『つりたくにこ作品集 続編』(閑人亭日録)

 故つりたくにこさんの夫、高橋直行氏から出たばかりのフランス語版『つりたくにこ作品集 続編』(『JOUER AU LOUP』)をご恵投いただく。他の国の本はソフトカバーだが、正編続編ともハードカバー。
 https://www.amazon.co.uk/Books-Tsurita-Kuniko/s?rh=n%3A266239%2Cp_27%3ATsurita+Kuniko
 雑誌『ガロ』で読んだ『彼等』『溝』『墓』『ジャムの壺』など今も初読の記憶が鮮やかな作品群。…しかし、吹き出しがフランス語では…お手上げ~。じっと見てるだけ。それにしても、つりたさんのマンガ原画を展示中のポンピドゥーセンターをご存じない人が多くて参った。そんなものかも知れない。

 東京新聞、伊藤氏貴「文芸時評」から。

《 雑誌全般の不振もあるが、純文学の場合は特に前衛化しすぎたためもある。難解自体が悪いわけではないが、その難解さにどんな意味があったのか結局よくわからない。実験のための実験のような小説が、ある時期から増えてきた。
  昔の『新潮』の目次をみれば、芥川でも菊池寛でも志賀直哉でも、現在の一部の小説よりよほど読みやすかろう。芥川が今生きていたら、とれるのは芥川賞ではなく直木賞だという近代文学研究者もいる。 》

 音楽でも美術でも同じだな。1980年前後、山下洋輔トリオとアート・アンサンブル・オブ・シカゴ以降のジャズには興味を失ってワールド・ミュージックへ関心が移った。美術はアメリカ絵画や抽象画に底の浅さを感じとり、味戸ケイコ、北一明らに関心が移った。そして今へ続く。

なぜその絵に惹かれるのか?(閑人亭日録)

 なぜ?特定の絵に惹かれるのか。その謎。隠れた秘密…。そんなことをあれこれ考えていて永田和宏の短歌(『メビウスの地平』茱萸叢書1975年12月10日刊 収録)が浮かんだ。
  剥がれんとする羞しさの──渚──その白きフリルの海の胸元
 一昨日、昨日とふれた故内田公雄氏は、羞恥心という言葉をよく口にした。絵を制作する姿勢を自らに戒める言葉であり、画家仲間の絵への忌憚のない批評の基だったように思う。彼にとって羞恥心とは、制作するときの慢心を排する戒律だった、と思う。優れた絵は作者の羞恥心によって制御され、内面の心根(こころね)はギリギリのところ=渚で隠されている。鋭敏な視線で絵を鑑賞すれば、鑑賞者は白きフリルを透過、透視し、海の深い世界=制作者の内面の心根に感応する。優れた絵には共感し、さらには感動、感銘を覚える…惹かれる絵とは「白きフリルの海の胸元」の先、海の深い世界の謂いなのだ。
 「内田公雄の絵画世界」
 http://web.thn.jp/kbi/utida7.htm
 「蒼天の漆黒 内田公雄『作品 2002 W-8』」
 http://web.thn.jp/kbi/utida6.htm

深い味わい(閑人亭日録)

 昨日、絵の密度が濃い薄いを話題にしたが、設問を間違えていた気がする。鑑賞する側から見て、その絵が味わい深いかどうかが、大事なのだ。絵の密度の濃い薄いのではなく。鑑賞する側にとってその絵が味わい深いか否かが、大事なこと。鑑賞する側に判断が委ねられていることには変わりがないが、鑑賞する側の鑑賞力が問題になる。しかし、味わい深いとは、これまた定義の難しい言葉だ。なんだかんだと逡巡、思案クレールだ。権威筋が高く評価するから、という理由で「あの絵はいいねえ」と誉めることはしたくない。「裸の王様だ」と叫んだ子どものようでありたいと思っている。他人様がいいと言っていても、どこがいいのかワカラン、と恥ずかしげもなく言うジジイでありたい。自分の判断が間違っているとわかったら訂正すればいい。まずは深い味わいを実感すること。食べ物ならある程度実感できるが、絵画ではそれがじつに難しい。鑑賞力をどうやって身につけていくのか。適切な方法は、その絵を気に入ったのなら、その理由を書いてみることだろう。人を好きになった理由は無い、と言ってもその理由を告白したくなる。それと同じこと。けれども、そう簡単に惹かれる理由を言えるわけがない。つりたくにこさんのマンガになぜ惹かれるのか、未だにはっきりと言えない。その画面から深い味わいを感じるが、それを他の言葉で表現できない。そんなもんだなあ。出合いから半世紀余が経っても、惹かれる理由をうまく表現できない。昨日の内田公雄氏の小さな絵についても、それに惹かれる理由を今もって言葉にできない。しかし、私には味わい深い絵だ。それでいい。

