水原紫苑の天皇短歌について

2023年の1月ころ、私はツイッター上で、水原紫苑の歌集『光儀(すがた)』(2015)には、天皇礼賛の短歌がある、と書いた。すると歌人吉田隼人という人物からそんな事実はないと言われた(吉田は、当人=水原からの抗議を私が無視したと書いているが、ツイッターというのは見えないことがあり、それは気づかなかっただけである)。私は『光儀』をその時手元に置いていなかったので、水原は天皇制批判の短歌を書いている、とツイッターで記していた川野芽生にDMを送り、天皇賛美の短歌はありませんかと聞いたら、ありませんと答えられたので、いったん発言を取り消して謝罪した。

 だが二日ほどして『光儀』を再入手して調べてみると、

・当今(とうぎん)をリベラルといふ優しかる左のつばさ陽に溶けずゐよ

天皇に就かれし数多とりわきて折口、三島、色ふかきかも(129p)

雪の日の叛乱に近衛を率て討つとすめろぎ宣りしはとほからねども(235p)

の三首を見出した。第一首については水原本人から、島田雅彦への皮肉だと解説があり、納得したが、他の二首については特に解釈は聞いていない。

 だがこれらを私が提出したあとも、吉田隼人は私が根拠もなく水原を誹謗したかのごとき記述を変えていないので、抗議する。

 なおこの際、私を擁護してくれたのは石原深予さんだが、これも吉田は、反TRAの仲間のごとく言っているが、まあ結果としてそうであったにせよ、石原さんは川端康成人文書院の関係について研究発表したことがあり、その時に知り合っていただけである。

(なお川野芽生は東大大学院の後輩に当たるが面識はないし東大比較文学会にも入っていないし、TRAだからか今では私をブロックしているのでこちらからもブロックしている)

小谷野敦

江藤淳・野口冨士男VS秦恒平

1988年に、江藤淳日本文藝家協会を中心に、売れ行き不振の文藝書を応援するために文藝書専門店を作ろうという気炎を上げていた。その結果米子市にそういう店ができたのだが、そこへ、文藝家協会理事長・野口冨士男江藤淳が、自分の勧める文藝書百選というのを出して推薦文を書いた。

 これに異論を提出したのが秦恒平で、『中央公論』88年6月号(5月10日発売)に「文芸家協会の"読書指導"に異議あり」を書いて、権威主義的だと批判したのである。さらに「東京新聞」の「大波小波」は8月5日号で、秦の論を正論としてあおり立てたのだが、実はこの時点では、野口と江藤の推薦は文藝家協会とは関係ないという答弁がなされ、秦もこれについて了承していたのだという。

 以上、野口冨士男『時のきれはし』による。

 

音楽には物語がある(64)堀江美都子の変革  「中央公論」2024年3月

 アニメ歌手として不動の地位を誇る堀江美都子(1957- )は、私が大学生のころにはすでに「堀江美都子大全集」などというLPが出るほどの大物だったが、私は関心はあったけれど、特にLPを買うとかファンクラブに入るとかいうほどのファンではなかった。しかしこの十年ほど、YouTubeであれこれの歌唱映像を見ていると、単に歌だけを聴いていたのとは違う魅力に気づかざるを得なくなってきた。

 もっとも、堀江美都子(ミッチ)のある種の独自性は、私が25歳のころ、特撮番組の音楽を集めたCDを買ったころにも気づいてはいて、それは、女性歌手で初めて、男子用戦闘もののアニメや特撮の主題歌を歌ったということで、これはミッチによる変革だったといえるのではないか。具体的に当時感銘を受けたのは「秘密戦隊ゴレンジャー」や「忍者キャプター」の、男性歌手と一緒に歌っているもののことである。もちろんその当時、フィリピンでは準国歌扱いだという「ボルテスV」は、ミッチの単独歌唱による曲としてあったわけだが。

 ミッチの「男子向け戦闘歌」の最初は、歌手としてのデビュー曲「紅三四郎」(1969)から始まっていると言ってよい。強靭な声で発せられる「ヤーッ!」とか「トーッ!」といった、特撮ものの歌唱は、当時はミッチ以外にやる女性歌手はいなかった。「アパッチ野球軍」(1971)も女性歌手(林恵々子)だったが、どうして? と思うくらい、力の入らない歌唱になってしまっている。「どろろ」(1969)の主題歌は声優の藤田淑子が歌っているが、もし藤田が戦闘歌を歌ったらそれなりの出来にはなっていたのではないかと思う。「キューティハニー」の前川陽子もそうだし、幾人か、男子向け戦闘ものの歌を歌えそうな女性歌手はいたが、本格的に進出したのはミッチであった。

