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調べものをしていたら、久しぶりに自分の文章を見つけてしまった。
今日まさに断捨離をしていたら、むかしの山行記録(とも言えないくらいの走り書き)とボロボロの地形図が出てきた。引っ越しのたびに見もしないで連れてきていた紙の束。
捨てようと一度紙袋に入れたけど、また出してきてしまった。

この絵と文章描いてる私、楽しそうだなぁ。
楽しく歩いているなぁ。

けっこううらやましかったです。

また書くことができたら、また書こうかな。

梓久保林道 岩屋林道




登山靴で来たのは失敗。道の形がほぼ無くなって、沢に下りはじめたたら倒木だらけ。濡れた倒木の上に乗ろうとするとコケや樹皮ごと滑る。
こういうところはスパイク地下足袋がいいのに。

ちょっとした沢を渡ろうとしても、いちいち靴を脱ぐのが面倒になってきて、最後は靴のまま渡っていたら案の定靴の中までびしょ濡れになった。
あー、長靴があればなぁ。

行く先を見上げて、少しでも歩きやすそうなところを歩こうとしたら、両側は藪の高巻き。沢の中を歩くのが一番なんじゃないかと思い始めた。
沢靴持ってくれば良かった…。


歩きながらだんだん「人間って不便だな」と思い始めていた。
同じようなところを、動物は裸足で自由に駆け回っているのに、私は道具が無いと上手く歩けない。と言うか、道具に頼ろうとつい思う。場面が変わるたびに「地下足袋があれば」「長靴か沢靴があれば」と思っている…。


便利なようで不便。
人間は、自分で自分を不自由にしてるのかも。


人の踏み跡だか動物の踏み跡だか分からない跡を追って藪の中に突っ込んだ。
ちょっとの空間だけ木が途切れていたのは、たぶん動物のぬた場で、動物と同じ場所に出てきた自分がなんだかおかしかった。
道が無いと歩けないなんて、やっぱり人間は不自由だな。
地図やコンパスや、赤テープが無いと人は道に迷うけど、動物は地図なんか持ってない。
自分の勘だけで歩くってどんな感じなんだろう…。


動物も道がわからなくなって不安に思ったり、「こっちの方が歩き易そう」とか思ったりするんだろうか?
仲間が落っこちて怪我をしたら心配したり、夜になったら1日を振り返ってホッとしたり眠れなくなったりするんだろうか?

少しだけ動物の気持ちに近づける…と言うとおこがましいか。
動物の気持ちに近づいてみたくなった…のかも。

どんなに想像してもやっぱり動物が何を考えてどんなふうに暮らしているのかわからないけど、少なくても人間に比べたら自由な気がする。









ロビンソンクルーゾーが住んで居そうな岩屋の中にテントを張った。
洞窟みたいな岩屋に体育座りをしている自分は、漂流とか不時着した人みたいだ。
寝ながら聞こえていた水の音は、いつの間にか目の前の沢の音だか雨の音だか分からなくなった。
鹿や熊もこんな感じで寝ているのかなー、とか想像しながら寝た。

岩屋の前にはハクサンシャクナゲの花びらがいっぱい落ちていて、それもなんだかきれいだった。
「漂流とか不時着」と「花びら」がちぐはぐだけど、なんだかロマンチックなようで。

出発する時に岩屋の写真を撮ろうかと思ったけど、撮ってもこの感じはたぶん残せないのがつまらない気がして、写真は撮らずに出発した。


2016/7/15〜7/16
【1日目】梓山バス停〜常楽院平〜梓久保林道〜岩屋林道〜岩小屋
【2日目】岩小屋〜天狗尾根のピーク〜国師のタル〜東梓〜富士見〜水師〜甲武信小屋
(単独)

和名倉山




笹原にでたら、一面霧。
でも真っ白ではなくて薄明るくなったり、また暗くなったりしていた。薄明るくなったむこうに白くて丸い太陽が見えてきた。
太陽なのに満月みたいに見える。





