女性と50代の男性が、共にリボン投げを練習する姿を想像すると、なかなかほほえましい。

 ストリップは性風俗の場であり、女性の裸を観る芸能だ。しかし、それは男性だけのものではない。それが、ある時は女性ファン自らの言葉により、ある時は劇場での男女の垣根を越えた交流により証明されつつあることが、ストリップの女性客を増やしているのかもしれない。

「ストリップ劇場は女子校みたい」「男の人も踊り子になりたい」劇場は多様なエロとの向き合い方を肯定する場所(2018.12.03 messyに寄稿)

 2016年6月、日本のストリップ71年の歴史においておそらく初めて、圧倒的な比率で女性客が男性客を上回った公演がある。

 かつて新宿に存在したTSミュージックという劇場での、4人のストリッパーによるチームショーを目当てに、多くの女性たちが足を運んだ。ストリップは通常1人で行うが、チームショーでは2人1組。時間も2回分使ってショーを構成する。(まれに、3人、4人で構成することもある)

 これ、実は腐女子ストリッパーたちが集まって演じられた「BLストリップ」と呼ばれるショーだったのだ。ストリッパーたちはおのおの望む姿の美少年を演じ、絡み合う。その面白さが口コミで広まり、いつのまにか女性が劇場を埋め尽くすまでになったという。

 しかし、考えてみれば不思議な話だ。客層が変化しているとはいえ、メイン顧客は中年男性。彼らはBLストリップをどう見たのだろうか。そして、そこでストリップに出会った女の子たちはどう感じたのだろうか。

 BLストリップは、萌えの方向性が一致したストリッパー同士が、偶然同じ劇場に出演した際にしか成立しない。筆者は運良く一度だけBLストリップを観ることが出来たが、その内容は想像の斜め上を行くものだった。

観客を子ども時代に返すようなストリップ
 ステージに現れた攻め役と受け役の男装ストリッパー2人。おもむろに攻め役が先端に小さな張り型のついたホースを取り出し、受け役の下半身をいじりだす。と、同時にホースのもう一方を客に持たせ、それをこする動作をするようにうながしはじめた。どうやらオナニーの動作をしろということのようだ。攻め役の求めに応じて、必死になってホースをこする客。そして、動作に合わせるように流れる激しいギターリフ。

 攻め役はホースをこする客を余裕の表情でいなしながら、受け役の子をいじっていく。どうも、こちらがBLストリップと聞いて想定していたものとだいぶ違う。そして、BLストリップを見に来た女性たちも、どうやらストリッパー2人のファンと思われる男性たちも、ニコニコしながらその様子を眺めている。

 あっけにとられながら観ていると、後半の脱ぎの場面でさらに意外なことが起こる。2人がペットボトルを取り出し、口に含んだ水を客にかけ始めたのだ。俗に毒霧と呼ばれるこうしたパフォーマンスは、パンクバンドのライブやプロレスでも観られるもので、それ自体は珍しくはない。しかし、この演目のすごいところはとにかく客席のあらゆる人に、あまさず水をかけるところだ。逃げ出すと追いかけられるし、口から吹き出す水の量も「霧」というより「じょうろ」というくらいの量だ。

 ふと客席を見ると、男女とも仲良く、時には肩を組みながらきゃあきゃあその様子を楽しんでいる。それはまるで、小さな子どもが公園の噴水で水をかけあって遊んでいる時のようなプリミティブでハッピーな風景だった。

「ストリップは裸になりさえすればあらゆる表現が許される場所」とはよく言うが、こんな形で演目を成立させ、しかも客を笑顔にしている人がいるのか。ストリップ鑑賞歴の長そうな男性たちと、おそらく最近ファンになったのであろう20代と思われる女性たちが、談笑しながら踊り子との写真の列に並ぶ様を眺め、しみじみ考えていた。

 この時の受け役のストリッパーは、ストーリー性のある演目で人気の京はるな。攻め役のストリッパーは、異色のベテラン・栗鳥巣だった。

 このステージに感銘を受け、数カ月後の2018年9月、栗鳥巣の元を訪ね、終演後に話を聞いた。

 

「ストリップは何でもあり」を体現する栗鳥巣さん


 栗鳥巣はもともとスカトロAV女優、ノイズバンドのパフォーマー、パフォーマンス集団・ピンクローターズの一員として多方面に活躍していたが、2003年に縁あってストリップの世界に足を踏み入れた。演目の特徴の一つは、その発想力から来るバラエティだ。

