3・11のころ


3・11のころ(特にその後の1ヶ月くらいの間)、
自分が何を考えていたのか、twitter から facebook に同送/転送してDB化したつもりのメッセージを振り返ってみた。

最初は、つぶやきのデータベースとしての facebook の有用性に期待したが、タイムラインに埋もれるのはコンカレントな性格のソーシャルメディアに共通の宿命。

そこで、現状で facebook に残っているメッセージを拾い上げて一括りのブログページとして残しておくことにした。

(注:twitterからfacebookへの同送/転送はすべてではない。4/14以降からは facebook起点の記事も包含)



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3月13日
(停電中の茨城で黒電話が活躍したとの知人の話に目から鱗。以下、ウィキペディアから抜粋)
黒電話は、電話線から供給される電力を利用しているため、外部電源が不要、停電が起きても電話線と電話局さえ無事なら通話が出来る。・・・現在も大規模災害時の臨時無料公衆電話として設置・・・


3月13日
@ucchan 震災復興時の長期的オプションとして。「もの」を使う人々と密着した「ものづくり」がきっと求められるのでは。生産者からも消費者からもプロシューマが生まれてくるとしたら、今の宇都宮さんたちの活動や、そのための技術や考え方の整理が僕らの出来る産業支援かも。


3月14日
@kopernik_jp お取り扱いの、太陽電池と照明がジョイントした夜間照明スタンド。あれを支援品として、たくさん作ってくれる工場(こうば)はないだろうか、と思いました。


3月14日
@kayano55 歴史の単なる繰り返しばかりでなく、ロジェ・シューの言うような第4次産業(供給→需要、労働→専門能力、商品生産→相互交換型サービス生産)の動きが、今起こっているような心の底からの行動の中で芽生えるといいですね。有限の地球環境を脱近代として活き抜く新・日本モデル


3月20日
村上龍、さすがだ。渾身の連作「5分後の世界」と「ヒュウガ・ウイルス」のメッセージが蘇る。
RT @kawabou: 「全てを失った日本が得たものは、希望だ」村上龍NYタイムズに..
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2581/


3月20日
心から応援します。本当に必要とする方々に届くことを祈るばかり。
RT @Sayaka65: 被災地にソーラーランタンをお送りするのにあたって、....調査の印象として、...救援物資リストはあっても、具体的な送付先=必要としている地域がわからない


3月21日
妻が茨城の友人宅に見舞第一号で送った荷物が本日届いた由。最悪5日と言われたが結果は最速。お礼の電話に当方も元気をもらった。このスピード感は被災地優先の配慮かなと宅配業者のプロ意識に敬意し感謝した。これなら二人で日曜に送った第2弾の数便は明日にも届くか。プロの仕事の手際に脱帽


3月22日
オンサイト発電としての自立と、蓄電デバイスとのパッケージングに期待したい。
RT @ryutsu_now: 太陽光発電協会、停電時の設備起動方法を広報 - 日本経済新聞
http://www.ryutsu-now.com/maker/he-maker/50248.html


3月23日
勇気と行動力に敬意‼
RT @Hayashida_TAO: 結論としては4つ。超短期的支援措置として、3月28日より、林田&浅野(他にメンバー募集中)が現地に入り、支援活動を行います...それに先立ち、義援金の募集もして...


3月24日
ベースの知識としてとても参考になりました。蓄電インフラをたちあげないと、自然エネルギーで今の原子力を代替できない。
RT @hitoshi11: 東京電力計画停電を考える 
http://ameblo.jp/kazue-fujiwara/entry-10835236187.html


3月24日
v good ideaと思います。それを企業がキチンと見守る。
RT @kanetaka_jp: ...ポイントは、夏の電力消費量だから、大学は、6月末で学期を終わらせて、7月から9月までの3ヶ月間、世界中の大学に短期留学か、海外インターン制度を作るのが良い。 #setsuden


3月27日
自立という意味では本来デフォルトで蓄電ユニットとセットであるべき。特に今回の震災で強く認識。集中分配vs自立連携
RT @EcologyOnline: 被災地で太陽光発電が自立発電してがんばっています。ただし活用には注意が必要!
http://www.asahi.com/national/update/0322/TKY201103220099.html


3月29日
日本でもやりますよ。九州大学の仲間と。恩師は皆共通。松尾拓先生門下。
RT @neo_morohashi: 家庭用発電所が実現? 太陽光で水素を発生する「人工葉」
http://bit.ly/gyBg2j


3月29日
とするとパイや新しい果実ではなく、分配の方に目を向けて、分配とは異なる交換様式は?物々交換になっちゃうのかな?
RT @shoutengai: ただ拡大期の合意形成は比較的にやりやすい。新しい果実の分配を決めるから。縮小期には、今あるパイの分配をやり直すことになるから難しい..

