劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語

ネタバレがあるので、ネタバレ無しに劇場版を観たい方はご注意をば。
ネタバレを避けるため、無駄な行を入れておく。はてなには「続きを読む」ってふうに、一部テキストを隠す機能もあるんだけど、ページ直接開いたら、そのまま見えてしまったはずだから、古典的なネタバレ回避策(テキスト頭に大量の改行)をとっておく。
(ネタバレ回避とは書いたけれども、たぶん、劇場版の公開が終わったあとも修正めんどくさくて、そのままにしてあると思われる。(苦笑))






























まず、総評としては「面白かった」。もう一回観に行こうと思っている。けど、きついところもたくさんあった。
以下、細かい話。
話が始まってすぐは全員そろって、謎の敵ナイトメア(意味は悪夢、夢魔やね)を倒してる。TV版最後で敵は魔獣になってたのがナイトメアなんて出てきたり、円環の理に導かれた人もその場にいたり。そんな話なので、まあ、誰かの夢とか、誰かが作った閉じられた世界ってのはすぐ気づく人も多いだろうと思う。こういう話は、登場人物が世界に違和感を覚えてから、謎を暴き、それをしくんだ相手との対峙って流れが面白いと自分は思う。だから、閉じられた世界での話が長く続いたのは正直たるかった。いつまで、序章やってんの?という気分になった。
もっとも、退場してしまったキャラを含めて、メイン五人で仲良くやってる姿自体は、観てみたいものではあった。お菓子の魔女がマミのペット(?)というかQBのかわりにおともになってたり、杏子&さやかがやたらと仲良かったり、二次創作の世界でよく描かれてそうな関係性が描かれていて、ファンサービスを大量投入したようなパートではあった。……本作、TV版まどかマギカの続編ではあるけど、TV版を叩き台にした公式による二次創作とも言えないでもないな。
なんか、ファンが思い描いてたキャラの関係性に公式がお墨付きを与えた感があるというか、お話の量が足りなくて、ファンが望む(と思われる)シーンを不思議世界でのことだから過剰に描いて話を埋めてみた感があるというか……。公式作品で、ここまでやるのは、どうなんじゃろ?という気がちっとばかりしたが、杏子とさやかがじゃれあってるところを観て嬉しかった自分は、あまりごちゃごちゃいうのは止めておく。(苦笑)
ただ、どこかおかしな世界を演出するためか*1、それとも演出家が素で狂ってるのか、変身シーンやナイトメアを倒すときの五人での珍妙摩訶不思議な儀式とか、いろいろすさまじかった。
変身シーンなんか、えらいことアバンギャルドで目が点になったとよ……。あの手の変身シーンって、可愛かったり、格好良かったり、ちょっとエロかったり、いろいろ繰り返し観てみたいという気にさせる要素があるものだけど、本作、二人目の変身シーンでなんか疲れてしまい、初見で「ここスキップしてくれん?」とか思った。こんな体験は初めてだ……。
ナイトメア退治シーンの「ケーキはだあれ?」(だったかな?)も、可愛いというより狂った感じがした。あのシーンも自分的にはスキップしたかった。
今回監督はTVシリーズディレクター、1話、最終話の演出を担当した宮本幸裕で、総監督新房昭之となっている。新房昭之の演出が受けて、製作会社のシャフトもそれにのっかった感じで、あの演出技法がいろいろとエクストリームに発展してる。監督が新房昭之じゃなくなっても、本作、あの演出は健在だ。正直、あの演出技法って人を選ぶと思う。自分は化物語のころは面白いと思えたけど、偽物語であの演出が濃くなって厳しいと感じ、ふるい落とされそうになったくちで、化物語セカンドシーズンは偽物語よりさらに演出が濃くなってるかも……と想像すると、なかなか観ようという気になれなかったりする。そういう新房昭之演出発展系が苦手な自分としては、それがたっぷり出てきた本作はかなり観てて疲れた。戦闘シーンのガンカタ(笑)なんかは外連味たっぷりで楽しめたんだけど、日常芝居とかでバンバンあの演出が出てくるのは疲れる。というか、基本的な手法にときどき異物を混ぜるから、そこで良い感じにひっかかりを覚えて、印象に残ると思うんだけど、異物がバンバン出てきて、それが平常運転みたいになると疲れるだけじゃあないかい? 別の例だと、熱い台詞ばっかり連発すると、熱いじゃなくて、うっとうしいだけになるみたいにな。
世界の違和感にほむらが気づき、謎が解き明かされていくあたりからの展開は、いろいろと衝撃的で楽しめた。TV版から考えたら、この流れはTV版最終回を台無しにするものじゃ……という気持ちもあるのだけど、主要キャラが複数退場した話を、さらに続けようと思ったら(パンフレットにも、制作側には、この劇場版以降も続けたいという気持ちがあるみたいなこと書いてあったし)、こういうかっとんだ話にするしかないのかもな。
