友だちのバンドの話
高校の時の友だちがやっているバンドがCDを出しました。(ドラム)
畑、というバンドです。
音楽のことはよくわかりませんが、贔屓目なしにとてもカッコいいと思います。
土曜の朝 って感じです。(最大級の褒め言葉)
前にデモCDを貰って、それで聴いていたのがこのミニアルバムにも収録されてる「hometown」という曲だったのですが、それから何年か経って録音環境も違うと全然変わってくるもんですね。すごい。
彼(ら)は明確なプロダクトとしてこれを出したわけで、それはまだ通過点の一つでしかないかもしれないけどとても意味のあることで、ほんとアイツとかアイツとかアイツとか俺とかに爪の垢を煎じて飲ませたいです。
宮城や東京などでライブをやるようです。もしご予定あえば足を運んでみてください。
私信:自分から積極的に動いて上手くいった試しがありません
最近気になるエトセトラ
いやー色々詰まってしまったので、久しぶりに普通に記事を書くことにした。
今日、図書館で凄く気になる雑誌を発見しまして。
「計量国語学」っていうんですけど。学会誌なんですねー。時間無くてあんまり見てないんですけど。
まあでも確かにコーパスってそういうやつですよね。(ふわふわした言論)
なんていうか「計量」っていう言葉と「国語学」っていう言葉から受ける印象のギャップにビビったんですけど、そんな特殊でもないか。。。
思想地図βのvol.1で東浩紀が
ある特定の作家や思想家の生涯のコーパスが完全にインデックス化され、どの単語がどの時代にどれほどの頻度で記されているかをグラフ化できるのであれば、作風や思想の変化など一瞬でわかってしまう。ほとんどの研究者の存在意義が、それでなくなります。*1
って言ってて、僕はここにラインを引いてるわけですが正直あまりわかってなかった。
でもこの計量国語学会も1956年に設立されてるらしいし*2僕が全然知らないだけで、こういった計量的な分析は様々な分野で用いられてるんだなーってのを知った瞬間でした。
はいどうでもいいーとか言わないー。
さて良いニュース。
浅田真央選手のエッセー、本人意向で発売中止に : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
何が良いのかというと、浅田真央の決断がです。
嫌な勘ぐりをすればです。これも含めてプロモーションなんじゃねえかとか、土壇場でポプラ社の条件が悪くて他の出版社に吹っかけてるんじゃねえかとか、そう思うこともできるわけですが、そんな下衆なことしますかねと。それにこれ、「延期」じゃなくて「中止」ってなってるのがポイントかなーとか思いますが、色々考えてもしょうがない。とにかく「本心」なんてものは判定できない以上、基本的には行為を形式的に見て判断する他ない。
であればこれは最高です。
浅田真央の母の訃報がメディアを騒がせて以来、僕個人の心配事は「母の死がどう扱われてしまうのか」という一点でした。
と言うと凄く嫌な人間に思われそうですが、やっぱり他人の感情を享受することなんて絶対にできないのだから、安易に「私も悲しい;;」なんて言ってやる場合じゃないわけです。それに、そういう「私はわかってあげられる」っていう感覚?そういうのが母の死後の浅田真央報道の根底にあったんじゃないかと。伝えるメディア側にも、見る人間側にも。
全日本選手権も優勝したけど、結局報道は「母の死を乗り越えて」って言葉付き。乗り越えてねーかもしんねえじゃん。
まあとにかく。こういう決断をしたことは一つのメッセージなわけです浅田真央からの。
じゃあこれをどう受け止めるかってのを今度は試されるわけです。わお。
*1:「思想地図β」163p
「音楽クラスタ」に憧れて
こんにちわ。お久しぶりです。
「年内最後」という便利ワードで、すべての行為がめでたく思える季節になりました。
巷では「音楽クラスタ」という、「音楽」という言葉を占有する不届き者達が、「ベストディスク」を発表するオサレ感あふれる営みを繰り広げており、私はその様子をハンカチを噛み締めながら見ております。
確かに!確かに私は音楽に疎い!今年発売されたCDでまともに聴いたのは、アルバムだと東京事変「大発見」
- アーティスト: 東京事変
- 出版社/メーカー: EMI Records Japan
- 発売日: 2011/06/29
- メディア: CD
- 購入: 13人 クリック: 375回
- この商品を含むブログ (127件) を見る
AKB48「ここにいたこと」
- アーティスト: AKB48
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 2011/06/08
- メディア: CD
- 購入: 41人 クリック: 1,122回
- この商品を含むブログ (70件) を見る
くらいだしね!しぬ!
