No.61 撤退!

ischia2007-04-23

フィレンツェを去ることになりました。


ビザはあと1年あるものの、どうにもならない体調不良。。。


なんとかここにいたい!
アルバイトに内職に、、、とあらゆる
手を尽くし頑張っていましたが体に負けてしまいました。


頑張りたくても頑張れず
何もできない状態が長く続いているので
健康回復を第一に考え
帰国することにしました。


今は頭がよくまわらず何も考えることができませんが
また機会があれば続きを書きたいと思っています。


これまでブログを読んで下さった皆様、
フィレンツェまで遊びに来てくれた方々、
ブログを読んでマルコの高島屋イタリアフェアまで
足を運んで下さった皆々様


本当にありがとうございました!

No.60 アッディオ プロフェッソーレ

ischia2007-02-16

2月2日、プロフェッソーレ・ビーノビーニ
が亡くなられました。


去年の夏、猛暑にやられ
瀕死の状態になり、一時はもうダメかと思われました。
が、秋になり涼しくなると、元気に回復。


10月にプロフェッソーレの
お宅でお昼をご一緒した時には、足が利かなくなり車イス生活に
なってしまわれたものの、食欲旺盛で私以上にモリモリと食べ、
大好きなケーキは何度でもおかわりするし、お酒も飲むしで
その驚異的な回復力に驚かされたものでした。


ところが今年に入り、寒くなり始めたころからまた体調を
崩され、寝たきりになってしまい食べることもできなくなり、
最後はうすらかに意識はあるものの声も発することができ
なくなっていたそうです。


ずっと看病をされていたのは94歳の奥様。
2日の夜中にふっとプロフェッソーレの寝息が聞こえなくなったのに
気がつき、近寄ってみたときには既に他界されていたそうです。


葬儀は生前からプロフェッソーレが決めていたという、
めづらしく祭壇の後ろに十字架のキリスト像がない、
聖母マリアを描いている画家の大きな画がかけられている
教会で行われました。


こちらのお葬式というの本当に簡単なもので
お香典もなければお焼香もなく、皆普段着で
赤いコートの人もいればオレンジ色の服装もいる。


お通夜もないし、初七日もない。


式の始まりにすぐ棺のふたを閉め、釘を打ってしまい、
その後神父さんのお話があり、最後に2人くらいの
プロフェッソーレのお友達によるお別れの言葉。


「ビーノ、ボン・ヴィアッジョ(良い旅を)」


とそのお友達はプロフェッソーレを送り出し
ていました。


日本のお葬式は長いしお金もかかるしで大変だけど
こんなイタリアのお葬式はなんだか簡単すぎて
気持ちの整理がつけにくい気がしました。




「僕はね、外国にもたくさん行って素敵な人達にもたくさん会って
人よりもずっと多くの良い思い出を持ってるんだよ。いい人生だったよ」


去年の冬だったかプロフェッソーレはこんなことを言っていました。
91年という長い人生の間には本当に色々なことがあったと思います。


14,5歳の頃から職人の仕事はすでに始めていたプロフェッソーレ。


戦時中は兵隊にも行き、アフリカでイギリス軍の捕虜となり
収容所生活を強いられていたこともありました。


その砂漠地帯の収容所生活では、テントの中で監視の目を盗み
トタン屋根のコールタールを集め、仲間の食べ残した肉の脂と
砂を混ぜ合わせてヤ二を作り、釘でタガネを作り見事な
サン・ジョバンニ(フィレンツェ守護聖人)の首の打ち出しを仕上げました。


(幸運にもプロフェッソーレが無事イタリアに帰国できたその日は
奇しくもサン・ジョバンニの殉教の日だったそうです)


ビーノビーニといえばフィレンツェのどのジュエリー職人
でも知っている有名人。


「僕もビーノ先生に打ち出しをならったんだよ」


という職人さんはフィレンツェにたくさんいます。
それがかなりお歳をめされた方だったりして


「はて、こんなおじいさんがビーノ先生のところの卒業生?!」


それもそのはず。プロフェッソーレが91歳なのだから、60代70代の


人が習っていてもおかしくない。
にしても、プロフェッソーレ30代40代の頃には既に
多くの職人達が彼の門戸をたたいていたということで、
うーんやはり凄い。


プロフェッソーレの技術というのは「打ち出し」だけではない。
彫金もやれば七宝もやるし
彫刻もするという多彩なアーティストでありました。


特にジュエリーのジャンルでは
「日本のジュエリー界に大きな貢献をして下さった」
と聞きます。


おそらく30年くらい前の高度経済成長中で、
一般庶民もジュエリーというものに手が出せるように
なり、それを作る作家も出始めた頃の日本へ


「アートとしてのジュエリー」という新しい息吹を吹き込んだのが
プロフェッソーレだったのではないかと推測します。


そのプロフェッソーレ・ビーニを目指して、日本はもとより世界中から
フィレンツェのスタジオへ教えを請いに学生達がやってきました。


自分が持っている技術を企業秘密にせず、おしげもなく
他人に教えるというのは、めずらしいことだそうですが、
「魔法の手を持っている」と生徒たちが口をそろえていうほどの
プロフェッソーレの技術。