もうちょっと待っていたらきっと晴れるだろうな。
数少ない、登ったことのある東北の山を思い出した。あの時も、しばらく待ってたら青空が覗いたんだよなぁ。こういう時は慌てて先を急がない方がいいんだよな。
道端に座ってしばらく霧がフワフワ動くのを眺めた。





山頂は…というか、山頂付近だけ鬱蒼とした原生林が残っていた。
さっきのカラマツの幼木が密集している明るい斜面から一転。山頂標識は、その原生林の中にぽつんと立っていた。
なんだか落ち着くなぁ。
明るい道より、こういう暗くてジメッとした針葉樹林帯の方が落ち着くなんて、奥秩父っぽい体質になっているのが自分でもおかしかった。
針葉樹の間の細い道を、目の前を小さい鳥がヒュンヒュン渡って行くのも、三宝山あたりの雰囲気に似ている…。
もともとは全山こんな雰囲気だったんだろうなあ。









広い笹原、狭い尾根、開けたところ、稚樹の繁るところ、針葉樹の暗いところ、乾いたところ、湿っぽいところ…。
いろんな表情が次々に現れる。
地形も、すんなり山頂にたどり着くのではなくて、大波小波みたいにいくつも隆起を乗り越えないと山頂に立てない。
和名倉山は、見た目どおりに大きくて複雑な地形の塊だった。





人の手が入っているところ、入っていないところ、自然のまんまのところ、勝手に自然が回復しようとしているところ。
山と人が関わってきたり関わらなくなったりしてきた、いろんな面があちこちに見えて、それも面白いなあと思った。





2016/5/15〜5/16
[1日目]甲武信小屋〜雁坂峠〜将監峠
[2日目]将監峠〜和名倉山〜秩父湖
(単独)

冬休みのこと

冬休み中、金峰山小屋へ遊びに行った。





他の山小屋に泊まった時に見ることは、食事の内容より、小屋の造りより、やっぱり小屋番さんの振る舞いだったりする。
この日は吉木さんは不在で、藤田さんが小屋番さん。
夕食をお客さんに出した後、お客さんの輪の中入っていく藤田さんを見ていたら、
同じ小屋でも、小屋番さんが変わると、やっぱりその人の「小屋」になるんだな、と思った。

徳さんがやるのと、北爪さんがやるのとも違ってくるだろうし、北爪さんがやるのと、私がやるのとでは、また違った小屋になるんだろうな。
そう考えると、山小屋ってやっぱり面白い場所だなぁと思う。

そういう場所が山の中にポツンポツンとあって、この冬の間に、いくつか泊まらせてもらった。
これは小屋で働いてる特権のひとつだと思うけど、気軽に「こんちは」って訪ねて行ける小屋ができていくのは嬉しいこと。
ちょっとだけ「渡り鳥」みたいだ。







翌日は甲武信方面へ…。
のつもりが。







全然ペースが上がらず、10歩歩いては休み、10歩歩いては休み…。
雪踏みにくたびれて、ひっくり返って見上げたら、空が青いこと、青いこと。

私、こんなに歩けない人だったっけ。

バテバテで小屋に到着する人の気持ちがよく分かったような気がした。
(今年は『歩けない人』の気持ちが分かる小屋番さんになろう…)



寝袋に潜っていて、寒くて眠れないと色んなことを考える。
夜中、横になりながら、まずは明日、どうしようとずっと考えていた。
行くが8割行かないが2割だったのが、だんだん逆転したりまた戻ったり。
今日歩いてみた自分の体力や、雪の感じや、今の気持ちや、残りの食料や、明日の天気予報。一人で全部を決める作業が今回の一番の核心部みたいだ…。
行かない、と決めたら、今度はまた違うことを色々考え始めていた。

人と「親しくなる」って、どういうことなんだろうと、この頃よく思う。

高校生くらいまで、「その人と一緒にいて面白い」と思うことが、その人と「親しい」ってことだと思っていた。
だから、頑張って話題が途切れないようにしたり、「つまんない」って言われるとものすごくへこんだりしていた。
でもそうじゃないのかな、と最近は思う。

