上半期て6か月で終わるんだっけか日記
こうして少し長い上半期は
おこがましくも動揺させるものだったと言う気はないけど
そっちもこの先危ないって言ってるよ、
庭に家建てるからそのうちおいでよと
空知の親戚にありがたいことに冗談で本気言われて
「クレオール、幻想の故郷に還る」を
一瞬脳内で夢見つつも
人間蓋然性でかんたんに死ぬ以上
蓋然性が怖くて逃げりゃ生きてらんねえという気持ちを
強くはした。
今年のブエルタはかっきり三十歳*1のコボちゃんが
優勝したみたいで、
まだ1週間見てないけどこりゃきっと
くそかカオスかのどっちかしかない。
ブエルタといえばいまだ思い出す「めれっこ」を
当備忘録の初動画として迎えられるだなんて
思いつきで運営されてるブログに
これ以上ふさわしいこともないと思いつつ張る。
水かけ祭といえばえろいミーニングしか、
tveといえばおかまみたいに美しいカシージャスのスケしか、
この年のブエルタといえばiamsterdamと
誰もが嫌がったカオスのオランダスタートとそのコースしか思い浮かばんところで
- 上半期のイミテーション銀幕『ジャズ大名』
狂熱のジャミング、いえー!
古谷一行も思いのほかいいんだけど本田博太郎、
佐藤允よりも寺田農よりも羽二重が似合うだけやなく
座敷牢のどんぶりばちのシーンの目線がほんといい。
日本語がわかるわけでもたぶんない、
岡本喜八映画によくあるほぼ素人の黒人さんを使っての
ストップウォッチワークの中、
向かいあう位置の本田博太郎が
芝居に回収できる範囲をかなりこえて
目線でキューをだす係をやらされただけだといえば
まあそうなんだけど、
途中動かないほうの子に笑いかけたりしてな。
むしろこれが芝居なんだよなと、
かつ、本田博太郎みたいに本来
すごくダイナミックな俳優の気遣いとやさしさもまた
カメラが折り込めてこそ映画だろなんちゃら組だろとほんと思った。
岡本喜八のなかでも『愛のコリーダ』なんかにゃ
ためはった結果勝つできぐあいのポリティック映画。
かつ、チャイコフスキーとまでためをはる。
ダイブ&モッシュなんてもののないところは、
クラシックたる映画の奥ゆかしさ。
- 今期のほんほん『日本映画[監督・俳優]論』
ショーケン、びっくりするほどのクレバーさかげん。
なのになぜアレなんだという気しかしない。
役者に無茶さすのではなく
素のままリミッターを切るのが美なのだとか、
みんな自分でやりたくてしかたなくてやった映画より
これやんのかよぐらいの気分で監督させられたもんのほうが
出来がいいだなんてクレバーこえて真理。
その名刀で止めをさせないところが
いいところでもあり欠点でもあるだなんて
こんな的確な神代評は
当然といえば当然としても見たことない。
和田夏十のなにがそんなに偉いんだなんて
よく言ったぜショーケン!
ていうか市川崑の"止め画の美学"は
カットが細かすぎるところから発生してんだっていま気づいた。
たしかに長めにまわしてて画ずっと止まってるなんて
さすがに不自然きわまりないものな。
あげく江波のおねえさまにまで手ぇ出してただと?
まじりっけなくはんぱなさのみ。
*1:自転車乗りのおそらく最良の齢
これから考え直す日記
鈴木則文の『トラック野郎風雲録』に、
というよりも
そのなかで気づかされた、
ヴィデオが映画史という概念を生んだのだということ、
ゴダールの『映画史』をわざわざ見にソニータワー*1までいったくせに
なんでこれフィルムで撮らないんだ?とぶつくさ言いこそすれ
なーんも考えず見てたこと、
いや子供のころの恥なんてどうでもいんだよ、
いまここだよいまここで何もわかっちゃいなかったことにだいぶショックをうけ、
まじめに映画ブログでも書くことにした。うそだけど。
- 今期のイミテーション銀幕
『迷宮の女』(ルネ・マンゾール/2003)
映画で多重人格を別の俳優で見せきって落とすだなんて
オプティカルにいけない。
目に見えるものが映画の第一義であるならば映画の所作ではない。
多重人格というものが本当にあるとして、
それをカメラが撮る場合、
いま現在出てきている人格が誰だろうと、
(あるいは役者に言いわけさせたように
それがpersonageではなくpersonneであろうとと言うべきか)
カメラに映るのはたんなる同じ肉体だろ。
ヴィデオカメラをあちらこちらへむけてみる監督が
そんなこともわからんか。
最悪それどうしてもやりたいなら全人格に別の俳優をあてなきゃ映画にならんでしょ。
とはいえ主演俳優に一世一代の名・演じ分けされても
「あなただけ見えない」*2になっちゃうからアレだけど、
でもやっちゃいけないことはやっちゃいけねえんだよ!
