自著『九月、東京の路上で』を刊行します

関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺について書いた自著
『九月、東京の路上で/1923年関東大震災 ジェノサイドの残響』
を刊行します。3月7日発売です。版元は「ころから」(http://korocolor.com/)。
著者名は、鹿島拾市ではなく「加藤直樹」を使いました。

もともと、「民族差別への抗議行動・知らせ隊」が「関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺から90年。記憶・追悼・未来のために」というテーマで昨年9月から10月にかけて展開したブログ「9月、東京の路上で」に加筆・修正を加えたものです。こちらも文章は私が書いています。

この本は関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺という歴史的事件の全貌を俯瞰的に描くのではなく、そのなかのいくつかの出来事の現場を見ていくものです。90年前の東京の路上に生きた(殺された)人々の姿が読者の記憶に残り、さらに関東大震災時の虐殺について現在に直結する問題として考えるきっかけになれば、それで本書の目的は達したことになります。

書店で見かけたら、お手にとってみていただければ幸いです。


『九月、東京の路上で』(版元ドットコム紹介ページ)
https://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-907239-05-3.html

『九月、東京の路上で』フェイスブックページ
https://www.facebook.com/kugatuTokyo

ブログ「9月、東京の路上で」
http://tokyo1923-2013.blogspot.jp/2013_09_01_archive.html

「あをつばめ 朴敬元と北村兼子」連載のお知らせ。

『社会新報』(週刊)で、
「あをつばめ 朴敬元と北村兼子」
という隔週連載を始めました。第1回が1月22日号で、1回600字程度で全8回という短いものです。

北村兼子は、1920年代から30年代初に活躍したジャーナリストです。今ではまったく忘れられていますが、とにかく文章が面白い。鋭くも思わず笑ってしまう見事なレトリックとユーモア、それを載せて弾むポップな文体。「文章をヒネってはいけないと叱られても私の文は水道文で、栓が固いからヒネらねば出て来ない。実際私自身でも持て余しているので、停滞なく出て来るホース文を目下修行中である」。こんな感じ。読み始めると止まらない面白さです。本のタイトルも『ひげ』『怪貞操』『恋の潜航』『短い演説の草案及び北村兼子演説集』。

北村はモダニズムの時代に相応しいセンスで、参政権要求を軸にフェミニズムを主張し、鋭い国際情勢分析に立った軍国主義批判を展開しました。満州事変の前には、日中の対立が日米戦争となり、米中の同盟は米軍の日本本土大空襲に帰結すると警告しています。中国と和解せよということです。「尚武国−これが間違ひの出発点だ、資力の伴はぬ尚武ほど危険なものはない、豚に牙をくくりつけて猪だとは笑はせる」。どうですこの気持ちのいい啖呵。今からでも遅くないから、どっかの出版社で『北村兼子アンソロジー』を出したらいいんじゃないかと思う。彼女のモットーは「主義は鋭かれ」。

その北村兼子が、27歳で死ぬ前年に出会ったのが、朴敬元(パク・キョンウォン)。通い始めた立川の飛行学校においてでした。

朴敬元は、朝鮮慶尚南道大邸市に生まれた女性で、1920年代半ばに、飛行士をめざして日本に渡ってきました。当時、世界的に飛行機ブームというものがありました。その背景には、飛行が人間の可能性の拡大につながるというロマンティシズムがあったわけです。その一翼を担ったのは職業進出の時代を迎えていた女性たちでした。今ではぴんときませんが、「飛行機を操縦したい」という女性たちが世界中に大勢現れて、日本とその植民地でも、40数人が実際に免許をとっています。ところが当時、女性は職業的飛行士にはなれないという法的差別がありました。朴敬元はそういう時代に、性差別と植民地支配という二重の抑圧を超えて「想像もできない遥か彼方の空」に向かうことを夢見ていたのです。その最終目標は、アジアで誰もなしえていなかった女性の単独訪欧飛行でした。167センチの大女で、自信家で大の負けず嫌い。でも明るくて親しみやすく、他人を味方につける不思議な魅力がある人だったようです。

この二人が、わずか8ヶ月だけども交錯したというお話を、書いておこうと思っている次第です。二人の出会いはしかし、一瞬で終わり、まもなく日本の侵略が深まるなか、飛行機は飛び立つ夢ではなく飛来する悪夢に、国境を越えて人を結ぶ希望ではなくて国境を越えて侵略し殺戮する道具へとその正体を現していくのです。



