犬日記

役に立つことは書かれていない日記

物価の話

いないいないチョコ

うちから歩いて5分ほど行ったところには高級イタリアンスーパーが1軒あります。
小さなこの町でも大変評判のお店で、日本人と違い並ぶのが嫌いな外国人たちですらもお昼時などデリに長い行列を作るほどの人気ぶりなのですが、カナダに来てからというもの



「なんじゃ、この食文化のレベルの低さは!ってか、美味しいものがなんもな・・・・・・メープルシロップ以外なんもないじゃん!(メープルシロップの美味しさは認めざるを得ない)」



とギーギー毎日切れている私の心を慰めてくれる数少ない癒しの場所でもあります。
イタリア系の食材や食品を中心に質の高い、且つ日本人には珍しい、美味しいものを数多く揃えているため、訪れるたびにミニ怪獣にギーギー文句を言われながらも、ついつい長居してしまいます。
難点といえばやはり質が高い分値段も相応に高いので、そんな頻繁に利用するわけにもいかないのですが、よく探すと日本に比べてバカみたいに安い商品があったりもします。
これは多分、関税の問題だと推測するのですが、生ハムなんかは日本のデパートの値段の1/3〜1/4くらいの価格で、質の方も、日本で食べた数少ない遠い記憶を手繰り寄せて味わい比べてみたのですが、高いように感じます。


また先日などは、謎のように種類の多いチョコレート売り場で購入したちょっと高めの板チョコを食べてみたところ、これがブラックさんなら『オオー!サンタ・マリーア!』と叫んでくれるであろうほど大変美味でして、こんな美味しいチョコレートなら日本でもせめてデパートとかで売ってくれればいいのにと検索してみたところ、すでに日本でも販売されていました。
が、驚いたのはその価格、50gで2484円って、買えるかそんな高い商品!ってか、よしんば買ったところで食えるかそんな高いチョコレート!と驚きを通り越して怒りを感じましたが、こちらでは5.99カナダ$で販売されていたので、かなり得したみたいです。
1カナダ$は今85円ぐらいなので、おおよそ500円ぐらいの商品という感覚でいたのですが、それだって特売98円の明治の板チョコに比べれば高いわけで、ひとかけ食べるたびに



「うまいけど、これで50円? チロルなら5個、いや消費税が今8%になったから4個? それはそうと私のひいきにしている『チロル bis』は最近単品で見かけないなあ」



と毎度呟きながら食べていたのですが、これからは「ひとかけ240円に比べたら割安割安、チロルだと22個分だけど」にセリフが変更されること間違いなしです。


他に安いのはカットされたチーズ、生オリーブ、生パスタ類、あとはデリで提供しているテイクアウト商品など、主にお店で調理や切り分ける等、手を入れている商品は安いようです。
逆に高いのが生鮮食品の肉、野菜、魚、カナダの一般的なスーパーにも置いてあるメイドインUSA&カナダの各商品、生鮮食品の質は余所のスーパーより平均して高いので値段が高いのにも納得ですが、普通の加工食品は全く同じものが割高で売られているのでまず買いません。
そういったものは週末、車で郊外のスーパーまで行って1週間分をまとめ買いというスタイルでだいたい落ち着いてきました。
思い返せば来たばかりの頃、スーパーといえば唯一歩いていける店がこの高級スーパーだったため、訳も分からず「こんなもんなのかな」と買い物をしていた結果『やっぱり食費がかかりすぎているわ。エンゲル係数80はいってるわよ』とぼやいていた栗田さんと同じ目にあってしまい、こんな物価の高い土地で生きていけるかー!なんで鶏胸肉が1枚700円もするんじゃあぁぁ!と切れたりもしたのですが、それも今では土地になれるための授業料だったのだろうと自分に言い聞かせています。


そんなカナダですが、このところまたもイースターとかいうわけのわからないイベントに街は盛り上がりを見せ、店頭は卵とウサギと花と緑の商品で埋め尽くされています。
やたらデコられた籠なども販売しているのですが、意地でも検索しないと思っている日本人の私にはどういう意味合いのお祭りなのか訳が分からず、洋服屋さんのウィンドウが緑のドレスで埋め尽くされていたり、肉屋のレジにウサギのぬいぐるみがはりつけられていたり、スーパーのチラシが卵型商品ばかりだったりするのを見るたびにうんざりするのをひとかけ50円で癒す日々を送っています。