- 今期のほんほん
さびしさの授業(伏見憲明/2004)
伏見憲明けっこう読むから
ついこんな子供向け思想本にまで手を出してしまったのだけど
"「私」がいなくとも世界はあたりまえのように回っていく"ことの
なにがそんなにか救いようのなく深刻なことなのかが
わしにはいっさいぴんとこない。
んなのはアホくさいとかじゃなくて字義どおりぴんとこない。
おれがどまんなか保坂主義だからかもしれないけど、
自分がいなくても世界が勝手に回るというのは
むちゃくちゃにすがすがしく、
ほとんどいわば
「一が一であるという話に心が洗われる」(黒田硫黄)といったようなものなのだけど。
それをセンターにすえて、
だからこそ誰もがたがいたがいに認知され愛され記憶される必要があるって話にもってく以上、
それが深刻である理由の説明をしてくれフォーミー。
ほんと、それこそしてくれ。
おれみたいなガキもきっといるぜ。
種を残したい人の考えかたなのか?
もやもやしてしまった。
- 今期のぴこぴこ
ぽっと押したら華麗にぽ、
フリーランで勝手に
ヘッドでぎゃ、
とかしてくれや!!!!
メッシはそんな
深く行動してへんぞ!!!
半年に一度アップされるブログ日記
「あと何時間かあとにマドリーとバルサがワカチコするんでしょ?」なんてキックオフ前ちゃんねるに書いてあったけどほんとにそうだったら、あれはたんなるワカチコでちゃんとホームらしく攻めてくれるベンゼマなんて出さないでおいてくれるマルセロがやらかさないどいてくれるクラシコはまたきちんと別にあるんだったらどれだけいいかって涙も出ねいやこれは神罰、ファンニステルローイをHSVになんて出しやがった者どもへの神罰。
……ええと、
春はロンドファンフランデーレンとパリ〜ルーベでき・ま・り。
人間は最高の機械たるかという20世紀初頭の問いに
スイスのヌメロウーノがきっちり応えてみせたと思います。
- 今期のぴこぴこ
THE鑑識官 緊急出動!事件現場をタッチせよ(DS)
いわゆるひとつのオーハッピーデイズ(2日)ってやつ。
指紋採取ぽんぽんやらルミノールしゅわしゅわやら
DSの能力を生かしたネタがもう最高、
ってそんなことソフトメーカーにやられちゃいかんだろと、
まあ何年か前のおれなら思ったさ。
これをソフトメーカー*1に
やられちゃいかんというべきか、
ソフトメーカーにこれを作られるのも見越してこそ
ハードメーカーは生き残るというべきか、だよ。
(だからセガはハードメーカーとしては散るのみなのだと
思えるくらいにはわたしも大人になりました)
ちなみに続篇はそない満足もしなかった。
はなからメンバー紹介&チュートリアル的な動きが多すぎたのと、
ジャンル違いのアクションを入れてきやがったのがな。
「いちげんさんおことわり」たれですよ。これがセガ愛の正体ですよ。
- 今期のほんほん
「なぜ"料理ができない"のは単なる"家事ができない"こととして片づかないのか」
(全然関係ないので本の名前は出さず)
「(離婚するとなったその時:わし註)困ったのはただ一つ。私は料理ができない。昔から私は料理が不得手であまり作ったことがない」
「調味料の使い方を知らない」
「しかし、別れるとなったら私が料理をしなければならない。しようがない。やろうと思えばできるだろう(中略)ただし、一カ月は訓練期間が欲しい。その間に料理をマスターして子供に食わしてやろう。案外できるのかもしれない」
このあと、
「世の中の料理人はほとんどが男ではないか」とつづいたのだが
わたしはフェミという言葉が想起させるようなフェミニストではないので
そんなくだりはどうでもよい。
料理が他の家事から離れたつのは
それが芸術やらであるからではなく、
留保なく五感と直結する唯一のルーティーンであるからで、
だからこそそれができない人間には
単なる工夫のなさだの手際の悪さだのをこえた
「感覚の鈍さ」という意味が付与されかねず、
やったことがないと平気でいいやがる人間には
ただの役たたずに対するのとは違った軽蔑をも抱きうるのだというのが、
まったくなんの関係もない本よんではじめて気づいたこと。
まあ、家事に「マスター」なんてものがあるだの考える時点で、
