そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

O・ヘンリー「緑の扉」翻訳後記(ワーキングガール編)

本記事は、6月5日投稿記事の続きです。

■まえおき(2回め)

O・ヘンリー(オー・ヘンリー)の短編"The Green Door"(緑の扉/緑のドア)を翻訳した。
調子に乗ってマッシュアッ(以下略)

……

その翻訳過程で、既存の翻訳の解説や訳注でほとんど言及されていない、とある事柄に気づいた。

いち読者として読んでいたときも、なにか引っかかりつつそのままにしていたのだが、気づけば情報技術が発達し、家にいながらにして指先ひとつで疑問を解消することができたのである。

もちろん同様のことを考える人もいたとは思うが、少なくとも今のところインターネット上では同様の投稿を見かけないため、翻訳後記として備忘のために記すとともに参考情報として供すことで作品鑑賞の一助としたい。こういうのをこたつ記事と言います。

……ということで前回は、作中で言葉遊び的に登場する「ザ・パリセーズ(the Palisades)」について勇み足気味に考察した。ただこれは本編の展開には何の影響も及ぼさない末節であった。

今回はO・ヘンリーの作劇の意図と、作品発表時の社会状況をあわせて考慮し、解題(というと大げさだが)してゆく。例によって物語のネタバレを書くことになるので、当該作品は読了しておいていただきたい。



拙訳:緑の扉(逐語訳した文章に若干手を入れてある)
islecape.exblog.jp



※ここからが本編。忙しい人は赤字強調してる部分だけ見よう。

■ミス・リビイって誰だよ

「緑の扉」の作中、なんの説明もなく「ミス・リビイ作の『ジュニイの恋の試練』」という書名が登場する。

かつて彼は、ある雑誌の編集者に、ミス・リビイ作の『ジュニイの恋の試練』ほど自分の人生に大きな影響をあたえた書物はない、と書き送ったことがある。

――大久保康雄訳『O・ヘンリ短編集(一)』53頁*1

しかし、ルドルフにとっては、この身の上話は、『イリアッド』か、あるいは『ジュニイの恋の試練』の危機一髪の場面と同じくらい重大なことに思えた。

――前掲大久保訳59頁

2回も出てくる。なんだこれは。

「ミス・リビイ」ことローラ・ジーン・リビー Laura Jean Libbey(1862~1924)は実在した作家だ。19世紀中頃から20世紀初頭にかけて急増した低賃金の女子労働者(ワーキングガール)を読者とする廉価な小説「ワーキングガール・ノヴェル」*2を量産し、映画もテレビもマンガもない時代ということでばんばん売りまくったという。82冊をざっと1500万部くらい*3。ちなみにデビューは17歳で、大半の作品を34歳までに書いたそうだ。

リビーの小説の内容は、おおむね「慎ましく清らかに生きるワーキングガール*4が、裕福な男性に見初められ、数々の試練を経て幸せな結婚をする」といった筋立て。このような展開の小説を指す「リビーもの(Libbey's)」という言葉もあったらしく*5、彼女はまさに第一人者と言える*6。『ジュニイの恋の試練』もそんな作品の一つだ。つまり、「ミス・リビイ」は20世紀初頭のリアタイ読者にとってある種の“一般常識”だったといったところか*7

(ところでなぜ「ワーキングウーマン」ではなく「ワーキングガール」なのか。当時の社会にとって「ウーマン(女性)」といえば、それは誰かの妻となり母となる人のことであった。さらに言えば「賃金労働をする母親」などという概念もほとんどなかった*8。「母親」とは「家庭で夫の代わりに家庭を維持し、子供を育てる存在」であることが自明だった。したがって、家を出て賃金のために働く彼女たちは「ウーマン」になる前の、あくまでも「ガール」ということなのだろう*9 *10

O・ヘンリーの物語に戻ろう。主人公ルドルフの「緑の扉」探索は、失業し飢えに苦しむワーキングガールの発見に至る*11。つまりことさらの「ミス・リビイ」への言及は、“ボーイ・ミーツ・ガール”の体で話を進めつつ、「ワーキングガールが男性に見初められる」という“ワーキングガール・ノヴェル”の構造を読者に想起させんとする仕込みと見るのが妥当だろう(娘の部屋は貧しさを感じさせつつきちんとしている的な描写がある)。



■何でスルーしたの? ねえ、なんで?