 もちろん、ミッチの代表的な歌は「キャンディ♡キャンディ」なのだが、私は「キャンディ」のアニメは大ファンでも、ミッチの歌としては戦闘系のものに独自性を感じる。

 ミッチは、歌手としてだけではなく、声優としても活動しており、また初期には「宇宙鉄人キョーダイン」(1976)に女優として出演したり、NHK教育テレビの学童向け音楽番組「うたって・ゴー」に立川清登とともに「うたのおねえさん」として出演したり(1978、1981年)していたが、私はこの時期のミッチの不安定な感じが何ともいえず好きなのである。

 20歳を過ぎてからは、ミッチも顔だちが、美人と言わないまでもある程度「素敵なお姉さん」として安定し、ファンクラブの名前「トムボーイ」を思わせるボーイッシュな姿態が確定するのだが、それ以前は歌はうまいがそう美人でもない(本人は、体が丸くなると言っている)のが、何とも不安定なのだが、そこに妙な愛情を私は感じてしまう。いや、年上の人に愛情というのは失礼だが、その年代のミッチに対してという意味である。

 クラシック歌手の藍川由美が歌う軍歌も、ミッチの先例があったからできたことではないかと思う。フィリピンでは国賓扱いされたともいうし、所属事務所では「美空ひばりの次に偉い人」とされているというから、菊池寛賞でも授与してもいいんじゃないかと思う。私からすると五つ上のお姉さんだが、やはり自分と同世代のスターの一人である。

 

人にはそれぞれ理由が・・・

沖雅也が自殺した時(1983年)私は大学二年生だったが、東京へ向かう電車の中で二人のおじさんがその話をしていて「なんで自殺なんかするのかねえ、女でも作りゃいいんだよ」と言っているのを聞き(その時点ではまだ第一報しか入っていなかった)、沖雅也が女がいなくて自殺したと思っていることに少々驚いたことがある。

 ほかにも、北千住の駅の地下道で走っている人を見ながら、「何もそんなに急ぐことねえじゃねえか」と言っているおじさんを見て、いやその人には急ぐ理由もあるんだろうから何も知らずに言うのはどうか、と思ったことがある。

 最近ではあまりいなくなっただろうが、そのころはそんな風に、他人には自分の知らない理由があると思いつかない人がいたのだが、まあ単純に頭が悪かったのだろう。

 

歴史上の人物の名誉毀損

 新潮社のPR誌『波』に、俳優の高嶋政伸が「インティマシー・コーディネーター」というですます調の文章を書いている。私はほとんど観たことのない「大奥」というドラマで高嶋が徳川家慶の役をやり、自分の幼い女児に性的暴行を加える話を撮影するのに、役を演じる女児がトラウマにならないように配慮するのを統括する仕事の人のことで、高嶋自身もやたら配慮している。だがこのドラマは女が将軍をやる話ではなかったのか? まあそれはいい。

 しかし、私は一読して、そういう配慮を素晴らしいと思うより、そんなフィクションの映像をわざわざ作らなくてもいいではないかと思った。だいたい徳川家慶は歴史上の実在の人物で、自分の娘を強姦したなどという事実はない。いくら歴史上の人物とはいえ、これは名誉毀損ではないか? 考えてみるがいい、勝海舟近藤勇が女児強姦者だなどというドラマが作れるか? ジョージ・ワシントンやナポレオンがそういう変態だったなどというドラマが作れるか? あまり有名でないからといってなめているのではないか? 徳川黎明会は抗議しなかったのか?

 死者の名誉毀損は、事実ではない場合に成立するとされているが、これなどは法的にはともかく、ドラマを作る側の良識の問題ではないかと思う。

小谷野敦

 

宇野信夫『役者と噺家』九藝出版

これまた、読書メーターにはこの本の登録がないしするのでここに書いておく。歌舞伎の俳優と落語家の思い出噺だが、あまり有名どころは出てこず、不遇な役者、落語家が多いところがいい。特に、二代目の左団次が死んだあとの未亡人の零落ぶりが、はっとするほど胸をうつ。実は私は宇野信夫の戯曲はそれほど評価していないのだが、こういう随筆はいい。どこかで文庫とかにしないかしら。

https://m.media-amazon.com/images/I/61fhkQGuHnL._SL75_.jpg

永井龍男「雑文集 ネクタイの幅」講談社、1975

何しろアマゾンレビューからは閉め出されているし、読書メーターにはこの本の登録がないしするのでここに書いておく。最初のほうはいかにも身辺雑記や天気の話などが多かったが、自作解説や他の文学者の話になると面白くなる。子母沢寛が『戊辰物語』をほとんど一人で書いた話とか、企業人の伝記を書いた話とか、『庄野潤三全集』の月報の島尾敏雄の文章の話とか、小説書き以外には特に関心のない丹羽文雄とかで、人が出てこないと面白くないようである。

小谷野敦

https://m.media-amazon.com/images/I/51IO1+JY3ML._SL75_.jpg