家事ができる人間であるわけはないのだけどな。
掃ききれない砂。シーシュポス。等々。
- 今期のイミテーション銀幕
晩春(BS2)
いままで見た邦画で一、二をあらそうまともさの大学教授の描写に
まっさか小津映画ででくわすとは*2。
後妻をもらうなんて不潔だと重ねて発せられる段階で、
結婚がイコール寝ることであるということは
こちらの深読み思い過ごしフロイト-バルザックかぶれでもなんでもなくなるわけで、
だからこそ京都旅行、
というより、床をならべる旅館のシーンががっつりきいてくる。
いやはや参った。
正直別段そんなこともないのじゃないかと思っていたのだけど
原節子によってたしかに小津安二郎の家−族映画は完成された。
しかも、それがしれっとやられるのになお参った。
松竹ヌーヴェルヴァーグってのは
オオシマでも吉田喜重でもバカでもなくお前さんのことだよ、
おれにとっては。
*1:しかもシンプルシリーズに卸やってるような
*2:対抗:『良いおっぱい悪いおっぱい』
荒れてんのはいつものことさ日記
半分所有する件のわが家の管理がめんどくさくて、
一生ものの何かなんて家であれ伴侶であれ高いカメラであれ時計であれハイジュエリーであれ、
もたないにこしたことはないとしんから思っております。
- 今期のテーゼ
「フィナーレ、ローマ/または運動の擁護」
今年のローマは熱すぎた。
サンシーロとか赤とオレンジとかトッテーでここまで熱くなれるかという話。
そうそう、イターリアの海岸線で元湘南爆走族主演の撮った映画があるらしいけど、
まあ映画もいいとこさりながらポスターつくったグラフィックのおっさんにいちゃんがわらかしよんのよな。
イタリアの建物をさらに美しく見せるために画像処理を、だと!
さらに砂浜をひきたたせるためいつも置かれているビーチチェアを消して、だと!
マルローのつもりか貴様。死ね。お前も消せや。
………いやいやおいおい、のっけからセリエ死ねとかおっさん死ねとか。
さすがは「人の家にきてのっけからネガティヴな発言しかしない女郎」*1は違うな。
えー……あ、ローマローマ。
カタルニアの野郎が優勝したのでCLはもういいとして*2、
つかセレモニーでCLアンセムにオペラかぶせてくる悪ふざけは許せないとか書いてたバカがいたな、
アンセムがもともとヘンデルのオラトリオのヴァリエーションなんだっつうの、
つかオペラとカンタータとオラトリオの区別もつかねえのかこのアホたれが(おれももちろんうしろふたつはつかん)、
サッカーボールがぶつかって目が見えなくなった男がCLの決勝で讃歌を歌うんだぞ、
この、いい話なんだか悪趣味なんだかおふざけなんだかそのすべてなのがイタリアだろうが。
だからなんぼセリエ国際法で廃止させろとかっつっても冗談でもヘタリアとか言われっとむかつくんだよ。類型でものしゃべるんなら類型集成としてのみ扱われるだけの覚悟と矜持と数はもっとかんかいとか、
つかおれ、好きなのか嫌いなのか、イタリア。
え?……あ、ローマローマ。ジロ、すごかった。
ローマでのTTでメンショフすっころべ、そして再起不能になれと
何日も前から願をかけておったわしも、
実際雨のローマの、なんもないところでメンショフがすっころんだときは
電波よろしく「おれのせいだ!!!」と思ったさ。
もう地震のせいなのか残り雪のせいなのかの
ジロらしくない大陸棚的な山岳の斜度の甘さと、
だけどもくりひろげられた無酸素領域の運動なんてすべて忘れたね。
すっころぶ何もない直線の黒い雨の石畳、すべっていくTTバイク、よつんばいでバイクを追ってよろめくマリアローザ、止まりきらないチームカーからすべりおりるメカニック、下ろされる予備のTTバイク、低空で止まったままのヘリ、まだ靴がペダルにはまりきってないのに(たぶんペナルティ覚悟で)後ろから押すメカニック、映すモニターをじっと見るディルーカの顔、肉が見えてるメンショフの脚、鉄仮面の「見たことない」絶叫、すべて終って水をのむディルーカ、またすべりおりてくるメカニックと抱きあうメンショフ、やっとすっとチームカーが止まる。
これが運動である。イタリア万歳!(あ?)