チョコ写真。
逃げ遅れたチョコがいないいないばあをされる羽目に。


ミニ怪獣はいないいないばあを「してあげる」のがお気に入り。
決して自分はされようとはしないくせに、親、ぬいぐるみ、馬の乗り物、辺り構わずやってきます。
ターゲットは捕獲されると黙って強制いないいないばあをうけないといけないため、私も夫の人もチョコも常に間合と空気を読んでいるのですが、この日チョコは積み木に夢中のミニ怪獣の横でうかつにも寝てしまったため、逃げ遅れたもよう。
気がつくとのっしのっしと怪獣が近寄って来たため観念したようです。

ニイタカヤマノボレ

訝しチョコ

図体ばっかりでかくなる割には知能はちっともチョコに追いつかないなあ、と思っていたミニ怪獣も、2歳を目前にして急激に人に近づきつつあります。
お願いすると物を運んでくれたり、少しひとりで遊んでてねとお願いすると10分ぐらい一人遊びに興じてくれたり、自分の要求を泣き喚いて伝えるのではなく、なんとか身振り手振り言葉で伝えてかなえてもらおうとしてみたり、まだまだ本人の意図を正確に反映してはいないものの、ヒト型コミュニケーションの片鱗を見せ始めてきました。
とはいっても出来る事がまだまだ原始的なので、私の目には少々オツムが弱めのサルにしか見えないのですが(賢いサルは机の下に自ら潜った事を忘れて立ち上がり頭を強打して大泣きしたりしないと思うのです)こうやって人は誰しもヒトへと進化するのだろうと興味深く観察している日々です。


そんなオツム弱めの我が家のおサルさんは最近お絵描きにいたくご執心で、それもクレヨンによる絵画がお気に入りのようです。
出来あがった絵を持って、台所にいる私のところまで走って来ては得意そうに絵を見せてくれたりして、親としては感無量なひと時なのですが、それよりついつい気になるのが描かれているこれらの絵はいったいなんなんだろうということで、この色とりどりのグルグル地獄や直線ハレーションに意味はあるのだろうかと持って来られる度に気になってしまうのです。
そんなわけでつい先日、とうとう我慢できなくなったのでおサル画伯が持ってきた絵をひとしきり絶賛した後、一部分を指さし「これは何?」と聞いてみたところ



「はち!」



と得意そうに答えてくれました。
私の指さした紫色の円もどきの正体が娘のお気に入りの「8(はち)」なのはこれで理解できましたが、問題はその隣、水色とピンクのグルグル地獄を指さして「じゃあこっちは何?」と聞いたところ



「べ!」



とやはり得意満面に答えられたのですが、娘の口から「べ」なる単語を初めて聞いた私には今だ正体つかめず、「べ」ってなんやねん!な日々です。


 (・・・べ?)



今のところ分かっている手掛かりは、絵本に出てくる桜の木と青くぬられている抽象画のページも「べ」であること、ボールやぬいぐるみなどの3Dの物体は「べ」ではないこと、これらをヒントに画伯がまだ名前を認識していないまたは名前がまだ決定されていないと思われる物を中心にあれこれ「これはなに?」と質問してまわっているところです。


遅々とした進捗状況に投げだしたくなる日もありますが、そんな時はロゼッタストーン柄のマグカップでお茶を飲んで一休み。
エニグマ解読に比べればなんのこれしき」と、自分を励ましつつ「べ」の解読に勤しんでいます。




チョコ写真


ミニ怪獣の積み上げた積み木を訝しそうに見るチョコ。
絵と並んでブームの積み木ツムツムも、近頃はかなり高く積めるようになってきました。
どんどん高くなっていく積み木に、なんとなくチョコは不機嫌そうにしているような気がするのですが、気持ちを理解することはできず、そのためか「あ、邪魔だね片づけようね」と妙に気を使ってしまいます。
片付け終えた後のチョコの表情を見ていると、決して気のせいではないよう気もするのですが、今のところ何を意図しているのかこちらも解読不可能な状態です。

我が家のおやつ問題

うらめしチョコ

ミニ怪獣が現れてからというものチョコにとっては納得のいかない事ばかりの毎日だと思われるのですが、特に納得がいっていなさそうなのが食べ物にまつわる諸々の事情で、中でも「3時のおやつ」に関しては我慢の限界をほぼ超える水域に達しているようです。
現在1歳9カ月の育ち盛りなミニ怪獣は午後3時におやつが提供され親に見守られながら食すのが日課となっているのですが、その姿をこの世の全不幸を背負っているかのようなまなざしで憎々しげに部屋の隅っこから「毎日毎日おやつをもらえるなんて、どお〜いう〜こ〜と〜〜〜〜〜?」みたいに睨まれるのも、最早日課となっている状況です。
おやつが提供され始めた最初の頃は



