CLEVER SLEAZOID : Dir en grey
攻撃的で激しく、3分無い短い中にも、A・B・サビ・B'・サビ・サビ2・C・D・サビ2…といった複雑な展開をこなす。声枯れるまで歌うという、下記のある種感覚に纏わり付かれ逃げられない中でも彼が心に決めたひとつ、そんな思いを身をもって体現した一曲。



CLEVER SLEAZOID


この、死人共が。

クソみてえな無意味な事を繰り返す。
俺は血に塗れた三流スターさ。
木馬に乗った王子様を見ろよ。ツルツルのお顔は涼しげだな。
俺の内臓をぶちまけてやるよ。

裁きの名の下に、俺の魂は壊せない。
(が、お前らは)裁きの名の下に、死んで下さい。
気付け、(世界を網羅する)モラリスト
道を踏み外せ、ゴキブリ野郎。

右、左、前、後ろ、絶望と痛みに溢れてる。
(だが、)ヤツらはこの怒りを、感情を、情熱がまったく嘘だと言う。
枯れていく枯れていく枯れるこのリアルは枯れていく。
言い訳する気にさえならねえ。

暗い暗い日曜日、血塗れ(の日曜日)
お前らはお前ら自身をも救えない。
暗い暗い日曜日、血塗れ(の日曜日)
俺はある日、お前の親を犯すだろう。

これは(お前らが庭で遊んでいられる)最後の時間だ。
(壊される事が運命)の庭へようこそ。
(その中でお前は)声も出ないくらいに(全ての運命を理解させられ)
…そんな(箱庭の中で演じている全てが)今に一人と気付く
(いや、気付かされる)

(それすらも箱庭に過ぎない)
夜は寒くて長く、夜空は深くて広い。



また相当間が空いてしまった。
前回、Withering to deathについて曲毎に雑記を書き出そうとしたのだが、相変わらず時間は加速度を増して俺の周りを流れる。そうやってダラダラやっているうちに、次のシングルも出てしまった。9/21に発売されたCLEVER SLEAZOIDについて。
詞については、VULGARから顕著になってきた、「世界は終わらない。いや、終えられない」という感覚とそれを基にした死生観がこの詞も当然溢れている。というかDir en greyは、いや京は、その感覚を基に、それでも燃え尽きるまでこの世で生きてやろう・歌おうと作品を出し続けるのだから、もはやその感覚に塗れていない詞は書かない。先に述べた通り、くだらない作り物の物語なんぞ二度と書かないだろう。

VULGAR以降の全ての詞には当然この感覚が含まれているのだが、お前らがその感覚をなんとなくイメージしやすいであろう曲を列挙してみる。audience KILLER LOOP・Merciless Cult・ C ・朔−saku−・孤独に死す、故に孤独。 ・Machiavellism ・dead tree ・THE FINAL ・鼓動 …etcetc。
我々のこのリアルと感じている世界そのものが、実は箱庭のような作り物であり、その中に居る俺達生物は、あるひとつの生物が転生を繰り返した、自作自演のようなものなのだという感覚に、これら上記の曲は特に塗れている。地獄なんてものは天国と同様存在せず、逆に言うならば、俺達の生きるこの環境そのものが既に地獄ではある。あらゆる殺され方をした人間、あらゆる死に方をした人間が無数に居り、それらの一生を順になぞらなくてはならないのが生物の宿命と知ったとすれば、それは地獄以外の何ものでもないだろう。
京はいつからか、これに気付いてしまった。恐らく、好奇心と快楽への追求がそれの扉を開いてしまったと俺は思う。開きたくも無かったその扉に。それがVALGAR以降だ。自らが何を残すべきかを心で理解した上で書かれる詞は、もはや創作を必要ともしない。
上記はCLEVER SLEAZOIDの適当な和訳だが、原詞の日本語部分、「声も出ないくらいに…そんな今に一人と気付く」はやはり恐ろしかった。箱庭の中における自身の描写が的確過ぎる。最近は京、いやこの人の書く詞を読むのは本当に怖いのだが、それでも読まずには居られない。

世の中に溢れるあらゆる表現、その中でも特に歌詞においては、過去の遺物(http://members.jcom.home.ne.jp/kicage/)にて常々触れているような輪廻転生の死生観や、無常にて無情としか思えないこの世界に対する思いに溢れたものが多数存在する。そのような目を持ってその詞を眺めた時、意味の分らなかった詞が表現したい事が理解できたり、まるで騙し絵を見ているかのように、その詞を書いた作者の「どうしようもない諦めの先のそれ」を表した思惑とシンクロする恐怖を感じる事が多々起こるようになってきた。そんな詞を少しずつ取り上げていきたいと思う。



