[文学*1171565285*[芥川賞全作品]●芥川賞受賞作品一覧

 藤野可織の「爪と目」が加わりました。前回の「abサンゴ」に引き続き、難解さが増し、一筋縄では解読不能の作品が続いています。
まさに、文学復古の感があります。いったい審査員諸氏は何を考えているのだろうか?

1935年(昭和10年)第1回 石川達三 「蒼氓(そうぼう)」上半期
1935年(昭和10年)第2回 受賞作なし。(候補作は、             )下半期
1936年(昭和11年)第3回 小田嶽夫 「城外」上半期
1936年(昭和11年)第3回 鶴田知也 「コシャマイン記」 上半期
1936年(昭和11年)第4回 石川淳 「普賢」下半期
1936年(昭和11年)第4回 冨澤有爲男 「地中海」下半期
1937年(昭和12年)第5回 尾崎一雄 「暢氣眼鏡(のんきめがね) 他」上半期
1937年(昭和12年)第6回 火野葦平 「糞尿譚」下半期
1938年(昭和13年)第7回 中山義秀 「厚物咲」上半期
1938年(昭和13年)第8回 中里恒子 「乗合馬車 他」下半期
1939年(昭和14年)第9回 半田義之 「鶏騒動」上半期
1939年(昭和14年)第9回 長谷健 「あさくさの子供」上半期
1939年(昭和14年)第10回 寒川光太郎 「密獵者」下半期

1940年(昭和15年)第11回 受賞作なし (候補作は、      )上半期
1940年(昭和15年)第12回 櫻田常久 「平賀源内」下半期
1941年(昭和16年)第13回 多田裕計 「長江デルタ」上半期
1941年(昭和16年)第14回 芝木好子 「青果の市」下半期
1942年(昭和17年)第15回 受賞作なし (候補作は、      )上半期
1942年(昭和17年)第16回 倉光俊夫 「連絡員」下半期
1943年(昭和18年)第17回 石塚喜久三 「纏足の頃」上半期
1943年(昭和18年)第18回 東野邊薫 「和紙」下半期
1944年(昭和19年)第19回 八木義徳 「劉廣福」上半期
1944年(昭和19年)第19回 小尾十三「登攀(とうはん)」上半期  
1944年(昭和19年)第20回 清水基吉 「雁立」下半期

1949 21 小谷剛 「確証」
1949 21 由起しげ子 「本の話」
1949 22 井上靖 「闘牛」
1950 23 辻亮一 「異邦人」
1951 25 安部公房 「壁」
1951 25 石川利光 「春の草 他」
1951 26 堀田善衛 「広場の孤独・漢奸その他」
1952 28 五味康祐 「喪神」
1952 28 松本清張 「或る『小倉日記』伝」
1953 29 安岡章太郎 「悪い仲間・陰気な愉しみ」

1954 31 吉行淳之介 「驟雨 他」
1954 32 小島信夫 「アメリカン・スクール」
1954 32 庄野潤三プールサイド小景
1955 33 遠藤周作 「白い人」
1955 34 石原慎太郎 「太陽の季節」
1956 35 近藤啓太郎 「海人舟」
1957 37 菊村到 「硫黄島」
1957 38 開高健 「裸の王様」
1958 39 大江健三郎 「飼育」

1959 41 斯波四郎 「山塔」
1960 43 北杜夫 「夜と霧の隅で」
1960 44 三浦哲郎 「忍ぶ川」
1961 46 宇能鴻一郎 「鯨神」
1962 47 川村晃 「美談の出発」
1963 49 後藤紀一 「少年の橋」
1963 49 河野多惠子 「蟹」
1963 50 田辺聖子 「感傷旅行センチメンタル・ジャーニィ」

1964 51 柴田翔 「されどわれらが日々──」
1965 53 津村節子 玩具
1965 54 高井有一 「北の河」
1966 56 丸山健二 「夏の流れ」
1967 57 大城立裕 「カクテル・パーティー」
1967 58 柏原兵三 「徳山道助の帰郷」
1968 59 丸谷才一 「年の残り」
1968 59 大庭みな子 「三匹の蟹」