「チョコや、このリンゴの甘煮は少しお砂糖が入ってるからあげられないのよ。 犬にお砂糖はよくないからね、ごめんね我慢してね」



などと弁解すると、空気を読むのかがっかりしながらも納得してすごすご自分のベッドに引き上げてくれていたのですが、その後



「このうどんのお焼きは油で焼いてるから」
「この小豆の寒天よせはメープルシロップが入ってるから」
「このさつまいものお焼きはバターで焼いてるから」
「このバナナはこれが最後の1本だから」



などなど、連日のように「結局くれないんじゃん!」な状態が続いたため、もう許さないぞばいきんまん!な態度に次第に変化していき、現在のガン見攻撃に至ってます。
それというのもチョコは無条件でおやつをもらうという習慣がなく、いつも何がしらかのほめられる事をして初めてもらえるという育て方をしたので、それもあって「なんであいつばっかり〜〜〜〜!」と思っているのかもしれません。
そんなわけで



「犬は三食ご飯を食べてればそれでいい、ましてや人間の食べ物はよほどの事情がない限り食べさせなくて良し!」



という方針を貫いてきた私も考え直し、チョコのためにyamという芋を買ってきて焼き芋を作り、週に2回ほどミニ怪獣のおやつの時間にそろって一緒に食べさせるようになりました。
おかげで恨みがましい視線から多少憎々成分が薄らぎはしたように思われますが、代わりにおやつの時間の1時間ほど前から


「今日はyamくれるかな? くれるよね! くれるにきまってるよね!?」


みたいな視線でじっと見つめられ、家のどこを移動するにも追尾されるようになってしまいました。
トイレに行っても、洗濯物を取りに行っても、台所へお茶を淹れに行っても、音もなく忍び寄るのか気がつくといつも後ろとられていて、私が右へ動けば顔を右へ向け左へ動けば左を向くといった感じで完全に私の動作と連動しています。
そんな姿にもしやこいつCIAの新型偵察機じゃないだろうななどと思いつつ、yamをあげられる日はチョコの喜ぶ顔を想像しながらわざと家中をうろうろしては追尾されています。



チョコ写真。
ミニ怪獣のおやつタイムを恨みがましそうに見つめるチョコ。
ちなみにyamはsweet potetoという名前でも売っていて見た目は完全にさつま芋なのですが、切ってみると中がさつま芋よりずっとオレンジ色をしています。
さつま芋に比べると水気が多くべちょべちょしていて味は妙に甘ったるい感じで、さつま芋好きの私にはどうしても受け付けずあまり好きにはなれないyamですが、チョコは大好きなようでオーブンでyam焼き芋を作っていると匂いを嗅ぎつけては小躍りしています。
美味しい焼き芋にするためには低温で2時間半ほど焼かなくてはならないため、時々前日の夜に仕込む事もあるのですが、そんな時は期待に満ちた視線で追尾されるのは心苦しいのでなるべく移動しなくていいように過ごしています。