全てを教えてもらっても、
なかなかプロフェッソーレのようにはできない。
そして技術と共に光っていたのは、彼のデザイン力。
これが普通のジュエリー職人との大きな差です。



以前誰かに
「プロフェッソーレ・ビーニは職人ではなく、アーティストなのだ」
と言った時に


「職人も芸術家も一緒じゃないの?」


と問われたことがあります。


ある意味では同じかもしれません。が明らかに異なる点は、
作品を見てすぐに作者がわかるような
オリジナリティーを持っているかどうか。


自分の作品にコンセプトを持っているか、仕事哲学を持ち
その哲学や思想が作品に表現されているか。


多くの人々が彼に教えを請いにきたのは、ただ技術を習得
するためだけではなく、このプロフェッソーレ・ビーニの
ものづくりや表現に対する精神を学びにきたのではないかと思います。


何故ならそれはアーティストにとって技術以上に
大切なものであり、それを技術と共に教えることのできる
人物というのはそうそういるものではないからです。



いつかこのプロフェッソーレ・ビーニの回顧展を
日本で開催し、日本の沢山の人たちに彼の
ジュエリーをみてもらいたい。
そう考えています。

No.59 『のろけるわけじゃないですけどぉ』

ischia2006-12-03

9月に我が家へやってきた新同居人の若造は
ちょっと変わったヤツ(日本人)である。


ヤツが前に住んでいた家を出た理由は
同居人だった日本人の女の子が
とっておいてあるご飯を食べちゃうから。


「朝、ご飯を炊いて食べて、残った分を鍋に入れたままにして
学校へ出かけたんですよ。で、帰ったら洗ってなかった食器を
洗っておいてくれたのはいいんですけどお、
『ご飯は食べといたから』って
笑って言われてえ。チョー理解できない。
笑うとこじゃないでしょーって感じで」


「それはないよねえ。で、どうしたの?何か言ってやった?」


「まーそのときはこっちも『なにー!』って
ふざけて怒っときましたけどお」


「ガツーんと言うたらナ」


「だってえ、嫌われたくないじゃないですかあ。
僕、小心者だから嫌われるのやだしー」


「嫌われたくない」という気持ちは分からなくない。
でもそれをなんの恥ずかしげもなく言っちゃうところがスゴイ。


そんなことで嫌になって引越しを決断するというのも、
君、イタリアをなめとるで。


ヤツが我が家へやってきて一週間ほど経ったある日。


「うちのテフロンのフライパン、剥げはじめてるから
新しいの買いませんか?」


というので
「あ、そうだね。テフロンって剥げたの良くないっていうし、
新しいの買おう」


彼の意見に賛成すると


「じゃ今度一緒に買いに行きませんか」


「へっ?」


ちょっとめんどうに思って
「適当に好きなの選んで買ってくれていいよ。
あとでお金払うからさ」

が、何日たってもなかなか買ってこない。
どうしたのかと思っていたら、ある日


「今日時間ありますか?一緒にフライパン買いに行きませんか」


おいおい、新婚さんじゃあるまいし、
何故フライパンひとつのことで
アンタとわざわざ連れ立って買い物に出にゃならんのさ。


「私ちょっと今日は忙しいから、
適当に買っておいてもらってもいいかな」


「はぁ、わかりました…」


フライパンひとつくらい自分の買い物のついでに
さっと買ってくればいいじゃないかと思うが
彼はこの「適当に」というのが苦手なのか、
ラーメン屋に一人だと入りづらいという女の子のように、
男一人では金物屋に入りづらいのか。