社会新報は大きな図書館で読めますので、機会がありましたらご高覧ください。

小説 ドウモ真実教

ドウモ真実教という教団のお話である。
数十年前、浅墓証拠氏の指導の下、この教団はテロに走った。近所の敷地に乗り込んで、多くの人の命を奪ったのである。
背景には、教団への監視の目が強くなり、社会的包囲網が狭まる中、「ジリ貧よりドカ貧を」と勝負に出たということらしい。もちろん、結果は裏目に出る。浅墓氏ほか幹部たちは逮捕され、死刑判決を受けた。
教団は、テロの責任をとってドウモ教団は賠償を支払う。さらに警察の監視下におかれてしまった。もう自由に武器工場などを作れない。
その後、教団はアレポと改名。浅墓氏とは別の指導者を据えて、テロへの反省を掲げて活動を再開した。少しかばっておけば、彼らも彼らなりにがんばった。近所でニコニコと風船を配り、被害者遺族の子どもの学費を援助したりした。だがそんなことで殺された側の恨みはそう簡単に消えるものではない。教団は、新しい指導者の名前で、「反省している。再びテロは繰り返さない」という談話も出した。
ところがその祭壇に、いつの頃からか、あの浅墓氏の写真が掲げてあることが発覚したのである。しかもその祭壇に教団代表が祈りを捧げているのだという。
当然テロ被害者や遺族からは抗議の声が上がる。
これに対して代表は、「誤解です。私達は『不テロの誓い』のために頭を下げているのです」と弁明した。だが、テロを命じた指導者の写真を拝んで『不テロの誓い』をするのはどう考えてもおかしい。そのうえ、教団の内部文書ではこっそり『不テロ』のくだりを削除している。一般信者に対しても、「テロの話はあまりしないように」と教育し始めた。
厳重な監視下にあり、かつてのように広大な土地に武器工場などつくれない今となっては、まさかかつてのようにテロを繰り返すとは、さすがに誰も思ってはいない。それでも不気味だし、そもそも道義的に認め難い。
被害者たちはますます声を張り上げる。教団建物の前で抗議集会を開くようになった。
あのテロの頃に生まれていない若い信者たちは経緯がわからないからこれに反発する。テロのときを知っている高齢の信者は信者で、やっぱり反発する。「我々の教義では、死んだらみんな神様になるのだ。どうしてそれを理解しようとしないのだ。そもそも我々は別に悪いことをするつもりはなかった。教団を守るための自存自衛の戦いをやったんだ。浅墓先生は偉大だ。もうこれ以上、遠慮することなんかない!」
彼らの気分はそんなところで一致した。それからは、しつこく抗議してくる被害者たちの悪口を言うのが、教団建物のなかに閉じこもる彼らの毎日の娯楽となった。
教団建物の隣に住む、被害者の会代表のおばさんの悪口がいちばん楽しい。あのババアは告げ口、ゴマすりの名人だ、口は達者だけど、おれたちがガツンといえばヒイッとすくみ上がるよ、と笑い、おばさんだけでなく、その家族のことなども、あることないことあげつらって盛り上がった。彼らをこき下ろすダジャレやネタを毎日(文字通り毎日!)発表しては、修行でつかれたみんなにひとときの笑いを提供してくれるひょうきん者もいた。そんなダジャレにみんなで爆笑すると、なんだかすっきりするし、団結を確認できるし、そうすると俺たちまだヤレル、みたいな自信がよみがえってくるのだ。
巨大スーパーを経営する副代表のおっさんな、あいつはウチの敷地の駐車場を狙ってるんだよ。カードなんだよ、結局。被害者感情がどうとか言ってるけどカネがほしいだけなんだ、あいつら。
気になるのは、教団建物に土地を貸してくれている不動産屋の態度だ。この会社は、教団に理解を示してくれていた。まあ巨額の家賃を支払っているから当然なんだけど。でも最近、どうもよそよそしい。こないだ受付のお姉さんがポツリと「失望した」とつぶやいたのも気になる。いやいや、聞き間違いだったのかも。社長さんが言ったわけじゃないし、仮にあの社長も教団に冷ややかななのだとしても、それは誤解なんだから(だって教団が正しいに決まってるんだから)、丁寧に説明すればわかってくれるだろう。今は社長さんが忙しくてなかなかうちの教団の指導者に会う時間がないだけ。
心配することないよ、おれたちは正しいんだ、不当な圧力に負けるもんか―。毎日毎日、窓のない部屋のなかで「被害者の会」の悪口で盛り上がっていると、信者たちはなんだかどんどん強くなった気がしてきた。年寄りたちは、教団の昔日の栄光を語り、若者たちは目を輝かせてそれに聞き入る。そうだ、俺たちは大丈夫。俺たちは強いんだ。

