掌に咲く作品(閑人亭日録)

 絵画では特にそうだが、小品と言うと悪い意味で手を抜いた作、と思われる。居間に飾って邪魔にならないインテリア絵画と、普通に思われている。絵画の本領は百号を超える作品だ、と 画家たちは団体展公募展に出品する対策を立て、大作の制作に励む。展示会場にはドデカイ絵が犇めいている。見る方はうんざり。早々に退散、退出。そんな群なす絵画群を足早に見てゆくと、「あら、これは」と思わず足を留める絵に出合う。半世紀近く前のことだが、その絵は安藤信哉の作だった。
 http://web.thn.jp/kbi/ando.htm
 他の日展画家とはえらく異なった作風。ある意味、筆が乱雑に走ってできた絵、とも言える。が、他の画家たちのご丁寧に描かれた絵を見て来た私には、なんと気持ちよく見えたか。そうかい、そうかい。安藤信哉はエライ!
 安藤氏の没後、遺族から「全部あげます」との申し出に美術運送の車を手配してK美術館へ搬送。大きな絵の額縁(仮額)をいくつも制作したり、裏板を補強したりして、何度か展覧会を開き、気持ちよく過ごしていた。
 何年か前、遺族から双方で絵を管理したいとの申し出があった。管理と言っても保管しているのは私。話がこじれるので全部返却することにした。美術運送業者に依頼。返却費用は全部私が持った。手元には画家本人から恵まれた小さな掌に乗る絵がある。私にはこれで充分。大きな絵などのその後は知らない。
 没後四十年の去年、回顧展の噂は聞こえてこなかった。来年はマンガ家つりたくにこ没後四十年の回顧展を催す。原画は手に乗る大きさ。明日から始まるパリ・ポンピドゥー・センターのマンガ・コミック展の展示ではどんな反響を呼ぶだろう。夫の高橋氏からは、作品集の続編(フランス語)が出版社から届いたとのメール。二冊目が本当に出たとは。優れた作品は、いつか日の目を見る、評価される。

『東瀛珠光 三』(閑人亭日録)

 1月4日の日録を再掲。きょうも同じことを思った。

《 正倉院御物で宮内省御蔵版『東瀛珠光 三』審美書院 明治四十一年十一月三十日發行収録、『第百七十 緑地彩色繪箱及粉地花形方几 其一 側面 其二 箱蓋正面』、「其二 箱蓋正面」の彩色木版を鑑賞。いつ見ても素晴らしい色彩、デザインセンスだ。一千年あまり前に制作されたとはとても思えない。今でも立派に通用する。今どきの斬新、鮮烈なデザインは、鮮度だけが重要なのだろう。ほとんどのものは「ああ、あったねえ」と回顧されるのみ。古臭くならないもの=作品を見い出すために古い美術本に掲載されている古典作品を鑑賞する。百年あまり前に選ばれた古典作品は、百年経つと評価は変わっているのか、どうか。明治後半の國華社と審美書院の美術本の作品を見ると、今もって新鮮な驚きを上げさせる多くの作品に出合う。眼福。温故知新。けれども明治後半以降の美術作品には、新鮮な驚きを与える作品がじつに少ない。西洋の流行、風潮に引き摺られている美術作品のなんと多いことか。それを憂うと、去年案出した「JOMON=縄文」の意図する、生(なま)の自然の中での生々しい(瑞々しい)経験がいかに重要かを痛感する。 》

 静岡県知事選挙の投票へ。六人の候補者から消去法で選ぶしかない…。そして誰もいなくなる…。が、白紙投票にはしなかった。

貫く棒のごときもの(閑人亭日録)