後で聞いたのだが、ヤツは「買い物は人と行ったほうが
楽しいから人と行きたい」のだと言う。


特に女の子と一緒だと自分が入りにくい店にも入れるし、
一人では気づかないものを見ることができるからいいらしい。


もっともな意見にも聞こえるが、女の子のようである。


夏の終わりに、一時帰国していたヤツの彼女が日
本から帰ってきた時は


「ちょっと彼女の家へ行ってきます」


と夕方からいそいそと出かけて行った。
その日の夜中寝ていると、携帯からピーっとメールの着信音。


「こんな夜中に誰?」


眠い目をこすりながらメールを見てみると、ヤツからで


「終バスに乗り遅れました。明日帰ります。すみません」


「すみませんってアンタ、わしゃ寮母さんかいっ!」


思わず携帯に向かって入れたツッコミ。
アホかっ。


小学生じゃあるまいし、外泊でも何でも勝手にしたらええがな。
誰もアンタのことなんか心配しとらんわい。


また、ある日の夕食後


「今日何かやることとかありますか?
無かったらちょっと飲みませんか?」


珍しいことを言ってきた。


なにかあるな…と警戒しながら
ヤツが近所の量り売りするワイン屋で買ってきたワインを
開けたので、私がアテに日本の彫金の先生から送ってもらった
貴重なおせんべいを提供して宴を始めるた。


「彼女が僕と付き合うのはここにいる間だけ、
フィレンツェ限定だからって言うんですよぉ。
『私、日本に帰ったら嫁にいかなあかんし』とか言ってぇ」


ヤツが彼女の話を始めた。


「へー。で?」


「でェー実は彼女には日本に付き合ったり
別れたりを繰り返してる彼氏がいてェ、
この前日本に帰ったときもそいつと会ったりしてるしー
留学終わったらそいつと結婚したいとか言いだしてえ」


「それはびっくりだね」


「も、意味わかんないって感じでぇ。チョー焦りまくりですよ。
でもそいつ、彼女がメール出しても返信してこないっていうしー」


「なんでそんな人と結婚したいのかね」


「彼女はやりたいこともないし、
生きていくことを考えると将来いろいろ大変だから
嫁にいっとかないとって思ってるんですよ」


「ふーん」


「でもーのろけるわけじゃないですけどぉ、
僕、遠距離でも続ける自信あるしー
そんなヤツに比べたら絶対僕のほうがいいと思うんですけどぉ」


「そーかもね。君は遠距離とか続けそうなタイプだよね」


のろけるわけじゃないですけどぉ、
彼女と付き合えたことはホントに自分にとっては
ラッキーなことでぇ、いつも一緒に遊んではいたんですけどぉ
他にもライバルいっぱいいたしー
その中で彼女は僕を選んだわけでぇ
まさか付き合えるとは思ってなかったからぁ…」


ヤツはこの『のろけるわけじゃないですけどぉ』を
連発しながら彼女との悩み多き恋の話を
延々2時間も話し続けた。


女のノロケ話も度が過ぎるとムカつくもんだが、
こんな男のノロケ話は女々しくてなんだか情けない。


しかも彼女にしてみれば、男同士の話ならまだしも
こんなに自分のことを事細かに同居人であり同姓である私に
ベラベラとヤツがしゃべっているのを知ったら
きっと嫌がるだろう。


男性脳と女性脳の違いで
男性は悩みがあった場合、会話の中で‘解決策‘を求めると
本で読んだことがあるけど、ヤツは違う。


女のお喋りと一緒で、ただ人に話を聞いて欲しいだけ。
ダラダラぐちぐち同じ話をリピートしながら話し続ける。


ヤツは完全な女性脳である。


本人は真剣に悩んでいて話を聞いて欲しいのだろうが、
こっちにしてみれば本当にどーでもいい。



「でぇ、最近も一人ライバルが現れわれたんですけどぉ
そいつはもう4年くらいこっちで働いてる人でぇ、
彼女が言うには
『私にしたら働いてるか、働いてないかは大きな違いやで。
働いてない男はアカン』って言うんですよぉ。
そんなこと言われても僕いま学生だし、しょうがないしー」


「アンタ、完全に尻に敷かれとんな。
そうやってわざと焦らせるようなこと言ったりして。


だいたい日本に彼氏がいるとか、また帰ったら
復縁するとか言わんでもいいことを
わざわざ言うってことは、君に追い駆けて欲しいからじゃないの?