だって、あんなすごいテロがやれたんだからさ。

「蟻の町」についての連載を始めました。

報告遅くなりましたが、『社会新報』(週刊)で、2月20日号から
「約束の地 蟻の町とその演出家・松居桃楼」
という文章を、隔週で書いています。全10回(→間違いです!全8回でした)。次は3月20日号に掲載される第3回です。

焼け跡からの復興が進みつつあった1950年代。行政用語で「仮小屋生活者」と呼ばれる人々がいました。彼らの多くは、戦争やそれに起因する失業によって住む場所を失った人々で、寺の境内や公園、旧軍用地といった場所に掘っ立て小屋を立てて集住していました。その数は、東京だけで4000人以上に上ります。有名な集住地としては寛永寺御茶ノ水駅近くのお堀の斜面などがありました。
これに対して行政は、「公共の場」を不法占拠するものだとして、彼らをトラックに押し込み、小屋を焼き払っていきました。その背景には、朝鮮戦争時の治安を脅かす貧しい人々の集住を恐れる米軍の意向があったとも言われます。
「蟻の町」はその頃、浅草の隅田公園に存在したバタ屋(廃品回収業)の人々の集住地です。彼らもまた「仮小屋生活者」ですが、巧みなメディア戦略で世論の注目を集めて立ち退きを逃れ、ついに東京都に移転先を用意させました。
松居桃楼(とうる)は、終戦前は演出家でしたが、この町に住み込み、こうした顛末の一部始終を“演出”した人物です。彼が、支援としてこの町にやって来た北原怜子を主人公に書いた『蟻の町のマリア』はベストセラーになりました。
主にこの本によって、蟻の町は有名になりました。カトリック教会では今でも、北原はいわば殉教者として語り継がれています。
しかし私は、そうした物語を作ってみせた松居のほうに視点を合わせることで、ひとつの小さな「運動」の顛末とそれを担った活動家の話として「蟻の町」について書いてみたいと思うのです。

社会新報の購入は年間定期購読によらなければなかなか難しいと思いますが、大きな図書館には置いてありますので、機会があったらご高覧いただければと思います。

ユリイカで韓国マンガについて書きました。

ユリイカ』3月増刊号・特集「世界マンガ体系」に、「韓国のオルタナティブ・コミック」という文章を書きました。表題のとおり、韓国の非主流派のコミックを紹介しています。
本の雑誌にも韓国の作家はけっこう描いていますが、それらのほとんどは日本の漫画に近い作風のものです。しかし韓国には、日本の漫画とはかなり作風が異なる漫画もたくさんあります。そうした韓国漫画が今後、もっと日本でも紹介されればと思います。

ユリイカ」では絵の実物をお見せできなかったので、ネットで絵を見ることができるブログなどを探しました。カラーの絵と雰囲気だけでも見ていただければ。


『泣くには少し曖昧な』(チェ・ギュソク)
漫画学科を目指す予備校生たちの話。リンクは誰かのブログから。写真はチェ・ギュソク。
http://blog.naver.com/saltiee21?Redirect=Log&logNo=20110435483
このチェ・ギュソクが87年の民主化抗争のなかの若者群像を描いた『100℃』を日本で翻訳出版できないかと思っています。


『抗争軍』(キム・ホンモ)
日本の朝鮮支配が続くパラレルワールドを舞台にしたジュブナイルSF漫画です。力強く暖かみとユーモアのある水墨による画風もいいし、話もシンプルに面白くて一気に読んでしまいました。
作者のブログから。
http://blog.naver.com/32ghdah?Redirect=Log&logNo=50021386329
sakushano blog kousougun


