みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

薔薇の女王

 グレートフィン ディアナ

 

            


    


昨年末、自治体で3割引きのクーポン券を発行したので、何を買おうかとわくわくした。

あれこれ欲しいものはあったが、ホームセンターで4千円近い定価のゴージャスな薔薇の苗木に出会った。深みのある赤い薔薇で、ネットで検索したら薔薇の中の女王と呼ばれているらしい。つるバラしか育てたことがない私には難度が高いが、思い切って購入した。

蕾のうちは黒色、大きく開花するにつれ深い紅色に変わる。香りもよく開花している期間が長く、花弁の変化がおもしろい。棘は痛いがその分丈夫な花だ。

憂きことの多い世だが、この薔薇を見ていると幸せな気分になれる。

ありがとう ❤ グレートフィン ディアナ

 

 

 

4月の花壇

       庭仕事


わが団地も高齢化が進み、花壇の手入れや世話をする人が減った。以前は花壇の持ち場を巡って争奪戦が起きたものだが、最初から住んでいる人は80・90代になり、今は歩くのさえやっとで園芸どころではなくなった。

というわけで70代後半の私ともう一人園芸好きの彼女が、花壇の手入れをしている。

そういう私も手の親指の付け根がCM関節症になり、重いものを持つと痛みが出るので無理はできない。

コロナ禍で外出を控えがちな80代、90代の方々が花壇の花を観賞するのを楽しみにしているので張り合いがある。

昨年は半日朝顔が喜ばれた。昔の朝顔と異なり、午後の2時くらいまで咲く。

私自身が好きな夕顔は夕暮れにならないと咲かないが、甘い香りが捨てがたい。     

  

 

       夕顔                  ホタルブクロ

 

野草のホタルブクロは繁殖力があり増えるので、皆さんに一枝ずつ差し上げて喜ばれた。大体女性は花が好きな人が多い。

「ひまわりの花は元気をもらえる」と、ばあ様たちがいう。リクエストに応えて、今年はひまわり、コスモスも育てることにした。

 

   ひまわり🌻の種を蒔いたら

 

      

 

ひまわりの芽は青い皮を頭に乗せて、土の中から顔を出した。ひまわりの花のイメージとは違うのが可笑しく、不思議でならない。とにかくすくすく育ってほしい。

 

 

 

 78年目の東京大空襲の日に

ボーっと夕方のニュースを見ていて、3月10日は東京大空襲の日であることに気がついた。

私は2000年、世田谷区の下北沢に介護保険制度のケアマネージャーとして通勤していた。その頃はまだ明治生まれのお年寄りや、徴兵されて戦地から帰還した人たちがいた。高齢者宅を訪問し心身状態を聴き、要介護度の認定調査をし、介護支援につなげる仕事から始まった。祖父母に育てられた私は、お年寄りと話すのが苦にならない。

 

    下北沢という街

下北沢の駅周囲には戦後の闇市の面影を残す市場が最近まで残っていた。戦地ラバウルで高射砲を撃っていたために片方の耳が聞こえなくなった人という人…。

ラバウルってどこにある島か、どんな戦いをしていたのかを帰宅してから調べる。歴史に関心がある私にとってまさに宝の山に思えた。

身体中に砲弾の破片を浴びたという男性は、齢を経てからその砲弾が肉体を蝕んで痛むのだと言う。衛生兵として戦地で働いたという男性は、いくら勧めても国の世話にはなりたくないと介護サービスを拒絶する。

 

公園に面したお屋敷に住む男性は認知症になって、訪問看護師から入浴サービスを受けていた。月に一度の訪問日。男性の妻に応接間の長椅子に誘われ並んで坐った。

ケアプランを前に、今後のことなどを話し合う。妻が「ガダルカナルのことばかり言っていたのに、認知症になってからは戦争のことはすっかり忘れ、会社のことばかり話すようになって…人肉まで食べて生き延びたというのに」と淡々といわれた。向かいの本棚の『ガダルカナル』というタイトルの本が目に入る。

私は思いがけない言葉に頭の中が真っ白になり、言葉が出なかった。高齢の彼女は息子夫婦に依存せず、夫を信頼できる施設に入れる手立てを完了していた。芯のしっかりした「武士の妻」を偲ばせる女性だった。