一回『そんなこと言うなら勝手にすれば』って突放してみたら。
絶対立場逆になって、今度は追い駆けられる方になるから」


「えー!!!そんなの絶対無理だー!僕にはできないっ」


まーそうだろう。君にはできんだろう。
まったく情けない。


そうグチグチしている暇があったら、
しっかり稼げる男になるようにせっせと勉強せんか。



最後にヤツは私に聞いてきた。


「ところでいつ日本へ帰るんですか?」


ヤツは前から何度もこの質問をしている。


「だからさ、わからないんだって。
まだいたいんだけど、お金はないし仕事も見つからないし。
なんとかしなくちゃいけない。でも何で?」


「いや、彼女が2月に帰るんですけど、
帰る前の1ヶ月間は一緒に住もうって
言っててぇ。もし部屋が開くならそっちの部屋の方が
広いから移りたいなと思って」


何度も聞いてきた理由はそれか。
なにかっていうと人の部屋を見たがってたのも、それか。


とうとう貯金残高が底をついてしまい、青くなっている私に
「いつ帰るのか」と何度も聞くとは
「早く帰れ」と言っているも同然。


ケシカラン。


君、お金の無い私が「まだ居たいんだ」といって仕事を探したり、
内職して日銭を稼いで頑張っているのを知っておろうが。



「確かなことは言えないけど、まだ私はいるつもりだよ」


そう言ったのをヤツは聞いてなかったのか


「どっちにしても誰か探さないといけなくなるな、一部屋空くなら」


まったく無神経にもほどがある。


その2、3日後。ヤツの彼女が遊びに来た時、
また同じことを彼女にも聞かれた。


「いつまでいるんですか?」


この人達はまったく…


「わからないんだよね。まだいたいんだけど、仕事が見つからなくてさ。
がんばってあと1年はいたいんだ」


と言うと


「もし、部屋出るなら私、彼と一緒に住むから大丈夫ですよ」


『大丈夫』って何が大丈夫なんだ!
帰るとも帰りたいとも、わしゃ一言もいってないだろが!
何でそういう話になる?
こいつらアホか?


なかなか仕事が見つからず、
今度どうやって生活していこう、
日本へ帰らねばならんのか、いやまだ帰れぬ。
どうしよう…。
毎日悩み苦しんでいる私を、知ってか知らずか
無神経にグサグサと刺していくヤツらが憎たらしい。



きっとヤツらの中では、私が日本へ帰ったら
「あの部屋を2人で借りよう、あの部屋は広いし
専用バスルームもあるし2人で住めば家賃も半分で済む。最高じゃん!ウシシシ」
ってな話にまで進んでいるんだろう。


頭はもうそのことでいっぱい。
自分たちのことしか考えていない。




負けずに私もチクリと一言。
「あのさ、残念ながら私まったく帰る予定はないから」


帰る予定がないわけではなかったが、
こうなったら帰ってなるものか!
やつらに部屋を明け渡してなるものか!

No.58 イタリアの浦島太郎

ischia2006-11-03

★癒しの日本


田舎で過ごした久しぶりの日本。
モイスチャーあふれる涼しい風。
耳いっぱいに聞こえてくる、蜩や鈴虫の大合唱。
懐かしい蚊取り線香の匂い。
ご飯とお味噌汁とお漬物の朝ごはん。
五感で感じる日本。


それは深い癒しでした。


以前、フィレンツェで知り合ったバイオリン弾きの友達が
言っていました。


「自分のバイオリン、イタリア生まれなんだけどさあ、
こっちに来たらそのバイオリンが良く鳴るようになったんだよね。
なんか故郷に帰ってきて喜んでいるみたいな感じで。
音が全く違う。いや、ホントにビックリするくらい。
やっぱりバイオリンってこっちのものなんだなって
思ったよ。このヨーロッパの気候に合った楽器なんだよね」


日本に帰ってきた私はまさにそのバイオリンのようでした。


時差ぼけで頭はシャッキリしないものの、本来与えられるべき
栄養(食べ物)をやっと取り入れることができた体は、
細胞一つ一つが喜び、
五感を通して日本を感じた脳にはアルファ波が発生、
心身共に深くリラックスしている気がしました。



そして、家族親戚はもとより以前と変わらず
迎えてくれた友人知人。


長い間会っていなかったとは思えないくらい
近くに感じられ、思い出話に花を咲かせ
近況を報告しあい、イタリアの話を聞いてもらい
楽しい時を過ごし、たくさん元気をもらいました。


本当にうれしかった!




