平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

深緑野分『この本を盗む者は』(KADOKAWA)

「ああ、読まなければよかった! これだから本は嫌いなのに!」
「それは、美冬ちゃんが“今読むべき本に呼ばれた”んじゃないのかな」
 書物の蒐集家を曾祖父に持つ高校生の深冬。父は巨大な書庫「御倉館」の管理人を務めるが、深冬は本が好きではない。ある日、御倉館から蔵書が盗まれ、父の代わりに館を訪れていた深冬は残されたメッセージを目にする。
 “この本を盗む者は、魔術的現実主義の旗に追われる”
 本の呪い(ブック・カース)が発動し、街は侵食されるように物語の世界に姿を変えていく。泥棒を捕まえない限り世界が元に戻らないと知った深冬は、探偵が銃を手に陰謀に挑む話や、銀色の巨大な獣を巡る話など、様々な本の世界を冒険していく。やがて彼女自身にも変化が訪れて――――。(帯より引用)
 『文芸カドカワ』2018年8月号~2019年6月号連載。2020年10月、KADOKAWAより単行本刊行。

「第一話 魔術的現実主義の旗に追われる」「第二話 固ゆで卵に閉じ込められる」「第三話 幻想と蒸気の靄に包まれる」「第四話 寂しい街に取り残される」「第五話 真実を知る羽目になる」を収録。
 全国でも名の知れた書物の蒐集家である読長町の御倉嘉市。地下二階から地上二階の巨大な書庫と化した「御倉館」は読長町の名所だが、嘉市の死後、稀覯本の約200冊が初夏から消えうせ、本の盗難が続いていたことから、嘉市の娘たまきは御倉館を閉鎖し、誰も入ることができなくなった。たまきの死後、子供のあゆむが管理人となり、妹のひるねは何もせず御倉館でゴロゴロしていた。物語の主人公は、あゆむのひとり娘で高校生の美冬。
 帯も見ずに作者名とタイトルだけで購入したのだが、予想外のファンタジー。いや、勝手に「予想外」って言っているだけなのだが。
 ということで最初は全然のれなかったのだが、読んでいるうちに作品世界に引きずり込まれるのはやっぱり巧いんだなあ。ただ作品世界に引っ張られ過ぎて、なんだか作者に丸め込まれた気分がしないでもない。
 正直言って読んでいる途中は面白かったが、読み終わってみると何も思い出せない。うーむ、単に物忘れが激しいのか、それとも物語があっさりしすぎていたか。なんだか夢を見ているうちに読み終わってしまった。

ダン・マクドーマン『ポケミス読者よ信ずるなかれ』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 私立探偵のマカニスは、とある人物から招待されて、人里離れた会員制狩猟クラブを訪れた。会員たちがクラブの存続問題などで揉めるなか、湖で一つの死体が発見される。さらに、嵐によってクラブは陸の孤島となり……。名探偵、密室、クローズドサークル、連続殺人、古今東西のミステリへの言及――。すべては本格ミステリの舞台として完璧かと思われた。しかし、夢想だにしない展開の末に読者を待ち受けるものは、困惑か狂気か。これはミステリなのか、それとも。ポケミス読者よ、信ずるなかれ――。(粗筋紹介より引用)
 2023年10月、刊行。2024年4月、邦訳刊行。