 

    下北沢から見る東京大空襲

下北沢駅周辺は建物疎開し平地にしたせいか空襲の被害は少なかった。B29による3月10日の江東区墨田区など下町を襲った焼夷弾の炎は、何本もの火柱となり、渦巻きながら夜空に立ち上がる。その光景を高台の自宅ベランダから見た当時の中学生脇さんは、消えては立ち上がる火柱の渦巻きに悲鳴のような叫び声が混じっているのを聞いた。

その炎の柱は高台に位置する下北沢周辺の住宅の庭を赤々と照らし、深夜なのに新聞の文字が読めたという。

同じ日の夜、茨城県石下町の私の郷里では、鹿島灘から東京めがけてB29の編隊がくまん蜂のようにウヮンウヮンうなり声をあげて飛んでいった。編隊が戻ってくると赤い炎が立ち上り、強風にあおられお札の破片が降ってきた。「こら造幣局がやられたな」父や村人は東京の方角を見ながら話したという。

下町の空襲で炎に焼かれた親子、戦地で餓死したり人肉まで食べて生き延びた人、国民を戦争に導いた人。戦争の時代に生きた人それぞれの人生があり、今もなお戦争の足音は絶えることがない。世界中の人々が過去の戦争のことを知り、語り合い、平和を求める動きが広がることを願ってやまない。

ミチおばさんのパソコン選び その2

パソコンが届いた。

ダンボール箱から重いパソコンをやっとのことで取り出す。23・8型ワイドは私が今まで購入したパソコンの中で一番大きい。画面半分ずつ、あるいは4分割など果たして使いこなせるのか。

 

    

 

パソコンをデスクに上げたものの、大きなダンボール箱と発泡スチロールの処理が待っていた。これが一番難儀した。ダンボール箱はたたんで紐でしばり古紙の日に出すとして、問題は発泡スチロールだ。自治体可燃ごみ袋の大40リットル相当に効率よく入れるには小さく砕くしかない。ネットで検索したら大きめの鍋にお湯を沸かし、そこに包丁を入れて熱して切るとやりやすいとあった。

 

   

 

たしかに熱い包丁だと切りやすい。しかしこの寒さですぐに包丁の温度が下がってしまう。いいかげん手もくたびれ、休憩してお茶やおやつを取りながら切り続ける。

切れば切るほど、発泡スチロ-ルの屑が飛び散り、それをごみ袋に入れようとすると静電気が発生して追いかけっこ。これを掃除機で取りたいところだが、それは大変な悲劇が待っているらしいからやめる。

散らばった小さな屑をまるめたガムテープで取るが、静電気を帯びた小粒は手から離れようとしない。水で流すのが早いが、粒々が下水に流れないように気をつけねばならない。40ℓ ごみ大袋に発泡スチロールのごみは入りきらず、もう一つ中袋にも入れる。

 

         

 

さてパソコンの梱包って他のメーカーも含めてどうなっているのだろう。

発泡スチロールは軽くて使いやすいが、プラスチック容器も含めて海洋汚染の元凶になっているそうだ。魚の口に入り、その魚を人間が食べているかもしれない。

環境への意識の高い自治体や海辺の地域ではプラスチックの海洋ごみを減らそうと取り組んでいる。海辺から離れて住んでいても、もしかしたら下水を通して海洋汚染に加担しているかも知れない。パソコンを製造販売する立場の人・メーカーの人によい方法がないか聞いてみたい。

 

ミチおばさんのパソコン選び

  パソコン探しの年の

 

F社製のデスクトップ型パソコンが3年足らずで突然壊れてしまった。そのパソコンは購入した時点で音声が小さく、修理に出しても改善しなかった。

ワードや写真保存が主要目的なので、「まあいいか」と使っていたが、ある日突然画面が真っ黒に変わり動かなくなった。修理に出す気になれず業者に引き取ってもらった。

持ち運びに便利な小さなノートパソコンはあるが、私のようなシニアにはやはりデスクトップの方が疲れない。画面が小さ過ぎず大き過ぎないもの。ネットで検索し家電量販店を廻り店員に聞き、自分に合っている使いやすそうなパソコンを探す。