プロシューマーとなって、今ある果実をブリコラージュしてwantsに限りなく近い「ものづくり」をすると、供給発でなく需要発の仕組みが動き出す。それは原始の互酬に近いけれど勃興するソーシャルな世界が市場を徐々に代替すれば...
RT @shoutengai: え、なぜ?


3月29日
ODA積み重ねの成果かも。冷戦の政局化から経済発展への礎にとの評価も。
RT @shoutengai: ODAでつくったのかな RT @yo_cappa: ..浪費し始めるような日本ではない...RT @tetsuo_kato: タイ、すげ−!「タイの発電所、日本に丸ごと貸出


4月3日
「生産消費」の一つの特徴は、生産者の自立、消費者の自立。人が消費の面でも生産の面でも「依存」から抜け出ていく事。一つには「マーケット」から。では「マーケット」の替わりは?多分これから作っていくのだろうけれど、心は、今、遠隔から災地支援している人たち、自主節電している人たちに近い?


4月3日
屋上ソーラーが蓄電装置とセット(投資は倍に)だったら、停電時でも自家の夜間電源は確保できる。このシステムが一般家庭や学校や会社等に一定以上普及してグリッドされれば、今は「集中発電-分配」型の原子力が担っている電力供給のベースロードのレベルを軽減できるのでは?さすれば、より自立的な電力システムへ!


4月8日
@hitoshi11 いいアイデアですよね。この仕組みは今のマーケットとは違う発想で製品を人々に届けることができる。コストパフォーマンスにしばられず。企業だって心ある開発チームのものづくりの活路になる。マーケットを補完する意味で発展してくれると国の未来が、少し明るくなるのでは?


4月9日
「口を開けて待つ消費」の顕著な現れが集中発電配分の電力供給の構図。ベ―スロードを原子力、火力水力は平準化・調整用。自然エネルギーは名の通り自然条件依存ゆえ枠外。これは集中配分方式に於いて。
自然エネルギーを「蓄電込み自立+グリッド連携」とするならベ―スロードの選択肢に!


4月9日
間々田孝夫の「創る自然」の発想を復興のニューディールの一つのアイデアに・・・と考えてブログに書きました。ご興味があればどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/itomarron/20110409/1302303390


4月14日
(途上国、被災地、地方、そして、コンパクトシティ
kei_sakurai> 蓄電池付きは、送電網の弱い途上国市場の方が期待されているかと。現状でも4-10年程度使うとディーゼル発電より風力+PV+蓄電の方が安くなったりします。
http://www.ruralelec.org/fileadmin/DATA/Documents/06_Publications/Position_papers/ARE_Mini-grids.pdf

KB31TKS> 分かりました。良い資料を頂きました。通信ネットワークや電力グリッドの整った先進国でも、各戸の消費電力のベースロードの何割かを昼夜を問わずオンサイト化しておくと、広域で供給・流通される電力総量が抑えられて、その上でグリッドの発想を成熟させるという方向も個人や地域の「自立」が意識化されて、面白いかなと思いました。


4月14日
復興のトータルビジョン: 創る[町+社会+自然]
↓これはすごい。関西大学の河田先生のプラン
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110403t73039.htm
今朝、NHKのニュースで紹介されました。
まさに復興のニューディールです。
(よかったら拙文もまた一緒に見てください↓)
http://d.hatena.ne.jp/itomarron/20110409/1302303390


4月15日
(被災地の方々の心のケア)
上田壮一さんのコメントに注視して、写真をみて、壮一さんに共感した。
それから、僕のRTにある通り、「復興したとき、周囲が全く新しい風景に変わってしまったら、人々の心の故郷のよすがはどうなるのだろう」と思った。
そうしたら、滋賀県立大学の「上田洋平」先生の「心象図法」を思い出した。
たぶん、近い将来、必ず上田洋平先生の力が必要になると確信した。
        ↓↓↓
http://hikonekeik.exblog.jp/10415386/

@KB31TKS
本当だ。震災前と同じ目線なんですね。風景のこちら側に私がいる。復興して新しい風景になった時どうするんだろう。上田洋平先生の心象図法!
↑RT
@saulueda 上田壮一
被災者が見た被災地の写真。視点がまるで違う。大事な、温かな時間が写ってる。 
http://www.rolls7.com/


4月16日
すごいぞヤマト、物流こそ「ライフライン」だ!