秋(っぽい気温)の夜長にはあれこれ思い返してしまいます

ikuko22016-02-04

そう遠くない昔、私は人生を思い返すという事がほとんどなく、いつも頭の中は明日の事ばかり考えて過ごしていました。
明日はチョコと土手を散歩しよう、明日はあそこの狩り場でレベル上げよう、明日は苺大福と豆大福どっちを食べよう、うーんどっちも食べる!みたいな日々の連続を今になって思い返すと、その原因はおそらく一般の人よりずいぶん暇な人生を送っていたためだということがよくわかります。
なるべく、やらないといけない事を排除しぎりぎりまで自分のためだけに人生を浪費出来るよう生きてきたわけですが、現在はミニ怪獣+ミニ怪獣に嫉妬する犬+海外生活のコンボでフルボッコにされているため、最近ではあれって現実だったのかな幻だったんじゃないかなと昔を思い返す事が増えたような気がします。
特に今日のような夫の人は出張3日目、暴れる幼児と拗ねる犬に振り回され、言語の通じない土地でひとり家を回す生活もやっと半分消化したなあ、でもまだ半分かー、はぁぁー・・・みたいな日の夜はひとり静かに過ごしていると、そういや若者っぽい事ってあれもこれも色々してこなかったなあと思い出されます。
前にも書いたクリスマスパーティもその一つですが、合コンもしたことない、クラブにいったこともない(ママのいるクラブならお供で何度かありますが)髪を染めるパーマをかける以前に身なりに気を配るもない、女子会もしたことない、痴漢にあった事がない、年賀状を出した事がない、ローンを組んだ事がない(そんな高額なもの買ったことがない)結婚式をしてない、そもそもきゃっきゃうふふするような事がない、みたいな。
こうしてひとつずつ思い返してみると、私の人生って本当にゲームと本と犬と散歩と時々ジムで消費されていたのだなあ、自分の時間のためにはずいぶんエコな人生だなあと改めて気づかされます(電力消費大好きなので地球には全然やさしくないですが)
もっと色んな事をしていたような気がしていたのですが誤差である事は間違いなく、となるとあれだけ浪費していた自由時間がまんま育児になっているだけなのになんでこんなに忙しいのだろう、いややっぱり結構いろいろしてたのかなもう一回思い返してみよう・・・・・・やっぱり気のせいだなあ、じゃあなんでこんな忙しいのかなあを延々ループする、秋のように暖かい(気温11度)夜長を過ごしています。





チョコ写真。
雪の中のチョコ。
いくら今年は日本より暖かいと言えど毎年マイナス30度を記録している土地だけあって、ちょっと油断すると数時間雪が降っただけでこの積もりよう。
しかし今年は本当に異常気象のようで、雪が降ったかと思った数日後には10℃ぐらいまで気温が上がりみんな溶けてしまいます。
せっかくチョコにひかせようと買ったソリもいまだ出番が来ておらずベランダに放置したままです。
異常気象が続いた方がありがたいチョコの呪いなのかもしれません。

チョコと私と未知との遭遇

未知との遭遇

子供が出来たと分かった時から出産するまでの間というもの、毎日何を考えて暮らしていたかというと



「私がヒトの親になるなんて〜〜〜〜・・・・・・無理!やっぱり無理!!!」





「ああ・・・努力しても可愛いと思えず虐待でもしてしまったらどうしよう」



ばかりで、およそ幸せな妊婦生活などというものからは遠い日々を送っていました。
おまけになんの天罰かは知りませんが(思い当たる節はいっぱいある)産まれるまさにその瞬間までひどいつわりがずっと続き毎日ゲロゲロゲロンパしていたので、今思えば心も体も結構シビアな状態だったのでしょう、例にあげられてもおかしくない由緒正しいマタニティブルーでした。
そんな私を気遣ってくれる心優しく先人でもある友人たちは「大丈夫、犬がちゃんと飼える人は子どもも育てられるから」とか「産んでしまえばなんとかなるもんよ」などと言って励ましてくれていたのですが、そうはいっても史上最低なデフレスパイラル状態の当時の私は



「そんなこといったって世の中絶対なんてことあり得ないもん! じゃあなにか? 絶対なんて絶対ないわけだからきちんと育てられる保証なんて絶対ないもん!うわ〜ん!」



などと屁理屈こねまくってはネガティブキャンペーンを展開して友人たちを困らせたりしていました。
ええ、ええ、大変めんどくさいやつですよ私という人間は。ごめんなさいね!



そんな身も心もしょぼりんちょな日々を送っていたある日、ふとつわり休みにフガフガ寝ているチョコを眺めているとある興味が沸いてきました。
それは「赤ん坊が家に現れたらチョコはどうするのだろう」という事で、チョコの視点で想像するにある日突然海のものとも山のものともわからない小さな生き物が自分のテリトリーにやって来て、おまけに家族総出でその生き物をちやほやと世話するようになるわけで、今までテリトリー内の人間の愛情を好きなだけ享受してきた者としてどのように思うのか、またそれなりに空気を読む生き物としてどう振る舞うのか、知らないお客さんが入室した時のように吠えるのか、友人の犬が来た時のように興味深そうに匂いを嗅ぐのか、楽しんでもらえるかなと思ってディズニーランドの風船を買って帰った時のように怯えて半径1m以上は近寄らないのか。
そんな突然沸いた疑問に少しだけ、デフレスパイラルな日々が救われたような気がしたのでした。



