傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

乞食の顔をしている

 人からよくものをもらうたちである。
 若いころはもらうに相応の理由があった。貧しく、かつ身よりがなかったのである。そういう人間が知り合いにいて、たとえばまだ使える冷蔵庫があるけれど新しい冷蔵庫が欲くなったとき、「あの人にあげようかしら」と思う、そういう心の動きは想像しやすいものである。
 しかし、今は貧しくはない。具体的にいえば、わたしに冷蔵庫をくれる同僚との給与の差はあまりないと推測される(わたしたちの待遇は同一の給与テーブルに基づいていて、職位が同じだから)。
 まさかこの年でもう一人子どもができるとは思わなくてねえ。同僚はあっけらかんと言う。冷蔵庫を買い替えてまもなく二人目の子どもができ、冷凍技を駆使して小学生と乳児と大人ふたりの食生活をおぎなっていたら、大容量の冷蔵庫が欲しくなったのだそうである。
 そのようにしてわたしは、たとえば冷蔵庫をもらう。いくぶん高価な鞄をもらう。少し欲しいなと思っていた鋳物の鍋をもらう。SIMカードを入れ替えれば使えるスマートフォンをもらう。小さいものもあれこれもらっている。「スーパーで詰め放題をやっていて、つい詰め過ぎたから」とか、「チケットが余ったから」とか。
 わたしはずっとそんなふうだったから、ちょっとしたお礼を選ぶのがやけに得意になった。とはいえ、雨の日の道端で知らない人から傘をもらったときなどには、ことば以外にお礼も何もないのだけれど。
 わたしのこのような性質について、わたし自身は「かわいいからくれるんだよねえ」と思っている。この場合の「かわいい」というのは外見や発話や仕草に対する形容ではない。「何かしてやりたいと思わせるトリガーがある」という程度の意味である。
 しかし、ほんとうはもっと適切な語がある。学生時代に、面と向かってこう言われた。
 乞食の顔をしているからだよ。

 わたしはひどく感心した。きっとそうなのだ、と思った。「かわいいからあげる」という語のある側面を過不足なく切り取った、みごとな言い回しである。わたしのその性質をさす語として、「かわいい」などというマジックワードよりはるかにシャープに意味をなしている。もちろん好意から来る表現ではないだろうが(なにしろ放送禁止用語である)、わたしは、自分にとって重要でない対象の発したせりふなら、いや、もしかすると重要な対象が発したせりふであっても、好意より正確さや的確さに価値を感じる。
 そんなだから、ただ悪意で言われたとしても、わたしは感心したのだろうが、そこには悪意や嫌悪以外にも何かがあるのだろうなと、ぼんやり思った。
 そのせりふを発したのは学生時代に近隣のゼミにいた、いつもきっちりお化粧して髪を巻いている、真面目な学生だった。帰りが遅くなると、彼女はわたしの研究室をのぞき、わたしがいると声をかけ、車に乗せて送ってくれた。最初に送ってくれたときにわたしの住んでいる建物を見て絶句し、以降そのことを、たぶんずっと気にしていた。そうして時おり、わたしのあれこれについて、「女の子なのに」と小さくつぶやくのだった。裕福な両親が購入した自家用車が象徴する何かを、おそらくは彼女なりに感じる不公平のようなものを、いくらかは世界に還元しなければならないと、どこかで思っていて、それでわたしを送り届けているように見えた。
 ありがとうとわたしは言う。別に、と彼女は言う。常にはたおやかな言葉づかいなのに、運転している時だけ、ぶっきらぼうな声を出す。そうして作りものみたいにきれいな果物や贈答品をばらしたのであろう個包装のお菓子をさして、「それ、持ってって」と言う。機嫌の悪い、どこかふてぶてしいようすで、フロントガラスだけを見て、言う。こんな顔、みんなにはしないのな、とわたしは思う。
 昔の話である。

