「別冊文藝春秋」に1955年から56年まで連載された、十人の近世から近代にかけての工芸職人などの伝記集。大江健三郎が初めて石川淳に会った時この本をくれたというが、その後大江と石川の関係はやや曖昧模糊としている。 人は都々逸坊扇歌、鈴木牧之、小林如泥らだが、私は石川淳の小説が面白くなくて閉口していたし、これは若い頃読もうとして、何かイライラしていたのかすぐ放り出したが、今読むと割合面白かったが、鈴木牧之のところで、馬琴の悪口を言うので、まあやっぱりこの人とは合わないなと思った。どうせ石川淳は馬琴が嫌いなんだろうと思っていたからだ。あとは石川淳を好きな人が嫌いだということがある(田中優子とか鈴木貞美とか)。しかし石川淳の本としては面白いほうだが、最後から二番目の武田石翁のところだけかなりつまらなかった。あと改版の時にできたらしい誤植が三カ所あった。
村上元三「五彩の図絵」
1973年6月14日から、74年9月14日まで、「朝日新聞」夕刊に連載された時代小説。中公文庫で上下二冊。背表紙の解説を書き写すと、
「元禄十五年十二月、赤穂浪士の討入りが、上杉家の若武者、春日今之助の運命を変えた・・・・・・。公儀に隠した城の修築、禁裡修復にまつわる黒い霧など、絵図作製の特殊技術を持つ今之助をめぐって起こる権謀術数のかずかず、泰平の世の裏面にひそむ人間諸相を雄大な構想でとらえる」。
下巻は「爛熟した元禄時代の影の世界で暗躍する若き米沢藩士春日今之助と、悪に徹した玄武道印。絵図をたてに、公儀に隠した城の修築をあばき、御所修復の裏を探って、巨万の富を掌中のものにしようとする・・・・・・。享楽の世相を背景に、うごめく人間群像をとらえて生き生きと描く」。
下巻の解説は杉本苑子が書いていて、自分には手が出ない「大日本史料」を村上は揃えており、ほかにも徳川時代の史料類が豊富に手元にあると嘆息するように書いている。そういえば宮尾登美子原作の大河ドラマ「義経」に、史料提供:村上元三とあった。遠近道印(おちこちどういん)という実在の絵図師もちょっと出てくるらしい(読んではいない)。
音楽には物語がある(65)作詞家の条件 中央公論・5月号
私が若いころ、歌謡曲好きの友人が「作詞をして当たったらいいなあ」というようなことを言っていた。作詞家というのがどれくらいもらえるのか、歌がヒットするとそれだけで儲かるのか、その後仕事が多く来るから儲かるのか分からないが、何しろ一つの歌の作詞は一見したところ長編小説を書いたりするよりは簡単そうなので、私も「そうだなあ」と思ったが、作詞には新人賞はあることはあるようだがそれで作詞家になった人は多くはなさそうだし、作詞家の弟子になるとか、放送業界へ入って作詞を売り込むとかそういう手段しかないだろう。「なるにはシリーズ」には、なぜか『作詞家になるには』という本はない。
ふと、阿久悠が書いた『作詞入門: 阿久式ヒット・ソングの技法』というのが、岩波現代文庫に入っているのに気づいた。これは1972年、阿久が作詞家として名をあげ、これからさらに山本リンダやフィンガー5、ピンク・レディーの作詞で大ヒットメイカーになる前の本だが、近所の図書館には元本も文庫本もなかったので、他区から取り寄せた。中に、あなたは作詞家に向いているかという箇条書きで、こういう人は向いている、という部分があったが、全部当てはまらないと向いていないというもので、当然のごとく私は向いていなかったが、中に、ギャンブルにのめり込まない、というのがあった。
しかし、一つだけ条件で書いてないものがあるな、と思ったのが、照れない、恥ずかしがらない、というもので、私は、ポピュラーミュージックの歌詞というのは、恥ずかしがらない人でないと書けないだろうと思っている。今はちょっと違うかもしれないが、歌謡曲全盛期の70年代の歌詞なぞ、ある種の羞恥心を捨てなければ書けなかったようなところがある。私はある時期、ポピュラーソングの歌詞というのは、それらしい単語を並べてつないでいけばできるんじゃないかと考えていたことがある。「よこはま・たそがれ」(山口洋子作詞)などは、それを実際にやってヒットさせた曲で、批評性のある歌詞だったともいえるだろう。
物語性のある歌詞もあるが、それも恥ずかしいといえば恥ずかしい。小椋佳の「さらば青春」などは、現代詩風で、さほど恥ずかしくはないが、題名が恥ずかしい。