地元の家電量販店はパソコンの種類が思ったより少ない。自分にぴったりのパソコンにめぐり会うのがいかに難しいか。最近友人には葉書ではなく年賀メールを出している。年末までに購入したいが、混雑する都心まで買いに行くのもおっくう。最終的にパソコンに詳しい店員が勧めるパソコンに決めた。

画面が横長で大き過ぎるのが気になったが、半分割して左側に資料を置き、見ながら右側に文字を打てるというのは好都合に思えた。ウィルスバスターのソフト3年保証に加入する。翌日には届けてくれるとのこと。 (つづく)

 

 

 

 

 

 9月の花壇

移りゆく花たち

9月ともなると朝顔の全盛期は過ぎ、今朝は赤とブルーの朝顔が2輪ずつ咲いていた。

午後5時くらいになると夕顔の花が開き始める。朝たっぷり水やりしても昼頃には葉がしおれるので、炎天下では数回の水やりが必要だ。

 

     

      咲きかけの夕顔の花

 

花壇の手入れをしていると、ゆっくりと杖をつきながら90歳くらいの婆様が近づいてきた。「この花は何というのですか。大きな花ですね。左の目が見えないので、花に顔を近づけて見てもよいでしょうか」と遠慮がちに聞かれる。

「どうぞ近くでご覧ください。夕顔は良い香りがしますよ」

「コロナだからエアコンつけて屋内にばかりいるので、たまには外に出ないといけないと思って・・・。きれいな花を見せていただきありがとうございました」とお礼を言い婆様は帰って行かれた。

同じ棟の住民たちは、毎朝朝顔が幾つ咲いたか見るのを楽しみにしている。水やりしていると通りすがりの見知らぬ人から挨拶されたり「お世話さま」と声をかけられる。

「コロナ禍で外出もままならないから、この花壇はみなさんにとってオアシスのようなものじゃないの」と友達は言う。しかし実は私は虫やミミズが苦手。ヤブ蚊のいる場所に本当は近づきたくない。それでも朝顔、夕顔の美しさ、はかなさに魅せられ、けなげに咲く花たちが可愛くてしかたがない。だから朝4時に自然に目が覚める。夜明けの朝焼けの美しさを知ったのも早起きのおかげである。

まだ薄暗い内に長袖にズボン、帽子をかぶり、蚊取り線香を2個持ち、一つは腰に下げて、まだ住人が起きない時刻にそろりと階下に降りる。

        

    

 

朝顔や夕顔の花殻を摘み、ツル先を剪定する。早朝のこの貴重な時間が私にとって欠かせないものとなっている。

 

 

夏こそ早起き

 

日中昼寝をするせいか、午前4時くらいに目が覚める。窓を開けると日の出前の淡い水色とピンク色の空が絵のような美しさ。

 

朝5時前に階下の花壇に降りる。ヤブ蚊に刺されないよう長袖を着て帽子をかぶる。

蚊取線香を下げているが、蚊のしつこさときたら。必ず何カ所か喰われてしまう。

 

あんどん仕立てにした朝顔が5輪開花していた。淡いブルーの朝顔で花芯に向かって白い線が走っているのが、ことのほか優雅。花殻を摘み水やりしていると、向かいの棟のご老人が会釈をして通る。

 

       

 

部屋に戻り、茄子と胡瓜のぬか漬けを食べる。茄子の漬かり具合が丁度良い。また茄子を買いに行かなくては。

 

コロナワクチン接種の前日、近くの農家の庭先販売で小玉スイカが並んでいた。農家の主とコロナワクチン4回目接種を前に、基礎疾患のある者同士で副反応について情報交換。3回目接種の前も、やはり同じような話しをしていた。

小玉スイカを買う予定はなかったが、一番大きいのを勧められ買った。一個700円、何年ぶりかの小玉スイカだったが、濃厚な甘さに驚く。今年は雨が少なかったからか。

 

4回目ワクチン接種も無事すんだ。まだ注射した跡の痛みは残っているが、副反応は特にないようだ。冷蔵庫にはまだ小玉スイカが残っている。茄子のぬか漬けのしょっぱさとスイカの甘さがこんなに相性が良いものだったとは。