小さい絵の額を立てる万能台(閑人亭日録)

 雨の一日。思い立って小さい絵の額を立てる台を手元の木片を使って製作した。簡単に組み立てられ、分解できる木製の台。土台を二等辺三角形に。底辺は幅のやや広い板材。△につなげて床に置く。底辺は二辺より出っ張っている。底辺に額を立てる。△の頂点と額の裏側の上部の出っ張りに棒を架ける。絵を見やすい角度に棒の長さを調節する。よしよし。出来上がり。内田公雄の小品を立てかける。こりゃいいわあ。壁に掛けたよりも絵に集中できる。「なにしてるの?」と友だちが見に来る。「あら、内田さん、いいわねえ」。小さい絵は卓上に置いた額台に載せて鑑賞をすることを勧奨。
 http://web.thn.jp/kbi/utida1.htm
 上記サイトの『作品95-W-2〔記〕』を連想。手元の小品は1987年作。先駆的作品のようだ。
《 この銘文は解読できません。これは、画家が考え出した意味不明の文字もどきだからです。 》
 大きさはまるで違うが手元の小さな絵のほうが密度がはるかに濃い。ここからが難問。密度が濃い薄いを作品の優劣の判断手段に使えるか、どうか。私の考えでは、使えない。密度が濃いと言えば、作品を高く評価しているように感じられる。しかし、言葉を替えれば、密度が濃いとは息が詰まる、という意味につながる。密度が薄いとは、肩の力が抜けている、開放的であるにつながる。密度が濃いは生真面目につながり、密度が薄いはユーモアに通じる。夏目漱石で言えば、密度が濃いのは『心』。密度が薄いのは『吾輩は猫である』。どちらの作品が優れているのかは、好悪に委ねるしかなさそうに思える。なにせ作品の方向性が違うのだから。では、密度が濃い薄いでは判断に使えないならば、何が作品の判断に使えるか。それは論理、理論ではなく、その人の感性と審美眼によるしかないだろう、というのが、私の現在の考え。美術作品の優劣の判断は、知識・経験・直観といわれるが、その三点が揃い踏みしたからといってその評価が長年にわたって至当な評価とされることは、なかなかないことを歴史が証明している。時代が変われば評価も変わる。そんな歴史の断絶、地殻変動に耐えて生き残った作品、また忘却され、再発見~再評価された作品が、優れた作品だろう。この小さな絵は後世に評価されると予想(期待)しているが、それは私の死後のことだからなあ。大いに吹聴して(?)楽しまなくては。
 在りし日のオシャレな内田さんが思い浮かぶ。なんか遺影を連想。
 使わなくなった蒸し器のすのこを少し切って小さくし、土台の△に載せてピンで固定。味戸ケイコさんの小さい絵の額に立てかける短い棒をすのこに引っ掛ける。もっと小さい額の絵もじっくり鑑賞できる。大きさが違っても、オッケー。雨の日の工作、終了

掌に咲く作品(閑人亭日録)

