バーコード決済が嫌いだ

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PayPayが嫌いだ。というかバーコード&QRコード決済が嫌いだ。

日本においてキャッシュレスはSONYが英知を結集して開発したFeliCa(フェリカ)という優れたシステムがあり、SuicananacoQUICPayが有名だったが、iPhoneはいち早くこのチップを採用したことによってApple Payという概念を定着させ、SuicaとクレジットカードをQUICPayを通してアプリ化せずにそのまま使えるようにした。つまりiPhoneのみで決済が出来るシステムを世間に広める予定だった。

これはシンプルかつ余計なものをデザインに入れないというスティーブ・ジョブズらしい採用だったと思う。

ぼくがキャッシュレスに踏みこんだのはApple Watchを購入した2018年。世間的にPayPayがすさまじいキャンペーンでポイントを配り散らしたあたりだ。

その当時PayPayがポイント還元ができないみたいなトラブルがニュースになり、ちょっと怖い印象があってぼくはわざわざポイントが貯まる楽天Edyをネットで買い、それをセブン銀行で現金チャージして使っていた。これは便利だと当時クレジットカードを持っていなかった妹にも買ってあげた記憶がある。実際にカードをかざしたときの「シャリーン♪」という音が気持ちよく、そういう触れ込みで売ってた記憶がある(WAONの「ワオン!」も同様)。

しかし、そのPayPayがとんでもないスピードでキャッシュレスのすべてを壊し始めた。

ホリエモンQRコード決済のことを褒めているが、それは東京の話で地方で圧倒的に広まったのはFeliCaを導入しなくてもバーコードリーダーだけでキャッシュレスが出来たことだと思う。これは革命と言ってもいい。

正直、バーコード決済は美しくない。スマホからアプリを開くという手間があるし、レジでスマホに出てきたバーコードを直接店員が読み取る、ないしセルフレジであれば機械の横につるしてあるバーコードリーダーをかざすという始末で、ある意味でいまだにフロッピーディスクを使ってるのと同じだ(ちなみに日本でバーコードがはじめて採用されたのは1978年のことで偶然だがApple社がパソコンの記録媒体にフロッピーディスクを採用したのと同じ年である)。

これはジョブズが望んでいた未来ではない。それこそ移動手段のためのSuicaFeliCaにかざして買い物をするようにスマホの電源をいれることなくそれだけをすっと出して決済することこそぼくの理想なのだ。

とはいえ時代には逆らえない。ついに楽天楽天Payなるものを導入し、ぼく自身も現金チャージがめんどくさくなったということもあって楽天Payにした。楽天経済圏にいるというのもあって今さらPayPayには移行できないのだ。

PayPayが日本を席巻してしまったので楽天Edyは使えるのに楽天Payが使えないという事態に遭遇することもしばしばで、例えばドン・キホーテはPayPayや楽天Payは使えずに逆にFeliCa電子マネー(当然楽天Edyも)、そしてクレカとQUICPayは使える。

地方では欠かせないガソリンスタンドもキャッシュレスに関してはドン・キホーテといっしょでやっぱりクレカは当たり前としてQUICPayFeliCaは基本使える。

いちばん困っているのが最近朝ラーメンを食べてる山岡家だ。ここでもPayPayやSuicaは使えるのに楽天Payは使えない。

なんなら山岡家についてはスマホにアプリで入れたQUICPayは使えないというトンデモサービスで、FeliCaが入ってないんだろうが、じゃあスマホにいれたSuicaも使えないんじゃないかと思っている。誰が今さらカードのQUICPaySuicaを使うんだよ!