1969 61 庄司薫 「赤頭巾ちゃん気をつけて」
1969 61 田久保英夫 「深い河」
1969 62 清岡卓行 「アカシヤの大連」
1970 63 吉田知子 「無明長夜」
1970 63 古山高麗雄 「プレオー8の夜明け」
1970 64 古井由吉 「杳子」
1971 66 李恢成 「砧をうつ女」
1971 66 東峰夫 「オキナワの少年」
1972 67 畑山博 「いつか汽笛を鳴らして」
1972 67 宮原昭夫 「誰かが触った」
1972 68 山本道子 「ベティさんの庭」
1972 68 郷静子 「れくいえむ」
1973 69 三木卓 「鶸」
1973 70 野呂邦暢 「草のつるぎ」
1973 70 森敦 「月山」

1974 72 日野啓三 「あの夕陽」
1974 72 阪田寛夫 「土の器」
1974 73 林京子祭りの場
1975 74 中上健次 「岬」
1975 74 岡松和夫 「志賀島
1976 75 村上龍限りなく透明に近いブルー
1977 77 三田誠広 「僕って何」
1977 77 池田満寿夫エーゲ海に捧ぐ
1977 78 宮本輝 「螢川」
1977 78 高城修三 「榧の木祭り」
1978 79 高橋揆一郎 「伸予」
1978 79 高橋三千綱 「九月の空」

1979 81 重兼芳子 「やまあいの煙」
1979 81 青野聰 「愚者の夜」
1979 82 森禮子 「モッキングバードのいる町」
1980 84 尾辻克彦 「父が消えた」
1981 85 吉行理恵 「小さな貴婦人」
1982 88 加藤幸子 「夢の壁」
1982 88 唐十郎 「佐川君からの手紙」
1983 90 笠原淳 「杢二の世界」
1983 90 高樹のぶ子光抱く友よ

1984 92 木崎さと子 「青桐」
1985 94 米谷ふみ子 「過越しの祭」
1987 97 村田喜代子 「鍋の中」
1987 98 池澤夏樹スティル・ライフ
1987 98 三浦清宏 「長男の出家」
1988 99 新井満 「尋ね人の時間」
1988 100 南木佳士ダイヤモンドダスト
1988 100 李良枝 「由煕」

1989 102 大岡玲 「表層生活」
1989 102 瀧澤美恵子 「ネコババのいる町で」
1990 103 辻原登 「村の名前」
1990 104 小川洋子 「妊娠カレンダー」
1991 105 荻野アンナ 「背負い水」
1991 106 松村栄子 「至高聖所アバトーン」
1992 107 藤原智美 「運転士」
1992 108 多和田葉子犬婿入り
1993 109 吉目木晴彦 「寂寥郊野」
1993 110 奥泉光 「石の来歴」

1994 111 室井光広 「おどるでく」
1994 111 笙野頼子 「タイムスリップ・コンビナート」
1995 113 保坂和志 「この人の閾」
1995 114 又吉栄喜 「豚の報い」
1996 115 川上弘美 「蛇を踏む」
1996 116 辻仁成 「海峡の光」
1996 116 柳美里 「家族シネマ」
1997 117 目取真俊 「水滴」
1998 119 花村萬月ゲルマニウムの夜
1998 119 藤沢周ブエノスアイレス午前零時」
1998 120 平野啓一郎日蝕

1999 122 玄月 「蔭の棲みか」
1999 122 藤野千夜 「夏の約束」
2000 123 町田康 「きれぎれ」
2000 123 松浦寿輝 「花腐し」
2000 124 青来有一 「聖水」
2000 124 堀江敏幸 「熊の敷石」
2001 125 玄侑宗久 「中陰の花」
2001 126 長嶋有 「猛スピードで母は」
2002 127 吉田修一パーク・ライフ
2002 128 大道珠貴 「しょっぱいドライブ」
2003 129 吉村萬壱ハリガネムシ
2003 130 金原ひとみ蛇にピアス
2003 130 綿谷りさ 「蹴りたい背中