8/25追記
ちなみにわたしのディルーカ(写真)はその後、
大会中のサンプルより
駄馬をも駿馬にするらしい第3世代EPO違反が発覚、
最低2年(もしくは4年)サスペンション、
本人「陰謀」つうことで徹底抗戦とのことだが、
ディルーカのおさとのキリスト教的にいえば、
薬飲んで神に近づくこと以前に、
被造物をたった200mぽっち歩けなくなるまでてめえで勝手に鍛える*3こと自体、
原理的に冒涜である。
それを越えて違反した人間をかるがる罵倒できんのは
ワークスのちゃりのりまわしたりレース出る小銭のあるだけの奴じゃなく、
命かけてる仲間だけだよ。
やっててもやってなくても高揚の5月に変わりはないとむりして言いたい。
ディルーカが見れなくなることだけが純粋に悲しい。
- 今期の映画
「アホがモノクロに走る件」
『チート』淀川長治解説つき(シネフィルイマジカ)
実は迫真の演技中、
「腹減ったど、昼飯食わせ」とまあ、
(そんな関西弁じゃなかったにせよ)叫んだったという、
早川雪洲のサイレントならではの話に、
先月の「ザ・少年倶楽部プレミアム」で二宮が言ってた、
せりふを言っても言わなくてもいいというような演出を遣いつつ
映画を撮るらしいイーストウッドには
なぜバカが突然やりだしかねない全編サイレント映画みたいなものが
死んでも縁がないのかという理由にいまさら気づく。
バカみたいだからやらないんじゃなく、
やる必要なんて端的にないのだということ。
サブタイトルのないサイレントをもまたつくっているのが
いまのすべての映画監督であるはずだということをわかっているという意味でなら、バカじゃないからやらないともいえるのだけど。
まだいたい、まさにそういう演出でできあがった同じ映画の冒頭、
ほぼモノクロにしか見えないカラーの黒い海岸のシーンで
全編モノクロすらやる必要ないことも見せたんだったわな。
で、ヌーヴェルヴァーグ、というよりゴダールの、
いきなり入るサイレントシークエンスなんてのも、
実は遊びでもなんでもなかったのかと思ったりした。
- 今期のくそゲー日記
「愛しあう事しかできない」(PS)
「SWITCH」(PS2版)
くそゲーはつきつめれば作業なのだが、
考えごとするにはしっかりしたくそゲーでなくていい、
ぬるければぬるいほどいい。
ちなみにわしは桜沢エリカも喰始も好かん。
まあむかしから、さして興味もないアニメのパズルとかグッズとか、
買う謎の輩だったよ*4。
いまじゃ元ヲタが泣くからそういうことはけしてしない、
が、くそゲーはべつ。
次回予告:『プロジェクトV6』[[]]
*1:とよく家人に言われる
*2:連中には来期、金ですべてのきら星を、もう一度言う、金で、すべての星を簒奪してくる例のチームにてめえもアンリを金で買ったこと(←「ロード・トゥ・カタランにくし」の最期にして最大の一撃でした)忘れて憤慨して、情けなく負けるのが似合いさ。似合いなんだけどなあ
*3:前方ではなく上下の運動用の筋肉にとって、200m歩くぐらいなら100km走ってくるほうがましだと元プロが当然のごとくうなづきあってたのを見た。たぶん、ケイリンとかトラックも大差ないのかもしらん
*4:例:『コンポラキッド』(っていう名前のアニメなの、いま知ったよ)のショウワのパズルとか『魔法の妖精ペルシャ』のショウワのパズ
祝完全備忘録化
チラシの裏っていっても、新聞とらないから。
- 今期の枕
「突然いなくなるの事」