で、ややこしいのは楽天楽天楽天Edyカードのアプリがなく、楽天Edyという名前のアプリは楽天Edyのカードにチャージするというシステムになっていて(これは最近知った)、いっそのこと楽天Edyカードのアプリを作れや!とも思うがこれはこれで正解なのかもしれない。なので山岡家に関して言えば楽天Edyがアプリ化してないのは正しい選択といえる。

といったわけで、今さらスマホでチャージできるし、ポイントも貯まるという理由で楽天Payをやめて楽天Edyを復活させようかなと思っている。ガソリンスタンドとドン・キホーテApple Watchに入ってるQUICPay。山岡家と酒を買うためのドラッグストアは楽天Edy。で、どっちも使えなかったときのためのクレカ。このトリニティでキャッシュレスの波を乗りこなそうと思っている今日このごろであった。

ちなみに実家暮らしのオレだが、家にいれるお金を作るためにわざわざ銀行にいくのがめんどくさいという理由でキャッシュレスにしてもらったのだが、残念なのが両親がふたりともPayPay使いで、オレはソフトバンク・ ワイモバイルまとめて支払いから払ってるからこれはこれでまためんどくさい案件である。まぁお金を下ろしにいかなくてもいいだけマシだと考えなければならないのだが…

⚠歴史や時間軸が違う可能性もありますが、オレの記憶のなかでの話なのでご了承ください。

チバユウスケが死んじゃったよ

チバユウスケが死んじゃったよ。

 

オレがあんたのことを知ったのは「ギア・ブルーズ」というアルバムだった。月並みな言い方だけど衝撃受けた。オレはいま40歳だが、ブルーハーツの時は小学生だったし、ニルヴァーナも知った時、カート・コバーンはショットガンで頭を撃って死んでいた。いちばん多感なときにリアルタイムで出てきたロックスターがチバユウスケリアム・ギャラガーだった。

 

チバユウスケが影響を受けたと言ってたからドクター・フィールグッドザ・フーも好きになったし、レコーディング音源至上主義のオレがライブを観たいなと思った人のひとつがミッシェルだった。それは“音楽と髭”という新潟のフェスで叶った。World Psycho BluesもVHSを買って観て、そのあとにDVDで買い直した。解散ライブの映画も映画館で観た。

 

正直、ミッシェルが解散してからROSSOまでは熱心に聴いてたけど、The Birthdayのときにはいろんな音楽を幅広く聴く人になっていたので、正直そこまでハマらなかった。それでもKAMINARI TODAYとROKAという曲が好きだった。たまーに歌モノをやってくれるときがあって、それこそダニー・ゴーとかくそったれの世界を聴くとキュンキュンした。ミッシェルを解散してからのチバユウスケはロマンチストだった。チバユウスケはカリスマというよりも人懐っこい人だった。愛すべきロックスターだった。

 

いまでもXではチバユウスケのエピソードがバンバンタイムラインにあがって来ている。いまでも死んだという事実を受け入れられないでいる。

 

ホントにありがとうチバユウスケ。あんたががなり声で歌った「世界中に叫べよI love youは最強愛し合う姿はキレイ」をこれからも胸に秘めて。

 

YouTubeはじめました!(というか2年前からやってました)

タイトルのまんまです。2年前からYouTubeを始めてました。


とはいえ、最初は仲間内で撮ってただけのゲーム実況動画でした。実況というかキャッキャ言ってるだけというか。


それがデッドバイデイライトというゲームなんですが、そのゲームってのが当時恐ろしいくらいマッチングに時間がかかって、ひどいときは15分とか待ってないとできないんですよ。


で、その時間を使ってトーク動画を配信したら存外受けがよく、むしろそっちのほうが再生回数を稼げるということで、何回かあげたんですけど、ブログをやってた頃の情熱はなく、思いついたらトークするみたいなことになってました。


それが変わったのが、去年の9月です。


ぼくは脳アミロイドアンギオパチーという病気にかかりました。


Twitterのスレッドに作りましたので、詳しい経緯はそちらを観ていただけるとありがたいのですが(https://twitter.com/katokiti/status/1569829943961612289?s=46&t=DBBTplgmErbfrXRNdezhmw)簡単にいうと脳がアルツハイマーの次の段階になっているということです。