O・ヘンリーが他の作品にもたびたび登場させている「ワーキングガール」は、アメリカの産業資本主義社会の発達が生み出した「働く女性」のさきがけである。過酷な労働と低賃金、そして女性であるがゆえの理不尽な待遇。そんな「ワーキングガール」が幸福を掴むという、リビーのご都合主義の物語が人気を博したのは、ある種の貧困ビジネスのようなものと思えなくもない。その荒唐無稽を批判する社会活動家もいたという*12。しかし平易な文体で書かれたリビー作品によって英語を習得し社会に同化した移民出身者の存在*13 *14や、アメリ自然主義文学作家セオドア・ドライサーへの影響*15といった周辺状況も含め、ただ一時のブームを巻き起こしただけの徒花としてではなく、その社会的意義をアメリカ文学史にとどめておくべきであると思う。

にもかかわらず、今まで「緑の扉」の邦訳は「ミス・リビーの『ジュニィの愛の試練』」を、なんの注釈も付さずそのまま読者に投げつけてきた(※2019年7月21日追記:岩波文庫大津栄一郎*16で、アメリカの女流作家であることと、その生没年を記しているのを確認した)。常盤新平訳『恋人たちのいる風景 O・ヘンリー ラブ・ストーリー*17』は、収録作「春のア・ラ・カルト」でチャールズ・リードの『修道院と炉辺(僧院と家庭)』に訳注を付けておきながら、「緑の扉」の「ミス・リビー」をスルーした。ワーキングガール・ノヴェルはハーレクイン・ロマンスのはしりとも言えるはずだが、ハーレクインで訳業を始めたという金原瑞人訳の岩波少年文庫O・ヘンリー作品集『最後のひと葉*18』さえ、そこに収録されている「緑の扉」の「ミス・リビー」について一言のことわりもなかったぞ、けしからん。大久保訳もいちいちあれこれ文中に注記しながらミス・リビーには知らん顔だ。「プレッツェル」に訳注つけてる*19場合か。ブッシュJr.が喉につまらせた時点*20で知っとるわ*21

……などと、居丈高に言うわけにもいくまい。リビーはほとんど忘れられた作家であり、手がかりが少なすぎたのだ(これも「女性が、女性ゆえに軽んじられてきた」ということであるかもしれない。履歴を確認したところ、英語版Wikipediaでさえ内容が充実してきたのは2018年からだった)。

書籍に目を向ければ、1987年の佐藤宏子『アメリカの家庭小説 十九世紀の女性作家たち』(研究社)あたりは、なんとなく手がかりになりそうな雰囲気だが、ピンポイントで手に取れる本でもないような気がする。尾崎俊介《ローラ・ジーン・リビーと「働く女の物語」》は2005年3月公開の紀要論文で、今でこそWebで容易にアクセスできるが、それを公開する愛知教育大学学術情報リポジトリの運用開始は2009年とある。また釈迦楽という匿名の人*22も2005年にブログ(正確にはブログ型のWebサイト)で詳細な記事を投稿しており、内容も十分なのだが投稿形式のせいか検索順位が高くない。おそらく2013年10月に出た山口ヨシ子『ダイムノヴェルのアメリカ』の第6章「ワーキングガールから遺産相続人へ」や、その姉妹書である2015年10月の同著者『ワーキングガールアメリカ』(リビーの肖像が表紙になっている)が世に出たことでGoogleクローラーも重い腰を上げ、ようやく機運が高まりはじめたといったところか。

■結論

そういうわけだから、今後「緑の扉」を翻訳するにあたっては、遺漏なく「ミス・リビーの『ジュニィの恋の試練』」についてしっかり注記すべきと主張しておきたい。ローラ・ジーン・リビーの小説は忘れ去られたが、後に続く大衆文芸の揺籃を窺うこともできるし、「ワーキングガール」の苦境は現代にあって完全に解消したとはいいがたい。当時のアメリカ社会の一断面から、現代を生きる我々に地続きの問題意識が引き出されることもある。書籍の注釈は、ときに読者の関心に応じて道標となるのである。




