1. 嵐の前触れ

今思えば2007年のサブプライムローン問題が2008年9月15日のリーマン・ショックを引き起こしアメリカ経済に対する不安が決定的となった結果、海を隔てて東の島国の経済までもおかしなことなったわけで、よくもまあ酷いことしてくれやがったな、という思いが募ります。

2008年の9月、私は中部地方のある半導体メーカへ単身赴任していた。嫁の妊娠が発覚したGW明けからかれこれ5ヶ月、一緒に赴任していた後輩は3ヶ月の約束だったので福岡からのメンバは私1人なっていた。業務も切迫していたこともありリーマン・ショックのニュースを見ても気を止めなかった。

そもそも半導体業界は浮き沈みが激しく、周期的な需給変動を繰り返す特徴がある。2008年は比較的需要が高く、中規模の回路設計会社に所属して私もその恩恵を受けていたといえよう。残業代を考えると、結構な額を貰っていたと思う。世の中の動向を気にするより終わらない仕事のことを考えてた。

社内でも業務契約の更新や案件についての減少は見られず、リーマン・ショックの影響は2008年末でも特に感じなかった。個人的には需要案件の多い大企業と一緒に仕事をしていたから余計に景気の後退の予兆を感じるのが遅れたようだ。元来楽天的な性格だったことも大いに関係していると思うけれど。

年が明け2009年1月、携わっていたプロジェクトも終盤に差し掛かり担当の業務も見通しがついたので福岡へ戻ってきた。次の案件が福岡にある、という報告を受けかつ上長もゴーサインを出したので戻ってきたんだけれど、フタを開けるとその業務は凍結、その他上がっていた案件も軒並み凍結。

年明けから雲行きが怪しくなってきた。線表に予定されていた案件が次々と「凍結」「延期」「中止」と宣言された。サブプライムローン問題から端を発し世界を駆け巡った不景気の波が本格的に半導体業界に吹き荒れようとしていた。

2. 襲いかかる風、雨

不景気でモノが売れなければ半導体も当然売れない。新規案件の開発はすっかりなくなってしまった。手のひらを返したようにすっかり案件はなくなってしまった。全国的ないのです。特に九州は少ない。しばらくは社内でスキルアップと称して半導体設計業務の見直しや振り返りやっていた。

派遣や構内請負をしていたメンバが徐々に契約を切られたり、単価の引き下げを提示されて契約拒否して福岡営業所に戻ってきた。私はときおり以前の仕事の繋がりから頂いた単発の仕事をこなしていたが基本暇だった。ちょうどこのあたりに娘が生まれた。私生活的には仕事が忙しくないときだったので好都合だった。

そしてメンバのひとりがヒッソリと転職。社内に不穏な空気が流れる中、本社から人事部長が「直接」福岡のメンバに話があるといって来福してきた。日本海外を含めた今日の半導体業界の実情、九州の実情、九州部隊の貢献度等つらつら喋った挙句「福岡営業所は畳みます」と言い放った。

…まあね、それは仕方ないよ。業績が悪化していて、九州は貢献度が低く、来季は大変なので畳む。話はわかった。しかしね、「今3月ですが、4月で閉鎖します。つきましては会社を退職するか、本社のある中部地方の転勤のどちらかです。1週間で決めて下さい」て。考えられない会社の要求に唖然。

「なおこの指示は法令上問題ないことを確認しております」と。あのな、法令上だかホウレン草だか知らんが、生活が大きく変る決断を短期間でやれとか心情的に物理的に無理っだってことがわからんのか? というかわかっててやっているのだろうけれど、これはない、と思った。畳む判断はもっと前にもできたはず。

経営判断をギリギリまで先延ばしにして社員に迷惑かけるとかどんだけだよ! 出産したばかりで精神的に不安定な嫁に話すと、「転職先なんてすぐ見つかるわけないんだからとにかく中部地方へいくしかないでしょ! てか、こんなことになるって働いていたらわかるよね? なにやってたの」と。

そりゃ原理的には仕事が無い状況だった=転職準備ってのもあったかもしれんが、人生に対してのセーフティネットをどんだけ重ねて準備しろっておっしゃるのかしらと思った。嫁の発言は常に後出しジャンケンで勝利確定側に立って発言するので非常に疲れる。まあね、女性はこんなもんだ。

ま、女性に限らないけれどね。で、私は会社をやめてそうだなぁ、半導体業界はもういいから社内でWeb関連の業務もやっていたからそっちの世界かあるいは景気に左右されない葬儀関連に転職しようかと思って軽く調べてみたが、Webは経験者かつ若い人間、葬儀は嫁の猛烈な反対により断念した。

だいたい営業所閉鎖にひと月もない状況、そして大不況のさなかすぐ仕事が決まるわけもなく、結局嫁の強い意向で中部地方へ転勤、引越しすることとなった。「もうちょっとしっかりしていると思ったんだけどな」とは、会社にいったのか私への皮肉なのか、あるいはその両方なのか。