 高浜虚子の俳句にこんな作品がある。
  去年今年貫く棒の如きもの
 https://gendaihaiku.gr.jp/column/1100/
 去年今年(こぞことし)を去年今年と年替わりで解釈するようだが、私は壮大に拡大して解釈する。または読み替える。一年二年ではなく千年単位の歴史を貫くモノ。すなわち縄文時代の土器を思う。縄文時代は前期中期後期と分けられるようだ。それを去年今年と象徴的にいう。永い縄文時代に作られた土器の深鉢。その造形は数千年を貫いて今日の私に深い感動を与える…。美術史における様式や表現の変遷は何のもんじゃ焼き大自然の只中で自然の脅威にさらされて外界に対する鋭敏極まりない五感を働かせて長くはない人生を生き抜いていた縄文人。自然との対峙のなかで焼成した土器は、自然に対峙する力を自ずから蔵している、と解釈する他はない造形の力、自然に拮抗する力をひしひしと感じる。近代現代の造形表現に最初は感嘆するが、去年今年と年を経てくると何かしらパワー・ダウンを感じるようになる。そしてわずか半世紀で…。対して数千年が過ぎても新鮮な魅力を放ち、強靭な生の息吹きを感じさせる縄文土器。美術作品の魅力とは、発想の目新しさ、技法の新しさではない、とつくづく思う。生(なま)の自然との密接な感応の体験こそが、その後の美術行為に深く影響してくると思う。

 ネットの見聞。
 「実は「木器時代」だった可能性も 発掘困難な木材から見えてきた古代人類の知恵と技術 」 GLOBE+
 https://globe.asahi.com/article/15274542

「ARTを超えたART作品」(閑人亭日録)

 白砂勝敏さんの企画展がギャラリー音楽の森(栃木県矢板市)で催されている。
 https://shirasuna-k.com/blog/tag/%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E6%A3%AE/
 「ARTを超えたART作品」。この文言は思いつかなかった。
 白砂さんの作品でいえば、私ならまず『木彫刻・椅子 ナゴメイテ』2010年作を挙げる。彼が最初に手掛けた木彫椅子の作品。「こんなものを創りました」と持ち込まれたとき、一目で気に入り、木彫椅子の企画展を決め、この椅子を購入。
 https://shirasuna-k.com/gallery-2/wood-sculptures-chair/
 我が家の玄関にさり気なく置いてある。気がつく人は気がつくし、見過ごす人は見過ごす。次に挙げる作品は、案内葉書に掲載の、流木に手を加えたシリーズの最初期の作品。私のもっている作品は、高さ60センチほど。木彫椅子とこの作品は「ARTを超えたART作品」といえるかな。私流にいえば、既成のアートを突破した作品であり、アートの可能性を提示した作品。けれども、どちらも美術ジャーナリズムは一顧だにしない。いや、北一明の耀変茶盌同様、わかろうとしないのだろう。あるいはアートビジネス界のしがらみ? 私には縁のない世界だ。

吹聴したくなる作品(閑人亭日録)

 この数年、人に吹聴したくなる作品に出合っていない。山梨県立美術館で縄文土器を間近に観て以来、瞠目するような絵画、立体造形作品にお目にかかっていない。残念だ。絵画で瞠目したのは、国立西洋美術館で開催されたジョルジュ・ド・ラ・トゥール展か。ずいぶん前のことだ。ヨハネス・フェルメールよりも凄い、と思った。今でもその評価は変わらない。フェルメールの再来とうたわれたデンマークの画家ハンマースホイは、最盛期の五年間ほどの絵がよかったが、もう一度見たいとは思わない。西洋美術館収蔵のラ・トゥールの老人の絵はまた見たい。私はジジイだが、ジジイを描いた絵は見たくはないが、あの爺さんにはぐいっと惹きつけられた。絵のもつ磁力(訴求力)をひしひしと実感。名画だ。それに較べると、近代・現代絵画は・・・ま、人の好みと審美眼に口を挟めば唇寒し、だ。実際、ハンマースホイ展で友だちと「この絵はよくないね」とか感想を述べ合っていたら、係員から「そんなことは言わないでくだい」と注意された。大声で話していたわけではない。コチトラ、金を払っているんだぜ、と啖呵は切らなかった。パブロ・ピカソアヴィニョンの女たち』であれ、批判に耐える作品こそが歴史に遺る作品だろう。
 毎年の公募展で大賞や最優秀賞を獲得した絵で、何点が記憶に残っているだろう。あるいはどこに収蔵されているだろう。個人か公的機関か。一年限りの注目作ではしょうがない。で、私が某公募展を前に提案したのが、「ブービー賞」の選定。応募作品で最もヒドイ(最低)と顰蹙を買う絵にあげる賞だが、即時に却下された。「これは何だ!ヒドイ!」と呆れられ、嘲笑された絵画が後年、歴史を創った名画と称賛される。発表時には顰蹙を買った絵が、後年称賛を得る。あるいは無視、黙殺された作品が、没後評価れる。つりたくにこさんのマンガはその一例だろう。最近では奥野淑子(きよこ)さんが版画協会展に応募して落選した木口木版画。展示では応募者名が間違っていて事務局へ抗議した。この作品はネットには見つからない。私はもっている。