そしてその興味深いある日は4月のよく晴れた日にやって来たのですが、チョコは1週間ぶりに帰宅した私の姿にひとしきり大喜び、さてこの後どう出るかと夫の人と注意深く観察していたのですが、チョコときたらテリトリー内に生き物が1匹増えたことに全く気付かず、床に敷かれた布団で眠る赤ん坊が視界に入っていないのか、私が持ち帰った荷物にばかり気を取られてフガフガ匂いを嗅ぎ続けていました。
まったく予想していなかったチョコの反応に呆れるのを通り越して脱力してしまったのはいうまでもなく、あれこれ自分で熟考したつもりでも大した事が想像できているわけではないのだなという事に気づかされ、お陰でその後の育児生活ではあんまし考えてもなるようにしかなんねーしと思い悩む事も少なくなりました。



そんなわけで毎日毎日ショルダータックルだの相撲をとれだの私が遊んでいる間は私を見てて!でもおもちゃには触らないで!だのの、こんガキャあわがままもええ加減にせんといわっしゃげるぞ!な要求にも、対策等を考えても無駄だし取り合えず適当に付き合っとくか・・・と受け流しつつなんとかやれているのはチョコのお陰かもしれません。
「そうよ!だからもっと私の事もかまいなさいよ!」とでもいうように、ミニ怪獣との遊びで忙しい時に限ってチョコがまとわりつくのも致し方ないと思いつつ、遊んで撫でて遊んで撫でて撫でて遊んでまた撫でるを繰り返すせわしない日々を送っています。




チョコ写真。
新しい生き物を興味深そうに見つめるチョコ。
帰宅の数時間のち、赤ん坊が目を覚まして泣いたことで初めて「それ」が生きている事に気が付いたようで、びっくり仰天して部屋の隅に逃げていきました。
しばらく遠くから観察した後、怖くないと分かってからは近づいて匂いを嗅ごうとしていたのですが、布団が邪魔して触れないのでヘリに顎を置いて不思議そうに眺めていました。
人間の赤ん坊を見るのは初めてなのでよく理解できないのか「なにこれ? 人? にしては小さいけど」といつまでもじっと見ていました。

ふさふさするモノ

ikuko22016-01-15

私は冗談抜きでかなり怖がりな性質だと思うのですが、その話をするとたいていの知人は「今度は一体何を企んでいるのだろう」みたいな目をして訝しがったり、場合によっては嘘だ!本当だ!の場外バトルに発展する事もあるので、普段そのことはなるべく言わないように心がけて生活しています。
しかし私の認知に歪みがないのであればかなり怖がりな方だといっても間違いないレベルで、お化け屋敷や怪談話、暗い場所や得体のしれない気配や音は大変苦手です。
断っておかないといけないのは、決して何かが見える等の体質というわけではなく、今まで一度も怪奇現象に見舞われた事はないのですが(というか見えていたら逆にここまで拗らせなかったと思うのですが)会えないが故惚れた腫れたと気持ちが募るのと同じく、見えないが故に恐怖心というやつはどんどん募っていくようで、30歳あたりまで年々重症化が進む一方だったこともあり、当時は自分で自分が心配になるほど結構真剣に危惧していました(そんなことより他の懸念事項の方がよっぽど重症だと周りからは言われていましたがよく聞こえませんでした)



転機が訪れたのはチョコがうちにやって来た事で、それまで聞いたこともない気配や音を奏でる存在に、慣れるに連れ私の心と体もどんどん雑になっていったようで、次第に夜中に突然始まるチョコの「スピスコー、スピスコー・・・・・・スピ?スピスコー」という、途中疑問形になってたのはなんでやねん!ないびきや、こちらが熟睡中に「ぐむむむ・・・ワンッ!」などと大音量で寝ぼけて吠えられても


「うるさい、チョコっ!」



と即座に怒鳴り返したのち、間髪いれずにグースカピーと再び深い眠りに入れるほどの回復ぶり。
ただただ愛らしさを求めて飼った犬にまさかこんな効能があるとは(そして当初の目的の愛らしさがまさかこんなにもずれた犬だとは)思いませんでした。



そんなわけで家の中で聞き覚えのない気配や音がした時は反射的にチョコのせいだと思う癖がついたため、先日昼下がりの読書中、ベランダのあたりでフサフサと動く気配を目の端に捉えた時も



(チョコめー、まーた余計な事しとるんかいな)



とうっすら思いながらもすぐに本の方へ意識を集中しそうになったのですが、よく考えたら外はマイナス10℃の雪景色、おまけに二重窓がぴったりしまっているベランダになぜチョコが?という事に気が付き慌てて外をよく見てみると、フサフサの正体はリスでした。




(・・・ん?)