3. 濁流に押し流されて

福岡営業所はもともと地元志向の技術者ばかりが集められていたこともあって、8割が退職し地元で仕事を探すことを選択。その中には私のように子どもが生まれたばかりの後輩も含まれていた。半導体開発の業務は2009年4月の時点でほとんど求人はなく、半数の人間は別業界へと移っていった。若い技術者は景気のよい半導体設計系に引き取られた。

営業所解散飲み会の幹事を何故か引受けることになってしまった。会社、自宅の引越し準備でそこそこ忙しかったものの、業務自体がないので特に滞りもなく開催できた。会場は飲み放題食い放題の和牛焼肉の店。若いメンバが狂ったよう貪り飲み干しておった。それを横目に30代はしみじみとしていた。

会場へ入るときに見上げると、桜が八分咲きになっていた。普段なら花見酒だとはしゃいでいたものだけれどこのときばかりは、花の輝きの短さが自分の状況とダブって見えて切なかったことを覚えている。通りすぎるご機嫌な酔っぱらいを怒鳴りつけてストレス発散してやろうかとヤサグレたりした。

親も妹2人の家族も福岡に住んでいる。というかそもそも今の会社に入社したのも福岡へUターン就職するために入ったわけですよ。だのにまたしても福岡を離れることになるとはね。転職なんてすぐできないだろうから、中部地方へいったのなら将来そこに住み着くことも考えないといけなかった。

親に相談したけれど、親父は「生活が第一やろ。さっさと中部地方へいけ」といいつつ「ところでいつ戻ってくるんだ?」とダブルバインドしてくる始末。あのな、親父の時代とは違うんだよ、といったところでどうかなるわけでもなし、ああ、まあ、頑張るよ、というに留めた。母は嫌がっていたね。

GW明けに引っ越すことになったので家族全員で送別会を今度は地元のお高い寿司屋でやりました。各家庭それぞれ0歳〜1歳の子供を抱えていていろいろ大変で、特に北九州にいる上の妹家族は福岡市まで御足労頂いたことよ。別の日には福岡地元の友人家族とお別れ会。全然現実感がなかったな。

幼児3ヶ月を抱えての引越し&新幹線移動に嫁ピリピリ。そりゃそうだよな。今思い返しても無茶してたなと思うよ。悪いことしたな、という気持ちと、俺だって被害者だよという気持ちに揺れてた。この思いは再就職するまでずっと奥底で燻っていた。もう一つ、しょうがねーじゃんという気持ちもあった。

転居先は中部地方の公団にした。家賃はそこそこだけど、敷金礼金不要、JR駅に比較的近く、目の前に大きめのスーパーがあって幼子を抱えた我が家にとって頗る便利な立地だった。部屋構成は福岡時代と一緒だったが間取りが小さく収納スペースが少なかったので、荷物を捨てる捨てないで随分揉めた。

私は大きな本屋があれば基本的に満足。徒歩10分でTUTAYA、徒歩30分で大型書店とブックオフがあったので十分。あとは九州になかったサイゼリアコメダ珈琲店が意外と使い勝手がよく利用していた。コメダは九州にあってもいいと思う。流行るんじゃないかな。

4. 束の間の休息

転勤した5月も私に仕事はなく、以前の仕事の資料作りや勉強会の開催のための準備をしていた。九州時代の仕事についての問い合わせも時折来たがメールで返事をすれば良いレベルの案件であり、実質的にやることがなかった。単身赴任時代の職場へいく話が何度も出たがいつしかたち消えになった。

一緒に福岡からやってきたメンバは5人。そのうち年齢が近いもう1人も仕事がなくブラブラしていた。6月になると社内で暇だったメンバが、キャリアチェンジと称して、プログラム開発講習にでることになった。なんでもそれに出ると、助成金がもらえると。稼ぎのない人は全員受けることになった。

キャリアチェンジすれば仕事はあるとかいわれたが、結局仕事なんてなく、7月には第1回目の早期退職についての話があった。このときはまだ、俺が対象な訳ないよwwwwと思っていたんだからお目出度い。自分の立場を考えればリストラなんて十分ありえたのに。正社員だから安心してた部分もある。改めて自分の甘さに反吐が出る。

転勤してからは残業禁止、役職もとかれ地方手当も削減、などなどあり、手取りが激減。嫁からは「生活できないんだけど?」と泣かれながら切れられる。手取り30万以上だったのが20万代になったんだからそりゃすぐには対応できないわ。即私の小遣いはゼロになりました。それは就職した今でも変わりません(逆に俺個人の貯金を切り崩して昼飯、交通費、小遣いを出している状況。手取りが大幅に減ったからね…)。