2004 131 モブ・ノリオ 「介護入門」
2004 132 阿部和重 「グランド・フィナーレ」
2005 133 中村文則 「土の中の子供」
2005 134 絲山秋子沖で待つ
2006 135 伊藤たかみ 「八月の路上に捨てる」
2006 136 青山七恵 「ひとり日和」
2007 137 諏訪哲史 「アサッテの人」
2007 138 川上未映子 「乳と卵」
2008 139 楊逸 「時が滲む朝」
2008 140 津村記久子 「ポトスライムの舟」
2009 141 磯崎憲一郎 「終の住処」
2009 142 受賞作品なし
2010 143 赤染晶子 「乙女の密告
2011 144 朝吹真理子 「きことわ」
2011 144 西村賢太 「苦役列車
2011 145 受賞作品なし
2012 146 円城 塔 「道化師の蝶」
2012 146 田中慎弥 「共喰い」
2012 147 鹿島田真希 「冥土めぐり」
2013 148 黒田夏子 「abさんご」
2013 149 藤野可織 「爪と目」

 今回は文学談義を一休みして、山陰鳥取に出現したアザラシの「コヤちゃん」のことを紹介します。全国にまだあまり知られていないと

コヤちゃんアザラシ

思うからです。 あの世ならぬ、この世から、珍しくもこの山陰の地でアザラシが出現しました。3月7日あたりから、目撃されはじめました。しかもそこは「池」なんです。池としては日本最大の 「湖山池」にです。池なのですが海跡湖で元は海の入り江、湾だったところが自然にせき止められた池です。海と池の間には水門が設けられていて最近では海水を入れて調節しているようです。その為なのか、海の動物アザラシがこの水門をくぐって池に入り込んだのだと思われます。しかも、日本海側での出現はめずらしいのではないだろうか?
 
 地元の新聞によると、あざらしの種類は「ワモンアザラシ」だそうで、この種は北海道のオホーツク海に多く分布しているのだとか。現れたアザラシは体長が約1メートルあり、子供のアザラシらしい。親とはぐれた子供なのだ。早速、湖山池の名をとって「コヤマみどり」と名づけられました。山陰では越冬野鳥の飛来は珍しくないのですが、アザラシは珍客です。

 地元ケーブルTVが撮影した動画をとくとご覧あれ!−>

http://www.nnn.co.jp/sp/movie/news/130310/20130310013.html

abさんご、難解さを解くヒント

今回、第148回芥川賞の受賞作品は、直木賞受賞者と読み比べてみるとおもしろいかもしれない。なにしろ、最年長(75)と最年少(23)の受賞だからである。また、作品も対照的である。
それはさておき、黒田夏子氏の作品を読むまえに、プロフィールで想像したことは、「年齢」、「早稲田文学」等のキーワードである。
いわゆる、あの「純文学」という言葉が久々に当てはまるのか、作品の構造理論が意識的か、それゆえ、現代の若い読者には難解のはず、ということなどが思い浮かんだ。 それは、かなり当たっていた。まだ文学が存在していたのだ。 各選評者のコメントからも、それが伺える。典型的なのが、村上龍のコメント。推薦しなかったが、優れた作品だ、というとまどいのような奇妙な選評である。村上氏の作品は、この対極にあるような作品で(芥川賞受賞作は違っていたが)、誰が読んでも苦労なく理解され楽しめる作品を多く世に出しているからである。

