ミスサイゴン:みんな大好き、トゥイ人民委員長の非モテ列伝

ミュージカル「ミス・サイゴン」好きですか。僕は好きです。中でもトゥイは最高です。あいつ本当にモテない。
・4年間会ったこともない許嫁に恋をし続ける。
・許嫁の家が戦争でふきとんだ情報を聞きつけ、弾丸飛び交う中、助けに向かう。戦場跡地から許嫁の行き先を調べ出す。有能。ベトコン上官なのにアメリカの領地に単独潜入。勇敢か無謀。
・ようやく見つけた許嫁、売春婦に身をやつし敵軍アメリカ兵とねんごろ。この時期のアメリカ兵は完全落ち目で数日後強制撤退なのに。
アメリカ兵を殺そうとするも、許嫁がかばう。ちなみにこの数日前、許嫁はこのアメリカ兵で処女喪失しているので、もうアメリカ兵の虜。トゥイ、あと数日早ければ。すべて問題なかったのに。タイミングの悪さも非モテ
アメリカ兵撤退時のいざこざで許嫁を見失ってしまうが、トゥイは超我慢強い。3年間探し続ける。
ベトナム軍超お偉いさんに就任。どう考えても嫁なんて引く手あまただろ。でも許嫁探し続ける。いいか。急ぐな。今に、わかるだろう。根気強い非モテ
・ようやく見つけた許嫁に、売春で生んだアメリカ兵の子どもがいた。このままではベトナム軍上官の嫁にはできない。子どもなんていなかったことにすれば許嫁を救えるぞ、即決。子どもを殺害しようとするが、救おうとしていた許嫁に背後から撃たれる。
国葬

不思議な少年

「ねえ、隣りに座ってるカレ、すごくかっこよくない?」
「ホントだ、超イケメン」
二人のOLがひそひそと話をした。
隣りに男が一人、座っている。端正な顔立ちをしている男で、上等なスーツを着ていた。町の中にある、ちょっと高級なレストラン。男は一人で食事をしていた。女性たちは給料日あとで、ちょっと奮発してこの店に来たのだ。
隣りから漏れ聞こえた声に反応し、男は女性に向かってにこりと笑って「ありがとう」と言った。女性たちの頬はぽっと赤くなった。自分たちの声が相手に聞こえてきた恥ずかしさと、好ましい男に声をかけられてうれしかったことの両方が入り交じったものだった。
男は食事を終えるとエスプレッソをさっと飲み、席を立った。
二人組がレジに向かうと「お代は先ほどの男性からいただいております」と答えられ、二人はお互いの顔を見合わせた。
「すごい得した」
「こんなことならデザートも頼めば良かったー」
女たちは顔を見合わせて笑った。
それから女たちは、食事処でこれ見よがしに隣に座った男性を褒めることにした。大抵の男は紳士的な態度をとり、悪い気はしなかったし、男が食事代を持ってくれたり、デザートを奢ってくれることもあった。そのあとナンパしてくる男もいた。女たちは得した気分になったし、相手の気分もよくしているのだからウィンウィンじゃないか、と幸福な日々を過ごした。
数ヶ月が経ったころ、女たちは以前見かけたあのイケメンが隣の席に座った。
「ねえ、隣りに座ってるカレ、すごくかっこよくない?」
「ホントだ、超イケメン」
女たちは聞こえるような声で言った。
男は女たちのほうを見て言った。
「奢って欲しいから言うようになってしまったね。残念だ」
男は冷たい声を出した。
女たちは自分たちが何を失ったのか、思い出すこともできなかった。

年老いるのを望んでいる瞬間

「え、k4さんってそんな年なんだ。見た目全然変わらないよね」と言われた返事が「それが褒め言葉だとしたら、もう年寄りだということだよ」でした。相変わらず。偏屈な。老人に。なっていく。問題はない。
多くの人が、若い方が良い、と考えている。誰もが年を取りたくないと思っている。
それなのに、ある瞬間において、年を取りたいと望んでいるときがある。
おそらく自覚をしていないのだろうけれど。
ある漫画の発売日が、10月だった。
早く10月にならないかな、と思った。
これってようするに、年を取りたいってことだろ。
ソシャゲーをやっていた。スタミナ回復まであと5分。待ち遠しい。
これってようするに、年を取りたいってことだろ。
時間を早く進めたいと思っている瞬間がある。
そうやってむやみに無意味に支払いたいと思っているわけだ。
乱暴に金を使いたいだけだ、という場面もある。
健康を損ないたいだけだという場面もある。
手持ちの資産をそうやって使っている。
贅沢な話じゃあないか。