ヤマトは東北の125店舗をわずか10日で復旧。3/23には宅配を再開。瓦礫の中から営業所の看板を掘りだし、非番の社員がGSに並んで不足のガソリンを調達するなど、地道な努力を積み重ねた結果だ。

避難所間の物資供給に格差が出始めた時、現地のヤマト社員が自発的に立ち上がった。彼らは担当エリアの隅々まで知っていたから。他の宅配会社とも協力したケースもあったという。さらに・・

自衛隊50人とヤマトの協力隊50人が協力した。自衛隊気仙沼の青果市場に大量の物資を運び込む。そこから約90か所の避難所に物資を送り届けるのはヤマト協力隊の50人だ。きめ細かい配送こそヤマトの得意とするところだからだ。このとき1万人以上の避難者に物資が行き渡ったという。プロフェッショナルたちの心意気に脱帽。

日経ビジネス4/11号より)


4月29日
@magic_ink 暫くぶりでtwitterを見てビックリ。でも確定していた未来のように感じられるのは貴殿のお人柄ゆえでしょう。
同様に現地に支援に行った友人から聞いたのは、戦後の日本は若かったけれど、今の被災地にはご老人と子供が残されている感じだったとの由。希望のタネを!どんな形でも。御活躍と御無事を祈ります。


6月19日
2002年頃の神野直彦先生の言葉。ー 知識社会では生活機能が生産機能の磁場となる ー。これは鋭く深い分析的な文脈だけれど、よく読めば、豊かで快適な地方都市で暮らす知識人に自覚を促すメッセージでもあることがわかる。恵まれた環境を未来のために更に磨け。福岡のような土地で暮らせる幸福と責任。今のような時だからこそ。


7月2日
少し真面目に書きました。
http://d.hatena.ne.jp/itomarron/20110703/1309669405
  〜ふたつの夏とふたつの冬〜 


[from timelines of tw & fb as DB]

自我の昇華

海の日三連休の中日に伴侶さんと久留米の石橋美術館に行って高橋野十郎の里帰り展を見てきました。


作品のクオリティの高さが静かな独創性に支えられていて見事な世界でした。

本名が高嶋弥寿(やじゅ)で、嶋を島に弥寿を野十郎(やじゅうろう)にあらためた旅の画家。展覧会のちらしの裏の解説は彼のことを以下のように紹介してくれている:・・・孤独と旅を愛した野十郎は、一般に孤高の画家のイメージが強いのですが、実は、その生涯は彼の絵と人柄を愛した人々に支えられたものであったことが明らかになってきました・・・云々。

晩年ふるさとに帰りたいと親しい人々に語っていた彼の願いは没後13年に故郷で開かれた絵画展でかなえられ、それから23年たった今、彼の絵を久留米で見たいという声に応えて、この「里帰り展」が開催されたとの由。


後期の柔らかな光の中の景色や静物は強い共感の引力で見るものをひきつける。勝手な言い方をすれば、彼の絵を見る僕たちは、見ることによって描いた人に限りなく近づいていく。たぶん、野十郎のまなざしの力が彼の絵に強く残っているためだろう。

月光もロウソクの炎も彼のまなざしの化身。けれども彼の本体はむしろ夜空や闇のなかに鎮まっている印象を受ける。光への憧れを秘めている闇は、かすかに光を吸って深い緑や赤褐色に可視化される。もしかしたらこれらの月光やロウソクは老年の彼の自画像だったのかもしれない・・・昇華された自画像。


展覧会から帰宅してフェースブックに短い感想を書いて、それを読んでくれた藤田さんという人とのやりとりのうちに気づいたのがの小文の標記タイトル。

本来なら「自画像の昇華」というのが素直なのだけれど、彼の写真や若いころの自画像から迸る厳しいまなざしと強烈な個性からは、ジガ(自我)という孤独な心を連想せずにはおれない。しかも、彼自身それをどうして鎮めればいいかと戸惑いを抑えながら向き合っているように感じられる。

西行白洲次郎らが醸す雰囲気に近いかもしれない。もしかしたら彼の描く月の光は西行の歌のひびきに似ているのではないだろうか、そんな予感はする。確かめるのは涼しくなってからにしようかな、忘れずにいれば・・・


ref.[fb・2011/07/17]

