叱咤激励

 今日は、あなたがいま心から志望している企業の面接日だ。
 
 今の会社へは、既に退職の意思を伝えているし、先輩や上司も退職に向けた手続きに協力してくれている。
肝心の業務は三月までで実質完了しているから、机に座って何を思い浮かべるにも、十分すぎるほどの時間がある。
そう、いまのあなたは、完全に前だけを気にすればよいのだ。
懸念事項も無ければ、負い目を感じる相手もいない。
全力で、自分のための戦いに臨むことができるあなたは、とても幸運だと思わないか?


 あなたの心の中にはいま、不安がある。今日の面接がうまく行かず不採用だったら、
今回の志望先と同じくらい魅力的なところが見つかるだろうか…?
果たして見つかったとして、採用される保証はどこにも無い。
「希望に合った」転職が実現するまで、挑戦し続けることができるだろうか…?
そんな不安だ。
同じような状況に置かれた人なら、誰もが抱くであろう、不安であり、自分への懐疑である。
「文章を書く」ことを地道に続けてきたわけでもなく、不器用で、要領の悪いあなたは、
世間一般のものさしで言えば、そんな不安や懐疑に押しつぶされてしかるべき状況なのかもしれない。


 しかし、あなたの感じている不安や懐疑は、実はそれほどでもない
 そう、あなたは昔から、「根拠のない自信」を頼みに、凡そその時点でのあなたには「大層な」目標に向かって
突進し、それを実現してきた。
大学進学もそうだし、SEという職業の選択も、見方によってはこの“癖”に由来すると言えるかもしれない。
挑戦には、「根拠のない自信と、それを裏付ける努力」が必要だとある人が言った。
あなたもこれに賛同するはずだ。
そしてあなたならこれに、「強い動機」を付け加えるだろう。
「強い動機」に端を発し、「根拠のない自信」に励まされ、「努力」を武器に挑戦すれば、
大抵の場合挑戦者はとてもよい戦いを見せる。
あなたには、「強い動機」と、「根拠のない自信」がある。
あとは「努力」だ。


 幸い、募集要項には、「未経験者歓迎」の文字があった。
つまり、挑戦する時点での「努力」が無きに等しくても、立派な挑戦者として扱ってくれるということだ。
それならば、話は簡単だ。
あなたが今日の面接で差し出すべきは、二つ。
「強い動機」と「根拠のない自信」
これを忘れないこと。
「努力」については、あなた自信が定めた「自己研鑽」を、弛まず続けること。


 それでは、あなたが今日いくら緊張でかたくなっても、言うべきことを言えるように、
あなたの「強い動機」をこの場でおさらいしておこう。
 あなたはこの四年間、人一倍、真面目に、脇目もふらず、目の前の作業に取り組んできた
一見立派なようだが、しかしこれは、この言葉以上のものでは無かった。
職場の机での態度は常に一生懸命だったが、SEとしてより良い仕事をするためにはどうしたら良いか、
あるいは「一流のSE」になるためにはどうしたら良いかということに、心を砕いたことは無いのではないか?
 それはあなたの怠慢だ。しかし同時に、あなたは、「心から」一生懸命になれる事柄でないと、「心を砕いて」
取り組むことが難しいということに気付いた。やるからには、仕事で「一流」になりたい。仕事を認められて、
“また”と指名されるような存在になりたい。
仕事に対して、そのような想いを抱くようになったあなたは、自分にとって、「心を砕いて」取り組むことができる営みが、
文書を書くことであるということに思い至った。
しかも、創作ではなく、現実のできごとや、現実に存在する人物の想いを汲み取って書くことが、
あなたのやりたいことだった。
これまで「文芸作品こそが“本”」という思いのもと、「読むためのもの」として文章に接してきたあなたにとって、
この気づきは大きな転換だった。
そんなときに出会ったのが、「ライター」という職業だった。
あなたの「やりたいこと」が、現実世界の職業と結びついた。


 あなたには、文筆に関する実績はないが、「ライター」としてやっていくのだという「根拠のない自信」を持っている。
その拠りどころは、これまで「良い文章」を読んできたことによる栄養面での充実と、人の想いに敏感であるという、感受性の充実である。
(少なくともあなた自身は自分をそう評価する)
 繰り返しになるが、この上に、仕事として認められるだけの現実的な力量を身につけるための「努力」が必要になる。
今のあなたには、その覚悟ができている。