母親が高校までいた、みんなが捨てていった集落が
すさまじい廃墟として形容されていたのをみた。
個人的には日本一の廃墟はそこじゃなく、違う場所だと思うし
マニアもそう言うだろうけど、
「よくもまあこんなところに住んでたな」と
サイトに書かれるにふさわしい場所ではいまやあるかもしらん、
鬱陶しいからくわしくは書く気ないけど。
前に母親の同窓の人が撮って送ってきたビデオもちら見したときは
同窓会のガヤが映ってたのもあってか「うへえ」くらいですぐ忘れたけど、
今回撮影効果満点の写真も怖いもの見たさ半分で見ちまって、
家の中の暗さをおそれる夜が一晩あった。
で、腹がたって頭が動いて眠れない朝になった。
人間、どんな場所だろうとそこしか知らなきゃそこで暮らすさと、
大筋そんなところでまずは「よくもまあこんなところに住んでたな」に腹をたてた。
けどそんなことより
……たとえばうちんちは土地も家も母親とあたしの共同名義だけど、
(なので、けんかになったら二人とも「ここはあたしんちや、出てけ」と言える)
母親が死んで、あたしがある日ふと突然蒸発するようにいなくなったとすると、
家を取り壊す権利なんかしばらくは誰にもなくって、
そうするとこんなところはすぐに廃墟になるのだ。
「よくもまあ住んでたな」と言われるような感じの。
たとえばの話。
けど、そんなこと、なんにもめずらしくないことなのに、
きっと、
SFマニア(+いい歳こいてスタンドバイミー気取りか)みたいのが
金かけて船借りたりだか壊れた道とばしたりだか不法侵入したりだかの
ずいぶんご苦労なことでこそなりたつのが廃墟サイトのはずなのに、
そんなことにも想像力が及ばんのか、
その口で安部公房ファンだとかまさかベーコンの画が好きだとかぬかしたりしやがんのか、とか。
そんな奴ら全員潜伏してる殺人犯やら獣やらに殺されりゃいいのにとか。
まあうちもこわがってた以上、そんな奴らと同じだったんだけど。
関係のない人間が関係のない廃墟にわざわざ行くのなんて当然自由、
ただ、「ここ」がいつでも廃墟になりうることだけは自覚しろ。
と思った時点で、
闇はふたたびわたしのおともだちになりつつある。
家人は、
話はだいたい見えたけど、
想像力のなさにいちいち怒ってちゃ学生の相手はできないとクールに言った。
後日、母親に話すと、
そこを出てから10年後くらいに
新婚旅行で一回だけ親戚に案内されたことがあるらしい。
そのときにはもうあらかたずたずただったそうだけども。
でも、自分は学校さぼって煙草すって自主退学してそこにいられなくて流れてきたし、
自分の父親は酒乱のあげく部下に諭され殴られてかっこつかなくて辞めてきたんで、
家族みんな大阪に大満足、
やしようわからんわ、とのことで話は終っ……いや、
それにしても昔は町の中心なんか出るとうひゃー都会だと思ったけど
よくもまああーんなとこに住んでたなと思ったよお。
独身時代の京都じゃねえ、
京産から桃山から龍谷から同志社から立命から入れぐいで、もーお楽しかったよお、
いまなら6回は殺されてるね、男に、とのことで話は終った。
結:自分のいる「ここ」もいつだって廃墟になる=自分はいつだっていなくなれる
「よくもまあ住んでた」ような場所で育とうと、人間って、かわんない
京都大学には相手にしてもらえなかったようだ
- 今期のいなくなるつながり
『チェンジリング』覚書(いまさら)
ちまたはもう『グラン・トリノ』とかいうてるけど。*1
ちなみに家人は、新作公開前日、
