お久しぶりです

具体的でない自分の考えを外に出すことが、ずいぶんと久しぶり。
あれから、退職して結婚して出産して専業主婦で育児してます。逃げて流された結果の現在とも言える。後悔はたくさんあり、自己嫌悪も同じく。しかし、子どもを産んだことだけは後悔してはいけないよなぁと思う。子どもに失礼ではないかと。
読んだ育児書の「アイデンティティ」という一文を見てこの場所を思い出した。育児中の母親は社会との断絶によりアイデンティティが不明確になりやすいという。アイデンティティの不在は私にとって以前からのことだったなと思った。
でも、それがなくてもなんとか生活している。子どもの存在はその穴を埋めるのか? そうかもしれない。いや、金でも仕事でも趣味でもなんでも埋められそうだよ。そうやって埋めてはいけないの?
でも、この子には大事なものを持っていてほしいと思う。私は子どもに寄りかからないように、気をつけなくちゃ。
「いつか遠くで知らない大人になるそんなありがち」な人生でも悪くないと今は思っている。

お仕事対談

http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20121206/141261/
深澤真紀さんと津村記久子さんが、自身の生々しい経験を織り交ぜながら、「ダメでも働く」ための技術を語り尽くす対談。

津村:母親は、なんでも思ったことを口にするほうで、こちらが話していても、半分ぐらいは最後まで聞かずに、自分の所感とか心に浮かんだ別のことを話し始める人なんですよ。
 織田作之助賞をいただいた時に(第28回・2011年『ワーカーズ・ダイジェスト』)やっぱりすごいしんどかった。賞にノミネートされるって、ありがたいけどしんどいじゃないですか。そのときに「しんどいしんどい」ってずっと言ってた。ずっと考えないようにはしてたんだけど、受賞作が決まる日だけはやっぱり考えなあかんから、ずっと脚をかきむしってて。
 で、「とりました」ってなって。大阪で選考会があったんで、会社帰りに打ち上げの会場行って選考委員の先生方にあいさつして、ひーとにかく終わったーって帰ってきたんです。「もうずっと脚ギーッてやってたわ」って言いながら冷蔵庫開けてたら、母親がちょっと私の足元見て、「あんた足小さいな」って。「歩いてないんちゃう、あんまり」って。
もうそのまま冷蔵庫のドアで頭殴られたような感じになりました。それからもそういうことが少し続いて。
 そういう折に、『「つながり」の精神病理』(中井久夫著)っていう本をもらって(笑)。読んだら、「これはおかんや!」って思う記述があったんですよ。「High Emotion-Expressed Family」っていうらしいんですけど、「なんでもかんでも思ったことを言ってしまう家族」っていう。私がそう診断されたとかじゃないんですが、そういう親を持った統合失調症の子どもは治りにくくなってしまうようです。

 あとサールズっていう人の「相手を狂気に追いやる努力」っていう論文を見て。会話の波長を合わせないとか、頻繁に話題を変更することは、相手を変にしてしまうみたいで。実際私は、ものすごく追い詰められて、鍋をひっくり返して部屋を荒らしたりしてしまいました。というか、そうでもしないと伝わらないと思ったんで、片付けやすいようにとか家具が傷つかないようにとか考えてやったりしてたんですが(笑)。

 それから、より一緒にいる時間を減らしたんです。どこの家も、おかんって大体台所におるんですよ。自分の部屋があるのに、テレビとおやつのあるところにおる。私は必ず台所を通って部屋に帰るから、「テレビとおやつは自分の部屋でやってくれへん?」っておかんに言ったんです。夜の11時くらいまで、あんまり座り心地もよくない台所の丸椅子で、私か弟が通るのを待ち構えてたんで。

深澤:アリ地獄みたい(笑)

津村:そう。でも待ってるのに、あまり話は聞かない。どちらかというと話をしてくる。弟にどう接してるかは知りませんけど。

深澤:それはしんどい。

津村:でしょ? なんだかんだでしんどい人でもあるんです。それで、その本の該当しているところを読んでもらい、テレビとおやつを自室にもってってもらうようになって、あまりしゃべらなくなって、今はうまくいっていると思います。

 悪いことした、という気持ちもありますけどね。ひどいことを言ったりするわけじゃないけど、また別のしんどさがあったし、でもそれは、違和感を持っていいものかどうかもわからなかったんで。問題に気付けたのは良かったと思います。