一般的な読者は、こういうタイプの本、いわゆる「純文学」というやつ、にどう向かえばいいのだろうか?
はたして、正直に楽しめるだろうか?小説を読むという行為をして、読者はいいたい何を得たいのだろうか?こういう作品にむかった場合特に知りたいのはそこである。今週の売り上げランキングで、この作品は鳥取県では2位にランクいんしているが、東京では10位内にも入っていない(新聞調べ)のはいったい何故なのだろう?山陰の読者はなぜこれを読もうとしたのだろうか?読み始めてどうおもったのだろうか?単に有難がっているだけでは?
この本から得られる感触は、現代の大部分の読者にとっては”読書の苦しみ”といったほうが良い。「異化」の穴にはまりこんで難儀すること請け合いなのである。古典的読書の回帰、先祖帰りである。大江風マゾヒズムの読書術が必要になるし、フォルマリン漬けにでもならない限り、到底乗り越えられないだろう。秋の夜長の終わらない夢想の中に沈み込での読書ならまだしも、こんな寒い季節によくも受賞してくれました。
 しかし、楽に、楽しめて、理解に至る方法がないわけではない。あるのだ、音読である。それも自分で音読しない。音声化のうまい人に声に出して読んでもらうのである。この間、NHKラジオで、作者訪問のアナがチラッと音読してわかったのだ。耳で聴くと、それは、シンフォニーを聞くのと同じになる。理解は、単語ことばの連なりだから、その単語と接続詞等の指示する意味に身をゆだねて解釈してゆけばよい。音読ソフトに読ませても良いだろう。黙読しても、結果、自分の音声に頼ることによっての解釈となってしまうだろう。固有名詞などはないから、浮かび上がる絵は読者のものになってくる。そこが作者の手なのだろうか?わたしのような年寄りの思索では、あの世の漠然とした空想画にでもなってしまいそうである。
 それでもお、わたしは尚次のように思う。 
 やはりこの年齢で同人誌所属となれば、その狭い世界で戦わされる文学、小説というものが、超難解理論を意識するという背景を背負わされていて、あの文学世界が死滅しないで存続を保っていたという、なぜかほっとする感慨だ。小説の実作者が、書きながら、小説とはそんなものではないと、ぶつぶつ禁忌してきて、なんだか、誰にも読める小説を目標に、衆遇読者におもねりつつ、なにも考えさせてくれない情感だらけの小説群を生産し続け、こんな難解な小説はすっかり隅に追いやるか、死滅させたと思っていたものだから驚いてしまったのだ。
この作品は、読者を選択してしまう。いや、文学は読者を選んでしまう運命にある。華道や茶道と同じだ。
だから誰でも読んで楽しいというわけではない。文学がまた、復活したのだ。皮肉にも高齢者によって。

”abさんご”読後感

 幽玄の世界に彷徨い出る。物語は夢の断片を追うような気配。
覚醒時にも、過去を回想するときに伴う、映像と意味の不明瞭さがあるのとよく似ている。いずれも、映像に「色」はなく、情感のインパクトが強く残り、そのエネルギーが現実よりもより強力に残って感情を突き動かす。かすかな動きを伴ってはいるようだが、運動の自然な流れはなく、飛び飛びに動作するが、整合性だけはある。これは「夢」の持つ体験的な作用である。目覚めたあと、インパクトな情感が強く残っていて、その意味と因果関係を検証してみるがしだいにそれは色あせていく。褪せていくのが早い。現実的になればなるほど、夢の中の因果は荒唐無稽の評価を与えられてしまう。

 過去の回想を寝る前に横になって、よくするようになった。年をとってからするその行為は若かった頃にしていたのとはだいぶ違ってきているように思う。若い頃のは、なんだか肉感的であり、色彩的であったような気がするが、今は色彩がまったく排除されている気がする。因果もほとんど問題にしなくなった。浮かんでくるものを素直にそのまま受け取るようにして回想するから、なんだか「すかすかのさんご」のような形式だ。繋がってはいるのだろうけどその連結の因果律が明確でない。断片的な絵がならんでうごめいているように見える。この頭に蓄積されている絵や映像や言葉の断片はいったいなんだろう。人間はなんでこのようになるのだろう。これはほんとうに蓄積といえるものなのだろうか。頭はなぜこういう構造をもっているのだろうか?私は、このなぜをよく欲望するタイプだが、この作者はそうではないらしい。ただ、表出した映像をそのままつなぎ合わせているだけだ。こんな回想が何のために生じるのかなどは問わず、陳列する。まるで、ボケるまえの下準備でもあるかのような動物的しぐさのように、これを認める。