 台所に据えられた新しい冷蔵庫を眺める。冷蔵庫は小さくうなっている。表面はガラスなのだそうで、わたしがぼんやりとうつっている。何も考えていない顔だ、と思う。いらないものを差し出されたら遠慮なく「いらない」と言い、必要なものを差し出されたら喜んで受け取り、あげたりもらったりする両者の釣り合いを考えて気を揉むような社会性がなく、何かを差し出して「失礼にあたる」ことの金輪際なさそうな、ぼけっとした顔である。
 格好のいい冷蔵庫だわねえ。わたしはそのように言う。冷蔵庫はぶん、とうなる。表面にぼんやりと、人の姿をうつしている。きっと、乞食の顔をしている。

永遠から少し離れて

 かつて希望は永遠だった。だから無根拠に何でもできる気がしていた。絶望すればそれもまた永遠で、だからそれは地獄なのだった。愛は永遠だった。憎しみは永遠だった。

 しかしそんなのはもちろん、永遠ではないのだった。わたしの希望は今や具体の水準まで縮み、わたしの絶望はわたしが寝れば一緒に寝つくほど弱く、愛は「お互いがお互いを思いやってうまいこと暮らしていけるなら、その間は続くかもね、そうじゃないかもわからないけど」という程度の重さしかもたず、憎しみに至ってはときどき夜明けの夢に影を落とす残滓にすぎないのだった。
 それはわたしが年をとったからである。
 若いときにだって、人生が永遠でないことはわかっていた。いつか死ぬのだと思っていたし、それがとても怖かった。同時に「いつか」と今のあいだは、永遠と見まごうほどに長かった。わたしの希望はそこを目指して飛んでいった。小さい点になって見えなくなって、見えなくなってもずっと飛んでいることだけがわかった。だからそれは永遠でしかないのだった。
 今はそうではない。

 若いころに身の裡の何かが永遠のように見えるのは、事実と異なるという意味では愚かだが、主観的にはいいことだと、わたしは思う。永遠のような何かを見なければ抜けることのできないどこかを通り過ぎなければたどり着けない小さな場所が今ここなのだと、そんなふうに思う。
 でもあなたは永遠の愛なんて誓ったことはないじゃない。若かったときにだって。
 彼が言い、わたしはこたえる。ないよ。だって愛は永遠じゃないからね。何を言っているんだろう、そんなの当たり前のことじゃないか。十代のころから知っていたよ。それに、永遠の愛みたいなものを誓わせる連中のやり口が、わたしは昔からすごく嫌いなんだ。だからたとえ愛が永遠に見えるときにだって、そんなことはやらないんだ。わたしのまぼろしの永遠はわたしだけのものだったし、今はもうない。
 そしてそれはいいことだと思っているよ。愛をやりましょう、永遠じゃないほうの愛を。地味で小さくて、てのひらに載せれば重さのあるほうの、あなたの手の中で潰すこともできるような、個別具体的な愛を。

 永遠から離れて、わたしはつまらない有限の生活をやる。あと一万回か一万五千回かの夕食を食べ、そのうちのいくらかを同じ人とともにし、いくらかを別の人とともにし、またいくらかを一人で片づける。春になればシャツを買って百回着て百回洗ってそれから捨て、新しいシャツを買って百回着て百回洗い、それを百回繰りかえす。
 もちろん、それらはもっと少ないかもしれない。でもたいした違いではない。万とか千とか、それくらいの数しか、わたしには残されていない。
 年をとるというのはそういうことである。
 そしてその数の中にはまだ少し、永遠の気配がある。だってそれは一ではないからだ。十でもないからだ。一万回の夕食を、ありありと思い浮かべることができないからだ。
 わたしの想像力がとぼしくてよかった。あるいは頭脳がすぐれていなくてよかった。そんなふうに思う。一万回の夕食のパターンを何通りでも思い浮かべてその味を脳裏で再生することができたなら、さぞかし食欲が失せるだろう。