参考文献:

山口ヨシ子『ワーキングガールアメリカ』彩流社 2015)
http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-7042-3.html

山口ヨシ子 《『ワーキングガールアメリカ』その後》(おそらく2016)
http://www.sairyusha.co.jp/honnohitokoto/38-yamaguchi-yoshiko.html

尾崎俊介 《ローラ・ジーン・リビーと「働く女の物語」》(2005)
https://aue.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2996&item_no=1&page_id=13&block_id=21

釈迦楽 《ロマンス小説史(第30回) 世紀末のロマンス女王 (2)》(2005)
https://plaza.rakuten.co.jp/professor306/diary/200510130000/

American Women's Dime Novel Project.(英語)
http://chnm.gmu.edu/dimenovels/the-authors/laura-jean-libbey

斉藤昇『「最後の一葉」はこうして生まれた―O.ヘンリーの知られざる生涯』(角川学芸ブックス 2005)
https://www.kadokawa.co.jp/product/200505000036/


※みじんも関係ありません*23


*1:新潮文庫、昭和六十二年 四十刷改版

*2:本稿で言及する研究者は「ワーキングガール・ナラティブ」working girl narrative(「ナラティブ」とは、"物語―ストーリー"そのものというより、「物語自体を解釈し、物語る枠組みそのもの」みたいな感じか)と呼称している(尾崎俊介《ローラ・ジーン・リビーと「働く女の物語」》PDFリンク 8頁 ※外国語研究[38] 64頁)

*3:American Women's Dime Novel Project. http://chnm.gmu.edu/dimenovels/the-authors/laura-jean-libbey

*4:working girlという語は20世紀以降「売春婦」の意味を含むようになるが、ここで話題にする「貧しい女子労働者」の出現と無関係ではないと思われる。

*5:尾崎 前掲PDF8頁(外国語研究[38] 64頁)

*6:ただ、当時知らぬものはなかったリビーの作品は、しだいに飽きられ、時代遅れとなり、存命のうちに忘れられた作家として顧みられることもなくなったという。cf. 釈迦楽《ロマンス小説史(第30回) 世紀末のロマンス女王 (2)》 https://plaza.rakuten.co.jp/professor306/diary/200510130000/

*7:「パリセーズ」は「決闘の名産地」というのが当時の人たちの感覚だったのではないかというのが前回記事の趣旨だったように

*8:※もちろん例外はあって、例えば寡婦であるとか、ろくでなしの夫に代わってお金を稼がざるを得ない母親みたいなのはいただろう。

*9:時代が下ると主客が逆転し、妻や母となるような女性は労働力として敬遠されるため、仕事を続けるために結婚・出産しない/させないという現象もあったという。あ、今もか。

*10:上述に関しては山口ヨシ子『ワーキングガールアメリカ』(2015)のまえがきに詳しい。ただし本稿での記述は僕なりの考えである。

*11:仕事がないのだから正確にはワーキングガールではなくノンワーキングガールであるけれども、それはさておき。

*12:山口『ワーキングガールアメリカ』第四章

*13:山口『ワーキングガールアメリカ』第五章

*14:もちろんリビーの作品が労働者の連帯や労働運動を啓蒙するようなことはもちろんないわけだが。

*15:山口『ワーキングガールアメリカ』第六章

*16:オー・ヘンリー傑作選』1979年初版53ページ

*17:洋泉社、2009年

*18:岩波書店、2001年

*19:新潮文庫『短編集(一)』78頁「運命の衝撃」

*20:2002年 cf. https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0901/feature02/_03.shtml

*21:ちなみに新潮文庫新訳の小川高義『O・ヘンリー傑作選』(平成二十六年十二月一日初版)は、なにに対しても特に注記を入れていない

*22:他の記事を読むとこの人も大学の先生らしく、前述の尾崎を「友人O」などと書いている(そらとぼけ)。

*23:ただし山口『ワーキングガールアメリカ』で言及されてはいる。