 SEは携帯の着信音と終演を告げる水の音のみ。その間、即興で会話を紡ぎながらベットに持ち込む「無音」。事前に客からTwitterで質問を募集し、舞台の上でラジオDJ風にトークイベントを繰り広げる「オールSMニッポン」。ガスマスクと防護服を身につけて演じる「反原発」。股間に差し込んだ筆で客の似顔絵を描く「おマン画」など、その演目は実に多彩でめまぐるしい。

こうしたアイデアに満ちた演目はどのようにして生まれるのか。その答えは実にシンプルだった。

「私は『とにかく興味がある、熱意が込められるものをやる』ということをやっているんですよ。それがBLだということもあるし、この曲を使いたいという感情ということもある。うまいダンスとかさっぱりわからないけど、『これがやりたい』という熱意だけで作っていますね」

 もちろん、これらのアイデアがいわゆる「出オチ」で終わらず、エンターテインメントとして成立するのは、彼女のベテランストリッパーとしての力量と真摯さ、そして、サービス精神あってのことだ。

 たとえば、「おマン画」。これは、もともとある興業で長い空き時間が出来てしまった日に、時間つぶしとして始めたのだという。「筆でも挿して、大まじめな顔で人の顔を見る女って笑えるじゃないか」という動機で始めたものだったが、今では「リアルすぎてSNSのアイコンに使うと特定される」というレベルの高い似顔絵を生み出すに至っている。

「最初はまず筆が抜けてしまうし、丸も線も描けないんですよ。だいたい1000枚くらい描いたところで、股間と脳みそがつながって自由に描けるようになりますね。あとはひたすらデッサンです」という言葉には、体感した人にだけ許される説得力がある。

 栗鳥巣は、「ストリップの猥雑で何でもありなところが好き」だという。自らの演目を通して「何でもあり」を体現している人らしい言葉だ。

 

劇場は「女子校」のような場所でもある


 栗鳥巣ファンの20代女性・Aさんは、2016年のBLストリップをきっかけにスト客になり、今でも定期的に劇場通いを続けている。彼女は、初めて劇場に訪れた際のことをこう話してくれた。

「その演目は客席でサイリウムを振るのが定番で、劇場に行ったらおじさんたちもみんな踊り子さんの求めに応じてサイリウムを持ってたんですよ。私が何も持たずにいたら、おじいちゃんが『貸すよ』って言ってくれて、その時に『いい場所だな』って思いました」

 Aさんは「訪れる前までは劇場の男性客には近づきたくないと思っていた」という。しかし、今では「お客さんたちの雰囲気も含めてストリップが好き」だという。

 実際、ストリップに初めて訪れた人が驚くのは、その客席の「のどかさ」だろう。ストリップの客はたいがい、時に神妙な顔で、時に子どものような柔らかい笑顔でステージを見守っている。アップテンポの曲では手拍子を送り、ストリッパーがベッドでポーズを取るごとに拍手をする。ポーズごとの拍手の様子は、まるでフィギュアスケーターがジャンプを決めた時のようで、その律儀さにちょっぴり笑ってしまう。

 ひとりひとりの内心はうかがいようがないが、客の間に「踊り子さんには手をふれない」というタテマエがあって、初めて成り立つのがストリップ劇場だ。

 Aさんは「無防備な姿でいてもお客さんは踊り子さんに手を出したりしない。ステージと客席の信頼関係で劇場が成り立っているという安心感がある。そして、踊り子さんは自分自身がプロデュースした演目を踊って、お客さんはそれを受け入れる。そういう場所だから好きだと思うんです」と言う。

 実際演目を観ていると、ストリッパーがモチーフに選ぶ題材は、年配の男性にとってわかりにくいものであることも多い。BLストリップはその典型だろう。しかし、それならそれで「推しの踊り子さん」の好きなものを理解しようと心を砕く人もいる。

 Aさんは、劇場を「女子校」のように感じるという。「女子校は『男性の目』という枠に当てはめられる心配がないから、女子が人間でいられる場所っていいますよね。劇場もちょっとそういうところがあります。だから、ストリップを観るようになってから、前より『自分の身体は男性に消費されるためのものじゃない。自分自身のものなんだ』って思えるようになりました」と話していた。