 あなた自身に、「ライター」という職業に、そして応援して送り出してくれた今の会社の先輩に恥じないように、
“これから一流を目指す覚悟”、それを胸に、今日の面接に臨んで欲しい。

雨天炎天、やれやれ

 きのう、大学生活最後の夏休みが始まった(前期の試験が終わったのです)。何となく、直ぐには帰宅しがたくて生協で本を買い、昼下がりの図書館で健やかに読書。
「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」、そんな気分で帰路につこうとすると、学校の門の前には穏やかでない空気が。「大学当局」と、大学側をそう呼称する人々との揉め事であった。そういえば私は、彼らが何について一生懸命になっているのかも、大学側がどうしてあのような強硬な姿勢を見せるのかも、その本当のところを全く分かっていないのだった。

国のない男

国のない男

 太田光の帯文と、装幀につられて正解だった。ヴォネガットの、人間への愛と、アメリカという国への愛を感じて、アメリカ人としてこの本を読むことができる人々が、ちょっと羨ましい。それにしても、「愛」なんていうことばをわずか一文の中で二度も使うと、ちょっと恥ずかしい。
 今日読んでいた、村上春樹によるギリシャ・トルコ辺境紀行『雨天炎天』のなかで、「愛は消えても親切は残る、と言ったのはカート・ヴォネガットだっけ」という一文に遭遇した。

週末と海の日

 おとといの晩、とにかく何かライブを観たくて、新宿のライブハウスに行ってきたのだが、耳鳴りと消化不良な感覚が後を引き、何のために雨降りの中出て行ったのだろうか、お金も無いのに…などと悶々とした日曜を過ごし、今日はまた新宿(の別のライブハウス)に出かけ、UNCHAINを観てきた。
 今回が自分にとっては3度目のUNCHAIN。ステージ向かって右側の、できるだけ前の方で…!というイメージトレーニングをしていたのだが、出順が分からないのに加え生来の「出遅れ症」が災いして、向かってやや左側の、ギター氏の手元があまり見えないポジションに。そう、ギター氏のプレイを近くで見たかったのです。まあ、それはそれとして。
 このバンドには、調子の悪いときなんてあるのかな…と思うほど、歌も演奏も常に冴えている(3度目の分際でなんですが…)。例えるならば、「Alwaysハイビジョン放送!!」というような具合に。テレビを見ていると、自然紀行モノの番組などはハイビジョンで映し出されることがしばしばで、その文句の付けようも無いほどの鮮やかさには毎度見惚れてしまいますが、UNCHAINの演奏はまさにそんな感じなのだ。
 それから、これは私の視神経が「UNCHAINが好きだ角膜」に覆われているからなのかもしれないが、演奏中のメンバーの表情があんなにきれいに見えるバンドを他に知らない。
 いつか、たっぷり2時間超のワンマンライブを観ることと、メンバーが普段どんな音楽を聴いているのか(とくにギター氏が好きなギタリストは誰なのか)を尋ねること…が、できたらいいなあ。8月8日に4thミニアルバムをリリースとのこと。

暑さしのぎに

高校時代の国語の先生から、4年ぶりでハガキが届いた。なぜだか、ぐうーっと(お腹ではなく気分が)なっているときに、意外な人物からの便りがやって来る。そしてこれがまた、ものすごく良く効きます。

 最近読んだ本のことでも知らせてください。暑さしのぎに。
高3の夏に、私が書いた読書感想文を褒めてくれた先生。

みんな、いいヤツ。

ここのところすごく気になっていた、竹内電気を観てきました。コジマでもヤマダでもなく、竹内…というのは彼らのプロフィールに使用されているネタ。

平均年齢22歳、山下達郎を敬愛しているという、愛知県が生んだ「J-POP」バンド。

Hello Mr.Regretのミュージックビデオから溢れ出す、80's「本邦青春学園ドラマ」ミーツ「似非アメリカンMTV」な世界だけしか知らずに行ってきたのだけれど、本物は、ビデオ視聴者の期待にがっちり応えつつ、プラスアルファを見せてくれた。

G/Vo + Key/Vo、がステージの両脇を固め、中央にギター、ベース、ドラムという配置。
バンドのチームワークがすごく良好な感じがするのには、双璧をなすボーカルと、その間でプレイに集中するGt.Ba.Dr.という図も一役買っていると思う。

ミュージックビデオでも抜群の存在感だった、G/Vo氏は、ステージに現れるなり場内を竹内電気色に染めていた。さらさらの栗色ヘアーに図らずも見惚れてしまったのは私だけではないハズ…。加えて、予想を裏切る甘い声質に…(めっちゃうまい)。