(よく見るとチョコにしては小さいし、チョコにしては動きがラブリー)



この辺では野良リスは珍しくないのですが、5階にある我が家のベランダで見るのは初めてですし、撮影後、隣のベランダへ逃げて行ったと思ったら、その後やたら行ったり来たりウロウロしていたので降りられなくて困っていたのではと思うと、ベランダでの遭遇は珍しい出来事だったのでしょう。
リスはうちと隣のベランダを何度か往復した後居なくなったので多分無事に地上に降りられたのだと思いますが、この寒空の下野生の生き物は大変だなあと、暖房の前で丸くなって動こうとしないチョコを見ながら複雑な気持ちになる小さな出来事でした。





チョコ写真。
新しいベッドをやっと購入してもらったチョコ。
低反発が慣れないのかまだ警戒中、多分そのうち慣れてフガフガ眠る事でしょう。

年末年始ダイジェスト

横着チョコ

今年もなんとか無事明けた2016年、今更ながらのあけましておめでとうございますです。
去年は世界中で異常気象だといわれていましたがそれはここカナダも同じで、雪のないクリスマスは云十年ぶりだとかでカナディアンたちがざわついていました。
晦日には東京なら電車が全線ストップする程度のささやかな積雪があったので新年は雪国らしく雪景色で迎えましたが、本日またも気温は急上昇で6度を記録、おもての雪もほとんど溶けてしまい、またもカナディアンたちがざわ・・・ざわざわ・・・している様子を観察する毎日です。


なにはともあれ初めて体験する海外での年越し、娘も出来たのだしここはひとつ記念となるような素敵なお正月にするべく気合を入れて準備を・・・なんてめんどくさいことを私が当然するわけもなく、大掃除も年越し蕎麦もおせちも雑煮もすっ飛ばし、大晦日トロントにある日本人スーパーまで出向いて1万円分ほど爆買いしてきた日本のお菓子と作り置きしたカレーを食べ続けながら例年通りひたすらゴロゴロしていました、あー生き返る、やっぱり正月はこれに限りますな。チョコ菓子はたけのこの里に限りますな。


そんな寝正月を過ごす我が家に連動するかのごとく、カナダの街は12月26日のボクシング・デー(クリスマスの翌日に募った寄付のプレゼント箱を開けるためその名前がついた日で、現在ではバーゲンセールの代名詞みたいにもなっているカナダの祝日。新年大安売り的にあちこちのお店がにぎわう)のにぎわいを最後に一気に静かになりました。
こちらに来てから初めて街の様子が静かになったので最初は何事かと思ったのですが、よーく思い返してみるとちょうど引っ越してきた9月中頃からの3カ月間はサンクスギビング・デー→ハロウィン→クリスマスと年中行事が続くため、カナダが最も浮かれまくっている時期だったわけで、なにも知らずにたまたま引越してきた時と重なったため、事情を知らずに生活しているとただただ毎日お祭り騒ぎ(またはその準備)をしているようにしか見えず



「ここの住民はほんまに遊ぶことばっかり一丁前で、ちっとはまじめに働かんかい!」



と、amazonの荷物すら時間通りに来なかった、というか道がわからなくて連絡もなく勝手に荷物を持って引き返されたことも相まってギーギー切れていたのですが、浮かれているのにもそれなりの事情があったようです。



ただ静寂が戻ったからといって人々の雑さが急に改善されるわけではないようで、やっぱり時間通りに来ないのはどういうわけなのか、告知もなしに地下の駐車場の工事を始めて車が出せなくなるのはなぜなのか、間違い電話に「間違ってますよ」と丁寧に応対したのに3秒後にまたかかってくるのはどういうことなのか、その後もBOTなのかと思うほど何度もかかかってくるのは最早嫌がらせではないのか等、究明しなくてはならない謎に新年早々満ち溢れています。
2016年も波乱に満ちた生活になるのはおそらく避けられない運命である事を覚悟しつつ、とりあえずたけのこの里と緑茶を味わいながら脳内で作戦をねりねりする今日この頃です。



チョコ写真。
横着して寝そべったまま水を飲むチョコ。
水飲むだけならまだしも、かまってほしい時も寝そべったまま前足で空を切って人間を呼ぶチョコの姿に「それでも狼の末裔かお前は!」と突っ込みながらゴロゴロ転がるホモサピエンスのなれの果ての私です。