 「abさんご」という作品は、以上の読後感を与えるために、作品の構成に構造主義的な努力をしている。
相当な技術力でもって幽玄やはかなさや情感の強弱を出そうとしている。まるで、フォルマリストの「異化」効果を狙っているかのようだ。読んでみればわかると思うがまずセンテンスを追って得られるものは、単語の単純な意味が明確にではなく、ややもすれば、読んだすぐから記憶にとどまらずに消え入って、忘却していく作用がある。意味がのこらないから、ただ言葉の音を追っているだけというようなさまになる。実はこれがくせものなのだ。このような読後感が生まれるには普通の文体では難しいだろうからだ。リアリズム描写が常套となっている、現代小説文では、儚さや夢や白黒の映像の回想を表現しようと思えば、用語集のオンパレードとなるからだ。

 最近、わたしの音楽を聴く姿勢が昔と大きく違ってきた。

 音楽を聴くといえば、わたしの場合は、レコード、カセット、CDを音源としてそれらを再声する機器にセットしてスピーカーを通して空間に音を放し裸耳で聞いた世代である。今でもこの名残はCDをCDプレイヤーで聴くという形で存在している。
 
 パソコンというものが身近になり、パソコンが音楽にかかわるようになったのは最近のことである。
パソコンは最初、一般には音楽とは無縁だったように思われる。CD化される元の音源のことは、音楽雑誌などでよく目にしてはいたがその音源は一般に入手できるしろものではなかった。その音源は関係者のみが視聴できる特別なもので販売の方法さえ考えられてはいなかったように思う。我々一般はこの音源の3/1ほどの圧縮音をCDで買うことしかできなかったのである。CDのデジタル信号は16ビットである。この音源を元に、どんなにすばらしい再生機をセットして聴くにしても、それはやはり16ビットを超えることはなかったから、視聴者およびCD購入者の無意識裡にはやはりことばにできない不満が蓄積していったと思われる。あるいは、"生"以外の音楽はせいぜいこのようなものだという限定的諦念が常識化していったのである。
 
 CD化される以前の、元の音源が簡単に入手できるようになったのは、つい最近のことである。ネット環境が充実したおかげである。こうなると音楽と無縁だったパソコンが急に威力を発揮するようになって、やっとパソコンが音楽とつながるようになったといえる。それまでは、パソコンもやはりCD再生機となんら変わらなかった。CDの無劣化ラッピングの音だって、せいぜい16ビット止まりなのだ。ウインドウズOS最新版8もまだ、この元の音源ファイルを既定再声するようにはプログラムされていない。OSはやはりまだマニア志向のみにまかせているのだろう。
 
 さて、今度は音が耳に届く部分の話である。かってウォークマンが試作されていたころ、この機器の特徴であるスピーカー以外の視聴であるイヤホーンが唯一の方法であったため、音のすべてを耳にすることがいい音とされるやりかたに最も近いのはこの方法なのだといったのは、ピアニストの中村ひろ子だったらしい。イヤホンはたしかに悪かろうが良かろうがそのすべての音をはっきりと聴くことができる。スピーカーでなら、相当なボリュームを必要とするか、そばにピッタリ耳をくっつけて聞くしか方法がなく、多くの音を実はちゃんと耳にしてはいないのだということがよくわかる。日本の住環境とスピーカーは、実に相性が悪い。すべて聞こえるのと、高音と中音と低音の三種しか聞こえていないのとでは、曲の印象がずいぶんと変わることがわかったのは、わたしにとってはイヤホンで聴くようになってからである。16ビットの音でも、イヤホーンとスピーカーとではずいぶんと耳に感じる音量が異なる。そして、この音の情報量が全部聴けるどうかというのが、よい音の判断になるのだと分かったのは、この二つの比較からであった。
CDの16ビット音でもその全部が耳にできれば、かなり満足のいく音が得られるのだから不思議である。安上がりで満足するには、ぜひイヤホーンかヘッドホンで聴くことをお勧めしたい。イヤホンとパソコンの間にサウンドカードを介すればなお良い。
 しかし、それでは16ビットよりももっと情報量の多い、24ビットの音源ならどうだろう。この情報量のファイルが、ハイレゾ音源であり、CDのもとの音源なのである。製作会社にひとつしか存在しないこの音源が販売されるようになったのである。このファイルを店頭販売するにはブルーレイディスクほどの大きさで出版するしかないだろう。店頭ではブルーレイがそれに近いといえるが、なにしろ高額だ。ネットのダウンロード版はCD版の値段とさほど変わらないから驚きだ。
 