近所のイオンの映画館の売店いって
パンフないかどうかみにいこうよとせがんできた。
バックルームに準備万端でも売るわきゃあねえっつっても
もうこうなったら止まらないのが家の馬鹿野郎、
くまなくヤッターマン花ざかりのコーナーをながめて
はあそうなのかあとかいっちょ前に落胆して帰ってきた。
次の日、
バイクで道の確認と称して
他になあんの用もないくせに
広いロビーにプロモーション用のグラン・トリノの1/1模型が設置されてないか、
それはないにしても当然売るはずの、
朝鮮戦争時代のショットガンを構えたじじいのフィギュアはどこにあるのか見に行って、
パンフだけ入手してまあしかたないけどととりあえず満悦していた。
『チェンジリング』みて、
『或る夜の出来事』アカデミー賞受賞のシーンのみで泣いちゃったとき、
おれ馬鹿だなあと思ったけど、
なんつか、ここまで馬鹿になれねえ。
- スリラー作家として優秀すぎる画が10分の10
- 脚本が壊れてる。LAコンフィデンシャル世界とかマジョリティの暴力どころか、連続殺人犯とか息子がほんとは生きてるのか死んでるのかもイーストウッドは完全どうでもいいんじゃないか
- 病院のシーンもたぶんアンジェリーナ・ジョリーに水ぶっかけてみたくて出した(ドSだから)
- 今期のほんほん
「スタイルについて」
『残酷物語』ヴィリエ・ド・リラダン(訳:齋藤磯雄)
Contes Cruels/Villiers de L'Isle-Adam
文体ってどうも、
ゴージャスなものではないらしい。
少なくともフランスでは―それもかつての。
装飾音が多い文章は「sans style(文体なき)」と形容されるらしい。
(たとえば、マルローみたいな。たぶん、バルザックみたいな?)
名前に「アダムの島=地球」を含むところからしてすさまじ系のリラダンは
そもそも詩人らしいし、
文体ほめられるだけあって、
原文もむつかしいに違いないと思って読み始めた旧い訳本は、
むしろ原著がなければ意味もとれないところが多々あるくらい、
フランス語はすきっとしていた。
信じられんほど読みやすい。
原石から削ぎ落とすもののないところまで削ぎ落としたもの、
それが長らく文体だったらしい。
そこが出発点であるからこそ、
クノーみたいのが出てくるんだろうと思ったり。
石川淳が座右の書にしてたのをのち知ったけど、
たぶんそれはうちがあんまり好きじゃないほうの石川淳だな、
小説自体はそんなおもしろくなく、
原著で読むかと借りてきたきっかけの『未来のイヴ』への興味は失せつつあるけど。
ニート そして伝説へ……完全版
例のハードも例のごにょごにょBookもがつんとなおったところで*1
いいことのつぎにはかならずわるいことが……世の中割り切れない……
とか言いきれるなんてな割り切れてんだが
「ほんとに近ごろ不景気」、需要と供給がかみあったかたちで
ニートふっかつ/逆戻り。
ゆく年は上限金額ぎちぎちはたらくニート、
くる年はさらに効率よくぎちぎちにと目標もできて、
あこいつぁ春(前)から縁起がいいや。
- 今期のサッカー
完全備忘録キャプテン翼(無印)など
ファンニステルローイが今季絶望ということで
おねいさんは空想の世界へ逃げ出しました。
(試合ははらはらしつつ見てますけど)
小学校篇
中学校篇
- たけしスポーツ刈り
- 岬急成長とチロリアンルック
- 小次郎の衝撃的半ズボン
- 現代風景画の鬼才
- タッチ風のタッチのギャグシーン←だからなぜ?
