今年ハマったもの

ポッドキャストを聴くようになって、音楽を聴く機会がメッキリ減ってしまっている。それでも今年熱心にきいてきたのが、Sharon JonesとCatherine Russellという二人の歌手。どちらもアルバムの枚数が4枚と3枚と余り多くないし、アメリカ人だが全米ヒットチャートの上位にきたこともない。日本では全くと言っていいほど知られていない。
どちらも偶然音楽系のポッドキャストで歌を聴いて、一度にファンになり、アルバムをダウンロードし、ヒマさえあれば聴きつづけている。
Sharon JonesはR&Bでとてもソウルフルな歌い方をする。力強い歌声はYOUTUBEででも聴いてもらわないと、実感できないだろう。
Catherine RussellはJAZZでもデキシーランドジャズの雰囲気を色濃く残す歌い方をする。バックバンドにバンジョーを多用するので、ときにはカントリーウエスタンのようなうたにもなる。
この一年またまた本を読まないままにすぎて行こうとしている。わずかに読んだのが、ジョージ・オーウェルの評論と滝沢克己のもの。オーウェルは二つの大戦のはざまで、ナチスドイツの脅威に鈍感な当時の平和主義者(独ソ不可侵条約当時の共産主義者、ドイツをアカの脅威への防波堤と考える保守派)の無力ぶりを痛烈に批判し、ナチスの軍事力に対抗するための社会革命を提唱する。彼の批判は国防や愛国心に無頓着であることを売りにする進歩的インテリゲンチャにもむけられる。どこかで聞いたような話だと思える。
滝沢克己は一昨年滝沢克己協会に加入以来、滝沢哲学に抱き続けた違和感がどこにあるのか、はっきりさせたいという、身の程知らずの願望がドンドン大きくなってきている。なんとか息のあるうちに文章に纏めたいと願っている。

今年の総括

びっくりした。久しぶりにページを開いたら、ほぼ一年更新をサボっていたことが分かった。仕事が忙しかったり、いろいろなネット友だちが、沈黙していたりと、気合いがはいらないことが多すぎた。それでも一年ぶりはひどすぎる。反省しきり。
久しぶりの更新なので、とりあえずこの一年を振り返ってみる。今年は私の還暦だった。仲間うちで祝ったり、ひとに祝ってもらったりと、つごう四回還暦祝いをした。さすがにちゃんちゃんこは勘弁してもらったが、心機一転と新車を買った。どうせならと生まれて初めて真っ赤なスポーツカー(CRーZ)を選択。いちおうハイブリッド仕様なのでリッター18キロ以上でる。急に洗車を熱心にやり始めた私を家族が不思議な顔で見ている。
高い買い物といえば、迷いに迷ったあげく、とうとうiPadを購入してしまった。発売当初から新し物好きの血が騒いでいたが、さすがに衝動買いはできない。決め手になったのが、クラウドコンピューティングという考え方を知ったことだった。先日急に容体が悪くなった患者さんをみていて、あとの予定が押して来ている状態で、別の病院に紹介状を書かなくてはならなくなった。部屋に戻れば紹介状の雛形があるが、その時間が惜しい。別に電子化した患者データーもあるが、その場では間に合わない。結局、手書きするハメになったが、患者さんにまつわるデーターを一元的に管理しないと、無駄な労力を使うことにしかならない。iPadクラウドコンピューティングに極めて都合のいい。将来看護師がiPadを持って看護をしながら患者記録を書くようにしたいと思っている。
IPad関連で今本の電子化をやっている。本をスキャナーで取り込んでパソコンとiPadに移すというもの。自宅に本を置くスペースがないので、図書館に寄付しようと思ってきたが、それでも手元におきたい本は残る。なんとか来年はじめまでには完了して、本は電子化して持ち歩くようにしたいと
思っている。
100キロウオークは結局参加できなかった。持病の踵の痛みがぶり返し、『仕事にさし触ったら困る』という批判を無視できなかったためだ。自転車もだめ、歩くのもだめなら、どうしたらいいんだとしばらくおちこんでいたが、先月から気を取り直してプールに通いはじめた。これなら踵にも優しいだろうと、半ばヤケクソだ。
今年ハマったものが、数独だ。頭の体操にとはじめたが、ヒマさえあればiPhone iPadのアプリで遊んでいる。15分ぐらいで解けることもあるが、一晩かかっても解けない難問もある。とりあえずこうして又ひとつ年をとっていく。

小沢報道はフレームアップでないのか?