共時する遠朋

ユングシンクロニシティ共時性)を勉強しなくっちゃと思い定めて、アマゾンで一冊買って、冒頭部分や河合隼雄先生の解説文をながめていたら、易経の話(神託や予言の作用原理としての共時性)がでてきて、ああ因果律支配下にない共時性ならさもあらんと思う反面これじゃ自分が科学的だと思い込んでいる人たちからはきつーく批判され続けただろうなと要らぬ同情をつつ、強面の内に潤った魂を持っていた(ような印象の)孔子さんが(四書五経のつながりからだろうけど)思い出され、その流れの中で遠方の朋(とも)が訪ねてくれたことの喜びを詠じた彼の気持ちを思い浮かべるに至った(記憶を遡るのは大変だけれど、だいたいこんな風な意識の流れだったと思う)。これ(論語学而第一)ってもしかしたら、遠く離れていた古くからの友人に久しぶりに会えたというのではなくて、意見が合うなんて全く思っていなかった人と或る瞬間突然同時に一つの真理についてその最深部まで意味を共有できた!というような状況を驚きをもって讃えているのでは?だから「自分にとって考えのかけ離れた遠い人だとおもっていたのに実はそうでなくて友だった」てこともあるのかな?・・・で、それが共時性となんの関係があるかと問われても、意識の流れの行きがかり上思い浮かんだことなので、なんとも言いがたし・・・・



[ original contents ]

ロジックの中の感性


ブラームス室内楽を聴いてて、思った。


今時の演奏は演奏者や指揮者の力量に負うところは多い。タイミングの的確さといい、テンポの絶妙さといい。とはいえ、それらを生み出した大元の多くは、3Bやハイドンなどドイツ語圏のロジカルな精神たち。ロジックの中の感性、あるいは、感性の中のロジック。


そんな不思議さを思っていたら、紀元前6世紀(ブッダソクラテスの同時代人)の隣国の聖人、孔子さん(孔丘)のことが頭に浮かんだ。彼は倫理の人だけけれど、古代シナの音楽と詩を集大成した感性の人でもある。


強面の男たち。彼らのハートを震わせ、潤わせたのは、やはり女性(夢のような面影だけのことも含んで)の力があったのでは?ブラのクララやべトのテレーゼ、とすると、丘さまはどんなひとを想っていたのだろう?


ref.[fb・2011/07/06]

雲が行くまで待とう


ハイドン晩年の弦楽四重奏。昨夜の「名曲の楽しみ」で聴く。水戸にいたころ、古楽器奏者ではともにトップクラスの寺神戸亮(vn)と鈴木秀美(vc)のいるミト・デラルコの演奏で聴いて以来。

「名曲の楽しみ」は、いま「ハイドン特集」の大詰めで、最近は声楽ばかりだったので、昨夜のアルバンベルグの弦楽の響きはとても新鮮。

吉田秀和さんの解説は、いつも通りの豊富な知識と深い聴き込みに加え、巨匠ハイドンが気鋭ベートーヴェンの独創性を精妙に自分の音楽のバリエーションに取り込んでいる部分を具体的に指摘するなど、益々着眼自在。

その語り口もアルバンベルグの演奏も素晴らしかった。再放送は水曜日。来週はハイドン最後の弦楽四重奏ピアノ三重奏。両方ともとても楽しみ。


[ original contents ]

ふたつの夏とふたつの冬


今度の震災から2ヶ月たったころ、都内の年長の友人が、われわれ日本人がこれからどんな国を望むかは二度の夏と二度の冬をすごしてからでないと分からないよ、と静かに話してくれたことがある。

そして、今や僕たちは、一つ目の夏の経験に踏み込んだ。


「政治家が・・・、電力会社が・・・」ではなくて、日本に住むわれわれ一人ひとりがどうしたいかが問われる。自分の国が沈むのは悔しい、意地でも幸せになってやる、自分の子供たちの未来だけは確保する・・・・いろんな思いがあるはず。

この夏が過ぎれば直ぐに冬がきて、二つ目の夏冬だって、あっという間だ。その間に、僕たちは(少なくとも僕は)どれだけ感受性を高めて、どこまで決断できるだろう。


阪神淡路大震災のあと、皇后さまが被災地に皇居の水仙の花もって見舞いに行かれた。16年後、慰問で仙台の宮城野区を訪ねられた皇后さまが(今度は)津波に流された自宅跡で摘んだという一束の水仙を現地の女性から手渡され「本当に頂いていいのですか」と大切に受け取って、帰りの自衛隊機の中でその小さな花束を握り締めておられたという逸話を岩波の「図書」の今月号で読みました。

