深沢幸雄の盃(閑人亭日録)

 銅版画家・深沢幸雄氏から生前恵まれた盃二客を久しぶりに卓上に置いて鑑賞。一つは径65mm、高さ50mmほどの渋く青い釉薬が厚く掛けられた磁土の盃。もう一つは径70mm、高さ50mmほどの渋い灰釉薬の掛けられた塩笥(しおげ)型の陶土の盃。どちらも小ぶりで掌にすっと載り、まるく収まる。この感触が、北一明の盃とは異なる特徴。北一明の盃は、茶碗の小型版(ミニチュア)といえるもの。掌にすっと収まるものではない。指先で挟んで全体を鑑賞するのが北一明の盃。深沢幸雄の分厚い胎土の持ち重りのする盃は、器全体が柔らかな丸味のある局面を描いている。鋭角な表現に対する柔和な表現。そんな違いを、頂いた昔は気づかなかった。北一明は、切っ先鋭く抜きん出た表現を盃にも求めていた。深沢幸雄は、掌(たなごころ)にすっと馴染む感触を大事にした。それはいかにも日用雑器の印象だが、それもまた味わい深い。鑑賞陶磁器ではなく、実用陶磁器。若い人なら「カワイイ!」と言うだろう。大事に使いたい。

牧村慶子(閑人亭日録)

 昼過ぎ、沼津市でギャラリー・カサブランカを営んでいた勝呂女史が来訪。去年の夏に逝去された絵本画家牧村慶子さんの絵をデータベ-ス化するために、私のもっている二点を借りていかれる。勝呂さんは、去年から体調不良で仕事を休まれていた。まだ本調子ではないようだ。お互い服用している薬の副作用のことなど語り合う、というか同病(?)相憐れむ。歳だねえ(私は)。それにしても、水道水が不味くて、という薬の副作用に共感。そうかあ。最近やっと水がまともに感じられるようになった。家の水道管がどこかずれているのでは、と水道局に問い合わせようかと思っていた。電話しなくてよかった。とんだ恥をかくところだった。それにしても、味覚の変調はまことに困る。味覚の復調はとてもうれしい。なによりも不味くて飲まずにいたコーヒーが旨く感じられるようになった。嗅覚は弱いほうだが、それで困ることはない。視覚、味覚、触覚、聴覚は歳相応。歳といえば昼前、買い物からからふらふら帰ってきて自宅前で老年のご夫婦から挨拶された。この爺さん、誰かなあと訝しく思ったが、ハタと気づいた。数年来顔を合わせたことのない幼馴染の同級生と奥さん。ビックリしたあ。八十歳は優に超えていいるように見えた。なんといっても前歯が派手に欠けている・・・十年以上前だったか。彼は当時流行り始めた(?)歯のインプラントをした。「これで十年はもつ」と白い歯を自慢げに見せた。私は流行りものには手を出さない性格で、ふうん、と聞き流していた。あれから十年余。前歯が無いとは・・・。今のところ、硬いものを普通にガシガシ齧られる。歯が命。噛んでも噛んでも味がしないのは困りものだが、噛めないのはさらに困る。味覚が戻ってきてやれやれ。夕食後、勝呂さんから手土産にいただいた「いちご大福」を賞味。見たことはあるが、食べるのはこれが初めて。美味しい。いちごのほのかな酸味と皮のやわらかい甘みがうまく溶け合っている。売れるはずだ。

賞味期限 消費期限 つづき (閑人亭日録)

 味戸(あじと)ケイコさんの場合はどうだろう。椹木野衣・編集『日本美術全集 第19巻 戦後~一九九五 拡張する戦後美術』小学館 二〇一五年八月三十日 初版第一刷発行、「150 雑誌『終末から』表紙絵 味戸ケイコ」、椹木野衣(さわらぎ・のい)「解説」から。

《 味戸ケイコ(一九四三~)の名は知らなくても、一九七〇年代に思春期を過ごした読者の方なら、その絵にはどこかで見覚えがあるのではないか。(引用者・略)しかし、一九八〇年代も半ばとなり、バブル前夜の楽天的な気運がそんな陰りを一掃してしまうと、気づかぬうちにいつのまにか見かけなくなっていた。けれども味戸の絵は深く人々の心に沈み、決して消えることはなかった。それどころか、こうしてあらためて見たとき、味戸の絵は、いまもう一度その役割を取り戻しつつあるように思われる。(引用者・略)もとが版下として描かれたゆえ、用を終えると所在が不明になりがちなこのころの味戸の原画は、幸い静岡県在住の所蔵家の目に留まり、その多くが大切に保存され、未来に発見されるまでの、決して短くはない時の眠りについている。 》 273頁