ライブが終わってから、そして物販で購入したミニアルバムを自宅で聴いてみての、個人的な要チェックポイントは、バンドリーダーでもある「水色のギターがトレードマーク」なG氏のプレイ。(それを確認したくてライブに行った、というのもあるんだけど…。)
もともと、クリーンな音色で壮大なソロを奏でるプレイヤーに惹かれる性質なので、日本の若手バンドではなかなかお目にかかれない(と思われる)こういうギターに出会うと、すごく嬉しくなる。

上述のミュージックビデオの演出や、バンド名だけを眺めていると、「キワモノ」バンドという印象を与えそうなのだけど。
詞の世界も、そして二人の個性派ボーカルを煽り立てるかのように歌い上げるギターも、正真正銘ホンモノのようです。

四日市で、UNCHAINと同じステージに出演するみたい…それって夢みたい。

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前回の日記での宣言をいきなり撤回するかたちとなったけど(就活ガンバリマス)、良いバンドに出会えたのでメモメモ。


♪Hello Mr.Regret↓「キワモノ」とか言ってしまったけど、これはMV史上に残る傑作だと思う。
http://www.indiesmusic.com/PVWatch.aspx?video=MTAyODE%3d-VNvBnrsB%2fIM%3d

支給明細書

帰宅してすぐに開いた、熱烈に志望していた企業からの1次面接不合格の通知に、首がへしおれるほどうな垂れていた。お風呂から上がり、もう何か変わったことでもしなければやってられん、という心境で、冷蔵庫から缶ビールを取り出し台所に立ったまま一気飲みの真似事をしてみたところで、3月いっぱいで辞めたバイト先から、最後の支給明細書が届いていたことを思い出した。末締めの25日支払い、というおそろしくタイムラグのある支払いのシステムなので、辞めてからおよそひと月も経った今頃、(わざわざ郵送されて)来たわけだ。封筒には、顔なじみの事務の女性の印がひとつ。丁寧に三つ折された明細書には、メモが一枚付けられていた。


こんにちは。お元気ですか?
就職活動は大変ですよね。
私も大変でした。3月に決まった位です。
だからあせらずに…。
就職が決まって卒論のめどがたったら
またここでバイトしてはいかがですか?
待っています。



缶ビールを煽るまでもなく、心の中から澱みがすうっと引いていって、よし、またここから前向きにやってみようじゃないか、という気持ちになったのです。
就職が決まったら、またあまり内容のないことを書き連ねたいと思います。

小さな四角い窓から、満月の光といっしょに

 ダウンジャケットの前を、力士風情が漂うことを恐れて留めずにここまでやってきた今シーズン。日暮れた後に外出した今日、余計なことを考える間も無く、指がボタンをパチンと合わせていた。暖かかった。「志望の理由」とか、「PR」という言葉にうっと詰まってしまう今日この頃であります。(ダウンの開閉とは無関係。)
 

 昼間の疲れに押し倒されるようにして、すこしとろとろとしたようだった。ふいにベッドからほうりだされるような、からだが、無数の小さな手にささえられて宙に浮いたような感覚にゆすぶられて目がさめた。鐘。近くの教会の鐘が、夜中のヴェネツィアにむかってなにかを声高に告げている。時計をみると十二時だった。とはいっても、それは、鐘楼の時計が、ただ、昨日から今日への境目としての時間を告げる、というふうではなくて、二〇〇年まえのこの夜、輝かしい彼らの音楽史の一ページとして、はじめて自分たちの歌劇場をもつことになったヴェネツィア市民の狂喜の時間をここでもういちどかみしめているような、まるでうつつをぬかしたような鳴りかただった。そして、その鐘の音を、冬の夜、北国の森を駆けぬけるあらしのような拍手が追いかけた。建物の内側の拍手と外側の拍手が重なりあって、家々の壁に、塔に、またそれらのかげに隠れた幾百の運河に、しずかな谺(こだま)をよびおこすのを、私はもうひとつの音楽会のように、白いシーツのなかでじっと目をとじて聴いていた。
須賀敦子ヴェネツィアの宿』文春文庫(p17〜18)

初めて読んだ『コルシア書店の仲間たち』より、こっちの方が相性が良いみたいだ。コルシアの「私」は、あまり自分のことを話してくれない(他者の観察が多い)んだけど、ヴェネツィアは、こんな感じ。日記のタイトルも、上記抜粋部分の少し前に登場するフレーズを拝借。