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津村:自転車乗ってると運転に気をつけてればいいし、ほんとに楽しい。「自転車乗るのはいいなぁ」ってあまりにも思うんで、自分が躁鬱で単に自転車乗ってるときに躁がきてるだけかなと思うくらい。マシなんで。だから毎日自転車に乗ってどっか遠いところまで行って――書く仕事じゃなくてゲラ見たりする仕事あるじゃないですか。そういう仕事を外でやって、家に帰ってきて夜に書いて、っていうのを一応考えてます。

深澤:逃げるところをいっぱいつくらないと。私は旅行や出張にたくさん出るようにしてるんですけど、旅行や出張がないときはどうするかっていうと、まずホテルのロビーに行きます。普段行く用事がない錦糸町とか。

津村:なるほどー、それいいですね。

深澤:錦糸町のホテルのロビーは普通行かないから、旅に来た気分になるんですよ。

 あとは東京駅、品川駅、上野駅みたいな、人がやたらにスーツケース持って歩いてる場所でぼーっとしていると、自分もなんだか旅に出た気になる。

 それから、東京にはコリアンタウンとかチャイナタウンとか、エスニックタウンがたくさんあるので、日本語じゃない言語があふれてる街に行って本場の味を食べる ―― 今はそれが仕事になっちゃってるんで、微妙なところがあるんですけど ―― そういう異国語が飛び交ってるなかで「この人なんて言ってるんだろう」「これってどういう意味なんだろう」みたいなことを考えて気を逸らすことができる場所に1時間くらいいて帰る。

 そういうことをしないともたないんです。

 気分転換というと、女性は、ヨガとかアロマとかにいきますけど、そっちは余計なことを考えやすいからダメですね、私は。

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深澤:私は独立したときに、自分のことを朝顔の観察日記つけるみたいに観察してみたことがあるんです。それで、自分の機嫌がいいときとか自分の調子のいいときの傾向を調べてみた。こういうことって自分では意外とわからないでしょう?

津村:わかりませんよね。すごい大事だと思います。そういうことは、覚えているようでぜんぜん覚えてないですよ。

深澤:調べてみてわかった、私の調子がいいときの1日は――。夜型なので、10時に起きて布団の中で1時間ほどメールチェック(ここでエア返事を考える)→おもむろに起き出しパソコンを立ち上げメールの返事を書く→会社員の人たちのランチが終わる頃にランチ→そのまま打ち合わせや取材→銀行に行って振込と記帳→消耗品の買物→帰宅→夕食をつくってテレビ見て漫画読んでネットする→朝まで仕事。これがいちばん精神が安定するんです。

 だから、週に1日か2日はなるべく上の行動パターンになるように自分でスケジュールを調整します。

津村:あー、いいですね。パターンを持てることはすばらしいです。参考にします。

深澤:とくに記帳がすごく安心しますね、なぜか。

津村:私は洗濯してる時間が好きですね。自分の人生でいちばんマシなことをしている!って思います。日曜の夕方に洗濯して夜干したあとに「ほんまにいいことした」って思う。あれなんなんでしょうね。

深澤:なんでしょうね。

津村:なんですかね。普通のことやのに。

(略

深澤:とにかく自分を観察してみると思わぬことを発見しますからおすすめ。だから、仕事がたまっているときは、「これが終わったら記帳するぞ!」ってとっておくぐらいです。

津村:私も「今洗濯したらもったいない」とか思いますもん。今は余裕があるから、洗濯じゃなくて植物の水やりにしよう、とか

深澤:自分をごまかして動かすんですよね(笑)。ダメなテレビみたいなもので、叩きながら、だましだまし動かす。

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深澤:私は基本的には相当ダメだけど、自分の中にちょっとだけあるいいところを無理矢理押し上げて、自分の御輿を自分で担いでる感じ。

 普通の人は“ご本尊”(=いいところ)が3つ4つあるけど、私は「口が達者」というご本尊しかないから、そのご本尊だけにがんばってもらう。

 残りの、性格悪く、ブスで、デブで、体が弱いといういろんなダメな私たちが「あなたにがんばってもらわないと食べていけないから!」って「口が達者」な私を褒めてくれるんです。「真紀ちゃんすごい!」って(笑)

