今年も多いにライブに行き、泣き、笑い、ヤッホーと叫んだりしていた。
直近で行ったのは、THE MATSURI SESSION@日比谷野音 その前は渋谷で、ソウルフラワーユニオンへ行っていた。
なんだか毎月何かのライブに行ってる気がする。
何かの発見をして、また日常に戻ってくる。の繰り返しをしている。


昨日は、奥田民生氏のひとり股旅スペシャル@厳島神社を劇場生中継で見ていた、これもライブの楽しみ方の一つだ。


あご髭にちょっと白髪が混じっているOT氏は、作務衣がサマになっており、なんだかとてもかっこいい。
20代の頃、かっこいい中年をみると「ooみたいにカッコ良い歳の取り方したいんだよね。」なんて言ってた自分が恥ずかしいのは承知だが、30代の今、「歳上らしく責任と経験があり、かつ人間として謙虚である」のはけっこう難しい事であると感じる。そうでありつづけることがかっこいいのだ。しかも無理せず,自然に。ライブは最期まで生中継だった、諸処のOT氏の動きも観れるのがひとり股旅のいいところ。
もひとつ、ひとり股旅のいいところはカバー曲を聞けるところ。

今回は、イエローモンキーの「バラ色の日々」を唄ってくれました。
いやー良かったなー。
いつか、吉井さんと民生さんと二人でアコースティックライブやってくれないかなー。

あの日からのマンガ (ビームコミックス)

あの日からのマンガ (ビームコミックス)

日付けとともに、その日から刻々と変わる日常。4コマに書かれております。短編も有り、色々な観点から読める事が出来て、読んでおいて良かったと思った作品です。


嫁姑の拳 5 (秋田レディースコミックスデラックス)

嫁姑の拳 5 (秋田レディースコミックスデラックス)

表紙がアレなので。一度棚に戻して。。『ホラーじゃありません!』なんてPOPに書かれていて、売り場でも圧倒的な推し!だったので面白そうと見つけた作品。読んでみましたけど、コレ本当に面白いです!細かくすごく丁寧に書かれていて久々に笑って楽しめたマンガでした。



PUNK 2 (ジェッツコミックス)

PUNK 2 (ジェッツコミックス)

相変わらずの揺るぎなき長尾氏の描く世界。



glide STYLE(グライドスタイル)(サーフィンライフ2011年8月号増刊)

glide STYLE(グライドスタイル)(サーフィンライフ2011年8月号増刊)

パタゴニアのカタログが送られてくると、その写真がいつも楽しみです。パタゴニアって?深く知る事が出来ます。仙台に出来た時は嬉しくて行ったものです、創業者のイヴォン氏のインタビューがとても印象的であった。「機能性と耐久性」自分はサーフィンはしたことが無いけれど、自然の中で挑戦はこの二つが不可欠だろう。僕は決まって旅に出る時に服、雨具をよく持って行き愛用している。機能性と耐久性を実際に試したくなるのだ。



書店めぐりはやはり面白い。実際に書店でぐるぐる回って、ばったり見つけた!な感じが僕は好きなのだ。売り場の個性も出ていて店員さんの意気込みを感じられますね。

はやぶさに乗って、仙台へ向かう。
父が病気である。
母よりその報せを聞いたからだ。大腸癌である事を知った。
どうなってしまうのであろうかと不安ばかりが募る

実家へ帰宅し、父、母と3人で食卓を囲み、夏野菜等つまみながら酒を呑んで話した。
『これからどうなるにも、自分で前へ進むしかない。』
父は不安そうだったが、笑顔だった。母は少し疲れていたな、現実を二人とも受け止めきれていない様子だった。

どれくらい進行しているとどうなってしまうのか?病気は未知であり、不安も大きい。
不安を打ち破るには、自分で前へ。そして家族の支えが本当に大事であると私は思う。

小学生の頃、私も盲腸を拗らせ、長い入院生活を送っていた。
苦しくて魘されて目を開けると、いつも母や祖母が居てくれた。
助けられてきた、だから病院の消灯後の長い長い夜も越えられたのだと感じる。