普通は75歳以上の人がなるらしいのですが、39歳でかかるのは珍しいということで、逆に検査をさせてほしいと病院から依頼を受けて色々検査しましたが、原因はぼくが一歳のときに患った「くも膜下嚢胞」という病気で、その病気に使われたのが「ライオデュラ」という今では使用禁止になってる硬膜の移植で、それが影響ではないかということでした(石田衣良の「美丘」という小説にも登場するらしい)。


とはいえ、それは確定ではないので、最初は国からお金が取れるかもしれないという話でしたが、結局今のところぼくがピンピンしてるので、もし国からお金が取れることになったらぼくは余命3年とかそんなことになってるときなんだと思います。


長くなりましたが、その影響もあって言葉の方も以前よりスラスラ出てきません。人の名前はもちろん、土地の名前や会社の名前と言った固有名詞も覚えが悪くなりました。だから小説読むのがすごく大変で「あれ?これ誰だっけ?」と何度もページを戻して読むということが当たり前になりました。なんなら喋ってて言葉に詰まることも多くなりました。


正直、ぼくは数年前の段階でブログはもう終わるだろうと思ってました。もし次に何かを発信するならYouTubeだろうと思ってました。


なので喋りのリハビリといったら観てくださってる人に失礼だし、自分の生きた証を残したいというのも大袈裟ですが、そんなことで放置していたブログはここで本当に終わらせてYouTubeの方に移行します。


ちなみにチャンネル名は「カトキチのシュミシュミ動画劇場」と言います。尊敬するミュージシャン大滝詠一の趣味趣味音楽から取りました。なので動画がはじまるときの文言も大滝詠一のラジオ番組「ゴー・ゴー・ナイアガラ」から影響を受けてます。


ぼくのYouTubeチャンネルはブログ記事のアーカイブの音声版と新ネタが交互にくるみたいな感じです。実写ではなくゲーム画面をバックにトークするというスタイルでラジオに近いです(ぼく自身がそういう風にYouTubeを楽しんでるので)。なのでテロップなどは一切は出ません。なんなら編集はほぼPS4iPhoneとなります。


病気の影響もあってかなりお聴き苦しいところもあると思いますが、この記事を読んでくださった方、チャンネル登録、好評価を是非よろしくお願いいたします(YouTuberがよくいう常套句で締めてみました)。

 

カトキチのシュミシュミ動画劇場」

https://youtube.com/@katokitiz


▼音楽の話のリスト

https://youtube.com/playlist?list=PL4qwRZu6aXqmuo5JhXa3xcdm-ec2pvUyG


▼映像作品の話リスト

https://youtube.com/playlist?list=PL4qwRZu6aXqlSVws0Ltnco_XASA2Pur9o


▼本の話リスト

https://youtube.com/playlist?list=PL4qwRZu6aXqnv0mzYZItg6w5dmY6byUpp


▼いろんなトークをまとめたリスト

https://youtube.com/playlist?list=PL4qwRZu6aXqmLP5xWAEVbBAq0B12LNTmO

Hi-STANDARDの恒岡章が亡くなった。

Hi-STANDARD恒岡章が亡くなった。Twitterには書かなかったが、氷室と布袋やヒロトマーシーみたいな難波章浩横山健という、2人のカリスマの後ろでニコニコしながらドラムを叩く彼の姿が大好きだった。正直メロコアというジャンル自体明るくないというか、得意ではないけれど、ハードロックの良さがわからなくてもツェッペリンが好きなのと一緒でHi-STANDARDは特別な存在だった。特に「MAKING THE ROAD」はホントに大好きでいまだに聴いてるアルバムだ。

 

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少し前に難波章浩ツイッターで「ハイスタは死ぬまでやめない」と言ってたが、オリジナルメンバーでのHi-STANDARDはもうない。悲しい。とにかく悲しい。


