k-takahashi's blog

個人雑記用

アラレちゃん

 

先日セールされていたので、Dr.スランプをまとめがいしてチマチマ読んでいた。全部読んでいたつもりだったが、何冊か飛ばしていたらしい。(上の紹介1巻だけだが、全部で9巻だった。単行本は18冊だったとのこと)

しかし、今見ても変なマンガだよな。

決断の太平洋戦史

 

軍人の評価には色々あるが、大木氏は戦略・作戦・戦術といったレベルに分けて評価を行い、またその思考や決断に至る経緯にも注意を払っている。そもそも置かれた境遇が違えば長所が活かせないことも多いことにも言及する。そうした姿勢で日米英戦争の人物を紹介する一冊。

 

最初が英軍のパーシヴァル中将。1942年のマレー戦で英軍の指揮を執り、その敗北から愚将のレッテルを貼られている人物だが、英軍は開戦前から準備不足であり、そのことを指摘し対策を取っていたと評する。もちろん、作戦・戦術的な面での不手際は事実だが、責任を一人に負わせるのは不当ではないか、となる。

 

こんな調子で12人の紹介を行っている。副題の「指揮統帥文化」というのは、経緯や状況の一つとして各軍の持つ文化的背景を指している。帝国陸海軍の不仲や硬直した人事制度などは良く指摘されているが、それを米英と比較することで際立たせている。

昭和の日本陸海軍の指揮統帥には、一定の特徴、それも芳しからざる特徴がはっきりとみられる。

戦略における政治との相互作用への配慮の乏しさ、硬直したドクトリンへの固執、作戦要素の偏重(当然、兵站や情報といった他のファクターの軽視につながる)、即興性・柔軟性の欠如、不適切な人事……。(No.2497)

ここまでならよく出る話で、それこそ「失敗の本質」にも似たような指摘はある。だが、さらに

多数の問題点をはらんだ日本的指揮統帥の文化は、いかなる種子から芽を吹き、根を下ろしていったのか。(No.2504)

と議論を進め、終章で幾つか視点を示している。「官僚化」「戦争の変化(総力戦への非対応)」「秀才の戦争」「人事システム」など。ここで面白いのは大木氏はさらに一歩進めて、明治期に既に似たような事例があり、これは指揮統帥文化だけで捉えられる問題ではないかもしれない、と指摘している。

 

といった視点を持った上で、個々人のエピソードを読むとまた面白さが増す。