傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

そういう係

 今年は給料を上げることができたのでちょっと安心している。
 わたしは勤め人だが、「給料が上がった」とは言わない。報酬は職位や役職を得ることによって、あるいは労働組合を経由しての交渉によって「上げる」ものである(わたしの職場には労組があり、わたしは労組委員である)。
 給与は実績を作れば順調に上がっていくものではない。同じ職場にあって、何も言わなくても「上がる」あるいは「上げてもらえる」人もいれば、肩書きだけついて待遇を据え置かれている人もいる。
 給与だけではない。この数年で職場の慣例をいくつか変えた。仕事をしているとさまざまな雑務が発生するが、調べてみるとどういうわけか女性と一部の若手が「慣例として」それを引き受けているのである。そして彼女たちは「大変そうだから」小規模で評価につながりにくい仕事に配置されやすく、その結果「正当に」賃金が上がらない。
 わたしはちまちまと雑務をリストアップし、あれやこれや根回しして、会議で明文化し、担当案を出し、そうしてだいぶ、平準化したように思う。まだまだたくさん気づいていないこともあるだろうけれど。

 でもその作業のぶんの報酬は出ませんよね。
 後輩が言う。もちろん出ない。それどころか煙たがられ、評価を下げられる可能性もある。あれやこれやと手を回したり記録を取ったり権力のある人と仲良くしたり立場や考え方が違う人の便宜もはかったりしているのだけれど、そしてそういう小ずるい立ち回りはわりと得意なのだけれど、それでもまあ、得はしちゃいない。ハラスメント対策の役職も兼務していて、こちらにはわずかな手当がつくのだが、雑用の明文化と振り分けは完璧な無給で、わたしの「わがまま」である。
 そして嫌われるという大損。
 後輩はそのように言う。そうさねえとわたしは言う。雑用をやらずに済んでいたほうの社員からは嫌われている自信がある。だって仕事増やしたもん。しかもつまんねー仕事を。雑用をやらずに済むようになったほうの社員からも別に好かれはしない。余計なことを、くらいに思っている人だってもちろんいるでしょうよ。だって変化はすべてストレスだからね。外圧もないのに何かを変えるなんて悪いことだと思っている人はたくさんいるよ。そういう人にとってわたしはほんとうに気持ち悪い人間だと思うよ。

 じゃあなんでやるんすか。
 後輩はそのように尋ねる。わたしはこたえる。あのねえ、わたしは、たぶん傾いた天秤の、下がっているほうをつつく係なんだよ。

 わたしのフェアネスへの欲望は職場でだけ発揮されるのではない。結婚のオファーがあれば条件を詰めて契約書を作り(こんな変な女がゴリゴリに詰めてくる条件をのんでまで結婚したいという男がいるのはたいへんな驚きだった。楽しく恋愛だけしてるほうがぜったい得だと思うんだけど)、国会で受け入れがたい法案が通過しそうになればデモに参加し、手取りの2%を寄附に回している。
 わたしが寄附をするのは善良だからではない。この世に割を食っている人がいっぱいいることがどうしても不快だから、自分の不快感をわずかなりとも減らすためにやるのである。この世の不公平のあれこれが、生理的にイヤでしょうがないのだ。
 こういう人間になった要因にはもちろん心あたりがある。あるが、わたしと同じくらい不公平な環境で育って割を食ってきた人が長じて皆わたしのようになるわけではない。反対に長いものに巻かれる戦略を採用する人だってたくさんいる。割を食ってきたからこそ、これ以上損をしたくない、そのために、たとえば従順さや「可愛げ」を駆使して、割を食わされる中ではいくらか得をする側に回る、そういう戦略だ。それはそれで理屈に合っていると思う。皆が個人としての幸福を最大化すればいいので、長いものに巻かれたい人はばんばん巻かれたらよろしい。わたしはそうしてもぜんぜん幸福じゃないことがわかりきっているから、やらない。
 そんな人間であるのは善良だからとも高潔だからでもない。わたしはただ自分の不快感がもっとも少ないように動いているだけなのだ。虫とかと同じである。蛍光灯に向かっていくタイプの虫。

