30代経営者修行中ブログ

顧客、従業員、家族から必要とされる事業、そして自分が納得できる事業を創ることを目標としています。

尾崎豊とインターネット

成人の日に朝日新聞が社説で尾崎豊に言及したことから、尾崎豊がにわかに話題となっている。僕も中学生の頃、尾崎豊を一時よく聞いていたので、少し彼について書いてみようと思う。

尾崎豊は何を歌ったのか?

成人の日に―尾崎豊を知っているか
http://www.asahi.com/paper/editorial20120109.html

朝日の社説が言っていることは、簡単に言うと「最近の若者は、尾崎が評価されていた時代と比較して、より厳しい時代に生きているにもかかわらず、尾崎豊に共感できない。それは若者が従順になっているからだ。若者は、社会に対して反骨精神をもっと示したほうがいい」というものだ。

ここで僕が理解できないのは、尾崎豊を社会への反抗のシンボルと見なしている点だ。僕は、これは尾崎豊の本質的な理解だとは思えない。たしかに、彼の曲『卒業』には「この支配からの卒業」など、学校という社会のシステムに対する反発と読める部分もある。しかし、尾崎豊のエネルギーの源は「無力な自分に対する焦燥感」であって、社会への反発はその発露にすぎない。

例えば、『愛の消えた町』では「金の取れない学生にいったい何ができるというのか」と歌い、『シェリー』では「いつになれば俺は這い上がれるだろう」と歌っている。ここには、まだ何者でもない自分に対する無力、焦りが感じられる。

無力な自分の存在に気づき、それを変えるのは自分しかいないと気づくのが大人であるとするならば、まだ大人ではなかった尾崎豊が言及した社会への反発は、ただ自分の焦燥感の発露でしかない。その意味で、尾崎豊を社会への反発のシンボルととらえるのは、本質をついていない。

尾崎豊はなぜ支持されなくなったのか

先に述べたように、朝日の社説が尾崎豊の本質を誤認しているとしても、最近の若者が尾崎豊に全く共感できないのはなぜだろうか。僕は、統計を見た訳ではないが、ここでは尾崎豊に共感する若者が減っていると仮定して、その可能性を考えてみたい。

僕は、尾崎豊の本質は若者が自分自身の無力を認識することからくる焦燥感にあると考えている。よって、もし尾崎豊に共感する若者が減っているのであれば、自分の無力感やそれに対する焦燥感を感じる若者が減ってきているのが原因ではないだろうか。ここでは、若者が無力感と焦燥感を感じなくなった可能性二つを考えてみたい。

まず一つ目の可能性は、若者が無力感、焦燥感に対して鈍感になったというものである。これは、10年20年で人が変わる訳がないので、馬鹿げた考え方であるが、「お前らもっと頑張れよ」と若者を責め立てようとする朝日の社説の著者などは、このように認識しているのかとと疑ってしまうが。

もう一つの可能性は、そもそも若者が無力ではなくなったので、無力感や焦燥感を感じなくなったという可能性である。僕は、この可能性がかなり高いと思っている。とくに、ここ10年20年での最大の変化であるインターネットが若者の立場を大きく変えたのではないかと思っている。

まだインターネットのなかった時代であれば、中学生、高校生はどうすれば自分は世間から認められるのか、また将来どのような可能性があるのかなど、調べる手だてなどほとんどなかった。そのため、若者は何か自分でしたいと思っても、それをどのように行動に移すのかが分からず、無力感や焦燥感を感じるケースが多かったのではないだろうか。また、早熟した若者であれば、周りの大人や生徒とも認識が合わないことは簡単に想像されるので、孤独を感じていた若者も多くいたであろう。

しかし、誰もがインターネットにアクセスできる現在、彼らは簡単に答えを調べることができるようになった。得に優秀な者であればあるほど、自分の可能性を知り、また実際に社会に影響を与えることもできるようになってきた。以前であれば、孤立感を抱いていた早熟した若者も、インターネットで自分と同じような考えを持っている人がたくさんいることを知れば、孤独を感じる必要はないだろう。

若者が尾崎豊に「自己中心的なだけじゃないか」「何が不満かわからない」と言い、彼に共感できないのは当然である。現在の若者はもう彼の時代の若者のように無力でも孤独でも無知でもないのだから。

去年と今年

節目ということで去年と今年について少し書いてみる。

・いろんな人を巻き込めた

2011年はラングリッチを通じていろんな人と関われた年だった。少し前までただの学生だった僕が、会社の経営者、教育関係者、ネットの有名人など多くの人と知り合い、一緒に仕事をすることができた。また、ラングリッチで働いてくれる仲間も増えた。その仲間の中には、僕の信頼する旧友もいる。僕の人生が、ラングリッチを中心として転がり多くの人たちを巻き込みながら大きくなっていく、そう実感できた一年だった。