 作者は1975年生まれ。コロンビア大学卒業。TVプロデューサー。本作は作者のデビュー作。
 地雷臭しかしないこのタイトルは当然日本読者向けのもので、多分早川書房の誰かが考えたのだろう。これ、文庫になったらタイトル変わるのか? などとどうでもいいことを読む前に考えてしまった。原題は"WEST HEART KILL"。「ウェスト・ハート」はこの作品の舞台であり、ニューヨーク州の人里離れた7000エーカー(28.3km2)の敷地である。時は1967年の独立記念日の頃。ここに佇むリゾートホテル風の50部屋ほどある三階建ての豪壮な建造物に、会員制狩猟クラブのメンバーのうちの数家族が集まっている。ある人物から依頼を受けたアダム・マカニスが訪れるのだが。
 こうやって書くと私立探偵主人公のハードボイルド小説っぽいし、連続殺人となると本格ミステリかと思わせるのだが、実際に読んでみると一癖も二癖も、いや癖だらけだ。作者がいきなり我々読者に語り掛けてくるわ、状況を説明してくれるわ。途中で過去のミステリに言及するし、マニアックなエピソードは出てくるし、だ。さらにこの作品には色々あるのだが、それはもう読んでもらった方がいいだろう。
 うーん、思いっきり偏見で書くけれど、ミステリ愛をこじらせたミステリクラブの若者が、酔っ払った勢いで書きあげたような、へんてこな物語である。もしくは、三大奇書新本格ミステリに毒された人物が、世界観を重力を捻じ曲げてこしらえた奇形の建造物というか。やりたい放題に様々な要素をぶち込んで、強引に接着させて完成させている。
 好きな人は高評価、呆れる人は低評価で、中間の支持層はごくわずかだろう。で、私は低評価の方。馬鹿馬鹿しい、もう勝手にやって、と言いたくなった。唯一の救いは、読み易いことぐらいか。これ一作で終わりだろうと思っていたら、すでに二作目の初稿を挙げているとのこと。さすがに次は手に取らない。

真門浩平『ぼくらは回収しない』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)

 数十年に一度の日食が起きた日、名門大学の学生寮で女子学生が亡くなった。密室状態の現場から自殺と考えられたが、小説家としても活躍し、才気溢れた彼女が死を選ぶだろうか?
 三年間をともに過ごしながら、孤高の存在だった彼女と理解し合えないまま二度と会えなくなったことに思い至った寮生たちは、独自に事件を調べ始める――――。第十九回ミステリーズ!新人賞受賞作「ルナティック・レトリーバー」を含む五編を収録。大胆なトリックと繊細な心理描写で注目を集め、新人賞二冠を達成した新鋭による、鮮烈な独立作品集。(粗筋紹介より引用)
 2022年、「ルナティック・レトリーバー」で第十九回ミステリーズ!新人賞受賞。表題作に書下ろし四編を加え、2024年3月刊行。

 クラスメイトの藤原の姉が、ニュース番組の街頭インタビューの受け答えで炎上していた。相談を受けた桐人は、そのインタビューのニュースを見て違和感を抱く。「街頭インタビュー」。
 零細事務所に所属する結成五年目の同級生コンビ「井の中のカワズ」は、若手の登竜門大会で優勝。しかしテレビのバラエティ番組ではうまくいかず、いら立っていた。そんな時、世話になっている芸歴12年目の升岡秀樹がピン芸人の大会で優勝。事務所の売れっ子先輩芸人ピッグ杉下のマンションで祝勝会が開かれた。しかし升岡がベランダから転落死した。「カエル殺し」。
 亡くなった祖父の家の掃除と家財確認のため、父や妹とともに13年ぶりに祖父の家に来た浪人生の薬師丸啓。祖父の書斎を片付けている途中で、13年前時点で満杯だった本棚が今も満杯であることに気付く。祖父が本を手放すことはあり得ない。では、13年前から買い続けていたはずの本はどこへ行ったのか。「追想の家」。
 サッカー部一年生の一ノ瀬仁は、先輩が来る前に練習の準備を済ますべく、授業終了後すぐにクラスメイトの遠藤と部室へ向かった。四桁の暗証番号を打ち込んでキーボックスから鍵を取って扉を開けると、部室は荒らされていて一部備品が盗まれ、開いていた奥の小窓のガラスには穴が開いていた。暗証番号を知っているのは一年生だけ。するとガラスを割ってまで備品を盗んだのは上級生なのか。仁は、かつて濡れ衣を着せられたところを助けてくれたクラスメイトの速水士郎に助けを求める。「速水士郎を追いかけて」。
 数十年に一度の部分日食の日、名門大学の男女学生寮の物置で、人気小説家でもある吉田陽香が死んでいた。二つの扉は粘着テープで内側から目張りがしてあった。斜めの高天井の窓は鍵が開いていたものの、大通りに面していて誰にも見られずに抜け出すことは難しい。そのため練炭自殺と思われたが、動機がない。同じ寮に住む第一発見者の圭介たちは事件を調べ始める。「ルナティック・レトリーバー」。