 Aさんの意見は、ストリップを知らない人にとっては牧歌的な幻想に聞こえるだろう。もちろん、ストリッパーと客の関係性は一様ではない。また、男性客の行動によって嫌な思いをしたという女性の話を、まったく聞かないわけでない。しかし、劇場のお約束故に守られている心地よさを感じるのもたしかだ。

 栗鳥巣も、ストリップの男性客について「こちらも『あの人たちは大丈夫』という信頼があってやっていますから。昔、普通職をしていた時には『女だから何かしろよ』と言われて非常に腹を立てていたんですけど、劇場の中ではそういうことがない。等身大の人間として接してくださるというか。だから、私には外の世界より居心地がいいですね。」と話している。

 ストリッパーが個として尊重され、それぞれのエロスを体現しているからこそ、客席も男女の別なくフラットにそのエロスを受け取ることが出来る。統計的な証拠はないものの、ストリップファンには多様な性的指向の人がいると感じることが多いが、それは劇場の空間が「女体のエロスは男性を興奮させるためのもの」という社会的偏見から、結果的に解放されているからかもしれない。

 「女性だからといって、エロに興味がないわけじゃないし、男性でもエロというよりきれいなものを観に来ているという感覚の方もいらっしゃるし、人それぞれですね」と栗鳥巣は言う。

 たしかに、女性だからといって裸体に欲情しないわけではない。そもそもストリップファンにはレズビアンだって少なくないのだから。さらに、男性だからといって挿入やペッティングといった直接的な行為ばかりをエロとして見ているわけではない。

 

解放されているのは女性だけじゃない


 ところで、栗鳥巣は自らがストリップの客を演じる「栗田さん」という演目を持っている。栗鳥巣が迷惑な客の栗田さんを、相方が栗田さんに応援されるストリッパーを演じるというチームショーだ。

 栗田さんは演目中に調子外れのタンバリンを叩いたり、同じストリッパーのファンを阻害したりする困ったファン。その日もさんざん迷惑な応援をした栗田さんだが、帰宅して四畳一間の自宅で、ふと自分を省みて、「いったい自分は一人で何をしてるんだろう。もう死んでしまおうか」と落ち込む。すると、今まで迷惑行為を受けていたストリッパーがやってきて、栗田さんの服を引っぺがす。とたんに栗田さんはきれいなストリッパーに変身するのだ。

 ストリッパーになった栗田さんと、相方のストリッパーは2人でポーズを決めていく。しかし、最後の曲が終わると、また栗田さんは自分がストリッパーではなく、「おっさん」であることに気がつく。寂しく場内から出て行こうとする栗田さんを、ストリッパー役がもう一度舞台に引き戻して終演というストーリー。

 彼女が言うには、ストリップの客の中には男女問わず「踊り子になりたそうな人」がいるらしい。

「踊り子がつけてるような、キラキラしたアクセサリーをつけ出す男性もいます。そういう具体的な行動に移さなくても、口調も身振りも男性的でも、『心が乙女』だと感じる人はいるんですよね。そういう人の夢は、踊り子になることなんじゃないかな。『気持ち悪い』ってくくるのは簡単ですけど、男の人だからってそういう夢を見ていないとは言えないですよね」

 栗鳥巣はインタビューの最後に 「ストリップって、『そのうちなくなるかもしれない』と感じてるからもあると思うんですけど、性別や立場関係なくみんなで劇場を守っていこうという気持ちがある。平和な場所なんですよ」と語っていた。

 猥雑で何でもありで、それなのにどこか平和なストリップ劇場。その薄暗さに守られ、解放されているのは、実は女性だけではないのかもしれない。

Burlesque TOKYOに行ってみた

 経営者逮捕のニュースで思い出したので記録。

 少し前にバーレスクトーキョーにドルオタの知人と行った。

 本題に入る前に少し。

 バーレスクは芸能のひとつであり、身体表現ジャンルのひとつだけど、バーレスクトーキョーは芸能・表現としてのバーレスクに出会う場所とみなされておらず、おそらく経営しているほうもそこにこだわりは持っていない。

 セクシーなショーをお酒を飲みながら楽しめるというフォーマットを拝借して、ハイカラな意匠にすることで話題を集めてヒットしたのがバーレスクトーキョーで、バーレスクの歴史を踏まえて活動している人にとっては、「混同されると困る」場所とされている印象があった。