 それで「係」ですか。
 後輩が言う。わたしはうなずく。たまたまそういう係だったんだと思う。生物多様性っていうか、いろんな個体が発生するようにできてるんだと思う、そんでわたしはたまたまこういう個体で、あちこちでやいやい言って嫌われる係をやっている。

キックボードの子ども

 犬を飼っているので、近所の小学生に何人か顔見知りがいる。犬を飼っている家の子どもが何人かと、その友だちである。子どもたちは犬をわしゃわしゃ撫で、ボールを投げてやるなどし、ぱっと子ども同士の遊びに戻る。
 そんなだから、知っている子どもの後ろに知らない子どもがいて、犬を撫でる列に加わっても、とくに変には思わない。
 その子はそのようにして何度か子どもの集団の後ろのほうにいたのだと思う。小学校三年生くらいの女の子で、髪がとても長く、いつも薄むらさきのキックボードを使っていた。
 あるとき、その子どもが単独でわたしの犬の名を呼んで駆けよってきた。わたしは強い違和感をおぼえ、きびすを返した。すると子どもは無視して去るわたしについてきた。
 わたしははっきりと「ついてこないでください」と言った。するとその子どもはきれいにわたしのことばを無視し、「目の前にはなにもありません」という顔で、そばにあった水飲み場にからだを向け、蛇口をひねった。わたしは急いで公園をあとにした。
 その子どものようすはもとより他の子どもとは違っていた。かわいいかわいいと騒ぐものの、犬に興味があるようには見えなかったのだ。それから、何というか、話しかたがベタっとしていた。敬語を使わないのは、小学校中学年ならそんなものだろうとは思うのだが、幼児的な甘えた感じで、しかも相手が話を途切れさせにくいような、妙なねばつきのある話し方をした。
 そしておそらく、集団で犬に群がる顔見知りの子どもたちの誰の友だちでもないのだった。

 わたしはその子どもと遭遇する公園を散歩コースから外した。大人にも子どもにも、距離感がおかしい人はいる。その気配があったら、相手が自分に声をかけられる圏内に入らないことである。
 ある日、ふだんは行かない公園で、犬のふんの始末をしていた。うなじと背中を何かがかすめ、わたしは反射的にそれをよけた。そうしてとっさに犬を抱えて振り返り、警戒音のような声を発した。
 そこにはあの子どもがいた。とてもとても近いところにいた。黙ってわたしの背後から近づき、しゃがんでいるわたしの背中に手を伸ばしたのだ。
 わたしは大きな声を出しそうになり、ぐっと飲み込んだ。それから言った。触らないでください。近づかないでください。
 子どもはまた、あの独特の無視をした。わたしは急いでその場を去った。

 ああ、あの子ねえ。
 犬友だちが言う。うちね、週末はだいたいA公園に行くのね、そうそう、犬が集まる時間帯があって、あのキックボードの子、そこに来るようになったの。最初は誰かの親戚かと思ってた。「おやつあげたくなっちゃったあ」って言うから、誰かが犬のおやつをわけてあげてたこともあったと思う。
 でも確認したら誰の親戚でも知り合いでもなかったし、おやつをあげるふりをして引っ込めて犬をからかったりするのよ。注意すると、すーっと別の人のところに行くの。おかしいでしょう。だからみんなだんだん無視するようになったのね。
 でね、A公園て、たまにイベントやってるでしょ。屋台やキッチンカーが出たりして。そのときに、犬連れの大人の間に立って、大きい声で言うの。あっちのお店、行きたくなっちゃったあ、って。
 連れて行ってくれと言われたら、図々しい子どもだなとは思うけど、それより、その、なんだか持って回った、でもやけに強い圧のある言い方が、ちょっとこう、びっくりしちゃう感じでさ。
 誰のどういうツテかわかんないけど、まあ近所のことだから、どうにかして保護者を特定して、つきまといをやめてほしいって、申し入れしたみたいよ。
 そしたらその子、今度は一人で犬の散歩してる人を見つけては寄って行くようになったの。うちもねえ、見かけると逃げるんだけど、一回キックボードで追いかけ回されて、びっくりしちゃった。なんだか気の毒ではあるんだけどねえ。