 さっそく、わたしは、購入して聴いてみた。圧倒的な情報量を耳(直接)にすると、なんとも奇妙なことに無音の空間が感じられるようになったことである。そして音空間全体が静かになったことである。無音をデジタルで挿入することと、カットするのとではこんなに差があったとは!そして、いつもあった全体の”モアー”とした非明瞭感が消え、シャキッとした切れ味に変化する。この状態は、これまでだと、低音が味気なくなるのだが、24ビットの場合、低音への影響がなく、低音部もちゃんと聞こえる。16ビットの悪しき強調のドスンドスン感のない、妙な言い方だが、透明な低音なのだ。イヤホンもサウンドカードもそのまま増幅なしでである。音の全情報がちゃんと聴こえるということとはこういうことなのかと思ったものである。とてもソフトな音質でありながら、金管楽器や打楽器の強調も実にすばらしい音質で聴こえてくる。イヤホンやヘッドホンの質を選ばない勢いである。音源ファイルの値段がもっと安くなり、これが一般化すれば、パソコンはもうりっぱな音響機器となる。ぜひ一度、24ビットファイルをパソコンで再声してみてください。

 「皇帝」ベートーベン。

 「最後の晩餐」というダビンチの絵画がある。この絵そのものは、まるで虱潰しのようにすみからすみまで研究解釈されつくされている。絵の中のテーブルにのっている料理はいったいどのようなものであったか、などというのもそれである。イタリア料理であろうことは窺えるが時代が時代である。しかもその料理を食している人物達が超大物だ。何か特別な料理であるに違いないと思うであろう。しかし、研究の結果はうなぎ料理だと判明している。
「うなぎ」ときけば日本料理しか思いつかない私は、こういう結果に驚きを感じてしまう。塩バターでソテーされた炒め料理なのだそうである。こういう解釈がこの絵に付け加えられると、これまで眺めて感じてきた「最後の晩餐」という絵の印象が、また変わってくる。

 ベートーベンの「楽譜」も長年さまざまな分析解釈がなされているらしい。書きなぐり捨てられた楽譜やベートーベンの個人的日常生活の分析などが総合的に加えられると彼の交響曲の一つが様変わりする。これまでに聴いてきた曲がガラリと変化する。それら総合的な研究成果によって新たに書き換えられた楽譜が出版される。このような楽譜をもとに演奏するような指揮者とオーケストラはいない。研究成果として学際的に音楽大学などで試みられることはあっても商業オケなどは、これまでのベートーベン解釈で決まりだと演奏することはないようだ。

 スイスの名門オケ、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団とディヴィット・ジンマンは1998年ころからこの総合解釈による楽譜で録音、CD化して世に送り出すことを試みてきた。2010年になって私は偶然にもこの録音に初めて接して、この事実を知った。そして、もうすっかり嵌ってしまっている。懐疑的気分は最初の驚きの時だけで、あとはもうすっかりお気に入りで、これまでのベートーベンはなんだかもうすっかり色あせてしまっている。古典音楽を聴くという態度がなくなってしまったのだ。シンフォニーならまだしも、コンチェルトとなると、たとえばピアノ、いったいどのピアニストが手を付けるだろうか。ショパンの有名なピアノコンチェルト一番など、ピアニストの中村弘子はおっとりした旧楽譜でデビューし、それが定着したものだから新解釈の楽譜など手がつけられないというほどに独奏楽器のある楽譜は「古典」を維持するのが恒例となっているのである。「皇帝」ではイエフィム・ブロンフマン、ヴァイオリンではクリスティアン・テツラフが、この新解釈に挑戦しているのだが相当な冒険だろう。21世紀は、さまざまなジャンルの融合化時代だといわれる。文学しかり、かって私はジャズとラテン、アフリカ音楽など別々に、ジャンルが切り替わる毎に気分を変えて浸ってきたのだが、そこから行き着いたところにはやはり、ラテンジャズという融合ジャンルが生まれていた。その過渡期には奇妙なモノも生まれるがこうして定着してくると、それはもうすっかり完成された一つの「音楽」となる。サルサに取りつかれた日本人、デラルースのメンバーが廃れ、今度はラテンジャズの日本人の取りつかれグループがまたうまれようとしているように、きっと日本にも新解釈のベートーベンオケや指揮者が生まれてくるだろうと思う。