『花』(パク・コンウン)
日帝時代から朝鮮戦争にかけての物語。最終的に非転向長期囚の話になるようです。
http://cafe.naver.com/atcropolis/908
この人はほかにも、朝鮮戦争時の米軍の虐殺事件を描いた『ノグンリ物語』や、済州島4.3事件を描いた漫画(タイトル失念)などを描いています。掲示板から。


『猫Z』(ピョン・ギヒョン)
遊園地を舞台に、幻惑的な絵柄で独特の奇妙でちょっと苦い世界を描いています。掲示板から。
http://cafe.naver.com/manjang17/278

韓国のエスペランティスト入国拒否に対する抗議声明

韓国のエスペランティスト、Kara An(アン・ジョンス)入国拒否に抗議する
第99回日本エスペラント大会に参加し、人々と交流することを求めて日本を訪問した韓国のエスペランティスト、Kara Anが、10月5日、日本の空港で入国を拒否された。私たちは日本の行政当局の不当な行為に対して抗議する。

2012年10月6日〜8日、札幌において日本エスペラント大会が開催された。参加団体のひとつ、北海道自由エスペラント協会(札幌)は、このなかで「東アジアの社会運動」分科会を行った。エスペラントによって社会運動の国際連帯を行なう試みだった。分科会は韓国から10数人、台湾から1人、日本から10数人の参加を得た。参加者たちは各国の反原発運動、進歩政治・社会運動の状況について情報を交換することができた。

しかしそこには、いるはずの人が1人欠けていた。韓国「エスペラント平和連帯」の活動家、Kara An(アン・ジョンス)である。Kara Anは、エスペラント平和連帯の中心的メンバーとして、エスペラントによる社会運動の国際連帯をずっと模索してきた。今回も、韓国で多くの人に札幌大会への参加を勧め、サポートしたのがKara Anであった。

ところがそのKara Anは大会前日、新千歳空港で日本当局により入国拒否を宣告され、翌朝には送還されてしまったのである。こうした入国拒否においては常にそうだが、理由はまったく告げられていない。しかしそれが、東京で当時開催されていたIMF国際通貨基金)総会の警備と関連していることは想像に難くない。

Kara Anの日本への入国拒否は、実は2度目である。

2008年7月、日本の北海道、洞爺湖でG8サミットが開催された。この時期、アメリカ、イタリア、香港と、どこであれ国際的な経済会議には多くの人々が国境を超えて集まっていた。差別と抑圧を拡大する経済グローバル化に抗議するためである。08年の洞爺湖サミットにも世界中から人々が集まった。この際、数十人の外国人(知識人、活動家、ジャーナリスト)が日本当局に不当に入国を拒否されている。これに対してはアムネスティ日本支部も抗議声明を出している。

Kara Anもこのとき、入国を拒否された一人だった。小さなエスペラントグループをつくり、言論とデモなどを通じてエスペラントによる国際連帯を訴えてきたKara Anが入国を拒否されたのは、その直前の3月、札幌で開かれた小さな市民集会に参加し、発言したことで日本当局に名前を記録されたからだと推測される。50人程度を集めて屋内で開かれたこの集会は、G8に反対する趣旨で札幌の様々な市民運動団体が開いたものだった。今回のエスペラント大会の実行委員も個人として参加していた。だが、Kara Anは同年7月、日本に再び入国しようとして拒否された。

今回の入国拒否も、東京で開催中だったIMF総会に関連したものと思われる。Kara Anの入国目的は札幌で開催される日本エスペラント大会への参加である。にもかかわらず、おそらくは4年前の反G8市民集会への参加記録によって、今回も入国を拒絶されたのだ。あまりにもはなはだしく不当である。そもそも、言論・結社・集会の自由は、日本の憲法でも韓国の憲法でも保障されているものであり、反G8市民集会への参加は、両国の法体系に照らしても何の犯罪にもならない。

近年、各国当局による恣意的な入国拒否が目立っている。たとえばこの1年間にも、福島原発事故の経験を伝えようとした被災者や活動家が台湾やインドで入国を拒否されている。そこから見えてくるのは、一方で経済のグローバル化を押し進めながら、他方で民衆の直接の連帯をおそれ、互いに個人情報をやり取りするなどして、協力してこれを阻もうとする各国の政府の姿である。