カスパル・ダヴィト・フリードリヒ(閑人亭日録)

 一昨日ふれた『現代の絵画 7 19世紀の夢と幻想』平凡社 昭和48年3月30日初版第1刷では「カスパルダヴィト・フリードリヒ(1774-1840)」と表記されている。この画集に収録された絵画の中でなぜフリードリヒの風景画に他の画家の絵よりも群を抜いて惹かれるのか。あれこれ考えを巡らせて一つの仮説が浮かんだ。それは当たり前のように身近にある馴染んだ自然の、懐の深い何気ない魅力、というか、そういう自然の光景を描いたのではないか。驚異の自然ではなく心を解放させる自然を遠望する人のいる光景。
 それから飛躍して、味戸ケイコと北一明、二人の常設美術館を開設した深い理由に今頃、思い当たる。子どものとき身近に接していた自然(里山の雑木林)が、私のその後の人生に深く影響している。近代社会の只中で子ども時代を過ごしてきた大多数の人とは違う自然体験、自然観(自然感)が、心身に沁み込んでいるからではないか。フリードリヒの絵画に私の自然体験、自然観が交響する。そしてそれは味戸、北の二人にも交響するのではないか。味戸ケイコと北一明は子どもの頃、身近にある大自然に深く感応していた。そんな仮説が浮かんだ。
 パブロ・ピカソが先陣を切った二十世紀絵画の潮流は、若い画家たちが社会の中で躍動した絵。それらの多くは、自然とは隔絶した都市の人間社会を背景にしていたように思える。それが悪いというのではない。自然の只中を生きた縄文人の土器に身近に接した今では、現代絵画における激発の表現が、強固に構築された近代人間社会を反映しているように思える。それは日本人画家にも言えると思う。さて、変貌する社会の大波を乗り越える絵とは。私個人の管見、戯言(たわごと)である。

今年初めての音楽(閑人亭日録)

  きょう、様々なトラブルがやっと解消。You Tubeで音楽を聴く。今年初めてだ。
 Cesaria Evora Africa Nossa
 https://www.youtube.com/watch?v=QH1UG6V7iiY
 Himari 8歳さんが弾くツィゴイネルワイゼンが凄い(サラ・サーテ)あの感動のシーンを審査員の拍手の嵐をもう一度/解説付き
 https://www.youtube.com/watch?v=n2Oqkh6LQJs
  Corazon Espinado (Video) ft. Mana
 https://www.youtube.com/watch?v=t6omUxqhG78a
 Orchestra Baobab - Nijaay (Live at Malta Jazz Festival)
 https://www.youtube.com/watch?v=ldLO4LwNLHY
 Deep Purple - Child In Time - Live (1970)
 https://www.youtube.com/watch?v=OorZcOzNcgE
 The Animals - House Of The Rising Sun (Music Video)
 https://www.youtube.com/watch?v=N4bFqW_eu2I