ダイエット

先日久しぶりに体重計にのってみたら恐ろしく太っていた。ベストの体重から比べると6キロも太っている。そういえばここのところランニングをするとふくらはぎが痛んでいたな。これはオーバーした体重を支えきれなかったってことなのだろうか。バランスが崩れるとどこかしら兆候が現れるというし。
ともかく現状をもっとはっきり確認するため銭湯にいって大きな鏡に全身を映してみた。するとやはり確かにぶくぶくとしている。腰のあたりにぷにぷにとして、相変わらず腹がぽっこりして、胸のあたり、首のあたりも心なしかモコモコしている気がする。これは酷い、醜い、見るに堪えない、自分の姿が美的に許せない。そこで一念発起しダイエットを始めることにした。

ダイエットにはいろいろ方法がある。聞くところによればあの志位さんはキャベツダイエットなるダイエットをしているらしい。キャベツ・ダイエットとは朝どんぶり一杯のキャベツを食べるというダイエット方法らしいのだがそれで実際痩せたらしい。でもなんかちょっと怪しすぎない?大量のキャベツを食うなんて不自然だし、ばかばかしい感じがする。なによりマルキスト的ではないw。
そこで考えたのだが一日一食ダイエット。ルールは簡単、一日の食事は一度だけというもの。ただしその一回の食事では思う存分、腹一杯食べてよい。このダイエットのポイントはここだ。
これは一回の食事の量を単純に減らすダイエットとくらべると次のてんで有利であろうと思われる。一回の食事量を減らすダイエットでは食事をしても満腹感が得られないため、食事ではストレスが解消されずストレスが蓄積され、結果として我慢しきれなくなり破綻するおそれがある。ストレスと満足感のバランスが悪い。それならば一度の食事の量を増やして、その代わり食事の回数を減らしてはどうか。我慢しろ、満足するまで食べろ。これなら差し引きゼロで、バランスよくストレスを食事で消化できるはずだ。
さてそれで始めてみたのだが、やはりなかなか机上の計算どおりにはうまくいかない。とくに空腹の時間が長すぎ、これが結構きつい。これはやはりストレスがたまる。そこで多少ルールを変更して逃げ道を用意することにした。
ガム、ダイエットコーク、低カロリーの食品、コーヒーなどの摂取は許可する。これでだいぶ落ち着いた。今のところそのダイエットを始めて2週間ほどたつが、無事続いている。そしてだいぶ痩せた。とりあえず4キロ落ちた。この調子、この調子。

世間、空気、特攻。

結局それかよという感じがした。日曜の朝やってる某アニメのことだ。そこでは重要キャラの一人が愛するもののため、友のため、守るもののために、華々しく、男らしく特攻してた。もともと無根拠な決断を称揚するいわゆる決断主義的傾向の強いアニメだけれど、さすがにこれはないだろと思った。
また山口で怒ったあのむごい事件の弁護を担当した弁護士たちへ懲戒請求が殺到したという出来事があったが、それを語る言葉は世間だった。結局それなのかよ。そして安倍首相の辞任劇はKY、すなわち空気を読めないという言葉で語られる。結局それなのかよ。
世間、空気、特攻。21世紀になっても、ネットが発達しても結局日本社会で問題を説明し解決するための言葉はこうした言葉なのか。いずれにも共通しているのは方法への自覚を欠き、無媒介に対象と自己を同化させる精神主義か。なんだかなぁ。

安倍首相の辞任は無責任であるのは確かなんだけど、彼個人をあんまり攻める気にはなれない。あんなぼろぼろになったインタビューを見せられると本当に気の毒で心が痛むし、あんな誰が見ても無理矢理に思えるような理由を作ってでも逃げようとするなんてよほど苦しかったのだったのだろう。それよりも自分らのトップをあんなにぼろぼろになるまでに追い込んでしまった自民党の方に怒りがわく。自分たちのリーダーをもり立てて、守ってやればいいのに。安倍首相個人の責任というよりも、組織として無責任だと思う。とくに首相を支えるべき官房長官の地位にありながら、首相をもり立てるよりは後継としてたったときの組織固めに終始している麻生などはとてもじゃないが首相の器ではない。なんか麻生さんはオタク人気があるらしいけれど、ほんとにあんなのがいいの?