鬼束ちひろ Revel Luck

途切れない軌道
確かな意味と何度はぐれても言える
「全てはきっと私そのもの」だと



この世界の意識を持つもの全ては、神、いや自身が分化して転生し自作自演しているものであるという観点からの詞。すなわち人を殺したとすれば、いずれその体験を味わうのもお前だと。いや、この文章を書いている俺もまさに。



浜崎あゆみ Connected

そう僕達はあらゆる
全ての場所で繋がってるから
この言葉について考える君とだって もう既に



上記と似た視点の詞。これを読むお前は、何億回か何兆回かわからないが、転生を繰り返した先の俺であり、俺もお前の一人に過ぎない。

放置している件を冒頭の書き出しに持ち出す事も、もはや何だか。

現在はロマンシングサガ ミンストレルソングが物凄く熱く、当分ゲームに困らない。
今はグレイで3周目だが、まだ飽きる事はなく当分情熱は冷め遣らない。ここ(http://romasaga.minstrel-song.net/)やここ(http://www.game-de.com/roma/)のような素晴らしい情報を集めた有用な攻略サイトを活用しつつ、日々数時間単位でゲームに勤しむ。

サガシリーズの根底にはある種のテーマがある。サガシリーズ、いやここは、シリーズの原点にのみ焦点を絞る。ここでは、魔界塔士 SaGa(GB)とロマンシングサガSFC)を原点として指す。話を戻す。「サガ」の根底にはある種のテーマがある。それはすなわち、「生物は神と運命に逆らえない」という事だ。
魔界塔士 SaGaでは、塔の最上階に居る神から、それまでに起きた全ての出来事は全て神の創ったゲームだと告白され、創造主である神を殺してエンディングを迎える。殺した後に主人公達はその先にある扉を眺め、「いこう! おれたちのせかいへ!!」と言う。
扉の先にあるものは何か? その先にあるものは、隠しダンジョンでもクリア後のお楽しみでも何でもない。今我々が生きている、この現実世界がある。最後のセリフはプレイヤーに向けられたものであり、単刀直入に言うならば、「ゲームをやめて、現実へ帰れ」と言っている。魔界塔士 SaGaにて作者が根底に込めたかったテーマとは、「この世の全ては神だけが楽しむ為に創ったゲームであり、決して神に逆らう事など出来ないが、せめてゲームの中だけでも神をぶっ殺してやる」という作者の強烈な神観を感じさせる。神を冒涜している訳ではなく、むしろ嫌になる程その存在を認めているが故での、せめてもの「物語」なのだ。
この作者の強烈な神観は、勿論ロマンシングサガにも受け継がれている。それはさらにより巧妙な隠され方をして。ロマンシングサガの世界を軽く述べよう。マルディアスという世界があり、その中では神々の長、エロールという神と悪の三邪神 デス シェラハ サルーインという兄妹が争っていた。長い戦いの後、悪の三邪神は封印された。だが1000年の後、三邪神が復活しそうだという。それを何とかするのが、ロマンシングサガにおける主人公達の役目だ。
この世界の中では、「人はエロールの作ったもの」だと伝えられている。ゲーム中の重要なイベントにおいても、人は「エロールの子」と呼ばれる。しかしゲーム中の作中人物達も、勿論そんな事は認めていない。神なんて居ないと思っている。だが、その存在を認めざるを得ない要因がストーリー上で次第に現れてくる。それは「かつて神々の戦いの際、エロールが作り人に託した特殊な力を持った10個の宝石」というこの世界でのおとぎ話に現れる、ディステニィストーンの存在によって。それを実際に手にし、それを巡る内紛に巻き込まれ、その具現化された物質を得た主人公達は次第に、この世界に神は居るという事を確信し始める。
ゲーム中にて、「人は、エロールが争いに使う為に創った道具」だという。モンスターは「サルーインが争いに使う為に創った道具」だという。その「道具」が同じく「道具」を打ち倒し、悪の根源たるサルーインという神を殺しに行く。ゲーム中においてエロールは穏やかに主人公達の道標となる。一時的に仲間となって一緒に旅をするくらいでもある。そういう風に創られたからだ。サルーインは1000年の封印の切っ掛けとなった、人間を心の底から憎悪している。そういう風に創られたからだ。エロールは神々の王として光を纏う。そういう風に創られたからだ。悪の化身 デス、サルーイン、シェラハは邪神として、光の神々に対抗する。そういう風に創られたからだ。何を言いたいのか? 先ほどは会えて書かなかった、ロマンシングサガの世界について補足する。マルディアスという世界があり、その中に神々の王としてエロール等が居り、邪神としてサルーイン デス シェラハが居るのだが、それ以前の前提として、マルディアスという世界自体を作ったのは、マルダ―という神だった。絶対的創造神! つまり、エロール達やサルーイン達すらも、マルダ―によって創られたものであり、彼らをそのような性格付けして創った理由はひとつしかない。「争わせたかった」だけだ。争わせて、眺めて楽しむ為にそういう性格に創ったのだ。つまりゲーム! 何という入れ子構造。それによる圧倒的で絶対に届かず逆らえない「神」という巨大で強大な存在の明示。神は人を作り、人は弄ばれる運命に対して自身で意義を見出す為に、人は物語を作る。そうでも考えなくては神の残酷さには耐えられない。神は生き物を弄ぶ。
次は、自慰の如く気持ち良さだけを追求した今回の伊藤賢治の音楽について何かを書こう。

