頽れる・くずおれる

 今日のリハビリ散歩は昼間。暑い一日。
 12時40分出発→つくしが丘→東武線踏切→中原→新柏→つくしが丘→15時帰着 8000歩

 明日は診察の日なので今日は軽くと思って家を出たのだが、考えていた以上に身体が重い。両脚を引きずる感じ。昨日の疲れが残っているのだろうか。それとも昨日が例外的に身体が軽かったのか。
 つくしが丘郵便局の手前で、向こうに見える雑木林まで行こう、と計画した。確か,母が、あの側に畑を借りて野菜栽培をしたことがあったはずだ、今はどうなっているのだろう。しかし、進み行くうちに、新しく立派な戸建ての住宅街しか目に入らなくなり、東武線(アーバンパークライン)とぶつかった(写真)。そして線路を越えた右手に雑木林がある。ああ、かつて乗馬施設(乗馬クラブ)があったところだ。雑木林に隣接して太陽電気発電パネルがずらりと並んでいる。案内によると100戸分の発電が可能だそうだ(写真はうまく撮れなかった)。道路を挟んで向かいが水道局関係の施設。この道路を線路とは反対側に進むと中原中学校にぶつかる。各種選挙の投票所だ。我が家からは遠いなあ。そして左側に隣接して「朋生園」。市の障害者福祉施設だそうだが、ぼくは、恥ずかしながら、その実情は皆目分からない(写真)。中原中学校、朋生園、そして雑木林と続く。この雑木林は市のボーイスカウトのキャンプ場である(写真)。カメラファインダ―を覗きながらきょろきょろ歩いていたら、急に下半身の力が抜け、その場に倒れた。転けたという表現がいいか。いや、そんなに力動感はない、「頽れる」というのが正しいだろう。もっとも本来の言葉の意味は「死」をあらわすのだから、適切な漢字選びではないけれど。原因は、おそらくだが、足下に不規則な変化を感じて、身体がその変化に応じきれなかったのだろう。なんたってマルセリーノちゃん、まだ新生児だもんなあ。
 起き上がりそのまま東武スーパーへ。母の日なので、細君に、好きなカニの脚でもプレゼントしようと思い購入。レジで会計の時、眼鏡がないことに気づいた。「頽れた」時に胸ポケットから落としたのだろう。会計を済ませて現場に戻る。枯れ葉の上に、眼鏡のツルがまるで線虫のように見え、無事、踏みつけられてレンズが割れることもなく、我が手元に戻った。
アーバンパークライン

朋生園

ボーイスカウトキャンプ場 この写真を撮って直後に頽れた。

心の体操

 今朝のfbより―
〔川口幸宏〕 「漢字で書くとネコは獣篇が付いているのに、イヌはなぜ付いていないのだろう」
愚にもつかないことを考えた。「猫 対 犬」 表記上、どうも座りが悪いのだ。ケモノ篇が付くイヌがあるのだし。狗ね。「猫 対 狗」 だと据わりがよい。累を他に及ぼし、狗対猿。 やっぱり据わりがよい。犬対猿だと、猿だけが凶暴に思える。
朝からすみません。
二見 伸吾 なるほど〜
川口 幸宏 ヤフーの知恵袋で「(犭に犬)(ぎん)とはどういう意味でしょうか?」という問いのベストアンサーになっている回答が、「(犭に犬)」(ぎん)と「犹」(ゆう)とが同一視されている。こんなの、バッドアンサーだと思うけどなあ。
山田 伊知朗 戦後の当用漢字は、いろいろ問題があるようですね。
例えば、氣→気。障碍→障害も、大きな問題。
何か作為的な臭いもしますが…。
川口 幸宏 山田さん、おっしゃる通りですね。日本文化論として、きちんと考えて貰いたいものです。やたら復古への情緒煽りではなく。
川口 幸宏 編集者から見解が寄せられた: 「犬は犬全般、狗は小さな犬を本来指す漢字のようです。狗対猿だと、小さい犬が巨大な猿に吠えているとも。ネコもイヌも音がおもしろいですね。」 うーん。天狗はどうなるんじゃ。神社の阿吽像に使われる狗は、結構大きいぞ。 なんて、うじうじ・・。
川口 幸宏 「ネコもイヌも音がおもしろい」という某編集者氏。直接お話を伺いたいが、逃げられた。で、ぼくなりに、フランス語の「音」を例にして考えた。イヌはシアン(chien)、ネコはシャ(chat)。前者は我が国でいうワンッ(イヌの吠え声)、後者はシャーッ(ネコの威嚇)。確かに、フランス語に置き換え、それを我が国の擬音で表記すると、おもしろい。が・・・