津村:どっかで書いたんですけど、私はシフト制ですね。文章を書いている自分と、プロットを考えている自分は厳密には違っていて。夕方ぐらいの私が書いたプロットを、夜の人に「はい、文章にしてね」って渡してるっていうようなところがあって。で、その夜中の私には、「いやでも録画した試合見たいわ…」とかいろんな誘惑があるんですけど、「今見てしまうと、4時間後の自分に迷惑が掛かる」と言い聞かせる。

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(前回、「街歩いててすれ違う女の人全員の頭からつま先まで見て、自分が勝ってるか勝ってないかを考えてる人」にいろいろ言われて苦しんでいる人の話が出ました。その続きで…)

津村:だって、その女の人のほうが変でしょ? 服とかバッグとかひとつひとつ「自分より上」「自分より下」って思うって。

深澤:でも女性が陥りやすい病ですよね。

津村:…そうなんですかね。でも、それはあかんやろと。友人にずっと言ってたんです。「寝るときになっても、昼間自分がすれ違った女の人が自分よりいい女かそうじゃないか考えてる人のほうが、“ダメだ”と見なされた人よりも問題抱えてるで」って。

 子どもがいつまでもいつまでも人のこといじめたりあげつらったりするようなもんで、他に考えなあかんこともいっぱいあるいい大人が、そんなことするのは変です。言われるほうは特に悪くない。言うほうが悪い。他人のちょっとした失敗とかをずーっと覚えててずーっと言うやつのほうがおかしいです。

深澤:絶対そう!

津村:そういうふうに考えるようになりました。

深澤:津村さんは「他人を使ってガス抜きするやつから逃げろ」ってこともよくおっしゃってますよね。「子どもがいない人にはわからない」とかもそうだし。

津村:私が言われたわけじゃないんですけどね。そういう物言いを見かけると、でもみんな最初は子どもやったやん、と思います。

深澤:自分を肯定するために誰かを悪く言うとか。

津村:そんなことせんと普通に好きなことしたらいいのに、って思います。

深澤:他人を使ってガス抜きする人はどうしようもなくいるんですよ。

津村:いますよね。問題が表面化しにくいだけで。

深澤:そうしないと自分が支えられないという気持ちはわからないでもないけど、その被害には遭いたくない。

 だから、「他人を使ってガス抜きをする」の被害者になったときにやるべきことがあって、それはその加害者から逃げること。それから自分は「他人を使ってガス抜きしない」ってこと。

津村:まったくそうですね。他人を調達しなくても気が晴れることなんていくらでもありますよ。

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津村:「イタい」女子会って何ですか?

深澤:他の女性のイタいところをあげつらう女子会です。「あの子、最近片思いしててイタい」とか「なんだかださくてイタい」ということを発表し合って、「自分はそこまでイタくなってないよね」って確認し合う会です。若いときは私も喜んで参加してました(苦笑)

津村:ひたすら自分自身と周りの人の差異の話をするんですか?

深澤:そうなんです。

 作家の松浦理英子さんがギャグパートナーっておっしゃってますよね。つれあいにしろ友だちにしろ、ギャグでつながるのがいいと。どうでもいい話や中身のない話をできる相手っていいですよね。

津村:そう! 中身のない話がいちばん大事です! 中身のない話するのってけっこう技術がいるし。

深澤:いるいる。私も夫とは25年も一緒なので、中身のない話を語る技術はお互いに磨かれましたね(笑)

 それにどうせ「これからどうしたらいいかな」って言ったって、お互いにいい答えなんかないし(笑)。家族とか友だちとはむしろなるべく中身のある話をしないようにしたほうがいい。

津村:それ大事です。

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津村:仕事ってそういう工夫をするのが大事なんです。それを、「フォントを変えるんじゃなくてマインドを変えないと意味がない」とか言っても始まらない。「メイリオで仕事の能率変わるんやったらええやん?」って思う。

 しかしメイリオでこんなに語ることになるとは(笑)

