忘筌
忘筌とは
筌(せん)は魚(うお)に在(あ)る 所以(ゆえん)、魚を得て筌を忘る。蹄(てい)は兎(うさぎ)に在る 所以、兎を得て蹄を忘る。
言(げん)は意に在る所以、意を得て言を忘る。
吾(われ)、安(いづく)にか夫(そ)の忘言(ぼうげん)の人を得て、之(こ)れと与(とも)に言わんや。
「筌」は「うえ」といい、細い割竹で作った魚を捕らえる道具。
「蹄」は兎などを捕らえる「わな」の事。
即ち、川に仕掛ける筌は、魚をとるための道具であり、魚をとってしまえば、もはや用のないものです。
また、山に仕掛けておく蹄は、兎を生けどりにするための道具であり、兎をとってしまえば、無用の長物となります。
今の学者は、言葉や文字は、意、即ち心のあり方を説明する手段道具でしかないはずなのに、言葉や文字を余りに重用しすぎて、「意」をないがしろにしている……というわけです。
あくまでも筌は魚をとるための道具であり、蹄は兎をとるための道具であり、言は意を伝える手段でしかないのです。
何が目的で、何が手段なのか、間違いのないように注意せよ
見つかった!
見つかった!
何が?
永遠だ。
太陽に溶けた
海だ。
おれの永遠の魂よ
おまえの願いを守るんだ
孤独の夜も
燃える昼も。
そしたらおまえは自由になれる
人間どもの同意からも!
世に共通の衝動からも!
思いのままに飛んで行くんだ・・・
希望など全くない。
昇天もありはしない。
学問と忍耐だ、
この責苦こそ確実だ。
もう明日などあるものか、
繻子(しゅす)のような燠(熾)よ、
おまえたちのその熱こそ
人の世のつとめなのだ。
見つかった!
何が?
永遠が。
太陽に溶けた
海だ。
アルチュール・ランボー(地獄の一季節 錯乱より)