 わたしは愚かだから、この先の自分が有限であることの実感が、まだ完全でない。まだいくらかは、「いつか」と今のあいだに見えない部分がある。だから永遠が見えなくても、手を伸ばすことはできる。わたしの希望はもう、まっすぐ進んで小さな点になって消えることはないけれど、薄ぼんやりした霧の中に入ることは可能なのだ。
 先のことなんかわからないんだから、とわたしは言う。もう一回仕事を変えるのもいいな。今の仕事なんか、勤務先どころか業界ごとなくなっちゃうかもわからないんだからね。そしたらもう一回進路を考えて、悩みながら勉強したりして、生き延びようと必死に努力して、ねえ、そんなの青春じゃないか。恋もしようかしら。こういう糠くさいのじゃなくって、身も世もない恋に落ちるやつを。そしてなんやかんやあって外国で知らないことばを話して知らないものを食べて知らない人たちにかこまれて暮らすの。いいと思わない?
 いいと思う、と彼は言う。雑な返事である。そして言う。長生きしますよ、あなたは。
 わたしもそう思う。頭の片方で死ぬまでの夕食のカウントダウンをしながら、もう片方で永遠の気配をはらむ霧をながめている。

そういう係

 今年は給料を上げることができたのでちょっと安心している。
 わたしは勤め人だが、「給料が上がった」とは言わない。報酬は職位や役職を得ることによって、あるいは労働組合を経由しての交渉によって「上げる」ものである(わたしの職場には労組があり、わたしは労組委員である)。
 給与は実績を作れば順調に上がっていくものではない。同じ職場にあって、何も言わなくても「上がる」あるいは「上げてもらえる」人もいれば、肩書きだけついて待遇を据え置かれている人もいる。
 給与だけではない。この数年で職場の慣例をいくつか変えた。仕事をしているとさまざまな雑務が発生するが、調べてみるとどういうわけか女性と一部の若手が「慣例として」それを引き受けているのである。そして彼女たちは「大変そうだから」小規模で評価につながりにくい仕事に配置されやすく、その結果「正当に」賃金が上がらない。
 わたしはちまちまと雑務をリストアップし、あれやこれや根回しして、会議で明文化し、担当案を出し、そうしてだいぶ、平準化したように思う。まだまだたくさん気づいていないこともあるだろうけれど。

 でもその作業のぶんの報酬は出ませんよね。
 後輩が言う。もちろん出ない。それどころか煙たがられ、評価を下げられる可能性もある。あれやこれやと手を回したり記録を取ったり権力のある人と仲良くしたり立場や考え方が違う人の便宜もはかったりしているのだけれど、そしてそういう小ずるい立ち回りはわりと得意なのだけれど、それでもまあ、得はしちゃいない。ハラスメント対策の役職も兼務していて、こちらにはわずかな手当がつくのだが、雑用の明文化と振り分けは完璧な無給で、わたしの「わがまま」である。
 そして嫌われるという大損。
 後輩はそのように言う。そうさねえとわたしは言う。雑用をやらずに済んでいたほうの社員からは嫌われている自信がある。だって仕事増やしたもん。しかもつまんねー仕事を。雑用をやらずに済むようになったほうの社員からも別に好かれはしない。余計なことを、くらいに思っている人だってもちろんいるでしょうよ。だって変化はすべてストレスだからね。外圧もないのに何かを変えるなんて悪いことだと思っている人はたくさんいるよ。そういう人にとってわたしはほんとうに気持ち悪い人間だと思うよ。

