広島県府中市上下町にある国指定の文化財『翁座』。
その裏方には当時の様子を今に記録するものがあちらこちらに残っている。
第二種電気工事士の免許を持っている俺としては、これを見ただけで色んな意味でザワザワするんです。これを目の前にして一人でブツブツ、キャッキャ言いながらカメラで撮影してた姿は傍から見たら頭おかしい人だったでしょうな。さぞかし。そりゃもう。
・・・当然、一次側に電圧は掛かっていない。(よね。)
みろよ。
【電気工事士視点】
この時代(大正)の物だから、電線の絶縁物がビニル被覆じゃねぇ。
線路の交点の絶縁体に碍管つかってやがる。いちいち碍子じゃねぇか。
銘板も木板に墨で書いた味のある手書きだし。
うひょひょ~。
お前、電気工事士なんだからこの配線何とかしろ!とか言われたら?
うふふ。超イヤ。
【カメラマン視点】
文化財ってのはな。こういうのがいいんだよ。
こういう脇の奥にある当時の残滓を写真に撮るとすごい想像を掻き立てるエモーショナルな一枚の画が仕上がるんだよ。
レトロスペクティブを撮影しようとしたら、森では無く木を、木では無く根元の草花を見るような視点でみるとすごい発見があるだよなぁ。
うひょひょ~。
【回顧録 燎炎護辰を終えて】
回顧して思った事を記録として書き記す。
個人的には今までに経験のない出来事を体験することが出来た。
以前にも書いたが、ただのサラリーマンがこのような経験は出来ないだろう。
本当に人、モノ、時期など色々な要素に恵まれた。この場でお礼を申し上げたい。
広島県府中市市政70周年を記念した事業の一環で、地元のアーティストとしてエントリーし、市民投票で選抜された我龍さんが今回のコンサートを仕切ったという話。
広島県のイメージだと、広島市や尾道市などの瀬戸内海に面した街のイメージが強く、府中市はというと中国山地に近い山奥で、どちらかというとマイナーでイメージが沸かない土地柄という印象。
特に上下町という場所は申し訳ない事に今回のイベントで初めて知った場所で、白壁の街並みが広がる場所が広島県にもあるのかと正直驚いたというのが本音だった。
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山口県内の身近なところでいうと、柳井市の白壁の街並み。
土地の様相としては周南市の辺鄙な山奥にある鹿野地域に似ている。
市政70周年記念事業というならば、中心街の市民ホールのような場所でやればいいのにと正直思ったのだが、地域活性を視野に入れるとするならば、中心市街地だけに偏らせず、府中市の重要な観光資源一つである上下町になんとかテコ入れしようと考えるのは行政としては比較的想像できる流れだったように想える。
今回のイベントの開催地はそんな上下町白壁の街並みの通りに面した酒造跡地と近年国の指定文化財に登録された古い大衆劇場『翁座』。
酒造跡地の方は、あくまで跡地というだけで個人的な印象ではただの老朽化した倉庫だった。酒造跡の名残は全く無く、売り物なのか骨董品なのか分からない、古い人形の大量の山が物陰にうずたかく並べられており、会場を設営したメンバーや代表に以前の姿はどうだったか聞いたら、だいぶ鬱蒼としていて会場を設営する前の片づけでかなり苦労したようだった。
勝手なイメージでお土産にお酒でも買って帰るかと思っていたのだがそういう話では全くなかった。
翁座の方も、軽く調べてみたら国の指定文化財に登録されて間もないようで、外観の白壁やトイレなどは改装されてはいたものの文化財とは言え、もうちょっと改修するなりした方がいいんじゃないかと想うところが節々にあった。
同じように山口県周南市鹿野にある漢陽寺も国指定登録文化財に認定されていて、さすがによく手入れがされているなという印象があったからそう思ったのかもしれない。
(あくまでお寺であり、住職や関係者、檀家さんなどが出入りすることもあるので、維持管理の体制が十分成されているというのは多分にあるだろうが・・・。)
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改修設計の事業計画もある様なので、行政としても何とかしようとしている様子ではあった。(調べてみたら2024年10月に歌舞伎公演が予定されている。家の近くだったら絶対見に行くわ。)
酒造跡にしろ翁座にしろ、我龍さんが片づけてイベントスペースとして運用できる実績を作り出してくれたのである。ある意味試験運転を任されていたのかもしれない。
ほんの一部ではあるがイベントの演者側として携わらせてもらい、様子をつぶさに観察していた俺の目には、我龍さんが要所要所で苦労しているなぁと感じ取れてしまったのである。
この地に縁もゆかりも無い第三者的視点で言わせてもらうならば、あとは行政の責任でしっかりとこの実績を糧に有効活用し、地域活性の足がかりにしてもらいたいと願うばかりだ。
そうでないと、我龍さんを含め携わった関係者の苦労は報われないと想うのである。