 光文社の新人発掘プロジェクト「カッパ・ツー」の第三期に入選して『バイバイ、サンタクロース~麻坂家の双子探偵~』で単行本デビューした真門浩平であるが、ミステリーズ!新人賞受賞の方が受賞は早い。前作がかなり責めた内容の連作短編集であったが、本作は独立した5編を収めたオーソドックスな短編集である。
 いずれの作品にも謎解きはあるが、むしろ作者が主眼としているのは、事件と謎解きによってもたらされる登場人物の心の動きである。だから「街頭インタビュー」における謎解きのその後の方が重いドラマになっているのはうまいと思ったし、「カエル殺し」における犯人の慟哭は非常にインパクトのあるものとなっている。ただ、「追想の家」「速水士郎を追いかけて」はそのドラマ部分に弱さを感じた。日常の謎ということもあってなのか、心の揺れ幅が小さい。特に「追想の家」にいたっては謎というほどのものでもないので、家族のちょっとしたすれ違い程度で終わっているのが物足りない。
 受賞作でもある「ルナティック・レトリーバー」は応募先を考えたかトリッキーな内容にはなっており、逆にその後の人間ドラマがた作品に比べ物足りなく感じた。この動機に説得力を持たせるほどの背景を描き切れていない。
 個人的なベストは「カエル殺し」。消去法による犯人捜しには新味がないが、この動機はなかなか面白い。短い枚数の中で、登場人物の背景もうまく説明されている。
 前作とは全く違うテイストの短編集。本短編集はちょっと地味に感じたが、短期間でこのような使い分けができるというのはとても楽しみである。それと、本作品集のタイトルの意味がどうしても解らなかった。

ウィリアム・ケント・クルーガー『ありふれた祈り』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 1961年、ミネソタ州の田舎町。13歳のフランクは、牧師の父と芸術家肌の母、音楽の才能がある姉や聡明な弟とともに暮らしていた。ある夏の日、思いがけない悲劇が家族を襲い穏やかだった日々は一転する。悲しみに打ちひしがれるフランクは、平凡な日常の裏に秘められていた事実を知ることになり………エドガー賞をはじめ4大ミステリ賞の最優秀長篇賞を独占し、「ミステリが読みたい! 」で第1位に輝いた傑作。(粗筋紹介より引用)
 2013年、アメリカで発表。2014年、エドガー賞長編賞、アンソニー賞長編賞、マカヴィティ賞長編賞、バリー賞長編賞を受賞。2014年12月、ハヤカワ・ポケット・ミステリより邦訳刊行。2016年11月、文庫化。

 ミネソタ州北部の森林地帯を舞台とするコーク・オコナー元保安官シリーズで知られているウィリアム・ケント・クルーガーによる、ノンシリーズ作品。
 家族や周囲の人たちを紹介し、平凡だがそれなりに平和のように見える社会に潜む黒い影が徐々に表に出始め、事件が起きるというのは、アメリカのミステリらしい展開。日本の作品が前半をこれだけじっくり丁寧に書いていたら、「事件が起きるのが遅すぎる」という批評の嵐になりそうだ。いや、自分もそう書いているかもしれない。本作品の前半部が退屈しないのは、この地に足着いた描きっぷりにあることも事実だが、この原風景が当時の古き良きアメリカの田舎町を思い起こさせるというのが大きな要因かも知れない。
 悲劇の事件を通して描く、少年が大人になる成長物語。殺人事件があり、犯人の捜査はあるものの、どちらかと言えば純文学に近いかもしれない。これだけストーリーがゆっくり進みながらも、次の展開はどうなるのだろうと気を持たせつつ、登場人物たちの過去に思いを馳せ、彼らの様々な思いを考えてしまうのは、作者の筆の素晴らしさだろう。
 それとエンディングが見事。この余韻の素晴らしさが、作品への思いを高める結果となっている。
 これが日本で書かれると退屈がられるだろうなあ、なんて思ってしまった。傑作です。素晴らしかった。