 とはいえ、ショーを見せる場所としてはそれなりに評価されている印象だったし、大きめのセットを組んでダンサーが大人数で踊ってくれる定常の場所というのもあまりないので、けっこう楽しみにしていった。

 金額は一番安い席でドリンク込6000円。見やすい席や推しにかまってもらえるプランを選択すると値段が上がっていく。

 1週間ほど前に予約をしたのだけど、もう席がいっぱいでかなりの人気なのだと実感した。

 六本木の駅を降りて少し歩くと、途中にバーレスクトーキョー以外にもショーパブっぽい施設やものまねライブの箱があり、「このへんで働く人たちが飲み会後を盛り上げるためにこういうところに来るのね」となんか納得。

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 会場は地下2階。広い舞台の中央から短めの花道があり、会場の真ん中には大きめの柱が用意されている。この柱の周りにもダンサーが歩ける道がある。

 高めのイスと、飲み物と携帯を置いたらいっぱいになるくらいの机がぎちぎちに置かれていた。

 まだショー自体は始まっていなかったけど、ステージには女子高生の格好のダンサーと司会の男性がいて、その時点でちょっと引いてしまった。女子高生コスプレって安っぽく見えるよね……。ちなみに女子高生コスプレは毎回のお約束ではなく、バーレスク学園というイベントの一環としての衣装だったらしい。

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 ショーは10~20名ほどのダンサーによる10分くらいのショーを、セットやダンサーを入れ替えながら見せていく形式で、トップレスに近い舞台だけは撮影禁止というルールが設けられていた。

 かなりちゃんとショーを観せるようなつくりになっているし、演目の数も多い。

 ただ、全体的にダンスショーを見せるというより、セクシーな雰囲気のショーで楽しませるという感じで、「ダンスを見る」つもりで行くとあんまり満足度は高くなかった。f:id:hontuma4262:20240316183613j:image
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・群舞でのダンスの質が揃ってない

・生で見るとセットがしょぼい

・世界観が下世話

 なのが個人的に不満。

 下世話なのは必ずしも嫌いじゃないんだけど、途中に小池百合子ネタの謎映像とか出てくるところが「六本木だな~~」って感じでしみじみ好きになれない。セットの使い方も、派手だけど凝ってはいないし、ダンスショーとしては前に行った小さな舞台とポールしかないショーパブのほうが見ごたえがあった。

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 ただ、一緒に行った知人は「ストリップより楽しかった」と話していた。

 ダンサーが指ハートをしてきたり、立ち上がって振付に参加するように促してきたり、ストリップより参加させる部分や一緒にはしゃげる部分が大きいので、そのへんがよかったらしい。

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 「ストリップはストイックすぎる。あれはエンタメというより表現でしょう」「バーレスクのほうがエロく感じた」とは彼の意見。

 ストリップの「20分近く黙ってダンスを観続ける」という形式はかなり観なれないと楽しみが見出しにくいとは思うので、ワイワイやるのが楽しい人はこっちのほうがいいのかも。

 元アイドルからの転職組もちょいちょいいるらしく、この日も元There There Theresのメンバーが楽しそうにやっていた。ショーパブに行った時も「元アイドルだけど、しっかりしたダンスをやれないのが不満でショーパブに転職した」という人がいたし、ネットのインタビューでは「アイドルは若くないとやれない。セクシーな表現もできるということで転職した」という声も。ほかの業態ではできない表現や楽しみがあるのだろうというのも、まあわかる。

 とはいえ、アイドルが「若さ」「かわいさ」を求められる一方、バーレスクでは求められる「セクシー」に沿った身体のプロデュースを必要とされる感じもあり、どちらがより自由ということもなさそう。もちろん、ストリップも。

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 後日1号営業の許可を取っていなかったとして摘発を受けていたが、まさか自分たちの業態が接待に当たらないと認識していたとは考えづらく、どういう目的で許可を取っていなかったのか、なぜ警察が摘発に踏み切ったのかが気になる。

無許可で接待、「バーレスク東京」経営者を逮捕 アウトになる線引きは? 風営法に詳しい弁護士が解説 - 弁護士ドットコム (bengo4.com)

 ↓以前ショーパブとバーレスクに行った時の文章。

歌舞伎町のショーパブ「nest」と、渋谷 7thFLOORでの「MIDWEEK BURLESQUE」でダンサーいろいろを実感 - ホンのつまみぐい (hatenablog.com)