みんなまとめて、ハッピー♪

 タイトルの言う「みんな」とは、ぼくの、心身すべて、という意味ですぞ。
 今朝の散歩リハビリ:
 7:10分出発→南柏駅→松ヶ丘野馬土手→南柏駅→今谷上町鎮守様お詣り→帰着9:30 7700歩
 南柏駅国道6号線方面に出て駅前の駅周辺案内図をしかと眺めた。先日行った松ヶ丘野馬土手の他に確かあったはずだと記憶を引っ張り出し、案内で確かめたのだ。

 ある、ある!案内図で言うと、国道6号線の向こう側、右の方の緑地帯に「野馬土手」と書かれているではないか。そこを目指すことに決めた。6号線の横断歩道を渡り柏方面に少し歩くと「南柏1丁目」辻の行き当たりが緑の雑木林だ。うん、あれが野馬土手だな。

 雑木林の中に入ると、平地に秩序正しく松やら欅やらの木が植わっているだけで、一昨日歩いた「くりの木幼稚園」の子どもの遊び広場と同等に思われた。これがもう少し大きくなると、松戸の21世紀の森公園か。「豊四季第一緑地」との看板が立っていた。少し気落ちしながら、まあ、朝の散歩で木々の間をゆったりと歩くのもいいものだと思い直し、林の奥に進んでいった。
 以下、ぼくを驚喜させ、脚の不自由さは乗り越えてなんぼのものだ!という勇気を奮い立たせ、実行に移させしめた野馬土手のV字溝跡すなわち堀跡歩きによって活写したシーンを、掲示する。




 なお、低い方の土手、すなわちかつては牧場を区切っていた方の土手は、この地域の人々の散歩コースとされている。今日は犬のお散歩のおじさんと遭遇した。「こんにちは。」と声かけをしたが、無言でにらみつけられた。イヤーねぇ。

 これが一体何なのか、ぼくは偶然に知識を得たから知っているが、そのような機会を持たない人々にとって、けったいな雑木林だろう。案内板があった。この緑地帯は流山市柏市との境を為すもので、両市の共同管理となっている。

 よく見ると、「野間土手」となっている。この看板では、「野馬土手」に思いを寄せる人は皆無だろう。「へー、野間さんという人が作ったんだね、この土手」。社会科教材になり得ない。残念な掲示だ。保存に努めなさい、だけが強調されることになる。
 大満足して帰路に着いた。いつもだと右脚の痛みに苦しむのだが、今日は痛みが少ない。不自由な左脚は、やはり、疲れが出たようではある。
 もう一つ、今日の冒険がある。それは、階段の上り下りだ。手すりと杖を頼りにはしたが、右、左、と交互に足を運んだ。膝ががくんと折れることもなく、また痛みもない。わーい。
☆反ナチのレジスタンス運動を組織し、囚われの身になったボーリス・ヴィルデは、獄中生活のさまざまな苦しみの下でも、自身を保つ術を持った。1942年1月16日の妻に宛てた手紙の中で、彼がその思いを綴り、書きとめ始めたことを明らかにしている。「少しずつ、ぼくは習慣とある程度の楽しみを身につけてきている。それは日記を始めたことだよ。」 ヴィルデに倣え!手足の不自由さを嘆くのではなく、不自由な中に「自分」を確認することだ。「できないこと」を恨むのではなく、「できること」の発見・確認を喜べ、今日の野馬土手探索のように。

