「ゴジラVSキングギドラ」★1/5

kakeru33072004-12-07

現在と未来をいったりきたりするストーリーの枠組みはともかく、エピソードの組み立てが杜撰すぎて、物語世界に入っていけなかった。SF考証だけにとらわれて、物語をどうこう言うのはナンセンスにしても、それ以前の問題が多すぎる。


例えばラブストーリーがタイムトラベル(スリップ)を扱った場合、「タイムパラドックスが……」みたいな指弾をされることはよくある。
でも、フィクションとしての物語は「ブルーバックス」ではないのだから、SF考証はあくまでストーリーのための一つの道具。ファンタジーの言葉尻をとらえて、鬼の首をとったようにどうこう言うのは何かズレている。

でも、この作品、タイムパラドックスとか言う前に、恐ろしく作りがいい加減で、突っつけるような重箱のスミなんてどこにもないようなスカスカの話だった。


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広告写真やファッション誌のグラビアを見ていると、まただんだんと太くなってきた女性の「眉」
というわけで23世紀まで太眉が続く……わけもなく、23世紀人役の中川安奈も今はこんな感じ(写真)


それにしても、CinemaScapeの「ゴジラVSキングギドラ」の各コメントで散々な目にあっているのがチャック・ウィルソン。ロボットにされたり、チャック・ノリスっていわれちゃったり(これはネタかも)……でも、一応は「芸歴」もあるのに、M-11号の稲川素子事務所芝居とドングリの背比べでは、せいぜいそんなところか。


※以下はネタバレ

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ゴジラはこんなに前から死んでいた

kakeru33072004-12-04

■「ゴジラVSスペースゴジラ」★1/5


東宝は、小遣い銭稼ぎでやっているホームセンターや住宅展示場の宣伝にはどんどんゴジラを使うけれど、結局のところゴジラに対する愛情なんて全く持っていないんだろうな、と思った。

長年子供相手のビジネスをやってきているはずの映画会社が、「子供だましでは子供もだまされない」なんてあたりまえのテーゼを知らないわけがない。そのへんが、どうも「やる気の無さ」に見えてしまうのだ。

それよりも何よりも、このいい加減な仕事をした脚本家の柏原寛司が、その後二本もゴジラを書いている(『ゴジラ2000ミレニアム』『ゴジラ×メガギラスG消滅作戦』)こと自体、東宝ゴジラをただの金ヅル程度にしか考えてないことの証明のような気がしてしまう。
スペースゴジラのネーミングだとか、G対策会議での強引な説明台詞にしても、上っ面だけのやっつけ仕事にしか見えない。

この脚本では演出をどうがんばってもあれが精一杯だったように思える。
助監督と監督をいったりきたりしていた山下賢章が、この仕事を手がけたことは、彼にとっては不幸だったのかもしれない。

でも、「脚本家・柏原寛司」はこの後もそれなりに仕事をしていることを考えると(不評の物ばかりだけれど)、ビジネスの世界にはいろいろあるんだろうな、とも思った。


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※以下はネタバレ

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「私たちは小美人です」

kakeru33072004-12-02

■「ゴジラVSモスラ」★2/5


シナリオの完成度は高い。でも、それは雑誌「シナリオ」的評価軸での話で、ゴジラとしては問題外。離婚夫婦、環境問題や不動産開発、そういったイマドキのアイテムで組み立てるのは「火サス」「Vシネ」的アプローチ。大森一樹は永遠にゴジラに届かない。



大森的アプローチでゴジラ映画は成り立たないことは『ビオランテ』のときからわかっていたはず。しかし、ゴジラそのものの造型や、現代の技術でブラッシュアップされた特撮に、ゴジラファンすらも幻惑されてしまい、配収は伸びた。そういうことだったんだろう。

それにしたって、「シェー」とかミニラ、ジェットジャガーに失望していたパパたちが、そんな怨念の分財布のひもがゆるくなっていて、子供たちを映画館に引っぱって行ったんじゃないか? そんな気がする。