深澤:津村さんと私はやっぱりしょうもないところでつながってますね。まさかメイリオで盛り上がるとは。

 でもね、こういうしょうもない工夫をすることが大事なんですよ。工夫するくらいしかできることはない。

津村:ないですね。心は一朝一夕では変えられないけど、でも道具は変えられるんで。

深澤:仕事がのってるとかのってないとかって、自分の力じゃどうしようもないことじゃないですか。だからペンに助けてもらったり、メイリオの力を借りる。

津村:テキストエディタの背景の色を工夫したりとかね。「目ぇ疲れへんなぁ」ってひとりほれぼれしながら仕事する、みたいな。新しいお茶を試したりとか。

深澤:私、エア仕事場遊びとかもしますよ。イトーキとかオカムラのサイトに行って自分の仕事場を妄想するんです。

 宇宙船のコックピットみたいになるデスクがあって、組み合わせがシミュレーションできるページがあるんで、それをずっと見てる。「68万円かぁ……」とか思ってしばらくうっとりして、現実に帰ってきます(笑)

 仕事の環境を変えるのっていいですよね。ちょっと足の置き場を変えるだけでも。

津村:根本から変える必要は全然なくて、ちょっとしたことを変えて3日もちました、次の変化で7日もちました…って、そういう小さな工夫をずっと続けながらちょっとずつしのいでったらいいと思うんですよね。

深澤:だいたい朝起きて1日が終わるのを繰り返すだけでも大変ですよ。まず1日をごまかし、1週間をごまかし、1カ月をごまかして生きていくだけで十分。

津村:ちょっとマシになってきたぞ!って思いながら。

深澤:自分自身がマシにならなくてもいいんですよね。

 環境がよくなったとか、小さな「マシ」づくりを繰り返すことで、結果的に自分の本体がマシになることもある、っていうぐらいでいい。

 本体の向上を目的にして道具を変えるのは期待通りにいかないけど。モンブランの万年筆を持ったから私の書いた文章の値段が高くなる、ってことはない。

津村:それはないと思いますね。

深澤:大事なのは工夫です。

津村:モンブランの万年筆持ったからいろいろ書きたいぞ! っていうのはあっても、全部が解決するってことはない。もっとボトムアップというか、ちっちゃいことを積み上げることでマシになったり。ちなみにモンブランのインク瓶は、めちゃテンションが上がる形をしてます。

深澤:ご褒美とかも絶対ダメ。「自分にご褒美」みたいな考え方をすると、どんどんご褒美がインフレ化して疲れちゃうから。工夫ですよ、日々の工夫。

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深澤:言うんですよ。サブカル男の、女や弱そうな男に対する抑圧って、実は結構すごい。

 サブカル男グループって、「中2病」とか「DT(童貞)」とか言って、「男は幼稚である(でもそこがいい)(女は現実的でつまらない)」というメッセージを発信し続けている。

 でも「中2病」も「DT(童貞)」も、女子もかかる病気でもあるんですよね。「バカで幼稚」という病気だから。そして、女性も大人になっても幼児性を持ち続けることはすごく大事で。

津村:幼児性は持ち続けたほうがいいですね。

深澤:女性は、その幼児性にふたをして「大人の女」になって「大人になれない男」を支えていくものと思い込まされてるんですよね。

津村:メイリオ的なものに対して「字の形が変わっただけじゃん、子供みたいに何を」って発言する状態って幸せじゃないと思います。「メイリオやでぇ!!」って盛り上がれないと。

深澤:そうそう。私なんか鼻毛が出るほど盛り上がるもん。この「鼻毛が出る」とかいうくだらない表現を使い続けるのも大事だし(笑)

 あと生理の失敗をあえて語ったり。私なんかブルーシート敷いて寝ようかと思ったことがあったくらいだけど、大人になるとあんまり生理の失敗の話しなくなるじゃないですか。

津村:生理の失敗ね(笑)。いい言い方(笑)。そう言ってもいいんだ!って今すごい感動しました。生理は何年たっても失敗と改良の連続ですよ(苦笑)

深澤:ここでも工夫が大事よね(笑)。生理の失敗を克服したり、幼児性を克服するのは大人の女だっていう刷りこみが私はすっごくしんどかったんです。

津村:克服なんかできなくても、働いてられればいいんですよ。

深澤:周りを見ていると、長く働いている人は幼児性が強いし、幼児性が高いから毎日機嫌良く過ごしてますよね。

津村:「長く働いている人は幼児性が強い」!(笑)

深澤:新しい発見を楽しんでるから毎日飽きないんですよ。「猫があそこで寝てた!」とか「ヤクルトおばさんが新しいジョアを持ってきた!」とか(笑)