懐かしさ再見

 体調の調整のため、終日自室に閉じこもっている。
 散歩リハビリで緊張を強いられた筋肉をほぐすために風呂に浸かる。それはいいのだが、風呂上がりが大仕事。身体を丹念に拭くことはもうあきらめた。左手の融通が利かないので背中を拭くことができないのだ(もちろん、「洗う」こともできません)。そして、下着から室内着までワンセット身にまとうまでどれほどの時間が掛かると思いますか?とにかく脚と腕とが動きにくく、身体全体も歳のせいだろう固くて自由性が利かない。病院にいる時には看護師さんが介助してくれていたのでこれほど苦労するとは考えてもいなかった。「介護保険」の検査の時に「自力で服の脱着が可能ですか?」と訊ねられ、ワイシャツ等のボタンを塡めるのにちょっと苦労するけれど大丈夫です、と答えたが、じつは大丈夫じゃない現実が待っていたのだ。
 浴槽から出る。とにかく大まかに(それしかできない)水滴を拭く、背中は右手に持ったタオルを後に振り身体を叩く、その後はバスタオルを抱え浴室の前の居室に裸で飛び込む(別に我が家なのだから「飛び込む」ことはしなくてもいいのだろうけれど、ぼく以外人間の♂はいない家なので、一応)、バスタオルを畳の上に広げその上に裸体を背中から倒しゴロンゴロンと転がる、これで水滴は拭うことができる。その後衣服着用作業となる。大仕事。
 でもまあ、できないのではなく、できるのです。時間はたっぷりある身分です。どうだ、うらやましいだろう。でもこれが、晩秋以降も続くのかと不安になる。せっかく温まった身体もすっかり冷え切ってしまいますものね。グジグジ。ああ。
 着衣作業のもどかしさの間に、ふと「ふるさとの」という歌謡のメロディーが口をついて出た。そんなもん、中学校2年生の音楽の教科書の「参照歌」として楽譜と歌詞とが載っていただけ、当然、授業で習ったことはない。教科書の譜面を見ながら、自宅のピアノでポロンポロンと演奏し、「勉強に飽きた」深夜に,大声で、歌詞入りで歌った、という記憶があるだけだ。余計な思い出は、何度目かのその行為の時、ガラス窓に石をぶつけられた、ということ。よほどうるさかったんだろうなあ。変声期の蛮声だもん、生理的には、よく分かる。
 でも、今日は、「ふるーさとぉのぉ♪」と、無意識下のぼくが何を意識してか、哀調ある歌い出しを口ずさみはじめた。が、その先が思い出せない。三木露風作詞であるとまでは思い出した。早速ネットで調べた。
 
   ふるさとの  作詞:三木露風、作曲:斎藤佳三
 1.ふるさとの 小野の木立に
   笛の音の うるむ月夜や
 2.少女子は あつき心に
   そをば聞き 涙ながしき
 3.十年(ととせ)経ぬ 同じ心に
   君泣くや 母となりても
 
 まあ、初恋の歌ですね。それは心のふるさとでもあります。そんな思いを重ねる我が老軀。絵画化すると、気色悪いですが、健康な肉体を喪失した心が、健康な肉体を切なく思い出している、と思って下さいな。

 

パリのアホ歩き再現!

 今日は寝坊をした。ちょっと気が緩んでいるのか、それとも、どうせだめなのよ、と開き直りたいと思っているからなのか。
 午後1時10分出発→豊住2丁目→豊住1丁目→豊住野馬土手→豊住歩道橋→豊四季→くりの木幼稚園遊びの広場→今谷上町→豊住2丁目→白山神社お詣り→自宅 午後3時10分帰宅 6900歩
 野馬土手までは計画通り。歩道橋を渡りたい、線路側から見るとどのような眺めなのか、確かめたい。そう思った瞬間から、「次の辻を右!」「まがらない!」「畑にうち捨てられた蕪菁の観察!」「この林を探検!」など、パリのアホ歩きを再現することになってしまった。脚腰痛いな―、もう歩きたくない、とぶつぶつ言いながら。途中(時間にして半ば過ぎ)どうしても脚が動かず。数分立ち止まり、復活。結局方向がつかめず。地名は知っていても位置までは分かっていない。背の高い建物が都市部つまり駅周辺だべ。くりの木幼稚園の遊び広場は現状は名ばかり、松の木林が駐車場に利用されている。プンプン!で、遙か昔を思い出した。この地域、豊かな栗林で、長女を自転車に乗せて、その栗林の間を走り回ったっけ。で、帰るべき道をかすかに思い出し、帰路に着いた。こうやって道に迷うと、ぼくは生き生きとするんだなあ。
 今日通った道をもう一度辿れますか?
 いいえっ!

 豊住野馬土手の端に東武線の豊住歩道橋がかけられています。

 雑木林が野馬土手その前を電車が走っています。手前の農地は災害時の避難所になります。

 看板に魅せられました。

 海とは縁のない地域ではありますが、ふと思い出す童謡…「みかんの花が 咲いている 思い出の道 丘の道 はるかに見える 青い海 お船がとおく 霞んでる♪」

ん?・・これは? 儚い感覚

 午前11時10分出発午後2時10分帰宅 6000歩
 自宅→南柏→北松戸→所用→北松戸→南柏→物品購入→稲荷神社お詣り→自宅  独行
 帰路に着くまでは左脚がぶらつきはするが右脚にとくだんの負担感無し。しかし、買い物を済ませた頃からは歩行苦痛。ささやかな期待感で満足しなきゃと思うべし。
☆「教職と教育を学ぶ自主ゼミ http://www.freeml.com/gaku_edu_zemi 」に写真8枚投稿