活動休止したあと原盤権で告訴するだのなんだのあってもう2度と再結成はないだろうと思っていた。しかしHi-STANDARDは3.11をきっかけに再結成した。再結成後のライブの1発目に「DEAR MY FRIEND」を歌った。「オレたちはまた会える だからさよならなんて言わない」というフレーズの意味が震災後に変わってしまったが、また今回のことでもうひとつの意味が加わってしまった。


悲しい。とにかく悲しい。


ぼくはいまある病気にかかっている。脳神経内科の先生には半年後に何か起こるかもしれないし、20年後もどうなるかわからないと南海トラフ地震のようなことを言われている。自分がこうなってしまったいま、自分が好きだった人がこの世にはいないんだと思うとたまらなくなるのだ。


悲しい。とにかく悲しい。いまはそれだけだ。

禁欲をして真実の愛を見つけだせ!「ザ・ジレンマ: もうガマンできない?!」

新潟もいよいよコロナ禍による自粛ムードが高まり、パチンコ店はもちろんのこと呑み屋もそこそこ閉まりだしたので、友達の家でNetflixを開き話題の番組「ザ・ジレンマ: もうガマンできない?!」を酒飲みながら観た。しかも一度寝て復活し、深夜から朝方にかけて全部。
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番組を一言で説明すると“ヤリマンヤリチンだらけのテラスハウス”といったところでIQはかなり低め。

ある島に集められた世界各国のヤリ目的10人が1ヶ月同じリゾートホテルのような場所で共同生活しただけで賞金10万ドルというルールが最初に提示され。「こんな美味しい企画があるかい?」と大盛り上がりでイチャイチャしはじめるが、思ったのもつかの間。盛り上がったその夜、真の目的が番組から発表。それが「これから1ヶ月間禁欲生活」であり、キスはおろか、セックスは当然御法度。自慰行為も厳罰対象にあたる。誰かがそれを破る度に賞金が減っていくというシステムで果たして10人は禁欲して10万ドルゲットできるのか?というのが主な内容。

この辺りは宣伝でも見せていたし、もちろんそれを楽しみに観てたのだが、中盤からそのワクワク感は大きく裏切られることになる。

要するにこの企画は「セックスなしで男女は真実の愛を見つけだせるのか?」というWeezerの「Tired Of Sex」みたいな裏テーマがあり、セックス目的(見た目も含め)で集まった人たちが、どんどん悟りを開き「恋愛とはなにか?」「女性の価値とはなにか?」について深く考え、人間として成長をしはじめていくという方向に舵を切り始めるのだ。

ひとりはキリストのようになり、悟りまくった結果、逆にエロ要素が抜け落ち「ここまで悟ればオレはこの場所にいる意味はない」と去って行ったりするしまつでそのひとりひとりが達観していく様がおもしろく、最後はちょっと感動するようなところに着地。もちろん「こんなバカなことに付き合ってられない!オレはセックスをしにきたんだ!」っというヤツもいるし(というか、そういう理由で見始めた人は離脱するであろうというメタ視点もある)、アホなエロのくだりも散りばめてあるが、それすら箸休めに感じたくらい。

惜しむらくは細かいルールが決まっておらず、番組サイドもそれを伝えなかったので「え?それがありなの?」「それはちょっとないんじゃない?」と観ててノイズになる部分が多かったこと。あと番組の進行役にすさまじく権限があり、参加者の行動や人間性を否定したりするため「こういうコンプライアンスに縛られない番組が観たいのに企画自体にそんなコンプライアンスを注意する権限があるのはどうなの?」と思わせたのは結構この手のエンターテインメントとしてはマイナスかと。

とはいえ、これはかなり贅沢なクレームであり、バカとエロに関してはかなりフルスロットルで振り切ってることはマジで評価したい。そのルールをもっと整理し、参加者がシーズン1を観ている状態であれば戦い方は変わるはずで(「バチェラー」がそうであったように)逆にシーズン2が楽しみになったのは事実。故にある種“パイロット版”として割り切って観ることがおすすめ。もしこれが配信されればネトフリ入ってでも観るが……いつになるのだろうか……