kamome2004-11-22

日記を書くという習慣は、自分の中にはなかった。19才の頃、大学ノートの分厚いやつに、その頃はやってた歌の歌詞を書いているうちに、日付のあるメモを残すようになった。だんだんそれがエスカレートしてきて、ちょっとしたエッセイから、しまいには短編小説になった。書き始めると時間を忘れ、眠るのを忘れ、食べるのを忘れた。そのくらい自分の中に没頭できた。今、その時間を捻出するのに苦労してる。会社では電話と打ち合わせに追いまくられ、自宅に帰るとパソコンを家族に占領され、山積みの本をどけながらノートを開いているうちに、眠りこけ、あわてて着替えて眠りに着く。そして朝が来る。時間は作るものだよ。そうやって後輩に説いていた自分が、もうその体力と気力がなくなり始めているのを感じている。まずい、このままではまずいことになる。書き残しておきたいことが山積みのまま、医者の最後の声を聞くことになる。ご臨終ですという最後の審判を。

悲しいこと

kamome2004-06-23

自分の口から、人の心を傷つける言葉を発してしまったこと。思いやりの無い直截的な言葉を。自分をコントロールすることができなくなっていることに気がつかない日常。水族館の水槽の底に沈んでしまいたい気持ち。仕事のせいにはしたくないが、かなり影響を受けていることはいなめない。数字の山とクレーム処理と売上至上主義の毎日。角砂糖の角が磨り減ってしまってボールになっている。シーソーが傾いた方向に転がり、また逆方向へも転がる。地に足が付いてないとは、まさにこのことなんだな。

kamome2004-03-26

こんな夢を見た。いりくんだ海岸線の砂浜で、凧揚げをしている。凧はカモメの形をしていてよく揚がる。近所のカモメたちが近づいてきてはあたりを旋回している。凧の糸をクイと引いて、カモメたちを驚かせて楽しんでいる。心当たりのある昔々の風景。あの頃の私はまだ遠い未来を予測できずに迷っていた。毎日のできごとに流されながら生きていた。原因のわからない不安が先立って、びくびくしながら生活していた。そんな夢を見ると、あの頃海岸で出会った人々に再会してみたくなる。私は成長したのだろうか。もう、別人の様に変わってしまって誰もわからないのかもしれない。あの、海岸へ。あの海岸へいかなくちゃ。

こころここにあらず

kamome2004-01-22

それは読書の時だったり、音楽を聴いている時だったりあるいは電車に乗っているときだったりするのだが、意識が別の所を彷徨っていることがある。時計の針だけが傾き、ぽっかりと意識だけが抜けている。あれ、今何を考えていたんだっけ・・・自問自答するのだが、定かではない。これが眠っている時ならば「夢」で済むのだが、体が起きている時間なので心配になったりする。幽体離脱まではいかなくても、どこかに行ってしまっている可能性がある。さて、いずこへ。

それからさきのことは

日めくりカレンダーをめくるように、毎日が過ぎていく。はらりはらりと過ぎ去っていく。このままでいいのだろうか。まるで青春の真っ只中にいるような疑問符がわいてくる。いくつかの曲がり角を過ぎてもう、後戻りなど出来ない所まで来てしまっている。一度高い塔に上って眺めてみる時間も必要かも・・・・。

稲刈り

kamome2003-10-09

子どもの頃、母方の田舎に預けられると、怖いじいさまが農作業を手伝えと言う。春は泥の中に足を突っ込んで田植え。ヒルにめいっぱい血を吸われザリガニにはさまれる。秋は稲刈り、それも鎌を砥石で研ぐ所から始まる。井戸で水をくみ上げ、何十年も使い続けて真ん中がへこんだ砥石に刃を当てる。稲刈りは意外に楽しい。切り取った束をさらに束ねて干す。それから脱穀。庭じゅうに筵を広げて籾殻にまみれての作業。終わった頃には、ばあさまが握ったにぎりめしが待ってる。思い起こせば幸せな日々だった。裏庭の鳥小屋にタマゴを拾いに行き、あつあつのタマゴご飯が朝飯だった。海へ散歩に出れば、シラスが干してあって味見をさせてもらったし、川に行けば釣ったばかりのアユを土産に貰った。あれはひょっとしたら桃源郷だったのかもしれない。自分で耕し自分で収穫し、満腹になったら横になり、日が暮れたら眠る。虫や鳥や獣達とはだしで遊び、美しい花や木の実に見とれた。許されるならば、あの頃のあの時代に戻りたい。

ドッペルゲンガー

もう一人の自分の存在。昔何かの本で読んだ記憶がある。この世の中にはもう一人の自分が存在していて、稀に出くわすことがあるらしい。これだけ日本中を廻っていれば、そろそろ出くわしても良さそうなものだが・・・。何がしたいかというと、もう一人の自分と入れ替わって生活してみたい。たぶん意識と言うのはどこかで繋がっていて、初めての町でも暮らしていけるはず。ただし、誰かと一緒に暮らしていた場合・・・その相手に気づかれるのではないだろうか。それもまた面白いかもしれない。そんな空想を膨らませながらの出張はなかなか楽しいものである。