 あの子どもは、何らかの問題を抱えていて、おそらく支援を必要としているのだと思う。思うが、わたしももう嫌悪感が先立ってしまって、「どうにかして保護者を特定した」人を探す気力が、どうにも湧いてこないのだった。
 どうにかして誰かの注意を引こうとする。「○○したくなっちゃったあ」と言って要求を通そうとし、都合の悪いことを言われると相手が存在しないかのように振る舞う。そういう種類のコミュニケーションを学習した子どもをどうすればいいのか考えるエネルギーが湧いてこない。知らない大人にべたべたとまとわりつくことの危険性も。

推しと遠い日の花火

 地元のお祭りであの人に会ったのだと、友人が言う。
 この友人の言う「あの人」は一人だけである。友人と中学三年生のとき同じクラスだった、えっと、なんて言ったかな。仮に山田くんとしよう。なんで仮名かっていうとですね、友人がめったにその人の名前を口にしないからなんだよ。いつも「あの人」って言う。だから山田くん(仮)。
 友人が山田くん(仮)の話をするのは三年ぶりである。忘れたころに話題に出てくる。山田くん(仮)と友人はつきあったことはなく、ほどよい距離感の元クラスメイトで、大学生のときに何かきっかけがあって何度か二人で出かけたのだそうだ。
 それだけなのだそうである。
 それだけの相手だが、友人の熱の入れようはそりゃあたいしたものだ。あの人はこの世でいちばんかっこいい、と言う。写真を見せてもらったら、たしかに整った顔立ちではあるものの、普通と言える範囲だった。SNSに掲載されている最新の写真を見せてもらったが、こちらも「いい感じに中年期を過ごしている、普通の人」である。
 山田くん(仮)は進学で東京に出て、就職のために故郷に戻り、しかしその就職先の会社が倒産し、今では故郷の隣県の本屋さんに勤めているのだそうである。すてきよね、昔から読書家なの。友人はうっとりと言った。瞳孔が開いていた。
 そんなに特異な経歴だろうか。普通の範疇じゃないだろうか。
 そう思う。でも言えない。だってあまりに様子がおかしい。
 そう、この友人はふだん冷静なタイプで、若い頃の色恋沙汰でも、年を重ねてからの家庭の話でも、あるいは職業生活で突発的な幸運や不運に遭ったときにも、常に地に足の着いた話し方をする人間なのである。それが山田くん(仮)の話をするときにだけ、目がこの世を見ていない。別の場所を見ている。どう見ても様子がおかしい。
 ではこの友人が結婚相手と別れて山田くん(仮)と一緒になりたいのかといえば、別にそうではないのだそうだ。だって、と友人は言う。セックスしたら誰だって変な顔になったりするじゃん。結婚なんかしたらわたしノーブラ部屋着でうろうろするし。そんなのぜったいにいや。
 何がどう嫌なのかは、友人が顔をおおって「ない」「実際的にも起こりえないことで、起こしたいとも思わない、それはとても良いことだ」などと言うので聞きそびれた。

 わたしは仮説を立てた。「山田くん(仮)はいわゆる推しなのではないか」というものである。
 しかしその仮説は不完全である。ここ数年のブームもあって、推しの話をする友人知人は幾人もあるが、彼女たちは山田くん(仮)の話をする友人のようにはならない。推しへの感情を尋ねれば、「パフォーマンスが大好き」とか「成長を見守りたい」とか「そりゃあ、できることならつきあいたい、無理だけど、きゃっ」とか「ファンが求める完璧なところだけ見せてほしい、そうでないところは見せてほしくない」とか、そんなふうにこたえる。これらはいずれもわたしの理解するところの推しへの感情の範疇である。
 わたしには推しがいないから実感としてはわからないけど、そういう対象を楽しむ心情があることは了解している。彼女たちはそれなりにはしゃぐし、ほどほどにテンションが上がるんだけど、好きなんだからそりゃテンションも上がるでしょう。
 そういうのじゃないのだ、山田くん(仮)トークは。なんか話してる人が別人みたいになるんだよ。推し活トークをしている他の人とはぜんぜんちがうんだ。