現代ストリップは多彩なボディーパフォーマンスの場に 女性たちが憧れるストリップの多様性(2018.11.22、messyに寄稿)

 きらびやかな衣装を着て音楽に合わせて踊る女性。会場にはミラーボールや豪華な照明器具があり、ダンサーの姿を美しく照らす。それをキラキラした目で見守る女性たちがいる。

 でも、それはアイドルのライブでも宝塚でもミュージカルでもない。なぜなら、ステージの女性は途中からどんどん服を脱いでいって、最後は裸になるからだ。これは、性風俗関連特殊営業3号営業「ストリップ劇場」での一幕なのだ。

 かつては繁華街や温泉地の定番スポットとして知られ、ピーク時にはその数300以上と言われたストリップ劇場は、今全国に約20軒ほどしか存在しない。風前の灯、絶滅危惧種、斜陽産業と呼ばれがちなストリップ劇場に、今ひとつの波が訪れている。

 女性客の増加と、それと併行するかのような業界全体の変化だ。性風俗に位置づけられ、男性の娯楽と言われてきたストリップ劇場が、今多くの女性の心を捕らえている。撮影可のライブイベントが珍しくなく、あらゆる空間がSNSで共有出来るようになった昨今、完全撮影禁止の劇場内。その秘密の場所、ストリップ劇場で、今一体何が起こっているのだろうか。そして、女性たちはストリップをどう見ているのだろうか。

ステージの神々しさに打たれ、舞台の上へ
「あ、これやんなきゃダメなやつだ」

 AV女優の武藤つぐみは、初めて浅草ロック座でストリップを見た時、そう思ったという。

「思ったよりずっと踊ってるところが多いし、舞台も大きくて広いし、お客さんも熱心な人が多くて……。ストリップって『ピンクでエロ~』ってイメージしかなかったんだけど、その常識を覆されて」

 浅草ロック座の舞台は、本舞台と呼ばれるステージからまっすぐに花道が延び、花道の先には盆と呼ばれる円形の舞台が用意されている。ストリッパーは群舞に囲まれながらステージでダンスを踊り、一人になってから花道を歩き、盆の上にたどり着いたところで、ゆっくりと脱いで、その身体を人々にさらけ出す。この盆での見せ場はベットショーと呼ばれている。

 美しい裸体を誇るようにポーズを取るストリッパーを「まるで銅像みたいで神々しい」と思った武藤は、鑑賞直後に浅草ロック座のプロデューサーに感想を聞かれ「あれなら一日で覚えられますね」と答えたという。

 武藤の大胆な答えに根拠がなかったわけではない。彼女は14歳からの3年間バレエを習っていた。しかし、トウシューズが性に合わずに裸足で出来るコンテンポラリーに移行。それから現在までずっとダンスを続けているという実績を持つ。

 肝の太い答えにプロデューサーが期待したのか、彼女は次の週、2014年5月1日からの浅草ロック座公演にオファーされることになる。出演予定のストリッパーがいなくなったためのピンチヒッターだったが、これが武藤のデビュー。そして、現在ロック座随一の女性人気を誇る人気ストリッパーであり、同時に異端児として注目を集めるストリッパー・武藤つぐみの誕生となった。

 「ピンクでエロいイメージ」しかなかったという武藤を魅了した浅草ロック座のストリップとはどのようなものなのか。

 一般的にストリップ劇場では、4~6人のストリッパーが1日おおよそ4回ステージに立つ。踊るダンスの内容(演目と呼ばれる)はストリッパーごとに違う。ソロアーティスト4~6人の対バンが、1日何度か繰り返されるとイメージしてもらっていいだろう。

 しかし、浅草ロック座では一つのテーマに合わせ、メインのストリッパー7名が、ダンサーを従えてステージを作る。舞台はプロジェクションマッピングで華やかに彩られ、照明がストリッパーの肌を美しく照らす。クレイジー・ホースやラスベガスのショーを参考にしているというその舞台の華やかさは、まさしく「ショー」という言葉にふさわしい。

「自分自身の身体を使って世界を作っていくところがストリップの最大の魅力」

 20代女性のSさんも、浅草ロック座を機に「スト客」となった一人だ。足を運んだきっかけは大学時代にTwitterで流れてきた女性によるストリップのレポートマンガ。もともとK-POP好きだったSさんは、そのマンガに描かれていた「女性アイドルに近い」という表現を見て、足を運んでみたという。

