生きてるぜ

久々にこちらに登場。
最近は、FacebookとかInstagramとか、たまにtwitterとかやってみたりしてますが。

SNSの古巣っていうと、やっぱりここかな。
(と言うかここがSNSなのかと言われると違うきもするが。)


で、言うことはといえば、「生きてるぜ」くらいなのよ。

元気にあれこれやってます。

その間に、向こう側に行ったヤツもいる。
自分は今の所、こちら側にいる。

それがどうとかじゃなくて。

向こう側にいるヤツ、こっち側にいるオレら、
その川は渡ることのできないもので。

そんなことを思いながら、「今を全力で楽しむ」をモットーに、
生きてます。

日々のあとさき

すごくこのページに、ご無沙汰していました。
今こうして書いてみても、昔よく更新していた頃と比べて、
どのくらいの人がこのポストを見てくれるのか謎ですが、
だからいいのかもしれない。
ちょっと、サンドボックスに書くような気持ちで、
書いてみます。


自分の人生、45年になりました。
(今日が誕生日というわけではないので祝わないように。笑)
ここに記していない(たぶん)ことー結婚や離婚、なんてのもあり。
ここに記した事では、悪友の他界。
自分の人生において大きな出来事でした。
そんなこんなで過ぎていく日々。


今この瞬間は、けっこう忙しさであたふたしながらも
楽しく生きています。


で、これから先の人生を考える歳になったのでしょう。


パートナーがいない日々、
今は楽しいけど、それでいいのか。


正直、最後までひとりで生涯を終える自信がありません。


健康で、”ピンピンコロリ”で
ぽっくり向こう側へ行けるならいいけどね。


弱ってくる体で、どこかにつまずいて骨折するかも、
ということに気を配りつつ、
ひとりで近所のスーパーに行って
少量の野菜や魚を買って。
「あれ、これは昨日もう買ってあったっけ?」なんて
自分の記憶力低下に鬱々たる気持ちになりながら帰り、
冷蔵庫のドアを開けるとそこには
消費するより先に何度も何度も買ってきて
集積しているハムが山を成していたりして。