 わたしがそのように話すと、推しのいる知人のひとりが言う。それはね、年をとってからの推し活はだいたい穏やかなものだからです。わたしたちにはもうそんなにエネルギーが残されていないのです。もうね、中間管理職だし、子どもが受験生だし、焼き肉屋でカルビを注文しない。とんかつ屋とかも行かない。もっとカサカサしたもんを食う。そのようなわたしたちにとって、推しは遠い日の花火なのです。目を細めて眺めるものなのです。
 でも若いころに出会った推しならそうではないこともある。あるいは、精神のある部分がものすごく若い人もいる。そこにハマる推しがいると、推し活はぜんぜん穏やかではなくなります。
 山田くん(仮)トークをする人にとって、山田くん(仮)はきっと、たましいの若い部分の永遠の象徴なんですよ。だから中年の推し語りの様子とは違うんだと思います。生々しさや現実的に対等であることから逃れているからこそ美しい、人生の短いひとときを結晶にして閉じこめたような相手なんですよ。それが推しであることもあれば、そうじゃないこともあるんじゃないでしょうか。

誰も殴らない兵隊さん

 父親の墓参りに行く。
 東京から新幹線と在来線を乗り継ぐ。慣れた道をたどり、墓掃除をする。まだ寒いが、実家の雪おろしがないだけ気楽なものだ。母親は父親の一周忌を終えて以降、近隣の施設で暮らしている。母親は高齢でいろいろなことを忘れているが、墓参りをしたと言うと安心するので、盆と命日近辺に郷里に行き、きれいにした墓の写真を見せるようにしている。

 十数年前、存在を知らなかった姉が四人出てきた。
 人間は突然生えてくるものではない。彼女たちはもちろんずっと生きていたのだが、僕はぜんぜん知らなかったのだ。両親がともに再婚だとは聞いていた。母親は「前の結婚では子どもが生まれなくて離婚して、お父さんに拾ってもらった」と言っていた。父親は来し方行く末を話すタイプの人間ではなかったので、自分は一人っ子なのだと、ずっとそう思っていた。
 僕にお姉ちゃんが、四人も? なんだかラノベみたいだ。四十のおじさんに五十代の姉四人が出現したっていう話だけど。いける設定かな。
 そんなふうに笑うしかないような話題ではあった。
 僕は両親、とくに父親が高齢になってからの子どもで、だから上にきょうだいがいるのは、そんなに不思議なことではない。母親が父親と出会ったのが四十近くになってからで、父親は自分の前の家庭のことなど何も話さずに平然と過ごすような人間だった。
 そのような父親も年をとると弱気になるのか、あるいは僕が東京で「ひとかどの人物」になったと感じたからか(ほんとうにそういう言い方をするのだ。しかも僕の前では言わない。母親に言って、母親が僕にこっそり電話してくる)、正月の機嫌の良いときを見計らって「僕の知らない資産なんかを持っていないか」というような意味のことを尋ねると、素直に口をひらいた。そして僕には姉がいると言ったのだ。
 親が死んで相続の手続きをしたら知らない土地を持っていてすごくめんどくさかった、という話を聞いて、僕の実家にもそういうのありそうだなと見当をつけてはいたけれど、それどころじゃなかった。知らん姉。しかも四人。
 四人のうち三人は初婚の家庭の子どもで、一人は結婚していない別の相手との子どもだった。
 父親はそのような人々に連絡を取り続けて親としての責任を果たすというような考えはとくになかったらしく(ひどいと思うが、意外ではない)、僕は苦労して彼女たちと連絡をとった。父親の初婚の相手との子どもである人は、僕の顔を見て少し笑い、よかった、うちは女の子しか生まれなかったから、と言った。春になると花が咲くわねというように。女しか生まれないからよそで子どもをつくってその子も女だからまた別の人間と子どもをつくってそれが男だったから結婚するなんて、少しも当たり前のことじゃないのに。