★変化

何人かの人に言われた渡伊前と後の私の変化。


「前はもっと神経質だったけど、周りのことを気にしなくなったね」


「前は色々考えているんだろうけど、自分の考えを
絶対言わなかった。で、人には厳しかった。でも
今はそうじゃなくなったね」


ズバリそのとおり。


理由のひとつには、自分のやることに一生懸命でまわりを
気にしている余裕、必要がなくなったから。


そして「迷い」が無いため、
素直に考えていることが言葉に出てくるようになった。


もう一つの理由は、ちょっとしたイタリア人化。


例えばとても意地悪な人がいたとする。
日本だったら「なんなの!あの人」といって皆敬遠し
村八分にする。


ところがイタリア人というのは「あいつ嫌なヤツだよ」とか
「こんな酷いことするんだよ」と言いながら、普通に付き合う。


よくあんなヤツと一緒にいられるなぁと日本人的感覚だと
思ってしまうが、イタリアでは
その人の性格の悪さ、素行の悪さ、それはそれで
だからといってその人と付き合わない、
ということにはどうもならないらしい。


大喧嘩しても次の日にはいつもどおり「チャオ!」と
いって、何事もなかったようにおしゃべりが始まる。


バールに毎日やって来ては無銭飲食する男を
「アイツ、また来てるぞ」と言いながら
とっ捕まえない。


男は普段どおり店員とおしゃべりをして
いつの間にか金を払わずに店を出ていく。


とにかく、人のことをあまり気にしない。
日本人が他人に関して過干渉だとしたら
イタリア人は無頓着。


無頓着であることは「気にされないし、気にしなくていい」ので
楽ではあるが、腹立たしいことも多い。


なので気にしていたらキリが無いし、こっちがバカを見る。


「もう、しょうがないな」と言って腹を収めねばならんことが多く、
おのずと自分もイタリア人化し無頓着になる。


たぶん、これが神経質だった自分には
プラスに出たのだろうと思う。


人付き合いにおいては、日本にいたときよりもはるかに
楽になった。


でも、イタリア人を知ってから日本人をみると
人に対して細やかな気遣いができる日本人は
素敵だなと思う。




★浦島太郎


1年7ヶ月前、私は日本に「現実」を置いたままイタリアに来た。
これまでイタリアでの生活は非日常、
夢の中の出来事のようであったのに、
日本へ帰ってみると、そこには私の置いていった「現実」
は無くなっていた。


すでに私の現実はフィレンツェで始まっていることを、
日本に帰って初めて思い知らされた。


それは自分が望んでしていることであるのに、
何故だか一抹の寂しさを感じ、
帰るときにはものすごく後ろ髪を引かれる思いだった。


日本という竜宮城から現実の世界へ戻らなければ
ならない浦島太郎のような。


あっという間に日本での骨休み期間が終了し、気がつけば
フィレンツェ空港へ戻ってきていた。


あらっ?ここはもうイタリア…?
いや、夢かな?


まだ夢うつつの私を現実へ引き戻してくれたのは
空港から乗ったタクシーの運転手のおいちゃん。


「日本から旅行で来たのかい?あっ、こっちに住んでんの。
で、日本はどうだった?日本の食べ物はおいしいでしょ。
スシ、テンプーラ!うまいよね」


「そう、やっぱりスシはね、日本で食べなきゃ駄目だね。おいちゃん」


なんていう話をしていると


「お姉さん、名前は何ていうの?」
「何歳?彼氏はいるかい?」


おっと、出た!イタリアオヤジっ!
イタリアのオヤジはいつもこう。
挨拶と自己紹介とナンパはセットです。
氏名、年齢の後には「彼氏の有無」を質問されます。


でも、ここで「いません」などと言ってしまってはいけない!
厄介なことになります。


「彼氏?残念ながら私、彼氏いるんだわ、おいちゃん」


「オーノーっ!日本人の彼氏かい?じゃ、イタリア人の彼氏をもう一人
いらないかい?」


「おいちゃん、二人も彼氏はいらないでしょー!一人で充分だよ」


「そうかー残念だなー」


まったくイタリアのおやじってヤツは…。


でも、イタリアのオヤジがここにいるっていうことは、
ホントに、ここはイタリアなんだね…
ホントに、帰ってきちゃったんだね私…


がっかりしてタクシーを降り、家のドアを開けると


「おかえりー!! 今日帰ってくるから、ピザでも一緒に食べようと
思って待ってましたよー」


同居人が友達を呼んで待ってくれていました。


「アリガトウ」


久しぶりに食べたイタリアのピザは、おいしかった!