会社はこうやって早くやめるようにダメージを与えていたんだろうな。今思えば戦略的に自発的にやめるように冷たくあたっていたんだと思う。上司もよそよそしいかったなぁ、振り返るとそう感じるよ。もう上のほうではそういう通達があったんだろうね。あー、思い返すと腹が立つ。

8月なると早期退職に応じた社員がどんどん姿を消していった。中堅の今後期待されている人からやめていくんだからね。また、貢献してきた重鎮も揃ってやめていったよ。それでもまだ俺は大丈夫だ、と無根拠に思っていたんだな。賢い人はここで再就職活動をひっそりと始めていたと思う。

俺はどうだったかというと、せっかく福岡から出てきたばっかりなんだし、娘も小さいしそんな社員を切るとか気の毒に思ってくれるだろうとか考えていたからね。甘いよね。会社にとってもれば地元の社員を優先したいし若い社員を残したいんだよ、なにせ給料が安いからさ。

8月も当然仕事はなく暇なので定時退社。頗る規則正しい健康的な生活だったので、痩せるためにジョギングを再開した。もともと90kgあった。一昨年一念発起して始めて、7kgぐらい痩せたところで単身赴任なっちゃって。生活リズムが一人暮らしだし忙しかったしで荒れてもとに戻っていたんだ。

今は室見川の近くで生活しているので、そこの河川敷でジョギングしているんだけれど、中部地方でも住居のそばに川があったので、そこでほぼ毎日朝早くか寝る前に走った。このときはまだそうだねぇ、86.7kgが最高だから3.3kg程度痩せたって事になるかな。

再就職までのよくあるお話、始めます

Twittter で継続的につぶやいていた再就職についてのアレコレですが、ひとまとまりになったので、ここにまとめて掲載しておきます。再就職を体験された方、あるいは体験中のかた、果てはなるかもしれないそこののアナタ。それぞれにとって少しでも何かしら会得するところがあれば幸いです。暇つぶしにでもどうぞ。


追記:内容が幾分生々しいので、読んでいて嫌な気分になるかもしれません。ご留意下さい。
なお、再就職の簡単なあらましは再就職活動、簡単振り返りを御覧下さい。

5. 緊急警報発令

そして8月の終わりに2回目の早期退職制度の説明会があった。目標としていた人数が集まらなかったので再度告知したいうわけです。最後に、「次回から個別に連絡します」という話になった。まったく、こんな状況になっても自分が対象になっているなんて思わなかったんだから呆れるよな。

そしてその連絡はメールを通してきた。「重要な打ち合わせがあるので来て下さい」と。指定の部屋にいくと人事部長と常務が並んで座っていて。ひとしきり会社が努力してけれどリストラしなくちゃならない理由を話した後、「早期退職を検討してくれないか」とズバリいわれた。

「拒否できますか?」
「できるけれど、整理解雇になりますよ。そうすると早期退職でもらえる手当がなくなります」

といわれた。「どっちにしてもクビなんですね?」と尋ねたがふたりとも言葉を濁す。都合の悪いことは言葉にしないんだな、会社はもうイラネって思ってんだなと思い、視界が一瞬真っ白になった。

うすうす思っていたとはいえ、はっきりクビだと宣言されたわけで。信じたくない気持ち、いやありえんやろ、と。そんな酷いできるわけがない。いろんな思いが錯綜して。本当に吃驚するとこんな状態になるんだね。動悸が早くなって汗が吹き出した。「考えておきます」と応えて部屋を出たとき平衡感覚がおかしくなってたよ。

そして1番の心配はなんといっても嫁になんというか、だ。子育て真っ最中で一番荒れている時期にこんな爆弾を投下するなんて、命がいくつあっても足りない。足りないけれどいづれ話さないとダメなわけで。結局一週間後に話したんだが、その隠していた期間のしんどいことといったらなかった。心臓にナイフ突きつけられて一週間だった。

いざ、嫁に「クビになった」と伝えたところ、激しく狼狽しおいらを5時間説教。なお嫁の説教は最長12時間連続というのがあるので、この程度は楽勝なのですが、そのあと会社、社会、人生、おいらの存在すべてを否定する論証を聞かされるハメに。とくにおいらの人生の歩みについては手厳しいというか。

嫁「普通の人間なら首にならない。よっぽど欠陥があるんじゃない? 私だったらぜっっっっっっったいクビにならないけどね。なぜなら首にならないように結果を出すから」いやー、まあなんというかね、理屈は正しいのかもしれないがあれなんだよね、おいらは技術者ではあるんだけれどもさ。

仕事って、ある人間が欠けたら回らない、ということになったら困るから極力属人要素を排除していくわけですよね、フレキシブルにできるように。おいらの部門やチームではおいらを旗頭に徹底した切り分けを行ってきたので、正直いくらでも入れ替えが効く仕組みにしてたんだよね。で、おいらが対象w。