 父親は戦争に行った最後の世代である。
 だからというのではないが、僕はわりと戦争ものを読んだり観たりする。少し前にも、やはり戦後をテーマにしたマンガを読んだ。主人公は戦地で部下を殴らず、帰ってきても女を殴らず、男の子どもができないからといって産む人間を取り替えたりもしなかった。戦争に行ってひどい目に遭ったってまともな人間でいることはできるんだ。僕はそんなふうに思って、ぼんやり嬉しくなった。主人公が戦地でつけられた傷をひたすように酒を飲みながらも、戦後のめちゃくちゃな日本でそれなりに店をやったり、戦友と再会したり、若い女性になつかれるようすを、しみじみと読んだ。彼は人を殴らず、搾取しなかった。僕はページをめくりつづけた。そうして彼はふと死んだ。
 僕はさみしかった。戦争に行ってひどい目に遭って、それでも誰も殴らなかった兵隊さんは、死ぬんだ。

 父は人を殴る男だった。
 僕も小さいころは殴られた。でも主に殴られるのは母親だった。父親は男というものをよほどいいものだと思っていたのだろう。僕は少し大きくなると殴られなくなった。母親もできるだけ殴られない方法を学習したらしく、とにかく父親の機嫌を取るために生きていた。けれど年をとって以前ほど家事ができなくなり、気も回らなくなると、父親はまた母親を殴った。足を悪くしてろくに出歩けないのに、座りこんだまま母親を呼んで杖で殴るのである。
 そしてずいぶんと長生きをした。

 僕は人を殴ったことがない。でもそれは戦争に行っておらず、父親に少々しか殴られておらず、子どもをつくらなかったからかもしれない。
 それもこれも昔の話である。父親の次の周忌には、もう母親はいないだろう。そうしたら墓じまいをして、それきりのつもりである。

忘れていても世界は

 子どもがひっくり返って泣きながら暴れている。理由は箸が転がったからである。どぉおおぉしてええええええ。どおおおおしぃてえーーーー!
 箸が転がるのは、この家が地球にあり、地球には重力があり、箸が置かれた場所には傾斜があり、それに対して摩擦係数が不足していたからである。念のため子どもがわかりそうなことばを選んでそのようにこたえたのだが、子どもにとって意味がないだろうことはわたしにもわかっていた。子どもはこの世に重力のあることがそもそも納得いかないのである。あるいは皿のふちに傾斜のあることが。もしくは皿の上を何かが滑ることが。そのような、この世の法則のすべてが。

 もっともなことである。だってそんなのはみんな自分のあずかり知らぬところで勝手にできた法則なのだし、そのような法則がどれだけ大量にあるかも、子どもは(ほんとうのところはわたしも)知らないからだ。これが理不尽かつ強烈な不安でなくて何だというのか。たとえば明日「今日から重力はありません」ということになったらわたしだって床にひっくりかえって大暴れする。最初に重力とやらを飲み込んだときも、かなり不承不承だった。不本意ながらしょうことなしに飲み込んだように記憶している。ぜんぜん納得できなかった。ほんとうは今でも納得しているのではないのかもしれなかった。
 「そういうものだ」ということばはすべて役に立たない。なぜそういうものなのかがわからないからだ。
 今でもわからない。
 わからないことを便宜的に忘れて、適応のために忘れつづけて、何もかもわかったふりの大人の顔して、あまつさえ子どもをこさえて「そういうものだから」と言う。奇妙なことである。世界は、わたしが忘れているあいだも、いつもこんなにも理不尽で不可解で、そのことをはっと思い出すだけで遠い遠い宇宙の果てに飛ばされるような気のするものなのに。