「もう、イタ飯は当分いらないって思ってたけど、美味しいね」


「でしょ!あそこのピザ屋はナポリ出身のおじさんが作ってるから
うまいんですよ。沢山食べて!」


うれしくてちょっと寂しい、複雑な気持ちで浦島太郎は
ピザをほおばったのでありました。


次の朝、留守中に自分宛に届いたという小包を
開けてみると、見覚えのある品々が。


「あれ?なにこれ?」


よくよく確認してみると、それらはパリでホテルの
従業員が食べてしまったと思っていたお土産たち。


半分はやはり食べられたようで全部ではなかったものの、
このホテルにも少しは誠意があったようで
残っていたものを送り返してくれたのでした。


何もないよりはマシだが、
なんだか、持って帰れなかった玉手箱を送り返され、
それと知らずに開けてしまい、
竜宮城でおばあさんに
なってしまったような気分になり、怒り再沸騰。



今頃遅いんじゃ、ボケッ!

No.57 申し訳けございませんといってくれ

ischia2006-10-18

ワクワクしながら飛行機を待つこと1時間。


私の乗る飛行機はエアーフランス、パリ行き576便。


だがフライト予定時間を過ぎても飛行機は到着せず、
次の時間のパリ行きが到着し、乗客を乗せて飛び立っていった。


どういうこと?!何で私のは来ないの?


乗客がざわめき始めたところで、係りの人が
「576便の人はゲートに付いているあのバスへ乗ってください!」
何の説明もなく、ともかくバスへ乗れという。


「ちょっと!どうなってんのよ!」
イタリア人の苛立ったおばちゃんがどなる。


「はーい、はい。今から説明しますから落ち着いて落ち着いて」


エアーフランスの係員がそれをへでもなくあしらって


「みなさん、お静かに!今から説明しますので。
皆さんが乗る予定でした576便は風の影響で当空港へ
着陸することができませんでした。
現在ボローニャ空港で待機しております。
今からこのバスでボローニャへ向かいボローニャ空港で
再手続きをし、搭乗して下さい。以上です」


さすがイタリアです。


「大変申し訳ございません」
という一言は絶対ありません。


どんなに乗客がブーブー言おうが
「しょうがないじゃない。私のせいじゃないし」
といわんばかりの態度。


何をもたもたしてんだか、
バスが出発したのはその1時間半後。
この手際の悪さもまたイタリア。


やっとボローニャ空港へ着いて搭乗し、
パリ・シャルルドゴール空港へ向けて出発。


こんなに遅くなったんじゃ、
パリからの成田行きには間に合わないな。


予想どおりパリへ着いたのは成田行きが出た後。
カウンターの人の説明によると、
全日空成田行きは1日に1便しか出ていないので、
パリに1泊して次の日の飛行機に乗るしかない。


ということでエアーフランスが飛行場内にある
ホテルを手配してくれ、
この日はそこに泊まることになった。


昼からフィレンツェ空港にいたのに
パリのホテルにチェックインした時にはもう夜の10時。
まったく、なんてこったい…。


でもここで、同じく成田行きへ乗る予定だった日本人のカヨコさんと
イタリア人カップルのディレッタとフランチェスコと知り合い、
心強い旅仲間3人と行動を共にすることになった。


次の日、
1日1便ということに付け加え、この夏休みの時期はだいたい満席。
早く行って座席を確保せねば!


朝早くから全日空カウンターへ4人で向かった。
ところが!1日1便なのでカウンターは搭乗時間の2時間前からし
開かないという。
搭乗時間は20時だからカウンターが開くのは18時。


「えっー!今から10時間後?!そんなんじゃ空いてる席も
埋まっちゃうかもしれないじゃん!」


また一歩、日本が遠のいた。
カヨコさんが
「私にまかせて!全日空に勤めている友達に聞いてみる」
「おおっ。神様仏様!」


カヨコさんの友達に手をまわしてもらって無事に
4人分の座席を確保。


ほっとしてホテルに戻りお昼を食べて、ロストバゲージになっているという
荷物の確認をしに行って、ホテルをチェックアウト。


が、部屋へ戻ると置いておいた荷物が全部なくなっていて
部屋がきれいに掃除されている。
「あれっ!お掃除のおばちゃん、チェックアウト済みと間違ったな」


ホテルのフロントへ
「すみません、チェックアウトしてないのに荷物が
片付けられていたのですが」
と言うと


「荷物はどんなものでした?」


「あのー、大きな黒い紙袋に沢山お菓子とかが入っているんですが」


「少々お待ちください」


係りの人が探しに行って15分後、


「ありませんでした」


「へっ?なかったって、そんなはずないんだけど。
おかしい。絶対あるはずだからもう一度探してください」


無事にチェックアウトを済ませた
カヨコさんとディレッタ、フランチェスコが心配して


「どうなった?」


「無いなんていうから、もう一回探してって頼んだの」


「今頃、お掃除のおばちゃん達が『いいもの見つけちゃった!』って
言って山分けしてるよ。もう食べられちゃってたりして。アハハハ」


そんな笑い話をして大爆笑していた。が、


今度はお掃除のおばちゃんが出てきて


「最初からこれしかなかったわよ」


とお菓子の箱を持ってきた。
そう、それ!お土産に買った私のお菓子!