 じゃあなんでやるんすか。
 後輩はそのように尋ねる。わたしはこたえる。あのねえ、わたしは、たぶん傾いた天秤の、下がっているほうをつつく係なんだよ。

 わたしのフェアネスへの欲望は職場でだけ発揮されるのではない。結婚のオファーがあれば条件を詰めて契約書を作り(こんな変な女がゴリゴリに詰めてくる条件をのんでまで結婚したいという男がいるのはたいへんな驚きだった。楽しく恋愛だけしてるほうがぜったい得だと思うんだけど)、国会で受け入れがたい法案が通過しそうになればデモに参加し、手取りの2%を寄附に回している。
 わたしが寄附をするのは善良だからではない。この世に割を食っている人がいっぱいいることがどうしても不快だから、自分の不快感をわずかなりとも減らすためにやるのである。この世の不公平のあれこれが、生理的にイヤでしょうがないのだ。
 こういう人間になった要因にはもちろん心あたりがある。あるが、わたしと同じくらい不公平な環境で育って割を食ってきた人が長じて皆わたしのようになるわけではない。反対に長いものに巻かれる戦略を採用する人だってたくさんいる。割を食ってきたからこそ、これ以上損をしたくない、そのために、たとえば従順さや「可愛げ」を駆使して、割を食わされる中ではいくらか得をする側に回る、そういう戦略だ。それはそれで理屈に合っていると思う。皆が個人としての幸福を最大化すればいいので、長いものに巻かれたい人はばんばん巻かれたらよろしい。わたしはそうしてもぜんぜん幸福じゃないことがわかりきっているから、やらない。
 そんな人間であるのは善良だからとも高潔だからでもない。わたしはただ自分の不快感がもっとも少ないように動いているだけなのだ。虫とかと同じである。蛍光灯に向かっていくタイプの虫。

 それで「係」ですか。
 後輩が言う。わたしはうなずく。たまたまそういう係だったんだと思う。生物多様性っていうか、いろんな個体が発生するようにできてるんだと思う、そんでわたしはたまたまこういう個体で、あちこちでやいやい言って嫌われる係をやっている。

キックボードの子ども

 犬を飼っているので、近所の小学生に何人か顔見知りがいる。犬を飼っている家の子どもが何人かと、その友だちである。子どもたちは犬をわしゃわしゃ撫で、ボールを投げてやるなどし、ぱっと子ども同士の遊びに戻る。
 そんなだから、知っている子どもの後ろに知らない子どもがいて、犬を撫でる列に加わっても、とくに変には思わない。
 その子はそのようにして何度か子どもの集団の後ろのほうにいたのだと思う。小学校三年生くらいの女の子で、髪がとても長く、いつも薄むらさきのキックボードを使っていた。
 あるとき、その子どもが単独でわたしの犬の名を呼んで駆けよってきた。わたしは強い違和感をおぼえ、きびすを返した。すると子どもは無視して去るわたしについてきた。
 わたしははっきりと「ついてこないでください」と言った。するとその子どもはきれいにわたしのことばを無視し、「目の前にはなにもありません」という顔で、そばにあった水飲み場にからだを向け、蛇口をひねった。わたしは急いで公園をあとにした。
 その子どものようすはもとより他の子どもとは違っていた。かわいいかわいいと騒ぐものの、犬に興味があるようには見えなかったのだ。それから、何というか、話しかたがベタっとしていた。敬語を使わないのは、小学校中学年ならそんなものだろうとは思うのだが、幼児的な甘えた感じで、しかも相手が話を途切れさせにくいような、妙なねばつきのある話し方をした。
 そしておそらく、集団で犬に群がる顔見知りの子どもたちの誰の友だちでもないのだった。

 わたしはその子どもと遭遇する公園を散歩コースから外した。大人にも子どもにも、距離感がおかしい人はいる。その気配があったら、相手が自分に声をかけられる圏内に入らないことである。
 ある日、ふだんは行かない公園で、犬のふんの始末をしていた。うなじと背中を何かがかすめ、わたしは反射的にそれをよけた。そうしてとっさに犬を抱えて振り返り、警戒音のような声を発した。
 そこにはあの子どもがいた。とてもとても近いところにいた。黙ってわたしの背後から近づき、しゃがんでいるわたしの背中に手を伸ばしたのだ。
 わたしは大きな声を出しそうになり、ぐっと飲み込んだ。それから言った。触らないでください。近づかないでください。
 子どもはまた、あの独特の無視をした。わたしは急いでその場を去った。