 子どもがもう少し大きくなったら、自然法則、すなわち「そういうものだと解釈されていて、基本的に変更がきかないもの」と、社会の慣習、すなわち「そういうものだとされているが、場所によって異なり、人々の働きかけによって変えることが可能なもの」を峻別させるために、話し方に気をつけなくては、と思う。わたしの親は悪くない親だったし、感謝もしているが、そのあたりは雑だった。学校教育と読書で区別がつくようにはなったが、自分がつくった家庭内でごっちゃにしたくはない。
 そのように思いながら、保育園行く、と言う。子どもは幸い保育園を好きである。行く、と言う。疲れるまで暴れて声がかれている。わたしが子どもに語りかけているあいだに床の上の皿と食べ物を片づけた夫が濡らしたハンドタオルを持ってきて子どもの顔を拭く。はい、おはな、びー、と言う。
 夫は子どもが泣きわめいてもとくに気分を害さない。わたしは「わかるわあ」と思って共感しながら「しかし食べ物を投げるのはよくない。やめなさい」などと語っているのだが、夫はそうではない。子どもを「マジ何考えてるかわかんない生き物」と言う。子どもが先ほどのように大泣きしているときは、「そうだなー、思いどおりにならないなー。腹立たしいなー。うん、そのとおりだ。よーし、泣け泣け。泣いて立派な大人になれ」と思っているのだそうである。どのあたりが「そのとおり」なのかと尋ねれば「そんなのぜんぜんわかんない。適当に言ってる。あと、片づけめんどくせえなと思ってる」と言う。
 そういえばこの人は実家の犬が(散歩もフードも足りているのに)不満顔してうにゃうにゃ鳴いていたときにも「おう、本当にお前の言うとおりだ。なるほど実にもっともだ。犬さんはまこと慧眼ですなあ」などと言っていた。雑な男なのである。

 夫には、わたしの世界に対する感覚はわかるまい。子どもだって、きっとわたしと同じ感覚ではない。もし子どもが考えていることを言語化する能力があったとしたら、わたしが推測して共感している内容はまったくの見当違いだろうと思う。
 夫は子どもを保育園に連れて行く支度をしている。わたしは出勤する。わたしが早出で子どものお迎え係、夫が送りの係、リモートと組み合わせてどうにかやっている。歩道を歩く。駅に近づくにつれて人が増える。人ごみ用の速度調整をしながら地下鉄の階段を下る。自動改札機にスマートフォンをかざす。ホームに立つ。仕事のメールを返す。わたしの一部はまだ、わたし以外誰もいない宇宙の果てに向かって飛ばされていて、何ひとつ納得していない。

眠るために生きている、あるいは「自己肯定感」が要らない人間

 よく眠れたら気分が良い。しかし、少々の睡眠不足もそう悪いものではない。「今日の寝つきはさぞ良いだろう」と思えるからである。
 レストランでコースを食べてデザートにコーヒーを合わせるのは特別なときだけである。夜に、しかもアルコールとちゃんぽんで、カフェインを摂る! なんてこった。不良のすることである。
 朝は決まった時間に起きて日光を浴びる。これがもっとも重要である。運動も必須だ。週に二回はジムへ行く。

 わたしは眠るのがへたである。今は前述のような努力によって人並みに眠れるようになったが、以前はひどいものだった。もちろん医学的にもしっかり睡眠障害だった。苦しかった。それでずいぶんがんばった。
 若く貧しかったころは家賃を抑える必要があったが、朝の日光が大切なので、駅から遠くてボロボロでも日当たりの良い部屋を借りた。夜中まで働かなくて済むよう常に効率を考え、深夜まで出かけるのは月に一度までとし、年に二ヶ月はアルコールを完全に抜き(眠りに問題がある酒好きの人は試しに一ヶ月飲まないでみてほしい。一週間や二週間じゃなくて、一ヶ月以上。マジできく)、とくに楽しくもないジムを習慣にした。歯磨きみたいなものだ。だいたいの人は歯磨きを娯楽としていないけど、毎日何度もするでしょう。
 二十二かそこらで「眠れるようになる」と決意して十数年試行錯誤して、わたしは眠れるようになった。現在のわたしの人格は眠りに関する問題を基盤として形成したといっても過言ではない。