・自信を取り戻せた

2011年は僕自身の変化の年でもあった。起業したての頃、社会経験のなかった僕はなにかと自分の判断に不安があった。そのため自分の判断が曖昧になり、空回りすることが多かったと思う。けれども、去年一年を通して「意外と自分のやっていることも社会に通用するんじゃないのか」と段々思えるようになり、自分の自信を取り戻せた。それが仕事にも良い影響を与えたと思っている。

・立場を明確にする

 ラングリッチを中心に自分の世界が広がっていき、そして自分の自信が取り戻せたこと、これが2011年の僕にとっての大きな出来事であった。 今年は去年にも増して、自分の取り巻く環境が大きく変わるだろうし、重要な場面が前よりも多くなるだろうと思う。
重要な「決め」の問題が多く出てくるだろう。その「決め」の場面ではっきりと自分の意見を示すことが、今年の僕の課題だ。

 だから今年は「自分の立場を明確にすること」を目標したい。自分がどのように生きていきたいか、会社をどのようにしたいかを考え、批判を恐れず自分の態度を表明していこうと思う。

政治家の殺し方

「今、私たちが読むべき本」
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20111128

ということで、読みました。

平成14年から2期横浜市長を勤めた中田宏さんが財政再建を進める中で、利権団体、市議会、市職員、マスコミからどのような抵抗にあったかが書かれています。

既得権益者がマスコミを使って、攻撃してくるというのは政治の世界ではよくあるんだろうなと思っていましたが、実際の内容を知ると、これはけっこうきつそーでした。自分だけならともかく、家族や知人にまで影響がでると精神的にキツいだろなと。

あと、市職員の特殊勤務手当など小さな利権をなくしていく過程も相手の協力が期待できないので、
かなり根気がいる仕事だなと思います。恨まれるしね。

ともかく既得権益と戦うには、我慢と自分のやっていることを強く信じれることが大切だとおもいました。あと、誰かが頑張っているときに支援してくれる人、そういう人たちも大切な存在ですね。
周りについてきてくれる人がいるか、周りの人を引きつけられるかが大きな事をする上で、重要ですね。孤軍奮闘というわけにはいかないですから。

大阪維新の会とそれを周りで支援している方はこれから本当に大変だろうな。

政治家の殺し方

政治家の殺し方

ユニクロ帝国の光と影

ユニクロというよりもその創業者柳井正に焦点を当てて書かれている。
タイトルは光と影と書かれているが、著者は、もっぱらその「影」に焦点を当てているので、その点は少し差し引いて読んだほうがいいだろう。

そのようなスタンスは別として、柳井の幼少期や人物像だけでなく、ユニクロが公開を拒否してきた海外の工場を直接取材したり、柳井もユニクロのライバルとして最も強く意識しているというZARAへの取材など、きっちり取材されているため内容は非常に面白かった。

柳井正のようなワンマン経営者がどのように育ったか、またZARAと比較した場合のユニクロの強みと弱みなどが知れた点が面白かった。

ユニクロ帝国の光と影

ユニクロ帝国の光と影

週刊ダイヤモンドに掲載されました

週刊ダイヤモンド1月8日号にラングリッチが紹介されました。
http://dw.diamond.ne.jp/

今週のダイヤモンドは「今年こそ英語&中国語」という特集なのですが、p53に紹介して頂いています。

オンライン英会話ラングリッチ

フィリピンに来て二ヶ月、やっと、オンライン英会話ラングリッチをスタートできました。

http://langrich.com/

 スカイプを使ったオンライン英会話サービスを提供しています。月額2980円で毎日、マンツーマンの授業が25分受けられます。安さだけではなく、テキストや講師などの品質面に強くこだわっていますので、ぜひ無料体験を受けてみてください。

 ラングリッチを開始するに当たって、まずは今まで出会ったフィリピン人のみんなに感謝したいと思います。約2年前に初めてフィリピンに来てから今日まで、多くのフィリピン人にお世話になりました。彼らと過ごして、この国が好きだと思えたからこそ、このサービスを開始できたと思います。

 また、日本にいる妻、家族、友人のみんなにも感謝しています。

 ここまで来るのに本当に多くの方のお世話に成りました。この気持ちを忘れずに、ラングリッチをよりよいサービスに育てていけたらと思っています。