傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

美しくないものが美しくなろうとすること

やっぱりこれちょっと裾が短い、と彼女は言った。私のも短いけど買うよ、レギンスが定番になってほんとうによかったなあ、と私は言った。私たちはそれぞれ、試着室に戻って着がえた。
エスカレータに乗って建物を下り、ずらりと並んだマニキュアを見ながら彼女が言う。ねえ昔、二十歳のころに読んだ小説にね、爪が三角の女が出てきたの。爪が三角、と私は繰りかえす。彼女は言う。
そう、少し年をとった女で、派手にしていて、爪を磨いているんだけれど、細く整えようとして両端を削って、でも下のほうは広いままだから三角になっている、それを主人公が意地悪く見とがめるっていう場面があってね、すごくいやだと思った。
私たちはマニキュアの棚を通りすぎる。きれいなものがたくさん置いてある。きらきらしたもの、色とりどりのもの、何に使われるかよくわからないもの。どうしていやだったのと私は訊く。彼女は続ける。
だって、爪が三角になったのは、その人があまりきれいでない爪をきれいにしようとしたからでしょう、そりゃあ、あんまりうまくできていなかったかもしれない、三角っぽくなっちゃったのはあきらかにやりすぎだものね、でもそれを冷笑するってことは、きれいでないものがきれいになろうとする様子が醜いと、容赦なく告げることでしょう。それがいやだった。つらかった。
つまりあなたは、美しくないものが美しくなろうとすることが、えっと、たとえば、けなげ、だとか、愛らしい、だとか思ってもらえるところにいて、でもそのときにはじめて、それを醜いとする表現に出会ってしまったわけね。
私はそう言う。彼女は髪を留める道具を見おろしている。石のついたもの、ガラスのついたもの、クリップのかたちをしたもの、小さいもの、大きいもの、華やかなもの、文房具みたいに見えるもの。たかが髪を留める道具が、どれひとつとして同じでなく、数えるのも億劫なくらい並んでいる。彼女は言う。
そう、たぶんそう、前提って意識しないよね、当たり前だと思ってたんだろうね、美しくないものが美しくなろうとすることは褒められるべきことだって。でもほんとはそうじゃなかった、冷笑されるんだ、これだから男の作家はいやだって思った。努力の方向や程度を誤らない人はいない、そして努力がだめなら何をすればいいというの。
「女の八割は自分がブスかもしれないと思っている、一割は真実ブスだと思っている」と私は言った。いいせりふ、と彼女は言った。男の作家のせりふだよと私は教えた。彼女は片方の眉をあげて、ふうん、と言った。
若いときは自分に何が似合うかわからなくていつも不安で、年をとったらとったで若作りと思われたらいやだって気にして、私はいつも自分の爪が三角だと思って背中に回して隠してるんだ。
彼女がそう言うので、私はちょっと考えてからこたえる。さっきの作家のせりふ、続きがあるんだ。ブスかどうかって、なんであなたの嫌いなやつに決めさせるんだよ、自分で決めろよそんなの、ばかじゃないの、指さされて笑われるのがそんなに怖いか、あなたがそいつを指さして笑えよ、どうしていつもいつもされる側なんだよ。