エスペラントは国境を越えて民衆が出会うための言語である。私たちの出会いが国家権力によって妨害されたことに抗議して、先述の「東アジアの社会運動」分科会参加者は、会場前で「Kara Anがいなければ(大会は)完全ではない!」とエスペラントで書いた横断幕を掲げた。

エスペランティスト、Kara Anは、ただ人々と出会うことを求めて日本を訪問しようとした。民衆の出会いを「犯罪」と呼ぶ道理は存在しないし、存在するべきではない。私たちは、2012年10月5日、Kara Anと人々との出会いを阻んだ日本の行政当局を許さない。ここに抗議する。

2012年11月12日
北海道自由エスペラント協会
エスペラント平和連帯

日本国内連絡先:北海道自由エスペラント協会 001-0045札幌市北区麻生町1-3-13




賛同人(7つの国と地域の96名)

宮沢直人〈MIYAZAWA Naoto〉(Sapporo Japanio)
鹿島拾市〈KASHIMA Juichi〉(Tokio Japanio)
CHOI Man-Won (Koreio)
野々村耀〈NONOMURA Yo〉(Japanio)
中村大真〈Nakamura Daishin〉(Japanio)
ばるばら〈Barbara〉(名古屋市/介助者 Nagoya Japanio)
鵜飼哲〈UKAI Satoshi〉(Japanio)
下薗紀一郎〈SHIMOZONO Kiichirou〉(福岡市在住 Fukuoka Japanio)
タニヒロユキ〈TANI Hiroyuki〉(Japanio)
KWON Sun-hee / Esperana(Japanio)
根津公子〈NEZU Kimiko〉(東京都八王子市 Tokio Japanio)
渡辺亜人〈WATANABE Tsuguhito〉(東京・調布市Tokio Japanio)
坂口誠也〈SAKAGUCHI Seiya〉(かたつむりの会Japanio)
藤巻謙一〈HUZIMAKI Ken'iti〉(Numazo Shizuoka Japanio)
Paz Hyunsoo JUNG (Koreio)
大野ひろ子〈OONO Hiroko〉(大阪市 Oosaka Japanio)
健二〈KenZ〉(Koreio)
松尾 哲郎〈MATSUO Tetsurou〉(大阪市Oosaka Japanio)
Takesi (Japanio)
田平正子〈TAHIRA Masako〉(Japanio)
佐藤敏行〈SATO Toshiyuki〉(Sapporo Japanio)
藤原廣道〈Hiromichi FUJIWARA〉(Sapporo Japanio)
Kanguruo (Koreio)
田村寿満子〈sumako TAMURA〉(Japanio)
砂子田徹〈ISAGODA Tetsu〉(Sapporo Japanio)
大橋真司〈OOHASHI Shinji〉(静岡市民 Shizuoka Japanio)
京極紀子〈KYOUGOKU Noriko〉(「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会 Kanagawa Japanio)
古橋雅夫〈FURUHASHI Masao〉(関西共同行動Kansai Japanio)
Кавабата Эркин〈KAWABATA Erkin〉
Commie (Koreio)
佐伯悠〈SAEKI Yu〉(Japanio)
이상기〈leesangki〉(평화연대 Koreio)
池田智子〈IKEDA Tomoko〉(Tokio Japanio)
AN Jinsim (Koreio)
ふじかわじゅんこ〈FUJIKAWA Junko〉(Japanio)
中島雅一〈NAKAJIMA Masakazu〉(Tokio Japanio)
水田ふう〈MIZUTA Fu〉(犬山Aichi Japanio)
Akira (Japanio)
櫻田和也〈SAKURADA Kazuya〉(大阪市立大学 Oosaka Japanio)