 そんなだからわたしはいまだに眠気を「いいもの」と思っている。休日の昼寝は夜の眠りを妨げる可能性があるやっかいな誘惑だが、トータルで睡眠時間が足りていないときは昼寝OKとしている。
 かくしてわたしは家族から「よく寝る人」とされている。年をとってから出会って、昔のわたしを知らないからだ。わたしは眠るべき、あるいは眠ってもよいときに眠気がやってくると眠気を讃える口上を述べて床に入るので、「睡眠の神を信仰している」とも言われる。
 みんなが睡眠神を信仰しないのは、眠くて苦しいのに眠れない、あるいはうとうとするなり冷や汗をびっしりかいて起きることがあんまりなかったからじゃないかと思う。
 眠りがダメな人の主観において、入眠できないのは「眠れない」というより「眠らせてもらえない」、中途覚醒は「起きてしまう」というより「たたき起こされる」ものである。自分でない、自分より大きなものによって決定されている感覚なのだ。だからその自分でないものに祈り、眠れそうなら感謝する。
 昔の文豪が「女というのは眠るために生きているのではないかしら」などと言っており、そいつは男だったのでなんか腹立つせりふだなと思うが、わたしに関しては、うん、人生の目的の半分弱は眠るためですね。あと半分近くは食うためで、残りちょびっとがその他諸々という感じです。快適な環境で眠って美味しく食べるためにがんばって働いております。

 友人が言う。動物だね。
 しかし現代人は少しくらい動物であったほうが快適なんだろうな。きみ、自己肯定感って聞いたことある?
 ある、とわたしはこたえる。意味はわかる? と友人は質問を重ねる。わたしは小さい声で言う。よくわかんない。ググってもわかんなかった。
 友人はうなずく。そうだろうね。「自己肯定感が低い」という人は、本人が肯定している対象が自分にまつわる属性や評価なんだ。稼ぎが多いのが偉いと思っていれば収入が下がると「自己肯定感が下がる」し、モテるのがが偉いと思っていれば性的に人気がなくなると「自己肯定感が下がる」。与えられた課題を失敗なく遂行することが偉いと思っていれば、失敗したときに「自己肯定感が下がる」。素晴らしい社会性だ。こういう人たちがいないと社会はうまく回らない。でも言葉の定義には問題があると思う。稼ぎも性的評価も、もちろん自己ではない。「与えられた課題を失敗しない」はもっとわかりやすくぜんぜん自己ではない。
 彼らの言う自己肯定感というのは評価基準の中での立ち位置で、重要なのは「稼ぎがあるやつが偉い」とかの尺度のほうなんだね。そう解釈するとよく理解できるんだ。自己自体は、そんなに見たくないんじゃないかな。だってきれいな属性をつけている人間も、剝いてみたら食って寝るだけのものだからね。あなたみたいな存在だ。まったくたいしたものじゃない。
 たいしたものじゃないと、いけないの、とわたしは訊く。友人はこたえる。彼らにとってはね。でもあなたは気にしない。
 気にならないな、とわたしは思う。今日の晩ごはんは何にしようかしら。