 ああ、あの子ねえ。
 犬友だちが言う。うちね、週末はだいたいA公園に行くのね、そうそう、犬が集まる時間帯があって、あのキックボードの子、そこに来るようになったの。最初は誰かの親戚かと思ってた。「おやつあげたくなっちゃったあ」って言うから、誰かが犬のおやつをわけてあげてたこともあったと思う。
 でも確認したら誰の親戚でも知り合いでもなかったし、おやつをあげるふりをして引っ込めて犬をからかったりするのよ。注意すると、すーっと別の人のところに行くの。おかしいでしょう。だからみんなだんだん無視するようになったのね。
 でね、A公園て、たまにイベントやってるでしょ。屋台やキッチンカーが出たりして。そのときに、犬連れの大人の間に立って、大きい声で言うの。あっちのお店、行きたくなっちゃったあ、って。
 連れて行ってくれと言われたら、図々しい子どもだなとは思うけど、それより、その、なんだか持って回った、でもやけに強い圧のある言い方が、ちょっとこう、びっくりしちゃう感じでさ。
 誰のどういうツテかわかんないけど、まあ近所のことだから、どうにかして保護者を特定して、つきまといをやめてほしいって、申し入れしたみたいよ。
 そしたらその子、今度は一人で犬の散歩してる人を見つけては寄って行くようになったの。うちもねえ、見かけると逃げるんだけど、一回キックボードで追いかけ回されて、びっくりしちゃった。なんだか気の毒ではあるんだけどねえ。

 あの子どもは、何らかの問題を抱えていて、おそらく支援を必要としているのだと思う。思うが、わたしももう嫌悪感が先立ってしまって、「どうにかして保護者を特定した」人を探す気力が、どうにも湧いてこないのだった。
 どうにかして誰かの注意を引こうとする。「○○したくなっちゃったあ」と言って要求を通そうとし、都合の悪いことを言われると相手が存在しないかのように振る舞う。そういう種類のコミュニケーションを学習した子どもをどうすればいいのか考えるエネルギーが湧いてこない。知らない大人にべたべたとまとわりつくことの危険性も。

推しと遠い日の花火

 地元のお祭りであの人に会ったのだと、友人が言う。
 この友人の言う「あの人」は一人だけである。友人と中学三年生のとき同じクラスだった、えっと、なんて言ったかな。仮に山田くんとしよう。なんで仮名かっていうとですね、友人がめったにその人の名前を口にしないからなんだよ。いつも「あの人」って言う。だから山田くん(仮)。
 友人が山田くん(仮)の話をするのは三年ぶりである。忘れたころに話題に出てくる。山田くん(仮)と友人はつきあったことはなく、ほどよい距離感の元クラスメイトで、大学生のときに何かきっかけがあって何度か二人で出かけたのだそうだ。
 それだけなのだそうである。
 それだけの相手だが、友人の熱の入れようはそりゃあたいしたものだ。あの人はこの世でいちばんかっこいい、と言う。写真を見せてもらったら、たしかに整った顔立ちではあるものの、普通と言える範囲だった。SNSに掲載されている最新の写真を見せてもらったが、こちらも「いい感じに中年期を過ごしている、普通の人」である。
 山田くん(仮)は進学で東京に出て、就職のために故郷に戻り、しかしその就職先の会社が倒産し、今では故郷の隣県の本屋さんに勤めているのだそうである。すてきよね、昔から読書家なの。友人はうっとりと言った。瞳孔が開いていた。
 そんなに特異な経歴だろうか。普通の範疇じゃないだろうか。
 そう思う。でも言えない。だってあまりに様子がおかしい。
 そう、この友人はふだん冷静なタイプで、若い頃の色恋沙汰でも、年を重ねてからの家庭の話でも、あるいは職業生活で突発的な幸運や不運に遭ったときにも、常に地に足の着いた話し方をする人間なのである。それが山田くん(仮)の話をするときにだけ、目がこの世を見ていない。別の場所を見ている。どう見ても様子がおかしい。
 ではこの友人が結婚相手と別れて山田くん(仮)と一緒になりたいのかといえば、別にそうではないのだそうだ。だって、と友人は言う。セックスしたら誰だって変な顔になったりするじゃん。結婚なんかしたらわたしノーブラ部屋着でうろうろするし。そんなのぜったいにいや。
 何がどう嫌なのかは、友人が顔をおおって「ない」「実際的にも起こりえないことで、起こしたいとも思わない、それはとても良いことだ」などと言うので聞きそびれた。