えっ?でも箱空いてるし、中身ないじゃん!
しかもね、それだけじゃなくて他にもたくさんあるはず
なんだけど!どういうこと?


「本当にこれしかなかったのよ」


「そんなはずないです。この箱は空いてなかったし、


他にもたくさんあったはずです。それはこの人達も知ってますよ」
「そんなこと言われても、なかったんだから」


ホテルの従業員が食べちゃうなんて信じられん。
まったく開いた口がふさがらない。


しかも「ごめんなさい」の一言もなくて


「じゃ、お金を払います」ときた。


「あのね、この土産はただの観光土産とは違うの!
久しぶりに日本へ帰る私が色々な人に思いをこめて
買ったものなの!しかも『マンマに渡してよ』と
師匠マルコが持たせてくれたものもたくさん入ってたのに!
どうしてくれんのさ!」


フライト時間が迫ってしまい、仕方なくお金で払ってもらう
ことにし、だいたいのトータル金額を出して請求すると


「ノー!こんなに払えないわよ。10ユーロ以内じゃないと」


「なに〜人のものを勝手に食っときながら10ユーロしか払えん?!」


完全にブチ切れた私は猛烈抗議。


もはや言語はメチャメチャ。
日本語とイタリア語と英語でとにかく怒りを表現。
隣で一生懸命イタリア人のカップルとカヨコさんが係りの人に訳す。


「そんなに言うなら、レシート出してよ。そしたら払うわよ」


その横柄な態度がさらにむかついて、怒りも最高潮。


「この、アホんだら!レシートなんか持ってるわけないだろ!!
フランス人め、そんなんだからワールドカップ
イタリアに負けるんだ!(とは言ってないけど)」


押し問答のあげく、ついに時間切れ。


あとでレシートを送ってくれればその金額を払うと言うので
(まったく払う気はなさそうだったが)
ホテルの住所と電話番号と担当者名を控えて
泣く泣くこのホテルを後にした。



まったくついてないことばかりで本当に悲しいけど、
でもでもやっと日本へ帰れるんだ、それだけでいいじゃないか。


怒りと悲しさを抑えるのにそう自分にいいきかせながら
全日空カウンターに着くと、


担当のフランス人の感じの良いおじ様が


「昨日イタリアからいらしたお客様ですね。お待ちしておりました。
話は聞いていますよ、席もちゃんとありますからね」


流暢な日本語で、きちんとした対応。
さすがっ!ブラボー全日空!ブラボー日本の会社!


やっと乗れた飛行機の中では、
あれでもない、これでもないと悩みながら買った
お土産の3分の2を失ったショックで悲しくて
眠れなかった。


パリのホテルでもほとんど眠れなかったのに
ここでも眠れず、日本へ着いたときには顔に真っ黒なクマが。



成田では案の定、荷物がロストバゲージ


でもここでは
「大変申し訳ございません。追跡いたしまして、ご自宅まで
お届けいたしますので」


「ご丁寧にありがとうございます」


そう言ってしまったほど、日本の係りの人は丁寧な対応でした。
日本ではこれが普通なんだよな。
イタリア人やフランス人に教えてやって欲しい。


もしこれがイタリア人だったら私は心配で


「すいません、いつ届きます?もし届かなかったら
どこに問い合わせたらいいんですか?紛失した場合は…」


などの質問をしていたことでしょう。



日本到着1日目のディナーは寿司。


2日間寝ていないフラフラの状態で行った寿司屋「銚子丸」。


ボーっとした頭だったが、久しぶりの寿司は
涙が出るほど美味かった。
やっぱり米が違う!魚がうまい!


日本サイコー!!