津村:私もまあ幼稚園児みたいな過ごし方をしてます。大阪の西天満のあたりに、窓に「貸」とだけでっかく赤字で書いた貼り紙をしてる部屋があって、それがおもしろくて、友達と「貸ス、貸ス貸ス貸ス貸ス」って虫の鳴き声みたいにして言ってて、しまいに、「わぁ〜、貸してくれるんですか〜?(棒読み)」「貸貸貸貸」ってサンテレビでやってるようなコマーシャルみたいなの作って、えんえんと1時間ぐらいやってた、最近。ちなみに、その友達は既婚者ですよ。

深澤:そういうのがいいんですよ〜。ダメと幼児性の親和性は高いですから。

津村:「ダメと幼児性の親和性」!(笑)

深澤:そりゃそうですよ。自分のなかの幼児はダメに決まってます。

 私今いちばん欲しいのが、3万6750円のマジンガーZの超合金ですもん。すっげーかっこいいんですよ!!! 子どものときは、マジンガーZを買ってもらえなかったんですよ、楽しみすぎてネットの写真をプリントアウトして飾ってますよ。

津村:そういうのありますよね。

深澤:大人になったらマンガを卒業するとか、ポップカルチャーを卒業してハイカルチャーに行くとかいう人がいますけど、無理に卒業なんかしなくていいいんです。それを維持しているほうが自分の機嫌がよいなら。

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深澤:ダメと幼児性は大事。だけど表に出しすぎるのはよくないから、メイリオ的な盛り上がりで小出しにするのがいいですね。

津村:メイリオで盛り上がれると、人をいじめるとかあんまり考えなくて済みますから。

深澤:メイリオが人を苦しめることってあんまりないから(笑)

津村:とにかく、目の前の人に議論で勝つとか、会話で勝つとか、そんなこと考えるよりは、「あのチームはCL(チャンピオンズリーグ/欧州のサッカーの大会)に出られるんかしら?」とか「あのコンビが今年いきなり面白くなったのはつっこみが飛躍的に上手にならはったせいかしら?」とか「ツール・ド・フランスどうなるんやろ?」ってことをだらだら考えているほうが人も傷つけないし間が持つような感じはします。募金に行ったり(笑)

深澤:募金?

津村:私が善行を積めば何かの足しになるかもしれない、などと考えたり…。

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深澤:今の話の教訓は何かっていうと、「共感を求めない」ってことですよね(笑)。誰かにその話しても、聞いてる人はぽかーんとするでしょ。

津村:しますします。

深澤:私もちょっとぽかーんとしたし(笑)。

 だけど、女性って、趣味とか時間つぶしにすら共感を求めるんですよ。だから、ヨガとかアロマテラピーとかステキ路線に行っちゃう。「いいなあ、私もやりたい!」って言われたいから。

津村:そんな反応を期待したことない(笑)。あほやなあ、って言ってもらって、その場でちょっと笑えたらそれでいいです。

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深澤:まあ、一緒にがんばった仕事がうまくいったとか、おいしいものを一緒に食べるとか、いい時間は共有とか共感していいんですけど、そうじゃない部分は共有も共感もいらない。

 たとえば、私が津村さんをどんなに好きでも、「自転車選手好きになってください!」って言われて好きにはなれない。

津村:(笑)そんなこと言わないですし、おすすめもしません。中継時間が長いし。

深澤:私も自分のしょうもない趣味はしょうもないままでいいんです。誰かにわかってもらえなくても平気になっていくのが大事。

 ひとりに慣れたって言うと、必ず「寂しい女」とか言う人がいるけど全然寂しくない。いろいろな変な趣味を持っていると、心の中はむしろにぎやかですよね。

津村:そうそう。テレビ観ながら心の中で「シンクレアがハットかよ!(サッカー女子カナダ代表のFW、クリスティン・シンクレア。五輪準決勝アメリカ戦でハットトリック)」「すげえ鬼みたい! かっこよすぎ!」「試合中は鬼みたいなのに表彰台で照れてる!」とか、ありえないぐらい盛り上がってますもん。

 おもしろい人とかものを見たら、1週間ぐらいそのことばっかり考えてます。メモ帳にも、おもしろかった!とばっかり書いてる。私はそのおもしろさを、あんまり共有しにいったりしないんですけど、「おもしろかった!」っていうのを残しておけば、あとあと小説のネタになったりもしますし、ちょっと冷静になってきたころにそれを見返したら、「どんだけおもしろがってんねんあほか」とちょっと笑えたりもする。