逆に、確かにあの人しかできない、ってな仕事を抱えていた人はクビにはなっていなかったけれど、それは専門技術を極めた個人技能の体現なのか、単に業務の切り分けができず整理できていないだけなのかは、おいらからは言えないけれどさ。まあそんなわけで、クビ宣言されてからは家に居づらくなった。

6. 身内の反乱

毎日顔合わせるたびにおおきなため息をつかれ、いい加減にしろというと泣き崩れ、自分の不幸を延々と語りだす。当時は子育ても加わって欝だったこともあるが、お互いボロボロの精神状態になったよ。唯一元気だったのが娘で、彼女の笑顔だけが希望だった。いや、これはホント。子供、侮れないよ。

9月は怒涛だった。労働基準局に相談しても「法律上問題ありません」とにべもない。クビ確定なので少しでも有利な早期退職制度に応募することにした。会社へ告げた時の人事のあの嬉しさのあまり漏れてしまう微笑に殺意を覚えた。溜まっていた年休を消化するため、 9月の第1週には出社せずに済んだ。

親に事情を話すと「困っているなら家(実家)で暮らせば?」といわれて即飛びついたのがいけなかった。そっちに相談するより嫁に話をつけるべきだった。ここからまた嫁との確執が生まれることになるんだよ。人間ってピンチになるとその人の根っこの部分をうっかり見せてしまうのですねぇ。

そもそも今いる中部地方で生活するのに理由がなくなったので、まず福岡に戻ってから就職活動しよう、地元だし仕事もあるだろう、と思って動いてた。幸い福岡に戻るための家は実家がある。今住んでいる家の家賃も勿体無いからすぐに引越しできるよう早速契約を解除したんですね。嫁も了解したはず。

で、実際引越し業者を決めて、さあ数日後に引越そうとしてた矢先、親から電話があって。「やっぱりおまえたち家族を甘やかすのは良くない、だから同居しない」といきなり手のひらを返してきてさ。おいおいおいおい、どうすんだこの引越用にまとめた荷物や、契約を解除したこの部屋は?

是が非でも同居を拒否する親父。今思えばこのときから痴呆がはっきりしだしたわけなんだけれど…。さて、そんなことより。引越しを中止するのに係る費用より新しい住まいを探した方が特、ということで、無職なんだけれど部屋を探した。幸い特に仕事については詮索されず借りることができたんだけど。

今度は嫁が「あなたの親は酷い」という。そりゃ最もだ。「でもそもそもいきなり福岡に帰ろう家を解約したあなたが悪い。そもそも仕事福岡にあるの?中部地方で探してから引越しすればよかったじゃない。東京にも近いんだからそっちで探すとかして、決まってから引越せばよかったのに」

後出しジャンケンは必ず勝てるよなぁ、とぼんやり思いながら嫁の罵倒を聴いておりました。優先順位が嫁と異なっていたんだな。私は一番に地元である福岡で生活したい。そのためにまず引越しだろうと。嫁は第一にとにかく生活安定。確実に就職してからだろ、と。実際働く人間の意見は無視なわけ。

「あなたは生活のことを考えていない!」

いやいや、考えているからこそ、いろいろ考えて決断しているんだけど…。なにをやっても気に入らないんだよな。こういうモードに入っている以上どうしようもない、怒鳴られながらいつもぼんやりやり過ごしているんです。皆さんの家庭はどうですか?

7. 流浪の旅へ

そして9月中旬、中部地方から福岡へ再び引っ越すことに。5月に越してきたばかりだから、5ヶ月少しの滞在となった。子どもが小さかったから遊びにいくこともままならず、生活をエンジョイする暇がなかったなぁ…。コメダ珈琲店でのモーニングを頂きながら午前中をだらだら過ごすのが唯一の楽しみでした。

同時にリストラされたもう一人の同僚は、今頃どうしているだろうか。彼はしばらく中部地方で就活をしてあたりをつけてから福岡に戻るとかいっていたけれど。彼も私と同様、中途で入った組。そういえばリストラメンバって中途組と40歳以上の生え抜きばかりだったな。費用対効果が薄いんだろうね。

転勤時には歓迎会をしてくれたのに送別会はないというw。リストラ組で集まって飲んで騒いで帰ったら嫁激怒「そんなことしている場合か!就活しろ!」と。平日から飲むこともなく、小遣いもカットされ楽しみもインターネッツだけで無駄遣いもせず、首になったことを癒すために一晩飲んだだけでこれ。

ほんと女性っていうのはほんと。常時ステータスが「世の中を恨む」モードに入っている嫁にはなにをいっても無駄だし、無茶な約束させられるし(ex:1ヶ月で再就職して)破ったら「どして嘘つくの!」と迫ってくる。約束っつっても一方的な宣言であり俺は了承していないのよね。こんなのばっか。