3/9の発売からすっかり日が経ってしまったが、Dir en greyのニューアルバム、Withering to deathについて。
この世に存在するありとあらゆる創作物は、その作り手のみが考え出し、絞り出しているように一見見える。だが、実は全ての創作物は、自主的に作るのではなく、何かに作らされているのではないか? という疑念が最近消えない。そうでなければ、全ての作られたものから感じる哲学性を帯びた統一感の説明がつかない。それは決して俗物的な環境の何かに作らされているという訳ではなく、何らかの大きな力が、作り手自身に自覚させる事すらなくその身体を動かし、それを作り出させているのではないか? と感じて止まない。それは運命と呼ぶ小さな括りではなく、それ以上の表現する事が難しい、我々を操る何かによって。
Dir en greyは、いや京は、もはや突き抜けてしまった。この世界において実生活上は必要無いし、考えたくもない「それ」に、ある時から気付いてしまった。それが全て詞に現れている。もはや京はかつて良く詞に書き出していた「物語」等は書き出さないだろう。得意だった、数を詞に書き入れる言葉遊びだって、もはやしたくはないだろう。何故ならば、我々自身が置かれているこの世界以上に奇妙な事は無く、我々を今後待つ体験したくも無い運命は、物語のそれを遥かに超えるからだ。それを扱うスタンスは、ペシミスティックでもニヒリズムでも、ましてや暴力的でも何でも無い。例えて言えば仏教系の悟り、空という概念に近い。多くの生臭坊主が到達していないそれに近い。
例えば、終わらせたいものがあるとする。だが、それを終わらせる事はどうしてもできないとする。その時君は何を思う? 終わらせようとしても終わらせられず、それに対して思いつく限りの様々な努力を試し、考え、試し、考え、試し、考え、試し抜いても、考え抜いても、まだ終わらせる事が出来ない。そんなものに対峙した時、一体君は何を思う? 我々が現在体験している限りでは、そのような恐ろしいものにまだ出会っていないから、想像し難いのも無理は無いが、こんなものをイメージしてみて欲しい。君は部屋に監禁され、ゲームを続ける事だけは出来る。そこには電源ボタンのないファミコンだけがある。ゲームを終わらせたくともリセットボタンはあるが、電源ボタンがない。そこでゲームを終わらせる為に君は様々な事を試す。リセットを連打する、コントローラーをガチャガチャさせる、電源コードを引っこ抜こうとする、ゲームを抜こうとする、テレビを壊そうとする、テレビの前から立ち去ろうとする、ファミコンを壊そうとする…etcetc。だが、それらの全てが無意味に終わり、それでも強制的にゲームを続けさせられ、死ねばリセットされ、続けさせられ、リセットされ…とという事を続けさせられたとしたら、一体君は何を思う? 何を思うも糞もあるか。諦めのさらに先という感情を覚えるんだよお前も俺も。
京はある時から、世界はこのようなものである事に気付いてしまった。輪廻によって構成されている恐ろしいこの世界に、切っ掛けは分らないが、気付いてしまった。今回のアルバムには全般的にその観念が良く現れているが、それを最も良く表現しているのが、2曲目の「C」だ。実際、愛したい。目の前の世界を。実際、でももう…。この世界のそれを知ったら愛せる訳が無い。
3曲目の「朔」はひたすらリアルにこの世界を描く。有であるものを有が食い尽くす。その末に何があるのか? その末に幸せなんてある訳が無い。宿主が死ねば、寄生虫も当然死ぬ。寄生虫とは、他でもない我々生物の事だ。環境問題を考えるのも、「地球に優しく」なんてふざけたキャッチコピーも全ては自分達の為だ。だが、それでも頭の足りない我々は、享楽的な消費を繰り返す。毎日真綿で少しずつ首を締められている事にも気付かず。あるいはそれに気付いていながら。
「孤独に死す、故に孤独。」も諦めの先に溢れた感覚に塗れている。明日は良い事あるか?って?有が有を食い尽くす事を考えれば、誰もが「未来なんて無い」という感覚を覚える事は簡単なのに。君達よりココが違うというのは、上記のアレに気付いているかどうかという事だ。
京なりに割と明るく振舞っている曲だってある。「Machiavellism」は気丈に振舞っている。だがここにもまたしてもあの感情と感覚を持ち出している。気付けないよりましなはずさ。
そんな中「dead tree」では少々弱弱しく、この繰り返す世界に対して投げ掛ける。この作り手の悪意を感じる世界に対して、何故? 何故? 繰り返される?と。
「悲劇は目蓋を下ろした優しき鬱」では、生きてくださいと訴える。京の精一杯の優しさが溢れる。そして「鼓動」で幕を閉じる。我々がいくらこの不条理な世界の仕組みに気付いたとしても、生き続けなくてはならない。鼓動し続けなくてはならない。何故ならばそれがこの宇宙にて存在する生物に与えられた、ただひとつの存在意義だからだ。自殺したって逃げる事すら出来ない。常に晴れ晴れしく感じてしまう朝に対して明日も我々は、またおはようを言う。
これらを踏まえ、Withering to deathを聴き直す。この世に対する未来の無さと絶望感だけを持つ事は、瞬間を大切に生きる事を教えてくれる。ニーチェの言う「超人」とはこの境地を指す。上記の拭えない不快感を持つ感情を持ちつつも、それを糧にする。ジョジョの奇妙な冒険 第6部においてプッチ神父がメイドインヘブンによって人類にもたらせようとした「覚悟」も、手塚治虫火の鳥で示そうとした事も、藤子不二雄Fが短編集で散々書き記したテーマも、代紋take2のラストも、それもこれもあれもどれも、まさにこれだ。我々は、この胡散臭い世界を生きる以外に道は無い。