深澤:ネット社会がいいのは、自分だけと思ってたしょうもない趣味を他の人もやってるってわかることですよね。

津村:聞きとれんかった実況を補うのに人のブログ見たりツイッター見たりはしてます。「あーそういうことか」みたいな。

深澤:だけどリアルで会わなくていい、そのくらいの距離感がいいですよね。

 前に自分と同じしょうもない趣味をもってる人のブログを探して読んでたら、私の本を読んでたことがわかってうれしかったけど、私もその人のブログの読者でいたいから「交流すまい」と思った。

津村:でも、その人が突然書かなくなったり、ブログがなくなってしまったら、ちょっと泣きます。すごい悲しい。

深澤:そうなんです。

 よく「ネットやアニメとかゲームには人間味がない」とか言われますけど、そんなことは全然ない。リアルな人間関係も、ネットなどで直接会わない人間関係も、人の手がかかってるものに接するのは全部人間関係ですからね。

 私もリアルな人間関係をどうしても得意になれないから、本とか映画とかネットとか漫画とか、創作の人間関係を選んでるんです。創作だったら死んだ人とも友だちになれますから。

津村:うんうん。

深澤:『自分をすり減らさないための人間関係メンテナンス術』にそのことを書いたとき(「リアルなコミュニケーションばかりでなくていい」)、多くのオタクの人たちから「それでいいんですねー!」って大歓迎されて、うれしかったですね。

 だいたい日本ってホームレスや引きこもりの人までが勤勉なんですよ。働いているホームレスって日本独自の存在だし、引きこもりもネットやゲームをしている。引きこもりの人を集めてゲームのデバッグをする会社ができたぐらい、引きこもりのゲーム習熟度はすごく高いんです。

 ホームレスも引きこもりも真面目で、何かしらちゃんとやってることがある。それなのに「ちゃんとやってない」と思われてる。

 リア充――恋愛してたり仕事をバリバリやったりしてないと、自分の人生は充実してないと思っちゃうし思わされてるんですよね。

 でも、ゲームだろうがネットだろうが本だろうがマンガだろうが自転車だろうがAKBだろうがM-1グランプリだろうが、何にだってそこには人の営みがあるわけだから。その人の営みに、受け手が何らかの形で応えること自体、もう十分に人間関係が成立してるのに、それを「十分じゃない」って言う人が多いんですよ。

津村:人に見せられる感じにしようとしますよね。でも、そんな必要ない。

ある大学でこんな授業があったという。 
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
 学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。

「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
 大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。

いつの間にか月日は過ぎて。
初めて人と付き合って別れて、また別の人と付き合っている。
休日を彼に使うことに違和感がないのは、前の彼に慣らされた生活。
結婚を迫られて、それもいいかなと思っている。(不安もあるが
今の会社やめたいし。転職するつもりはある。
私の時間を使われることに抵抗が出てきた。違うことをやりたい。具体的に決まっていないけど。
下のコピペをよく思い浮かべる。

私は読書の才能がある。
物語の中に入って終わるまでそこに意識を持って行かれる。私の現実を空白にして。現実逃避ともいえることかもしれないが。
今、戻ってきた現実で思い出した未来と今の気持ちを忘れないように書いておく。
私は現実に不満があって、物語に力をもらって、予想できる未来を変えるために何をしようか探している。