昨日の五輪代表の試合後の柏木のコメントに注目。

柏木談

(監督からは)前半が終わって、裏に飛び出し過ぎということと、もっと足元で受けることを言われた。

ソース
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/headlines/20070823-00000005-spnavi-socc.html

エエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ

そりゃないよ、反町監督
そこはむしろ他の選手に柏木の動きだしを生かすようにとか、おまえらももっと動いてスペースをつくれとか指示するべきだろう?一番動いてる選手に対して、飛び出すな、足下でボールを受けろと指示するなんてちょっと信じられん。
反町五輪代表の魅力に乏しい足下サッカーは、チームがうまくいってないからではなくて、監督さんの指向するサッカーであり、指導の帰結だったのか。

ちなみにおなじみ湯浅氏。

なんでパスを出さないんだ・・。何度そんなことを心のなかでつぶやいたことか。
(中略)
なんでパスを出さないんだ!と思った背景には、この試合で先発した柏木陽介が、何度も、何度も、決定的スペースへ向けて爆発ダッシュを繰り返していたこともありました。ボールがプレーされているのとは逆のサイドから、自分をケアーしている相手選手がボールを見た瞬間を見計らって爆発ダッシュで抜け出していくのですよ(相手マーカーにとっては、典型的な消えるプレー!)。素晴らしいフリーランニング。でも、肝心のパスが出ない・・。

ボールを持っている味方(パサー)が、柏木の決定的な動きに気付いていないというケースもあったけれど、気付いていても、勇気がないから、柏木が狙う決定的スペースへチャレンジパスを出せず、結局は安全な横パスに「逃げて」しまうというケースがほとんどだったように思います。フ〜〜。

民主党の第一自民党化?

改選守れず。事前に聞いた話では批判票を民主党に全部持って行かれそうだということだったがその通りの結果。
それにしても民主党は政権とるんなら早くとってほしいよな。あいつらいつはトルトル詐欺で票だけ持って行くくせに肝心なところではまるでだらしないし。今回も参議院選挙で直接政権交代にはつながらないわけで、もうしばらくはトルトル詐欺の被害を受けそうだ。我慢我慢。

ところでその民主党だが、元々第二自民党と揶揄されていたように人的にも政策的にも自民党と似通った政党なのだが、ここのところ本家自民党が変わってしまったことによりむしろ民主党の方が往年の本家に近くなってきた感はある。
昔ながらの自民党といえば内部に様々な利益を反映し、イデオロギー的にも左から右まで包括して文字通りの包括政党だったが、今の自民党小泉政権によって新自由主義新保守主義政党に純化してしまった。今の自民党はかつてのそれと比較すれば、単なる一つのファクションにしかすぎないようにすら見える。こうした自民党の変化はこれまで批判されることの多かった民主党の内部に残った雑多さを利点にかえるかもしれない。小泉さんの時のようにパーソナリティが争点と成らず、政策が争点となった場合どうしても今の自民党では動員可能な有権者の幅が狭くなる。むしろ雑然とした民主党の方が新自由主義的な政策指向を持つ人から、より修正主義的な政策を指向する人、さらには伝統的な左派、新左翼・グリーン系まで無節操に吸い上げるやすくなる可能性はある。また雑多さ自体も最近ではだいぶ収斂して、緩やかな統一傾向は見えてきている。これまで弱点として指摘されることが多かった安全保障などの基本問題についていえば、憲法問題では基本は改憲推進で、いつ・どの条文をいじるのかで対立、といった改憲論内部での小さな対立にほぼ収斂しているし、経済政策でも新自由主義的政策を許容したイギリス的な第三の道論へと収斂してきている。
だいたい旧経世会小沢一郎が代表という意味でも福田派上がりの現自民党主流派よりも本流よりだしね。これまでさんざん政権をトルトルといってその淡い期待で食いつないできたが、下手した本当に政権をとって第二自民党から、第一自民党へ格上げ(?)される日も来るかもしれない。