このクビになって福岡に戻ってくる、という時期が一番家の中が混乱していました。以前も書いたかもしれないが、嫁は祖父が大企業の研究者で小金持ち、父も大企業でそこそこ稼いでいたので、夫は大企業に勤めるし会社はツブレないしクビにもしないし大きな一戸建てを立てるものという決め付けがある。

ただ嫁は賢いし柔軟なので、流石にそういう社会適応能力を持つ夫では「ない」し、世の中不景気で仕事がなく、再就職も難しいし、夫をクビにした会社にも会社の都合がある、ということは理解しているんだよ。だけれど、そういう目にあうのがなぜ「私(嫁)なのよ?私が一体なにをしたっていうのよ」という気分が抜けない。

嫁「私が極悪非道でろくでなしならこういう目にあうのも納得がいく。だけれど、夫の親に従い、子供を産み育て頑張っている私にこんな不幸が訪れるなんて、意味がわからない!」というのですよ。嫁は因果応報とか、頑張ったら成果が出る、みたいな単純な法則で世の中が構築されていると思っている。

だけれど、世の中を見わたせば「矛盾」なんていうものはゴロゴロ転がっているわけでね。人生がどっちに転ぶかなんて分からないじゃない? そういう現実を受け入れる器がないんだろうなぁ、そういう現実の辛さを世間や親やその他の人たちがカバーしてくれていたから、そんな目に合わなかっただけで。

変な言い方ですけれど、現在の嫁は以前に比べて随分物分りの良い女性に変化している。これも今から思えば私のリストラによる理不尽な状況をくぐり抜けて手に入れた強さなのだろうし、同士に子育てによる子供の理不尽なアレコレに対処してきたからだ。まああれだ、人間的深みが出たのだろう。

8. 反撃の狼煙

福岡に戻ってきたときに、再就職活動を行うにあたりまず向かったのがハローワーク雇用保険の手続きをして就活する生活費を受け取るわけですね。私は240日分もらえることになりました。また会社都合での退職なので、即支払い日のカウントをしてもらうことができました。

次に解雇した会社が契約していた再就職斡旋会社へいき、どのような活動をすればよいか、というアドバイスを貰いにいきました。最初に簡単な性格判断テストを行い思考パターンとしてどのような傾向があるかを提示し、参考にするようにといわれましたが、だからなんだよ?ってなもんでした。

担当者「再就職活動をしていくと、何度も書類や面接で落とされます。これは仕方がない。ここで結構ダメージを受けて内にこもってしまう人も多いのです。ですからまず、書類や面接で落ちても平然としていられるようにして下さい。また、気分転換にもなりますから、こちらには2週に1度は来て下さい」

なめてたけどこれはね、書類や面接で落ちるたびに心が沈んでいって胸が実際痛くなった。社会から拒否されてる!と思うと平衡感覚を失われていくんだよね…。そしてやる気がゼロになる。そんな気分を切り替えるため、私は毎週1回会うようにしました。精神安定という意味でかなり重要でした。

退職後の手続きの基本は、雇用保険、健康保険、年金、と3種。リストラ一年生のみんなは忘れずに処理しておこうな! 特にリストラした側の会社がテキトーなところだったら関連書類の発行が遅れて大変なことになります(例:健康保険の任意継続)。こういうのって経験しないと分からないものですよ。

市民税、県税の高さに「これ公務員の生活費になるんだ…」とブルーになったり、健康保険や年金の支払を貯金から支払う虚しさって、一度体験したら忘れないね。なんのために働いているんだろう、税金のため?とか思ってしまうね。もう二度と無職は嫌。ところで phaさんは税金どうしてるんだろ?

9月末で退職だったので、正式には10月から正式な無職になりました。贅沢をしなければ退職金や慰労金雇用保険で1年は余裕で暮らせるし、貯金を含めれば5年以上は無職でも大丈夫ではあった。住宅ローンといった借金も皆無だったので、同世代でクビになった人たちより条件はよかったかも。

とか思って心の支えにしてた。そうでも考えてないと就活はやってらんないよ。テレビや新聞では不況不況と煽っている。メディアを通じてリストラされてもしかたないよね?という社会雰囲気を醸成しようとしているとしか思えなかった。あの頃は不況のニュースが流れる度に嫌な気持ちになったものだ。

9. 前門の再就職、後問の嫁

Webの就活サイトを利用した応募って簡単にできるんだけれど、サイト毎にいちいち個人情報を入力しないといけないのがスンゲー面倒くさくて死にそうだった。今後自分も含め、他の再就職者のためにちょっと便利になるサイト作ろうかなと今考え中なんですけれども、それぐらいなんつーかすんげー面倒だったなー。

で、Web応募の結果ですけれど、サイトの質によっていろいろだった。有名サイトなら会社もソコソコだからきちんと日程に合わせて返事をくれたりするけれど、中途半端なWebサイトだと、集まっている会社もアレなのか、返事をくれなかったり応募して2秒後に「残念ですが」メールが届いたりした。