しかし!私には本があるではないか!本が!年間で177冊も読んでいるのだから!(ブクログ調べ)
だから私は本をレビューしてやろう。今年発売され、今年読んだ本をレビューしてやるのだ!そして、それを見て悔しい顔をする「音楽クラスタ」の表情を見るのだ…。
フフ、フフフ、ハハハハハハハハハハハハハハ
( ゚д゚)ハッ!
というわけでノミネート作品はこちら。(順は発売日順だよ!ノミネートには文庫化が今年のモノも一応入れるよ!雑誌は除くよ!)
共著なので仕方ないかもしれないが、「ウィキリークス」のスタンスの論評について著者毎にバラつきがみられたように思う。この一貫性は本の主題にさして影響はないということなのかもしれないが、少しだけ気にかかった。
事例の参考にもなった。
「労働哲学」に関する基本的なエッセンスが詰まっている。(引用の多くがアーレント・フーコーであることからもわかる)ただ、自分には少々難しくて読解できない箇所もあったが、4章の過労死を扱ったパートは比較的読みやすく面白かった。
「働かせる権力」というのは、国家・会社・家庭の三種がそれぞれ履行しているものだという見方は興味深かった。
「暇」と「退屈」は異なる。「暇」は客観的な条件である。時間に余裕がある、何らかの仕事に追われていない。そういう状態。
対して「退屈」はこれと異なり、主観的な規定である。
だから、この2つの概念から4つの場合に分かれる。
「暇であり、かつ退屈である」「暇であり、退屈でない」「暇がなく、退屈である」「暇がなく、退屈でない」
これらの中で一番想像しにくく厄介なのは、「暇がなく、退屈である」状態だと思われる。後にハイデガーを援用して、この「暇がなく、退屈である」状態とはどういうことかを分析する。
後の議論の展開は読んで欲しいところであるが、自分にとっては示唆に富むとこが多かった。「消費/浪費」「環世界」など、極めて重要と思われる概念について詳細に書かれ、全体の議論の見通しが良かった。アレントのマルクス批判を批判する箇所は痛快だった。
わからなさ過ぎて困った、というようなところはなかった。それは序章にもあるが、意図的なところなのだろう。
本の刊行にあたり、度々著者は「自分の思うところをぶつけたので、是非読者の感想を聞きたい」という旨のことを言っていた。
個人的に、ここに書き連ねたくなるようなものではないが、皆何かを喚起される文だと思う。
あまり関係ないが、並行して読んでいた森岡正博「無痛文明論」との近似性を感じるとこがあった。あまり上手く説明できないので、同じような感想を持つ人の詳細なレビューを待つか、頃合いを見て自分が纏めてみたいと思った。
前に、著者が「クォンタム・ファミリーズ」という三島賞受賞の小説を出版したときに、「私の現時点での入門書として最適なのはこれです」と言っていたのでQFを買って読んだが、(面白かったものの)何故これが入門書なのかさっぱりという感じだった。
ただ、この「一般意志2.0」は凄く解りやすいし、これを読んだ後にもう一度QFやフラクタルを観ると、だいぶ様相が変わってくるかもしれない。
個人的には思想史的な流れをくんだ3章と4章、法哲学的見地を盛り込んだ7章が従来の興味と重なっているが、論者の多様性が自分のこれまでの観測範囲外からの面白い話が”良いノイズ”として紛れ込みやすくなっているので、一冊の本としてはお得な印象を持つ。
特に、これは「あとがき」で編者の塚越健司も書いているが、学者からビジネスの実務家、批評家など幅広いジャンルの書き手が名を連ねており、この一冊だけでもそれなりに多角的視座を取得できるような作りになっている。
例えば「震災時のソーシャルメディアによる有用性評価」という点では、5章は比較的良い方向で捉える一方、6章や9章では否定的に書かれている。そもそもネットが利用できる環境に”被災地”があったのかということについては、震災から少し経過した後で頻繁に語られるようになったが、この辺の評価の差も出自や視座の多角性を象徴しているように思う。
ただ、そのような良い点と表裏一体の話ではあるが、もう少し読み込んでみたいようなモノも中にはあり、これは今後の各筆者の活躍に依るところだと思う。
飽きっぽい性格だが一気に読めた。ただ、.reviewが事実上停止状態なのが個人的には悲しい。それは、.reviewという媒体そのものがオープンガバメント性を有した、これまでの評論系同人誌には無いものだと感じていたからだ。
本書の元は、その.reviewの勉強会だという。そのフィロソフィーは別な形で継承されることを(偉そうに)期待しています。
さあ、ではこの中から上位5位を発表します!(デケデケデケデケ……)
まず装丁がカッコイイ!さすが講談社!中身については僕よりもっと良いレビューがあるからそれを探してね☆
ただ、クソみたいな「自称◯◯分野の専門家」が、貶めたいがために書くような書評は無視しなきゃだぞ☆
「ぱんいつのしーいー0.2」っていう呼び方を流行らせたかったけど、全然流行らなかったNE!