パンフレットに虚淵玄が、キャラクターの変化に怒る人もいて云々と予防線張ってたけど、そういうこと言うのやめときなよ、と思ったかな。(苦笑)ほむらの変化は、いろいろこじらせたら、あり得るものだとは自分も思ったけど、話を続けるために無理矢理ひねりだしたものという面も否定できないものだろうから*2、TV版からのキャラクターの改悪だと思われても抗弁は難しかろ。自分は、劇場で笑い出しそうになるぐらい面白かったから、それほど文句を言う気はないけど、虚淵玄の言葉に、その予防線の張り方はどうなん?という感想を持ったことだけは書いておく。
しかしまあ、終盤のほむら劇場は心のなかで拍手喝采しながら観てたよ。
世界に偏在する「概念」であるまどかからの影響を遮断できる結界ってなんやねんと思ったけど、そこが弱体化されて「概念」ではなく、ソウルジェムの浄化を行う「干渉者」になってたことに対しては、あーあと思ったが――。そこは目をつむろう。
QBがいらんことしたせいで、ほむらの想いがやばい方向にいったんだろうけど、ほむらの重い女属性GENKAITOPPAぶり、なんというか「あなたの幸せはわたしが一番知ってるの」っていう感じのやばいこじらせっぷりが、なんともいえなかった。まどかを引き裂くあたりからのほむらはストーキングの果てに一方的な愛を押しつけて相手をレイプした犯罪者にしか見えなかった。「あの聖なる存在をけがして――」とか「わたしのソウルジェムを濁らせたのは呪いではなく愛」とか、そんなことをほむら自身が言ってた気がするが、あまりにまんまな台詞で苦笑した。ただ、わ……笑えねえことをやらかしおった、と思ったのと同時に、なんつうか黒い悦びが、陰性の楽しさがこみあげてきた。そう陽性のものではないけれども「面白かった」。こういう娯楽作品もいい*3
「愛」で濁ったソウルジェムのあたり「おまえはスーパーサイヤ人になったときのベジータか?!」*4と、心のなかでツッコミを入れた。(笑)自分を取り戻し、本体に回帰しそうになったまどかの一部をこの世にとどめようと、ほむらは思い人を抱え込む。そして、まどかに、いつかわたしたちは敵同士になるのかもしれないといいつつ、それでも自分の道をゆくという姿を見せた覚悟完了っぷり、その愛と狂気の暴走がステキだったよ。つか、本作のほむら、虚淵玄の過去作品「鬼哭街」の孔瑞麗だよな。兄貴への愛情をこじらせて、その人生を丸呑みした女。「鬼哭街」は孔瑞麗にとってのハッピーエンドだったけど、本作はほむらにとってのハッピーエンドだよな。ハッピーエンドだけど、グッドエンドでもトゥルーエンドでもない、バッドエンドチックなハッピーエンド。虚淵玄は普通のハッピーエンドも最近書けるようになったようだけど、こういうハッピーエンドを書く作家としてのありようは変わってないようだ。まあ、人間そうそう本性は変わらないよね。(笑)
えーと、オレ、この自分の感想読みながら、作品をかなり叩いてるように見えるなと思ったけど、終盤、黒い悦びに充ち満ちて、たのしー、ひゃっはー、と、にやにやしながら観ていたので「ねえ、これ何が楽しいの?」とか、そんなことは思っていない。一部の演出の過剰ぶりには「これ、ホントに客が観て楽しいと思って作ったの?」とは思ったがな*5。また、TV版は蒼樹うめの可愛いキャラ、ハードな展開、新房昭之演出、劇団犬カレー空間、そういうのがそれなりにうまく混ざってた気がするけど、本作はいくつかの要素がやりすぎちゃってて、すごいとっちらかったものになってたように感じる。まあ、TV版のときにも、さきに挙げた要素がうまく混じってたという人、不協和音を起こしてたという人、前者が多かったが、後者もいくらかいたように思う*6。TV版は自分にとってはさじ加減が良かったが、劇場版は自分には合わないさじ加減だったというところかね。
最後に、これから作品を続けるとしたら、本当の自分を忘れた超越者まどか(の一部)はいいとして、本来の自分のまま地上にある超越者ほむらの存在は、すげー邪魔になると思うんだけど、どうすんのかな? QB(たち)でさえ、ほむらの「重さ」(笑)に匙を投げたというのに、敵というか、脅威が存在しない。たいがいのお話にケリをつけられる、あんな強大な存在がいたら、もう、どんな話作っても茶番にしかならないのじゃない? これからまどかマギカで続編作るようなことがあるとしたら、本作で円環の理を弱体化陳腐化したように、ほむらを弱体化陳腐化するような気がして、なんか、ぐだぐだになっていく未来しかみえないんだけどね……。