4月18日

大きな災害からひと月と少し。当時の非日常に継ぐ非日常。そしてこんにち、残った目に見える影響は建物の壁にヒビが入ったことくらい。私がいる場所はもう平気になった。
今は少しぼやけた記憶を書いておこう。
当日、大きな揺れに会社の外に出たら道路が波打っていたこと。外に出るとき自分がケータイしか持っていなくて防災意識が低いと反省したこと。地震の復旧作業に関連する仕事。繋がらない電話。お母さんがメール使えてよかった。つきあっている人と距離を置こうとしていたのにそれどころではなくなってしまったこと。棚が空になったコンビニ。見たことがないくらい車と人通りの多い会社付近の道路。電車が動かず同僚の家に泊めてもらったこと。深夜のニュースで、かつての町の映像。一面土色に見えた。あそこに住んでいた誰かはどんな表情でニュースを見るだろう。生きているだろうか。夜中にも地震とエリアメール。眠った気がしない。
翌日、動き出したが本数が少ない電車に長蛇の列のニュース。まだ電話は繋がりづらい。仕事の続き。仕事の主要者はほぼ徹夜だそうだ。こんな状況じゃまだ帰れない。あとつきあっている人に負荷を掛けることはできない。家族の顔を見て話をしたかった。夜には仕事も一段落ついてどうにか自宅まで帰れた。
電車が来なくて空いた時間に駅ビルの本屋へ行った。非日常の日常を忘れたくて、優しくてハッピーエンドの物語が読みたかった。精神的な痛みを忘れる方法を私は知っていた。こんなところはいつもと同じ。鮨詰めの電車内で隙間ができる隅の場所を確保して本を開ければそこの中にはここではない世界。
帰るのにも労力を使う。家族とそのときどうしてたか話をした。
二日後、休んでいいと言われていたから、午前中いっぱい眠ってようやく起きる気になる。疲れはまだあった。計画とはいえよくわからない停電予告。繰り返すニュースと特定のCM。電車は首都圏しか動かず、車は渋滞でガソリンも不足。明日もこうなら会社には行けないな。食料、水、電気の不安。よくわからない有害物質の不安。また揺れる。何も出来ない。闇雲に何かをすることが迷惑になりそうで、何も出来ない自分に歯を噛む。
その後、電車は徐々に復旧するが本数は少ない。会社には向かえるようになった。仕事に参加できると無力感はかなり減る。いつもよりかなり混む電車。引き続きガソリンや電気や食料、物資の不安。つきあっている人からは部分的に謝られてつきあい続けることになる。二日に一回位泊めてもらいつつ、どうにか日常を過ごす。通勤時間が長いと不便だ。
一週間、地震の為に遅れた通常業務の立て直し。それほど物資に不安はなくなり、常よりは不足だが拘らなければ大丈夫だ。ニュースをつい見てしまう。また揺れるしまだ揺れる。また復旧の仕事が増える。
二週間、引き続き復旧と通常業務の立て直し、に次いで決算がある。思い出したくもない。自分が使う電車の路線はまだ通常の半分程度の本数、泊めてもらいつつ過ごす。
そして4月。始めだけは決算処理と通常業務が間に合わず忙しかったが、今はほぼ通常。電車も以前と同じに戻った。まだ揺れるしときどき大きな揺れは緊張する。不安もまだある。有害物質、電気、品不足、会社の工場でも部品不足があるそうで、会社の先行き、経済の先行き、国の先行き。まあそれは遠いことでもある。自販機は節電で照明がつかない、店舗の営業時間が短い、といった些細な違和と不便は続く。まだつきあっている人のこと、と私のこれからをどうしようか。この不安は以前と同じか。


家の扉の開きが悪くなった。傾いたかもしれない。疲れが溜まって体調を崩した人がいる。停電、節電という些細な不便。負荷の名残は自分のところにもある。
電気を使う生活は見直せるのかと少し考えたりもした。移動の労力と電気量というトラフィックの負荷。なくても平気なものの生産は必要であるかとか。私には些細な不便に慣れればいいことであるが。皆がそうとは限らないのか。


繰り返すが私のいる場所は今はもう平気で、かつての通常の生活を繰り返せる。でもかつての生活は無駄が多かったことが見えてしまったから、自分の周囲から生活や仕組みを整えていくことが私の個人的な仕事だと思っている。

1月22日

先日26歳になった。ここ最近は、友達だと思っていた人に遠ざけられた感覚が胸に痛くて、一人のときに涙が出てくる。遠ざけられたのは私がネガティブなせいですか。しかし楽観的にもなれない。今はまだ。
あと4年。転職にしろ結婚にしろ、有効期限はあと4年。明確な規定がある訳じゃないけど、履歴書的な足切りだよね30歳て。
不満と不安が意識を占めている。希望する事象が空から降ってくること、なんて空想の希望的観測をするのがささやかな楽しみ。希望を、実現可能な未来像を、人生の設計を、成すべきであるというのに、理想も計画も出てこないわ。ため息は出る。
仕方ないから起きてごはんを作ろう。とりあえず生活をしよう。