アジアカップ

三決でも負けたけど、内容は決して悪くない。ジーコの時の出たとこ勝負な即興サッカーもあれはあれでおもしろかったが、オシムになっての知的なサッカーは見ていてそれ以上に楽しい。
パスばかりつないで勝負をしないといわれているようだけど、あの糞暑い中、悪いグラウンドコンディションでのあのパス回しは芸術的といっていい。ひらひらとアタックを交わしてボールを舞わしていき相手にボールを保持する時間を与えない。ああいう”圧倒的じゃないか我が軍は!”というポゼッションサッカーは大好き。もちろん得点に結びつけばなおよろしい。ベトナム戦の3点目茸のゴールに結びつく展開などは今回の白眉だった。今大会でのオシムのねらいはパスサッカーの形を作ることを主眼においてるのだろうし、その構築に関しては明らかに成功している。走る意識はみんなに浸透し、チームとしての形はきれいすぎて読まれるぐらいに出来ている。今回はコンディションの関係で走る量が少し足りないから、足下パスばかりのサッカーに見えるが、もう少し条件がよければすさまじいサッカーがみられる予感がある。相手がゴール前を固めてスペースが無くなったのならもっともっと動いて、自分でスペースを作ればいい。オシムのやってるサッカーにはその基礎がある。
ただやはり人材の問題はある。一つはフォワード。高原は単独で打開する力を持っていることは明らかになったけど、高原の相方が見つからなかった。巻はあれだし、寿人もかみ合わないし、矢野はオプションにしか成りそうにない。もう一人が固まらないから、中盤から後ろの連携に比べて、フォワードとの連携、特にフォワード同士での連携が見られなかった。この部分は確立する必要があろう。
あとはおなじみジェフ枠問題と適正ポジション問題。ジェフ枠に代えて、山瀬とか柏木あたりを起用して、ボリバレントに過剰こだわらずストロングポイントを生かす編成をしたほうがいいと思う。とくに我らが駒野は右サイドで使ってください。お願いします。
問題はまだまだあるのだろうけれど、これからチームとしてどんどん成長していく予感はある。短期的な結果に動揺する必要は全くない。

宮顕死んだ・・。

宮顕さんが亡くなった。うちの実家の両親は二人とも18歳で入党したごりごりの党員で、実家の居間には「知は力」と書かれた宮顕さんの色紙が張ってあるし、母ちゃんは宮本百合子信者で百合子全集を愛読して、いつも”百合子さん百合子さん”といってたりするような人であり、自分自身は宮顕さんがばりばり活躍してた時期を知らない世代なのだけど、その存在は人格形成に少なからず影響を及ぼしてきた(子供の頃よく「個人崇拝だ!」などとからかっていたw)。また宮顕さん自身にかんしても印象深いことはいくつかあり、特にソ連がつぶれた後の例の「腰を抜かしている人がいるが・・」とか「諸手をあげて歓迎する」発言がやっぱり一番印象に残っている。
ところで地方の共産党員の一家にとって世間がバブルに浮かれていた80年代は暗い時代だった。ソ連や東欧の既存の「社会主義体制」の誤りが明確になり、国内でも体制選択論が連呼されて共産党は退潮し、思想的のもマルクス主義は時代遅れという感じで、ソ連や中国の共産党とは違うんだといいながらもやっぱりどこか我が家の中の空気もなんだかぎすぎすしていた。そんな中で東欧・ソ連での体制変革がおこり、宮顕さんが「諸手をあげて歓迎する」といい、「腰を抜かしている人がいるが・・」といった。ソ連が崩壊して等を離れていったり、こうした発言にショックを受ける人も結構いたらしいのだけれど、僕なんかにとってむしろこれらの発言はすごく実感にそうものだったし、路線を再確認するという意味でも納得いくものだった。当時ちょうど小学校高学年ぐらいだったと思うが、だいたいあれだけひどいのが明らかになってたのに、何で今更幻滅したりショックを受けるのか、とそっちの方が不思議だった。
毀誉褒貶の激しい人だけれど、暴力革命路線を否定し平和路線への転換など歴史的に重要なポイントでの選択には大きな誤りはなかったのではないかと思う。

改めてご冥福をお祈りします。