*1:敵の名前がナイトメア=悪夢だし、歪な世界よな。心地よい願望の表出と、それを成り立たせる力が生み出す悪夢のごとき世界。

*2:パンフレットでも、虚淵玄自身がお話ひねりだすのに苦労したと言ってる。

*3:こういうのばっかり観てると面白いけど精神的に疲弊するから「たまに」でいいけど。

*4:「純粋なものしかスーパーサイヤ人になれないはずでは……?」「純粋だったさ。純粋な悪だがな」みたいなやりとりがあったかと思う。

*5:「客」という言葉は使ったが、オレの印象を一般論に広げるのはいかんな。あの自分には過剰と思える演出を他の人はどう受け取ったのだろうか?

*6:ここは統計をとったわけじゃなく、ググってひっかかった感想を当時なんぼか読んだときの自分の印象なので、ご注意を。

カード・サイズ

各種カードゲームで使われるカードのサイズとして、よく使われるものにポーカーサイズ、ブリッジサイズというものがある。最近知った。

ポーカーサイズ
W約63mm x H約88mm。
ブリッジサイズ
W約58mm x H約89mm。

多くのページで上のように紹介されている。ただ、上のサイズって、そんな厳密なものじゃないようだ。この手のものは海外(とくにアメリカやイギリス)から入ってきたものだと思うから、もとはインチ表記なんじゃないかと考えた。
歴史的な話をきちんと調べてないから、根拠はない。実際には英米ではない国から入ってきたかもしれない。かなり粗いというか、ずさんな話をここではしているので、本記事は、こういう考えもあるのね、ていどに思って欲しい。
話を戻す。
インチ表記では下のように書かれている。

ポーカーサイズ
W2.5in x H3.5in (ISO 216 定める B8*1 サイズ 62mm x 88mm にそうこともある)。
ブリッジサイズ
W2.25in x H3.5in。

ポーカーサイズとブリッジサイズの高さって、インチ表記のページを見ると同じものとして書かれている。

次にインチからミリメートルに変換してみる(1in=25.4mm)。下のようになる(小数点以下第3位で四捨五入)。

ポーカーサイズ
W63.5mm x H88.9mm。
ブリッジサイズ
W57.15mm x H88.9mm。

日本でカードサイズを書いているページにある数値は、ポーカーサイズは小数点以下を切り捨てて、ブリッジサイズは切り上げて作られたもののように見える。

ポーカーサイズ
W63mm x H88mm (インチ→ミリメートルの変換結果を、小数点以下切り捨てた)。
ブリッジサイズ
W58mm x H89mm (インチ→ミリメートルの変換結果を、小数点以下切り上げた)。

玩具のサイズがISOやらの標準化団体によって、かっちり決まっていることは少ないだろう。たいがい「慣例的に、この大きさになってます」というものだと思う。英語のページを読んでいても、インチで長さを扱う人ばっかじゃないから、最初からmmでサイズを考えて、ポーカーサイズとブリッジサイズの幅の違いは5mmと書いている人も見かけた。
インチ表記とメートル表記で「サイズがけっこうちがわなイカ?」なんて思ったが、あまり細かいことは気にしないほうが良さそうだ。