- 今期のほんほん
「雑貨屋的ポップSFかもしれない」
しめの一発今年はなんかこれってのがあったかなと思うとなあんもねえ。
08シーズンも完全に終った後やっとのってきた『超男性』については……
澁澤たっちゃんが三大ツール*2を見てりゃいやいっそスペシャライズド*3で先頭交替のまねごとでもしときゃあもっと素敵だったに違いないのにと若干残念。
しいていや一年でこれが一番きゅんきゅんきましたなんてらしくないと思う、
思うけどカズオイシグロの『わたしを離さないで』おもしろかった。
すべての小説が昔がたりである以上ありうる忘却と、
そこへ向かうノスタルジーの線はおもくそ踏みぬいてあった。
昔がたりなのに詳細におぼえてるなんてイマージュ過多じゃんと思っているので。
(メモ:ノーフォークはイングランドで「ラストランド」と呼ばれた最後の未開の土地)
またカセットテープがガジェットだってのが
「小ネタ」と呼ばれるものは絶対持ちえないいじましさで、泣けるな。
(『流星の絆』なんかを見すぎた目には
「小ネタ」のほうこそ"堂々たる"という意味でスケールがむしろでかく見える)
・
・
・
つっても石黒好きか嫌いかでいうとなあ、これじゃ歳末をしめらんねえ、
なんて鼻ほじってたらベルリンのジルヴェスターコンサートがやばくて落涙。
今期のしめはこれで結構でございました。
ありがとう歳末。
いろいろ調べたくてヒットしたクラシックファンのサイト見て
世の中にはシネフィルの掃き溜めよりなお腐った場があったかと今年最後のディスカバリー。
くたばれ歳末。
追記
残念無念で終ったその後
全8ステージしかないくせに
走行距離2400キロ余りの構成で始まったジロ*4とほぼ同じ時に
超男性*5が書かれたことに思いあたると、
産業革命が工場の外においても終了した自動車時代を大々的に覆っていたのは
機械に挑むような気概であったのかもとか。
超男性の筋は、
機関車とチャリプラスアルコール化合補給食はどちらがモスクワまで先に着くかという鉄腕!DASH*6と
はたして24時間で何発やれるかな対決の二本立てなんだけども、
疲れぬ倦まぬ機械は最高である、
ところで人間は最高の機械たりうるかというような対抗心があったんじゃないかと。
あるいはその二本立てが二本とも、
首尾よくはこんだ結果「汝ら神の如くなり」のような状態を生むのか?とか。
シュルレアリストグループから出た小説の中ではいまんところ一番。
- 今期の民放
「いまだに家人は硫黄島の子って呼びます」
「小ネタ」で思い出した、
宮藤官九郎て
「分かる人にだけ分かればいい小ネタ」なんて
俺のドラマにないと言い張ってるんだね。
すべてが伏線なのだとかさ。*7
まあ伏線をすべて拾ってもらえればよろしいですね幸多かれと祈るのみだけど
自分の小ネタなんて成人にとっちゃほぼ精神史だろう的な物言いのがひっかかるのよな、
島国根性まるだしで。
あとは「それって男だろ?それじゃ人類は滅亡しちゃうよ」*8と付け足しときたいね。
島国根性といえば、
ベッカムだとかいやベコムだとか極論ベックァムだとか
日本人じゃない人間の名前の発音をやたらああでもこうでも言うのも結局、
読みはともかく発音それ自体を
自分がしてもらいたい発音とは違うふうに間違えられる可能性のない国の根性かもしらんとかよ
してほしい発音とかいう概念自体ないからルーニーじゃなくてルーネイだとか勝手に言えんだとかよ
で南米に在るときはホナウジーニョで欧州行くとロナウジーニョとかも正直好感は持てねえしよ
「ピザかピッツァか」のこだわりを押しつけてくる、だと?とかよ
話がズレだすまえに民放よ民放。
突如嵐ファン(リーダーファン)*9と化した母親にひっぱられて
初クドカンドラマしました。
今回のドラマ内ドラマのメインテーマを
「詐欺」/「人は他人を見たいようにしか見ていない」と持ってきたのは
人殺っておいて遺された子供を自分の子供のように見ているとか、
そことはがっつりつながるんだけど、
本筋の「遺族にも笑いあり」とはつながんないと思うけど。
「遺族はいつでも善じゃない」とはつながるんだけど、
どっちかいうと前者でいってほしくて(サスペンスコメディにしたいなら)
これは力量が足りなかったんだねと取りました。
何の話なのこの項。
- 今期のイミテーション銀幕
『愛と哀しみのボレロ』との出会い(損ね)
ルルーシュのコアファンをもって任じながら