 わたしは仮説を立てた。「山田くん(仮)はいわゆる推しなのではないか」というものである。
 しかしその仮説は不完全である。ここ数年のブームもあって、推しの話をする友人知人は幾人もあるが、彼女たちは山田くん(仮)の話をする友人のようにはならない。推しへの感情を尋ねれば、「パフォーマンスが大好き」とか「成長を見守りたい」とか「そりゃあ、できることならつきあいたい、無理だけど、きゃっ」とか「ファンが求める完璧なところだけ見せてほしい、そうでないところは見せてほしくない」とか、そんなふうにこたえる。これらはいずれもわたしの理解するところの推しへの感情の範疇である。
 わたしには推しがいないから実感としてはわからないけど、そういう対象を楽しむ心情があることは了解している。彼女たちはそれなりにはしゃぐし、ほどほどにテンションが上がるんだけど、好きなんだからそりゃテンションも上がるでしょう。
 そういうのじゃないのだ、山田くん(仮)トークは。なんか話してる人が別人みたいになるんだよ。推し活トークをしている他の人とはぜんぜんちがうんだ。

 わたしがそのように話すと、推しのいる知人のひとりが言う。それはね、年をとってからの推し活はだいたい穏やかなものだからです。わたしたちにはもうそんなにエネルギーが残されていないのです。もうね、中間管理職だし、子どもが受験生だし、焼き肉屋でカルビを注文しない。とんかつ屋とかも行かない。もっとカサカサしたもんを食う。そのようなわたしたちにとって、推しは遠い日の花火なのです。目を細めて眺めるものなのです。
 でも若いころに出会った推しならそうではないこともある。あるいは、精神のある部分がものすごく若い人もいる。そこにハマる推しがいると、推し活はぜんぜん穏やかではなくなります。
 山田くん(仮)トークをする人にとって、山田くん(仮)はきっと、たましいの若い部分の永遠の象徴なんですよ。だから中年の推し語りの様子とは違うんだと思います。生々しさや現実的に対等であることから逃れているからこそ美しい、人生の短いひとときを結晶にして閉じこめたような相手なんですよ。それが推しであることもあれば、そうじゃないこともあるんじゃないでしょうか。

誰も殴らない兵隊さん

 父親の墓参りに行く。
 東京から新幹線と在来線を乗り継ぐ。慣れた道をたどり、墓掃除をする。まだ寒いが、実家の雪おろしがないだけ気楽なものだ。母親は父親の一周忌を終えて以降、近隣の施設で暮らしている。母親は高齢でいろいろなことを忘れているが、墓参りをしたと言うと安心するので、盆と命日近辺に郷里に行き、きれいにした墓の写真を見せるようにしている。