久々に政治ネタだ。昨日だか千石国家戦略相が小沢一郎関連の報道をフレームアップと発言したことが、マスコミからたたかれている。個人的には私は小沢一郎なる人物が好きではない。田中角栄金丸信竹下登とつながる日本の土建屋政治・金権政治の本丸にいた人物が、友愛を掲げる政治家とつるんでいるのは、ほとんど漫画だと思う。
しかし。総選挙前から検察は、小沢一郎がゼネコンから賄賂をもらって便宜を図ったという疑いを持って捜査をし、結局そうした証拠を見つけられなかった。罪刑法定主義の原則に照らせば、成文法に何の根拠もない<汚職の疑い>によって人が裁かれるべきではないし、裁判にかけられてもいない国会議員を「辞職すべきだ」とマスコミがあおるのは、常軌を逸していると私は思う。起訴断念の直後検察の「状況は真っ黒」などという非正規発言を取り上げた新聞もあったが、それこそ警察に捕まったから、警察が犯人だといったからそうに違いがないとする、えん罪の構図と何ら変わることがない。
巨悪を眠らせるのかと憤られる方もいるだろうが、国民の代表として選挙で選ばれた人間が「巨悪」だというなら、それなりの証拠が必要なはず。検察からリ−クされた情報以上の物証をどの新聞社、テレビ局が持っているのだろうか、私は疑問だ。

自らをお笑い芸人にした(?)日本版PC(politically correct)

ずいぶん前から言われているが、聞くたびにぞっとするのが、私生活という意味で使われる「プライベート」という言葉。英語でこの言葉を名詞として使う時は、軍人の特定の階級という意味以外では、「private parts」つまりは外性器のことを意味し、それ以外の使い方はない。 テレビで若い女性がこの言葉を口にしているのを聞くたびに顔が赤らんでくるのは、私の過剰反応だろうか。
性的嫌がらせをセクハラと略するのが定着したら、「○○ハラ」という言い方がやたらと目につくようになった。「ドクハラ」だの「パワハラ」だの、いいたい気持ちはわからないではないが、「いじめ」で何が悪いのかと思う。一番驚いたのが「アカハラ」なる珍語。最初「アカハラ訴訟」と聞いて、何でイモリが裁判になるんだとさっぱりわからなかった。
日本人が知らずに使っている英語風造語で多いのが「○○アップ」と「マイ○○」。パワーアップだのマナーアップだのは日本生まれの英語もどきで日本国内でしか通用しない。パーソナルコンピューターが「パソコン」と呼ばれる以前は「マイコン」という言い方がしばらくあった。このように個人使用の、非職業的なものを「マイ」というのも、独特な造語で「マイホーム」や「マイカー」はずいぶん長く使われているが、さすがに「マイ箸」には度肝を抜かれた。
ここらあたりは目くじらを立てるまでもないと思うのだが、私のいる医療現場でおかしな物言いが流行している。元々それは、アメリカから持ち込まれた医師以外の医療職を意味する「paramedical」を差別的だと糾弾する人々から生まれた。彼らによれば「para」には補助的な、副次的なとか、より劣ったという意味がある。よろしくありませんと言うことで、生まれた言葉が「コメディカル」、「co」には上下関係ではない対等の共動という意味が込められているという。しかし彼らの悲劇は、なぜPC(politically correct)=差別的な言葉を使わない、言い換えをする=の本場であるアメリカで、この言葉が生き続けてきたのかをよく考えなかったことにある。さらにちょっと英語の辞書を引いてみる手間を惜しんだことが、悲劇を喜劇にしてしまったともいえる。comedicalは造語ではない。しかもそれは日本式にco-medicalとなるのではなくcomedic-alとなり喜劇的なという意味になる。自らをコメディカルと呼んでいる人々は、医療現場で笑いをとるために働いているのではないはずだが。
もっとも「アメリカ合衆国」という福沢諭吉が作った美しい言葉(民主国家を意味する)を、わざわざ「合州国」と言い換えて悦に入った、どこかの中途半端文化人を、硬派の進歩的ジャーナリストと思い込んでいる国だもの。言葉に対する敬意を期待する方が無理かもしれない。
ああ、また嫌みを言ってしまった。

100キロウォークはとんでもない

昨日用があって北九州市小倉北区に出かけた。用事の一つがデパートに注文していたウォーキングシューズを取りに行くこと。受け取って時計をみると11時30分。そこから小雨の中、てくてくと歩き始めた。目的地は職場のある行橋市。おおよそ25キロを歩いてやろうということだ。
話は今年の正月二日にさかのぼる。この日、高校時代の同級生が集まって「還暦突入記念同級会」を開いた。普段同級会には恩師が来ることはないんだが、この日は二人の先生が来てくださった。一人の先生が挨拶で4年がかりで行橋別府100キロウォークを成し遂げたという話をされた。感激屋で体力にはいささか自信がある私は、是非自分もやってみたいと思った。思い立つと黙っていられない私は、そのことをあちこちでしゃべって回った。さすがに地元だ。参加したことがあるという人から、自分もやってみるつもりだという人までいろいろいた。
練習代わりにまず20キロ歩いてやろうと思って今回の挑戦だ。昔40キロ歩いたことはある。もっともそれは中学の時学校行事として参加したもので、いまできるかどうかは全然わからない。それでも、ま、何とかなるだろうと結構軽い気持ちだった。
最初5キロまでは余裕だった。10キロを過ぎるあたりから、膝の裏側が痛くなってきた。自転車で長距離もずいぶん走ったが、一度も痛くならなかった場所だ。次にちょっとした坂道がしんどくなってきた。そうこうしていると足の裏にまめができかかるような痛みをかんじた。いよいよ足が前に出なくなったのが17キロぐらいからで、休んでいる時間がどんどん長くなって、20キロ地点で喫茶店に入って休憩した後全く動けなくなってしまった。「行橋まで後5キロ」の道路標識を横目でにらんでギブアップした。
体力には少し自信があったが、歩きなれていないと全くだめだということがよくわかった。これで100キロは遙かに遠い目標だということを骨身にしみて実感した。
今朝は右足の痛みと膝の伸びない感じが残っているが何とか仕事はできる。あと9ヶ月がんばろう。