「あの時、もっと早く気付いて○○していれば…」


そんな後悔がいずれ襲ってくるんじゃないか、
なんてバカみたいなことが気になって
眠れない夜、です。


ハムの山を目の前にした未来の自分が、
今の自分に何か言うとしたら、何を言うんだろう。


そんなことを思う、今宵なのでした。
あ、日頃は元気なので、このポストを見ても
心配しないように。笑

ご報告


ヤツは、亡くなっていました。


2010年、オレに手紙をくれて、ひと月ほど後。
その頃、この日記にヤツのことをポツリポツリと書いていたので
覚えていらっしゃる方もあるかもしれません。


高校時代の、文字通り「悪友」だった、ヤツ。


連絡が取れなくなってもう2年ちょっと。
年賀状は、こちらから一方的に送っていたけれどレスはなく。


ふとしたきっかけで、知りました。



そうだったのか、と。


そして、少しだけ、やっぱりそうだったか、と。



そうであってほしくなかったけれど。



今、自分に出来ることは、自分の今を生きること。
時々ヤツを思い出しながら。



ぜんぜん頭の中がまとまっていないんだけれど、
ここで以前に書いたことをみてくださっていた方へ、
ご報告です。


そして明日も私は、牛丼の紅生姜大盛を食べたり深酒したり寝坊したり
シゴトの締切にあがいたりしながら
精一杯、ゆるゆると、精一杯、生きていきます。

残暑見舞い

ガンで余命のいくばくもないことを宣告された友人。
その友人と、ほぼ1年くらいコンタクト無し。

こちらからアプローチしても、直接は繋がらず、
一切消息不明。

こちらに出来ることと言えば、
ヤツの現住所(変わっていなければ)とおぼしきところへ
ハガキを送るくらい。


送るよ、残暑見舞い


そして来年も送る。寒中見舞い。


いくつの暑さを越え、いくつの寒さを越えたら
お前と会えるんかね。楽しみだよ。もったいぶるなー。


手紙書くのってめんどくさいから、さ。
早く顔を向き合わせてとか、ケータイで、とか
連絡とろうぜ。

はてなの繋がりで知った人、既に向こう側に行かれた人。
その人が、向こう側に行くちょっと前に観ていたであろう景色の
写真を今、見ているよ。


これをお前に、送ってやる。



この世界も、めちゃめちゃだけど、
生きてるコトって、悪くない、よな?


*この写真、色々探して、どなたかのblogで見つけました。
 画像は保存しておいたのだけれど、URLを保存し損ねてしまい
 リンクを掲出できず、です。すみません。
 もし御存知の方があれば、コメントにてお知らせ下さい。
 この夕景をUPしてくださったblogの方に、感謝です。

リアル牛肉は好きだけど。

牛肉はウマいです。
でも、beefはつい盛り上がるけど、
「盛り上がり目的」に見えちゃうところがどうなのか。

…なんていいながら、ついつい聞いてしまう自分。。。

イルなRAU DEFとdopeなzeebraのバトル?

RAU DEF to Zeebra download>
http://www.mediafire.com/?qx5acn5gmctdcc5

Zeebra res to RAU DEF(YouTube)
http://www.youtube.com/watch?v=ralR0xBLbqc&feature=player_embedded

日々のひび

がーっと働き続けていた。
震災からの二週間ほど。


直後には、時折、なんだかネジが外れたようにテンション上がって笑い続けたりもして。


そして、折々、ひとりで沈んだりもして。



東京に住む自分としては、
東北の重大な被災のあった地域に
肉親がいるというわけではないのだが。


仕事がらみの知人、百人を越える人たちのダイアル
災害用伝言ダイアルの171の後、「伝言の再生」の「2」に続けてプッシュし、
かたっぱしから安否確認の電話をかけ続けた。


被災直後ということもあってか、
どの電話番号にも、当人からのメッセージはなく、
安否を気遣う親類の、心細げな、
それでいてその心細さをあえて声色に出さないように抑えている
数々の、声、声、声。



「おばあちゃん、どうしてるのか心配してます。連絡できるようになったらでいいから、
電話もらえるとうれしいです」


「△△さん、無事ですか。こっちはなんとか大丈夫です、連絡がほしいです。」


「どうしてる、○○ちゃん。無事でいてくれることをみんな、祈ってるよ」



…。


その過程で、お一人の方が亡くなられていると知った。


仕事繋がりといっても、
多分、直接は一度か二度しかお会いしていない方だけれど。


なにげなくバタバタと自分が送っていた日々の中に
とつぜん打ち込まれたくさび、突然現れたひび。


今、google消息確認を含め、自分ができることはもはや
ほとんどない。


消息確認作業に忙殺されていた時間は、
まだ自分の内面を見つめなくてよかったのだけれど。


じわり、じわりと黒い水が、自分の足元から膝の上を越えて
腰までやってきていたのに気付かずにいたのかもしれない。


でも、乗り越える。
そして、いつしかまた以前のように、笑ったり怒ったり悩んだりしながら
日々を生きていく。
その日々に、もしかしたら突然ひびが入るかもしれない、ということを
わかった上で。


ひびが入るかもしれない、とわかったからこそ。


その瞬間を、全力で、でも時にゆるゆると、生きる。


それが、今、自分ができることなんじゃないか。


「自分が今、できること」の正しい答えは、
いつになっても、判らないだろうけれど。


生きる。


生きる。


生きる。

今思う

震災があった。
いや、今も「ある」という方が近いのか。

そんな中で、自分の無力さにうちのめされる。

しかし。

「道端の石にだって意味がある」

そんな、フェリーニ『道』の中の台詞を思い出しながら。

自分ができることを、考えている。