まず装丁が(ry さすが講d(ry 中身についt(ry
まあていうか、古市さんは別に「若者は幸福だから放っておいてくれ」なんて言ってないし、その辺誤読して曲解批判してどうなのとは思うけど、鈴木謙介が「そういう読まれ方を含めてベストセラーっぽい」と言っていたので、それはそれとしておこう!頑張れのりP!
さすがk(ry
講談社の回し者じゃないです!でも凄いね!今気付いたよ!
この本はね、「ラーメンから考える日本戦後史」みたいな?そんな感じで、凄く教養に溢れる良本。速水さんすげーなー、よく調べたなーと感服するような、そんな新書です。
今、札幌だと「スープカリー」が流行っていることになっているのですが、その違和感というのは、「ラーメン」がご当地化する過程でもあったのだろうなと思わされる。だからと言って「流行り」が悪いのかというとそうでもないわけですが、そこに何かの欺瞞を感じる。
まあいいんですけどね、味噌ラーメン美味しいし。AKBも好きだし(本書ではAKBについては触れてないですが)
結局、今年読んだ原発関連の本はこれだけになってしまった。きっと怒られるんだろうな、色んな人から。
でも良かったと思います。決して現状を追認するべきだというのではなく、そうなっているのだという正しい認識。まあ、そこの「正しさ」も物議を醸し、方法論的な問題もあるそうですが、「賛成か反対か」の二項対立に安易に落とし込みがちなところを上手く回避して問題解決するための一冊。
さあ!栄えある第一位は!
國分功一郎「暇と退屈の倫理学」朝日出版社
半端ないっす。読んだ後の感想としては「ラーメンと愛国」に近い。
「うわーすげえ知ってるな」みたいな。その圧倒的教養量。一応、「倫理学」というアプローチになっていますが、ハイデガーやユクスキュルの環世界論・文化人類学的な方向からもアプローチされていて、すげえよまじすげえ。
「一冊だけ人に薦めるとすれば」間違いなくこの本。
文庫化が今年の永井均「倫理とは何か」、宇野常寛「ゼロ年代の想像力」も本当はいれたかったんですけど、まあ文庫化だしなあ、、、と思ってね。「ゼロ想」も面白かったし「倫理とは何か」は、かなり影響を受けたことは間違いない。「倫理とは何か」もオススメです。括り方が「今年読んだ本」だとしたら、間違いなく上位、1,2位争いしてる本です「倫理とは何か」
てなわけで、また来年!じゃあの!
エロース
思えば、ブクログ(ブログじゃないよ、ブクログだよ)を始めたきっかけというのは「読書する習慣を身に付けたい」ということでした。いや、意味分からんよ。そういう習慣がある人が使うもんだし、そういう習慣は「読みたい」という気持ちがあるなら自然に身につくもんだとも思う。ただ、自分はそうではなかった。読書自体は好きじゃない。ただ、「ここに書いてあることを知って頭に入れれたら楽しいだろうな」という欲はある。ここのギャップを埋めるためのブクログ(などなんでもいいけど、読書SNS)なわけです。ブクログは自尊心を刺激する。一度使い始めたら周りの目がある。誰も見てないにせよ、「見られている可能性」を排除できない以上、それを意識してしまう私のような人間にはピッタリなわけです。(使う利用としてはもう一個、「コミュニケーションのきっかけ」ということもあるわけですが、それはまた別のお話)
月10冊は最低読むことを考えてました。するとどうでしょう、2月、3月などは結構な数を読むようになって高校生の頃の自分を考えればとんでもない進歩だったわけです。しかし、弊害もでてきた。この「月10冊」という数が単なるノルマとして考えられるようになってしまった。「月10冊」読めばいいんだろ、ということで月末に軽い小説(ライトノベルということではなく)で数を合わせるなどということをしたこともありました。
しかし、「これはおかしい」と気付くわけです。だって、そんな数合わせに何の意味。もちろん乱読することは必要なことかもしれません。ただしそれは程度問題です。その「月10冊」ノルマを意識しだしてしまってからは、あまり面白くなくなってきたのです。
大学も後期が始まり、ドイツ語の演習などに出るようになり、家で翻訳作業をする時間を多くとるような生活になりました。するとその分、本を読む時間が削られる。当然といえば当然です。