マキが亡くなった

なんと半年ぶりの更新だ。この半年仕事が忙しいやら体を鍛えるのに必死になるやらで、とんと「ブログを更新しなければ」という気持ちがわかなかった。このまま自然消滅でも仕方がないなと思っていたんだが、さすがに浅川マキ死亡というニュースはショックだった。
私が酔った時にうたう狭いレパートリーの中に彼女の「カモメ」「夜が明けたら」がある。マキのデビューが1970年だから、ちょうど私が大学に入った年。ある集会で学生が「カモメ」を生ギターで歌ったのを聞いたのがはじめだった。実際にレコードを買い始めたのはそれから何年もしてから。おんぼろな、ただ音が左右から分かれて聞こえてくるというステレオまがいで、それこそすり切れるほど聞いた。けだるい雰囲気で歌う曲は無国籍的なものから、四畳半的な題材まで幅広かったが、魂が叫んでいると私の耳には映った。
デビュー当時からヘビースモーカーだった彼女(ジャケットの写真の半数ぐらいはたばこを片手に映っていたと記憶している)は、次第に歌うことをやめ、背景のメロディーに乗せて語るようになった。何枚かCDも買ったが、正直心に残るものはなかった。
何年か前ちあきなおみが浅川マキが訳詞した「朝日の当たる家」=「朝日楼」をうたっているのを偶然聞いて、その歌唱力・表現力に舌を巻いたことがある。ちあきなおみはうたうのをやめ、浅川マキは永遠にうたえなくなった。彼女の死亡記事には代表作として上の二曲があげられている。デビュー作が代表作というのも悲しいものがある。合掌。

東国原という人物の賞味期限

東国原宮崎県知事が入閣するかもしれないという記事が今朝の毎日新聞の一面に出ていた。この記事を読んでふと昔のテレビドラマを思い出した。原題は「トワイライト・ゾーン」、日本では確か「ミステリー・ゾーン」と言っていたと記憶している。SF仕立ての毎回完結式のドラマで、皮肉の効いたしゃれた筋を毎回楽しんだ。その中に、ある老夫婦が「何でも願いを叶えてやる」という魔法使いにきりきり舞いさせられる話があった。一度は大金を魔法で出してもらって喜んだのもつかの間、税務署に目をつけられてすっからかんになる。最後の願いに夫が「実在した帝国の皇帝になりたい」という。その結果は、第三帝国の皇帝=ヒトラーが連合軍に攻められて最期の時を迎える、そのヒトラーになってしまうという形で「かなえられる」。
東国原氏の本音は大臣として国政に参与したいと言うことなのだろう。少なくとも彼はそう説明している。しかし彼を大臣として迎えようという麻生内閣は、ヒトラー最期の日ほど短くはないにせよ、どうがんばってもあと二月しか続かない。東国原人気にのっかって自民党が大勝でもしない限り、選挙が終われば総理大臣としての麻生太郎・麻生政権の任期は終わる。そもそもは選挙管理内閣だった麻生内閣が、大将が選挙をする勇気がなくてずるずると長引いただけの代物だ。また総選挙の後、果たして自民党政権が続くかどうかさえ怪しい。大臣=東国原氏はおそらく選挙に出れば当選はするだろう。その後に待っているのは単なる陣笠としての、何の権限もない東国原氏でしかない(「総裁候補」は選挙向けの空手形に終わるだろう)。宮崎の選挙区からではなく関東の比例区で出るらしい彼を宮崎県民はどう見るか。あの名台詞宮崎をどげんかせないけんがことさら白々しく感じられる。
私としても東国原氏の知事としての努力を完全に否定する気まではない。宮崎県の広告塔として驚異的なマスコミへの露出率で、特産品を売り込み観光客を引き込んだのは彼の業績だといえる。しかしそれもマスコミが、いわば「身内から出てきた県知事」として特別に注目し、動静を逐一伝え、テレビに芸能人だった時をしのぐほど出演させたからともいえる。特定のテレビ局が新聞社や一般企業と一緒になって「○○制作委員会」を作り、映画を売る手法によく似ていると私は思う。もうそのやり方も限界に近づいてきていると見える。
地元の人はどう考えているのかよく知らないが、あんなに毎週毎週テレビに出ていて県政をきちんとやれるとは思えないというのが率直な感想だ。

ここまで書いて突然閣僚の補充人事が発表された。結局彼の入閣はないことになった。はたしてあの記事は世紀の誤報だったのか、それとも麻生にそれだけの力がなかったのか、今となってはわからないが、どたばた劇を見せられていい加減うんざりだ。