9月からなにげなく始めた再就職活動。10月は再就職支援会社の面談、ハロワ通い、転職サイトからの応募、と3方向から攻めてみた。最初に偶然、某Web関連会社から面接してあげるメールが来たので有頂天になったが、実際会ってみると一言づつの集団面接で、あまりに扱いが酷く泣けた。

10月は8社ほど応募したけれど結局引っかかったのはそこだけ。あとはすべて書類落ち。この頃は自宅で Webを見ながらぼんやり過ごしていたからか、嫁から散々愚痴られてたのがノートに残ってる。嫁「机に座っててなんになるの?具体的に就職できる方法を私が納得するように説明して」とか。

嫁「6ヶ月(雇用保険のリミット。実際は8ヶ月分あった)経っても就職できなかったらどうするか考えているの? 無責任だよね」「先祖を大事にしないからクビになるんじゃない?」「クビになるとか、もうね、自分がダメ人間でだってことなんだから、それを認めなさいよ」

嫁「長男がクビとか親族や周りが心配する。実家にいって親に詫びてこい」「私は人を助けても助けられたことがない。こんな目に遭うのは屈辱だ。今後こうならないようにして、つかなんでクビなの?」「あなたの親や私が、あなたを甘やかしたからこうなったんだってことはわかっているよ?」

…当時の記録を読む返してみたが吐き気がするわ。さっき書いた文言はまだ優しいほうなんだよね…。あまりに酷いのは流石に書けないし、書きたくない。それにしてもよくこんな暴言吐けるものだなと、感心してしまう。相手の心よりも自分の怒り、感情が最優先。凄いな、ほんと女性っていうのは凄い。

10. 心の安定を求めて

だらだらと10月が過ぎ、このままではなにも変わらん、と思った私はとにかく自分に「何か」をプラスしないと駄目なんだろうな、と思い(+嫁の毒から逃れるため)会社説明会や県、市、ハロワがそれぞれ主催する就職支援セミナーや就職相談を利用するようにした。

無職だとどうしても他人の目が気になり負い目となって外の人との触れ合いを拒絶してしまいがち、部屋に篭りがちになる。結婚もせず子供もいなかったらそのまま一年はニート生活だったかもしれない。是が非でも就職しないといけない状況が後押ししてくれたのだと思う。普段より出かけるようになった。

11月になるとなりふり構わなくなり、とにかく登録できるものは登録する、ってことで派遣会社3件、Web 転職サイトもマイナーで聞いた事ないところまで登録し、SE、以外の業務でも可能性がありそうな職種ならなんにでも応募するようになる。振り返るとこれは無駄だった思う。

だって応募は覚悟がなくてもできるけれど、面接に出かけるとか入社するにはそれなりに腹をくくらないといけない。だけど腹をくくるなら自分に向いた業種なり仕事につかないと長続きしないもの。偶然業種を大きく変えて成功する人もいるらしいが極めてまれ。近縁の仕事に付く方が現実的だ。

内定貰った会社のうち、飲食店の店舗経営ってのがあったんだよね。東京だし、給料もよかったし、実際のところ人を動かす仕事は嫌いじゃないし、仕事でもリーダーやったり人をまとめていたから成功したかもしれない。だけど基本は技術者だから迷った挙句断った。家族や実家が福岡だから。東京はもう若いときに10年過ごしたしもういいよ。

11月でWeb、書類で申込んだもののSE、Web開発系の案件については、芳しい返事はなかった。半導体論理設計の仕事は九州壊滅だったのでSE的及びWeb開発をメインに応募をしていたんだけれどダメでした。おそらくSE、Web開発者としての経験値不足と、年齢が高いことがダメみたい。

でもね、現場ってさ、若い技術者ばかりのところもあるやん。そこに年齢的に経験を積んだ技術者を配置するっていうのは十分ありだと思うんだけれどねぇ。技術というよりリーダーとしてチームを率いるスキルとか。ここをかってくれる企業はなかったんだよねぇ。実際そういうスキルって有用なのにな。

11月の嫁の暴言は相変わらず止まらない。当時の日記をまた開いてんるんだが、シンドイよね!趣旨は「どうして私がこんな目にあわないといけないのか」「不安にさせるな」「クビになる人間は生きる価値なし」ということなんですけれども。逆に今まで結構稼いで贅沢してたんだが感謝された記憶なし。

12月。とにかく書類が通らない。Webで情報探していると、市で就職支援セミナーを無料でやっている、というのですがる思いで申込んだ。12月から1月明けまでほぼ平日毎日、朝9時から13時まで。参加者は20代中盤から30代後半まで6名ほど。よくあるポジティブシンキングセミナーだった。