 絵画では特にそうだが、小品と言うと悪い意味で手を抜いた作、と思われる。居間に飾って邪魔にならないインテリア絵画と、普通に思われている。絵画の本領は百号を超える作品だ、と 画家たちは団体展公募展に出品する対策を立て、大作の制作に励む。展示会場にはドデカイ絵が犇めいている。見る方はうんざり。早々に退散、退出。そんな群なす絵画群を足早に見てゆくと、「あら、これは」と思わず足を留める絵に出合う。半世紀近く前のことだが、その絵は安藤信哉の作だった。
 http://web.thn.jp/kbi/ando.htm
 他の日展画家とはえらく異なった作風。ある意味、筆が乱雑に走ってできた絵、とも言える。が、他の画家たちのご丁寧に描かれた絵を見て来た私には、なんと気持ちよく見えたか。そうかい、そうかい。安藤信哉はエライ!
 安藤氏の没後、遺族から「全部あげます」との申し出に美術運送の車を手配してK美術館へ搬送。大きな絵の額縁(仮額)をいくつも制作したり、裏板を補強したりして、何度か展覧会を開き、気持ちよく過ごしていた。
 何年か前、遺族から双方で絵を管理したいとの申し出があった。管理と言っても保管しているのは私。話がこじれるので全部返却することにした。美術運送業者に依頼。返却費用は全部私が持った。手元には画家本人から恵まれた小さな掌に乗る絵がある。私にはこれで充分。大きな絵などのその後は知らない。
 没後四十年の去年、回顧展の噂は聞こえてこなかった。来年はマンガ家つりたくにこ没後四十年の回顧展を催す。原画は手に乗る大きさ。明日から始まるパリ・ポンピドゥー・センターのマンガ・コミック展の展示ではどんな反響を呼ぶだろう。夫の高橋氏からは、作品集の続編(フランス語)が出版社から届いたとのメール。二冊目が本当に出たとは。優れた作品は、いつか日の目を見る、評価される。

『東瀛珠光 三』(閑人亭日録)

 1月4日の日録を再掲。きょうも同じことを思った。

《 正倉院御物で宮内省御蔵版『東瀛珠光 三』審美書院 明治四十一年十一月三十日發行収録、『第百七十 緑地彩色繪箱及粉地花形方几 其一 側面 其二 箱蓋正面』、「其二 箱蓋正面」の彩色木版を鑑賞。いつ見ても素晴らしい色彩、デザインセンスだ。一千年あまり前に制作されたとはとても思えない。今でも立派に通用する。今どきの斬新、鮮烈なデザインは、鮮度だけが重要なのだろう。ほとんどのものは「ああ、あったねえ」と回顧されるのみ。古臭くならないもの=作品を見い出すために古い美術本に掲載されている古典作品を鑑賞する。百年あまり前に選ばれた古典作品は、百年経つと評価は変わっているのか、どうか。明治後半の國華社と審美書院の美術本の作品を見ると、今もって新鮮な驚きを上げさせる多くの作品に出合う。眼福。温故知新。けれども明治後半以降の美術作品には、新鮮な驚きを与える作品がじつに少ない。西洋の流行、風潮に引き摺られている美術作品のなんと多いことか。それを憂うと、去年案出した「JOMON=縄文」の意図する、生(なま)の自然の中での生々しい(瑞々しい)経験がいかに重要かを痛感する。 》

 静岡県知事選挙の投票へ。六人の候補者から消去法で選ぶしかない…。そして誰もいなくなる…。が、白紙投票にはしなかった。

貫く棒のごときもの(閑人亭日録)

 高浜虚子の俳句にこんな作品がある。
  去年今年貫く棒の如きもの
 https://gendaihaiku.gr.jp/column/1100/
 去年今年(こぞことし)を去年今年と年替わりで解釈するようだが、私は壮大に拡大して解釈する。または読み替える。一年二年ではなく千年単位の歴史を貫くモノ。すなわち縄文時代の土器を思う。縄文時代は前期中期後期と分けられるようだ。それを去年今年と象徴的にいう。永い縄文時代に作られた土器の深鉢。その造形は数千年を貫いて今日の私に深い感動を与える…。美術史における様式や表現の変遷は何のもんじゃ焼き大自然の只中で自然の脅威にさらされて外界に対する鋭敏極まりない五感を働かせて長くはない人生を生き抜いていた縄文人。自然との対峙のなかで焼成した土器は、自然に対峙する力を自ずから蔵している、と解釈する他はない造形の力、自然に拮抗する力をひしひしと感じる。近代現代の造形表現に最初は感嘆するが、去年今年と年を経てくると何かしらパワー・ダウンを感じるようになる。そしてわずか半世紀で…。対して数千年が過ぎても新鮮な魅力を放ち、強靭な生の息吹きを感じさせる縄文土器。美術作品の魅力とは、発想の目新しさ、技法の新しさではない、とつくづく思う。生(なま)の自然との密接な感応の体験こそが、その後の美術行為に深く影響してくると思う。

 ネットの見聞。
 「実は「木器時代」だった可能性も 発掘困難な木材から見えてきた古代人類の知恵と技術 」 GLOBE+
 https://globe.asahi.com/article/15274542