とりあえず、自分でなんかつくるときは下のサイズを使っておこう。

ポーカーサイズ
W63mm x H88mm。
ブリッジサイズ
W58mm x H89mm。

W63mm x H88mm(ポーカーサイズ)だと[ミシン目カードシート -芸無工房LOSERDOGS]なんてのがある。これに印刷したら切り離すの楽だね。

参考ページ

サイズの表記のところぐらいしか、きちんと見てないけどな。
[トランプ - Wikipedia]
[Playing card - Wikipedia, the free encyclopedia]
[ISO 216 - Wikipedia]
[ISO 216 - Wikipedia, the free encyclopedia]

*1:日本の用紙サイズのB8 64mm x 91mm とは異なるもの。

よたばなし

「一護」って漢字で書くとごついけど、「いちご」ってひらがなで書くとかわいい。ひらがなで見たら、一護という『BLEACH』の主人公を知らないと出てこない漢字表記よりも、食べものの苺の方を想起する方が多いであろう語だから、あたりまえなのかもしれないが。そういう名前の女性キャラも多いし。わいが知ってるものだと『けいおん!!』の若王子いちご*1とか、『おねがいティーチャー』の森野苺*2とか。ほかにもたくさんいよう。キャラ名じゃないけど、少年ジャンプで『いちご100%』ってラブコメを掲載してもいた。
黒崎一護を黒崎いちごにして、『BLEACH』女性版主人公とか考えるのは、なんかおもしろいかも。顔は元々一護が女っぽいすっきり顔だから、もう少し輪郭柔らかくすればオッケー。体格は一護は細身だから、そこをベースにスレンダーであまり胸はおっきくなくて――とか。
こういうおバカなネタ考えるのは楽しいわ。

*1:声を『宇宙をかける少女』獅子堂秋葉役のMAKOが演じていたのが嬉しい。

*2:抱き枕カバーの絵柄がすごかった。

ヤングガンガン2010年18号

今号は『BAMBOO BLADE』最終回っつうのが、自分的に一番でかいトピックなんだけど、『セキレイ』も面白い展開になってる。千穂の救出は成功して欲しい。この救出劇が悲劇に終わるようでは、皆人にはセキレイが背負ったさだめをぶっ壊すことなどできはしない。けど、このまますんなりと終わっちゃうと物語的に面白くないので、なんか一波乱ありそうではあるし、そうじゃないと逆に不安になる。そう、プログラムができたときに、なんのバグも出なかったら逆に不安になるように(チョットチガウカ?)。

少年漫画ならいいけどさ『ツマヌダ格闘街』

ちょっとまえの話だけど「Fight:42/古都鎌倉の境内で異種格闘戦勃発…!?」から。

>八重樫 ミツル:
……いや!
その前に……ひとつだけ教えてください!
カインくんの職業はなんですか!?
もしもキミが軍人で……戦争をすることが仕事なら
僕は自分の武術を見せることを…
拒否します!


>御名本 弘志郎:
ほう
それはなぜかね?


>八重樫 ミツル:
……たしかに武術の始まりは殺し合いの技術だったかもしれません……
だけど僕を指導してくれる先生は……
人を殺すためではなく活かすために
武術を教えてくれていると……
そう信じるからです!!


>カイン・ブルツ・トゥーラッド:
お……
おお!
ブラボー!
すばらしい理念!
それがブシドー精神ですね!?


>八重樫 ミツル:
え?
いや そうなのかな……?