 十数年前、存在を知らなかった姉が四人出てきた。
 人間は突然生えてくるものではない。彼女たちはもちろんずっと生きていたのだが、僕はぜんぜん知らなかったのだ。両親がともに再婚だとは聞いていた。母親は「前の結婚では子どもが生まれなくて離婚して、お父さんに拾ってもらった」と言っていた。父親は来し方行く末を話すタイプの人間ではなかったので、自分は一人っ子なのだと、ずっとそう思っていた。
 僕にお姉ちゃんが、四人も? なんだかラノベみたいだ。四十のおじさんに五十代の姉四人が出現したっていう話だけど。いける設定かな。
 そんなふうに笑うしかないような話題ではあった。
 僕は両親、とくに父親が高齢になってからの子どもで、だから上にきょうだいがいるのは、そんなに不思議なことではない。母親が父親と出会ったのが四十近くになってからで、父親は自分の前の家庭のことなど何も話さずに平然と過ごすような人間だった。
 そのような父親も年をとると弱気になるのか、あるいは僕が東京で「ひとかどの人物」になったと感じたからか(ほんとうにそういう言い方をするのだ。しかも僕の前では言わない。母親に言って、母親が僕にこっそり電話してくる)、正月の機嫌の良いときを見計らって「僕の知らない資産なんかを持っていないか」というような意味のことを尋ねると、素直に口をひらいた。そして僕には姉がいると言ったのだ。
 親が死んで相続の手続きをしたら知らない土地を持っていてすごくめんどくさかった、という話を聞いて、僕の実家にもそういうのありそうだなと見当をつけてはいたけれど、それどころじゃなかった。知らん姉。しかも四人。
 四人のうち三人は初婚の家庭の子どもで、一人は結婚していない別の相手との子どもだった。
 父親はそのような人々に連絡を取り続けて親としての責任を果たすというような考えはとくになかったらしく(ひどいと思うが、意外ではない)、僕は苦労して彼女たちと連絡をとった。父親の初婚の相手との子どもである人は、僕の顔を見て少し笑い、よかった、うちは女の子しか生まれなかったから、と言った。春になると花が咲くわねというように。女しか生まれないからよそで子どもをつくってその子も女だからまた別の人間と子どもをつくってそれが男だったから結婚するなんて、少しも当たり前のことじゃないのに。

 父親は戦争に行った最後の世代である。
 だからというのではないが、僕はわりと戦争ものを読んだり観たりする。少し前にも、やはり戦後をテーマにしたマンガを読んだ。主人公は戦地で部下を殴らず、帰ってきても女を殴らず、男の子どもができないからといって産む人間を取り替えたりもしなかった。戦争に行ってひどい目に遭ったってまともな人間でいることはできるんだ。僕はそんなふうに思って、ぼんやり嬉しくなった。主人公が戦地でつけられた傷をひたすように酒を飲みながらも、戦後のめちゃくちゃな日本でそれなりに店をやったり、戦友と再会したり、若い女性になつかれるようすを、しみじみと読んだ。彼は人を殴らず、搾取しなかった。僕はページをめくりつづけた。そうして彼はふと死んだ。
 僕はさみしかった。戦争に行ってひどい目に遭って、それでも誰も殴らなかった兵隊さんは、死ぬんだ。

 父は人を殴る男だった。
 僕も小さいころは殴られた。でも主に殴られるのは母親だった。父親は男というものをよほどいいものだと思っていたのだろう。僕は少し大きくなると殴られなくなった。母親もできるだけ殴られない方法を学習したらしく、とにかく父親の機嫌を取るために生きていた。けれど年をとって以前ほど家事ができなくなり、気も回らなくなると、父親はまた母親を殴った。足を悪くしてろくに出歩けないのに、座りこんだまま母親を呼んで杖で殴るのである。
 そしてずいぶんと長生きをした。

 僕は人を殴ったことがない。でもそれは戦争に行っておらず、父親に少々しか殴られておらず、子どもをつくらなかったからかもしれない。
 それもこれも昔の話である。父親の次の周忌には、もう母親はいないだろう。そうしたら墓じまいをして、それきりのつもりである。

忘れていても世界は

 子どもがひっくり返って泣きながら暴れている。理由は箸が転がったからである。どぉおおぉしてええええええ。どおおおおしぃてえーーーー!
 箸が転がるのは、この家が地球にあり、地球には重力があり、箸が置かれた場所には傾斜があり、それに対して摩擦係数が不足していたからである。念のため子どもがわかりそうなことばを選んでそのようにこたえたのだが、子どもにとって意味がないだろうことはわたしにもわかっていた。子どもはこの世に重力のあることがそもそも納得いかないのである。あるいは皿のふちに傾斜のあることが。もしくは皿の上を何かが滑ることが。そのような、この世の法則のすべてが。