今年は特に、本当に自分の周りで色々な事が起きる。
後悔の無いように、顔を見て、話して、時間を大事に繋いでいきたい。


今朝方、東京に戻る。
泥のように眠った、だいぶ疲れてたんだ。
今起きたので書く。


金曜日に福島へ泊まり、宮城県岩沼市で復旧作業をしていた。
高速道路は所々、隆起した道路あり、復旧の後も見られる。
自衛隊や県警の車、救援物資を乗せた車、重機を載せた車と
何台もすれ違う。
栃木を越え、福島に入るとそんな光景が続いた。

福島駅前は少しひっそりとした印象だった。
同じホテルには作業着の方々が沢山宿泊されていた。


福島飯坂から仙台南、東部道路を通り、仙台空港ICで降りる。
まずは車窓から見た仙台。
東部道路を通る内、海に向かうにつれ言葉に成らなかった。
写真を撮る気になれない。
ただ、目に焼き付けようと思った。

復旧作業にあたった建物は、
水位がここまで来たのだ、壁に泥の後が残る。
その深度、大変な事が起った事が誰にでも解る。生々しい。
地上から海まで見渡す。防風の松の木が無く、海まで丸見えだ。
変な風が起り、土埃舞う。
何も無くなっていた。何もなかった。本当に言葉にならなかった。

この状況下、生きてる事が奇跡だと感じた。



建物の4階の当時の退避場所で昼食をとる。
高台から見ると、被害の広さと深さが鮮明に解り、
その酷さに言葉が本当に出なかった。
「これでも綺麗になった方だよ。」の一言が信じられない。
これが真実、そのままを目に焼き付けた。

震災後、この景色を見ながらひとつひとつ、余震の続く中
泥まみれ、埃まみれになりながら復旧作業に携わってくれている方達
には本当に感謝しきれません。
本当にもっと過酷な被災地もあるだろう、大変な思いをされただろう。
今もされているだろう。景色を見る度、その気持ちでした。

つながろうニッポン。
がんばろう東北。がんばろう宮城。がんばろう福島。
絆、日本。

いや、言葉にせずとも 黙々と今日も復旧してくれている方々が
そこにはいます。
写真や動画やネットはごく一部しか映していない。
現地の今を目に焼き付けてから、出来る事も沢山あるでしょう。

僕は特に生まれ故郷が大変な目にあってるから、目に焼き付けておこうと思った。
スローガンだけじゃ駄目なんだ。黙々とやらなければならんのだ。
それに、もともと日本人は繋がっている。



作業日はいつもホテルを早く出、SAにて早い朝飯をとる日課でした。
埃まみれのブーツと軍パン、タオルを頭に巻いて朝食を取っていると、
「救援ありがとう。」と食堂のおばちゃんに労って頂いた事が忘れられません。

震災が起きて、長い一週間だった。生きていた中で多分一番長かった。

どうなってしまうのか?という気持ちが強く、不安になった。

連絡が取れない焦り。一人では生きられない事も深く考えたりしていた。映像を見る度、言葉に出来なかった。たしかにそこに居た、焚き火をした浜、子供の頃キャンプした野蒜。全てが喪失していた。テレビを止めて、心撫でるものを探す、音楽とラジオ、人と話す事だった。



縁のある一人一人と話す内に、安堵の気持ちが戻ってきた、連絡も少しづつとれてきた。皆、家族を守る為に戦っていた、生き抜いていた。



ありがたい事に、僕の家族共々に気にかけて心配して頂いた。皆様、本当にありがとうございました。今、貴方何処にいたの?大丈夫?なんて久方ぶりに音信不通の知人からも連絡あったっけね。一人では生きてゆけません、おかげさまで生きています。



私事ですが、この度のこの震災で、自分の人生に僕自身が何を優先にすべきかについても考えて、答えが出た気がします。30代はそれを実践します。



今日、たまたま見れたUstでのサケロックのライブに、久々にあははと声を出して笑いました。

生活が見当たらないので、楽しくなるホニャララで。


あははと笑って、ちょっと酔っぱらったりして、少しの脱力も赦される生活が皆様に少しづつでも戻る事を願って。それでは、また会いましょう。

 作並温泉

11年前の自分を8mmフィルムで見ていた。
僕は刑事志望役と、悪役だった。
皆で見ていた。僕は大学在学時、
結構人数の多い映画部に入っていた。
フィルムはとても良かった。