本作は、いたずらに現代的なドラマ部分がまず足を引っ張っていた。そして、三匹の対立構図にしても、最後のバトルの成り立ちにしても、お題目ばかりが先走って観念的。ゴジラ映画としてのシンプルなカタルシスはどこを探してもない。

大河原孝夫の他の作品を見る限り、彼はカタルシスの演出ではなく“空騒ぎ”のお膳立てしかできないような幇間芸的クリエイター。彼がこの後もゴジラのメガホンをとってどうなったのか……はご存じの通り。


※以下はネタバレ

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「ゴジラVSビオランテ」★2/5

kakeru33072004-12-01

初代『ゴジラ』でも、正義の味方のゴジラでもない「新しさ」への挑戦は評価。しかし、大森一樹は「日本の怪獣映画」「怪獣映画としてのゴジラ」、それぞれの中での「ゴジラ」のポジショニングを見誤った、あるいは過小評価していたのではないだろうか。

たしかに、新しい『ゴジラ』への意気込みがあったのかもしれない。しかし、大森の意図したタッチは鋭すぎ、その上深く切り込みすぎた。稀代のシナリオライターも、頭でっかちにも策士策におぼれてしうまったのだろう。


代々続いた和菓子の老舗が、新しい商品を開発しようとしたところを想像してみる。
そのために呼ばれたのは、和菓子の知識と技術に優れ、そして伝統的な和菓子の世界に新しい流れを作ったパイオニアと、自他共に認める才能あふれる職人(大森)だ。
そして、彼が作ったのは伝統的な「大福」でもなく、現代のセンスや技術で製品自体や製法をブラッシュアップした「ニュー大福」でもなく、「いちご大福」だった……。

「いちご大福」は、キワモノの例えとして持ち出したわけではない。

これは、先入観を持たずに口にしてみれば「意外とおいしいもの」の実例として、『美味しんぼ』の原作にも登場したくらいの隠れた名品だ。事実、市井の和菓子店や製菓メーカーが売り出した「いちご大福」は、一時ポピュラーな存在だったし、ちょっとしたブームになったとも言えるだろう。

しかし、例えば「銀座あけぼの」がいちご大福を新発売したとしたら、消費者は「それ」に従来の商品と変わらぬ1個200円の価値を認め、お金を払ってもいいと思うだろうか?
おそらくはそれ自体がおいしいのかどうか、価値があるのかないのか以前に、「手をのばすのを躊躇する」一定層が存在してしまうことだろう。

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わらわら出てきました

kakeru33072004-11-29

■「怪獣総進撃」★2/5

シリーズの衰退を考えると、前作の「怪獣島の決戦」からゴジラ出現がルーチンワークになっていたことが容疑者Aだとしたら、怪獣をたくさん出しとけばいいだろう、という浅薄なビジョンが容疑者B。怪獣映画でもSFでもない、ただの怪獣プロレス映画。



ストーリーとか設定の荒唐無稽さというのは、映画というマジックには絶対に必要だと思う。ちょっとした矛盾なら、上手な仕掛けや有無を言わせないイキオイでガーっと寄り切ってほしい。 怪獣ランドそのものの設定や、ハイテク怪獣バリアといったあたりは、その「イキオイ」の範疇だったと思う。

ところが……

怪獣ランドが制御不能になって、リモートコントロールされた怪獣は小笠原諸島から一斉にいなくなってしまう。

そして……次の瞬間世界中に出現。そんなのは荒唐無稽を通り越して、ただの投げやりな無鉄砲じゃないのか?

怪獣を出しておけばいいと観客を見くびった作り手も、それに興業成績を出させてしまった観客も、どっちもどっちだったんだと思う。そしてゴジラシリーズの凋落はだんだん不可避になっていったんじゃないか? そう思った。
CinemaScape怪獣総進撃」拙コメントより)


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写真は「怪獣」じゃなくて「怪物ランド」なんですが……というわけでネタ切れです。