別に作詞をバカにしているわけじゃなく、小説でも、ある種の小説は恥ずかしさを克服して書いてこそ売れる、というところがあるのは否めないし、まあ差しさわりのない古いところでいえば、小島政二郎という作家は、『主婦之友』に1935年から『人妻椿』を連載し、大ヒットして何度も映画化されたが、のちに小島は、顔を赤らめつつ編集者の言うがままに書いた通俗小説、と書いている。
しかし、普通の人から見たら、田山花袋の「蒲団」とか近松秋江の「黒髪」とか、自分の身に起きた恥ずかしいことを描く私小説作家のほうがよほど不思議な人びとで、歌謡曲の作詞家や通俗小説家など、作りもののこっ恥ずかしい恋愛ばなしを書くほうがまともな人間なのだろう。
「新世紀エヴァンゲリオン」の主題歌として知られる「残酷な天使のテーゼ」(及川眠子作詞)なども、「言葉を並べてつないだ」系の歌詞だが、私はもともと「詩」すら作れない人間だが、作詞のほうも、単語を並べるまではできるかもしれないが、恥ずかしさを克服できないだろうから無理だろうと思った。
しかし、阿久悠も、鼻歌で適当に曲を歌いながら作詞するというし、シンガーソングライターというのも多いし、作詞というのはもともと音楽をやっている人がやることが多く、北原白秋の時代とは違って、音楽と無縁に作詞ということはあまりないんじゃないだろうか。
水原紫苑の天皇短歌について
2023年の1月ころ、私はツイッター上で、水原紫苑の歌集『光儀(すがた)』(2015)には、天皇礼賛の短歌がある、と書いた。すると歌人の吉田隼人という人物からそんな事実はないと言われた(吉田は、当人=水原からの抗議を私が無視したと書いているが、ツイッターというのは見えないことがあり、それは気づかなかっただけである)。私は『光儀』をその時手元に置いていなかったので、水原は天皇制批判の短歌を書いている、とツイッターで記していた川野芽生にDMを送り、天皇賛美の短歌はありませんかと聞いたら、ありませんと答えられたので、いったん発言を取り消して謝罪した。
だが二日ほどして『光儀』を再入手して調べてみると、
・当今(とうぎん)をリベラルといふ優しかる左のつばさ陽に溶けずゐよ
・天皇に就かれし数多とりわきて折口、三島、色ふかきかも(129p)
・雪の日の叛乱に近衛を率て討つとすめろぎ宣りしはとほからねども(235p)
の三首を見出した。第一首については水原本人から、島田雅彦への皮肉だと解説があり、納得したが、他の二首については特に解釈は聞いていない。
だがこれらを私が提出したあとも、吉田隼人は私が根拠もなく水原を誹謗したかのごとき記述を変えていないので、抗議する。
なおこの際、私を擁護してくれたのは石原深予さんだが、これも吉田は、反TRAの仲間のごとく言っているが、まあ結果としてそうであったにせよ、石原さんは川端康成と人文書院の関係について研究発表したことがあり、その時に知り合っていただけである。
(なお川野芽生は東大大学院の後輩に当たるが面識はないし東大比較文学会にも入っていないし、TRAだからか今では私をブロックしているのでこちらからもブロックしている)
付記:吉田隼人はツイッターで、私が「読まずに誹謗中傷した」などと書いているが、私は刊行時に読んでその記憶で言ったので、単に2023年の時点で手元になかっただけである。当人が本気でそんなことを言っているのかどうか知らないが。
・しかし私が掲示した少なくとも二首の短歌について暴言歌人は何か思うことが言えないのだろうか。それとも本当に彼らにとって具合が悪い短歌なのだろうか。
(小谷野敦)
江藤淳・野口冨士男VS秦恒平
1988年に、江藤淳は日本文藝家協会を中心に、売れ行き不振の文藝書を応援するために文藝書専門店を作ろうという気炎を上げていた。その結果米子市にそういう店ができたのだが、そこへ、文藝家協会理事長・野口冨士男と江藤淳が、自分の勧める文藝書百選というのを出して推薦文を書いた。
これに異論を提出したのが秦恒平で、『中央公論』88年6月号(5月10日発売)に「文芸家協会の"読書指導"に異議あり」を書いて、権威主義的だと批判したのである。さらに「東京新聞」の「大波小波」は8月5日号で、秦の論を正論としてあおり立てたのだが、実はこの時点では、野口と江藤の推薦は文藝家協会とは関係ないという答弁がなされ、秦もこれについて了承していたのだという。
以上、野口冨士男『時のきれはし』による。