サガフロンティア 500円
サガフロンティア2 700円
アンリミテッドサガ 580円

中古屋で買ってみる。こんな値段で往年のサガシリーズが満喫出来るとは、本当に良い世の中だなあ。一月の間に何らか書かねえと、はてなダイアリー市民になれねえんだよな。と思い、適当な事を面倒臭いながらも書いてみる。前月から30日以上空いてるからダメじゃねえのかとアドレスの後ろにaboutをつけて見てみると…なんと、11月の時点で、はてなダイアリー市民に既になっていたらしい。びっくり。俺も頑張ったなあ。

しかしアンリミテッドサガは評判通りのウンコ。音楽はサガフロンティア2から引き続き相変わらずの浜渦節で、サガフロ2程に同一のテーマを使い回す事もなく、気品があって格好良い。通常バトルのテーマは凄くいいなあ。主旋律にバイオリンの音色を響かせた曲はほれぼれする。だがゲーム自体はほんとダルい。ボードゲームのような移動マップや理解し難いイベントのこなし方。宝箱に罠がかかっているのはウィズでは当たり前だが、それをさらに面倒くさくしたようなシステムがゲームを楽しもうとする気持ちを奪う。システムに踊らされている。リールを使った運試しも毎回のようにあって、楽しさどころか面倒臭い作業に成り下がっている。戦闘も同様で、面倒臭い。逃げる事が出来ない点もそれに拍車を掛ける。HPとLPの関係もわかりづらい。LPの概念がサガシリーズを重ねる毎に、訳の分らないものに曲解されているような気がする。閃きもなかなかしないし、武器の耐久度数が2ずつ減っていく技もあったりする。そんなん使ってられっつか! キックしか使わねえよ! 成長システムも不満が相当にある。強制的にいらないスキルまでも選ばされる為、成長をした後に不満すら感じる。説明書は適当だし、公式サイトにHPの回復の仕方(街へ帰る)や宝箱の開け方が載ってるし。本当に色んな意味で凄いRPGだなあ。ダテにファミ通で高得点取ってない。その時のクロスレビュー見てえなあ。死ぬまでに一回は試してみる事を勧めるよ。定価で買わなかった事が心底嬉しいよ。
2ちゃんのスレに良い説明文が書いてあったなあ。引用すれば、「物凄く丁寧に作ってある、物凄く横柄なゲーム」との事。的を射てる。