だからってバカにできないんだよ。萎縮してる精神をほぐす必要があった私には有用だった。初対面の参加者同士で自己紹介の練習したり、自分のことを説明したりして自分の性格を分析したり理解したりして。その後就職するために、いかに書類を読んでもらうか?というテクニックを学んだり。

面接の練習は何度もやった。思ったようにしゃべれていないんだよね。意外と出来ていないということがよくわかったり。書類の書き方なんていうのも事細かく教えてくれました。今就職活動をしているみなさんも、市や県のそういう施設やセミナーを利用しない手はありませんよ? なりふり構わずやる。

そうしていると情報が縁が転がってくるものです。セミナーに参加しWeb系の仕事を考えている、という話をしていたら、市でそういうWeb・DTPセミナーが急遽開催されることになったから、申し込んでみれば、といわれました。Webの仕事はなんだかんだいっても需要はある。

SEとして会社に潜り込むにしてもそのあたりの知識を持ってますけれどなにか?というためにはそういったセミナーに参加したことも履歴書や面接で主張できるので有用だろう、ということで即申込みました。おそらく申込みの順番では2番だったのではないかな。受験番号が2番だったんだよね。

このWeb・DTPセミナー、無料だし仕事に使える、ということで定員30に対して100名以上申し込みがあったんだよ。選抜試験は筆記テストと面接。結局受かった人というのは、再就職の見込みがありそうな人、ってことだったらしい。よかった、再就職できそうなステータスだったんだな。

1月中旬から3月下旬までのコース。学んだ内容はフォトショップイラストレーターからDTPの実技スキルを学び、そこからドリームウェーバー、フラッシュと通常半年かけて学ぶ技術を3ヶ月、実質2ヶ月(残りは卒業制作に当てられる)という無茶なスケジュールだったらしい。実際、しんどかった。

コンピューターの知識があってもどうか、という内容だったからなぁ。あと実際実習をしてみてこりゃ向いてないな、ってのもあっただろうね。私の場合、自分にはデザインのセンスはない、っていうことがはっきりわかった。逆にそういう人と一緒にシステムを設計する業務こそに興味があるんだなと。

11. のた打ち回る日々

1~2月も引き続きシステマティックに履歴書爆撃は続けていましたが2社ほど反応があった。一社は合同説明会で話をさせてもらったシステム設計の会社で、連絡くれたら面接するから、というので連絡したら面接してもらえたんだけれど…。理想を話してくれたけれど結局私の分の利益が出せないからいつのまにやらフェードアウト。

もう一社は募集内容と面接内容が大きくことなっているという嫌がらせか?と思える所業だった。なんでも募集時の仕事がなくなったので、もう一つの仕事をやってみないか?ということだった。ここの社長は私のような一介のリストラ社員に口の利き方なっとらんと、細かいところを指摘してくれるいまどき珍しい人で、腹ただしくも勉強になった。再三やってみないかと誘われたが、やったことのなさすぎる仕事だったので丁重にお断りした。そういうこともある。

2月も後半になるととたんに面接の機会が増えてきた。年齢的なことも考えて管理職的な仕事の求人にも応募したためか、そういった会社からの面接も受けた。断ったある会社は結構有名な業界でも大手のフードチェーンで、その店長+将来的にシステム管理者はどうか、との話しがあった。内定まで貰ったが残念ながら東京での業務になるかもしれない、九州には戻れる約束はできないという話だったので断った。給料もよかったし住居手当もあったので魅力的ではあったんだよね…。ただ店長って超絶大変っていう話しもあったしなんともいえないね。痴呆気味の親父が福岡にいるから離れる分けにもいかなかった。

システム開発系の求人も減っているとはいえ、皆無ではなく、結果的に2~3社から面接をしてもらうことができた。九州地元企業なので企業規模は大変小さいけれど、どんな会社も最初は小さいわけだし、贅沢はいってられないよな、とか思った。改めて今まで適当に生きてきてここまでこれたのはラッキーに守られていたんだなぁと。これからはちゃんと考えていきていかないといけないよ、ということだと受け止めましたねぇ。

12. 求めよさらば与えられん

3月もぼちぼちと面接が入ってきて、とはいうものの週一件あればいいペース。大手は面接してくれたけどどこも感触が悪かった。安い給料で雇おうとか考えている会社は私のような技術者兼管理者は欲しいけれどコストを考えるとなぁ、といったところみたい。よく聞いたよ、いて欲しいとは思うけれどねと。

対価に見合うだけのパフォーマンスを出すかどうかにこだわっているけれどさ、実際のところわからんよねぇ。能力も環境や周りにいる人によって変わってくるものね。それを求職者個人の資質のみに還元されてしまうのはどうかと思うんだけれど。一緒に育てていこう、とか頑張っていこうぜとかないと。

こんな目にあったから、今後公的に保証されるような仕事として資格を取得して活躍するのを目標にしているんだよね。最低帰宅後1時間は勉強しているけれど、疲れが溜まってきててなかなか集中できない。けれど言い訳したって試験は受からないので、鞭打ってDVD の授業受けてる。