犯罪の世界を漂う

[更新]犯罪の世界を漂う
https://hyouhakudanna.bufsiz.jp/climb.html

「死刑・犯罪文献を考察する」に本の感想を1冊追加。
「ノンフィクションで見る戦後犯罪史」に事件概要を追加。

 

 最近はなかなかこちらの方に手を出せていない。本棚などに並んでいるのだが、そういう気分になれない。心理状態に合わせ、こういう周期が来る。今は現実に触れたくない時期だな(苦笑)。

ヤーン・エクストレム『ウナギの罠』(扶桑社ミステリー文庫)

 「スウェーデンディクスン・カー」と称された、ヤーン・エクストレムによる不可能犯罪の名品! ウナギ漁のための小部屋のような仕掛け罠のなかで、地元の大地主の死体が発見された。入り口には外から錠がかけられ、鍵は被害者のポケットに――――そう、完璧な密室殺人だったのだ。さらに、遺体には一匹のウナギがからみついていた! 被害者をめぐる複雑な人間関係、深まる謎また謎……かつて、ミステリー・ファンを騒然とさせた、幻の一作。(粗筋紹介より引用)
 1967年、ストックホルムを拠点とするアルバート・ボニエル社より出版。2024年4月、邦訳刊行。

 「スウェーデンディクスン・カー」と称された、ヤーン・エクストレムはスウェーデン中部ファールン生まれ。広告業界で活躍する一方、1961年にデビュー。1994年まで精力的に作品を発表。スウェーデン・ミステリー・アカデミーの創立メンバーであり、後にアカデミーからグランド・マスターの称号を贈られている。本書は作者の作者の五作目。
 ミステリー研究家の松坂健が『ミステリ・マガジン』1971年11月号に発表した紹介で初めて日本に知られ、邦訳が待たれていた一冊……らしい。知ったのは、つい最近なんだよな。本文庫には、その紹介文も収録されている。
 まずタイトルであり、殺人現場でもある「ウナギの罠」がピンと来なかった。イラストが出てくるのが115ページなのだが、もっと早く出してほしかった。そうすれば、もうちょっと驚きが増していたと思う。
 この「ウナギの罠」だが、マツの木の板を使用した、高さ2メートル、幅2メートル、奥行き3メートルの直方体である。箱型の罠は川岸からだいぶ離れた地点に設置されており、罠の四隅は大きな岩の上に固定されている、川面に浮かぶ閉じられた空間であった。堰堤側に小さな取水口があり、そこから入ったウナギを捕まえる罠であった。堰堤から罠の屋根までは幅の広い板が斜めに渡してあり、唯一の道である。屋根には50センチ四方の跳ね上げ式のふたが付いており、中央には10センチ四方の覗き穴がある。屋根からは梯子で床下まで下りられる。まあ、なんとも奇怪な舞台であろうか。日本では考えられない「罠」である。入り口には外から錠が掛けられたこの小部屋で起きた密室殺人事件。本格ミステリファンならドキドキする設定ではある。
 舞台を把握するのに苦労したが、それ以外は小さな村での殺人事件であり、どろどろした人間関係の探索が続く。この辺りの流れは黄金時代の本格ミステリそのものであり、何十年も経ってスウェーデンで書かれていたとは夢にも思わなかった。
 はっきり言って、密室トリック一発の本格ミステリ。このトリックは、成立するのかよと突っ込みたくなるようなもの。喜ぶ人は喜ぶだろうな。好みが分かれるところだが、私は嫌いではない。松坂健が「戦後の横溝正史を思い出した」と評するのもわかる。ただトリックは強引そのものだが、解決までの流れは綺麗である。
 古き良き本格ミステリが好きな人にはたまらない作品。殺人事件が起きてからの展開がかったるいという人もいるだろう。古臭いというのも正しい評だ。それでも、あの頃興奮した本格ミステリがここにあった。