夢のある夢の話

自分が実は死んでいて幽霊になっている、という夢を見た。
なんか普段通りの生活をしているんだけど、ふとした拍子に自分が幽霊であることが発覚。
僕「え、マジで僕死んでるの? キミと話せてるじゃん」
相手「いや、私は霊能力あるんで」
僕「まじかー、じゃあ僕、透明なの?」
相手「大半の人は見えないよ」
僕「電車もタダ?」
相手「…まあ」
僕「銭湯ってどこにあるか知ってる?」
ってとこで目が覚めた。

ある坊さんの話

「私が悟りを開いたときの話をしましょう」
その坊さんは気楽な口調で話し始めた。
坊主には托鉢という修行がある。道ばたで立って経を読んでいる坊主を見た事がある人も多いだろう。彼はその最中に悟りを開いたと言った。雪が降っていた。うっすらと積もる雪の中で彼は経を読みあげていた。足袋は薄く、足先の感覚は既になかった。あかぎれて、積もった雪がピンク色になっていた。周囲の人は足早に彼の前を通り過ぎて行く。
彼が悟ったのはそのときだった。
ただの極限状態における脳が見せた幻覚だ、と誰もが言った。
だがその坊さんは笑顔で言う。
それでもそこに神がいた、と。
ある将棋指しの話がある。神を見たとそいつも言った。将棋をしているとそれを感じるのだ。ランナーもそうだ。アスリートなら一度ぐらい見た事がありそうなものだ。限界みたいな何かの先に神ぐらい見える。見た人間にしかわからない。
そして見た人間なら誰でもそれが確かに存在したと知っている。見ていない人間が後づけでこういう理由だと説明したいだけだ。ちょっとぐらい見てみたいもんだ。しかしたぶん、気楽には見せてもらえない。

正義の偽装、悪の偽装

素直さ、というものは意外と難しい。
素直に物事を見た場合、すり込まれている土台の部分が揺るぐことがある。たとえばトイレなんかわかりやすい。動物としてみれば、どこで糞尿したっていいわけだが、それさえも刷り込みによってコントロールされている。素直さから離れている。
悪を行うと少しだけ素直さというものを見つめることが出来る。自分の考えている素直さなんてものは、たいてい偽装されたものだ。たとえば暴力なんかそうだ。暴力が悪いことだと言うことはわかる。しかし暴力的になることはあるだろう。なぜ暴力がふるいたいのか。素直に考えてみよう。本当にそんなものを望んでいるのか。そう考えていくと、暴力がふるいたいなど二の次で、本当に望んでいることは別のことであることが大半だ。たとえば自分の意見を通したいとかだ。それが通らないから暴力に頼っている。暴力は方法であり、素直な望みは別にある。悪でさえ、素直さから偽装されている。
正義のほうがずっと偽装されていることが多いはずだ。素直さから離れている。
でも、たぶん、ここからは性善説だけど、素直さを追求していくと、結局正義になるだろうな、と思っている。周囲を気持ちよくしたい、という素直な欲求になっていく。
昼間、空を見上げると星が見えないのは、太陽光に支配されているからだ。星空はいつだってそこにあるのに、見えない。素直に物事を見るということは、星空を見るということだ。
たしかそんな内容だったはずだ。どこかの小説の一遍だ。今でもそれを信じている。

今日逃げたら明日はもっと大きな勇気が必要になるぞ

という文章が見えたので、書いておこう。
僕はそれをデブと呼ぶ。
重さ。体重のことではない。腰の重さ。足回りの悪さ。動きだしの遅さのことだ。心がデブってる。うだうだいいわけを用意して動けないのは、デブだからだ。すでに準備が整いっているのなら、それは待っているのであって、動けないのではない。動かないのだ。デブとは違う。
文章をもっと書いていかないと、うまく書けなくなってしまう気がする。実際今、ここに書かれている文章の断片化はけっこうなものだ。(ところで断片化ってHD時代の用語だからシリコンディスクになってそのうちなくなるのかな。話がずれたので戻す)
いろいろやりたいことがある。本を読んだり。絵を眺めたり。映画を見たり。音楽を聴いたり。料理をしたり。掃除をしたり。ゲームをしたり。全部はできない。やりたいことが山積みだ。だからあふれた部分は削る必要がある。体力も時間も無限ではなくなってしまった。子どもの頃は金が問題だったが、大人になると時間と体力が問題になる。きっと僕は大人になったのだろう。
だから、それに着手していないのは、逃げているわけじゃあないんだ。今日も楽しいことをしている。それには着手できなかったが、違う遊びをしている。自分はデブじゃないと必死に言い訳をしている。
こうやって無駄で無意味で非生産的な文章なら、まるでわき出るように書けるのに。
もっとエンタテイメント性に富み、多くの人を喜ばせたり悲しませたり楽しませたりする文章はなかなか書けない。その場で話が展開する大喜利ではなく、作り込まれたコントが作りたいんだ。だからそれは少しずつしか作れない。
デブで動けなくなってしまうのか。少しずつダイエットしなさい。手を動かすなら、今だ。明日はもっと大きなエネルギーが必要になる。