「踊り子さんのスカートがふわっと舞ってパンツが見えた瞬間、『やばいとこ来ちゃったな』と思ったんですよ。これから脱ぐのわかってるのに。でも、見終わったら友だちに『もう一回観ない?』と言ってました」
※業界内では演者をお姐さん、踊り子さんと呼ぶ習慣がある。

 その公演で「推し」のストリッパーを見つけたSさんは、それから浅草を中心にさまざまな劇場に足を運ぶようになる。

 今、日本には約20の劇場が存在するが、浅草ロック座以外の劇場は、おおむね先ほど挙げたように複数名のストリッパーが一日数回ダンスを披露し、合間にポラロイドカメラもしくはデジタルカメラでの写真撮影(1回500~1000円)を挟むという構成になっている。

 通常、ストリッパーは10日を1単位として劇場に出演する。その10日の間に1つの演目をやり通す演者もいれば、2つ以上の演目を披露する演者もいる。

 ここで面白いのは、おおむねその内容は演者にゆだねられているという点だ。たとえば、どんな衣装が着たいか、どんな世界を表現したいか、どんな役になりたいか、どんな曲で踊りたいか、あるいは踊らないか。

 10分ほどのダンスの後に5分ほどの盆でのベットという定番の型さえこなせば、演者は自身を望むようにプロデュースできる。当然、選んだもので人気が取れるかというハードルはあるが。

 もともとアイドル好きだったSさんは、手軽な値段で会話が出来て、さらに近い距離で女性たちのダンスパフォーマンスが観られるストリップにハマっていったという。

「劇場のかぶりつき席は汗が当たるくらい近いから、アイシャドウの色まで見えることもあります。そこで衣装と色を合わせているのに気がついたり」

 ストリップ劇場の席数はおおむね数十から百数十席。イスなどない温泉地の劇場の場合、もっと少ない場合もある。そして、ストリッパーは手を伸ばせば触れることの出来るような距離で踊ってくれる。

 無防備な状態で人前に身体を晒しながら、全身を使ってエロスを表現する。その親密さや緊張感、そして多様さにSさんはすっかり魅了されていった。

「裸になるって、本来は露出しないコンプレックスの多い部分を人前にさらすことですよね。お姐さんの中にはガリガリにやせてる人もいれば、ぽっちゃりの人もいて、すべてが完璧な人はいない。だけど、みんな堂々としてかっこいい。『色んな女性像があっていいんだ。じゃあ、私のこんな体型でもいいのかな』と安心させてくれるんです。」

 Sさんは、「自分自身の身体を使って世界を作っていくところがストリップの最大の魅力」という。そこには、生まれ持った身体を活かすことでオンリーワンの世界を作り上げ、人を魅了していく女性たちへの憧れがあるのかもしれない。

描かれる物語も表現方法も多様化

 そして、現代のストリップを語る上で欠かせないのが演目のバリエーションだ。先ほども書いたように、ストリップは基本の形式に乗っ取っていれば、その後の演出は自由に選択できる。「脱ぎ」という枠の中で、それぞれが自身の個性を活かしたエロスを追及する。その面白さにハマっていく人が多い。

 たとえば、先日NHKのドキュメンタリー番組『ノーナレ』に出演した香山蘭は、「反戦歌」という演目を持っている。戦禍に翻弄され、恋人を失い、自暴自棄になった女性が再生するまでの物語を合計約45分、3部構成で演じるものだ。1部ごとそれぞれにダンスとベットを入れ、セリフなしで戦中から戦後までの女性の生き方を表現している。ちなみに、戦争をテーマにした演目自体はオンリーワンというわけではなく、現役のストリッパーでは黒井ひとみ「上海バンスキング」、葵マコ「ほたる」なども評価が高く、これらの演目はもはやエロを組み込んだ一人芝居の様相に近い。

 こうした物語性の強い演目もあれば、古風なストリップのイメージに直結する花魁の生き様を描く演目、セクシーな女教師が攻めてくるというAV的な文脈の演目などもあり。もちろん、シンプルなダンスを踊りきった後、ベットではゆっくりとその身体を見せつけるようにポーズを取っていくスタンダードな演目もある。そのエロスの表現は一様ではない。