同じ場所に居たり、同じ物を見たり、
それぞれ同じことや違ったことを感じたり、それについて話したり話さなかったり、
会わない時間も長かったり短かったり。
お互いを良く思ったり、良くは思わなかったり。
そういう長い時間の流れを全部ひっくるめて「親しい」になるんかな。
「面白い」っていうのは、その次でいいのかも。

だからもっと安心していいのかもしれない。無理して親しくなろうとしたり、上手に親しくなれなくてがっかりしなくてもいいのかも。
それでも「親しい」とお互いに思えたら、それが「親しい」なのかもしれないなあ。

ちょっと前の自分だったら、いちいち親しくなろうと努力するか、とりあえず表向きだけいい顔して関わらないようにしていたかのどっちかだ。
でもあの小屋にいたら、みんなが濃すぎるから、周りと合わせようとしていたら、カメレオンみたいになっちゃうだろうな…。
だから自然と「合わせなくてもいい」と思うようになったのかも。
そういうことを考えるようにさせたのは、あの小屋の常連さんだったりお客さんだったりする。

別に親しくならなくてもいいけど、やっぱりそういう人たちや、そういう時間は財産だな、と改めて思った。

それがこの冬の休暇中、いろんな人に会ったり、新年会や合宿でみんなと集まったりして思ったことのひとつ。







翌日は長い林道歩き。
一人分のスキー板の跡を延々と追いかける。
つまんないかな、と思った林道歩きも、陽射しがいっぱいで、これはこれで楽しかった。
歩いてみるもんだ!






いろいろ思った二日間でした。

林道で



山の中で、きれいだな、美しいな、と思う風景に出くわすと、死んじゃった人のことをふいに思い出す。
思い出したら急に、うわーんと泣きたい気持ちになる。
いつもは忘れてるのに、そういう気持ちは瞬間的にやってくる。

きっと小屋のみんなが、いつかどこかで、急にそんな気持ちになって思い出しているのかもな。
それって結構すごいことだ。
いなくなった人のことをみんながふいに思い出すって、すごいことだ。


今まで「死ぬ」ってどういうことかよく分かっていなかった。
でも、あの朝の雪道の光景は、何度も通った道なのに、やけに随分ときれいに見えて、
「あ、そうか。『死ぬ』って、もうこんな景色を見られないってことなんだ」
といっぺんに理解させられた景色だった。


明るい林道を歩いていたら、その時の気持ちが急にまた湧いてきた。
だからその気持ちのまんま、しばらく歩いてみようと思った。

十文字峠から信州往還

11月。
最後の休暇は、十文字峠経由で信州往還、栃本まで。






日向を拾うように歩く。







地下足袋で来ればよかったな。
落ち葉や木の根っこが滑る滑る。
気を使いながら歩くのも疲れるし、何よりも地面の感触が全く伝わらない。
登山靴って、なんでこんなに厚くて硬い靴底なんだろう。
こういう道は地下足袋で歩く方がきっと楽しいだろう。









誰にも会わない道は、いろんなものを集中して見られるのが楽しかったりする。










一番笑っていた一里観音さん。





栃本で徳さんの車で拾ってもらって大滝温泉に行く途中、邦治さんにバッタリ。
初めてお会いした。ちっちゃくて可愛らしいおじいさんだった。
初めてあいさつできたのは嬉しかったな。



西武秩父駅に向かうバスに乗る時はいつも日暮れてる。一時間近く乗ってるバスの窓からは、秩父市内の町の灯りが見えていた。

今年もいちねん、何人か秩父の人と行き合った。
あの人も、あの人も、この町に住んでる。バスから見える灯りを見ながら、いろんな人の顔を思い出した。

なんとなく少しだけ、秩父に馴染めたような気がして、嬉しくなった。



2015/11/8〜11/9
甲武信小屋=十文字峠=四里観音避難小屋=栃本関所

藪を漕ぐ

不明の方が全然見つからなくて、一ヶ月。
ボッカの往復の時はなんとなく気にして歩いていながら、改めて探しに行く機会がないままひと月が過ぎた。
小屋にチラシが貼りっぱなしで、口にしないけれど、みんなずっと気にかかっていた思う。