小川〈OGAWA〉(Sapporo Japanio)
中島紀子〈NAKAJIMA Noriko〉(エスペラント友の会Japanio)
山川宗則〈YAMAKAWA Munenori〉(Japanio)
首藤久美子〈SUDO Kumiko〉(Japanio)
안길수〈Engels Ahn〉(Koreio)
桜井恵/錯ちゃん〈SAKURAI Megumi-Sakuchan〉(Japanio)
miko SLOPER (Leipzig Germanio)
佐々木秀明〈SASAKI Hideaki〉(Japanio)
池田和紀〈IKEDA Kazunori〉(Sapporo Japanio)
原田作〈HARADA Tsukuru〉(Nipono)
赤緑亭風如(セキリョクテイ フウニョ)・天津正剛〈AMACU Sejgo〉
おりぱく えさまん〈Oripak Esaman〉
井形和正〈IGATA Kazumasa〉(Japanio)
Songxo(Koreio)
NAM kyoyong(Koreio)
grapefruits (Japanio)
三好信行〈MIYOSHI Nobuyuki〉(Japanio)
宮澤哲〈MIYAZAWA Tetsu〉(Kanagawa Japanio)
はなかゆい〈HANAKA Yui〉(Sapporo Japanio)
谷川健志〈TANIKAWA Takeshi〉(さいたま市 Saitama Japanio)
유기수〈KiSoo YOO〉(Koreio)
功能大輔〈KONO Daisuke〉(Koreio)
張本勲〈HARIMOTO Isao〉(救援連絡センター運営委員 Japanio)
鴨川優斗〈KAMOGAWA Yuuto〉(Sapporo Japanio)
鎌田依里〈KAMATA Eri〉(Sapporo Japanio)
Sino Jocelyne MONNERET emerita instruistino (SAINT - REMY FRANCIO)
井崎倫子〈ISAKI Michiko 〉(Japanio)
遠藤竜太〈ENDOU Ryuta〉(神奈川県秦野市 Kanagawa Japanio)
CHO Chao-ming (Koahsiung, Tajvano)
Franciska Toubale (Melburno Australio)
斎藤塩子〈SAITO Shioko〉(Japanio)
주진태〈JOO Jintae〉(Koreio)
小塚太〈KOZUKA Futoshi〉(Tokio Japanio)
神長恒一〈KAMINAGA Kouichi〉(Japanio)
中村牧子〈NAKAMURA Makiko〉(Japanio)
Pierre Soubourou – Ŝtonĉjo
이효성〈LEE Hyo-Sung〉(Koreio)
코기토〈Cogito〉(Koreio)
Arbo(Koreio)
Tom(Koreio)
スガ秀実〈SUGA Hidemi〉(Japanio)
Leono(Koreio)
Gary Mickle (Germanio)
MURATA Kazuyo (Japanio)
園良太〈SONO Ryota〉(東京、フリーター労組/「麻生国賠」原告/「2.9竪川弾圧」被告 Tokio Japanio)
Roger Condon Esperanto Francio
Kani (Hispanio)
桜〈Sakura〉(Japanio)
にしかわさとる〈NISHIKAWA Satoru〉(広島県 Hiroshima Japanio)
猪股 KAZUHA〈INOMATA Kazuha〉(Japanio)
Pai (Koreio)
Lusj (Koreio)
Andreo Hoaro, SAT-ano
Markovo-Vito (Francio)
Marteno Bustino Benito(Alikanto.Hispanio)
中村六大〈NAKAMURA Rokudai〉(Sapporo Japanio)