『ボレロ』見たことない。
年末の映画特番で毎年やってんだけど
そういうときこそ逃すようになっているんだあね。
で、歳末はやるぞと。
途中まで見たところで、
ルルーシュ好きでもなんでもない家人から
『ボレロ』ってあれは結局何のつもりだったのか説明してくれと乞われ
「いやあれあのほれうさぎはさみしくって死んじゃうってのがほんとならルルーシュも何回に一回はくそ映画を撮らなきゃ死んでしまう映画作家なんだよ」とか
ごにょごにょ説明。
再開したところで
カラヤンモデルと思われる帝国のピアノ弾きがひく曲が思い出せなくて
調べているあいだに*10、
そういえばこの映画は4時間はあるはずなのに
どうして3時間しか残ってないDVDに録れたんだろ?と
気づかなくってもよかったかもしれないことに気づいて
途中で消しました。
来年は『ボレロ』、きちんと見るぜ。
ほうふもでましておあともよろしいようですね。
これタイマー、タイマー入ってんじゃねえの日記
長年苦楽をともにどころか十年愛、
好きすぎておともだちに遠距離貸し/押しつけまでしていた
例のハードがこわれました*1。
例のエンタープライゼスはとうの昔に修理受付を終了していました。
ときおなじゅうして例のごにょごにょBookも壊れました。
CD起動はできるのに元プロによるOS入れ替えもかひなく、
問題はハードなのかソフトなのかすらわからん状況。
冷静と情熱のあいだはふつうってやつだけども、
ハードとソフトのあいだってのはなんだらホイ。
ああ、例のジャパンからは既に修理受付終了を宣告されていますが*2。
こう重なると軽く涙の膜すらも張らんね。
- 今期のペイてれびくん
「ヨーロッパスポーツが好きなのは、いじわるだから」
あくまで結果的に時間は地続きで
ジロディターリアとユーロとツールが終わってしまっていた。
どころかぽっとしてたらブエルタも世界選手権も終わってしまった。
(ジロはともかく他のは
ベッケンバウアーよろしく「私の体の一部を切り落とした」というほかないような、
死ぬまで二度と見れないに違いない神の如きオランダの負けに違反薬物での選手追放)
悪い見本にすらならん本年の美の祭典のサッカーは問題外として
後任が真弓に決まってないほうの岡田の代表は、
つうかお子たちは決定力だか以前に
ヨーロッパスポーツのトータリティを理論としてではなくつかまないかぎり
協会やらクラブの奴らから筋トレのお許しが出たとしても
宇宙の時間でいうしばらくのあいだこのまんまじゃねえのといつも思う。
アメリカがイングランの手先のごとく
キック&ラッシュをそれなりに丁寧になぞっても
ベスト8だか4だかの先はもう「あっちゃいけない」的に「ない」のと同じで。
どんだけツール総合連覇しても
最後まで自分を前で引いてくれたチームメイトに
ステージ優勝ほぼ譲らないのが信条になっちゃってたアームストロング*3が
凄い、きゃーカリスマー*4と思っても好きになれないのもそこ。
『茄子』の一編、「アンダルシアの夏」に
エースがバールからとびだしてきたねこをよけて落車した結果
もたないのが大前提の逃げでスポンサー様アピール中のくそアシスト(主人公)に
本気でステージ獲れと指示が来る(で、勝つ)というのがあって
はじめて読んだときは
店の腸詰めねこがくわえる
↓
怒られる
↓
ねこバールからとびでる
↓
外には集団
↓
エース落車でリタイア
というのがあざやかな因果関係、これこそトータリテ、なんて思ったけれど
そのねこは因果関係なんぞみじんもねえどうでもいい、
そこらへんあるってるだけのたんなる猫であるのが本来だというのが
ロードレース見始めてから二年が過ぎたいまの気分。
つまりテレビでごていねいに教えてくれるような、
天気気温湿度芝の具合競技場の空気敵将のタイプスタメンとサブなんてのは
因果関係の中におさまったファクターにすぎなくて
それを越える偶然-必然を
おびえながら/祈りながら待つともなく待たざるをえないという気分もまた、
ヨーロッパスポーツのトータリティなんじゃねえのかと。
その若干うんざりするような気分もゲームそのものだと本気で思っちゃない顔見てるのは
ゴールが決まらないこと以前にいらいらしちゃうのであった。
- 今期のほんほん
ツール開催中にサイクルロードレース小説(か?)『超男性』に
挑戦するつもりが澁澤の訳にのりきれないままもう11月。