で、結局3月には仕事が決まらなかったorz。やっぱり新年度から働きたかったし、逆にこのタイミングで入社できなかったら次はどの時期になるんだろう…と心が折れましたねぇ。雇用保険は5月で切れてしまう、ということもあってげんなりしてました。

すると4月に3件面接が決まり、2社から内定をもらうことになりました。一番行きたかったところは社長面接で落ちました。なんかね、ぞんざいな面接だったので今思えば腹立たしい気持ちになるけれど、ま、いいや。断った会社はまたしても東京移住の可能性が会ったので断りました。条件よかったけど。

で、いま務めている会社は、福岡の西にあり住居からもチャリで通える範囲、給料と会社の規模はミニマム過ぎますが、試用期間以降の給料を見るまでは頑張る方向です。希望額まで相当離れてるんで、嫁を楽にさせるには超頑張るか資格とってさらに転職するかですけれど、まずは定期的にお金が入る、そんな状況になりました。早く中流階級に戻りたい、そのために帰宅後も勉強しないいけません。若いときに正しく苦労していれば、としみじみ思いますねぇ。

というわけで、現在は残業代もでない超零細企業のシステム開発というなの何でも屋をやっています。成果を出して給料をたんまりふんだくりたいと思います。娘のためにも頑張りますよー。

 ~ Fin ~

13. おまけ 就職活動中に買ったものやオススメ

生活の足しにするべくアソシエイトします。よろしくお願いします。

自宅の母艦 MacBook Pro

Apple MacBook Pro 2.53GHz 15.4インチ MC118J/A

Apple MacBook Pro 2.53GHz 15.4インチ MC118J/A

  • 出版社/メーカー: アップル
  • 発売日: 2009-06-10
  • メディア: エレクトロニクス
福岡戻ってきてしばらくしたら2〜3年使ってた iMac の HD が死んでしまい大ショックを受けまして。中部地方へ行くまでは外付け HD で毎日バックアップを取っていたのに、戻ってきてからつけていなかったため、中部地方時代の娘の写真や動画が失われるハメに…。へそくりから Mac を買いなおそうと Apple Store 福岡店にいくと、 iMac にちょっとお金を足せば Mac のノートが買えるじゃん!と思い勢いで買っちゃった。

画面も広くなり動作もキビキビいうことなしですが、現在職場では2液晶+ iMac に囲まれる生活のため 15.4 インチの画面でも狭く感じてしまいます。ひところを思えば随分贅沢になったものです…。

再就職のお供 acer ホワイト

acer Aspireone 751 AO751-BW26 ホワイト

acer Aspireone 751 AO751-BW26 ホワイト

退職が決まって福岡に戻ろうとしたとき、ネット環境がすぐ復活できるか不安だったのと、外でもネット接続できる環境が欲しい(=嫁を避けるために)ということで手頃なノートを探していたら目についたので即決。そのままヨドバシのワイヤレスゲートに登録した。これが私にとっては大当たりで、マックで散々使い倒したけれど月額380円ですから大いに活用できました。比較的都心である福岡ですから、どこにいってもマックはありますからね。

また、Windows OS が手元にあることも大いに有効でして、就職活動だとやっぱり Word 、Excel などで資料を作らないといけないケースがありますから助かりました。SD カードも読めるから Macbook ともデータ交換できますし、再就職したてのころは自分用のマシンがなかったので持ち込んだりして縦横無尽です。ミニノートはあると便利ですよ。

具体的な退職、転職の手続きを知る

退職・転職を考えたらこの1冊 改訂4版 (はじめの一歩)

退職・転職を考えたらこの1冊 改訂4版 (はじめの一歩)

  • 作者: 岡田 良則
  • 出版社: 自由国民社
  • 発売日: 2008-10-29
  • メディア: 単行本
ネット上の情報もありますが、やっぱり本のようにきちんと情報が編集されていないと自分で細かいところまで調べないといけないから面倒です。私はこの一冊で十分用が足りました。改訂5版が今月の3日に出ているようなので、読むのならそちらがよいでしょう。

早めに読んでおくべきだった就職の心構え

就活前の必読本「あなたの会社選び」をコンサルティングします

就活前の必読本「あなたの会社選び」をコンサルティングします

  • 作者: 内山 力
  • 出版社: 産能大出版部
  • 発売日: 2007-12-05
  • メディア: 単行本
就活中に嫁から渡された1冊。リストラされる前に読んでおいて、効率的な転職を試みればよかったなぁという後悔があります。会社についてどういうイメージを持つべきか、どう接するべきかということがわかると思います。ただかなり理想的な話が多いので、うまく現実と折り合いをつけないといえけないのでそのあたりは個人の事情に左右されるでしょう。

思い出したら追記します。