 ヨハネス・フェルメールやジョルジュ・ド・ラ・トゥールと同じ運命、か。二人は二百年ほど忘れられていた。そりゃ長い。伊藤若冲は六十年あまり・・・私は生きてはいない。もっと早く発見されてくれえ。

賞味期限 消費期限 (閑人亭日録)

 食べ物に賞味期限(おいしく食べられる期限)と消費期限(食べられななる時)があるように、美術作品にも賞味期限(評価される期限)と消費期限(評価されなくなる時)があると思う。鮮度が命の野菜、魚の刺身。漬物や味噌、ウィスキーのように熟成するもの。さらに長い歳月を経て芳醇な美味をもたらすもの。・・・一般大衆に一時期大いに受けたカシニョール、ヒロ・ヤマガタラッセンは、鮮度が命の野菜であり、魚の刺身。ヨハネス・フェルメールやジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、長い歳月を経て芳醇をもたらすもの。すると、その間の、熟成するものに該当する美術品は何だろう。思い浮かぶのは、国華社や審美書院の複製木版画。その極精細多色摺り木版画は、印刷技術が遥かに進んだ二十世紀後半から、コンピュータ技術による精緻な印刷が進んだ現在の複製画に較べて遜色がない。いや、古典絵画の複製画を並べて見れば、その画面から受ける訴求力の違いを実感する。その違いは、近代の彫師摺師の卓越した技もさることながら、古典絵画への畏敬の念が自ずからなせる人間味が隠れているせいかも知れない。機械(コンピュータ)の分解能力と職人の眼力(意気込み)の、人間味のあるなしへの鑑賞者の反応=感応のせいかもしれない。

奥野淑子 佐竹邦子(閑人亭日録)

 奥野淑子(きよこ1978年~)さんの木口木版画が、美術界で話題になったり、美術雑誌の記事に取り上げられたりしたことを、グループ展の広告以外に私は知らない。某版画雑誌の編集長も知らなくて、五年ほど前、我が家で彼女の木版画をお見せしたら仰天。頼まれて電話を取り次いだ。彼女は現在休業中のようだが、思うにあの緻密極まりない、生命力あふれる流麗な曲線の彫りの魅力は、若き日の迸る情熱のなせる技だったのだろう、と思う。燃え尽きた・・・のではないか。さっき、たまたまオークションで見つけ、即決で落札。
 https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o1131546618
 これは代表作ではないが、参考までに載せておく。編集長に見せた、彼女の代表作と思える作品の一つは、日本版画協会展に応募して落選した作品。某編集長曰く。版画協会展は、情実、縁故が云々・・・・。それを聞いて腑に落ちた。
 佐竹邦子さんが応募したリトグラフ作品を見に版画協会展へ行ったところ、彼女と同期の大学院卒業生の作品が版画協会賞を受賞していた。「え、これが?!」だった。師事していた版画家の先生のお目にかなったのだろう。佐竹さんは翌年受賞。現在多摩美術大学教授。
 「生動力と構造力 佐竹邦子作品への視点」
 http://web.thn.jp/kbi/satake3.htm
 奥野淑子さんは、金は無くても情熱だけは有り余るほど。制作(彫り)に没頭した日々が過ぎて結婚~子育ての過程に入り、木版画制作への意欲が失せていった、と思う。
 佐竹邦子さんは、教授になるという人生の目標に狙いを定め、着実に制作に励んだ。准教授、教授と地位を得て、ある意味上がり。制作者(クリエーター)から指導者へ。
 初個展、大学院卒業制作展で注目し、お二人の作品の目を瞠る深化と展開力を目の当たりにできた僥倖を実感するこのごろ。
 それにしても、奥野淑子さんの木口木版画の魅力になぜ、誰も気づかないのだろう。つりたくにこさんと同じか。

北耀変茶盌(閑人亭日録)

 いまだ恢復途上にある心身には読書は向かない。座卓に北一明の耀変茶盌を置いて鑑賞するのが心地よい。午前の陽光を受けて、轆轤成形の茶盌は、見込みの底、胴の緩やかに波打つ曲面に散る金星斑が星影のように浮かぶ。視点を少し移せば、漆黒面は突然光彩を発現する。息を呑み、ただ光彩陸離たる茶盌の変幻を心ゆくまで味わう。卓上、掌上の創造美。自己表現に費やされたヘンテコな焼き物彫刻の、いかに疲れることか。陶芸の伝統美を突き抜けた前人未到の耀変の美、別格の茶碗。そんな高い評価を当然として下したくなる北一明の陶芸術作品。しかし、比類なき作品ゆえに、凡百の自称陶芸家たちからは無視、黙殺される。生前も没後も陶芸界からは何の反応、反響もない。つりたくにこ同様、海外から評価されるのみ。縁故はびこる・・・。哀しいかな日本の美術界。