皆、今を生きている。

結婚をしたり
子供の名前について考えたり
話している話の内容は、もちろんあの頃とは変わってきている。
それは皆、今を生きているからこそだ、
それでいいのだと思った。


この写真、まるで部室にいるような感じがした。
今朝、皆がチェックアウト前にジェンガしているのを
ベッドから僕が撮った。
ただそれだけなんだけど、なんか楽しそうなんだ。


昔は良かったなんて、誰も知っている。
でも今、こうして集まって話す方がもっと楽しいし、面白いよ。
なにより嬉しい。

 喜多方、会津若松、新潟 (上)

ああ、そうだ。と思い立って、
ふらっと旅をしてきました、福島 会津若松〜新潟。
目的は食べる、呑む、お湯に浸かる。
それは雪の中を電車でどこかへ、いやどこまでも行きたい事と
休みの日には何となく部屋から、東京から抜け出したかった事も重なった。

今回使ったのは、『ウィークエンドパス
8700円で上越南東北に行ける、当日買える事の手軽さもグッド!
特急券は別料金ですけど、ふらふらするにはちょうどいい。
前日に福島在住の後輩子に酒蔵情報と温泉情報、そして気候情報を
仕入れて、ホテルも予約して、いざ東北へ!


2月11日(金)
7:12東京発 MAXやまびこ123号
9:43郡山発 磐越西線
10:54会津若松
11:17喜多方着
じつに4時間の旅、喜多方は晴れてました。
猪苗代でスキーやボードを抱えた旅人がけっこう降りていった。
4時間かけて、食べたかったのは あべ食堂のラーメンです。



ラーメン美味しい、太麺ちぢれです。


お次は湯!会津若松に戻り、東山温泉へ。
瀧の湯というお宿で日帰り温泉に浸かりました。
その後、満田屋さんにて一人酒。(味噌のお店です)
冬に囲炉裏の前で、こんにゃく、にしん、里芋に味噌をつけ、色々焼いてもらってにごり酒です。


しいたけ、おいしい。


一人で呑んでいて、あまりにナミナミのお猪口を、おつつと呑んでいると
隣人の男性(家族連れのお父さんフロム埼玉)も「にごりひとつ」と一声。

あ。と僕と目が合ってしまって、「いや、あなたが美味しそうに呑んでいたんでつい。。」と笑顔。

そんな縁があって談笑。
「バイク乗るの?、良いねぇ。」
「一人旅ですか?、良いねえ、ふらっとねぇ。」
「ふらっとしたいなァ。。」
とおんちゃん二人。
娘さん二人と奥さんを終始ほっぽらかしてしまい、酒飲んで話し込んでしまいました。(笑)

お父さんは会津若松に出張で良く来るらしく、滞在も長く色々な店を飲み歩いているそうです。
会津若松駅近辺は、城下町の名残あって、品がある建物が多い。倉も多い。
こういとこで呑めるのは本当に贅沢です。
「そうなんですよね。ここは夜も良いですよ」って笑っていたお父さん


こっちで美味しいお酒見つけては買って帰るそうで、「会津娘」ってお酒を勧められました。
「バイクの話、旅の話できて良かったです。それでは、またどこかで!良い旅を。」
とお父さんは丁寧に頭を下げてくれて別れました。


旅をしていると、誰かと会って話しができる。
色々な情報を仕入れるってのは旅の醍醐味であるし、縁があるなと実感できる。
旅人としてその土地の人、土地を訪れる旅人への気遣いが出来てこそなのである。


僕は宮城の生まれで、やっぱり東北が好きなのだ。
だから、いつ来ても東北が好かれる土地であって欲しい。
旨いお酒や食事を気持ちよく楽しめる土地であって欲しい。
その土地に暮らす人に敬意を払おう。
僕も東北を旅する時は、次に住む場所を探しているのも兼ねている。


酒瓶をリュックに詰めて、新潟へ。
16:36 磐越西線 新津行き。
列車はさらに雪の深い所へ向かう。