>御名本 弘志郎:
いや……お世辞抜きで感心したよ八重樫くん
きみはたしかにドラエくんの弟子だ…
彼女の技だけでなく心までもきちんと受け止めていると感じたよ
だが心配は無用だ…
カインくんは軍人ではない

読んだとき、勘弁してくれとか思った。
ジョージ・オーウェル*1って人が『平和主義者。彼らが暴力を「放棄」できるのは、ほかの人々が彼らに代わって暴力を行使してくれているからである。』*2って言葉を残してる。社会構造の変化や兵器の複雑化から、現代では戦争に直接関わるのは基本的に訓練された軍人ということになり*3、おれらのような軍人じゃないものは自国に攻め込まれたりとか、そういう状況でなければ戦争に直接関わることはない。自分含めて多くの人間は職業軍人が手を汚してくれるから、自分もまた間接的に戦争に関わっているのに、手がきれいなままであると錯覚できる。
でもそんなものは錯覚に過ぎない。
人と人との利害の衝突が世の中から無くならない限り、戦争(というか闘争)に関わる人間は不要にならない。軍人が要らない社会になればいいなとは思うけど、そんな社会は俺ら人間がすべての欲望を捨て去ることでしか達成されないだろうし、そうなれば、おそらく他の動物種に人という動物種は滅ぼされる。人が他の動物種を押さえて、自然界で優位な位置を閉めているのは、人が作る群れの知恵や知識の積み重ねによるけれども、能力を動かすのは強い欲望だ。欲があるから、人は他に脅かされない社会を作れた。ただ、長所は短所と表裏一体で、欲のためにさまざまな利害の衝突を生み出し、自分で自分の首を絞めてもいる。
とまれ、汚れ仕事を引き受ける人が社会には必要で、たとえば屎尿処理やら葬儀屋なんかも、なければ困る仕事なわけだが、汚れ仕事を引き受ける人間は厭われる。屎尿処理やら葬儀屋を厭うような発言は差別発言としてたしなめられるが、軍人をどれだけ厭い、また、おとしめてもたしなめられことなく、逆に良い人みたいに思われる。もちろん軍人は力を持つわけで、力を持てば振りかざすボンクラはいるから、その振る舞いには注意をはらうのは必要なことだけれども*4、注意を払うこととおとしめることは違う。
八重樫の台詞は闘争と関わる技術を習得しようとする人間としては、考えが足りなさすぎる。
それを「師の心をきちんと受け止めている」とか言われたら、師匠の頭のなかもしれたものとしか思えなくなる。
ただ、八重樫にしても、指導者であるドラエにしても、かなり若いキャラだから、それはそれでいいとも思う。
カインもブシドー云々には頭を抱えるけど、ステロタイプな「日本を勘違いしている外人」キャラで、アホな青年だから、別にいい。
お話が続いていく中で、考えも変わるかもしれない。
そういうふうに作者がもっていくかもしれない。
でも、いい年をした御名本が、若者の愚かな純粋さを素直に肯定してしまったので、そういう展開は無いだろうな、と思わされる*5
御名本は結構な年齢で、かつての戦争も体験しているだろうし、軍人にもいろいろな事情がある*6というのもわかっていないといけないだろうと思う。というか、かなりの大人物として描写されているわけで、清濁併せのむ度量を持っていて欲しいと思うわけだが、そんな人間がそれかよ、と。若者の狭い世界、狭いものの見方をたしなめるのじゃなく、称揚するってのはどうなんよ?
たぶん、これが少年漫画だったら、自分もここまで「なんだ、そりゃ?」とか思わなかったろう*7
青年誌で、こんな青臭い考えを強く肯定しないでほしい……。
そりゃまあ、十分に少年漫画的ファンタジーなんだけど、へたにものごとをリアルに描こうとしているだけに、なんというか……。
面白いし好きな作品だけど、思想的な部分では何も期待しないことにしようと思う。

*1:1Q84』のタイトルの元ネタとなる作品を書いた人ね。為念。

*2:出典はほしみんのかきとめ 平和主義者。に。

*3:間接的には関わるけど。

*4:それがシビリアン・コントロールってやつだと思うし。

*5:ドラエの祖父と旧知の人物という思想の根幹を支えるキャラで、ものの考え方が変わるといろいろまずそうなキャラである

*6:戦争で人を殺したくて軍人なったとかいう、それはさすがに異常者と言ってもいいだろうというひどいのもいるだろうけど、別の職を選びたかった人もいるだろうし、戦争やら小競り合いやら起こらず、大過なく職を全うできたらいいと思っているのが大半だろう。

*7:少年漫画は少年漫画できれいごとを突き詰めるから「そりゃねえだろ」って思うことは、やっぱりあるけど……。