No.56 ディスクの容量を減らしてください

ischia2006-10-14

8月のある日、日本へ里帰りしました。


何故かといえば容量オーバーのため何をしても動かない
パソコンのようになってしまったから。


7月でジュエリー学校を卒業しホッとしたのもつかの間、
次のステップへ向けてやることは盛りだくさん
職探しに自分の作品づくり、内職もあるしマルコの工房へも
行かねば。


しかし何をしても疲れるばかりで、
考えも堂々巡り頭がまったくまわらず、やる気がでない。


しかも、ただでさえしゃべれないイタリア語が
どもるばかりでさらに出てこない。


この1年7ヶ月、馬人参状態で突き進んできたのに
それが動かない。。。


今までそりゃ嫌な事もたくさんあったけど、
それが帳消しになるくらい良いこともあって
充実した日を過ごしてきたから、
ストレスが溜まったとも思えない。


でも何故か心身共に疲れきっている。
このままではおかしくなる。
どうしたものか…。


友達に相談すると、
「みんなだいたい1年半くらいで疲れがドッと
溜まっちゃうみたいで一時帰国するんだよね。
なんだかんだいってこの国で生活することは
大変なんだよ」


「いくら言葉もわかるようになったっていったて、
やっぱり日々の言葉の緊張感は消えない」


「しかもイタリアって国は一筋縄ではいかない不便な国だし。
一回命の洗濯に帰るのはいいことだと思うよ」


何かをやりかけたまま日本へ帰るというのは
本望ではなかったけど、一晩考え、次の日には
日本行きの航空券を買っていました。


いざ帰るとなったら元気が沸いてきた。
興奮して眠れない。


お土産はどうしよう。
帰る前にやり残したことを片付けよう。


日本へ帰ったときに済ませなければならない
用事をリストアップしよう。
などなど。


出発の日、フィレンツェ空港へ向かうタクシーの中では
たくさんの友達から


「いってらっしゃい!」


「いっぱい寿司を食べてこいよ!!」


などのメッセージが携帯に。


1年7ヶ月前にここに来たときには知る人なんて
誰一人いなかった。
でも今は「いってらっしゃい」
と家族のように送り出してくれる友人たちがいる。


この人達がいたから私は今までやってこれたんだなと
改めて感謝。


空港のカウンターで手続きをすませて搭乗ゲートへ。
「お〜あたしゃホントに日本へ帰るんだねえ…」


ここから長く最悪な日本への旅が始まるとは夢にも思わず
ワクワクしながら飛行機を待っていたのだった…


つづく

No.55 地下おじさん3


とうとう私は地下おじさんと仲良くなりました!


8月のある日、買い物帰り、チャリのハンドルに買い物袋を
たくさん下げていたので、チャリを押しながら地下道を
歩いていました。


いつものポイントに地下おじさんがいたので「チャオ」軽く
挨拶をすると、おじさん、めづらしく近寄って来て


「チャオ!! 君はどこの人だい?日本?日本人か。名前は?」


「アイです」


「アイ?アイってアイアイアイのアイかい?」
(イタリア語で「痛たたた」)

と聞く地下おじさん。


「ずいぶんシンプルな名前なんだねえ」


「イタリアの人はみんなそう言うけどね、日本語でアイは
『ィタタタタ』じゃなくて『アモーレ』の意味ですよ」


「オッー!なんと、アモーレ!アモーレかい?いい名前だね
アイ、アモーレ。アイ、アモーレ…」


さすが地下おじさんもイタリア人。アモーレという言葉には
目の輝きが違います。


「ところでねアイ、アモーレ。僕はサルバトーレって言うんだよ。
シチリア出身なんだけどね。」


おじさん、バカンスで町の人が出払っていて地下道を
通る人が少なくてつまらなかったのか、私をつかまえて
ハイテンションでしゃべり出した。


でも、おじさん歯がないのでフガフガしていて、今ひとつ
何を言っているのかよくわからない。


よくよく耳をすまして聞いたら、どうやらオチのつく
小話をしているよう。


例えばこんなかんじ
「『隣の家に塀ができたんだって。へー』
'塀'と'へー'だよ、わかるかいアイ?笑っちゃうだろ!」


こんな感じのだじゃれみたいなのを言って
ケッケッと楽しそうに笑う。


なんだかよく内容はわからなかったけど、オチがついたところで
「あ〜。塀とへーね、おかしいね!」
一緒に笑っておきました。


ひとしきり小話が終わると


「チャオ、アイ」


普通の握手ではなく、腕相撲スタイルの組み方で固く握手をかわして
別れる。


おじさん、なかなかカッコいい。


私が去った後、また次の通行人をつかまえて


「ちょっと、日本語でアイってどういう意味か知ってるか?
しらないでしょ。アモーレだよ!アモーレ!マンマミーア!」


最近はこんな感じで、会うたび小話を聞かせてくれ、
別れた後は地下中に響き渡る声で「アモーレ」を宣伝して
くれる、地下おじさんなのでした。