PDFで公開されている論文を読めば、その分「本」を読む時間は減ります。当然といえば当然です。
では、この「外国語の勉強をする」とか「PDFの論文を読む」という行為は、必ずしも「本を読む」という行為より高い位に置かれるものなのか。そうではないでしょう。ただ、それに気付いたのが最近だということです。
言い訳ではありませんが、以下に掲載する10月分は非常に少ない。しかし、何もしてなかったわけじゃないし、10月に読んだ本で一生ものになる本もできた。なかなか充実したわけです。
まあそれでいいよなあ、とぼんやり思い始めました、という意味不明な決意表明。
今月の一冊は都合により掲載しません。宗教上の理由、みたいなものです。ただ、「無痛文明論」と「暇と退屈の倫理学」、この二冊は心から薦められる本です。それだけです。
勘違いすんなや
ふと思いだしただけだし
伊藤 計劃,円城 塔,北野 勇作,小林 泰三,斉藤 直子,田中 哲弥,田中 啓文,飛 浩隆,藤田 雅矢,牧野 修,山本 弘
読了日:08月10日
東浩紀,津田大介,和合亮一,藤村龍至,佐々木俊尚,竹熊健太郎,八代嘉美,猪瀬直樹,村上隆,鈴木謙介,福嶋亮大,浅子佳英,石垣のりこ,瀬名秀明,中川恵一,新津保建秀
読了日:09月11日
こう見ると、8月はシェア厨・コミュニティ厨で9月はふわふわしてますね。
・8月9月の一冊
どう言えば良いのかはわからないし、どういう点が批判されるのかもわかってはいるつもりなんだけど、単純に読み物として面白かったし少なくともこの論理展開の中では矛盾をきたしているのでもないし、まあ読んでいいと思う。
復活したー
恒例行事
今月の一冊
哲学史の新しい捉え方、といった内容。
普通、哲学史では古代ー中世ー近代(ー現代)というような区切りをしているが、木田先生は「ソクラテス以前ープラトン以降ーニーチェ以降(ソクラテス以前の復古)」という捉え方をしている。そしてこの「プラトン以降」を「哲学」とし、「ニーチェ以降」を「反哲学」という立場で捉え直している。
長々と説明を加えようと思ったが、どうも陳腐にしかならないのでやめた。ただ、解説の三浦雅士も言うように、元々が口述のものであるためか、文章の強弱がはっきりしていて、リズムよく読める。その分、詳細な説明が省かれているため、完全な初学者向けとは言えないかも知れないが、凄く筋の通った「哲学史解説」はこれまでの「哲学史」書の中で一番楽しく読めた。
これは凄い良い本でしたねー。たまーに核をがつーーーーーーんとやられる本があるのですが、これは間違いなくその一冊でした。うんうん。
忘れてた
頼まれてないのに 義 務 感(また今月も9冊だった。しにたい)
・今月の一冊
・永井ー小泉の対談
・永井論考
・小泉論考
<文庫版書き下ろし>
・永井論考
・小泉論考
対談は恐ろしく噛み合ってない。
それは永井先生も論考内で「この対談に際して小泉氏は私の以前の著作をずいぶん勉強してこられたようで、氏の発言には私の用語がちりばめられている。しかし、その用法が私の理解と食い違っているため、逆に理解しにくかった。」(p82)と言っていたり、「小泉氏の発言の意味がわからなかった」といった趣旨の発言をかなりの回数使っているところからも伺える。(逆に小泉先生はそのような類の発言はしていなかったように思う)
ただ、この噛み合わなさ、対談後の論考の議題設定のあまりの違いが非常に良かった。
個人的には永井先生のほうに与する。永井先生の方が、表題の問に真摯に答えているように思うからだ。
小泉先生の議題設定は、(私はよくわからないので、あくまで直感的に「そうではないか」という予想で言うならば)極めて脱構築的であるように思った。
その議題設定が悪いなどというわけでなく、今ひとつ私にとってはスカされた印象を持ち、永井先生の方が<子ども>としての立場から誠実に答えているを印象を受けたという話である。
もちろん文庫版にして200頁に満たない書籍である。永井先生も頻繁に以前の著作を前提としていることを提示しながら論理的補完を行っていた。この一冊で成敗することなどできるわけもなく、ただその導入としては非常に良い一冊だと思う。
タイトルはベタだし中身はちぐはぐという意見もありますが、僕は結構好きな本でした。