奴らの愛国は悪い愛国。

また憂鬱なアイコクの季節がめぐってきた。
05年の「反日デモ」以来か。もっとひどいことになりそうな気配もある。
ネットは言うまでもなく、新聞や雑誌は、連日、韓国たたきに熱くなっている(なぜか中国たたきは少ないね)。どっかの会社は韓国からのゴルフボールの輸入を停止したそうだ。会社のイメージ悪化が怖いと。つまり日本アイコク者の攻撃が怖いということだろう。

ところが8月20日、読売の夕刊を読んでいたら、なんと「愛国心」を批判し始めたので驚いた。

愛国心―自分の名声を明るく輝かしいものにしたい野心を持った者が、たいまつを近づけると、じきに燃え出す可燃性の屑物。愛国者―部分の利害のほうが全体のそれよりも大事だと考えているらしい人。政治家に手もなくだまされるお人好し。征服者のお先棒をかつぐ人」

「征服者のお先棒」とは侵略戦争の旗振りという意味だろう。ビアスの「悪魔の辞典」からの引用だ。なかなかいいことを言うなあと思って読み進めたが…なんのことはない。韓国や中国の「誤った愛国心」を批判しているのだった。文章の末尾で「日本も同レベルで皮肉られないようにしたい」などとリベラルぶったことを付け足しているが、なにをいまさら、である。
ぼくも、読売にならって「悪魔の辞典」風な箴言をひとつ。
愛国心には二種類ある。我が国の人が叫ぶ正しい愛国と、外国の奴らがわめく悪い愛国」。
コンビニに行ったら、週刊朝日の表紙が飛び込んできた。
「愛国という名のエゴを許すな!」というキャッチコピー。
往時は「アカイアカイアサヒ」とうたわれた朝日新聞社が発行する週刊誌だ。まさか読売と同レベルじゃないだろう。少なくとも、外国のアイコクを批判する刀で日本のナショナリズムを批判する、「奴隷の言葉」を使った批判くらいはしてくれることだろう―。
甘かった。
標題の特集記事は、全編これアイコクの嵐。「ゴリ押し生む国民性の原点は」という在特会と見まがうレイシスト的な見出しもある。ひどいなと思いつつ、まあ見出しは適当につけるものだし、などと思って本文を読んだら、本文はもっとすごかった。高麗時代にさかのぼって韓国人の「国民性」を分析し、「それが自分たちの正義が世界のルールに先んじるという考え方ならば、『愛国』を通り越して『独善的』なエゴでしかない」と息巻いている。「国民性」を「エゴ」と決め付けているのだから、もはやモノホンのレイシズムだ。標題の「愛国という名のエゴ」とは、韓国人のアイコクを指していたわけだ。
「日本の体操選手のユニフォームが旭日旗に似ているからメダルを剥奪すべきだ、という言いがかりに等しい主張をしてくる始末」という一文もあるが、その言いがかりに等しい主張をしたのが韓国政府なのか、スポーツ団体なのか、ネットの書き込みなのか、その主語さえも示されていないほど鼻息荒くアイコクを高揚させている。
極めつけは、海上保安庁の映像をマン喫から流出させて英雄となったSENGOKU38(一色正春さん)のコメント(1P使って掲載)。タイトルが「日本は中国の自治州となるのか」。
日本列島は、アメリカがもっとも重視する西太平洋上の属州だ。それを中国がどうやって奪うのだろう。荒唐無稽にもほどがある。
 
週刊朝日がこれほどのアイコクを見せてくれるとは。先のゴルフボール輸入業者と同様、「アカイ」とか「反日」とか言われるのが恐ろしいのはわかるが、過剰適応にもほどがある。そういえば朝日夕刊の「素粒子」欄でも、読売とそっくりなテイストの「奴らのアイコク」批判をやってたっけ。

この10年で日本のアイコク批判はタブーとなった。もちろん従軍慰安婦問題を始めとする歴史の清算問題はもっとタブーだ。李明博が8月15日の光復節演説で従軍慰安婦問題を提起した、というニュースが流れても、メディアは「従軍慰安婦問題ってなに?」という読者の当然の疑問にはだんまりだ(SAPIOと産経以外は)。

アカイ朝日や冷静なリアリスト保守を任じる読売は、産経のように素直に熱くアイコクを叫ぶことはせず、代わりに他国のアイコクを批判してみせる。なるほど、これなら日本のアイコク勢力ににらまれることもなく、しかも「アイコク批判」というポーズによって、リベラルで頭よさげな顔を保つことができる。高学歴で勉強のできる人々が考えそうなことだ。仮に戦争が始まっても、リベラリストのままでいられるに違いない。「アイコクに凝り固まった敵を鎮圧せよ!」と。慶賀の至りである。

それでもやはり、他国のアイコクを、日本語で、日本国内で、日本人相手に高らかに批判してみせるというのはみっともないことこの上ないのではないか。
首都の行政トップがパンダの名前がどうのこうのとガキじみた調子で煽動しながら「領土を守れ」という募金運動をして、それが10億円も集まったのは、どこの国だったか。今回の騒動の直前ではなかったか。また、慰安婦制度被害者に対する国家としての誠実な対応が、アメリカ、オランダ、韓国、台湾、カナダといった国々の議会から求められるようになって何年になるだろうか。
李明博リアンクール岩礁訪問と、東シナ海島嶼群への香港の民主派活動家の上陸からすべてのストーリーが始まったわけではないのだ。

自国のアイコクには目をつぶって他国のアイコクを批判する。これは相当にかっこ悪い。無人島がいくつか日本国家の持ち物になることがうれしい人もいるのかもしれないが、日本が良識も品性も知性も失ったアイコクの国になり下がるのなら、ぼくは何にもうれしくない。
ぼくは日本人として、妙な相対化をせずに、日本のアイコクを批判したいと思う。