 もっともなことである。だってそんなのはみんな自分のあずかり知らぬところで勝手にできた法則なのだし、そのような法則がどれだけ大量にあるかも、子どもは(ほんとうのところはわたしも)知らないからだ。これが理不尽かつ強烈な不安でなくて何だというのか。たとえば明日「今日から重力はありません」ということになったらわたしだって床にひっくりかえって大暴れする。最初に重力とやらを飲み込んだときも、かなり不承不承だった。不本意ながらしょうことなしに飲み込んだように記憶している。ぜんぜん納得できなかった。ほんとうは今でも納得しているのではないのかもしれなかった。
 「そういうものだ」ということばはすべて役に立たない。なぜそういうものなのかがわからないからだ。
 今でもわからない。
 わからないことを便宜的に忘れて、適応のために忘れつづけて、何もかもわかったふりの大人の顔して、あまつさえ子どもをこさえて「そういうものだから」と言う。奇妙なことである。世界は、わたしが忘れているあいだも、いつもこんなにも理不尽で不可解で、そのことをはっと思い出すだけで遠い遠い宇宙の果てに飛ばされるような気のするものなのに。

 子どもがもう少し大きくなったら、自然法則、すなわち「そういうものだと解釈されていて、基本的に変更がきかないもの」と、社会の慣習、すなわち「そういうものだとされているが、場所によって異なり、人々の働きかけによって変えることが可能なもの」を峻別させるために、話し方に気をつけなくては、と思う。わたしの親は悪くない親だったし、感謝もしているが、そのあたりは雑だった。学校教育と読書で区別がつくようにはなったが、自分がつくった家庭内でごっちゃにしたくはない。
 そのように思いながら、保育園行く、と言う。子どもは幸い保育園を好きである。行く、と言う。疲れるまで暴れて声がかれている。わたしが子どもに語りかけているあいだに床の上の皿と食べ物を片づけた夫が濡らしたハンドタオルを持ってきて子どもの顔を拭く。はい、おはな、びー、と言う。
 夫は子どもが泣きわめいてもとくに気分を害さない。わたしは「わかるわあ」と思って共感しながら「しかし食べ物を投げるのはよくない。やめなさい」などと語っているのだが、夫はそうではない。子どもを「マジ何考えてるかわかんない生き物」と言う。子どもが先ほどのように大泣きしているときは、「そうだなー、思いどおりにならないなー。腹立たしいなー。うん、そのとおりだ。よーし、泣け泣け。泣いて立派な大人になれ」と思っているのだそうである。どのあたりが「そのとおり」なのかと尋ねれば「そんなのぜんぜんわかんない。適当に言ってる。あと、片づけめんどくせえなと思ってる」と言う。
 そういえばこの人は実家の犬が(散歩もフードも足りているのに)不満顔してうにゃうにゃ鳴いていたときにも「おう、本当にお前の言うとおりだ。なるほど実にもっともだ。犬さんはまこと慧眼ですなあ」などと言っていた。雑な男なのである。

 夫には、わたしの世界に対する感覚はわかるまい。子どもだって、きっとわたしと同じ感覚ではない。もし子どもが考えていることを言語化する能力があったとしたら、わたしが推測して共感している内容はまったくの見当違いだろうと思う。
 夫は子どもを保育園に連れて行く支度をしている。わたしは出勤する。わたしが早出で子どものお迎え係、夫が送りの係、リモートと組み合わせてどうにかやっている。歩道を歩く。駅に近づくにつれて人が増える。人ごみ用の速度調整をしながら地下鉄の階段を下る。自動改札機にスマートフォンをかざす。ホームに立つ。仕事のメールを返す。わたしの一部はまだ、わたし以外誰もいない宇宙の果てに向かって飛ばされていて、何ひとつ納得していない。