 

野呂邦暢の「草のつるぎ」 

●「芥川賞作品全集第十巻」には以下の作品が掲載されている。

「鶸(ひわ)」三木卓、69回、昭和48年上半期
「月山」森敦、70回、昭和48年下半期
「草のつるぎ」野呂邦暢  70回、昭和48年下半期
「土の器」阪田寛夫 72回、昭和49年下半期
「あの夕陽」日野啓三 72回、昭和49年下半期
祭りの場林京子 73回、昭和50年上半期
「岬」中上健次 74回、昭和50年下半期
志賀島」岡松和夫 74回、昭和50年下半期

 この第十巻は他の全集に比べて私好みの作品が多く掲載された。

 「鶸」は主人公の少年が凛々しい。「草のつるぎ」は無意識のカミングアウトとなった「いたせくすありす」な作品で羞恥なく告白的なストーリー展開が興味津々だったし、「岬」は世間的スケベーエロスな環境の中で異質なエロスが醸される主人公設定が中上健次らしく、「志賀島」では語りの少年が表現する主人公の少年への憧れ的な心理がほほえましい。「あの夕陽」の「男」はストレートという「男」性のどうにでもなる気弱性の典型で「男」の哀れが好ましい。「月山」と「祭りの場」は私好みのエロスがまったくない作品だが、これはこれで、大いに引き付けられた作品だった。森敦は「死」という感性が、林京子は意外なことに、原爆投下のその下の人間模様がこんな形で描かれたのに接した初体験だった。ということで、この巻は特別な巻だったが、考えてみれば、たまたま受賞作二年間がこのように続いたということで、この時代の流れに何か意味がありそうである。

 さて、芥川賞受賞作品70回目、昭和48年、下半期の「草のつるぎ」という作品である。
 私はここでスタンダードな文学批評を避けることにする。
 これは、私にとって非常に重要な作品の一つになった。というのは、作者、野呂邦暢という作家に個人的付き合いはないが、読後に非常に親しみを感じた作品となったのである。「芥川賞作品全集第十巻」の中の、二、三の資料を検証するだけでもう充分のその理解が得られたのだから不思議である。作品のインパクトからそれはくるのであろう。

「この10巻のなかの資料」で作家のイタセクスアリスは「内部のホモセクシュアル性」表出が充分に露呈されている。それは作品を読まずとも一目瞭然である。イミジクモ作者の経歴を見ると晩婚にして6年後に離婚しているとの隠された大きな原因は、この作品の主人公の進む道であるための原点が「作品」理解で納得されてくるのである。一人称語りの手法を採用しているために、その傾向はいっそう顕著になったが、どうも作者にその意識はないよにうに見える。そこが作品昇華のポイントであろう。作品の昇華的洗練と同時に作者自身の実際の内部も「昇華」されている節がある。傾向は多少異なるがまるで三島由紀夫的である。作品内容は、二十歳の青年が自衛隊に入隊してその感慨を語るという単純なものである。そういう内面を秘めたこの作品が、当時の芥川賞受賞となったのには、秘めた内部が文学作品として一般的に受け入れられるための作者の文学的昇華能力が生かされたためであろうし、昭和48年というその時代も影響している。何しろ敬遠されがちな「自衛隊内部」の話というわけなのだから。文学的昇華能力に最も長けた作家は三島由紀夫だったが、最も個人的にそういう場を表現して見せたということが、三島とは違っていた。