母数が大きいところ

 転職して半年が経った。転職先の環境はきわめて快適である。
 新しい勤務先はフルリモートワークOKで、最初の一年は制限があるとか、そういうのを想像していたのだけれど、「いえ研修二日間やってもらったら三日目からは好きにしていただいていいのです」とのことで、何なら僕がよくやりとりする社員の一人は高知の山奥に住んでいるのだった。それでも仕事上問題ないのだ。社員の半分が首都圏外に住んでいる。ガチリモートである。
 しかし、対面のほうがコミュニケーションコストが低いことはたしかだし、僕は自宅の環境をまだ整えていないので、具体的に言うと今の住まいではオフィスチェアを置く場所がないので、平日の半分は出社している。「毎日の出社はイヤだが週一回は来る」「二回は来る」という人もいる。
 地方に住んでいるメンバーは年に二、三回は東京に来るようである。全員を対象とした研修会が一度、それから関連部署の対面での意見交換会が一度あるのが標準みたいだ。たいていは連休につなげて組まれていて、やって来た地方メンバーは観光をしたり、趣味を追求したり、たまの都会だからと言って朝まで飲んだりする(この人はふだん人の数より牛の数が多い町に住んでいる)。

 地方メンバーが来ると首都圏メンバーもいそいそとランチや飲み会に出てくる。僕も行く。楽しいからだ。
 フルリモートを選ぶ理由としてもっとも多いのは子育てと介護である。次に多いのが「地元を出たくない」「自然のあるところに住みたい」。あとおもしろかったのが「体力がないので、なにかというと横になりたい」とか、「何をどうやっても朝起きられない」とか。この会社だって朝9時からのミーティングとか全然あるんだけど、出社しないなら8時50分まで寝てられるもんな。あと「コミュ障で人と接すると疲れるから家から出たくない。電車などという人がみっしり詰まった箱に毎日乗る意味がわからない」という人もいて、コミュ障でもたまの飲み会はOKなんすね、と言ったら「そういうものなんです」と言われた。へえ、そういうものなんだ。
 「そういうものなんだ」っていいね、と隣に座った同僚が言う。この人はブルガリアから来て在日十五年である。なんかテキトーでいいね、と彼は言う。雑でちょっとバカっぽくて、言われても負担感なくて、誰にでも言える、いいせりふじゃん。

 誰にでも言えるはずだが、僕はそのことばを、前の職場では言えなかった。
 僕の前の職場は上司が男の社員だけ引き連れてキャバクラに行くようなところで、リモートを取り入れても仕事自体はちゃんと回っていたのに、あっという間にフル出社に戻った。僕はフル出社でも問題なかったけれど、そのために乳幼児を持つ社員が何人か辞めた。うち一人は男性で、そのことを別の社員が小馬鹿にしたように話していた。男が子育てのために転職することについて、「降りる」という語を使っていた。彼らのことば遣いはときどき僕に言いようのない不快感を与えた。たとえば顔立ちが極東アジア人として典型的ではないような人物に対して「あれは純ジャパじゃないでしょ」とか。
 何が嫌なのか明確に言えなかった。でもあれもこれも、ほんとうは嫌だった。
 男だけではない。僕は一時期女性が非常に多い子会社に出向して、その期間ほとんど毎日苛々していた。本社から出向した少数の社員が多くの女性社員を管理している場所で、女性社員たちはコスメとファッションとSNSとダイエットとグルメと彼氏および旦那の話をしていた。彼女たちは毎日元の顔がわからないような化粧をして、そんな人は今の会社にだっているけれど、集団でそんなふうであることが、そしてそれ以外の要素が見えないことが、僕にはどうしてもいやだった。そして彼女たちは人は必ず結婚すると思っていて、僕に「アプローチ」するのだった。僕が「優良物件」で「ちょうどいい」から。
 バカな女ども。
 そんなせりふを口にしたのは生まれてはじめてだった。もちろん会社の外でだったけれど。

 そっか。ブルガリアから来た男が言う。きっと「純ジャパのエリート」が入る会社だったんだね。好待遇を棒に振ってコミュ障ガイジン朝寝坊の会社に「降りて」来たのかい、HAHAHA。
 僕はそっと彼に耳打ちする。それがね、今の会社のほうが、給料、いいんだよ。俺は自分が損する転職はしないよ。
 彼はにやりと笑う。それもそうか。大きい母数から選んだほうが、コスパいいに決まってるもんな。