「あの辺りが気になるから行ってみよう」
11月の初め、二人で尻岩のあたりから東沢に向かって下りてみた。
少し前にこの辺りをよく歩いているM君がふらりと小屋に来たときに、なぜかこの辺りの廃道の話が出た。なんの脈絡もないのに、ここの話題が出たっていうのも何だか気になっていた

尻岩から下り始めてすぐに杣道っぽい踏み跡があった。「それっぽいところをたどってみて」と言われたけど、すぐにまた道が分からなくなった。
私は踏み跡を追うのは下手だ。
でも「そういう人」の目線に、私なら、なれるのかもと思って、そういう目で下りてみた。はぐれないようにお互いの姿をちらちら確認しながら下りた。
結構しっかりした沢になった。
沢を横切るように、いやにしっかりした踏み跡があった。今度のはシカ道。
それを辿ってみる。
私だったらどう辿るだろう。
どう迷うだう。
道に迷ったら、どういう気持ちでどう歩くだろう。
その人になったつもりで歩いてみる。

もう時間もなさそうなので、沢沿いやシカ道を辿るのは諦めて、そこから三宝山まで登りかえすことにした。
もう道じゃなくて、ただの山の斜面だ。
でも、もしかしたらここを歩いて登りかえしたかも。とまだしつこく思っていた。
何か手がかりになるものでも落ちてないかな、と。
その反面何か見つかったらどうしよう…ともちょっと思っていた。

登り始めたら、結構たいへんでコメツガだかトウヒだかの幼木が繁っていて、まず足元が見えない。
行く手も思いっきり遮ってくれているので、手でかき分けるようにして前に進む。
歩いている、というより泳いでいるみたいだった。
しんどい。
息が切れる。
けど、もがきながらも一直線に進みたい方向へ突っ込んでいくのが、不思議と楽しくなってきた。
もしかしたら、脳から何か分泌液が出てるんではないかなあ。
ぐいぐい、はぁはぁしながらひたすら上を目指す。
少しづつコツのようなものが掴めてきて、例えば倒木の上を歩けば当たり前だがその倒木の幅だけは藪は無いから、掻き分ける必要が無い、とか。
あらかじめ歩き良さそうなルートを見当つけてから進むとか。
どれも当たり前のようなことだけど、藪を漕いでるときは、こんなことも大発見のように思えた。

三宝山は裾野が広い。
林の隙間から、空が見えてきてもまだ先があった。
木々が密になってきて、身体を横向きにしながら幹をかわすようにして進む。
そうしたら、ぽん、と山頂の標柱のところに出た。
ステージに飛び出たみたいだった。

時間にしたら半日も歩いていないけど、「歩いた!」と、しっかり思えた。
結局なんのてがかりも無かったけど、歩きながらなんとなく「あ、これって歩かせてもらってるのかも」と思えた。


その日の宿泊は、三峰神社の神主さん達が慰霊祭の準備で来ていた。
夕食を一緒に食べてる最中に、不明になっていた家族の方から電話があって、今日発見されたことを知った。

見つかったのは全然違う場所だったけど、今日歩きに行ったのは全然無駄な気がしなかった。
慰霊祭の直前に見つかったことも、神主さんや他の山で亡くなった遺族の方達が来ているときに連絡が来たことも、「そういう日」だったから?と思うと収まりがつくような気がした。

この一か月近くのいろんなこと(思ったことや考えたことも含めて)や散らばったこと、もやもやしたものが、箱に入って、きれいに蓋を閉められたな、と思った。

そうそう。この一か月、いろんなことを考えたり思ったりしたことはいっぱいあった。ひとりの登山者としても、小屋で働くひとりとしても。
例えば、すれ違う登山者の様子をちゃんと見るようしようとか、ちょっとおかしな時間帯におかしなところを歩いている人に声をかけるとか。


亡くなった人は、無口ではなくて、いろんなことを伝えてくれたんではないかと思う。
もしかしたら自分の勝手な思いこみかもしれないけど。思ったことや感じたことは無駄ではないと思う。
ありがとうを伝えたいなと思ったし、ここを歩いた時ことは忘れないようしようと思った。