16年の年月と列島の東西を隔てる距離と一度も逢ったことのないだろう両被災地の人々との(僕らの感受性では到底及びようもない時空を隔てた)このような交感が、静かな確かさで起こりうるこの国には、一輪の花、遠く霞む山影、それだけで多くを想い深く省察することのできた人々がたくさんいたのです。


自分の人生は、周囲あるいは誰かほかの人に影響され依存することはあるにしても、それらを含めて受け止めて死んでいくのは自分以外にはないわけです。受け止める力が感受性、それらを咀嚼し覚悟するのが心であり頭でしょう。

今、震災後の初めての夏にいる僕自身は、長い間眠っていた自分の感受性を古代の日本人のように清々しく蘇らせて更にこの年の冬と次の夏冬を過ごす間に、何らかの覚悟(分かっていることは組織に依存せずに生きて行くこと)をしなければならないだろうと思います。



[ original contents ]

小山実稚恵のステキな魔法


12年間24回リサイタルシリーズ2006-2017の11回目が福岡で開かれました。
小山さんは、音楽の深層への果てしない旅を、一人のピアニストとして、決然と敢行するために、このプロジェクトを構想したのだろうか。12年間24回というのは、並大抵の決意でできるものではないと思う。


ステージにたった小山さんは本当に美しかった。その美しさの正体がつかめないままに演奏が始まった。

ドビュッシードビュッシーショパン(人間ショパン登場!舞台はドビュッシーのきらめく自然)、

ドビュッシーショパンドビュッシーショパンショパン(素晴らしい!このあたりでホールの反響を完全に把握した演奏に突入。プロフェッショナルの仕事は美しい)、

ドビュッシードビュッシー(時間が消える。かわってピアノの音の粒が自在の時を作り出す。まぎれもないフランスの薫り。ドビュッシーのいないフランスはもはや考えられないくらい。あっ、そうか。小山さんの美しさは、どこかで日本の美を支えているから、際立っているのかも)、

ショパン(作品10-12「革命」だ。山場でも敢えて畳み掛けない。ぺダリングは決して急ではないがキッチリと効く。抑制された情熱は後半に燃え上がる。暴走とは全く違う迫力。凄い!)、ショパン(なんとラストが作品10-1。スケールの大きさは「革命」さえ圧倒している。見事な構成。脱帽!)。


休憩をはさんで、後半は、ドビュッシー前奏曲集の第一と第二の全24曲から、12曲。


「霧」(2-1)から始まって、「亜麻色の髪の乙女」(1-8)でフィニッシュ。ここで、小山さん自身の「霧」の解説を引用してみましょう(当日のプログラムより):


  霧とは何でしょう。目の前のものが霞み、見えるものと
  見えないものの判別がつかなくなってしまう。
  手の届くところに世界は存在しているのだけれど、
  その世界は霧がかかって全様が見えない。
  霧の世界は謎に満ちていて、その存在自体が正体不明。
  はっきりしない調性感。手さぐりで進む世界。


この言葉そのままの演奏でした。感性と知性と技術が一体になって、ここから、ドビュッシーの多彩な世界が生み出されていくのでしょう。


ラストの亜麻色の髪の曲は、あこがれとも、幸せに溢れた想い出とも。夢見たり、頸をかしげたり、時や光が、まるで小山さんの指先から飛び出してくるみたい。
今度は、ドビュッシー自身の綴ったエッセイから、彼の考えを引用してみよう:


  大気のゆらめき、樹々の葉のそよぎ、そして花の香り。
  音楽は、これらのすべての要素を、
  自然な融和のなかで結び合わせることができる。
  だから、大衆のこころのなかの調和にむかう
  あこがれを伸ばすように、
  音楽を生かすことが、かんじんだ。
         (音楽論集「野外の音楽」より)


ドビュッシーは、「調和に向かう憧れ」を人の心の中で伸ばすことが、音楽の役割だと言っている。これが、音で自然の素晴らしさを再構成する彼のモティベーションだったのだ。「自然な融和のなかで結び合わせる力」は、たぶん、人間にも及ぶのだろう。

だから、何曲かのドビュッシーの後にショパンを聴いたとき、まるで自然の中で人が躍動しているイメージが喚起されたのかもしれない。自然と人物の二つの絵を並べて、同じことが起こるだろうか。

音楽だと、それが起こることを、今回体験できた。小山さんのステキな魔法のおかげで。



Rev.[web・2011/05/28・KB31TKS]