第三回

という事で、文章を書き出す事も面倒な程、遊びまくっていた。久々に時間を惜しまず注ぎ込んだなあ。一応クリアし、恒例のお楽しみを少し進めている所。途中経過も書き出さず、3度目の文章でクリアだなんて、なんて手抜きな日記なのだろうかと我ながら呆れるが、細かい事はこれから書き出していこう。

あまりネタバレに当たる点を書き出したくないのだが、今回は未だ途中の7に比べれば、短くて進めやすかったなあ。道化師と鳥で何度か全滅したのだが、他はそんなに苦労しなかった。
スキルは主人公はブーメランと勇気、ヤンガスは打撃と人情、ゼシカは杖とお色気、ククールは杖を100まで上げてみた。ネットで手に入るスキル表や2ちゃんのスキルスレを見ても誘惑に負けず、選んだ道を信じて突き進んでみた。ハッスルダンスは少々恥ずかしいが可愛いし、おっさん呼びもぼちぼち強い。でも基本的にはどんなバトルも通常攻撃ばっかりで、例えば攻撃系スキルの恩恵を未だあまり味わっていない。スキルポイントはレベル上げのみでは最終的に350ポイントまでしか貰えないそうだ。まあその分2回目が楽しみだけどね。格闘に注ぎ込んでみたりするのもいいかもしれない。

胸を強調し過ぎで狙い過ぎだが、ゼシカはホント可愛いなあ。バニー姿もいいし、ビキニ姿もビスチェ姿も普段着もいい。このキャラに関しては、凝り過ぎだなあ。この先で得られる危ないビキニも楽しみで仕方が無い。凝っていると言えば、戦闘データ画面で見られる、トロデのおっさんのコメント。スレによると600以上あるらしい。あらゆる表記されない裏データが反映されているみたいだ。メタル狩りをしていたら、メタルスライムを絶滅させそうな勢いだなみたいな事を言われた。これも2回目は注意してみてみよう。

モンスターバトルロードは、クリアしてからその楽しみを知った。勿体無い。モリーって熱くて面白いなあ。これを知っていたら、もっと楽な中ボスバトルもあったろうに。モリーのイベントをこなした後、空を飛んで世界を駆け巡り、一つ目巨人と凶悪デブ巨人と完全回復呪文スライムと巨大悪魔をスカウトし、あっというまに頂点にのし上がる。チーム名は「たらこミルフィーユ」と「よるのチョコレート」にしてみた。一軍はたらこミルフィーユね。

さすがにこれだけやると戦闘シーンの曲が耳に残る。今回の曲はカッコいいかと言えば、別にそんな事も無い。明るいなあ。通常バトルの曲で一番カッコ良かったのは個人的にはドラクエⅣ。でもラストバトルの曲はカッコ良いね。ボスの曲がカッコ良いと、また戦ってみたくなる。3のゾーマとのバトルみたいに、立ち向かう勇気みたいなものを表現したような勇ましい曲。それに昔からのユーザーなら懐かしく思えるフレーズをアレンジにて織り込んである。いいなあ。MDに落として聴きたいくらい。

錬金釜も全く活用していない。勿論行く先々で本を調べてレシピを覚えてはいるが、盗賊のカギとか特やくそうを作った程度。ホント勿体無い。これからの楽しみですよ。

カジノのスロットが今回凄く当たりやすい。100コインスロットで4回スリーセブンが揃ったなんて、今までやってきて一度も無かった。おかげではぐれメタルよろいを全員分揃えられた。2ちゃんのスレから拾ったオカルトなのだが、5つクレジットを入れて、真ん中の赤い7が光った瞬間に回転を始めると、7や他のマークの揃う確率が上がるそうだ。オカルトなので証拠は無いのだが、今回の当たり方を見る限り、俺は信じている。

しかし今回レベルが上がり難いなあ。レベル40を超えると次のレベルまでの経験値が酷い事になっており、今までのシリーズと違い、これはこれからどんどん増えていくような気がする。極悪だなあ。まるでウィズの忍者のレベルを上げているような気分になる。得られる経験値も金も物凄く低い。踊る宝石4匹倒して、152Gってどういうことよ? 後半になればメタル狩りの穴場がある事はあるのだが、この上り難さはホント嫌だなあ。

ざっと書き出したけど、2日目以降のプレイ日記は少しずつ書き出していく事にしよう。お楽しみの部分で、本来のタイトルである、ドラゴンをクエストしてくる事にする。