 また、身体表現の方法そのものも多様化している。近年注目を浴びているのは「空中」でのパフォーマンスだ。天井から下ろした布を身体に巻き付け、空中でポーズを取るエアリアルティシュー。フラフープほどの大きさのリングにつかまり、時に激しく回転しながらダンスを構成するリング。正確には空中ではないが、ポールに身体を巻き付け、ステージから身体を離して踊るポールダンスなど。高い身体能力を備えた演者によるパフォーマンスが増えているのだ。

 10年以上空中演目に取り組んできた第一人者・浅葱アゲハは、ほっそりした身体全体に均整の取れた筋肉をまとい、ダンス、ベットという制約にさらに空中でのパフォーマンスを加えながら、さまざまな物語を演目に組み込んでいく。重力から自由になったかのようなその姿は、性別を超えて多くの人を引きつける。空中演目は現代のストリップの多様性を象徴するものの一つと言っていいだろう。

 武藤つぐみも、空中パフォーマンスによりその人気を拡大していったストリッパーの一人だ。もともと、ダンススキルの高さや、役柄が憑依したような演技で高い評価を得ていた武藤だが、その存在感をストリップ劇場の外に知らしめるようになったのは、現在のようなボーイッシュな見た目になり、空中技を披露するようになってからだろう。

 もともと武藤はボブカットに小柄な身体を活かした、いわゆる「ロリ売り」AV女優だった。しかし、ストリップに出続けることにより、自然と身体は「ロリ」に反した筋肉質な肉体になっていく。身体に合わせるように髪を切り、ボーイッシュな見た目を手に入れることで武藤に憧れを抱く女性が新しく増えていった。

「女の子はすごくキラキラした目で見てくれるんですよ。たまに泣いてる子がいたり。男の子は『ふーむ、なるほど』みたいな感じなんですけど(笑)。一見さんでもすごく楽しそうに観てくれるから、ついつい手を振っちゃう。そうすると『キャッ』ってなってくれたり。そういう時はジャニーズになった気分ですね」

 また、浅草ロック座でも彼女の身体能力を信頼し、エアリアルポールなどの新しい空中技や、緊縛師HajimeKinokoとのコラボといった新しい試みを任せるようになる。

 体力的にも精神的にも過酷な演目を任されることもある武藤だが、「『これ出来るでしょ?』ってプロデューサーに言われると、つい『やってみます』って言っちゃうんですよね」と笑う。

「最近だと『WonderLand』という公演でエアリアルポールをやって。それも経験無かったんで、深夜に劇場に行って毎日ポール触って練習しました。終わった後はいつも『二度と乗らねえ~~』って思うんですけど、オファー来たらすぐ『はい』ってなっちゃって。『はい』っていうことは、やりたいんですよね」

 通常のエアリアルティシューとも、ポールダンスとも違うエアリアルポールは、空中に吊さげられたポールにつかまり、回転しながらポーズを決めるという非常に難易度の高い技だ。この公演の準備から開演までの様子はBSでのドキュメンタリー番組『ストリップ劇場物語』として取り上げられ(BSフジや日本映画専門チャンネルで放送)、多くの好意的な反応を引き出した。

 また、同番組のナレーションを担当した人気講談師・神田松之丞が武藤に惚れ込み、ラジオや雑誌で取り上げるなど、連鎖的なストリップのメディア露出の増加につながっている。

 一方でストリッパーたちの劇場外活動も増えており、演劇やダンスパフォーマンスのほか、美しく均整のとれた肉体を活かしてモデルを行うものや、演者としての参加だけでなく、自分自身でダンスや芝居をプロデュースするものを表れている。

 これまで「日陰の芸能」と言われがちだったストリップ界に新しい視点での注目が集まるのと同時に、ストリップで得た表現力を活かして、活躍の場を広げていくストリッパーがいる。性風俗でもあり、同時に表現でもあるという不思議な芸能は、今新しい展開を見せつつあるのだ。

 ストリップの世界を内外に広めるアイコンとなりつつある武藤に、今後の目標を聞いてみると、「これ、ちょっとふざけてると思われるかもしれないんですけど、シルク・ド・ソレイユに行きたい……。それで、情熱大陸に出て『今の自分があるのは浅草ロック座のおかげです』って言って恩返ししたいなって」という答えが返ってきた。

 浅草から世界へ。広がり続けるストリップの世界は、これからどのようにして外の世界へ届いていくのか。芸能であり性風俗でもあるストリップは、今岐路に立っているのだ。